창작과 비평

[現場] 4·16運動から10年、何が変えられたか/朴來群

創作と批評 203号(2024年 春号) 目次

現場



4·16運動から10年、何が変えられたか



朴來群(パク・レグン) 

人権運動家であり、4·16財団の常任理事。著書に『傷はいずれ語りかける』『我々には記憶すべきことがある』『人のそばに人そのそばに人そのそばに人』、共著に『こんな不平等』『更新』『生き残った子ども』などがある。pl3170@gmail.com



10年という年月が経っても、未だに多くの人々があの日の記憶を語り合う。済州島へと向かう旅客船が沈みかけているという突然のニュースを聞いて受けた衝撃、そして全員救助という報道に誤報とも知らず歓声を上げながら安堵した瞬間、しかし、結局、海の底へと沈没してしまった船体。一人でも多くの人が生還することを心から願ったが、結局乗客476人のうち304人もの人々が犠牲になってしまった。その悲しみや絶望、怒りを全身に感じた全ての過程を我々は鮮明に記憶している。

2014年4月16日以降を生きてきた普通の人なら、この事故を決して忘れることはできないだろう。10年が経った今も、被害者やその家族、そして彼らを支えてきた人々は、未だに事故の真相が明らかにされておらず、責任者の処罰すらなかったと訴え続けている。それは間違いのない事実ではあるが、セウォル号の沈没事故から10年経った今の「我々」の記憶も以前と同じではない。



過去10年を振り返って


尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は2月6日、「セウォル号沈没事故の被害者の個人情報を不正に収集、監視した罪で懲役2年の判決が下された 元機務司参謀長の金大烈(キム・デヨル)、知永官(チ・ヨンクァン)、そしてセウォル号沈没事故の大統領への報告時刻をすり替えるなど、国家危機管理指針を不正に変更した金寛鎮(キム・クァンジン)、金基春(キム・ギチュン)などの大統領府関係者に対する特別恩赦を行った」[1] これは、大統領自身が検察の要職に就いていた時に捜査、起訴した犯罪者を全員釈放した結果となる。海上警察の指揮部も最高裁判所での無罪判決が確定した。これにより、304人の命を奪った大惨事への上層部処罰は全くされなかったと言えよう。事件現場に出動した123艇の金京一(キム・ギョンイル)艇長だけが懲役3年の判決を受け、服役を終えている。あまりにも悲惨な結果だ。

セウォル号沈没事故後の10年は、大きく4つの時期に分けられよう。最初の時期は、災害専門家の言う「蜜月期」。全ての人々が自分のことのように悲しみ、国民を救えなかった国家に怒りを感じた。まず最初に遺族が行動を起こした。セウォル号沈没事故の真相究明特別法の 制定を求める1000万人署名運動は瞬く間に全国に広がった。署名運動を開始してから約1か月で350万人の署名を集め、国会に提出された。2014年11月、真相究明特別法(4・16セウォル号惨事の真相究明および安全社会の構築等のための特別法)が可決されるまで、署名運動は続き、650万人もの人々が署名に参加した。当時、人々は「絶対忘れない」「黙ってなんていない」「最後までそばにいるから」と声を上げた。「こんなの国と言えるか!」という嘆きの声もあった。

 我々の生きる世の中を省察する機会にもなった。競争と効率、富ばかりを求め続ける野蛮なシステムのもたらした悲劇であったことに共感し、現代社会の野蛮さについての省察が広範囲に及んで行われた。我々は、単に運よく生き残った「セウォル号の生存者」に過ぎないという自覚が「4・16以後はそれ以前とは違うべきだ」という約束、誓いへとつながった。失いかけていた共感力を取り戻した時間でもあった。遺族たちは光化門(クァンファンムン)広場に抗議テントを張り、遺族の金泳五(キム・ヨンオ)氏は46日間の断食を続けた。市民たちは「同調断食」や「イエローリボン工作所」での黄色いリボン作りなどで応援した。セウォル号のために全国民が一つになった瞬間であった。

