[対話] 新たな韓国学と〈開闢〉というイッシュー / 金聖文·白敏禎·白永瑞·柳英珠
金聖文(キム・ソンムン)香港城市大公共政策学科教授、東アジア比較哲学センター長
白敏禎(ペク・ミンジョン)カトリック大学哲学科教授
白永瑞(ペク・ヨンソ)延世大学名誉教授、細橋研究所理事長
柳英珠(ユ・ヨンジュ/Youngju Ryu)米ミシガン大学アジア言語文化学科教授・韓国学センター長
白永瑞(進行)こんにちは。今回の座談会は、韓国学の新たな方向を模索するために準備されました。パンデミック、気候危機、戦争など、資本主義文明の危機的兆候として、文明大転換の激動が実感される現在、これを乗り越える人類の知恵を集めること、そのなかでも韓国の役割を見出すことは重要です。このために韓国の文化的な力量を広い時空間のレベルで評価し、その能力を持続的にはぐくむ方法として、韓国内外の韓国学の成果と課題を点検したいと思います。また何よりも新たな韓国学の道をともに探る場になればと思います。司会をつとめる私は中国現代史を専攻しており、延世大名誉教授・細橋研究所理事長として活動しています。もともとは、夏休みを迎えてソウルを訪れる先生たちと、韓国にいる研究者とも対面して議論しようと思いましたが、柳英珠先生は防疫の事情上、韓国への帰国が難しくなり、遠隔で参加されることになりました。それぞれご紹介をお願いします。
柳英珠 アメリカ中西部にあるミシガン大学で韓国学センター長を務めている柳英珠です。1970年代の韓国の小説を専攻しましたが、ミシガン大学では文学以外にも韓国学関連の様々なテーマを教えています。貴重な場にご招待下さりありがとうございます。
金聖文 香港城市大学で政治哲学を教えている金聖文です。人文社会科学大の副学部長および東洋比較哲学研究所長として、儒教政治理論や憲政理論、東アジア政治思想史、比較政治思想などを主に研究しています。今夏、韓国に来て、韓国学・韓国思想を新たに照明する試みが旺盛に行われている事実に触れましたが、今日、この場を通じて、より詳しく議論できることになり光栄に思います。
白敏禎 カトリック大学哲学科で東洋思想・韓国思想を研究し教えている白敏禎です。18世紀前後、朝鮮朝時代の儒教知識人たちの思想について勉強してきました。最近では19世紀から20世紀に至る文明大転換の時期に、韓国の知識人たちや民衆がどのような苦悩や思惟を展開し、いかに急変する時代状況に対処してきたのかを考えています。この場で海外にいる先生たちと学問の境界を行き来し、未来的な可能性を語ることができるだろうと期待しています。
韓流の底力はどこから来るのか
白永瑞 今回の「対話」を準備しながら、これまで『創作と批評』誌で行われた韓国学関連 の座談会を振り返ってみました。「地球化時代の韓国学」(1997年夏号)の座談会で司会者の崔元植先生が、国じゅうが騒々しい時期ほど「より根本的な問い」を持つ必要も切実であるとして、「人類の文明史で韓国人が果たしてきた役割、そしてこれから果たす独自の「貢献」を明らかにすることが重要だとおっしゃいました。その趣旨に共感しますし、それから20年もたっていますので、私たちの歴史の進展に支えられ、そのような役割にたえる条件と能力が整ったのかも確認したいと思います。何よりも最近の韓流への関心に熱いものがあります。これと関連して、学界では主として受容者側の研究が数多く進められています。韓流は文化産業ですので「文化」と「産業」の側面があり、解釈の道も多様です。韓流が欧米中心のモダニティに亀裂を起こしているのか、資本主義体制や国家中心主義を活用して拡大するにとどまっているのか、あるいは韓流が、アジア人に対する西欧の長年の偏見を制御するのに寄与しているのか、などに関する議論が多くの次元でなされています。果たして韓流はどのような効果を引き起こしていると思いますか?
柳英珠 最近、話題になったポン・ジュノ監督の発言から話を始めようかと思います。映画「パラサイト」が2020年のアカデミー最優秀作品賞を受賞する前、ポン・ジュノ監督がアメリカの雑誌でのインタビューで、「アカデミー賞の授賞式はきわめて地域的な(local)お祭り」と言って物議をかもしました。内容だけでなく、その言葉を語る態度も淡々としていたので、アメリカのメディアに大きく紹介され、SNSでも「サイダー発言」(爽快な発言)として広がりました。アメリカの大衆文化の中心性と排他性に対する反省のきっかけになりました。このような発言がアメリカで大きく話題になったという事実自体が、韓流が欧米中心的なモダニティに亀裂を起こしているかに対する、1つの優れた回答を提供していると思います。
白永瑞 海外で若い学生たちに教えながら感じる点も気になりますが、いかがでしょうか。この「対話」を準備しながら、中国・台湾・ドイツの韓国学研究の状況を少し聞きましたが、おおよそ韓流のおかげで、韓国ないし韓国学への関心が明らかに高まったと言っていました。
金聖文 私がアメリカにいたのはすでに15年前のことですが、そのときも東アジア系の先生がアメリカの学生を教えるのは容易ではありませんでした。今でもそのような偏見は作動しているのではないかと思います。ですが、香港や東アジア諸国の場合は、韓国の大衆文化の地位がかなり向上し、学生たちを教えるときには比較的負担がありません。韓国人が好きで、あるいはもっと羨望の対象として見ていて、学生だけでなく教職員のなかにも、韓国に定期的に訪問したり韓国語を学んでいる人は多いと思います。
柳英珠 アメリカもこの間、雰囲気が変わったことは明らかです。私はミシガン大学で働いて14年になりましたが、韓国関連の講義を受講する学生の構成や数が変わりました。私は韓流のなかでも特にK-POPの役割が大きいと見ています。多様な学生が、自己のアイデンティティを自由に表現し発散できる、新たな場を開いたという感じです。ミシガン大学にもK-POPやカバーダンスを楽しむサークルが3つありますが、そのなかで様々な人種、性的アイデンティティを持つメンバーたちが集まっています。このような活動が自然と学問的な関心にもつながり、韓国を勉強しようとする様相を目撃しています。
白永瑞 受容者だけでなく、発信の側面からも韓流を見る必要がありますが、韓流を作り出す動力はどのようなものかという点です。ですが、これに対する議論は、ほとんど韓流を経済主義的・産業的にのみ説明する偏向を示しています。別の角度からもっと深く観察する試みが必要です。たとえば、文芸評論家のハン・ヨンイン氏は、韓流の背景としてキャンドル革命の経験があると語っており(「「韓流」と協同的創造の可能性」『創作と批評』2022年春号)最近『ハンギョレ』も「これがK-精神だ」の連載を通じて、韓国の思想的資源、たとえば神命・華厳・三教融合の風流道などが持つダイナミズムが、韓流現象に溶け込んでいると診断しています。
金聖文 学問的には、思想と現象の直接的な因果関係を見出すことに考慮したり警戒すべき点が多いのですが、現象を目撃していると、韓国社会の政治的・社会的ダイナミズムと文化的創造性との間に、関連が確実にあると感じます。たとえば、映画「弁護人」(ヤン・ウソク監督、2013)や「1987」(チャン・ジュンファン監督、2017)は、最近、激しい変化の過程にある香港社会にとって準拠資料になっています。香港では以前の映画もすべて検閲されており、学生たちが、急激な変化に対して社会がいかに対応して勝ち抜いたのか、自らのなかでは参考資料を見つけることができません。このとき、同じ東アジアで経済レベルも似ている韓国から出てきた実話ベースのドラマや映画が役に立っているんです。
白敏禎 私も韓国人が幅広く共有する価値観や世界観が、今日の文化的な底力と無関係ではないと思います。正義や公的価値に対する市民の熱い関心、共感能力に基づく社会的な絆、家族的で私的な生と、公的な市民の生を、どのように連携するかに悩むことなどは、すべて韓国人が堅持したある種の生活の態度や価値観に触発されたものだと思います。今がまさに社会文化的な現象と、韓国人の心性や価値観との間の関連性を見るいい時点だと思います。
白永瑞 同時に気になるのは、韓流現象に対して果たして韓国学がどれだけ貢献したのか。韓国学が韓流に対して先に寄与した部分があるのか、あるいはむしろ学界が遅れて事後分析にとどまっているのではないか、考えてみる必要があります。韓国学が韓流を分析するなかでも、欧米理論、特に文化研究の理論に期待しながら、韓国特有の政治的・社会的・精神的な脈絡を見逃しているのではないかという懸念もあります。
柳英珠 事実、これまでは事後分析にとどまっている面があります。ですから、今、韓流が新たな韓国学を要請していると思います。一体、韓国とはどのような空間であり、その歴史、特に韓国の民主化がどのように進んできたために、このように継続的に完成度の高い文化的結果物が出てくるのかについての解明が、強く要請される局面だと思います。いまだその要求を満足させるだけの研究結果が出ていません。すべてに「K」という非常に曖昧な接頭辞が付く最近の現象のなかに、新たな韓国学に対する要求が込められているのだろうと思います。
韓国内外の韓国学研究の現住所
