창작과 비평

[巻頭対談] 願いは大きく、道は現実から / 韓基煜·李南周

 創作と批評 200号(2023年 夏)目次


願いは大きく、道は現実から

 

 

韓基煜(ハン・ギウク)

『創作と批評』編集顧問、仁済大英文科名誉教授。韓国外大英文科・ソウル大大学院英文科卒。同大学院で博士号取得。主著に『文学の開かれた道』『文学の新しさはどこから来るのか』『英米文学の道案内』(共著)、訳書に『代書人バートルビー』『うちが火事になった』『ブルース・カミングスの韓国現代史』(共訳)『アメリカ覇権の没落』(共訳)など。


李南周(イ・ナムジュ)

『創作と批評』編集主幹、聖公会大中国学科教授。ソウル大学経済学科・北京大大学院政治行政管理学博士課程卒。主著に『中国市民社会の形成と特徴』『東アジアの地域秩序』(共著)、編著に『二重課題論』(創備言説叢書1)など。


金永善(キム・ヨンソン)

創批季刊誌出版部編集者

 

 

金永善(司会) 季刊『創作と批評』が通巻200号を迎えました。1966年の創刊以来、販売禁止、出版社登録の取消しなどで、発刊自体が困難だった時期を除けば、季節ごとに欠かさず読者たちに出会っていたら、いつの間にか200回目の季節を迎えました。200号を記念して今号は特別な対談で巻頭を飾りたいと思います。『創作と批評』編集主幹である李南周先生と編集主幹を歴任し顧問をされている韓基煜先生をお招きしました。私は創批季刊誌出版部の編集者・金永善です。対談といえば通常2人が向かい合って座る対話ですが、今日は私が末席でおふたりに質問する役割を致します。まずはごあいさつをお願いします。


韓基煜 こんにちは。文学評論をしている韓基煜です。1998年冬に『創作と批評』編集委員陣に合流し、2021年末に主幹職を退任し、現在は編集顧問をやっています。この春に長らく奉職した仁済大学を退任し、少しゆったりと過ごしています。


李南周、こんにちは。李南周です。2022年から『創作と批評』編集主幹を務めており、政治学を専攻、聖公会大中国学科の教授をしています。今日、巻頭の対談を通じて韓基煜先生をお迎えし、お話しをお聞きすることができて光栄です。

 

韓国社会の診断、これはどのような危機なのか

 

金永善 200号を迎えて、過去の記念号がどのようなものか振り返りました。季刊『創作と批評』(以下「創批」)の歴史は、韓国現代史の屈曲と切っても切れない関係があり、比較的最近の記念号でも、時代の現実に対する苦悩の痕跡がはっきりと見えます。たとえば100号(1998年夏号)の時はIMF事態、150号(2010年冬号)当時は李明博政権下で進んだ民主主義の深刻な後退がありました。記念号を祝いながらも、単に楽しんでばかりもいられないという点は、200号を迎えた今回も同様かと思いますが、おふたりは今日の現実をどのように診断されていますか?


李南周 現在の状況がいろんな面で憂慮されるのは事実ですが、200号の刊行は歴史的意味が大きく、祝うべきという点をまず申し上げたいと思います。季刊誌は25年ごとに100号を記念することになりますが、創批が通巻100号までに32年かかり、その後は幸いにも政治的介入で発刊が中断されることはありませんでした。これまで政治的民主化がある程度実現し、その過程で創批も大きな役割を果たしました。韓国社会の状況はさらに急変したと見られますが、IMF事態(1997~)、6・15南北首脳会談(2000)、グローバル化の流れと韓国の国際的地位の上昇、それと相俟って深まった社会的格差、ろうそく大抗争による社会的変化、コロナ感染症など、大きなものだけを選んでみても簡単ではありません。この過程で韓国社会が容易ならぬ挑戦に直面したこともありましたが、歴史的桎梏を打破して一歩ずつ前進してきたと評価したいと思います。現在の状況も、単に退行としてのみ規定するのではなく、韓国社会が今後進んでいく過程で経験する問題と見るべきです。特に現政権が退行的な行動を繰り返す根本原因には、ろうそく革命で高まった市民の主体性と変化要求に対する、既得権勢力の末期的反発があります。このような反発を制圧し、歴史を新たな局面に導けるように、私たちの主体的能力を成熟させていくことが重要だと思います。