政界でも当初は与野党を問わず黄色リボンをつけて哀悼の意を表していた。しかし、国会で単純な「海上交通事故」に過ぎないと言い張っていた当時与党であったセヌリ党は、コントロールタワーの不在を追及されると一変し、遺族への攻撃を始めた。遺族が補償金の金額を上げるために無理強いをしているというデマが一瞬で広がった。その後、 インターネットコミュニティサイトである「毎日ベスト(イルベ)」のユーザーらが断食中のテントにやってきて、その隣で「暴食抗争」を行うなど、信じがたい行動に出始めた。人々の哀悼と共に、一方では憎しみと嫌悪の政治が始まっていたのである。

「4・16セウォル号惨事特別調査委員会(以下、特調委)」が設置されたが、政府の妨害により調査活動は妨げられた。当時、与党は特調委をあたかも「税金泥棒」であるかのように扱い、政府も被害者への補償金額を誇張して発表するなど、それに同調する行動を取った。激しい怒りを感じた遺族たちは集団で髪を剃り、安山(アンサン)から光化門まで行進した。政府が約束したセウォル号の引き揚げは先延ばしにされたままで、朴槿恵(パク・クネ)政権の圧制政治は封建時代に逆戻りしたようだった。文化芸術界においてはブラックリストが作成され、遺族を含む黄色リボンをつけた市民たちは公然と敵対の対象となってしまった。

第二の時期は、市民の力によって不正な権力を打倒した「勝利の時期」である。2016年の下半期に入ると、雰囲気は一変した。朴槿恵政権の不正行為が次々と暴露され、広場はロウソクで埋め尽くされた。そして、ロウソク集会の行進の最前列には常にセウォル号事故の遺族たちが立っていた。市民たちも彼らが最前列に立つのを当然のことと考えていた。「ロウソク革命」の結果、朴槿恵大統領は逮捕され、セウォル号は引き揚げられて地上に姿を現した。セウォル号事故への怒りは社会の変革を求める様々な行動と相まって弾劾を導く重要な動力として機能したのである。しかし、その一方で「太極旗集会」の勢力も徐々に増していった。 

第三の時期には、ロウソク政府を自称する文在寅(ムン・ジェイン)政府が発足した。セウォル号事故から3年後の出来事だ。セウォル号は朴槿恵の弾劾と同時に引き揚げられ、朴槿恵が逮捕された日に木浦新港に到着した。船体の内部からトラックや構造物、泥などを取り除き、行方不明者の捜索活動が行われた。それまで行方不明だった9人のうち、4人の遺体が発見された。船体調査委員会(以下、船調委)は、船体を詳細に調査した結果、沈没の原因について船体内部の問題とみる「内因説」と外力の可能性を排除しない「開かれた案」の2つの説を総合報告書にまとめた。しかし、結論は合意に至らず、真相究明を待ち望んでいた市民たちは失望した。能動的に行動し政権さえも交代させた市民たちは、文在寅政権に権力を委ね、その下で社会的惨事特別調査委員会(以下、社惨委)を発足させたのである。 社惨委は、加湿器殺菌剤事件とセウォル号事故の真相を明らかにすると同時に、安全な社会のための対策提案、被害者のための支援に取り組むなど、人員や期間、権限に根本的な限界を持ちつつも3年6ヶ月間の活動を展開した。社惨委は2022年6月に調査を終了し、9月に報告書を発表した後、活動を終えた。 

この過程で、文在寅政権はセウォル号事故の真相究明を船調委や社惨委に任せたまま、積極的には取り組まなかった。文在寅大統領が検察総長に任命した尹錫悅は、検察内のセウォル号事故特別捜査団と特別検察の調査活動を妨害した。 そのような状況の下でも、遺族や市民たちは責任者を告発する運動を粘り強く展開していった。その努力の結果、特別調査委員会の調査を妨害した金基春大統領府秘書室長などの高官責任者、救助責任を果たせなかった海上警察庁の指揮部、遺族を不正監視した機務司関係者などが起訴された。[2] しかし、文在寅政権に対する不満は避けられなかった。 「積弊の清算」は棚上げ状態で、与党の共に民主党(以下、民主党)の主要議題の一つであったセウォル号事故の真相究明も徐々に力を失っていった。さらに、 文在寅政権下で発生した新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、災害事故に対する根本的な視点と対応体制の変化が求められたが、有意義な変化をもたらすまでには至らなかった。 