白永瑞 新たな韓国学が必要だという問題提起を受け、韓国学が一体どのようなものであり、どこにどう進むべきか議論してみたいと思います。私は、韓国学が、歴史的文脈のなかで流動しながら進化中の概念だと思います。日帝強占期の朝鮮学から始まり、国学、民族学があり、海外の韓国学を含む「コリアンスタディーズ」(Korean studies)もあります。みな、1997年『創作と批評』夏号の座談を紹介したりしましたが、創批はその後も、東アジアの韓国学や「実事旧是」の韓国学、批判的朝鮮半島学などを提起しながら、関心を持ち続けました。特に1990年代初めから拡がった東アジア言説は、民族・民衆中心、一国単位の分析手段だけではポスト冷戦・グローバル化現象を説明できないという考えから、国境横断的な観点として東アジアに注目したものでした。当初は人文学的アプローチから始まりましたが、時代の気運に応えたために、社会科学者まで参加して言説の豊作を成就しました。今日、先生たちがそれぞれ経験し観察している韓国学の現状はどのようなものか気になります。海外の韓国学研究で影響力が最も大きいのはアメリカの大学ですが、いかがでしょうか?
柳英珠 アメリカでも韓国学研究の環境は実はとても劣悪でした。アメリカ学界における地域学としてのアジア学のなかでも、韓国学は「ゲットーの中のゲットー」と呼ばれ、最も辺境の分科であるという認識が広がっていたのは事実です。独自の学問として専門性を持つことが難しい状況なので、生存方法として地域学という学際的な研究の形をとりました。そのせいか韓国における韓国学研究は私にはいつも生硬に感じられました。創批における東アジア言説のような流れは独特で意味あるものと思いますが、概して韓国学研究は、普遍的西欧のアンチテーゼとして「国学」の形を取るように見えました。国文科、国史学科、国学研究院などが、それぞれ分科的な専門性を備えて発展してきたので、アメリカの状況とはかなり異なります。そういう点で、アメリカと韓国の韓国学の間にどのような接点があるのか、悩んだりもします。
金聖文 アメリカを中心とする英米圏の学界において、韓国学はとても狭い分野です。そのうえ、伝統的な意味の韓国学を研究してきた英米圏の学者たちが引退した後、残念ながら高水準の研究をおこなう次世代の研究者がさほど多くありません。アメリカ内の韓国学センターの研究は、主として韓国で支援する基金で運営されており、このとき漢文や韓国語テキストへのアクセス性を備えた韓国学者たちは、それ自体で地位が保障されるため、競争的な環境で研究を進めることができないケースがよく起こります。競争の不足は、海外の韓国学が人文社会科学全般をリードするような高いレベルの研究成果を、着実に生産できなくさせる障害物になっているようです。
柳英珠 大きな問題の1つは、かなり限られた資源が、最近、韓流の拡散で、当座の現象の研究に集中しているという点です。なので、訓練に時間がかなり必要な前近代の韓国については、比較的、研究があまり行われていません。なかでも、前近代期の韓国文学に対する研究資源はきわめて不十分な状況です。このような不均衡が存在しますが、大衆文化研究が韓国学の拡散と関連して核心的な関心事であり、継続して拡大・発展していくべき分野であることも明らかです。K-ポップ・K-ドラマからK-ウェブトゥーンやK-バラエティに至るまで、いわゆる「K-現象」に関する研究が、こうしたコンテンツを受け入れ消費して再創造する人々に、その焦点を移す必要もあると思います。韓流ファンダムはすでにその独特さで注目されていますが、最近はこのファンダムが政治的議題と結合して、コンテンツとファンダムと政治的実践が1つに融合する現象がみられるという点にも、目を向ける必要があります。たとえば2020年の「黒人の命は大切だ」(Black Lives Matter)運動の当時、ある地方警察でデモ隊の暴力に対する情報提供を受けるサイトを運営しましたが、韓流ファンダムが結集して、アイドルのミュージックビデオや写真などを「張り付ける」ことで、サイト運営を実質的に無力化した事例があります。コロンビア、チリ、ペルーなどの中南米諸国でも、大統領選挙の局面に韓流ファンダムがツイッターで「#クリーニング」(#cleaning、特定のハッシュタグを無力化する目的で、当該ハッシュタグをつけた投稿を大量にアップして、スパンとして制限させるオンライン運動)を通じて、保守派の候補たちのメッセージを退出させるなどの「政治的実践」に乗り出しました。このことが実際の政治的変化をどのように生み出すかについてはいろいろな意見がありますが、コロンビア史上初めての黒人女性副大統領フランシア・マルケスの当選に韓流ファンダムの貢献があったともいえます。
白敏禎 私は、韓国の韓国学研究が、20世紀の韓国の思想史・知性史を様々な角度から照明し貢献してきたという点を指摘したいと思います。たとえば、1960年の4・19革命以降、朝鮮朝後期の実学に関する言説が再び流行したことがあります。民族運動の流れで既存の植民史観を克服するための内在的発展論が浮上し、私たちの歴史の自生的発展の根拠として実学言説が再び召喚されたのです。しかし、当時の議論は、西欧近代の発展経路を追いかけた近代主義であるという点で、依然として限界を示しました。崔南善(チェ・ナムソン、1890-1957)や鄭寅普(チョン・インボ、1983-1950)などが朝鮮文化復興運動を繰り広げるときも、1960年代以降の研究でも、実学言説は西欧基準の近代的民族国家論、社会発展論を志向するにとどまったという学界の反省が、これまで多く提起されていました。このように1990年代以降の韓国思想の研究として、韓国学は既存の研究傾向や問題点、限界を越えて新たに展開されています。朝鮮朝後期の実学が追求したのは、西欧近代のような富国強兵ではなく、道徳性や紐帯に基づく、儒教的社会共同体の模索にあったという点も、新たに照明されています。このような知性史的な流れを、今日の韓国学研究で十分に生かすことができると思います。
金聖文 私も最近20年間、韓国で高水準の歴史・哲学研究が進められていると思います。おっしゃられたような実学言説でも、60~70年代の学者たちが西洋の理論と視角に依存していて捉えられなかった面を、近年、若い学者たちが多く発見しています。たとえば、正祖をはじめとする18世紀の知識人が、既存の道徳性のような基準点をまったく新たに更新する次元で、近代国家を再創造しようとしたというものです。韓国国内の韓国学レベルは海外より決して低くないのですが、海外にいる学者たちが韓国国内の研究を等閑視している傾向は残念です。海外では学際間の連携を重視する方法論をより高く評価するので、韓国国内の韓国学は枝葉末節にこだわると考える傾向が大きいと思います。ですが、学問の根本的な目標は、結局、対象をよく理解することであり、方法論はそのための道具です。互いがあまりにも異なる世界に属していて、互いに対する偏見が長く続いてきたために、意味ある学問的な相互作用が存在していないのが残念です。
柳英珠 アメリカの場合、韓国学科が独立しておらず、東アジア学科の一部として存在しているため、教員の定員が1、2名にとどまる場合が多いです。専攻とは無関係に韓国学全般の講義をすべてやらなければならない状況で、研究の深化に困難もあり得ます。韓国の最新の研究成果についても、枝葉末節ばかりで無視するというよりは、いろいろな制約でその発展のスピードに付いていけない場合が多いのではないかと思います。幸いにも最近は韓国で修士まで学問的訓練をしっかり受けた学生が、アメリカの博士課程に進学することが増え、アメリカ生まれの若い研究者のなかでも、韓国の最近の成果を英語に翻訳・紹介する必要を感じて作業を試みることが多くなり、徐々に韓国と海外の学界の間でより緊密な学問的フィードバックがなされるだろうと思います。
白永瑞 「ゲットーの中のゲットー」という位置はドイツでも同じようです。学問的言説の場でガラパゴスのように孤立していると懸念していました。中国でも韓国学はまだ学問的アイデンティティを認められておらず、主流の知識系との対話がされにくい状況にあります。韓国学は、外部的視角の地域学研究と、内部的視角の民族学または辺境学研究という両面性があるために、中国中心的な視点から離れて、自国学としての韓国中心的な視角も相対化する、新たな認識枠を求めているようです。
韓国学の質的向上のための課題
白永瑞 これまで韓国国内の韓国学が特に量的に成長を重ねたのですが、この過程で脱民族主義・脱近代主義の視点から文化研究を進める流れが主流になりました。たとえば文学では正典を解体しようとする潮流が強く、文化コンテンツ学や文化論的研究が大勢をしめ、史学でも民族・民衆を脱構築し、様々な主体を復元しながら、生活史・文化史研究を数多く進めました。最近は新たな認識枠が必要だという問題意識もまた台頭していますが、韓国史の場合、通時的立場を堅持し、比較史研究を進め、社会科学理論を参照して、実証的な研究成果を体系化すればいいという線からさらに進んでいません。新たな韓国学のためには韓国内外の研究の質的水準を高める模索が必要だと思います。先生方それぞれの関心事や分科学問のなかで感じる課題はおありですか?
