창작과 비평

[論壇] 大転換と資本主義 / 柳在建

 

創作と批評 200号(2023年 夏)目次

論壇

 

大転換と資本主義

――マルクス・ウォーラーステイン再考

 

 

柳在建(ユ・ジェゴン)

釜山大名誉教授。ソウル大西洋史学科・同大学院卒。共著に『100年の変革』、共訳に『古代における封建制への移行』『近代世界体制』『イギリス労働階級の形成』など。季刊『創作と批評』編集顧問。

 

1、資本主義とは何か

 

2008年の金融危機以降、特に気候危機に対する実感に加え、資本主義体制の危機と終末を主張する議論によく接する[1]。しかし、資本主義が持続可能でないという考えがますます強固になっても、その終末あるいは克服を語ることがやや空虚な巨大言説に聞こえるのも事実である。それはどうも、資本主義体制が終末を迎えるというのがどういうことなのか、そしてその後の社会体制がどのようなものかを想像するのが困難になるだろう。特定の社会体制が終焉を告げると、その体制の本質的な特徴が消えるということだろうが、それでは資本主義体制とは果たしてどのようなものか? 一般大衆の認識において、資本主義といえば一つの体制で、市場経済や私有財産制、あるいは賃労働制のようなものを思い浮かべるが、こうした特徴が存在しない世界が近い将来に到来すると考えられるのか、そしてそのような世界が望ましいものなのか疑わしくもあるのが事実である。特に没落した社会主義国家の抑圧的な様相は、資本主義がいくら弊害の多い体制であっても、少なくともそのような体制よりはいいという観念を強めた面もあると思われる。

歴史における資本主義をどのように定義するかという問いは、それ自体が実践的な意味を持つ。かつて社会主義国家が健在であった1970年代に、歴史家フェルナン・ブローデル(Fernand Braudel)は、歴史における資本主義に対する一般通念が持つ政治的含意を意識し、それを再定義しようとした。資本主義とは、歴史において常に存在してきた市場経済とは異なるものだという主張である。そして彼は「解放と開放、そして異なる世界へのアプローチ」[2]を意味する市場の世界と、巨大な独占勢力が跋扈する近代の反市場的資本主義を区別し、後者が前者の上に乗っかって同行してきた近代の経験のために、人々が資本主義を勘違いしていると力説した。実際、これまで蓄積された歴史学の研究成果は、前近代ヨーロッパ、非ヨーロッパを問わず、その中心地域に近代資本主義の特徴とみなされる活力的な市場経済、商品生産と賃労働、資本蓄積や資本家まで、すべてが存在したということを当然視している。

だが、資本主義の克服を模索しても、実際に古くからあったものなので、未来にもありそうなものをなくすと言えば、大衆の内面から出てくる実践的な力を期待するのは難しいだろう。また、そこで資本主義の像が誤って設定されれば、やはり克服の方向を間違えたりわからずに諦めたりして、克服の障害になることもある。市場経済と資本主義に対するブローデルの視点を共有するウォーラーステインが、資本主義に対する通念が引き起こす有害な結果について警告するのもそのような意味においてであろう。

資本主義が単に市場経済における賃労働のようなものであるという考えは、多くの自由主義者やマルクス主義者らの古いイデオロギー的錯覚である。そのような思いがいずれにせよ20世紀の基本的な信念であった。私たちは今、そのような錯覚の有害な結果を相手にしている。市場と賃労働は資本主義よりも古くから存在してきており、市場を通じた社会的調整は、必ずや資本主義よりももっと長く存続するだろう[3]

これまでマルクス主義が、労働力の商品化、すなわち賃労働を歴史における近代資本主義の特徴的な違いとみなしてきたことはよく知られている。マルクスも有名な『資本論』1巻の「本源的蓄積」の章で、資本主義の発生史を賃労働階級の形成史として描いている。それは一方では社会的生産手段を資本に転化し、他方では「民衆を近代史のすばらしい作品である賃労働者、すなわち自由な労働貧民に転化する」[4]過程であった。だとすると、資本主義に対するマルクスとウォーラーステインの視点は、一見対立しているように見える。

マルクス(K. Marx, 1818-83)とウォーラーステイン(I. Wallerstein, 1930-2019)は、100年余りの時差を置いてそれぞれ資本主義を分析しながら、資本主義の誕生と消滅の歴史について、誰よりも実践的な関心を傾けた人物である。2人はそれぞれ自らの時代の資本主義が、それ自体の作動原理によって消滅せざるを得ないことを主張しながら、文明の大転換を夢見た点で一致する。ただ、ウォーラーステインは、それが歴史的体制であるために消滅が確実なだけで、次に何が到来するかは、その過程の混沌の分岐点における人間の集団的実践にかかっていることを強調する。おそらくウォーラーステインの世界体制論は、資本主義の終焉を先に予測したマルクスが失敗したまさにその場において、なぜ失敗したのか、資本主義の持続的生命力の原因はいかなるものかを探求するなかで胎動したものといえる。彼が提示する近代の歴史のナラティブが、古典的なマルクス主義者たちのそれと異なるのはそのためであろう[5]

本稿は、資本主義の誕生と消滅に関する2人の考えを大きな枠組みで振り返ることで、現在、地球的現実としての資本主義に対する省察のきっかけを準備するものである。ウォーラーステインも本源的蓄積論をマルクスの思想において自らにとって最も重要なものであると述懐しているが、まずは資本主義の誕生に対する2人の同じような問題意識と決定的差異を見ることが、意味ある作業だろうと思われる[6]。そして2人が、それぞれその消滅の大転換をどう想像して模索するのかを見てみたい。