尹錫悅政権が発足した第四の時期に入ると、状況はさらに深刻になった。 社惨委の勧告は無視され、起訴されていた関係者たちも無罪放免、もしくは大統領恩赦によって釈放された。生命安全公園の建設は先延ばしとなり、4・16財団への予算支援は削減された。民主党は依然として多数派を維持していたが、改革は勢いを失い、むしろ後退してしまった。セウォル号事故の痛ましい教訓を忘れ、形式的な安全さえも後退しつつあった中、まるで嘘のように10・29の梨泰院(イテウォン)事故が発生した。さらに、2022年夏、豪雨による半地下住宅浸水事故や、2023年7月15日の五松(オソン)地下車道で起きた浸水事故など、気候変動による新たな形の災害も相次いで発生している。依然として国家は不在であり、真相究明と責任者の処罰は不十分であった。尹錫悅大統領は梨泰院事故特別法の制定に今も拒否権を行使している。我々は今、災害被害者への政府の非人道的な対応を目の当たりにしているのだ。 

去る2022年2月4日に開催された4・16セウォル号惨事遺族協議会の総会で、金鍾基(キム・ジョンギ)運営委員長は次のように述べた。

「普通に職場に出勤し、愛情と真心を込めて子供たちを育てながら些細な幸せに感謝し、平凡な日常生活を過ごしていた私たちが、あまりにも信じがたく到底受け入れることのできないセウォル号事故によって、一瞬にして愛する子供、家族を失い、セウォル号の遺族という身分になってからもう10年経ちました。一人も救出できず、なぜあんなに無残に死ななければならなかったのか、なぜあの大きなセウォル号が突然沈没したのか。それを明らかにするために、子供を失った私たちは痛みと苦しみを抱えながらも親の義務を果たそうと必死に闘いました。しかし、その数多くの痕跡すら、いつの間にかどんどん薄れていき、今は記憶を辿らなければならないほど時間が経ってしまいました」[3]

子や親を失った遺族、行方不明者の家族、そして生存者たちの時間は彼らの言う通り「2014年4月16日」のまま止まってしまった。時には、今を過ごしながらも、知らず知らずのうちにその日に戻っている自分に気づき、そして、その場にいた大切な人の不在を何回も実感しなければならない人々、それがまさに被害者たちと言えよう。そこには常に苦痛が伴う。その苦痛を乗り越える方法は、事故で亡くなった命を無駄にしないことだ。それは遺族たち自らが見つけ出した課題でもある。二度とこのような悲劇が繰り返されないようにすること。そのためには、真相究明と責任者の処罰という困難な過程を乗り越えなければならない。だからこそ、諦めることができないのである。



社会の道標となった4·16運動


セウォル号沈没事故の被害者と彼らと行動を共にする市民たちは、この運動を4・16運動と呼ぶ。4・16運動は、単に真相究明と責任者の処罰を要求しているだけではない。セウォル号沈没事故により確認された野蛮性を克服し、全ての人々の命が尊重される安全社会へと向かうことを求めているのだ。そこには、災害事故を政治的な利害関係と捉え、責任逃れしようとする政治体制の変化も含まれてる。政治の変化がなければ、危険な社会のまま、何も変わらないことは目に見えているからだ。「4・16以降は、それ以前とは異なるべきだ」という約束と誓いを実践しているのである。

これまで、韓国社会における災害事故の対応には、ある公式のようなものが存在した。災害が発生すると、常に初動対応は不十分であるか、場合によっては放棄してしまう。そして、災害後は政府の責任者や政治家らが遺族を丸め込み、適当な補償を約束する。それと同時に被害者同士を分裂させる。さらには、追悼と記憶に対する守れもしない約束を交わし、早急に葬儀を行うように促す。もし災害が政治的に大きな波紋を引き起こした場合などには、国会で国政調査が行われたり、検察と警察の捜査を進めたりもするが、結局は、下僚のみが罰せられるに止まる。真相究明は棚上げされ、責任者は責任逃れしようとする。形だけの謝罪とともに、人目につかない場所に慰霊塔が建てられる。数多くの約束をした責任者や政治家にはそれ以降は会うことさえも難しい。それで終わりだ。