柳英珠 文学では、ご指摘の通り、正典を中心とした研究が文化コンテンツ研究に急速に移行しました。文学研究のなかでも、古典文学研究と現代文学研究の間の有機性と連続性の統合的な視点が不十分なのが問題です。たとえば、古典文学研究が韓国的なアイデンティティの確認に関心を持つとすれば、現代文学研究は、西欧近代文学の移植や受容、変容の様相に対する把握に重点を置く面があったと思います。ですが、古典文学にも東アジア漢字文明圏で共有される文化的共通性が存在しており、現代文学も西欧的近代の要素が受け入れられると同時に、韓国的文脈で再構成されてきたため、これをきちんと研究して、その結果物が西欧以外の地域、韓国と類似した地域で幅広く共感できる可能性を探るところまで進むべきです。コンテンツ研究 またはその現象的な話題性だけに埋没するよりも、韓国文学の伝統のなかにひそむ価値がコンテンツにどのように自然に溶け込み、その脈をつないでいるのか、関心の幅を広げる必要があります。このように今後の韓国文学研究の課題は、古典文学、現代文学、文化コンテンツに三分されている研究対象に対する断絶的な認識を越えて、長期的な視点でみた影響関係や連続性を再認識するように、視野を開放していくのではないかと思います。
白敏禎 哲学領域を見ると、19世紀末以前にも、性理学、理学、格致学など、真理や知を探求する伝統的な学問の名称がありましたが、「哲学」という概念は日本の学術の場の翻訳を経て韓国国内に入ってきました。外部から入ってきたこと自体は問題ではありませんが、その受容と接触の過程が主体的・創意的になされず、一方的・受動的に与えられたという点が問題でしょう。そこで、近年、哲学の概念に対する根本的な反省に基づき、哲学の受容史に関するメタ研究が進められています。たとえば東洋哲学の代わりに「東アジア思想」「韓国思想」と呼ぼうという議論もあります。私たちが持つ伝統的な思想的資源と、西洋近代哲学中心の知識体系との間の衝突と接合についてもまた検討しています。最近、19~20世紀の朝鮮半島の知識人たちが直面していた危機状況と、彼らの緊迫した問題意識を新たに反映して、「韓国現代思想史」を主体的に構成しようとする努力が真摯に進められています。
白永瑞 哲学概念に対する論争は中国でも1920年代からありました。このとき、中国人たちは「思想」を「哲学」の上位概念として見て、その淵源を清朝末期の経世論まで含めて論じます。西洋の近代哲学とは別個に、自らのうちにすでに理論と実践を兼ねる学問的動きがあったということです。韓国でも哲学が西洋の「フィロソフィー」(philosophy)の翻訳語として限られた意味を持つならば、その上位概念として「思想」を積極的に活用することが、有効な指針になるのではないかと思います。
金聖文 最近、世界が人類の普遍的な問題で苦悩していますが、新たな韓国学の指向も、結局、このことに対する解決の模索へと進むべきです。哲学の話を続けるならば、韓国の哲学研究は、解釈学的・経学的伝統が依然、主流として機能しています。ですが、これをなぜ研究するのかについての疑問は脱落しているようです。韓国国内では私たちのもの、「国学」だからと言っても、英米の学界では韓国思想をなぜ勉強すべきなのでしょうか。結局、人類が直面する共通の問題を解決するために、私たちの思想と外の思想を比較して疎通しながら東西融合の試みを続けることが、新たな韓国学に求められていると思います。韓国の音楽やドラマが世界の普遍的な感情に触れているように、韓国がどのように思考して見ているのかを示すことも、海外の学者たちに十分魅力的に迫ることができます。
白敏禎 私が最近、20世紀の韓国現代思想史を勉強しながら、逆説的で独特だと考えた面もそのようなことです。植民地時代の知識人の発言を一見すると、民族主義的で宗教的です。檀君を文明の始祖とし、弘益人間の理念を主張する大倧教を見ても、閉鎖的・国粋主義的に見えます。ですが、当時の知識人たちの発言の内幕を詳しく見てみると、天下人民の公的価値、たとえば「天下は一人のものではなく、みなの公天下である」という、世界の公共性を重視する観点がとても強かったようです。表面的には韓国固有の伝統を強調するようですが、指向する価値はかなり普遍的なものです。また包括的であるという特徴もありますが、大倧教の初期の人物である全秉薰(チョン・ビョンフン、1857-1927)は、『天府経』を注解しながら東西哲学の疎通を模索し、東学を天道教に現代化する過程で主導的役割を担った、李敦化(イ・ドンファ、1884-1950)も東西哲学の融合を模索したと思います。円仏教の少太山・朴重彬(パク・チュンビン、1891-1943)がそうであったのはもちろんのこと、鼎山・宋奎(ソン・ギュ、1900-62)も「三同倫理」を通じて宗教と真理の大統合を語りました。当時、人々は国を失い国権も喪失しましたが、単に一国としての朝鮮独立ではなく、東洋平和・世界平和を常に強調しました。20世紀初頭、韓国人の知的奮闘が、そのような普遍的・公的価値を目指したことを、韓国内外の韓国学研究者たちはさらに注目すべきです。
白永瑞 韓国学が新たな方向の探索のために考慮すべきもう1つが「朝鮮半島」という場所性や現場性です。朝鮮半島に密着して新たな学問的方向を模索し深めるとき、このような観点でまず見ていくべきなのは、分断された南北朝鮮の地位の問題です。南北を別個の国民国家ではなく合わせて見てみようという試みが、「批判的韓国学」「批判的コリア学」などの名で出てきています。韓国学の関心が、南北を結ぶ空間としての朝鮮半島に広がったのは明らかですが、これが新たな韓国学とどのようにつながると思いますか。
金聖文 私は、このときの「批判的」視角を、学問的意味ではマルクシズムおよびポストコロニアリズムの影響圏として認識しています。植民主義と資本主義に基づく既存の学問的枠組みを越えて、朝鮮半島と韓国学を眺望しようというものですが、創批で長く議論してきた東アジア論ともつながると思います。容易でない問題意識であり、これもやはり、このような視点の研究を通じて何を得るのかが最も重要です。近代に適応すると同時に、近代を克服する二重課題が、私たちにとって重要な話題であると言うとき、克服すべき近代は、西欧資本主義の膨張および矛盾に胚胎した植民主義や冷戦、それから引き起こされた南北朝鮮の分断と対決でしょう。批判的韓国学や批判的東アジア学は、冷戦後に固着した南北朝鮮の分断、およびその対決過程で形成された認識の地平と知識体系を越えた、新たな視点を提供できると考えています。この新たな視点において、韓国学は「大韓民国」だけの「K-文化」ではなく、朝鮮半島全体、または全体の韓国人に対する研究に拡張できるのです。もちろん、この道は韓国学の唯一の道という意味ではありませんが。
柳英珠 アメリカ内でできたアジア学研究の経路は、大きくは伝統的な文献学的アプローチと、冷戦の構図の下で覇権国アメリカの浮上とともに台頭した地域学に分かれています。ですが、このような構図でよく説明される中国学や日本学の発展とは異なり、韓国学は文献学的アプローチと地域学的アプローチの双方で後発走者であるとともに、アジア学のなかでも周辺部に追いやられるありさまでした。この二重の属性は、逆説的に、韓国学が典型的な地域学の形態からいくらか自由でありうる可能性として機能するかもしれません。たとえば、ブルース・カミングス(Bruce Cumings)の研究は、朝鮮戦争がアメリカの冷戦的な覇権の構図に服務するようになった様相を、批判的な観点から提示しました。また、アメリカで韓国学の本格的出発を告げた世代が、60~70年代の平和奉仕団(Peace Corps)活動や軍への服務などをきっかけに、韓国と感情的なつながりを経験した人々だという点も重要だったと思います。地域学に内在した植民主義の罠をある程度自覚し、それと距離を置く方向に進んだからです。ただし、南北朝鮮の対決状況が、アジアにおいて、アメリカの影響力の維持のために重要な、正当化の基盤の1つであるという現実を考慮するならば、アメリカ内で朝鮮半島全体を視野に置く朝鮮半島学の可能性はまだ小さいと思います。