 

2、資本主義の誕生

 

『資本論』の「本源的蓄積」の章は、マルクスが資本主義の誕生過程を300年余りにわたる凄絶で野蛮な民衆収奪史として鮮やかに記録した歴史物語である。だが実際にこの章は、資本主義の誕生とその消滅という2度の体制大転換をともに視野に取り入れている。ただ、その誕生は歴史の物語を通じて、未来の消滅は簡単な弁証法的な論理の展開方式を通じて開陳される。そこでの結論は、資本主義の誕生過程が未来の消滅過程に比べて「比較にならないほど退屈でありながら苛酷で困難な過程」(791頁)であり、それは少数が多数の民衆を収奪した過程だからというのである。

ここでマルクスが描いた歴史像は、一方では当時のブルジョア歴史家たちが描写した歴史像、すなわち賃労働者層の形成史を生産者が、農奴的奴隷とギルド的強制から解放されるものだけを描写する、一方的な歴史像に対する反論でもあった。したがって、彼は当代の史料を通じて、資本主義時代が出現したところは、すでに昔に農奴制が事実上廃止され、住民の大半が自由な自営農民層だった場所であり、彼らが、所有権は封建的な看板によって隠されていたものの、事実上の土地所有者だったことを明らかにしている(741-746頁)[7]。だからマルクスは、それが典型的な形をして現れるイギリスを例にとって、農民からの土地収奪、公有地略奪をはじめ、時期や場所によって異なった形で現れた、あらゆる暴力的な収奪過程を証言する。特に、アメリカ大陸の先住民の圧殺と奴隷化、東インド征服と略奪、アフリカの黒人狩りなど、あらゆる種類の植民主義的暴力が本源的蓄積の契機になったので、彼は15世紀末から18世紀末まで進んだこの過程を、資本主義が自分の足で立つための基礎を積ねることと考えた。

ここでまず注目をひくのは、収奪対象が直接生産者、すなわち自営農民であり、事実上、土地の私的所有者だったということ、だから資本主義の出現が自然であるというよりは、進歩的な趨勢が逆転する過程に見えるという点である。マルクスはあまりに深刻だった「15世紀と16世紀の間の間隙」について、イギリスの経済学者ソーントン(W. T. Thornton)という人物の言葉を借りて、「イギリスの労働者階級はいかなる過渡期も経ずに黄金の時代から鉄の時代に一気に退落した」と表現した(746頁)。そして自分の土地を耕作していた自営農民衆が被雇用者に転化し、奴隷状態に入って、その民衆の労働手段は資本に転化したというのである。要するに資本主義はまさに自営農の収奪の上で出現したのである。

政治経済学は原理上全く異なる2つの私的所有を混同している。1つは生産者自身の労働に基づくものであり、もう1つは他人の労働の搾取(Ausbeutung)に基づくものである。後者は前者の正反対であるだけでなく、前者の墓の上でしか成長しないことを政治経済学は忘れている(792頁)。

本源的蓄積とは、まさにこの収奪過程を通じて「それぞれ独立して労働する個人とその労働条件の融合(Verwachsung)に基づく私的所有」(790頁)が、賃労働の搾取に基づく資本主義的所有によって逐出されたものである。マルクスの共産主義思想はもちろん生産手段の私的所有制廃止を唱えるが、それは他人の労働の搾取に基づく資本の廃止を意味するものである。しかし、独立して労働する生産者が生産手段を所有する場合にはじめて自由であると考えるという点において、マルクスの考えは孟子の恒産恒心論とそれほど離れていない。

労働者が自己の生産手段を所有するのは小経営の基礎であり、小経営は社会的生産と労働者自身の自由な個性の発展に必ずや必要な条件である(789頁)[8]

だが、ウォーラーステインも15世紀末以降の事態を、封建制が崩壊し、土地制度が一層平等な体制に進んでいる傾向が突然反転したものと把握し、マルクスと同様の認識を示す。ただ、彼はこのことが、危機に追い込まれた貴族階級が必死に反撃して勝利したものとして、あるいは地主の貴族階級が自らブルジョアジーに変身することで、小農大衆と世界の周辺地域の民衆に対する搾取と支配を持続させた過程とみなす。ここで重要なのは、このような資本主義への移行が「長期の16世紀」(約1450-1650年)に終わったため、その後はブルジョアジーに変身した貴族がいるだけで、近代史における貴族対ブルジョアジーの対立はないというのである。

1650年に至るまで生存力を持った1つの社会体制として、歴史的な資本主義はその基本構造を確立し、また堅固にした。報酬の平等化に向けた傾向は正反対の方向に変わった。上部階層は政治的にもイデオロギー的にもいま一度しっかりと統制力を掌握した[9]