韓基煜 私も概ね同意するところですが、資本主義の世界秩序が再編される状況において、南北朝鮮の関係と周辺国との外交を賢明に解放すべき時期に、尹錫悦政権がスタートしたのは残念なことです。さらに憂慮すべき点は、これまでマスコミや学界が相当部分既得権層となり、現事態の真実が市民にきちんと届きにくいということです。盧泰愚政権の北方外交〔対共産圏国交正常化〕、金大中政権の太陽政策〔対北朝鮮融和政策〕や六者協議、盧武鉉政権の(実現はしなかったものの)「東北アジアバランス者論」などは、すべて強国の間で外交的バランスを維持する努力でしたが、尹錫悦政権は過度に韓・米・日の同盟結成の方だけに傾いています。今日(2023年5月7日)日韓首脳会談がありますが、どのような話がやりとりされるかすでに気が重いです。


李南周 米中戦略競争の深化と国際社会の亀裂の中で、尹錫悦政権がその葛藤と対立に便乗し、それを激化させているという点は明らかです。ただ、ここでも強調したいのは、この問題も韓国社会の変化の中で解決すべきだという点です。尹錫悦政権の登場がろうそく革命の「変則的な出来事」であり、ろうそく革命は進行中で、進行させるべきという観点から接近する際に、この問題に対する答えを見つけることができると思います。変化を生み出す動力を認識することが重要だということです。朴槿恵政権の時期を例として挙げると、ろうそく大抗争が出現するまでの重要な変曲点の一つが、韓国史教科書の国定化問題でした。当時、朴槿恵大統領が歴史を正しく学ぶべきとして、「魂の正常化」のような発言をしました。それが当時の政治的局面に直接的な影響を与えることはありませんでしたが、人々に対して、これはなんだ、そうではないだろう、という印象を与えたのは明らかです。私は今でも市民が現政権の問題点をかなり幅広く認識していると思います。それをどのように直接的な動きにつなげるかが課題ですが、多くの人が深刻さに共感しているという点で、変化はすでに始まっていると思います。


韓基煜 以前、李南周主幹が中国の変化についての論文を書かれましたが(「第20次党大会以降の中国の変化」『黄海文化』2023年春号)、現在は中国とアメリカが双極体制に進むか、またはBRICS(ブラジル・ ロシア・インド・中国・南アフリカ共和国)とEU(欧州連合)を含む多極体制に進むかという判断も重要だと思います。これについてはどうお考えですか?


李南周 『創作と批評』2021年春号の特集で書いた論文(「米中戦略競争、どこに進むのか」)と同じ判断を維持しています。現在は米ソの冷戦期のように、主として理念的・軍事的に対決するのではなく、経済・技術を含む様々な領域における長期的な低強度の複合競争になると思います。もちろん軍事的衝突の可能性もありますが、それよりも社会の回復力や技術など他の要素が、競争を左右する確率が高いでしょう。韓国ではいくつかの社会的限界を持っていて、中国が競争から容易に脱落するだろうと見る視点が多いのですが、実は中国は、長期競争に耐えるほどのかなりの力を備えています。先日、グレアム・アリソン(Graham Allison)ハーバード大学教授も、中国の成長がしばらく続くと強調していましたが(”The Inconvenient Truth About U.S. Growth,” Barron's 2023.4.28)、このような状況をバランスよく判断するべきであって、アメリカにばかり頼っていては間違った結果を生む可能性が高いです。


韓基煜 アジアはもちろん、中東・アフリカ・ラテンアメリカ地域でも中国の力が強まっています。最近では中国の仲裁でサウジアラビアとイランが外交関係を正常化したりもしました。ウクライナ戦争の間、中国は経済協力の範囲や人民元決済を大幅に増やすなど、国際関係でアメリカを脅かす強者として登場しています。このような状況で、尹錫悦政権が韓・米・日三角同盟を既定事実化しながら、アメリカの考え通りに動くのはきわめて危険のように思います。なのに、きちんと批判するマスコミがあまりに少なく、政治の世界でも同様かと思います。