白永瑞 朝鮮半島の状況をめぐって、2つの国民国家が別々にあるものとして考えようという両国体制論などもありますが、私は同意しません。両国が実は奇形の国民国家として、敵対的な相互依存の関係を結んでいるからです。これに対する解決は、おっしゃるように、近代の二重課題と関連しています。単に分析対象の空間的拡張にとどまってはならず、南北をより正常な近代社会にするとともに、近代的概念としての国民国家を越えようとする克服の課題をともに遂行するべきです。これまでに私たちの研究者たちが、分断体制を媒介に資本主義一般がより低劣な形で現出する現実、さかのぼって100年の変革を振り返れなかったのではないかについても点検しなければなりません。新たな政治社会体制、より人間的で生態に優しい発展モデルの創出に寄与する分析の枠組を作るには、伝達力の高い学問的理論も備えなければならず、それが韓国学のもう1つの重要な課題ではないかと思います。もちろん、やりとげることは容易でない課題ですが、欧米の理論に頼っていたために、私たちの現実や歴史に直接迫れていない、学問全体の革新を促進する推進力になります。
新たな認識枠としての「開闢」
白永瑞 韓国学の質的向上のための新たな認識枠として、古い未来ともいえる「開闢」の可能性を検討してみたいと思います。開闢は思想であり運動ですが、日常的には「天地が開闢する」という表現でおなじみです。天地開闢、つまり世界が大きく変わるというときは、そのなかに宇宙論的な次元も含まれます。ですが、中国で天地開闢といえば、それが成就するのを待つという受動的な意味です。一方、19世紀中葉、水雲・崔濟愚(チェ・ジェウ、1824-64)を筆頭に、東学において「再開闢」を語るときは、「今、ここで、私たちの努力で起きる大きな変革」を意味しました。また義菴・孫秉熙(ソン・ビョンヒ、1861-1922)は「私たちが変われば世の中も変わる」とし、宗教的な覚醒と社会的な実践を兼ね備えているものを「開闢」と呼び、文化運動の中心思想としました。1920年代に韓国社会の言説を主導した雑誌のタイトルも『開闢』であり、第一次世界大戦以降、世界が「改造」の概念を共有するとき、これを創意的に韓国語の「開闢」として受け入れたりするなど、開闢という言葉は広く使われました。以降、それが次第に「革命」という語彙に置き換えられ、開闢は民族宗教の教えを意味する語彙に縮小されたまま続いてきました。その後、80年代後半の生命・平和の「ハンサルリム宣言」などを通じて再発見され、最近また様々な書籍の出版や研究作業が進んで関心を集めています。創批も『西洋の開闢思想家、D・H・ロレンス』(白楽晴著、2020)や『開闢の思想史』(カン・ギョンソクほか著、2022)を出版し、2021年秋号の特別座談「再び東学を求め、今日の道を尋ねる」を行うなど、開闢の議論を続けていますが、これは、1990年代に始まったポスト冷戦以来、資本主義文明を克服し、「新たな全地球的文明」を代案として模索する流れの延長から、文明大転換という時代的な熱望に応えるための試みです。しかし、いまだこの概念についてよく知らない読者もいると思いますので、開闢について、それぞれどのような印象をお持ちかからお話しください。
金聖文 最初の印象は、過去の開化派でも斥邪派でもない第3の地帯があり、これを歴史的に再発掘しようとするものかと思いました。ですが、それは部分的なものであり、もっと重要なのは近代適応と克服の二重課題だと思います。資本主義の膨張と分断という、私たちが今、直面している近代の最大の問題をきちんと見つめるには、既存の資本主義的な視点とそれが胚胎する韓国学ではもともと限界があるのです。つまり、現在の私たちの生活を支配する資本主義が、人間活動の根本目標を自己利益の拡大、および資本・資源の無限で競争的な蓄積として理解するとき、韓国学はこのフレームあるいは世界観に対する根本的な問いを回避してはならないのですが、その新たな視点の可能性が「開闢」にあると見ています。韓国社会が経験するアメリカ資本主義的な近代に対する盲目的な追従でも、資本主義を完全に拒否する北朝鮮の現実社会主義的な方式でもない、二重課題の解法的な性格を帯びているのです。開闢は方法論的にとても意味があり、突破口として機能しうるという点で、積極的な意味を付与したいと思います。
白敏禎 いわゆる「天地開闢」のような世界の変化を熱望する感情が、最近、爆発的に増えていると考えています。社会的差別や不平等、気候危機、戦争、パンデミックなど、深刻な問題状況に直面した現代の韓国人たちの時代的要請や社会的熱望を、「開闢」概念を通じて集約的に表わすこともできそうです。ただ、今の開闢の議論に、やや研究者集団のある種の知的欲望と関心事が投射され、過去150年余りの思想や文化の歴史を、発見的に再構成するために使われているのではないかと懸念されます。1930年代と1960年代以降の民族運動の復興のなかで、知識人の理念や関心が投影され、実学言説が大きく流行していたようです。過去の思想史な研究や評価の経験を慎重に振り返りながら議論を続けていけば、開闢という学術的・実践的スローガンを通じて、私たちがこの時代に何を突破し、いかなる指向点を持つべきか、多彩に話を広げることができるでしょう。
柳英珠 創批を通じて開闢の議論に触れた私としては、率直にいってこのような疑問がありました。開闢思想を新たに語ること、「開闢の韓国学」が、本当に新たな認識の枠組みを準備できるのか、二重課題論や変革的中道主義の枠組みのなかですでに十分に議論されてきたものを、新たに包装する包装紙にとどまるのではなかろうか、このような疑問が完全に解消されたとはいいにくいところもあります。ただ、白敏禎先生がおっしゃるように、時代が要請する熱望が何なのかに焦点を合わせれば、むしろ議論への接近が容易になるのではないかと思います。
白永瑞 文明大転換という時代的熱望に応えるというとき、開闢の韓国学は、韓国の土着的思想を今日に蘇らせ、韓国学の新たな方向を確立するとともに、西欧に対する「文化的巻き戻し」を遂行する過程でもあります。「文化的巻き戻し」とは日本の文芸評論家の竹内好が提示した概念で、「方法としてのアジア」を通じて西欧の普遍的価値を巻き戻し、その価値を高めることによってむしろ西洋を変革することをいいます。また、白楽晴先生がおっしゃった「以夷制夷」のやり方、欧米の古典を主体的に解釈し、欧米の病弊を批判することも考えてみる必要があると思います。さらに進めば、「キャンドル革命」がそうであるように、世界中で繰り広げられる変革の動きを新たに示しているのではないでしょうか。開闢が時代の要請に触れているのであれば、「開闢の韓国学」を今後1つの学術的な議題としてしっかり位置づけるために、克服すべき問題は何であり、どの方向に進めば内実を収めることができるかを、具体的に点検できたらと思います。
