창작과 비평

[特集] ケアの市民性と文学の共同領域

創作と批評 202号(2023年 冬)目次


特集/生をケアする社会のために


ケアの市民性と文学の共同領域

白智延(ペク・ジヨン)

文学評論家。評論集『迷路の中を疾走する文学』『小さな物語の自由』など。



1、ケアの政治、ケアの市民性


ポストコロナ時代に入って、伝染病による隔離と断絶の記憶は、いつの間にか生の新たな危機感覚として定着した一方で、パンデミックの初期に予告された景気低迷は物価暴騰につながり、私たちの日常を日々脅かしている。世界的に経済危機や気候危機、戦争の危機が深まり、韓国の国内政治も、健全性を名分に緊縮財政をかかげ、市民の生活はさらに苦しくなっている状況である。

災害や安全に対する防備すらできないこの政権は、財政面でも「誰のための国家なのか」という嘆息が出るほど、民生とケアの領域を徹底的に無視している。先日、大統領が全国女性大会に参加して、「ケアと育児に確実に財政を投入し、女性の社会進出を制約する要素を取り払う」 と発言したのも、やはり民生ケアの意志とは距離のある話である。通常の公共予算を削減し、すべての事業を民営化するという覚悟だけが感じられる。実際に政権が最近発表した2024年予算の中で、弱者福祉と公共サービス部門はおぞましい規模で削減された。高齢者療養施設や障害者施設支援、児童ケアサービス、脆弱階層の雇用奨励など、国民に当然のように使われるべきすべての費用が一斉に削減されたのである 。

構成員の生のケアを疎かにする国では、民主主義的な価値もやはり生存し得ない。言い換えるならば、民生を生かすきちんとした政治が行われるには、ケアが民主主義の核心的に価値に据えられるべきである。市民の安全や生命、福祉を慎重にケアし、彼らが夢見る価値を反映する時、民主主義の政治は初めて実現しうる。アメリカの政治学者ジョアン・C・トロント(Joan C. Tronto)は、民主主義とケアの緊密な関係を説明しながら、民主主義の欠乏はケアを受け入れたときに解決しうるもので、ケアの欠乏もやはりケアがもう少し民主的に遂行されたときに、その解決が可能であると主張する 。

ケアを個人的なものとして認識すると同時に、公的価値かつ公的実践の場として認識するとき、私たちの希望する望ましい民主主義社会の維持も可能である。文学という共同領域において可能な協同と創造の作業も、またよりよい世界を作ろうとする市民的な徳性から生成しうる。ダブリン大学のキャスリーン・リンチ(Kathleen Lynch)とモーリン・ライアンス(Maureen Lyons)は、ケアに関連して市民性を思惟するとき、既存の市民モデルの限界を考察する必要があると主張する 。特に新自由主義においては、進取的で経済活動を営む能力を備えた自立的個人を理想的なものと考える。このような「ケアのない市民」の模型は、経済や政治、文化など、生の公正領域において誰かに依存しない旺盛な「活動力」を強調するが、このように自立的個人が市民の普遍的なモデルとなる一方で、ケアを遂行する関係的な自我は比較的無視されてきた。しかし、ケアの文脈で新たに参考にすべき市民性は、関係に参加する自我の概念である。ケアの市民性は、脆弱性や依存性、相互依存性を新たに思惟することを誘い、その実践は具体的な日常と多様な関係の中で、「よい生」に対する積極的な探索を可能にする。



2、「よい生」と「よき隣人」

――キム・エラン「よき隣人」とクムヒ「武漢アヒル料理店」


イギリスの著述マドリン・バンティング(Madeleine Bunting)は、ケアという言葉が、他人のための具体的で実践的な「行動」であると同時に、他人に対する共感や関心、気持ちを使う「意図」を合わせ持つと言う 。彼女は「ケア自体が倫理、具体的な行為、感情的な反応や思考など、多様な領域にまたがっているので、ケアという言葉にもこのような曖昧さが込められざるを得ない」と強調する 。ケアの関係的な性質が強調されるのは、すべての存在が互いに依存しており、相互のケアを必要とするという事実に由来する。関係的価値としてのケアは、個人が自律的で独立的に作る世界をもとに具現化されるという点で、ケアの市民性も自律と平等の意味をより豊かにする相互の関係網として定義する必要がある。

