日本戦後文学言説とアジア的視角: 歴史的想像力と資本主義的想像力

特輯_東アジア地域文学は可能であるか

 

 

安天(アン・チョン) 東京大学大学院総合文化研究科博士課程。日本現代文学および批評研究。主な評論に「現代日本の新しい『階級』をめぐる知的地形図」「柄谷行人と現代日本」などがある。 aniooox@gmail.com

 

 

韓国で「東アジア文学」が論じられる理由の一つに日本小説がこれまでになく多く読まれている点を挙げることができる。中華圏の小説も読まれるようになれば、韓国は東アジア文学を論じるにあたって最も有利な環境を整えることになるだろう。その意味で、韓国社会では「東アジア文学」が現実性を帯びているのかもしれない。他方で日本の読者はそもそも外国小説をそれほど読まない。韓国や中国の小説だけでなく、西洋小説に関しても同様だ。もちろん、韓国や中国の小説に比べれば西洋小説の方が相対的に人気ではあるが、日本小説との規模の違いは歴然である。一般読者にとって外国文学の位相自体が高くないのである。

したがって、日本で「東アジア文学」はまだ観念的な存在でしかない。「東アジア文学」のような一つの文学的単位が設定されるためには、その単位の中に固有の共通性がなければならない。しかし東アジア諸国はそれぞれ異なる近代化の過程を経たし、果たしてこの違いが「近代化以前の共通した文化遺産」や「非西洋圏のうち最も近代化に成功した地域」という共通性あるいは地理的近接性によって克服可能なものなのかは、即断できない。

それゆえ、「東アジア文学」という観念の実現可能性はもちろん、その当為性について筆者はまだ答えをもちえていない。しかし、東アジアという観点から日本の近現代文学を論じることは、日本だけのコンテクストあるいは韓国だけのコンテクストでは見えていなかった死角地帯を可視化する意味をもつはずである。本稿の目的はここにある。日本の文学言説は東アジアをどのように論じてきたのか、もし論じていなかったとすれば、なぜ沈黙していたのか。沈黙していたとすれば、その沈黙はいかなるかたちでなされていたのか。戦後の日本文学を重点的に論じつつ、この問いへの応答を試みていく。

 

1.脱亜入欧・大東亜共栄圏・冷戦下の近代化

 

「アジア」という用語は、現在アジアと呼ばれる地域の外からもたらされたものであり、「西洋」が自らを定義するために導入した概念である。したがって、近代西洋と衝突するまでは朝鮮、中国、日本には自らが「東アジア」に属するという認識はなかった。「我々」は西洋との衝突をつうじてようやく「東アジア」という自己認識を得たのである。これは「世界史」という西洋中心の独特な歴史体系に、朝鮮、中国、日本が編入されたことを意味した。そもそも「世界史」という知の装置からして近代化に至る過程を歴史的必然とみなす世界観を内面化する制度だったという点を思い起こすなら、「アジア」という自己認識の受容は、「世界史」というヒエラルキーの周辺部に用意された位置を受け入れることだったのである。

したがって、西洋への恐怖が大きくなるほど、この新しいアイデンティティは自己肯定のためのものというよりは、むしろ自らの中に否定的な姿を見出し、これを止揚するための機制として機能した。近代化を図った時期のスローガンを「脱亜入欧」とした日本がこれを克明に示している。小森陽一はこのような日本の近代化の特徴を「自己植民地化」と呼んだ 。 小森陽一『ポストコロニアル』宋泰郁 訳、ソウル:三仁、2002年。 日本が近代西洋の価値体系を内面化する過程で、自らの後進的要素を「アジア」という概念に凝縮し、自らを「アジア的価値を否定しこれを西洋中心の近代的秩序へと再編する運動体」と定義したとき、すでに論理上ではアジアに属する別の周辺国を近代化=植民化する主体としての日本、すなわち帝国としての日本を肯定する基本枠組みが形成されたのだといえる。