ウォーラーステインが提示するこのような歴史ナラティブは、フランス大革命をブルジョアジーが貴族の旧体制を打倒したブルジョア革命と見たマルクスの見解とは対立する。これまで何度もあったマルクス主義の移行論争から推測できるように、マルクスは実際に、近代資本主義の発生の時期と性格に関して、いろいろとぼんやりと不明瞭な部分を残した。「本源的蓄積」の章で彼は、資本主義時代が16世紀から始まると言ったが、著作のあちこちで18世紀末の産業革命期、つまり大工業時代と産業プロレタリアの登場を重大な転換点とする見方を示すこともあった。実際『共産党宣言』で描写した資本主義時代の革命的性格が、まさに大工業時代の産物で、「以前のすべての生産様式の技術的基礎は、本質的に保守的なものであるのに対し、近代工業の技術的基礎は革命的だ」(510-511頁)というのである。だから多くのマルクス主義者たち、よく知られたホブズボーム(E. J. Hobsbawm)やアンダーソン(P. Anderson)、バリバール(É. Balibar)などが、大転換の時点を18世紀末から見ることもやはりマルクスを根拠にしたものである[10]

この点でホブズボームの近代史4部作が典型的だが、彼は「革命の時代」に続いて「資本の時代」、そして「帝国の時代」を位置づける。ホブズボームの議論では、産業革命とフランス革命といういわゆる二重革命を通じて、ヨーロッパの古い体制が崩壊し資本の時代が開かれたと想定されるが、これまでマルクス主義と自由主義の両者は、このような近代史の認識枠を共有してきた。しかし、ウォーラーステインは、資本の本源的蓄積、植民主義(帝国主義)、そしてグローバリゼーションともに、16世紀の資本主義世界経済の形成時から今までに内在しているものだと強調する。この3つは周期的に目立つ時期とそうでない時期があるだけで、資本主義の500年史の固有の特徴だというのである。

マルクスとウォーラーステインは、人類史において資本主義の出現という事態をどのように判断するかという問題で、まったく異なる立場に立っている。ウォーラーステインはそれが人類史の決定的な退歩と見ているが、道徳的にもまた生態系破壊の面でもそうだが、80%程度の世界民衆には生活の質と所得でもよくなったことがないと見ている。比較的平等な小農の体制に進んだ歴史が逆転したということ、それ以降の膨大な物質的成長にもかかわらず、階級的・地理的な位階化と双極化が一層深刻に展開したため、これは人類多数にとって進歩にはならないというのである。彼はヨーロッパが資本主義体制の出現で、他のすべての文明が賢明に避けた不合理な冒険の道に入ったと主張する[11]。しかしマルクスは、自営小生産者社会の持続可能性に懐疑を示した。そのような分散した小経営様式は、生産者の自由な個性の発展のために必ずや必要な条件であるが、ただ狭い枠でのみ調和のとれた社会を構成するというのである。それは分業と協業を排除し、自然に対する社会的規制、そして社会的生産力の自由な発展と社会的関係の豊かさを排除するというのである。それはそのまま維持されるのは難しく、いつでも破裂すること、ある程度の水準に達すると自らを破壊する物質的手段を創出し、「社会の胎内でこの小経営生産様式を桎梏として感じる力と情熱が動き始めるだろう」(789頁)というのである。

ならば、資本主義の誕生について、それがいかにひどかったとしても、次の人類史の大転換のためにいずれ起きることだったという19世紀中葉のマルクスと、起きてはならないことであり、これまで80%を超える世界の民衆に苦痛を与えた退歩の道であったという20世紀末のウォーラーステイン、果たしてどちらが正しいのか? それは資本主義の消滅についての2人の考えとともに見なければならないだろう。

 

3、マルクスと資本主義の終焉

 

資本主義の誕生よりも消滅の方がはるかに簡単だろうというのは、発展した資本主義体制の作動自体に消滅の契機が潜在しているという考えであろう。マルクスによると、資本に転化した生産手段が少数の手に独占されているとしても、資本主義体制はすでに労働者によって共同占有されている状態、そして事実上、社会的生産経営に基礎をおいている。したがって、その資本が労働者個人に不自然で抑圧的な点を除けば、資本主義社会の姿に未来社会の顕著な特徴がすでにあるというのである。たとえば「労働の社会化の加速化、土地及び生産手段の社会的に利用される生産手段への転化」「ますます大規模化する労働過程の協業的形態、科学の意識的・技術的応用、土地の計画的利用、労働手段の共同的使用への転化、結合的・社会的労働を生産手段として使用することによる、すべての生産手段の節約」(790頁)などが、まさに資本主義社会の姿なのである。

したがって、マルクスは今後の体制の大転換を指して、資本主義時代の成果である土地及び生産手段の共同占有と社会的協業をもとに「個人的所有を再建」(791頁)する過程と表現した。これは、過去の前近代社会で自営農が享受した自由な個性の発展を、いまや進展した生産手段の集中化と共同占有において高い次元で再生させるという発想だといえる。その発想は、生産手段がもはや労働者を隷属させる不自然な事物的な力であることをやめて可能となった、労働者と労働条件の新しい次元の融合を、自由な個人の連合として想像することだった[12]。これは、人間が生産手段や生産物と結ぶ関係や方式が変わると、事物化と不自然な疎外は消えて、親近性を取り戻すことができるという展望である。ただ同時代の社会全体を合わせても土地の所有者になることはできないというマルクスの考えは、これをコモンズ(共同領域)として管理して参加するという発想のように見られる。

より高い経済的社会構成体の観点からみると、土地に対する個人の私的所有は、ある人間の他の人間に対する私的所有と同じくらい全的に荒唐無稽なものに見える。1つの社会全体や1つの国、または同時代のすべての社会を合わせるからといって、彼らが土地の所有者ではない。彼らは土地の占有者であり、その収益者に過ぎず、自ら善良な家長として子孫に、その土地をさらに改良された状態で譲らなければならない[13]