李南周 米中競争が長い間続く過程で局面は交差し続けるでしょう。時にはアメリカ、時には中国の影響力がより大きく見えるでしょうが、どちらか一方が世界秩序を主導するだろうという前提で状況を見るべきではありません。独自に自律的に動ける空間を作るべきで、私たちの指向を土台で支える能力を備えていくことも重要です。

 

大転換の道、このように歩もう

 

金永善 これまで創批は「大転換」を主要な話題にしてきました。2016年末から始まったろうそく革命で、朴槿恵大統領を弾劾したのはまさに巨大な突破であり、大転換に向けた様々な市民的熱望と意志が噴出しました。しかし、尹錫悦政権のスタート以来、大転換の課題はさらに複雑かつ困難になったようです。このことについてどう見るか、韓国社会の大転換の道をどう解いていくべきかお聞きしたいと思います。


韓基煜 ろうそく大抗争で87年体制が突破されましたが、南北朝鮮の分断体制が崩れることはありませんでした。この点では、2019年のハノイの朝米首脳会談の決裂がやはり残念なことです。以降、尹錫悦政権になってからは、むしろ87年体制以前に退行しているようです。短期的にはこの政権をどう退陣させるかに多くがかかっていると思います。尹錫悦政権のスタート自体が、ろうそく革命が引き起こした「変則的な出来事」であるならば、この「変則」を正すのもろうそく革命以外にありません。大転換の中・長期的な課題は、何よりも終盤になるほど粗悪になる資本主義体制に適応しながら克服することです。人間と自然生態に対する資本の略奪的・奪取的(dispossessive)性格がますます顕著になり、資産・所得の不平等とともに生態的な破壊も深化しています。特に2008年の金融危機を経て、「再生産なき蓄積」、つまり労働力の再生を保障し、剰余価値を持続的に「搾取」する方式よりも、労働者を使い捨て品のように使い廃棄処分する、定着植民主義的な傾向が目立ちます。企業の自然資源の使用でも、環境破壊的な「抽出的」(extractive)方式が拡大し、生態系も回復不可能の領域が増えています。結局、民衆の生活と自然生態の両方が疲弊せざるを得ない現実なのですが、適切な対応策を模索すべきです。たとえば、以前の福祉概念とは異なる発想である、基本所得・基本住宅・基本医療などの民生政策、また成長主義から脱皮する社会生態政策について、さらに議論すべきではないでしょうか。


李南周 政治的な問題はもちろん、南北朝鮮の関係、技術及び産業構造の変化、気候危機など、どれも容易な課題ではないため、これをどう克服して大転換に進んでいくかは容易ではありません。ですが、私は少し違った面で話してみたいと思います。私たちがこの問題を解決すべきだという大きな抱負、ある種の「願い」がなければなりません。個別の問題にこだわったり批判にとどまってはなりません。現状をもたらした原因をみる時も、果たして私たちが、ろうそく革命の熱い願望を実現するほどの心の学びが、どれほどできていたか振り返るべきです。かつて多くの人々がろうそく革命を語りましたが、後に続くべき現実の変化が期待水準に及んでいないという理由で、たちまち傍観的・冷笑的な態度が広がってしまいました。ですが、歴史的に見て、革命が起きたとしても、すぐ次の日に目立った変化が出てくるわけではありません。革命に対する忠実性が作動して、数十年にわたって変化が起きますが、わずか数年でろうそく抗争の要求自体を否定したり、すでに何らかの変化が進んでいるという事実さえ忘却することになったのです。特に進歩陣営のマスコミ、市民社会、知識人の内部でそのような傾向がより明確でした。このことが尹錫悦政権の出現という変則性を生み出した主な原因だったと思います。現在、遭遇している様々な問題を解決するには、結局、ろうそく抗争の主体的能力をどう強化していくかが重要ですが、失望して悲観して傍観する態度にとどまっていなかったか、省察するべきだと思います。