資本主義体制の競争的現実において、「よき隣人」とはどのような市民を意味するのか。自らの生を忠実に生きると同時に、誰かの困境に配慮し、悩み、助けることは、過酷な過程を必要とする。キム・エランの「よき隣人」(『創作と批評』2021年冬号)が描くケアの困境も、そのような点で鮮やかな実感として迫る 。コロナ発生後の景気低迷と不動産価格の暴騰、住居不安、格差の現実を描くこの作品は、資本主義体制が生産する剥奪と焦りの心理を立体的に形象化し、自らの生を忠実に生きようという願望が、よき市民の徳性とどのように出会いうるか、ケアの観点から深く真摯に探索する。

物語は、上の階に新たに引っ越してくる新婚夫婦が、インテリア工事の騒音に対する了解を求める場面から始まる。家で子供たちの読書の授業を指導する「私」にとって、授業時間に聞こえてくる工事の騒音は大きな悩みとなる。家の値段がこのように上がっている時期に、新婚夫婦が自分たちで稼いで家を買ったという事実に微妙な萎縮感を感じた「私」は、現在、住んでいる借家に引っ越してくる新しい家主も、やはり自分と似た年齢の夫婦だという事実を想起する。上の階の夫婦は「よき隣人」になるといって礼儀正しく挨拶してくるが、実際の工事が進んでからは約束とは異なり、工事の騒音に特別な措置を取らない。4年前に借家に引っ越してきたとき、無理をしてでも家を買うべきだったという後悔は、「私」と夫の心に重くのしかかり、不動産価格の暴騰の前で彼ら夫婦が感じた欲求不満と無気力は、「新聞に連日更新される数字やグラフを見て不安になり、ついに黙っていられなくなったいくつかの瞬間」(168頁)として描かれている。結婚初期にユニセフを定期的に後援する施しの生を夢見ていた夫は、何度も引っ越しを重ねる過程で、自分の家を買う希望すら失って無力になった状態である。「僕が貪欲だったり投機をしているわけではないよ。ただ少しだけ生存したいだけなのに。持てる者はほんの少しの税金にも駆けずり回って被害者になるまいとイライラしているのに、そのはしごから転げ落ちた僕も、少しくらい悔しがってはいけないのか?」(179頁)という夫の訴えを、競争で負けたという挫折感と剥奪感を余すことなく表出する。

小説は、生計の圧迫と住居不安の問題を細かく描きながら、いかなる方法をもってしても自分の気持ちを守ろうとする主人公の切迫した悩みと思惟を浮き彫りにする。「私」がマンションで子供たちを集めて家庭教師をすることは、生計を立てる職業であると同時に、「育児とケアに疲れた親たちが息をつける時間を見つけられるよう」(172頁)手伝ってやるという意味を持つ。さらに障害で外出が自由にできないシウのために、個人的に訪問指導を続けることは、自分に教えることのやりがいとケアの喜びを感じさせる。リハビリの過程で挫折し、世の中の差別に心の扉を閉ざしたシウは、「私」との読書の授業で唯一自らの考えを吐露する。共同体、隣人、連帯などのような言葉に深い懐疑を感じるシウの話を聞き、読書の討論を導きながら、「私」は「教養を売ったり入試ビジネスなどではなく、人を生かすこと」(173-74頁)の価値とやりがいを感じる。

しかし、ケアの連帯と自己成就が達成されたシウとの授業は、意外なきっかけで挫折を迎える。小説は自らと似たような家庭のように見えたシウの家族が、新築のマンションを購入して引っ越すというニュースを聞いて感じてしまった、「私」の驚きと虚脱感の正体を執拗に掘り下げる。このあとシウを教えに行けるかどうか確信を失った「私」は、自分が感じる得体の知れない空虚さが向き合っていた、あるいは同情していた対象が、よりよい位置に移動したことから来る虚脱感なのかと考えてみる。この空虚さは、他人と「価値」と「速度」を共有するということはいかなることであり、「よく生きるということ」はいかなることなのかに対する疑問につながる。