一方、マルクスが体制の大転換を個人的所有の再建と表現したのは、彼の独特な資本主義観のためでもある。それは資本主義社会が商品関係の全面化によって個人的な関係が事物を媒介とした関係に変形し、近代以前の社会の人身的支配と身分的・政治的抑圧は、抽象的で事物的な抑圧の形に変わったという認識である。前近代社会の身分とは、個性において不可欠な性質であるのに対し、貨幣と資本は抽象性と普遍性、事物性を続々と具現する媒介である。近代社会は、事物であれ人間労働であれ、その個性が貨幣と資本によって量的に規定される最初の社会であり、様々な具体的な個別労働は抽象的な人間労働という共通指標に還元できるというのである。領主や農奴のように、ある規定が個人に刻印された形態ではなく、抽象的で事物的な、すなわち近代性としての階級関係が作動するようになり、社会的支配は直接的な人身支配ではなく抽象的・客観的な社会構造の機能となった。したがって、個人的所有とは、資本主義の特徴的な所有形態、抽象的で客観的な抑圧形態である「階級的所有」(Klasseneigentum)と対立するものである。若い頃の1840年代にマルクスはこれを「事物的所有」(sachliches Eigentum)と呼んだ[14]

マルクスが1840年代に、同時代の平等主義的な共産主義をドグマと批判したのも、資本主義観が間違っているから克服すべき課題設定も間違っているという意味だった[15]。その発想がすでに資本主義的な私的所有の客観的・事物的支配に慣れているので、次の共産主義の目標も、現実の与えられた客観的支配と隷属状態を普遍化する方式で設定するというのである。したがって、所有の主体が個人か社会かの発想法にとどまり、すでに社会と共同体が資本という不自然な力で個人の上で支配しているのに、この不自然な力を個人の関係の力で再び回復する課題の代わりに、逆に個人に対する社会と共同体の優位を目標に想定するというのである。結局、資本主義の克服は、発展した生産力をめぐる個人の関係が、支配隷属か自由かという問題として接近すべきだという意味である。マルクスは、社会は個人で構成されるのではなく、その中で個人が相互に関連して結びつく連関、関係の総和を表現すると言うほど、その複合的関係を強調した人物である。これは、個人対社会という問題設定が間違っていることを示すとともに、その関係における差異の生成についての問題意識を表現するためのものである。共産主義を近代の特定の(事物的で抑圧的な)階級関係を、他の特定の(自由な個別性が発現するおなじみの)関係に変革する過程として理解したのである。

マルクスが未来社会の目標として一生の間、平等というスローガンを掲げなかったことはよく知られている。彼は『ゴータ綱領批判』で、その綱領が「すべての社会的・政治的不平等の除去」と提示した目標についても、そのような「漠然とした文句の代わりに階級差別の廃止に加え、そこから始まるあらゆる社会的・政治的不平等が自然に消えると言うべきだった」[16]と批判したことがある。エンゲルスが「階級廃止を越えるそのような平等に対する要求も、必然的に不合理に達する」[17]ことになるため、社会主義を平等の王国として連想しないようにすることも同様である。

しかし、多くの人々が、マルクス思想における疎外克服というテーマに潜在したユートピア主義に警戒するのを見ることができる。たとえば、ジジェク(S. Žižek)によると、資本主義を越えたときに疎外なき社会が透明になるというマルクスの考えは、やはり形而上学的次元にとどまっているため、このような基本モデルは廃棄されるべきだというのである[18]。しかし、疎外の克服を社会が透明になるという表現で表現するのは適切ではない。いかに事物化と抑圧のある社会の中でも、人々が自然と社会的関係で経験する親近性というものがあり、マルクス自身はそのような経験を個別性の実現、あるいは唯物論的な意味の自由と考えていたようである[19]。彼が唯物論的意味の自由概念を対象世界における個別性の実現として理解したのは、ヘーゲルが自由概念を対象世界における精神の実現、つまり科学と啓蒙として理解したことに対する対決であろうが、それは知識以前の感性的体験における親近性、ないしは生命力のある関係の回復を意味するのである。彼は他方で、貨幣や地代、利潤などの社会的関係が「事物の個別性まで疎外させ」[20]、土地や機械の固有の本性を侵害するという、一層形而上学的に見える主張をした。確かにマルクスの思想には、人間と事物に対する新しい思惟方式があり、彼は資本主義が準備した膨大な生産力を土台に、人間と事物がそれらしく存在しつつ充実した個性を発現させることが可能だと展望した。この点では、ハイデガーがマルクスの疎外を経験しながら歴史の本質的な次元に到達し、存在(Sein)の歴史性を認識していると言ったのが、そのような意味ではないかと思う。

マルクスは疎外を経験しながら、歴史の本質的な次元に達したため、マルクス主義の歴史観は他のすべての歴史学よりも優れています。しかし、フッサールも、また私の知る限りサルトルも、存在(Sein)の歴史的本質を認識していないため、現象学も実存主義もマルクス主義と生産的な対話を初めて可能にする、そのような次元にはまだ到達していません[21]

