창작과 비평

[特集]‘変革的中道’の時が来た

創作と批評 207号(2025年 春号) 目次

特集

“変革的中道”の時が来た



白楽晴(『創作と批評』名誉編集人)
ウル大学名誉教授。著書『民族文学と世界文学1/人間解放の論理を求めて』(合本改訂版)、『白楽晴会話録』(第1~8巻)、『西洋の開闢思想家 D.H.ロレンス』、座談集『開闢思想と宗教勉強』、『世界的なK思想のために』などがある。

 年末ごとに“白楽晴ТV”と「チャンビ週刊論評」に同時に発表してきた私の“新年コラム”は、今回は極めて流動的な状況で作成された。昨年12月3日に尹錫悦による戒厳令の宣布があったが、執筆を完成させた時は、国会での即時の戒厳令解除の決議と14日の弾劾訴追案の通過によって大枠は定められたが、まだ大統領は逮捕令状の執行に抵抗して官邸に籠城していた時点だった。ついに彼が逮捕されたのは年明けの1月15日だった。付記を補充した本稿を書く現時点では、現職大統領の拘束・起訴という初めての事態が起きた後だが、憲法裁判所の弾劾審判と内乱首魁の刑事裁判が残っている。
 とはいえ、コラムの内容を大きく変える必要は感じない。ただ、多少の説明を脚注に加え、コラムで触れられなかった問題や考えられなかったことを、「中道と開闢思想」というタイトルの付記として追加した。

1.新年コラム(2024年12月30日):“変革的中道”の時が来た
白楽晴ТV視聴者の皆さん、「チャンビ週刊論評」の読者の皆さん、そして国の主人である市民の皆さんに、新年のご挨拶をいたします。
希望に満ちて迎える2025年、皆さんのご多幸をお祈り申し上げます。

変則的な事態の奇怪な終末

尹錫悦政権という変則的事態が奇怪な終末を告げています。もちろん、まだ完全には終わっていません。内乱の首魁は弾劾により職務停止となりましたが、彼は相変わらず大統領職にいます。どうであれ持ちこたえ、抜け出す手だてを考えているのでしょう。でも、大勢が変わるという懸念はありません。
私たちは尹錫悦の突発的な妄動に反対して決起しただけでなく、キャンドル革命の力強い再出発を目撃しているからです。当初から尹錫悦の執権は、キャンドル革命前の87年体制が正常に作動する中で実現した政権交代とは質的に異なる事件でした。87年体制は実質的に寿命が尽きていましたが、キャンドル市民の要求に対応する新たな体制の成立が難航する最中に起きた一時的な逸脱だったのです。こうした逸脱を国民が5年間も耐えていたなら、キャンドル革命は失敗に終わって87年体制より悪い体制をめざす彼らの宿願が達成されたでしょう。
ですが、わが国民はどういう国民でしょうか。目覚めた市民が再び立ち上がった以上、彼らの挑戦は、誰かの言葉のように、「衆寡敵せず」[1]です。さらに、今日のデモ群衆は、数だけ多い群衆ではありません。彼らは、李在明であれ誰であれ、特定の人の指揮に従っているのではないが、政界が底辺の人々の叫びとエネルギーを遮断した2016~17年の大抗争期とは異なり、市民の叫びが国政の運営に反映される道が広々と開かれた状態です。