柳英珠 西欧近代に対する受動的な受容あるいは適応で、韓国の近代化過程を説明してきた観点と、これに対する反発としての自生的近代化言説、2つの声がこれまで一種の敵対的共生関係をなして存在してきた点を考慮すれば、「開闢」には両者を同時に批判して越える、ある種の知的エネルギーが凝縮されていると思います。ただ、開闢という新たな命名を通じて得られるものは何か、あるいは失うものもあるのか、悩んでみるべきです。まず歴史性の問題があると思います。開闢を抽象化された思想的概念としてのみ扱えば、その歴史的文脈の重層性が多少損なわれることもあるでしょう。開闢という概念が、韓国思想史の場のなかで注目されたり忘れられたりしたとすれば、そのような歴史的背景や概念史的文脈に対する問題意識を議論に含めるべきです。開闢という概念が、変革的中道主義論や二重課題論とは異なり、固有に成し遂げうる成就はいかなるものかについても考えるべきです。もう1つは翻訳の問題です。開闢が既存の近代化・ポストコロニアル言説などと結びつき、韓国の近代経験の持つ特殊性や普遍性を集約的に提示するキーワードとして、世界の学界全般に位置づけるためには、既存の近代適応と克服の二重課題や中道的変革主義などと、どのような意味ある差異があるのかを十分に説明する必要があります。同時にどのような翻訳語を戦略的に採用するかについての考慮も必要でしょう。
金聖文 その意味で本質的ではないかもしれませんが、開闢と強く関連した韓国の民族宗教の方で、「開闢」という用語に対する専有を開放する勇気が必要だと思います。世界中が共有する概念、運動として広がるためには、宗教的概念としての専有を放棄すべきだと思います。もし「開闢」が特定の宗教・学術集団が専有する私的概念でなく、近代適応と近代克服という二重課題を解いていく巨大な概念の傘のような役割を果たせれば、既存の韓国学研究者にも重要な学術議題として迫れるのではないかと思います。
白敏禎 金聖文先生がさきほどおっしゃったように、「開闢」が特定の集団に限定された用語でなく、開化と斥邪、資本主義と社会主義の両極を止揚する第3の道、またそれを包括する上位の実践的スローガンになるには、究極的に私たちが開闢の概念自体にあまりこだわる必要はないという気もします。開闢は、特定の思惟や偏向したイデオロギーを破る、強力な認識論的な転換でもあり得ますし、将来の生のビジョンを形成するための内的推進力でもあり得ます。惰性に染まった思惟や行動の習性を破る爆発力が、開闢において連動するならば、概念よりも重要なのは、開闢の爆発性が開く次の地平だと思います。開闢の概念の発展的な脱構築まで想像できるとき、私は、この表現の最も強力な開放性や包括性を担いうると思います。
白永瑞 思想としての開闢を強調すると歴史性を失いうるという指摘は、さらに議論すべき問題です。しかし、開闢が東学や天道教、円仏教だけの言説であったとしたら、それに対する歴史性を失うと言えるかもしれませんが、雑誌『開闢』が登場した1920年代にも、すでに特定の宗教的教えの領域を越えて疎通していたという事実を強調したいと思います。また、今日の円仏教が疎通をきちんと行う能力と意志をどれだけ備えているかとは別に、その教理自体には宗教・非宗教を行き来する「大同和合」もありますから。翻訳の問題も検討すべき点です。英語の翻訳語は「グレートオープニング」(Great Opening)になる可能性が高いでしょう。漢字圏では中国語と日本語にすでにそれぞれ「開闢」という単語がありますが、同じ漢字でも文脈が少し異なります。ですから「Gae-byeok」のように音借して、それぞれ適切な語彙で意味する方法も検討できます。ですが、この過程でより重要なのは、おっしゃったように、創批でこれまで提示してきた言説と開闢の関係設定です。柳先生は二重課題論、分断体制論、変革的中道主義で十分なのに、別の包装をした開闢という概念がどうしても必要かという疑問を提起されましたが、私はここではむしろ歴史的文脈が重要だと思います。以前の言説と一体となるとき、開闢が、朝鮮半島の歴史的・思想的資源においてさらに根付くことができるということです。簡単に説明するならば、二重課題論は全地球的な範囲で適用される抽象度の高い概念であり、分断体制論は朝鮮半島の次元で適用される理論、変革的中道主義は韓国でこれらの議論を実践する主体が取る現実的・実用的な路線のことを言います。開闢は、この全体を網羅する大きな傘として、宇宙論かつ文明論レベルの思惟および実践であり、個々の言説と相互作用する過程でそれぞれを再構成し、「改革」や「革命」ではなく、世界や国を大きく変える「変革」に影響を与えうるだろうと思います。そのような試みが、最近、出版された『開闢の思想史』でも一部行われましたが、私が集中的に関心を持ってきた東アジア論に限定して、もっと具体的に申し上げるならば、万民平等に基づく個人修養や社会変革を並進させる開闢の特徴を通じて、東アジア論の革新を図ることができると期待します。知識人の範囲を越えて、より広い「心と価値の共同体」を日常のなかで具現し、朝鮮半島の変革と連動する道が開かれるだろうと考えるからでしょう。
100年の変革過程とキャンドル革命の思想的淵源
白永瑞 韓国学を開闢中心に再構成すると言うとき、どれほど学術的に説得力が大きく波及力があるかが重要です。たとえば、実学の言説が大きな影響力を行使できたのは、時代の要求があり、学界の内外にこれを牽引できる批判的知識人がいたからです。1960年の4・19革命以降、民族運動を通じて内在的発展論に対する自負が大きくなり、それが実学言説の復興につながったわけですが、では、現在、開闢思想と開闢運動を裏付ける運動があるかを考えるべきでしょう。私はこのとき「キャンドル革命」が主たるものになると思います。2016~17年のキャンドル大抗争の精神的根拠がいかなるものだったかを探索する過程で、開闢の韓国学もその可能性をさらに具体的に展望できるのではないでしょうか。そのような点で、金聖文先生がキャンドル革命の精神的淵源を、「儒教的な民主的市民社会」の視点で論じられた論文を興味深く読みましたが、直接紹介してほしいと思います。
金聖文 20年余り海外で研究しているので、韓国の重要な社会的変革があっても、ほとんど韓国国内にいることはありませんでした。しかし、市民権を持った韓国社会の構成員として、また政治哲学を勉強する学者として、韓国社会の変化をどう理解すべきかに悩み、勉強した結果が、おっしゃられた内容の論文(“Candlelight for Our Country's Right Name,” Religions, 2018)です。キャンドル革命の最大の特徴は、一般市民の自発的参加の規模と強さ、抗争期間が、他の社会では類例を見ないほど高くて長いということです。このような運動を推進した力を、単に進歩/保守の政治的な対立言説で説明できるか疑問がありました。だからといって、アメリカ的な自由民主主義の言説で、生業を二の次にしてベビーカーを引いてやってくる韓国市民たちのこのような動きを、うまく論じることができるかという悩みもありました。最後に、朴槿恵弾劾当時、憲法裁判所の議論が果たして「リベラルな」追論だったのかも検討すべきだったと思います。結論として、韓国の運動を推進する言説の底流には道徳的な要素が大きく作用していると考えました。いいリーダーシップ、いい社会に対する基準が、教科書で学んだ自由民主主義よりも道徳性、共感、憐憫などにあるのです。私はこれらの淵源が儒教の教えに似た点があると思いました。1980年代に李韓烈・朴鍾哲烈士が国家暴力によって犠牲になり、それもまた国や民族に対する愛情のある純粋な大学生たちの犠牲でしたが、当時をみても民主化運動はエリート的な面がありました。ですが、キャンドル抗争のときは一般市民の主導的参加の方がはるかに大きいのです。