他方でアジアという概念を肯定的に更新しようとの試みもあった。1903年に「アジアは一つ(Asia is one)」という書き出しで始まる『東洋の理想』を著した岡倉天心は、「今日、アジアが行うべきはアジア的様式を擁護し回復すること」 Kazuo Okakura, The Ideals of the East with Special Reference to the Art of Japan, London: John Murray, 1903, p. 204. であるとし、西洋ではなくアジアの固有な積極的価値を導き出し、アジア各国の覚醒と団結を訴えた。

このように、近代日本においてはアジアをめぐって排除と同一化の力学が同時に成立していたのだが、日本が西洋をモデルにしてアジアを近代化=植民地化するという論理を掲げる限り、社会内部におけるアジア言説もまた排除と侵略の性格を強くもっていた。日清戦争、日露戦争、朝鮮・台湾・琉球の植民地化、第一次世界大戦などを経るあいだずっと日本は西洋の帝国主義を模倣し、同時に「世界史」の中心部にだんだんと近づいていった。

しかし「世界史」の中心部に近づけば近づくほど、対外的には西洋の帝国主義諸国との葛藤が激化し、対内的には植民地の拡大によって民族を超えた統治イデオロギーの必要性が高まった。また、第一次世界大戦後に西洋で流行した「西洋文明の没落」というテーマはアジア関連言説を活性化する結果をもたらした。この時「東アジア」という概念を新たしいコンテクストに再召喚した日本は、限界に達した西洋近代文明の克服という歴史的使命を帯びた東アジア的主体を確立するという美名のもとで「東亜協同体」と「大東亜共栄圏」を掲げる。同時に、当初侵略的イデオロギーとは無関係だった、多種多様なアジア言説も、帝国主義のイデオロギーを構成する下位言説に再編されてしまう。

文学言説の場合、プロレタリア文学に代表される伝統マルクス主義や無政府主義系の作家および批評家は、資本主義と帝国主義から全人民を解放することを目標とすることで自然と植民地解放と国際的連帯を打ち立てたが、当局の過酷な弾圧によって1930年代に壊滅する。その後日本の文芸批評の父と呼ばれる小林秀雄を中心とした「文学界」系と保田與重郎に代表される「日本浪漫派」が文学言説をリードしていくが、表現の自由が禁じられた状況で展開されたこれらの文学言説には、政治的敗北主義が色濃く反映されていた。

プロレタリア文学の崩壊後、文学と社会の接点を再構成するために「社会化された私」などを論じた小林は、戦争を経てほとんど沈黙するようになり、保田は全ての現象を脱政治化して美的経験に還元する「浪漫的アイロニー」戦略を駆使した。保田は「ロマン主義という地点に立脚して『近代的軍国主義』を批判」 松本健一『竹内好論』岩波書店、2005年、110頁。
した点で反体制的志向をもっており、実際に当局によって危険人物に分類されていた。しかし彼は戦争による死を政治的イデオロギーによって肯定することを拒否すると同時に、その死を脱政治化された美的行為として描写し、浪漫派特有のアイロニーで現実を肯定した。このような日本浪漫派的な思考の系譜を敗戦後に継承していった作家が、『金閣寺』など完成度の高い審美的小説でノーベル文学賞の候補にあがりつつも、自衛隊にクーデターを訴えて割腹自殺する三島由紀夫である。

敗戦後の日本の「東アジア」認識は、日本思想史の分野の大御所である子安宣邦の次の一言に、荒っぽくではあるが要約できるだろう。「『東アジア』とは、戦後日本が積極的な関係の再構築を留保してきたアジア地域である。戦後の日本に『東アジア』という地域概念は新たに構成されず、結局、失ってしまった概念であると言える」 。 子安宣邦『「アジア」はどう語られてきたか?――近代日本のオリエンタリズム』藤原書店、2003年、102頁。 このようになったのには、大きく二つの理由がある。

第一に、最初はアジアを否定することで、後にはアジアを肯定することで東アジア侵略を正当化していた日本であるがゆえに、肯定的にも否定的にもアジアを論じることそのものが難しくなってしまった。そして第二に、第二次世界大戦終結直後に冷戦が全世界の政治を過剰なまでに規定することで、日本の言説地形もまた冷戦論理に支配されるようになった。