“キャンドル”の進化と進展

“変則的事態”を経る間もキャンドル革命は進行中でしたし、進化さえしていた点がまさに立証されています。12月3日以来の爆発的な市民行動は、大抗争の延長線上にありながらも、決して単なるリバイバルではありません。規模や熱気は当時を彷彿とさせますが、主力部隊はむしろ10、20、30代へと変わったし、Kポップの応援棒の大挙登場が示すように、デモの方式にも意味深長な変化が起きています。抗議集会を祝祭の現場にすることは、2000年代以来の私たちが発展させてきたデモ文化ですが、今回はKポップと「ニムの行進曲」がともに響きわたりました。農民のトラクター上京闘争を阻止する警察の車壁を、市民が駆け寄って崩した“南泰嶺(果川市からソウルへ入る峠)の大勝利”では、「農民歌」とアイドルの歌が入り混じって歌われました。ノーベル賞受賞作家・韓江の小説『少年が来る』を手にして出てきた市民もいました。多くの人々が心配してきた世代間・階級間の断絶はかなりの部分で癒され、同時にKポップとK文学、K民主主義の自然な結合が実現したのです。
尹錫悦の奇怪さは、私が何度も強調してきた分断体制の怪物さをあまりにも歴々と集約しています。でも、その怪物さは尹錫悦夫婦またはその一味だけのものではありません。分断体制の中で長い間生きてきた私たち各自の心の中に、大小の怪物1つずつ潜んでいたので、そうした暴走が可能になったのです。程度の差があるだけで、彼らの貪欲さと独断さ、自己中心的な妄想が、私たちの時代の多くの人々の心の中に居座っていなかったなら、当初から尹錫悦は当選しなかっただろうし、彼ら一味の完全退治がこれほど難しくはなかったでしょう。したがって、内乱一党に対する処罰も、私たち自身を変える過程を兼ねるべきでしょう。「私たちすべてが罪人だから、誰が敢えて最初に石を投げられようか」という馬鹿げた論理ではなく、人を憎しむことなく、彼の不義の行為を徹底的に治療する技術――というよりも心の法――を訓練すべきなのです。
圓佛教の創始者少太山・朴重彬(パク・ジュンビン)先生の言行録である『大宗経』には、こういう言葉があります。「善なる人は善により世に教え、悪なる人は悪により世に悟らせ、世を教えて悟らせるところではその功は同じであるが、善なる人は自らが福を得ながら世のことを行なうが、悪なる人は自らが罪を犯しながら世のことをするので、悪なる人を憎むことなく、憐れに思わなければならないだろう」(要訓品第34章)。そうです。憎しみと怒りから離脱した心で、人ではなく彼の行いを厳しく処罰することこそ、新たな時代の学び方です。それはまた、傷ついた私の心を治癒する最も効果的な道でもあります。学びが不十分な執権者が、心の学びとは無縁の政治的検事に「積弊清算」を任せたことが文在寅政権の失敗の始まりであり、今日の混迷を招いた原因でした。

変革と中道を再び語る時

ところで、個人の心法訓練を超え、私たちはキャンドル革命の驚くべき前進に対応する政治を苦慮すべきところに直面しました。個人の覚醒を束ねて新たな世の中を創っていく理念と思想を共有する必要が切実になったのです。振り返ってみると、私たち市民の英雄的な闘争と厳然たる歴史的成果にもかかわらず、6月抗争後の後退と挫折を重ねて味わった末に、ついに尹錫悦政権という災いまで味わったのが私たちの現代史でした。私はこうした歴史に韓国社会の思想的な貧困が少なからず関与したと判断します。
6月抗争の直後、私が注文したのもまさに新しくなった時代に対応する新たな路線の定立でした。「統一運動と文学」という文章の第4節「6月以後を見る視角」(『創作と批評』1989年春号、邦訳『知恵の時代のために』、同時代社、1991年に収録)では、抗争を率いてきた三つの主要路線、すなわち当時の表現でブルジョア民主主義(BD)、民族解放(NL)、民衆民主主義(PD)、そのどれもが新たな時代の国政運営をうまくやり遂げるには十分でないという認識を披歴しました。簡単に言えば、軍事独裁以前の文民統治を回復することに満足する自由民主主義、統一への願望は熱いが分断現実の実像を洞察できない非現実的な統一論、そして韓国社会だけの民衆革命を夢見るもう一つの単純論理が、民主化をひとまず達成した時代には一様に適合せず、各々が換骨奪胎しながら三者の創造的な結合を追求すべきだというものでした。当時は、私自身が“変革的中道主義”という概念に着眼する以前でした。それを正面に掲げたのはかなり後のことです(拙著『韓半島式統一、現在進行形』、チャンビ、2006年、第4章「付:変革的中道主義と韓国民主主義」)。その後、『どこが中道で、どうして変革なのか』(チャンビ、2009年)という著書を出し、最近はこの本をもって白楽晴ТVで討論を進めても来ました。要するに、“創造的な三結合”をなし遂げる変革的中道主義でなければ時代的な課題を担いきれないという主張です[2]。なお、私たちの言説の地形はこの間に大きく変わり、多様になりましたが、変革的中道に達しない言説が相変わらず大手を振っているのが現実です。
変革的中道主義は、それなりに厳密な概念です。もっともらしい2つの単語をただ連結させただけなら、一種の自己撞着になりうるでしょう。しかし、“変革”と朝鮮半島体制(原語の「韓半島」を、以下では朝鮮半島と訳す)の変革であり、“中道”とはこれを達成するために国内のあらゆる単純論理を超える中道勢力を拡大しようというもので、変革と中道が衝突する理由はないのです。ただ、大衆的な政治スローガンとなるにはつたない表現だと自認し、その大衆的な伝播や活用には特段の努力を傾けませんでした。
ですが、今こそ腹を決め、この問題を提起すべき時が来たようです。6月抗争を率いた活動家諸氏が政界に入門し、87年体制をよりよい体制へと変えられなかったのも変革的中道の学びに無関心だったせいもあるでしょう。例外があったなら、むしろ旧世代の政治家である金大中大統領だったと思います。彼は、自由民主主義に社民主義をある程度加味すると同時に、南北の和解・協力を通じて私たちが歩みえなかった新たな道を切り開きました。しかし、変革的中道を正面から提起して履行するには、当時の政治情勢は何しろ不利だったし、執拗なアカ攻撃にずっと苦しめられる立場でした。