これはセウォル号惨事当時の、政治指導者の共感能力の不在に対する市民の怒りから始まったものです。実際、共感能力は法的には非常に曖昧な概念であり、実際の弾劾判決でもこの部分はすべて棄却されました。しかし、指導者がこの地点を正しく満たしていなかったために社会的に大きな影響があったのです。開闢の議論に触れながら、こうした私の分析と開闢に接点がありそうだと考えました。韓国の歴史で「民」が本格的な意味の主体として登場し、重大な変化をもたらした最初のものが「東学」でした。そこから始まった動きが、1960年の4・19革命やそれ以降の革命の歴史につながります。このような100年の変革過程をめぐって、ある人は不安定な状況なために制度化された政党主義で安定すべきといい、アメリカの観点では脆弱な民主主義とも言いますが、私はむしろこの漸進的に累積される動きが、韓国社会や韓国民主主義のダイナミズムを進めていると思います。その底流をみるとき、私は儒教で接近し、創批では東学から始まった開闢で解釈しようとしているわけです。私も開闢を観点とする説明力が高まり続け、市民の自発的参加と持続するダイナミズムを理解する通時的枠組みになればいいと思います。ある意味では、東学で培われた民衆中心の水平的改革運動こそ、私が関心を持つ非エリート的・市民中心の民主主義をさらに直接的に進める力になりうると思います。もちろん、この場合、新たな観点から東学と儒教の関係を再照明する必要があるでしょう。知性史的な難題ではありますが、儒教の水平的・民衆的・民主的再構築における、東学の経験が持つ意味は、絶対に無視してはなりません。さきに述べたように、もし開闢を、近代適応と克服を試みる、すべての改革的・民主的運動と思想を合わせる概念の傘として理解するならば、儒教や東学、いくつかの土着宗教および思想の創造的疎通と対話を進める上でも、きわめて重要な機能を果たすだろうと思います。このように包括的な概念の枠組みと思想運動に生まれ変わるとき、開闢は普遍的な意味を獲得できるでしょう。
白敏禎 金聖文先生がおっしゃったように、開闢の思想運動がそれほどの多様な思惟の創造的疎通作用を発揮するためには、より開放的で包容力ある意味を堅持すべきだと思います。開闢には理念の両極端を避けようとする中道主義的な立場も含まれていますから。私たちにとってきわめて困難なのは、敵対的または異質な思惟を捨てるのでなく、どうすればともに進めるのか、共存の論理を模索することです。本当に理解することができませんが、そのような理解困難な価値と信念を持った人々が、結局、自分の家族であり、隣人であり、仲間、市民である場合も多いからです。儒教と東学の間の広いスペクトラムを考えると、日帝強占期に社会主義者だった白南雲(ペク・ナムン、1894-1979)が儒教について言及したことが思い出されます。彼は、儒教の孝悌と礼治が、両班の支配秩序を固着化する徳目であり手段でしたが、民主化・平等化された社会にも孝悌という人倫関係は必要であり、礼治も自律的な自己規律の規範として新たに生かす必要があると言っています。孝悌と礼治を民主的社会で作動する機制に変革する省察が求められると考えたんです。儒教的な徳目の現代的活用を論じたこの発言も、また見直す必要があると思います。最近、キャンドル大抗争の主な精神的背景や淵源を探索する際にも、おっしゃられたように、儒教的な資産や価値、また民衆親和的な東学の世界観との間で、最大値の可能性を開き苦悩する過程がより必要だと思います。制度的な民主主義や権利中心の個人主義では明らかにできない深い共感能力、正義に向けた念願、「ともに生きよう」という熱望のようなものが、まさに今日、私たちが注目すべき開闢的な精神なのでしょう。歴史のなかの多様な思惟の源泉と支流を、意味ある探索の対象として認め、幅広く活用するとき、開闢の包容力ある思想運動も可能になるのではないかと期待します。
白永瑞 開闢のことを語るからといって、かならず19世紀半ばからだけを語るべきわけでは明らかにありません。ですが、儒学という資源を特に強調する視点については温度差を感じます。韓国思想史の基本的な伝統には、おっしゃる通り、儒・仏・仙の三教融合の文脈、包容能力などの中道性ではないかと思います。キャンドル革命の政治的淵源だけを考えても、金聖文先生も儒教と東学の関係を再照明すべきと強調されました。1987年の6月抗争の主導勢力の儒教的エリート意識と、キャンドル大抗争の水平的な連帯意識を備えることができれば、前者が儒教伝統の非民主的残滓に該当し、後者は東学に媒介された儒教的要素の肯定的な威力と見る視角も可能でしょう。創批もやはり東学の流れだけを強調するのではなく、「東学の媒介を経て伝承された儒教」とその肯定的な要素を見ています。では、視線を少しかえて、柳英珠先生がキャンドル革命と関連して、アメリカ社会と研究領域で感じたことをおっしゃって頂ければと思います。
柳英珠 アメリカの学生の場合、民主主義は非常に神聖な価値ですが、自分たちの日常生活とはかけ離れた概念として認識します。民主主義はすでに「建国の父」によって完成され、本人たちが受け継いだ遺産と考えているため、韓国のキャンドル大抗争を目撃したアメリカの学生たちは衝撃と感動を受けていました。特に参加者たちが持っていた「民主主義よ、私が守るから」という内容のプラカードを印象的に見たのですが、民主主義を人格化して保護の対象とする話法自体が、アメリカの学生たちにはかなり生硬に見えたようです。韓国では民主主義とは着実に闘争して獲得すべき価値であった点、そのような闘争の歴史が生んだ強烈な主体性などが、開闢の思想史とつながる地点だと思います。一方、キャンドル大抗争について論じるときにかならず言及する必要があるのはニューメディアです。キャンドル革命はメディア革命だったからこそ可能であったと思います。文学もやはりメディアとして見るならば、20世紀は何といっても文学の時代であり、特に韓国において文学は、1970~80年代の『創作と批評』誌の役割を見ても分かるように、核心的な地位を長く維持し機能してきました。もちろん、これは権威主義的な独裁政権の情報検閲などで表現の自由が制限され、文学が他のより多くの役割を果たしたためでもあります。しかし、今は、文学を専攻した人間の立場ではやや悲しいことですが、世界中で文学の大衆的な吸引力や影響力がかなり減少したのは事実です。ただし、これまで文学において蓄積された力が、ウェブトゥーンやドラマのような他のメディアに移って発現し、新たな結実を生み出しているのだと思います。また、キャンドル革命には支配的な主流メディア以外の代案的なメディアの役割が重要でした。メディアの違いがまさに現在の時代に関する情報と価値観の違いにつながる状況ですから。直接民主主義に対する想像力、集団知性に対する熱望などが、ニューメディアと結合して新たな場を開いたと思います。特に今この瞬間にもニューメディアが重要なのは、このプラットフォームの上で韓流ファンダムにはじまり、様々な掲示板での議論などがオンライン状態で行われているからです。
白永瑞 開闢の韓国学もニューメディアに関心を多く傾けてこそ、波及力が大きくなりうるだろうと思います。
開闢の韓国学として作り上げる新たな道
白永瑞 最後に、開闢の韓国学が新たに寄与するところが、具体的にどのようなものかについて考えてみたいと思います。私は100年の変革、またはそれ以前からこの地で蓄積された、歴史や文化の漸進的成就に対する自信と同時に、これまでに蓄積された積弊を変革しようとする意志が具現されてきた流れを示すのが開闢だと思います。開闢思想は、近現代史の矛盾や葛藤が凝縮された、核心現場の一つである朝鮮半島で発効され続けられてきたものであり、これは単に精神的次元だけでなく、時代的な積弊を断固として克服しようとした運動をすべて包括します。特に開闢の韓国学が持つ実効性は、私たちに新たな認識枠を提供しうるという点です。開闢の韓国学が既存のものとは異なる認識枠として、どのように新たな問題を分析できるとお考えですか。開闢の韓国学が民主主義の新たな解釈に寄与するとお考えか、議論してみたいと思います。