ここで何よりも念頭に置くべきは、マルクスにとって近代資本主義社会は、歴史上、いろいろな社会類型の1つのありふれた社会ではないという点である。資本主義は個人の実践的な力が生み出した膨大な生産力発展と無限の変革を自己の生存条件とする人類史初の体制であり、もしこの生産力を個人が自己化(Aneignung)できなければ、すなわちその生産力の社会的な存在方式を変化させることができなければ、その事物的な力によって徹底的に隷属し、個別性の喪失が深まる社会である。このマルクスの問題意識は、最近しばしば議論される韓国伝統の後天開闢思想、すなわち物質開壁にふさわしい精神開壁が切実であるという、円仏教の少太山・朴重彬の思想とも通じるものと見られる。白楽晴はこれを、物質の勢力が拡張するなか、人間の精神が衰えて文明の奴隷に変わる資本主義時代の状況を、精神開壁を通じて越えるという主張として理解しながら、マルクスの主張との共通性を強調している[22]

マルクスは、資本主義社会において大工業が引き起こす否定的な側面と抑圧的なメカニズムが、「労働者階級が必然的に政治権力を掌握する場合」(512頁)、新しい文明のための契機になると考えた。たとえば、資本主義体制の中で伝統的な家族制度の崩壊がいかに恐ろしく忌まわしく見えても、大工業は家庭の領域外にある社会的に組織された生産過程で、女性と男女児童に重要な任務を与えることで、家族と男女関係のより高い形態のための新しい経済的基盤を創造しているというのである(514頁)。さらに彼は、資本主義的農業の技術的進歩が労働者を搾取するだけでなく、土壌まで略奪するような方法で進行していることを批判するが、「資本主義的な生産はそのような物質代謝の単なる自然発生的に造成された環境を破壊することで、物質代謝が社会的生産の規制的な法則として、また人類の完全な発展に適した形で体系的に再建せざるを得なくなる」(528頁)とも主張する。

これはプロレタリア革命に対するマルクスの楽観的展望をよく示している。彼は資本が集中独占し、労働者の貧困と奴隷・搾取の程度は増大する一方、資本主義的な生産過程自体のメカニズムを通じて訓練され組織される労働者階級の抵抗もまた大きくなっていくことを根拠に挙げた。マルクスは世を去る直前にも、プロレタリアの階級廃止要求が実現する革命の発生自体を、革命がどう行われるかを予想するよりも確実であると受け入れた。彼は1881年2月のある手紙で次のように語る。

1789年以前のフランス・ブルジョアジーの一般的な要求は、多少の違いはあるだろうが、今日のプロレタリアの一次的な直接的な要求が、資本主義的生産がなされるすべての国でほぼ一貫しているのと同様に、通常は決まっているものだった。しかし、フランス・ブルジョアジーの要求が達成された方法に関して、18世紀のあるフランス人が事前に先験的に推測でもしただろうか。(…)毎日、私たちの目の前で展開される支配的な社会秩序の不可避の解体に関する科学的洞察、古い権力の亡霊たちに苦しむ大衆の日々がより沸き起こる感情、それと同時に莫大な速度でなされる生産手段の発展、これらのことからみて、真のプロレタリア革命の勃発の契機が明らかに与えられるだろうし、それとともにその革命の(間違いなく牧歌的でない)直接的な次の行動方式の諸条件も、間違いなくできあがると考えられるだろう[23]

 

4、ウォーラーステインと移行の時代

 

しかし、資本主義体制の文明史的大転換を夢見たマルクスは一度失敗し、ウォーラーステインは、彼が失敗した場で資本主義の生命力の原因を探索する中で、世界体制論の視点を提示した。彼は何よりも、剰余搾取を通じた資本蓄積が、世界的次元の複合的な社会的関係を媒介している様相に注目し、資本蓄積のためには賃労働ではなく非自由労働を確保する地理的膨張、国家権力、そして独占が必須条件であると考えた。むしろ完全に自由な市場は無限の資本蓄積の致命的な敵だというのである。一方、彼は資本主義という経済組織の形がこれまで繁栄してきた秘訣の1つを、まさにその世界経済の領域内に、単一の政治体制ではなく複数の政治体制があるという点に見出した。資本主義は、経済的要素がいずれかの政治体によって完全に管理されている範囲よりも広い領域で動作するように、資本家に構造的に大きな自由を与えるというのである[24]

これはすなわち、資本主義を個々の国家よりもはるかに広い地理的空間に存在する世界体制として理解しなければ、その粘り強い生命力と不十分な膨張を理解できないという意味である。このような資本主義世界体制的な性格は、かつてマルクスも鋭く意識していた。「「今日の国民国家という枠組」、たとえばドイツ帝国という枠組自体は経済的に世界市場の「枠組の中に」、政治的には列国体制(Staatensystem)の「枠組の中に」ある」[25]というマルクスの陳述はその適正な例である。マルクスが賃労働制ではなくアメリカの奴隷制を資本主義の作動の構造的な一部として認識したのも事実だが、ただ彼は、アメリカのプランテーション所有者を資本家と規定しながらも、それを「自由労働に基礎を持つ世界市場内における異常形態」[26]と見た。だから、世界市場を資本蓄積の場として考え、様々な形態の搾取様式が結合した作動方式に注目したウォーラーステインとは異なり、マルクスは、アメリカの奴隷制をヨーロッパの賃労働制の踏み石として認識するにとどまった(787頁参照)。一方、ウォーラーステインの観点は、これを異常な形ではなく、資本主義世界経済の正常で構造的な一部として把握しようとするものである。