セウォル号沈没事故以来、このような公式が変わった。遺族たちは受動的な被害者の立場にとどまらず、自ら運動の主体となって行動した。被害者たちの積極的な行動が災害問題を社会化することに大きく貢献し、災害共同体が形成、維持された。全国各地で黄色いリボンを作って分け合い、プラカードを持って署名運動を行った。「4月16日の約束国民連合」は被害者と市民が共に立ち上げて活動している団体だ。多くのセウォル号事故の遺族たちは国家の補償を拒否し、国家を相手に損害賠償訴訟を起こして国家の責任を認めさせた。その賠償金を出資し、4・16財団を設立したのだ。

屈することなく事故の真相究明と責任者への処罰を求める彼らの4.16運動は、三つの真相究明関連特別法の制定とその特別法に基づく国家の調査機関の設置を導き出した。これは以前の災害事故では見られなかった成果である。未だに真相究明は未完のままであるが、このような積極的な行動がなければ、これまでに明らかになった事実すら我々は確認できなかったであろう。確かなことは、セウォル号事故以後、災害事故においては補償よりも真相究明と責任者の処罰が優先されたということであり、それに伴い、従来の公式も変わったという事実だ。イテウォン事故の被害者たちもこの変わった公式に従って動いているのである。

4・16運動は、我々に「記憶」の重要性を改めて気づかせた。以前の災害事故では、正確に記録されることは稀であり、追悼の場や哀悼の象徴物もなかった。しかし、セウォル号事故においては、最初から記録作業がなされ、その後、多くの記録資料が作成された。以前の災害事故では、記憶の場の保存自体がなかったが、セウォル号事故においては、追悼のための生命安全公園が安山市民のよく訪れるファラン遊園地内に建てられることになった。未だに着工式も行われていないが、公園の敷地を遊園地内に確保したということ自体に意味があろう。生命安全公園は多くの市民が行き来する場所であるため、事故からの教訓を与える役割を果たすと思われる。また、引き上げられたセウォル号の船体を保存し活用することも決まっており、推進中である。事故の痕跡と記憶を消し去った過去の時間を乗り超える新たな取り組みが行われているのだ。

4・16運動は、我々の社会に明確な道標を示してくれた。最初から「被害者の権利」を主張し、そのような努力から「4・16人権宣言」を導き出した。この宣言は、以降「被害者権利のマニュアル」(4・16財団、2021)を作り出し、生命安全基本法制定運動へとつながった。2020年11月に国会に提出された生命安全基本法は、安全権と被害者の権利を定めており、安全影響評価制度を導入、独立した重大災害調査委員会を常設的に運営するなどの内容が盛り込まれている。セウォル号事故で目の当たりにした危険社会を克服するための市民の議論と懸念が集約されたものと言えよう。

さらに、セウォル号事故の被害者たちは、他の災害事故の被害者とネットワークを形成し、共同で活動することにした。昨年11月には、過去発生した三豊(サムプン)百貨店崩壊(1995年)、シーランド青少年修練院火災(1999年)、仁川(インチョン) 仁峴洞火災(1999年)、大邱(テグ)地下鉄火災(2003年)、加湿器殺菌剤事件(2011年)、公州(コンジュ)教育大学附属高校兵営体験学習事故(2013年)、セウォル号沈没事故(2014年)、ステラデイジ号沈没事故(2017年)などの被害者たちが一堂に会し、「災害事故被害者連帯」を結成した。そして、これらを支援し、専門的な安全社会運動のハブとして機能する「4・16財団附属災害被害者権利センター」が設立され、本格的な活動が開始された。被害者を中心に動くこれらの活動が目指すところは何であろうか。



生命の尊重と安全社会というキーワード


4·16運動はこれまで2つの軸で展開された。1つは真相究明と責任者の処罰で、もう1つは生命の尊重・安全社会運動である。被害者を中心とした運動が前者とするならば、セウォル号沈没事故以後の安全に対する市民たちの高まった要求を中心に変化を起こしている運動が後者と言えよう。