この時期の日本文学界で主流の座を占めたのが「戦後派文学」と、批評の分野ではこれを代弁した「近代文学派」だった。これらは戦争に協力していた文学関係者を糾弾する一方で、日本社会が道を踏み外した理由を近代化の不徹底さに求めた。これは彼らが作った文学誌の誌名が『近代文学』であるところに象徴的に表れているが、「近代的自我」の再確立に重点を置いた点で、同時代の政治学者・丸山真男と親和性がある。

19世紀の日本が近代化を追求した時に否定したものが前近代的アジアだった一方で、近代文学派はアジアとは無関係に「近代的自我」の再確立を論じた。その過程で戦争前の日本文学史が歩んだ軌跡のみを問題にした。近代文学派の代表的批評家である平野謙は、当局の体制擁護のために動員されていた文学関係者だけでなく、戦争直前に弾圧されて崩壊したプロレタリア文学もまた政治のための手段として文学を利用した点で類似の誤謬に陥っていたとし、文学の過度な政治化そのものを批判して、文学の自律性を強調した。

これらの問題提起は「政治と文学論争」を経て、日本の文学言説を規定する基本的な認識枠組みとなった。ただここで注意すべきは、近代文学派が主張していた「文学の自律性」とは、芸術至上主義や審美主義だったのでは決してなく、あくまでも日本共産党の過度な政治主義に対する批判だった点である。彼らが共産党系の作家たちと対立したのは、社会と個人が衝突する時に個人を優先視すべきとする「近代的自我」の再確立という立場がゆえであった。この背後には、さらに徹底した近代化がなされていたとすれば、日本社会がファシズムに巻き込まることはなかっただろうという西欧中心的な歴史観があった。したがって近代文学派の視野にアジアが入っていなかったのは、自然なことだった。結局、戦後日本の文学言説において「東アジア」が重要な議論の対象として浮上することはほとんどなかったといえる 。 アジアに対して積極的に発言した作家と批評家として武田泰淳と竹内好がいる。武田と竹内は、東京帝国大学に在学していた1935年に、ともに「中国文学研究会」を作ったほどに中国文学に心酔していたが、二人とも中国の戦場に駆り出された。敗戦後、武田はこの経験をもとに数編の小説を発表して近代日本の東アジア侵略を想起させ、竹内は資本主義陣営のみならずソ連とも対立を辞さない中国の姿から西洋的価値に抵抗するアジアを読み取り、1960年の安保闘争で噴出した日本のナショナリズムを「抵抗するアジア」のなかで再構成する道を模索した。

 

2.歴史的想像力――大江の『万延元年のフットボール』

 

戦争に負けてアメリカに占領され、冷戦が始まってからは安全保障の面でアメリカに全的に依存することになった日本の「自分探し」は、自然とアメリカとの関係の中でなされた。これをもっとも真摯に省察した批評家が江藤淳である。江藤は『成熟と喪失』(1967年)で、1950年代半ばに登場した「第三の新人」らの小説を分析し、家および父との対立と葛藤を描いていた過去の小説家とは異なり、これらの作品においては敗戦によって没落した父性を恥とみなし、母性の懐から脱しようとしない男性主人公が共通して登場することを指摘する。江藤はこの現実が、自信を喪失した夫の代わりに自分の前にいてくれる息子の成長を拒否する母親と、アメリカ化に象徴される近代化された見慣れぬ世界に足を踏み出すことを怖がる息子が共謀して作り上げた「成熟を拒否する感性」に始まると考え、これを中学生レベルの感受性と批判した。

さらに母性と日本らしさの象徴である自然が、アメリカ的な近代化が進む中で破壊される現実を、骨を削られる苦痛と感じつつも、このような「喪失」を受け入れてこそ「成熟」できると結論づける。愛情いっぱいに抱きとめてくれた母性的な自然が崩壊した以上、見慣れぬ「他者」がいる「社会」へと出て行かねばならないのである。江藤は他者と向き合う独立した個人に成長すべきと訴えた点で、『近代文学』と似た近代主義者としての顔をもっていた。