白敏禎 開闢の韓国学を通じて明らかにすべき、韓国的な独特さや創造性があるとすれば、それはどのようなものか考えてみます。韓国は思想的伝統を中国と共有していますが、宇宙的自我に対する熱望は中国よりもはるかに大きいのではないかと思います。国全体が植民化され、帝国主義の侵奪を深刻に経験した日帝強占期の当時、人々の喪失感は途方もないものだったでしょう。中国も国権に対する脅威を受けましたが、国全体が倒れることはありませんでした。韓国人の国権と自我アイデンティティが破壊された経験がよりひどかったため、これを克服するために、宇宙的自我や大同の「我」への憧れが強くなったと思います。これがハンオル(一魂)・ハヌル(天)・弘益人間などとして現出し、東学の天地神霊神命、安昌浩(アン・チャンホ、1878-1938)の「大公主義」(統合された独立運動を通じて民族・階級解放を追求し、平等な民主国家を実現して、これによって世界共栄に資するという概念)、申采浩(シン・チェホ、1880-1936)の「天下爲公」、趙素昻(チョ・ソアン、1887-1958)の「三均主義」(個人と個人、民族と民族、国家と国家の間は平等であるべきという思想で、1941年の臨時政府の「大韓民国建国綱領」に体系化される)に至る様々な思惟においても、このような問題意識を確認することができます。この「宇宙的自我」は抽象的に見えますが、これを通じて自らの崩壊した主体性を立て、世界の不条理と不正をより鋭敏に感覚し、社会を変革すべきという強力な願望と念願を作り出したと思います。そのような価値を追求してみると、伝統的な方法でも、西欧のモダニティや帝国主義の知識をもってしてもうまくいかないので、開闢の精神を覚醒させながら認識論的な束縛から脱却しようとしたのです。私的な個体、小さな自己とともに生きる「大きな我」、すなわち宇宙的自我に対する先達たちの強調は、連帯、共感、紐帯の精神を説明する方法でもありました。なので、自我の心の学習も当然強調され、世界の不条理を変革しようとする社会的実践運動への拡散も重要だったのです。社会的に合意された算術的数値以上に、また手続的公正性としての民主的制度以上に、韓国人が道徳性や倫理、実質的な民主性や公共性について苦悩するのも、このような背景が作用したからだと思います。このような点に着目してさらに分析してみるならば、韓国学と民主主義の実質的な成長に対する意味ある議論を展開することができるでしょう。
金聖文 民主化運動を熱心に行った先達たちの一次的な目標は、権威主義を打倒することでした。ですが、それが倒れたとき、私たちがどのような民主主義をすべきか、議論する余力が不十分でした。私が1990年代初めに大学に入ったときは、すべてが自由化された時期でした。「私たちが望む民主主義は、アメリカ人になることだったのか」という懐疑が聞かれました。このような状況で、比較民主主義の言説が、私にとっては研究者としても役立ちました。比較民主主義とは、各国の多様な伝統と内的土壌に合った民主主義がいかなるものかを考えようというものですが、開闢の韓国学と民主主義の相関関係もこのような観点から考えられるでしょう。開闢議論の長所は、狭い意味での哲学的作業として技術的な(descriptive)面がありながらも、同時に実践規範的な(prescriptive)性格が強いことです。韓国社会の政治的・社会的・文化的変化のダイナミズムを学問的に事後解釈して説明する過程も必要ですが、開闢の議論は特にそのダイナミズムが持つ未来の実践的な側面を提示でき、意味あることだと思います。つまり、民主主義は民主化という政治体制の転換で終わるものではなく、「民主的な生の様式」に向けた、一般市民のたゆまぬ努力と闘争のなかで発見され経験されますが、このとき、開闢がこのような過程としての民主主義を推し進める市民的なイッシューとして機能しうるということです。
柳英珠 「開闢の韓国学」の概念の核心を主体的な近代の企画に見出すとすれば、韓国文学研究と民主主義研究は分科学問の破片性を超越し、自然に包み込むことができると思います。白楽晴先生は市民文学論を通じて、韓国近代文学の存在的淵源を、東学農民運動から1919年の3・1運動や1960年の4・19につながる、思想的伝統および運動史的な系譜として説明しました。そのようにあえてマルクシズム的な文芸観を借りなくても、私たちの系譜のなかで文学性と政治性の高い水準の統一と指向に注目するとき、20世紀の韓国文学はもちろん、海外の視聴者たちによって高水準の資本主義批判として読まれる「パラサイト」や「イカゲーム」など、21世紀の韓国文化コンテンツについてもより適切に説明できると思います。
白永瑞 しかし、私たちが新たな民主主義を構想し実践すると言うとき、最近は西欧中心主義に加えて中国中心主義もやはり相手にしなければならない状況に置かれています。金聖文先生が英語圏の中国研究者と論争したのを見ると、韓国の民主主義はアメリカの軍政などによって外部から入ってきたように語られる傾向がまだありました。一方、中国の民主主義は、儒教、特に政治的能力主義(meritocracy)という古い内部動力の結果として説明しています。このような状況において、中国研究者と儒学をめぐって論争するよりも、開闢の民主主義を導入して議論する方が、より生産的で独創的な結果を生むのではないでしょうか。
金聖文 中国はアメリカの視角に反対するとき、自らの対抗的理論を提示します。国際政治を語るときも、アメリカ中心の反対項として「天下主義」を出すような形です。ですが、アメリカでも中国でも、自らの覇権を語りながらも、その覇権の影響を受ける国や対象が持つ経験については語りません。私は韓国人として、儒教を東アジア全般の普遍的なものとして受け入れますが、学界において儒教は、完全に中国の国学言説に含まれる概念として扱われています。このような状況において、韓国が持つ歴史的経験と資源を理論的によく組織し、アメリカや中国が主張するものとは異なる形態の、民主的な生活や制度、実践を語ることができる余地が明らかにあると思います。
白永瑞 その実質を何で埋めるかが重要です。開闢において語る民主主義とは、覚醒した個々の人々のなかに「ハヌルリム」(天主)がいるので、これらすべてが宇宙の次元で重要な人物であり、そのためにすべて平等な状態で、互いに尊重しながら自治をしていくことをいうのではないかと思います。このような観点を持って中国の議論の枠にも対抗するならば、円仏教の第二代宗法師である鼎山・宋奎は「建国論」で、三つの治、すなわち「德治」「政治」「道治」が調和すべきであるといいます。徳治と政治は儒教でも語られますが、道治は民衆各自が道人の境地に至ることで円満な世界を成し遂げるという意味です。いまだ現実の国家で実現されたことのない概念ですが、儒学が提示する徳治と政治の結合だけでは、新たな世界を開くことができないため、道治の必要性を強調しています。中国の知識人と話し合った経験によれば、結局、宇宙の中心である個々人が、個人的な修養と社会的改革を同時に遂行する道が、民主主義の議論の新たな方向となり、既存の覇権の思想界とも対話できる重要な議論になりうるという点において、開闢の韓国学の効用が明らかになります。