韓基煜 ろうそく大抗争の時期を振り返ると、自発的にデモに参加して、実に柔軟なデモ方式を披露したあの多くの人々が、実は「ヘル朝鮮」と呼ばれるところで地獄のような人生を生きる一面を持っていましたし、そのためにそのような状況に置かれたときの解放感も同時に感じたようです。私はそのような両面を文学批評における「情動」という概念で捉えようとしました。資本主義の末期になるほど情動的な性向が強まりますが、長期間にわたって進んだ、ろうそくデモにおける過激な観念的スローガンも一切の暴力事態もなかったというのは、本当に信じられない奇跡のようなことです。同時に同じ人々の人生に地獄のような面があったというのが改めて心痛く思います。


李南周 同意します。ひとつ付け加えるならば、実は2016年春に創批50周年記念号を出す時でさえ、私たちの提示する「大転換」のキーワードは大きな呼応を得られませんでした。進歩知識人の中でも、朴槿恵政権の高い支持率に失望する傾向に加えて、時代に対する冷笑がはるかに多かったと思います。ですが、まさにその年の冬に全く新たな局面が形成されました。では、なぜ当時の進歩陣営でさえ転換の感覚を持たなかったのか、予想できなかったのかを考えるべきです。表面的な状況に即座に対応するのは、大転換の願いを持つ人々の態度ではないということです。社会の底辺の健康な流れを明確に認識し、このような流れをどう強化するかを、常に主要な話題にするべきです。

 

文学と政論の独特な組み合わせ――創批の言説について

 

金永善 そのような話題を公論化し、新たな流れを生成させることが創批の役割だろうと思います。実際に『創作と批評』は、韓国社会が進展してきた要所で、多くの批判的知性人たちの意味ある論争的な論文を掲載して討論し、社会の変化に動力を与えてきました。100号以降の創批を振り返るとき、おふたりが特に印象的だと思った論文や瞬間はどのようなものですか?


韓基煜 編集者としての記憶を言えば、私が主幹を務めながら発刊した50周年記念号がもちろん重要ですが、毎号の特集や座談会、寸評に至るまで心血を注いだので、愛着のない号はありません。他の雑誌とは異なり、創批はすべての原稿に対して、最初の原稿が入ると、まず編集陣で一緒に読んで筆者に論評を伝えます。そのように筆者と意見をやりとりする過程を大切に考えていますが、論評の後で原稿が大幅に改善された時は本当に嬉しかったです。投稿作の中にいい作品を見つけて掲載する時も特に嬉しかったです。中国同胞作家のクムヒの短編「オクファ」(2014年春号)やイ・ミョンユン詩篇(2021年春号)などの投稿作を、充実した結実として記憶しています。筆者としての経験は、私が最初の韓国文学評論(「大衆文化の中の小説と映画」2001年春号)を寄稿した時や、門外漢として脱北者たちの座談(「脱北者の場を振り返る」2015年夏号)の司会をやった記憶が鮮明です。拙速に6・15文学論(「韓国文学の新たな現実分析」2006年夏号)を披歴して、手厳しい内部批判を受けた記憶、また長編小説解体論・無用論に対抗して懸命に論争したことも思い出します。


文学言説に関して重要な経験の1つは、2000年代中後半に李章旭と陳恩英のふたりが編集陣に加わって繰り広げた議論です。既存の再現主義と抒情性の美学について「もうひとつの抒情」を提示した論文(李章旭「花は世を捨てて」2005年夏号)や「詩と政治」論議(陳恩英「感覚的なものの分配」2008年冬号)を掲載しました。いつもそうでしたが、特にあのときは創批が新しい時代、新しい語法の文学と格闘する現場に立っていた気分でした。「詩と政治」の論議は創批の内外に反響を起こしてしばらく続き、この過程で創批のリアリズム詩学と近代の二重課題が一層磨かれたと思っています。