他方で彼は戦後日本の「言語空間」がアメリカの占領下における検閲と押し付けられた憲法の束縛から抜け出せずにいるのに『近代文学』を始めとする戦後の批評家たちはそこから抜け出そうとしていないと非難した。興味深いのは、江藤がアメリカの検閲とアメリカによる押し付け憲法を、戦後日本の言説空間をもっとも強力に規定している「タブー」であると指摘しながらも、彼の批判がアメリカに向かうことは決してなかった点である。彼は個人の独立を論じつつも、アメリカからの実質的独立については口を閉ざした。おそらくはアメリカなしには日本の存続が危うかったという彼なりの現実主義的な判断がゆえのことだったのだろう。このような江藤の自己矛盾は、戦後日本がどれだけアメリカに依存していたのかを逆照射し、アメリカに対するこの過剰意識は、東アジア関連の言説の成長を阻害する要素として作用した。「他者」との倫理的対面を論じ、日本のアイデンティティの再構成を問題化しつつ、アメリカに対して積極的に発言してきた江藤が東アジアについてはほとんど完璧なまでに沈黙していたという事実は象徴的である。

批評家である江藤と同伴者関係にあり創作活動を始めた大江健三郎の『万延元年のフットボール』(1967年)は、戦後日本が生んだ最高の小説のひとつであり、ノーベル文学賞受賞作でもある。この小説も東アジアについては寡黙な方だが、その叙事構造は近現代の日本社会に刻印された東アジアの痕跡に触れずして日本近代史を論じることはできないことを愚直に示すという意味で、江藤と画然たる対比を成す。

この小説は二人の兄弟の物語である。アメリカを放浪していた弟の鷹四は、ある日同郷出身の在日朝鮮人・ペクに出会う。鷹四の故郷の村でアメリカ型スーパーマーケットを経営しているペクは、築100年以上になる郷里の家を自分に売るつもりはないかと鷹四に持ちかける。鷹四はこれを契機に日本に戻り、兄の蜜三郎夫婦とともに故郷に向かい、そこでそれまで明らかにされていなかった家の複雑な来歴に触れる。ここにすでにアメリカを経由して韓国と日本の関係が形成され、在日朝鮮人が契機となり日本の隠された過去が露になる、過去の出来事をめぐって形成された構図へのアレゴリーがうかがえる。

兄弟は家族史をそれぞれ異なるかたちで解釈しており、これをめぐって葛藤と対立を経験する。たとえば、敗戦直後に故郷の村の下の朝鮮人集落を青年グループが襲撃したときに死んだ二番目の兄に対する記憶が違っている。蜜三郎は二番目の兄がグループの中で集団リンチされ、そのために犠牲になったと推測する。しかし鷹四は二番目の兄がグループのリーダーで、先頭に立って襲撃を率いて壮烈な死を迎えたと信じている。父もまた謎に包まれた人物だ。敗戦前に中国大陸である種の活動をし、帰国後に死ぬのだが、どんな活動をしていたのかは最後までわからない。家族史自体が東アジアと深く関連しつつも、その全貌はつかめないという、一種の「空白」として提示されている点、そしてその空白が解釈する人の視角によって異なる様相で描かれるという点で、東アジアがまだ解決できていない歴史的課題であり言説闘争の空間であることが浮き彫りにされる。

家族史解釈のもっとも大きな対立は、曾祖父の弟に関することである。この人物は100年前の百姓一揆を扇動・指揮した後に官軍に追われる身になったことがわかっているが、密三郎は彼が自分の部下を捨てて誰にもわからないように逃げ、名前を変えて平凡な人間として人生を終えたと考える。しかし弟の鷹四は彼が信念を堅持して官軍に立ち向かい闘って死んだと推測する。

こういった解釈をもとに鷹四は農民蜂起の首謀者として一揆を導いた家門内の異端者の系譜に自らを位置付け、村の青年たちを煽ってスーパーマーケットの襲撃に駆り立てる。そのさなかで運転ミスにより若い女性を死なせてしまい、厳しい状況に陥った鷹四に、密三郎は百姓一揆の首謀者が逃走した後に生き残り、平凡な生を送ったことを知らせ、鷹四を追い詰める。密三郎との激論があったその夜、鷹四は自殺する。