結局、資本主義は、自由市場経済や賃労働制のような特徴に還元できない巨大な歴史的体制である。したがってウォーラーステインは、万物の最終的な商品化による資本の無限の蓄積がすべてのものに優先するという事実に加えて、資本主義は具体的な歴史を通して展開される側面で理解されるべきであると強調する。それは複合的な社会的関係で作動するという点で、人種や性の差別主義、また非自由労働と結合した形態が常に構造的条件になる。ならば、資本の果てしない蓄積に優先性を置いて機能する体制という概念定義は、賃労働制を重視したマルクスの資本主義概念と対立したものだろうか? ウォーラーステインはマルクスに関する限りそうではないと主張する。マルクスが生産過程における資本-賃労働の関係を重視したのは当然だが、一方では賃労働のない剰余価値の存在を否定するのではなく、他方、絶えず自己拡張する資本の固有の衝動を誰よりよく把握していたということである。無限に自己拡大する資本による支配と搾取という面は、マルクスとウォーラーステインの資本主義観にとって共通的に重要であるといえる[27]

特に「絶えず」に傍点が打たれたこの最小限の定義では、体制の非合理性と持続不可能性が目立って見える。確かに今日の資本主義が以前になかった新しい局面に直面することになったというのは、特に知見のない人の目にも確実に見える。資本主義世界経済内に統合すべき非資本主義世界が存在しないというのは、労働人件費の長期的な上昇をもたらさざるを得ず、ここに費用を外部に回すことから来る生態系の破壊も限界状況に向かっているからである。資本主義世界体制は誕生と終末のある歴史的体制であるため、異なる体制に置き換えられざるを得ないが、生産費用の長期的な上昇で今日の限界に達したというのがウォーラーステインの診断である。彼は今日の資本主義体制が、民衆と資本家階級の両方に負担になるにつれて、21世紀中盤頃に終焉を告げるだろうと予測する。私たちは今、資本主義でないとすれば、社会的位階制と双極化を温存させる体制に進むのか、さらに民主的で平等な代替体制に進むのかという分岐点に立っているというのである。彼が想像する資本主義の終末は、大災害や最後の審判の日のようなものではない。過去に資本主義世界体制の成立が1つの移行過程であったように、将来の異なる体制への移行もまた長い過程になるだろうが、その過程で人間の集団的実践がきわめて重要だというのである。

まず何よりも必要なのは、市場を通じた社会的調整、あるいは市場の可能性を放棄せずに、絶えず資本蓄積の優先性を弱めて除去していく課題である。「市場の可能性をまったく考慮せずに棄却してしまったのは、20世紀の左派運動が理論と実践面で犯した重大な失敗だった」[28]というのである。さらに、ウォーラーステインは、今日の国家で、公正な市場規制や社会的再配布などの非資本主義的な目的に活用できるように、国家の政治を民主化することも重要であると強調している。持続的な民主化と市場の可能性に対する着実な模索を通じて、資本主義以降の世界経済が互いに異なる原則に従って作動する部門であり、すなわち広い意味の公益事業部門は社会的再生に優先権を置き、消費財及びサービス部門は市場効果に優先権を置く方法で組織できるというのである。さらに、資本主義ではなく代替体制の動作原理として、金銭ではなく他の形態の補償システムが必要だという彼の主張は、ある種の文明的転換を促す。たとえば、評判と成果に対する自己満足という形の報酬を実験すべきだという提案である。非資本主義的組織は報酬で利益原理に従わないことが多いが、資本主義体制の中でも無条件に多くの賃金よりも、名誉や時間の余裕のようなものを望む場合が少なくないという事実は、資本主義体制を越えた思惟や展望に重要な意義を持つのである。彼によれば、医療や教育部門の経済構造が、何世紀にもわたって非営利的で非国家的な統制を通じて時にうまく機能してきたことに注目する必要があり、これを徐々に他の部門に拡大することも重要である[29]。他にも彼が移行期の課題として提案するのは、知識構造の大々的な革新など、文明史的に意味あるものがあるが[30]、彼が未来体制をめぐる階級闘争について行った主張の1つを振り返ってみることで、本稿のまとめとしたい。

ウォーラーステインによると、資本主義の世界体制がそれ以前の歴史的体制と区別される顕著な違いは、その体制の剰余価値を専有する人々の比重が高いという点にある。資本主義の発展過程はごく少数の集団を残りの人々から分離してきたのではなく、世界中の人口の5分の1程度(あるいは7分の1)を残りから分離してきた。それ以前の歴史的体制では、裕福な階層だといっても規模は小さく、象徴的な意味で約1%程度と言えるのに対し、資本主義体制では最上層を1%としたとき、19%に相当する中間階級の成長で、20対80の様相がみられるというのである。特にフランス大革命以降、民衆の熱望に驚いた支配層が、根本的変革の代わりに民衆に提供した譲歩の中の1つが、ほぼ世界人口の7分の1から5分の1にパイを分け与えることであった[31]。過去と比較できないほど大きな富が生産されたため、20%と80%の差は他の歴史的体制よりも大きな状態だが、彼は、その間の格差があまり見えなかったのは、世界の歴史学と社会科学が19%の階層に関心を集中してきたのも1つの理由であると考える[32]。しかし、上層の規模が大きいほど搾取がより大きくなることもあり、上向きの流動性が可能なために安定性を強化させるうえ、その上層の一部が過半数に満たなくてもかなり多いときに、社会的双極化を正当化させるというのである。