人文社会部門では、ろうそく革命の巨大な根を三・一運動にまでさかのぼって新たに照明した、三・一運動100周年特集号(2019年春号)が記憶に残っています。この特集の問題意識を鍛錬し、次号に白楽晴先生が「三・一と朝鮮半島式の国作り」を寄稿しましたが、「朝鮮半島式の国作り」という意味深い課題を提示した論文でした。三・一運動の根を開壁派と東学の二重課題論的な問題意識と見る流れは、2021年秋号の金容沃・朴孟洙・白楽晴の特別座談「東学の再認識、今日の道を問う」でいま一度明らかになりました。この座談は、東洋・西洋の文・史・哲に対する該博で知的な対話も傾聴に値しますが、創批の様々な言説と開壁思想の親近性を示した点が格別でした。


李南周 よく整理して下さいました。少し付け加えますと、文学で私が印象深かったのは長編小説論です。読者の立場では長編を通じて得る感動が大きいですが、文学の場の中では、どうも短編が小説文学の中心とされてきました。2007年夏号の特集「韓国長編小説の未来を開こう」、2012年夏号の特集「再び長編小説を語る」などで、長編小説の幅広い可能性が語られたのが、読者としても嬉しいことでした。


社会言説では、やはり87年体制論が韓国社会の性格の規定と討論に主要な役割を果たしたと思っています。87年体制という言葉が正確にいつから使われたのかは不明ですが、2005年の創批で主に提起して大きく広がりました。ですが、当時はポストモダニズムが主流的な風潮になり、社会を総体的に理解しようとする試みがほとんど無化していた時です。総体的な認識の必要を喚起した言説でした。個人的な感懐としては、2004年から創批編集陣に合流し、創批が変革的中道主義や連合政治、近代の二重課題論、分断体制論など、韓国社会の主要な転換点で言説を発信する過程に、拙稿ではありますが貢献したという点が大切な記憶として残ります。もちろん私の内的な動力だけでなく、創批の仲間たちの熱い鞭打ちのおかげですが、互いを励まして新たなことに挑戦させる、一種の同人文化が一助しましたし、今後もこの文化をきちんと守っていくべきだと思います。


金永善 おふたりのお話しに創批の特徴がよく出ているようです。『創作と批評』は文学と政論を兼ねた批判的な総合誌の形態を取っています。このような創批の構成について、読者が時に気にすることもあります。たとえば『創作と批評』は文芸誌なのかどうかという質問もよく受けます。


李南周 専門領域の間で分化がかなり加速し、文学と人文社会を結合する創批の固有の構成が不自然に感じられるのかもしれません。ですが、たとえばマルクスの理論も、社会と文学を分離せずともに思惟することで地平を広げた側面があります。私の世代では、社会と文学を分離するのがむしろ不自然なことなのですが、新しい読者たちもまた、今後、創批に何かを書いたり創批を作っていく方の立場では、困難に感じられるかもしれず悩みどころです。その分化を認めてそのまま追従するのではなく、どうすれば総体的な思惟を効果的に行っていけるかを模索しています。なので、最近の雑誌の構成では、人文社会特集にも文学批評を一緒に掲載し、文学特集にも人文社会の論文を掲載して、関連性を明らかにしようと試みています。読みやすさを高めるための執筆方法とは何かを考え続けていきたいと思います。


韓基煜 文学と政論を兼ねる構成は、創刊号から堅持してきた方針で、創刊精神とも脈が通じています。実は毎号の緊急かつ必要な政論とともに、レベルの高い文学作品を紹介し、批評を展開しながら誌齢を200号まで続けてきた雑誌は、韓国内はもちろん、世界的にも珍しいと思います。創批の標語は「一貫しながら日々新しく、日々新しいが一貫して」ですが、「日々新しく」という部分で、特に文学が変化の流れをまず感知する側面があります。ですが、時代全般を思惟するには、文学的な感覚だけではなく、統合人文学的な思惟が必要です。創批の言説も、文学分野は市民文学論、民族文学論、世界文学論、リアリズム論を挙げることができ、人文社会分野は分断体制論、変革的中道論、近代の二重課題論を挙げることができますが、両者は密接に結びついています。たとえば、リアリズム論を基本にしても、近代の二重課題論を知らなければ、長編小説をきちんと読んだり論じることができないというのが私の考えです。