その後、この小説はペク氏が兄弟二人の故郷の家を解体するために人夫たちを連れてくる場面でクライマックスに入る。朝鮮語を話す大学生たちが倉屋敷を解体する過程で、100年前に建てられたこの倉屋敷の下に人一人がやっと入れるほどの地下倉があるということが明らかになる。百姓一揆の首謀者は逃走して過去を忘れ平凡な余生を送ったのではなく、犠牲になった同志たちの鎮魂を祈りつつ自らに監禁という罰を下し、再び起こるかもしれない一揆を臥薪嘗胆と準備して地下倉に隠れて暮らしていたのである。こうして密三郎は、最初の百姓一揆から十数年後に再び起こった蜂起を成功させ、一人の犠牲もなく勝利に導いた謎の人物こそまさに彼だったと考えるに至る。密三郎は鷹四が自殺した後になってようやく彼の解釈が正しかったと認めることになる。

ここで注目すべきところは、山村の一家族史の全貌を明らかにするために、彼らが知りえなかった言語を使う「他者」の介入が必須不可欠だった点である。地下倉の発見はこの小説の核心をなす場面だが、倉屋敷を買い取りたがったのも、それを解体したのも皆在日朝鮮人である。朝鮮人集落を襲撃した時に主人公たちの二番目の兄がどのように死んだのかについての話も、倉屋敷解体の現場にいたペクをつうじて耳にする。在日朝鮮人に象徴される東アジアと直接向き合い、これらの声を聞かない限りは100年以上にわたる日本近代史の全貌は決して明らかにならないことを、この小説は如実に示している。

朝鮮人集落の襲撃と百姓一揆は、それぞれ前者が敗戦直後と、後者が明治維新と表裏の関係にある。明治維新を神話化する論者は、自力でなした近代化を称賛したが、その過程で抑圧されるほかなかった民衆のことについては沈黙した。他方で敗戦がもたらした民主主義を肯定する論者は、日本の戦後民主主義が同時代の韓国/北韓と中国/台湾における強権的国家体制によって保障される側面があったことを、そしてこれが戦前の日本の帝国主義政策と無関係ではないことを見過ごした。『万延元年のフットボール』は、戦後の体制を成立させた敗戦を朝鮮人集落の襲撃に重ね、明治維新を百姓一揆と対比させることによって、支配的な歴史記述の根底にある被抑圧者の歴史が再び支配的歴史観を揺さぶる、そのような想像力の回路を稼働させる。公式の記録としての歴史が夜空に輝く星であるとすれば、記録されないまま時間の地層に降り積もっていった被抑圧者の歴史は、夜空の闇であるといえる。この小説は被抑圧者の歴史が交差する瞬間、闇の中に明滅する星を道標にして新しい星座(ベンヤミン)を描き出す歴史的想像力を喚起しているのである。

 

3.資本主義的想像力――村上春樹の偏在性/差異性戦略

 

村上春樹は戦後日本社会における「東アジアの不在」を示す模範的事例である。1990年代以降、彼は東アジアのみならず世界で最も人口に膾炙する作家の一人となった。彼は孤独な個人が世界に直接結びつけられるような叙事コードを確立した。個人と世界を媒介していた中間項である地域共同体、社会、国家などを経由せずに、すなわち日本的文脈を飛び越えて直接に世界と接続する通路をつくったのである。これが彼の小説が世界各国で広く読まれている理由の一つだろう。このような叙事コードの特性を重視する批評家・東浩紀は、村上春樹をゼロ年代以降、日本で膾炙している「セカイ系」の叙事パターンの先駆者と評してもいる 。 セカイ系をはじめとして1990年代以降の日本小説をめぐる言説およびここでは論じられなかった村上春樹と歴史との関係については拙稿「『小説の終焉』後の日本小説論――蓮實、大塚、東」(『文学と社会』2011年春号)を参照のこと。村上春樹をセカイ系の元祖とする東の主張は東浩紀・新海誠・西島大介「セカイから、もっと遠くへ」(『波状言論』16号、2004年9月30日)を参照のこと。 しかしセカイ系は、現代日本に特有の創作文法のなかで個人と世界が直結されてしまうような世界を描写しており、あくまで日本社会の内部で構築された「想像力の環境」に依存して生産され流通した。しかしながら、村上春樹の小説作法は彼が意図的に日本的なるものを排除する過程を経て獲得されたものである。