「私」の問いは、もし不動産価格がこのように上がらず、労働価値が落ちなければ、自らも上の階の夫婦のように余裕ある笑顔を見せられるかということに具体化される。「私たちが豊かに暮らせば、私たちの方が「もっと」豊かに暮らしたくなるのではないか? それでも隣人のことが思いやれるか? 若干の善意と教養で、たまにどこかに寄付をして、進歩的な雑誌を購読するくらいに、私たちがよき隣人であると勘違いして生きるのではないか?」(193-194頁)――このような悩みは、語り手が競争と比較の中の相対的な剥奪感から自由になり、自らが失った価値がどのようなものかを考える過程を提供するという点で重要である。

タイムマシンに乗って戻りたい時代について聞くと、夫は家賃が上がる前だと思わず答える。喘ぐような人生で2度の流産を経験した「私」が夫と分かち合いたいのは、「私たちだけが知っているあの時、私たちの子供を救えた時」(194頁)についての慰労と物語である。いつの間にか日常に埋もれたその記憶は、本当の失われた生の価値がどのようなものかを痛感させる。つらい隣人のケアをして、他人の生を思いやる心の世界は、夫が捨てようとしていた小説の1ページにも浸透していたようである。


20数年前、夫が鉛筆で弱く下線を引いた文章だった。だが、その部分を確認しようとした瞬間、センサーが消え、まるで誰かが息でろうそくの火を吹き消したかのように、四方が闇に包まれた。虚空を手探りしてセンサーが点灯するのを待った。しばらくすると周囲に黄色の光が当たった。私はその光を頼りに、夫が下線を引いた文章を目でゆっくりと追いかけて読んだ。


おじさん、

シネは低い声で言った。

私たちもこびとです。互いがわからないんですよ、私たちは味方です(193頁)。


小説の最後の場面で、夫が玄関に出してあったのは単なる小説だけでなく、かつて夢見ていた価値でもある。撤去と開発の暴力的な現実を狙った、小説の中の「こびと」の家族という象徴は、数十年が経過した後も、相対的な貧困と格差の深化の中で、他のこびとたちの生活につながっていく 。「私」が住んでいるマンション団地でも、誰かが生計のために配達を急いで事故に遭う。小説は「私」の言葉を通じて、「人」でなく「財産」を守りたいと考える生をのぞき込み、「他人の欲望は貪欲で、自分のものだけを欲求のように感じられる」(同頁)生の苦痛を物語る。この小説は、相対的な剥奪感とそれによる羞恥心を見つめる過程が、隣人をケアする市民の心とどのようにつながるか、静かな問いを投げかける。

パンデミックが引き起こした経済危機の中で、日常を生きる市民たちの姿は、クムヒの「武漢アヒル料理店」(『創作と批評』2020年冬号)にもよく描かれている 。感染病による封鎖や隔離、コロナ無気力症に苦しむ中国の状況を鮮やかに描いたこの小説でも、ケアの問題は女性たちの視角から描かれている。3500年の歴史を誇る都市「武漢」は、ある映画に出てきたアヒル料理で有名になったが、感染病の発源地とされている。その責任は「武漢アヒル料理店」の看板を掲げた小商工人にそっくり帰されるが、このような過程は、小説で「文字通り息を殺して生きなければならなかった76日(2020年1月23日~4月8日)の後に、「武漢アヒル」は 復活を試みたが、かつての高速列車ターミナルのように広がった全国の多くの都市の「武漢アヒル」の看板は、今回の災害でいくつも生き残れなかった」(145頁)という記述で簡単に紹介される。

この作品は、都市中産層の子供ソホンと農村で生まれ育った「私」の出会いを通じて、1980年代に生まれた「八〇後」(バーリングホウ)世代のアイデンティティ追求を興味深く描き出す。「私」は、公務員の親の惜しみない経済的支援と育児ケアを受けて豊かに生活してきたソホンのことがうらやましい。だがコロナの景気後退により、ソホンの家族も他の人々のように経済危機を経験し、そのことが家庭不和につながる。「私」もやはり食費の足しにと運営していた放課後の学習塾「宿題班」が無期限休業し、夫の職場も経営が困難になり、自分たちの生活も大変だが、ソホンの悩みや困境を無視せずに、彼の食堂創業とその奮闘ぶりを見守りながら助けを与える。