2021年に重大災害処罰法が制定されたのは、セウォル号沈没事故から始まった生命の尊重・安全社会運動が支えてくれたからである。50年ぶりに産業安全保健法が制定された理由も同じであろう。安全権に対する社会全般の認識が高まるにつれて、産業災害や社会的災害、自然災害などを別々の問題として認識することなく、これまで問題視されなかった死も社会的な問題として取り扱われるようになった。

1月10日、セウォル号惨事10周期委員会は、セウォル号沈没事故10周期を100日控えた記者会見で次のように述べた。「セウォル号沈没事故を境に、私たちは尊重され、安全に生きる権利と国家の責務について新たな認識を持つようになりました。市場と権力は変化を拒んでいますが、私たちはもはや昨日の私たちではありません。私たちが共有している記憶は、被害者と市民の皆様との継続的な会合、交流、連帯を通じて築かれてきたため、大きな力を持っています」[4]

「昨日の私たちではなく、今日の私たちはどこへ向かうべきか?」という問いに、果たして我々は10年間どれだけ真摯に答えてきただろうか。10年前、沈没するセウォル号を悲しみと怒りで見守るしかなかったその瞬間から、我々はどれだけ前進しただろうか。実は、沈没するセウォル号という船から未だに降りられずにいるのかもしれない。このまま誰も生き残れないことを知りながらも、船と一緒に沈んでいくしかないのか自問せざるを得ない。

10年間の時間が無駄でなかったならば、命の尊重と安全な社会という方向性に同意するならば、今こそ変わらなければならない。気候危機による災害がより強力に頻繁に発生しており、それが真っ先に弱者を巻き込むということを知っているならば、直ちに変化すべきだ。「気候変動は決して自然災害だけで終わらない。どんな災害であれ、最終的には自然災害が人間を飲み込む前に、人間同士で飲み込もうとする争いが始まるからだ。現在、紛争地域で高まっている戦争リスクは、気候変動という激変を身に感じた人間たちが、レミングの群れのように崖へと駆け上り始めたという警告なのかもしれない。自然災害を災いへと向かわせない方法は、科学や技術ではなく、まさに政治にあると言えよう」[5] 後進的な政治、災害事故を消し去ろうとするような国から脱しなければならない。そのためには、何よりも命の尊重と安全な社会作りを促すような政治に投票することから始めて政治を変え、社会的弱者たちも含め、共に生きるコミュニティを目指すべきだ。

沈没する船内でお互いに救命胴衣を譲り合い、結局は救助されなかった人々に、我々は未だに変化した世界への可能性を示せていない。10年前の4月、共に苦しみ、約束し、誓い合った、その瞬間を振り返る時であろう。それは彼らのためではなく、現在を生きている我々自身、そして次の世代のために必要なことなのだ。いくら困難であっても諦めることのできない道程だ。我々は、もはや過去とは違う能動的な市民なのである。今もセウォル号は問いかけている。いかに生きてゆくべきか? 


訳:申銀児(シン・ウナ) 



[1]尹錫悦政府のセウォル号沈没事故被害者への不正監視など、重大犯罪者への恩赦を糾弾する』(社団法人 )4·16セウォル号惨事家族協議会及び4月16日の約束国民連帯の声明、2024.2.6

[2]災害惨事国家責任者(公職者)への不処罰の実態と対策:4·16セウォル号事故における公職者への処罰の実態を中心に」、 国会討論会、2022年12月1日参照。その後の裁判の結果、ほとんどの責任者は無罪を言い渡されたか、もしくは尹錫悦政権で特別恩赦を受けた。

[3](社団法人)4·16セウォル号惨事家族協議会、8年目の定期総会の資料集参照。

[4]セウォル号沈没事故10周期D-100、記憶・誓い、記者会見文、「4月16日、あの日の約束を記憶しながら市民の皆様に送る言葉」、セウォル号惨事10周期委員会、2024.1.10。

[5]イ・スギョン、『気候災害時代を生き抜く方法』、グンリ、2024、34頁。