李南周 おっしゃるように創批言説は時期ごとの主要問題に対応する過程で提起されたものです。しかし、言説が登場する初期にはいろいろな誤解も受けました。たとえば、李明博政権発足以降の変革的中道論と連合政治言説は、進歩陣営でもよくは見ていません。韓国社会が西欧のような保守・進歩の構図に再編されるという主張の方がはるかに多かったからです。当時、支離滅裂の民主党と連合する必要性を主張することは、進歩陣営内でかなり勇気が必要なことでした。にもかかわらず創批は、韓国政治が保守・進歩の構図に再編されるよりも、李明博政権下でかなりの退行が発生すると予測し、守旧勢力の基盤となっている分断体制を克服するには、その克服を追求する勢力間の連合が必要だと主張したのです。実際に李明博政権の退行の阻止に、連合政治が相当な突破口を作りました。近代適応と克服の二重課題も同様です。最初は資本主義の克服という展望から後退したのではないかという批判が多かったと思います。しかし、今日では、適応して克服する二重課題的な態度が、陰に陽に大きな共感を得ていると思います。私たちが人生を生きながら限界を突破しようとするときは、そのような姿勢が当然必要ですからね。このように非現実的な理想に満足せず、だからと言って現実に追随することもなく、変革の道を探索していくことが創批の言説の核心だと思います。

 

200号以降、創批の進む道

 

金永善 より具体的に、今後の創批がどのような議題に関心を置くかについても、読者たちは気にかけると思います。50周年には「現場性の強化」を主要な編集方向として明らかにし、少数者運動、ジェンダー不平等や介護問題、生態問題などを議論してきました。創批で考えるべき他の社会的議題、さらに200号以降、創批の編集方向はどのようなものになるでしょうか?


李南周 今、最も焦点を合わせているのは、「大転換」という指向を具体化させることです。50周年記念号でも「大転換」は重要なキーワードでしたが、その企画が今も続いています。大転換は思想から政策や運動まで様々な次元に関連しており、分断・介護・生態・ジェンダー・地域など、多様な議題とも関連しています。広範なだけに実現の過程ではさまざまな困難が伴います。なので、今は新しい議題を見つけるよりも、これまでに提起された様々な議題を大転換の道にどう配置し、どのように相乗効果を発揮するかを探ることが重要だと思います。そのような点で、大転換とともにもう少し具体的な次元として「移行」について検討するべきではないかと思います。そして「開壁思想」をさらに探求し、大転換の思想的な資源とする試みも行っています。ひとつの願いは、創批が60周年を迎える2026年には、ろうそく革命に対する抵抗を克服し、社会が新たな局面に参入していればと思います。そのような背景の上で、韓国社会と朝鮮半島がさらに一歩進むことができる、新たな編集方向を提示したいと希望しています。今日、ろうそく革命は抵抗に直面していますが、新たな変化の熱望も作動しているだけに、まず尹錫悦政権の退行に対抗し、60周年までよりよい韓国社会の形成に資するように努力します。


韓基煜 共感します。いくつか付け加えると、私は大転換の裏面は大混乱だと思います。核戦争の脅威と戦争・紛争は以前からありましたが、今は社会生態の危機のようなより大きな危機に直面しています。政治が大混乱しているうえに気候危機まで加われば、人々が到底生きられない国になり、移住と難民が大挙発生する現象が生じます。スーダンやイエメンなど、アフリカや中東の人々のヨーロッパ行きの難民はもちろん、ラテンアメリカにもアメリカに移住しようとする人々がとても多いです。私は韓国社会に入ってくる移住民も増えると思います。すでに多くの人々が労働者として来ており、出生率の低下を考慮すれば、移住民を受け入れる必要もあります。なので、世話・生態・ジェンダーなど既存の様々な議題に加え、移住や難民問題にも関心を傾けられたらと思います。彼らの生活をきちんと照明しながら、移住者たちと平等に生きていく複合国家の可能性も占ってみることができるでしょう。そして、チャットGPTやAIに関連しても、もっと語れたらと思います。「物質が開闢されるから精神を開闢しよう」という円仏教の標語のように、この物質の世界の変化をある程度統制して活用する、二重課題的な対応が必要ですが、そのためにどのような心の学びや精神鍛錬が必要かを語れたらと思います。


