창작과 비평

[寸評] 安田浩一·金井真紀の『戦争とバスタオル』 / 李仁慧

 

創作と批評 198号(2022年 冬)目次

 

寸評

 

安田浩一・金井真紀『戦争とバスタオル』

銭湯にて戦争と暴力を見つけていく

 

 

李仁慧

国立民族博物館学芸研究士

 

 

現代人は洗わずに何日間耐えられるだろうか。不快感から来る精神的苦痛は言うまでもなく、各種のウィルスや細菌が人々の手から感染し、結局は生存が危うくなるだろう。産業化によって人口過密に苦しむ都市や、特殊な目的を達成するために特定の時期に限られた空間に人を追い込んで酷使させる軍隊、工場、寮のようなところで洗うという問題はさらに重要である。

『戦争とバスタオル』(『전쟁과 목욕탕』2021、チョン・ヨンヒ訳)は、日本の侵略と関連のある銭湯や風呂文化を踏査し、戦争が残した傷痕を探し出す。著者の安田浩一と金井真紀は、対談で本書の執筆のための調査を軽い気持ちで始めたと語る。最初は全世界を旅しながら温泉巡りをするという大きな計画だったが、「山中の露天風呂」と知られているタイのある温泉を訪ね、日本軍が残した惨状を見て本の方向性を完全に変えたという。

タイ中部のカンチャナブリにあるヒンダート温泉に向かって出発したところまでは、著者らの軽い気持ちが伝わる。ヒンダート温泉は元々小さな淀だったが、日本軍が3日間で大きな風呂に開発したといわれている。著者らは、日本軍が捕虜たちを動員して敷設した泰緬鉄道に乗ってここを訪ねる。鉄道の由来を知っている彼らは、いつの間にか何とも言えない嫌な感情に包まれてしまい、観光地として有名なクワイ川鉄橋の前でもあまり楽しめない。

本を読む読者の気持ちもまもなく混乱に巻き込まれる。著者らはタイ人たちと温泉を楽しみながら、誰にとっても平等な楽しみだの、世界平和だの、といった話をしたり、連合軍の墓地にも訪ねる。温泉巡りと戦争の惨状とのあいだでなんとかバランスを取ろうと努めるものの、著者らの「ナイブ」さはヒンダート温泉を開発する若い日本軍を想像する部分でより大きく湧き出る。温泉に浸かり、「洛陽城十里許に 高くて低いあのお墓は」と歌いながら、英雄豪傑は何人であり、絶世の美女は誰なのか、と歌うには、戦争による傷がいまだに治っていない。被植民地だった国の読者としては、本能的に素直に受け入れることはできない部分である。

気が重いまま沖縄へ移動する。元々独立国の琉球王国だった沖縄は、1879年に日本に併合され、1945年の敗戦後は米軍政が統治したが、1972年に返還された。沖縄では終戦後収容所の収監者らの帰郷による人口の増加、戦後復興期の雰囲気とかみ合って、銭湯業界が活性化し始め、1960年代初めには全盛期を迎えた。しかし、1970年代に住宅の現代化や家庭用浴槽の普及、1973年のオイルショックによる燃料費の高騰によって徐々に衰退し、今は本書に出てくる「中乃湯」1軒だけが残った。著者らはここのオーナーであるシゲさんの人生を通じて現代史的流れの中で沖縄人の生活を説明する。沖縄人と米軍との葛藤、米軍内部で発生した人種問題、米軍基地建設をめぐる葛藤などは、中乃湯内でも続く。戦争がすでに過ぎ去ったことではなく、現在も続いていることであることを、すべてがつながっていることを初めて著者たちは目にする。

沖縄に向いていた関心は、韓国の銭湯に移っていく。韓国でも 汗蒸幕(サウナ)や温泉などのような独自の銭湯文化はあったが、今日のような形の銭湯は植民地期前後に導入された。朝鮮総督府が定めた湯屋営業取締規則には12歳以上の男女混浴禁止、入浴料は浴客が見やすいところに掲示すること等の方針が記載されていた。ここにあかすりやサウナ、チムジルバンなどの要素が加わり、韓国独特の銭湯文化が形成された。日本と異なる韓国の銭湯文化を日本読者に紹介しながら、著者らはある人物の話を借りて韓国と日本の狭間にいる人たちを検討する。植民地期を生きた人々は、韓国人であると同時に特定の時期は日本人であり、戦争によって入り乱れたアイデンティティは、終戦を迎えたからといってすぐ分離されるものではなかったことが、その話の中に生々しく伝わる。

被植民者と植民者の混在したアイデンティティ問題は、本土、つまり植民を行った国に住む人々にもみられる問題である。神奈川県、広島県等の軍需工場で働いた人々の語りから、加害者であると同時に被害者になった事例をみることができる。終戦後数多くの帰還者を受け入れた寒川町には帰還者の住宅があった。そこに開業したすずらん湯を記憶する人々を探していた著者らは、帰還者たちが住んでいた寮の建物が実は相模海軍軍需工場の寮だったという事実と、そこで毒ガスを製造したという話を聞くようになる。

著者らは、来たついでに軍需工場で働いた人を訪ねてインタビューを行う。軍需工場に動員された当時16歳だった石垣は、そのような武器に関わざるを得ないように国家が強要したことを指摘しながら、毒ガスによる被害がまだ終わっていないという事実によって混乱に陥ったと述べる。うさぎ島と呼ばれる大久野島の話になると、混乱はいっそう増す。白いご飯に高賃金をもらえるという話を聞いて14歳に大久野島に入ってきた藤本は、戦争で勝つために毒ガスを造ることが英雄的なことだという教育を受けながらルイサイトを製造した。彼は、戦争と国家が自身を怪物にさせてしまい、毒ガスの被害者であり、かつ加害者として証言すべき義務があると叫ぶ。

確かに銭湯から始まったが、読んでいくうちに著者の言葉通りに漸次銭湯からは遠ざかり、戦争が残した傷だけが周囲に溢れる。藤本が吐き出した叫びだけが耳に響き続ける。戦争に関して解決されたことは何もないからである。戦争を主導した者らの公式な謝罪はいまだにない。

それゆえ、本書は巧妙である。普通の日本読者が共感できる銭湯から話を始め、戦争の暴力的で陰鬱な面までを引き出す。銭湯巡りをしているように見えるが、銭湯の歴史とともに日本が犯した戦争の傷痕を書いており、本を開いて中断せず最後まで完読させてしまう。ジャーナリストである安田の事実に基づく文章と、イラストレーターである金井の絵と感性豊かな文章とが相まって、甘味と塩味が交差するように違いを見せている点も特徴的である。現地を描いたイラストも地図も可愛いが、二人の著者の微妙に異なる立場の違いも本書を読む醍醐味の一つである。

 

 

 

訳:李正連