小説が示す活力と躍動感は、これまでの人生できちんと独立したことのないソホンを、暖かくも鋭い視線で評価し形象化する視線を通じて作り出されている。ソホンは料理の実力がまったくなく、体も弱く、忙殺されながら赤字だけが増える食堂を簡単にたたむことができない。「私はね、人生がめちゃくちゃなのよ。この年でできることなんて何もないし。子供もひとりで育てられず、金も稼げず、夫婦の間もきちんとできなかった。今、私にはこの店しかない。とにかくやっていかなきゃ私は生きていけない」(144-45頁)という彼女の告白は真摯に迫ってくる。一生を通じて父の経済的支援と下支えから自由でないソホンは、何とか自分の店を運営し、自分で人生を生きようとする。小説は、ソホンの姿を通じて、中国の改革開放の流れの中で、親たちの世代とは異なり、経済的に豊かに成長した人物がぶつかる、自立に対する苦悩を実感的に表現する。語り手がソホンに抱く友情や関心も、階層や地域の違いを越えて同世代として持つ理解である。

ソホンが権威主義的な父親に感じる圧迫は、警備員のプン氏のエピソードとつながり、コロナ時期の中国の社会的な雰囲気を直接伝える。防疫と封鎖によって一層威圧的に作動する監視体制と官僚主義は、マンションの入口でプン氏と出前の少年が繰り広げるケンカとして描かれる。プン氏は堂々とした権威とリーダーシップで、かつてはマンションの防疫を担当する英雄と呼ばれたが、官僚的な指示命令しか知らない人物で、住民の困境を理解することができない。ソホンがプン氏に持つ反感も、彼が自分の父、さらには家父長体制の権威主義的な姿に類似しているところに起因する。


「あなたはそんな感じがわかる? まったく腰に力が入らない無力感、いくらバタついても出られないドロドロの泥沼、いつもはまるけど、どこにも埋められない漠然とした感覚。父さんは声が大きすぎた。私は父さんの前で歌を歌ったことも声を出したこともなかった。父さんは私がただいいい娘であることを、どんな状況でも感謝と恩恵だけ知る人間であることを望んだのよ」。こう言ってソホンは一度深呼吸をした。私たちはただの平凡な中国人だった。(148頁)


ソホンは、経済的支援とケア労働をやってくれる親がいるにもかかわらず、親のその統制的な下支えが自分をさらに窒息させたことを吐露する。マンション、車、店、職場、結婚など、すべてを支援したソホンの父親は親切と安全を掲げるが、監視統制体制の中で威圧的にふるまうだけのプン氏の姿と自然に重なる。「私」がソホンに共感したのも、位階的な構図から自由になって独立しようとする、彼女の意志に感応したからである。加えて「私」のソホンに対する気持ちは、伝染病で困難に直面した隣人の生活に対する、同僚市民としての共感的な理解と相俟っている。「私」はソホンの依存的な面や怠惰、不十分な体力のことを知っているが、それを非難せずに適切な距離で彼女の自立を助ける。このような「私」の友情は、観察的な次元だけで成り立つのではなく、体を動かす場で形成される。食堂のメニューにともに悩み、時には惣菜を持ってきてくれたり、皿洗いを手伝ってくれるが、「私」が心から望むのは、ソホン独自の特別メニューを作ってもらうことである。この小説で、隣人と育むケアの生は、パンデミックが動揺させた体制的な危機や困境を克服しようとする努力に基づいている。ソホンが自分だけの生を見出して、父娘の関係がいい方向に進むことを望む「私」の切実な気持ちは、同僚市民として「私」の持つ真のケアから出てくる。このようにクムヒの小説が示す「隣人」への気遣いや配慮は、ケアが市民的な徳性と出会い、世界を眺望する広い視線とつながっている地点をよく示している。



3、ケアの時間性と脆弱な存在の理解――ペク・オニュ『ペパーミント』


ペク・オニュの小説は、ケアの市民性と関連して、いかなる作品よりも豊富な問題を提起している。10代の若者の語り手の視点と感情を精緻に描く彼女の作品は、災害や惨事の後の回復と成長を描き続けてきた 。火災事故の生存者が告白するトラウマと成長の時間を記録した『ユウォン』(創批、2020)や、ヤングケアラー(家族ケア青年)のケアの現実を描いた『ペパーミント』(創批、2022)、また家出青少年の現実を扱った『境遇なき世界』(創批、2023)まで、彼女の小説世界は、韓国社会が置かれたケアの現実の困境を総体的に探っていると言っても過言ではない 。

