창작과 비평

[寸評] 成田千尋の『沖縄返還と東アジア冷戦体制』 / 郭炯德

 

創作と批評 196号(2022年 夏)目次

 

寸評

 

成田千尋『沖縄返還と東アジア冷戦体制』, ソミョン出版 2022

‘解放’以後沖縄をめぐる差異とずれの起源

 

 

郭炯德(ホン・ギドン):
明知大学日語日文学科教授

 

 

ある対象を深く理解するためには、類似性だけではなく、差異とずれをバランスよくとらえる視野が必要である。しかし、国内における沖縄関連の議論は、差異とずれよりは類似性により焦点を当てている。それは、韓国と沖縄が歩んできた歴史的経験を基に「東アジア連帯」を主張する言説によく表れている。ところが、日本帝国の敗戦前後、韓国と沖縄が通ってきた熱戦と冷戦の様相には類似点より相違点がもっと多い。それは、近代以後「うちなんちゅう(沖縄生まれの人)」と朝鮮人・韓国人の関係が同じく帝国主義の「被害者」という単純なカテゴリでは括れないことを意味する。二つの民族が時期と役割によって、互いが被害者であると同時に加害者であり、加害者であると同時に被害者であったという「差異とずれ」を検討することは、客観的な相互認識をもとにした東アジア連帯の先決課題といえる。

成田千尋の『沖縄返還と東アジア冷戦体制:琉球/沖縄の帰属と基地問題の変容』(2020)は、類似性の裏面に非可視化された国際秩序のいろいろな波動や多様な力関係の実体をリアルに描き出す。同書を読んで驚いた点は、「沖縄返還」の歴史的意義を関連地域全体の資料とアーカイブを幅広く考察し解釈した点である。日本で行われる沖縄研究は日本―アメリカ―沖縄にわたる政治、経済、外交等に焦点が当てられており、関連資料も日本語、英語の資料に限定されることが多い。著者の問題意識が太平洋を越え、東アジア全体に向けていることは、「韓国語版序文」の「沖縄基地が冷戦構造の維持のために担ってきた役割、とりわけ韓半島の分断とどのようにつながっているのか」(21頁)を検討しようとする抱負からも確認できる。著者は、アメリカと日本はもちろん、沖縄現地と韓国、台湾、中国等から収集した資料を適材適所に配置し、「沖縄返還」が当事者の沖縄や日米間の安保体制だけの問題ではなく、冷戦体制下で分断された現実の韓国や共産主義の中国と対峙していた台湾にも切実な安保問題だったことを具体的に明かす。同書の独創性は、それを各国間の一対一構図あるいは局地的関係を越えてとらえており、アメリカ―日本―沖縄―韓国―台湾のあいだの複雑な国際政治の力学を明らかにした点ということができる。

その中でも韓国読者に最も衝撃的に思われる事実は、やはり1960年代以降韓国政府が沖縄民衆の自立を阻害する形として沖縄の軍事基地化に寄与したという点であろう。著者は、韓国政府が台湾と同じく「沖縄返還」を東アジア協力や脱植民の問題としてではなく、自国の安保危機としてのみ認識していたことを、当時の新聞記事や資料等によって明らかにしている。確かにそれによる結果ではなかったとしても、「こうして沖縄の多くの住民が求めてきた『基地のない平和な沖縄』は実現されないまま、むしろ冷戦体制を維持する機能として沖縄返還が実現」(394頁)されたという指摘は手厳しい。それは当然、「植民地」状態を経験した歴史的類似性を持つ韓国が、沖縄の軍事的隷属や軍事的葛藤構造の創出に少なからず役割を果たしたということは、歴史のアイロニーとして思われるからである。同書の訳者である林慶花は、これに対して「韓国の現代史が戦後沖縄と関連して胚胎した矛盾の中で最も手痛い点は、日本帝国からの脱植民という課題をアメリカがつくった冷戦構造の枠内で遂行せざるを得なかった韓国が、自らの安保不安を解決するために、アメリカの軍事植民地から抜け出そうとした沖縄住民の熱望を歪曲」(426頁)したと評価する。「被占領」の体験を共有したものの、戦後東アジア冷戦体制の一軸として沖縄米軍基地問題に介入した韓国の矛盾を明確に表現した文章と言えよう。それは、韓国・韓国人が沖縄との関係において日帝末期の様相のように被害者だけではなかったことを意味するものでもある。

その点から見れば、同書は私たちに加害者としての韓国・韓国人像にも目を向けるべきだと言っているようにみられる。被植民という歴史的類似性のみを穿鑿して韓国と沖縄との連帯を叫ぶことが上滑りする理由なのである。1950年代の沖縄知識人たちはうちなんちゅうの加害者性を痛烈に批判しながら「戦後」をスタートした。それは、彼らが被占領状態においても「沖縄から出撃していった米軍機がもたらす惨禍を非常に具体的に想像」(呉世宗『沖縄と朝鮮のはざまで』ソン・ジヨン訳、ソミョン出版 2019、159頁)していたことによく表れている。戦後沖縄文学においても被害者ではなく、加害者としての沖縄人という鏡と向き合うことは重要なモチーフであった。大城立裕は、日本帝国の一員として他のアジア民族を抑圧した沖縄の加害者性を直視する作品を数本書き、その後輩世代に属する又吉栄喜や目取真俊は、朝鮮人「慰安婦」と軍部を小説に登場させ、沖縄戦当時彼らをいじめたり、殺害した加害者としての沖縄人像と向き合った。しかし、1960年代の韓国政府の方針が沖縄人にもたらす惨禍を、韓国人が果たして具体的に想像・共感することができただろうか。それに対して、懐疑的にならざるを得ない理由は、それが単に過去に終わった問題ではなく、現在の状況ともつながっているからである。「沖縄を『我が問題』として包容する自己省察の契機」(白永瑞「推薦の辞」、14頁)は、過去の行為に対する省察も重要であるが、今ここの文脈から考察される時に初めて力を発揮する。韓国が新冷戦を脱構築して東アジアの平和に寄与するのではなく、新冷戦の強固な一軸になれば、沖縄内の平和体制の構築はいっそう険しい道へ進むようになるからである。本書は、沖縄「返還」50周年を迎えた今、沖縄の基地問題をめぐる東アジア各国の利害関係がすでに過ぎ去った過去ではなく、現在も続いていることを推察させる。

 

 

訳:李正連(イ・ジョンヨン)