彼は伝統的な日本文学の重力から抜け出そうと努力し、その結果、よく知られているように、彼の小説はむしろアメリカ現代小説の重力圏内にある。江藤が戦後日本の近代化と高度成長を日本的なるものの喪失および「アメリカ化」と捉えたことを思い起こすなら、日本経済の絶頂期に日本的なるものを排除しこれをアメリカ的なるものに代替しようとした村上春樹は、当時の日本が直面していた現実に最も敏感に反応したのだといえる。そして江藤が「アメリカ化」と呼んでいた運動が「世界化」されたことにより、村上春樹の感性もまた「世界化」されていった。村上春樹の小説のこの無国籍性に注目し、興味深い読解を提示した若手批評家が福嶋亮大である。彼は村上春樹について次のように論じる。

 

村上と言えば、脱政治的で、かつ商業主義に擦り寄った書き手として、しばしば批評家からは批判を受けてきた。しかし、村上は、政治的闘争が何の意味もなくなってしまった時代に、つまりリベラルな資本主義社会で生きていく以外の選択肢がなくなってしまった時代に、果たして文学は何をするのかを探っていた作家だと考えたほうがよい。こう考えると、村上に対する評価も変わってくるだろう。 福嶋亮大『神話が考える』青土社、2010年、196頁。

 

このように政治的観点からの村上春樹批判を一旦カッコに括ろうと提案した福嶋は、村上春樹の小説にしばしば登場する商品や音楽などについて次のように述べる。

 

村上は、一般的には「均質化」をもたらすと言われるグローバル資本主義を、巧妙に利用している。同じ「モノ」(規格品)が大量に流布し、しかもそれが場に応じて微妙に異なる意味を吹きこまれていくこと、村上春樹はこのモノの遍在性と差異性を手がかりにして、主人公や読者を居ながらにして別の力場へと誘導してしまう。 同上、202頁。

 

彼の言葉に付け加えるならば、どの国に行ってもマクドナルドがあり、同じ映画を見ることができ、インターネットで同じ情報に接することができる(遍在性)。このように世界の大都市は場所の固有性をだんだん失っていくが、他方で人々は同じマクドナルド、同じ映画、同じ情報に触れつつもみんながそれぞれ別の経験をする(差異性)。その体験は各自に固有で、ほんの少しずつ違う意味をもつ。遍在性は、人間の記憶という観点から見るなら、あくまでも「意味記憶」の領域で生じる事態だ。しかしその均質化にもかかわらず、人々は遍在するそれらの対象に対してそれぞれ固有の記憶を作りだしていく。福嶋のいう差異性とは、この「エピソード記憶」の次元で現れる差異性だといえる。

福嶋は村上春樹が好んで使用するものに「現世から脱落しかかっているモノ」と「同時代から少しずれた過去」を挙げている。村上春樹は自らの作品の中に読者個々人の記憶を引き出すための設定や舞台装置をちりばめることによって、読者が自身の記憶に埋め込まれている感情や物語を小説世界にオーバーラップさせる余地をつくっているのである。

このように、福嶋は「自分の経験を投射しやすい環境」を読者に提供しようとする村上春樹の戦略を読み取った。これは現代社会の質的変化にうまく適応した執筆戦略だといえる。かつては「計算可能性」の範囲を最大限拡大していくことで、世界を透明で予測可能なものにするためのシステム設計が重視された。しかし今は高度情報社会に生きる個人が因果関係の全体を把握することはそもそも不可能であるという現実を認めざるをえない。とすれば、システムの設計も根本的に変えねばならない。もはや計算可能性のみならず「計算不可能性」まで考慮したシステム設計が要求される。読者ひとりひとりのエピソード記憶こそまさに、この計算不可能性の領域である。村上春樹の小説から福嶋が読み取った「差異性」は、この計算不可能性を考慮した舞台装置だといえる。そしてこの舞台装置はグローバル資本主義システムが全世界に撒きちらしたモノや情報であるがゆえに、既存のローカルな文化圏(たとえば東アジア)に関係なく、グローバリズムの影響圏に包摂された社会のメンバーであれば誰でも潜在的に村上春樹の読者となる可能性を内包することになる。