『ペパーミント』は最近社会的な問題として浮上するヤングケアラーの問題を全面化した作品である。職場を辞め、学業や就職をあきらめたまま、親のケアだけに時間を費やす家族ケア青年の生は、ケアの現実の危機を圧縮する主題といえる 。19歳のシアンは、平素から往来があったヘウォンの家族のために致命的なウイルスに感染し、植物人間の状態で闘病中の母親を6年間ケアしてきた。ヘウォンの家族は地域社会でスーパー感染源者の烙印を押され、地方に転居後、知人たちと連絡を絶って過ごしているが、シアンがヘウォンのところに久しぶりに訪れて再会が始まる。小説の中の2人の家族の物語は、自然とコロナ初期の発生過程を想起させる。

「植物的な人間をケアすることと植物を育てることはある程度似ている」(10頁)というシアンの告白からも感知されるように、この作品は、幼い年齢で甘受しなければならない家族ケアの困難を濃厚に描く。植物人間となった母親の味覚を覚醒させるために、毎日ペパーミント茶を作るように、シアンが母親と全力で感覚的な交流を試みる日常は、ケアの過程のきめ細かな形象化を通じてよく描かれる。一方、この小説がケアを受けるシアンの母親を対象化せずに生きた存在として鮮やかに描いている点も注目される。小説は、シアンが想像する健康な時代の母親と病室に横たわる母親の姿を交差させ、脆弱な人間の生を立体的に形象化する。定期的にオムツをかえないと悪臭が漂い、少しでも目を離せば生存の危険にさらされる母親の身体は、絶対的なケアと献身、そして愛を求める。シアンは植物人間である母親を、誰よりも尊厳をもって対処する看病人の「崔先生」を通じて、看病の知識を得ることはもちろん、少しずつ心の成長も遂げていく。

家族ケア青少年の生を物語の中心に置いたこの作品の流れが、「ケアの時間性」をよく描いている点は注目に値する。変化きわまりない成長を重ねる十代の年齢で、母親をケアしなければならない状況は、学校と友人からシアンを隔離させる。看病を含め、育児、家事など一定の反復労働を要求するケアの時計は、一般の社会生活とは異なった形で流れる。マドリン・バンティングは、ケアの時間が「社会が時間を理解して描写する方法とかなり矛盾する状況」に、ケアの主体を押し込んでいることを強調する 。彼女によると、ケアの提供者は予測不可能であると同時に反復労働を求められる。「即刻性」と「統制の可能性」を重視する成就中心の世界では、ケアに必要な「ともにいること」や「細心の注意で見ること」の課題を遂行することは難しい。このように、ケアの時間が求める反復的で献身的な労働は、急変する成長の時間を経る青少年の生と正面から衝突せざるを得ない。

「昨日と今日の異なる点を一つでも記録してはじめて時間が流れるのを受け入れることができた。私はときおり今が夏なのか冬なのか混乱する。私が13歳なのか17歳なのか考えて、19歳であることに気づいてとても驚く」(72頁)。イオン飲料で母親の舌を刺激し、フィーディングして、爪を切って、排便をチェックするシアンの日程は、看病に集中することで、それこそ循環的に流れる。自身が社会と家族の愛とケアを受けるべき対象であるにもかかわらず、むしろ保護者となって病人の脆弱性に耐えて献身する困難を経験するのである。シアンは母親の生命が自身に完全に依存していることに恐怖と圧迫を感じる。

このようにシアンとシアンの父親が反復ケアの時間を過ごしているとすれば、ヘウォンと家族は伝染病を感染させたという理由で自責の時間を過ごす。この小説が捉えるケアの危機が、ケア提供者の切迫した現実に対する注目に劣らず、災害と危機に対応する国家と市民共同体の役割に対する重要性を換気する地点もここから始まる。ヘウォンの母親は「よく考えてみると、私たちに法的な責任のようなものはなかったわよ。母さんの職場の同僚たちとあなたの塾の父兄たちが訴えていた求償権請求訴訟も棄却されたし。父さんは反対したけど、母さんがなんとか言って、シアンの家族にだけは元手のお金を作ってあげたわ。これ以上、何をどうしようっていうの?」(203頁)と状況をつとめて合理化するが、ヘウォンは「気持ちをととのえて最善を尽くし、過去の過ちを遅らばせながら収拾するための何らかの措置を」(206頁)母親に求める。災害の復旧と日常の回復の過程で、実質的な制度的支援と同様に重要なのは、心と心の交流である。大人たちができなかったり実際にやっていない共同性の回復と和解は、むしろ子供たちによって試みられる。シアンはヘウォンに会いたい気持ちで直接学校を訪れ、ヘウォンはシアンの母親の状況を遅れて知った後、それなりの責任を果たそうと努力する。