金永善 200号以降、文学部門ではどのような努力が必要だとお考えですか? 今の韓国の文学の場に対する評価とともに、お話し頂ければ幸いです。


韓基煜 読者数の減少にもかかわらず、韓国文学は能力と潜在力が大きいと思います。映画・ドラマ・歌謡などの「韓流」の基礎にも、韓国の言語的・文学的資源が光を放つ側面があり、伝統的な文学ジャンルでもフェミニズム文学が新たな活力を示しました。そこに元老級の作家たちや重鎮もいい作品を生産して、厚い層として定着しています。今後十分な翻訳が行われ、韓国語の直読が可能な読者が増えれば、世界の文学界でも重要な位置を占めるだろうと思います。いくつか残念な点、警戒すべき点も付け加えます。1つは、若い世代の文学が西欧の理論と作品を多く参照する一方、私たちの伝統の思想的・言語的・歴史的資源には、他の大衆芸術に比べても関心が少ないということです。もう1つは「政治的正しさ」の傾向に見られるように、先端理論や言説が先行して、物語を圧倒したり調整する傾向が一部見えます。このような点にもっと留意してもらえればと思いますし、その過程で創批も努力してほしいと思います。


金永善 今日の創批があるまで、読者のみなさんの変わらぬ声援や愛情ある助言があったという点も称賛したいと思います。今後、『創作と批評』が読者とどのような関係を結んでいけばいいか、お話しをお願いします。


李南周 創批にとって読者は、単に本を買う人たちではなく、様々な試練の中でも創批を守ってくれた方たちだという意味が大きいと思います。より良い未来を作ろうとする共感帯の中で、創批を読んで下さった方々です。特に読者のみなさんがお送り下さる助言は創批の企画にも大いに役立ちます。昨年から始まった「私が暮らすところ」の散文の連載が、とてもいい企画として評価されており、「文学の焦点」の座談も首都圏以外の地域に行って、現地の作家、評論家、教師の方々とともに進めたりしました。地域にこのようにさらに積極的に近づくには読者の意見が重大でした。コロナ感染症でここ数年の間、読者との出会いが少なかったですが、今後、読者の声にもっと耳を傾けるように、疎通を活発にしていこうと思います。


韓基煜 私も「私が暮らすところ」のシリーズをとても印象深く読んでいます。今後「創批釜山」のような文化空間がより増えて、地域の読者に近づいてほしいという思いもあります。オンラインビデオ会議を活用して読者との出会いの場を作れば、地域にこだわらず疎通ができるでしょう。また紙の本と電子書籍を根幹とするものの、YouTubeのような新しいメディアの活用も時宜適切に駆使してほしいと思います。


金永善 最後に既存の「巻頭言」は、当該号の主な内容を案内する役割も兼ねているので、今回の200号の企画趣旨及び構成についての紹介をお願いしたいと思います。大きな枠では「未来」がキーワードと言えるでしょうか?


李南周 100号から200号に至るまで25年かかり、次の300号までも25年かかる予定です。25年、すなわち4半世紀は「中期」という時間範疇に合致し、韓国社会や国際秩序の大きな変化が一段落できる時間でもあります。なので、200号は「25年後の未来」をキーワードとして提示しました。このような問題意識を盛り込むために、構成も他の号とは差別化しました。特集はインタビューで構成し、様々な世代の各界の人士に会い、社会の変化に大きな影響を及ぼす諸議題に対する現場の声を収めようとしました。論壇は「大転換」をキーワードとし、韓国社会の構造転換に関する課題を論じる論文を集めました。創作欄の場合、詩人や小説家たちが未来に対する想像をどのように作品の中に具現しているかを見ながら読んで頂ければと思います。寸評欄は、評者が過去25年余りに出版された単行本の中からもう一度読んでみようという本を、直接選定して紹介します。


金永善 巻頭対談に続く200号の様々な誌面を、読者のみなさんが興味深く読んで頂けたら幸いです。今日、おふたりと話し合うことができ、楽しく充実した時間を過ごすことができました。ありがとうございました。(2023年5月7日/創批西橋ビル)

 

訳:渡辺直紀