ゼロ年代に入って日本文学界においては、傑出した批評家・東浩紀が構成した問題枠組みの中で新進世代の文学・文学批評が展開され、「文学」の概念そのものが変化した。もはや純文学のアウラは機能しなくなり、SF・推理・ファンタジーといったジャンル小説や、今や日本の小説出版市場を席巻するかのような「ライトノベル」を、マンガ・アニメーション・ゲームと同じ次元で論じる若い批評家が新しい読者を獲得し、社会的発言権を得始めている。他方で既存の文学言説は過去の「文学」概念に大幅な修正を加えようとはしない。純文学が若者層に無視されて久しく、高い消費力をもった老年世代がこれを支えている。明らかなのは「文学」や「小説」という概念そのものがもっていた、世代を超える共通理解の地平が崩壊したということだ。彼らはすでに「小説」という同じ単語を用いつつも全く別の対象を指している。時間はもちろん、新しい世代である前者の味方である。

とするならば、新進世代はもっと広い地平、もっと深い現実認識に到達したのだろうか。日本社会の内部のみに目を向けるならば、彼らは現実をより広い視野で、より深い位相まで捉えることに成功したといえる。しかしそれはどこまでも日本内部に限定してのことである。新しい世代の思考は、むしろ日本社会に埋没して日本という特殊な文化・情報の生態系内部に閉じこもった自己言及的批評言説を生産している。それだけに新人批評家のなかで、日本の外部に積極的な関心を見せている福嶋はかなり例外的な存在であり、中国文学研究者でもある彼は脱理念化・脱歴史化された現在の日本の若手批評家のなかでも珍しく「東アジア」に注目している。

福嶋は東が『ゲーム的リアリズムの誕生』 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』講談社、2007年。 で示した、小説をめぐる「想像力の環境」を分析する批評方式を補完・発展させ、この方法論を日本のみならず中華圏の現代文学の読解に適用している。ここで注意すべきは、福嶋が論じる「中華圏の現代文学」は、日本のライトノベルに該当する、マンガ・アニメーション・ゲーム 福嶋によれば、中国ではこれを略してACG(Animation, Comic, Game)と表記する。福嶋亮大「チャイニーズ・イノセンス」『ユリイカ』2008年3月号。などの影響下で成長した文学を指すものであって、伝統的な文芸誌に掲載されるような文学ではない点である。

彼によれば、中国や台湾においては日本のACGと韓国ドラマの影響圏から登場した軽い小説が、若い読者層の熱狂的な支持を受けて成長している。韓国ドラマという新しい変数があるものの、ACGの要素を利用するという点で、素材の面では日本のライトノベルと中国の新しい小説はほとんど同一である。したがって素材ではなく、素材の扱い方において日本と中国の差異を読みとる読解方式を福嶋はとることになる。結論だけを見ると、日本の場合はキャラクターが最も重要な欲望の対象でありストーリーはキャラクターを目立たせるための従属的要素であるが、中国ではキャラクターやスト―リーよりも文体が欲望の対象となり、よって単純に読書を楽しむに留まらず、その文体を模倣しパロディーするインターネット上での文筆行為へとつながっていくという特性があるという。