結局、作品の中のケアの物語は、長いケア生活に疲弊したシアンが、ヘウォンに母親の酸素バルブを閉めてほしいという残酷な依頼をする状況につながる。泣き面にハチで、長い看病に疲れたシアンの父親が、妻の命を先に脅かす極端な状況にまで至る。看病の期間中に不安定な職業を転々として、衝動的に間違った選択をするシアンの父親の姿は、ケアの生が個人の倫理的な決断だけでは不可能な共同の実践的問題であることをよく示している。日常的な生活をきちんとできなかったシアンが、それでも母親の看病を続けることができたのは、彼女を安定的に支援してくれる看病人の崔先生のおかげだったが、彼女もやはり障害を持つ息子のケアをする立場なので、制限的な支援しか与えられなかった。

『ペパーミント』は、感情的交流の対象として母親に対するシアンの心のこもったケアの過程を描きながらも、話を鮮明な希望の物語に導くことはない。結局、療養病院に行くことになった母親を心配するシアンに、崔先生は「善意を信じる心」について語るが、ヘウォンは「世界の善意」が信じられるかについて留保的である。ヘウォンとシアンは、互いの傷をこれ以上さらさないために、もう会わないことにする。彼らがやりとりする最後の会話は印象的である。「事実、すべての責任をあなたに任せるのが無理なこともわかったよ。あなたが父さんを止めてくれてよかったと思う。母さんをそのように見送るとしたら、永遠に罪人として生きたでしょうね」(264頁)というシアンの言葉は、それぞれに傷ついた心の場所をしばらく保たざるを得ない現実の重みを感じさせる。あわせてこのような結末は、話が終わっても持続するヤングケアラーの生が、国家制度、家族、学校、友人などにわたって多様に提起するケアの問題を、私たちに熟考させる意味を持つ 。


文学が描くケアの市民性は、人間存在の本性や紐帯を相互依存的に見ながらも、主体の力量を考慮する実践的な可能性の世界がいかなるものかを思惟させる。前に見たキム・エランの小説は「豊かに暮らすこと」の欲望が導く、剥奪と恥の情動を正直に透視し、自らの生を真にケアするとともに、隣人の困境を見守る市民の心がいかに可能かを慎重に模索する。小説が夢見る真の「よき隣人」は、画一化された価値に競争的に耽溺する世界ではなく、「ともにケアすること」が作る世界において可能であろう。

クムヒの小説は、災害を生きる人々の生に対する繊細な洞察に基づいて、威圧的に作動する世代意識と家父長制の権威が浸透した日常を形象化する。小説で女性たちの間に発生する隣人としての友情と連帯は、市民の徳目と国家体制に対する省察もやはりうながす。拙く未熟で誰かに寄り添うしかない限り、女性が自立を試みる過程に勇気を与える市民的な徳性が充分に感じられる作品である。

パンデミックの現実において、社会が生と死をどのように扱うか、そして放置されるケアの問題を多角的に指摘するペク・オニュの小説は、ケアの危機の克服が社会的に促されるべきことを何度も強調する。国民の生命と安全を図る国家の制度的支援、社会と市民のネットワーク、また生の価値をケアして回復する物語まで、すべてのケアの連結網が必要である。小説の中の2人は、傷と罪悪感をそれぞれの胸に抱いたまま別れるが、このような結びは新たな始まりを暗示する。危機と災害の中で、国家が当然甘受すべき公共のケアとはどのようなものか、そして家族を越えてすべての市民が共同的に参加すべきケアの世界がどのようなものかを考えさせる、このような物語は、脆弱な存在の苦痛を物語として受け入れながらも、それを理解不可能な領域に置こうとはしない、深い責任感を描いている。ケアの市民性に対する文学の模索も、やはり生を真摯に生きる過程で蓄積される、「いい人生」と「よき隣人」に対する問いから、一歩ずつ進んでいくことができるだろう。


翻訳:渡辺直紀