白敏禎 ただ「道」という概念はあまりにも淵源が長く、多様な意味を持って使われた来歴があるため、抽象的で曖昧だという点は懸念されます。もちろん植民地期に帝国主義による政治的検閲、現代社会の資本主義による経済的束縛などを経験してきた韓国において、宇宙の中心である「我」の主体性を自覚し、主人として生の変化を図るとき、「道」概念の含意に苦悩する必要は相変わらずあるでしょう。たとえば、朝鮮朝時代の人々も、世界と人間の生の典範として道学を強調し、自らの思惟の正当性を「道統」として継承しました。このように生と世界の秩序原理として韓国人たちが苦悩してきた「道」の系譜は、今日まで相変わらず持続していると考えていますが、「道」という言葉を中国文化圏と長い間共有してきた点において、さらなる検討が必要だと思います。
白永瑞 最近、中国が代案的な近代の議論を活発に進めながら、欧米の相乗的・垂直的な普遍の代わりに、「水平的普遍」や「媒介的普遍」を代案として提示しようと懸命になっています。ですが、中国でもおなじみの「道」概念を、私たちが開闢の視点から新たに提示することで、これに対応できると考えています。普遍性という概念自体は欧米から来ており、中国も西欧的枠組から脱却できずにいますが、これを完全に解体しながら、新たな発想を提示する方策が「道」なのです。これは人間が勝手に作る道路でも通路でもありませんが、同時に「道を磨く」人間の実践とは別途に存在しない、思惟と実践が融合した「道」です。普遍性という主題も、開闢の韓国学が新たに照明できるもう一つの争点だと思いますが、ここで一つに決まるわけではないのであって、今後も続けていろいろな議論が進めばいいと思います。開闢の韓国学が制度圏の学界の革新なしに、果たしてきちんと遂行されるか心配にもなりますが、それゆえに運動の学問化、学問の運動化が成就した形で定着したらという思いもあります。開闢の視角で改めて申し上げれば、修養人・研究者・実践家の心を合わせる、心の学習の学問として生まれ変わることを期待しているわけです。これに対する展望を聞きながら、この場のまとめにしたいと思います。
金聖文 「開闢の韓国学」は、韓国社会・政治・歴史・文化に対する体系的研究を通じて現代韓国を眺望し、さらにこれに対する批判的反省を通じて、未来の韓国の道を予備する新たな認識枠です。これは同時に、社会改革と個人の修養を強調してきた東洋思想の根本精神を、現代の韓国社会の具体的な社会・政治・経済的現実において新たに再構築する作業でもあります。この野心的な企画に韓国内外の多くの研究者が参加することを願っています。個人的には今回の座談を通じて、私がこれまで進めてきた儒教民主主義/憲政主義理論を「開闢」の観点から新たに眺めることになりました。中国を背景に儒教政治哲学を研究する多くの海外研究者たちは、実際に私たちの立場からみると、非常に反民衆的・反民主的な形態の「民主主義」、端的に「エリート中心の民主主義」を「儒教民主主義」という名で賛美します。私のように市民社会のダイナミズムと市民の水平的・自発的参加を強調する儒教民主主義の理論は少数に過ぎません。私はつねに、理論家として私の感じる孤独感が、私の民主主義理論の根幹をなす1987年の民主抗争とキャンドル大抗争のためと考えてきました。中国の学者や中国を背景に研究する海外の学者にはよくわからない問題意識でしょう。今回の座談は、私が模索してきた平等主義的な儒教民主主義の底流に、東学に触発された開闢思想があるのではないかと自らに反問することになりました。重要な研究課題を持って香港に戻りたいと思います。
白敏禎 韓国学は、歴史的にその含意が変化し続けている、ダイナミックな概念が合っていると思います。過去に慙愧の念や劣等感で自らのものを比喩していた時代もありましたが、振り返ってみると、これも西欧指向的な価値に同調した結果ではなかったかと思います。だからといって、韓流がもてはやされて国家の格が向上した今日において、私たちの伝統的な資産を慎重な検討もなくひとつにまとめて高めるなら、それこそ狭い視野の国粋主義的な偏見にとどまるでしょう。韓国学をこのような過度の劣等感や誇りから救い出し、もっと広い地平から眺められるようになったことが、今日の実践的な思惟の活動として韓国学の地位が高まったのではないかと思います。20世紀前後の文明の急変期にも、韓国人が朝鮮半島という場から始めましたが、世界人が共鳴するほどの普遍的価値を目指した点、永続的な平和、そしてともに生きる共存の意味を忘れなかった点を想起したいと思います。今日は韓国学の現場を考え、未来を見据えて重要な対話を交わすことができて、とても楽しかったです。
柳英珠 私は最近、韓流あるいは韓国学への関心が、「方法としての韓国」に対する必要性を喚起しているように思います。「方法としてのアジア」が、中国あるいは日本の観点から、主体的な近代化企画の可能性に対する苦悩が込められた表現だというとき、近代適応と克服の二重課題を、無数の挫折と苦痛のなかでも最も成功的に遂行した事例が、他でもない韓国であり、韓流も文化的な消費財にとどまるのではなく、挫折と成就の両方を経験してきた、韓国人の集団的な近代経験が溶け込んだ、文化的な結晶体だと思います。前述した「文化的巻き戻し」もまた別の局面が始まっています。過去に植民地だった韓国の文化が西欧によって受け入れられる第1段階の巻き戻し現象が広がると同時に、すでに先進国になった韓国が発信する多くのものが発展途上にある国々に提供され、いつか私たちにも巻き戻されることを予備する第2段階の巻き戻しが準備される状況だとも思います。香港やミャンマーの民主化デモに「ニムのための行進曲」のほか、少女時代の「再会した世界」が民衆歌謡のように歌われたという事実は、今後巻き戻されてくる多くのものを期待させるいい事例でしょう。これを西欧に対する辺境意識に根ざした、「ククポン」(軽薄な国粋主義)の観点で解消するにとどまるのか、それとも他の中心部国家とは異なり、韓国が植民地と低発展の苦痛にみちた経験を共有していることから来る、共感や水平的連帯を発展させていくのかの岐路に、現在、私たちが立ち会っています。この緊張こそが、韓国学の新たな方向設定の過程で、真剣な省察の対象になるべきでしょう。
白永瑞 今回の「対話」を終えて、韓国の歴史と現実のダイナミズムを創意的に分析する能力を盛り上げ、万民平等に立脚した個人修養(霊性)と社会変革を同時に追求する主体を育む過程で、研究者自身も心の学習を通じて変化し、地球規模で資本主義を越えた代替案を作り、実践していくことに貢献する一次元高い韓国学を、「開闢の韓国学」と呼んではどうだろうかと提案してみます。韓国内外でそれぞれの条件に合わせて、朝鮮半島の分断体制と韓国の国家改造という中・短期的な課題に理論的・実践的に参加して収めた成就を動力とし、新たな学術運動が広がることを期待します。もちろんこの座談は、「開闢の韓国学」をスローガンとして宣言したり、体系を備えた構想として提示したりする場ではありません。今日はその道に向かう出発点に立ったのであり、これから開闢世界を形成するために戦う過程に参加する人々によって進化していく議題です。少なからぬ人々がすでに陰に陽に遂行してきた学術作業に、新たな名前をつけて大きな意味を与えることで、日常的な作業の実行力を高めようという思いがあることは明らかです。今日、貴重なご意見を下さった3名の先生方も、新たな道に向かう旅に参加したわけです。今、始まったばかりの道に、読者のみなさんも積極的に参加して頂きたいと願っています。(2022年7月25日. 創批西橋ビル)
訳:渡辺直紀