福嶋が自ら提示した概念枠組みと論理構造で日本、中国、台湾の文学を論じることができるようになったのは、日本のACGが中国と台湾の若者層のあいだで「想像力の環境」になったからである。すなわち東アジアに日本のサブカルチャーが広まっているからこそ、日本のライトノベルと中国や台湾の類似した文学ジャンルが比較可能になったのである。もし韓国でもこのようなジャンルが広く読まれるなら、福嶋の分析枠組みを変形させて韓国の文学現象を東アジアという地平で論じることも充分可能だろう。また、福嶋の分析枠組みが有効で説得力もあるとすれば、これは文学がもはや文学という世界で自己完結的に存在するのではないことを意味し、したがって文学の枠組みで読み取ることのできる領域は、今後さらに狭まっていくともいえる。文学も合わせたメディアミックス的な「想像力の環境」を包括的に分析する地平に立ってこそ、文学と他のジャンルとの分節形態も視野に収めることができるし、大衆文化の相互浸透が急速に進んでいる東アジア圏域を「想像力の環境」という視点から見ることのできる可能性もまた開かれていくだろう 。 たとえば福嶋は、中国版のライトノベルを論じつつ、作品そのものを分析するのではなく、作家と読者の行為様態を追跡し、同ジャンルがインターネットという意志疎通環境との相互作用のなかで文体を媒介にした独特な承認欲求のシステムを形成するようになったことを強調する。さらには特定の作家の文体を真似るためのマニュアルが販売されているほどだという。このように、作家と読者が共有する「想像力の環境」を可視化する作業の具体的な先例が東の『動物化するポストモダン』(文学トンネ、2007年〔日本語原書は2001年〕)である。東は日本の作家と読者が相互参照する想像力の環境として「データベース」を論じる。この作業は、ライトノベルやジャンル小説の社会的機能を可視化する効果をもち、この地平が東アジアに拡大されるなら「サブカルチャーをめぐる想像力の環境」が東アジアでいかなるかたちで分節されるのかを捉えるための手がかりとなるだろう。

 

4.おわりに

 

当初はアジアを否定することによって近代国家を建設し、後には東アジアの名によって西洋近代と対立していた日本は、敗戦後、アジアを肯定も否定もできない状況に陥った。「東アジア」という概念は新たに構成されないままに捨て去られたのである。当時、日本の視野にはアメリカしかなかった。大江の『万延元年のフットボール』は、日本がアメリカを経由して東アジアに達する道を示した例外的な傑作である。彼は沈黙のなかに隠されていた二つの時代にわたる被抑圧者の歴史が互いに共鳴して姿を現す瞬間をつうじて、東アジアと日本が交差する歴史的想像力を形象化した。

1980年代になって脱植民地主義に立脚した東アジアの連帯が一部の文学関係者の課題として浮上したものの、東アジアではなくアメリカを注視した村上春樹が広く読まれるようになった。日本の文脈を意図的に排除した村上春樹は、アメリカ的生活様式の世界化とともに、資本主義の特定の発展段階と連動して広く読まれる小説家としての立場を確固たるものとした。彼はとりわけ東アジア圏で多くの読者を獲得しているが、これについて東アジアが類似した発展段階にあるからなのか、あるいは別の理由があるのかを明らかにすることは、今後の東アジア文学を論じるさいに意味ある作業となると思われる。

1980年代から日本では近代文学の死が言われ始め、近代文学の代わりに多様なジャンルの文学やライトノベルが新たな批評言説の場に浮上した。その後これら二つのあいだに対話がなされることはほとんどなく、今は各自の道を歩んでいる。後者の場合、そのような作品をつくりだす「想像力の環境」が日本のサブカルチャーに依存し過ぎており、そういった文化が浸透した領域でのみ有効な言説として機能するという限界がある。したがって東アジア各国の青少年層が好む消費コンテンツとしての小説を対象に独自の読解を試みている福嶋の議論は、日本発の「東アジア文学言説」の芽となる可能性をもっているが、これが成功するかはやはり日本のサブカルチャーの浸透力に大きく左右されると思われる。

以上のように、現在、日本の文学言説において「東アジア」が内実ある意味をもっているとは言い難い状況である。敗戦以前の日本には多様な東アジア言説が存在したが、それらは帝国主義言説から自由ではなかったし、戦後に封印された。この決定的な断絶によって戦後日本の文学言説において東アジアは無意識的にタブーとされた。ゼロ年代に入って東アジアの文化的相互浸透が進展したことで、韓国や中国の小説が紹介されつつあるが、まだ「一つの流れになっている」とまでは言いがたいのが現状である。したがって、冒頭で述べたように、日本における「東アジア文学」はまだ観念としてしか存在していないのである。

 

翻訳:金友子(きむうぢゃ)

季刊 創作と批評 2011年 冬号(通卷154号)
2011年 11月1日 発行

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