だがウォーラーステインは、未来の社会体制の行方をめぐる階級闘争が、現在では80%の民衆を代弁する全地球的左派と、1%を代表する確固たる最上層右派の間で、すなわちポルトアレグレ世界社会フォーラム陣営とダボス会議陣営の対決で、中間層19%を自らの側に引き寄せるための闘争になるという見方を披歴している[33]。特別な説明がなく正確な趣旨はわからないが、全世界的に見た1:19:80という区分が、世界史の現実を見る視点から、私たちにとってスローガンではおなじみの1対99の区分よりも、明らかに合理的で妥当であると考えられる[34]。さらに世界史的に見ると、現在の大韓民国のように、活力ある地域のかなり多くの人々が19%に該当するだろうが、彼らの去就が地球的現実に重要な作用をするということは、十分に推測できるのではないかと思う。ただ、ダボス精神とポルトアレグレ精神の対決は、地理的な位置とは無関係の全地球的な性格のものであり、今後の長期的な未来体制の行方をめぐる根本的な闘争であるため、19%を自己に引き寄せるという発想も、現実で中短期的でありながら 局地的な課題との関連のもとで熟考できなければ、ややもすると漠然とした観念にとどまることもあるだろう。

 

訳:渡辺直紀

 

[1] イマニュエル・ウォーラーステインほか『資本主義は未来があるか』ソン・ペギョン訳、創批、2014。ヴォルフガング・シュトレック『朝の鐘が鳴る――資本主義という難破船について』ユ・ガンウン訳、ヨムンチェク、2018、ポール・メイソン『ポスト資本主義の新たな始まり』アン・ジニ訳、ザ・クエスト、2017、「私たちの知る資本主義は終わった……パンデミックに対抗する「新しい共産主義」が必要だ」、スラボイ・ジジェクインタビュー『朝鮮日報』2020年11月10日付。斎藤幸平『持続不可能資本主義――気候危機時代の資本論』キム・ヨンヒョン訳、タダ書斎、2021。

[2] フェルナン・ブローデル『物質文明と資本主義II-1』チュ・ギョンチョル訳、カチ、1996、20頁。以下、翻訳文を引用する際、翻訳は筆者が原文と対照して一部修正した。

[3] イマニュエル・ウォーラーステインほか「共同序論:次の大転換」『資本主義は未来があるか』前掲書、19頁。本書の共著者5人は、資本主義に対する将来の見通しが若干異なるにもかかわらず、このような認識を共有している。

[4] Karl Marx, Das Kapital I1, Marx-Engels-Werke(以下MEW)23, Dietz Verlag 1957, 787-88頁。以下Das Kapital Iでの引用および参照は本文に頁数のみ表記。

[5] 過去に筆者は、ウォーラーステインを賃労働、すなわち労働力の商品化という生産関係を無視する流通主義者と批判する古典的マルクス主義に対して、次のように反論したことがある。「ウォーラーステインには、絶え間ない資本蓄積という現象が、世界的次元で部分的賃労働化でのみ維持されるというものであるため、複数の搾取様式が結合された世界的生産関係において、資本主義の作動様相を眺望していると言えるだろう」。拙稿「マルクスとウォーラーステイン」『創作と批評』1996年春号、320頁。

[6] ウォーラーステインは他界する前年の2018年に、生涯最後の対談として広く知られている、マルクス思想の中で自分らが重要に考える3つを示してほしいという要請に次のように答えた。まず、資本主義が社会組織の自然な方法でないことをきちんと語ったということ。第2に、資本主義の基礎を築いた「本源的蓄積」が、ブルジョアジーの支配における核心的過程であることをきわめてよく理解し、それは現在も存在するということ。第3に、私的所有制と共産主義の問題を、国有化の有無ではなく、剰余価値の生産及び受取の問題とみなすべきだということ。Marcello Musto, “Read Karl Marx! A Conversation with Immanuel Wallerstein,” Truthout 2018.3.24。

[7] ただ彼は、資本の歴史的発生が「奴隷や農奴から賃労働者への直接的な転換、すなわち単純な形態変化でない限り、それはただ直接的な生産者の収奪、すなわち自己労働に基づく私的所有の解体を意味するに過ぎない」(789頁)とすることで、奴隷や農奴からの直接的な転換もあったことを示唆している。

[8] マルクス自身が重要な修正及び追加をしたと述べたフランス語版(1872-75年)では、この主題が次のように修正・補完された。「労働者が自己の生産活動の手段を私的に所有するのは、農業や製造業における小経営の当然の帰結であり、この小経営は社会的生産の養成所(pépinière)であり、労働者の手腕や創造的な技量、また自由な個性の研磨が行われる学校である」。Karl Marx, Le Capital I, Galimard 1963, 785頁。

[9] イマニュエル・ウォーラーステイン『歴史的資本主義/資本主義文明』ナ・ジョンイル・ペク・ヨンギョン訳、創作と批評社、1993、46-47頁。

[10] ただウォーラーステインが「18世紀末」説の代表者として指摘したバリバール(イマニュエル・ウォーラーステイン『近代世界体制II』ユ・ジェガンほか訳、カチ、1999、17頁参照)は、2018年の座談で過去にウォーラーステインと共著作業を行って交わした対話のおかげで、自身は「資本主義について全く異なる方法で議論し、理解する方法を学んだ」と述懐した。さらに階級と国民を資本主義世界体制の制度的構造とみなす思考に共感しながら、自分はますますウォーラーステイン主義者(ultra-Wallersteinian or post-Wallersteinian)になっており、これはアルチュセールや古典的なマルクス主義との決別を意味すると言ったりもした。エティエンヌ・バリバール・イマニュアル・ウォーラーステイン『人種、国民、階級』キム・サンウン訳、第2テーゼ、2022、11、24頁参照。

[11] イマニュエル・ウォーラーステイン『歴史的資本主義/資本主義文明』前掲書、101–47頁。『私たちが知る世界の終言』ペク・スンウク訳、創作と批評社、2001、253頁参照。

[12] 農業でも生態学的に合理的な道は、労働者と労働条件の融合が行われる2つの道しかないことを彼は簡潔に表現する。「合理的農業は自営小農の手や、あるいは連合した生産者による管理を要する」。Karl Marx, Das Kapital III, MEW 25, 131頁を参照。

[13] 前掲書、784頁。

[14] 拙稿「マルクスの科学的社会主義と現実的科学」『創作と批評』1994年秋号、269-72頁。Karl Marx, “Ökonomisch-philosophische Manuskripte,” MEW Ergänzungsbände 1, 534–35頁を参照。

[15] Karl Marx, “Briefe aus den ‘Deutsch-Französischen Jahrbüchern’,” MEW 1, 344頁を参照。

[16] Karl Marx, Kritik des Gothaer Programms, MEW 19, 26頁。拙稿「マルクスの科学的社会主義と現実的科学」前掲論文、268頁を参照。

[17] Friedrich Engels, Anti-Dühring, MEW 20, 99頁。”F. Engels an A. Bebel, 1875.3.18-28,” MEW 19, 7頁。エンゲルスはベベルに送った手紙でこう書いた。「国、地域、地方の間には生活条件がいつもある程度の不平等を示すでしょう。アルプス居住者の生活条件は、いつも平地人たちのそれとは違うでしょう。社会主義社会を平等の王国と考えるのは、「自由、平等、友愛」という古い観念から始まった一面的なフランス的観念で、その時代と場所で1つの発展段階としては正当化されるでしょうが、以前の社会主義学派のすべての一面的な見解と同様に、これもやはり今となっては克服すべきものです」(強調はエンゲルス)。

[18] ジェイソン・バーカー編『マルクス再論――資本主義とコミュニズムに関する対談」ウネ・チョン・ナミョン訳、ナンジャン、2013、99頁参照。

[19] Karl Marx and Friedrich Engels, Die Heilige Familie, MEW 2, 138頁を参照。

[20] Karl Marx and Friedrich Engels, Die Deutsche Ideologie, MEW 3, 212頁。

[21] マルティン・ハイデガー「ヒューマニズム書簡」『里程標2』イ・ソンイル訳、ハンギル社、2005、154頁。白楽晴はハイデガーの「Sein」を老子の「道法自然」、すなわち道が自然に基づくというときの自然、つまり「おのづからそうである」の意味と解釈する。金容沃・朴孟洙・白楽晴特別座談「東学の再認識、今日の道を問う」『創作と批評』2021年秋号、106頁。

[22] 白楽晴「2023年にやるべきこと――生きてきた通りに生きるのをやめよう」『創作と批評』2023年春号、29頁。「統一時代の韓国社会と精神開壁」『文明の大転換と後天開壁』パク・ユンチョル編、モシヌンサラムドゥル、2016、209-12頁参照。ただし彼は、マルクス自身が各個人の自由な発展のための「大衆の心の学びに十分な配慮をしなかった事実」が、20世紀の社会主義圏の巨大な失敗と無関係でなかったという見解を提示する。

[23] “Marx to F. D. Nieuwenhuis, 1881.2.22,” MEW 35, 160-61頁。

[24] イマニュエル・ウォーラーステイン『近代世界体制I』ナ・ジョンイルほか訳、カチ、2013、533頁参照。

[25] Karl Marx, Kritik des Gothaer Programms, MEW 19, 23–24頁。

[26] Karl Marx, Grundrisse der Kritik der Politischen Ökonomie, MEW 42, 412頁。

[27] Immanuel Wallerstein, “Hôtel de l’Amerique,” Espaces Temps 34-35, 1986, 45頁。拙稿「柄谷行人とマルクス」『創作と批評』2014年夏号、367-69頁。拙稿「マルクスとウォーラーステイン」前掲論文、320頁を参照。

[28] イマニュエル・ウォーラーステインほか『資本主義は未来があるか』前掲書、385頁。

[29] イマニュエル・ウォーラーステイン『ユートピスティクス』ペク・ヨンギョン訳、創作と批評社、1999、108-109頁。『創作と批評』2015年春号、61頁を参照。

[30] 拙稿「世界体制分析、脱近代論、「地域の人文学」」『地域と歴史』第27号、2010。

[31] イマニュエル・ウォーラーステイン『歴史的資本主義/資本主義文明』前掲書、129–30頁。『わたしたちが知る世界の終焉』前掲書、102-103頁を参照。

[32] イマニュエル・ウォーラーステイン『歴史的資本主義/資本主義文明』前掲書、110頁を参照。

[33] Marcello Musto, 前掲記事。

[34] 大胆なムストは、中間階級に対する省察が、自分にはグラムシ(A. Gramsci)の覇権概念を思い出させると答えている。同じ記事を参照のこと。