新しくなった大衆の欲求

2016~17年のキャンドル大抗争の時でも、変革的中道は特には議論できませんでした。ただ、現場で表れた大衆の欲求は、以前とは明らかに異なりました。1980年代以来の古い言語は、キャンドル群衆の冷淡さに出くわすのが常でしたし、デモの現場で大衆が掲げた様々に創意的でユーモアあふれるスローガンは、新たな感受性の台頭を告げていました。とはいえ、その後にキャンドル政府を自任した大統領や周辺の人士は相変わらず変革的中道論に無関心でした。私は文在寅政権の失敗は、その主体勢力の思想的な貧困と無縁ではないと思います。
尹錫悦の内乱鎮圧に立ち上がった2024年末のデモでは、大衆の変化した情緒や欲求がより際立っています。自らが歴史の主人であり、抗争の主力部隊であることを自負する若者たちの“国らしい国”をめざす燃える熱望を、今は従来のどんな固定理念でも満足させられないのは明らかです。ある傑出した政治指導者や、私より性能がいいスピーカーをもった論客が出て、「あなた方が切り開いている道はまさに変革的中道だ。私たちとともに歩んで、その道を広げよう」と条理をもって説明するならば、「ああ、そうだ、その通りだ」と呼応する大衆が到来していると私は信じます。
従来と異なる言語は、ある特定の指導者や個人ではなく、学者、芸術家、言論人、活動家たちがともに練磨すべき課題です。これは各個人や集団の真摯な自己省察を必要とします。私自身も長い間、市民運動に直接身を投じるとか、支援してきた者として、市民社会団体の活動家にも反省すべき点が多々あると申し上げたいです。各自が引き受けた分野で、この社会のあらゆる不正と闘う過程で、活動家なりの惰性にとらわれた面があるようです。李在明代表が変えてきた民主党をまた別の「保守政党」にすぎないと決めつけて自らの「進歩性」を誇示するとか、市民団体の会員より民主党の正式党員がはるかに多くなった状況で、相変わらず市民社会団体の活動だけを市民運動だと固執する傾向もあります。キャンドル革命は、この間のあらゆる分派主義を超えて“変革的中道”へと力を集める形勢にもかかわらず、自分らだけのアジェンダや基準に執着して気勢をそぐ事例もなくはありません。

キャンドル革命に不利な周辺状況と世界情勢

キャンドル革命は世界でも珍しくまみえた民主革命であり、平和革命であると、私たちは誇っています。確かに、誇るべきことですね。でも言い換えれば、この革命は今日の世界ではたぶん孤立した現象という話になります。敵対的な勢力と不利な条件に取り囲まれたという意味です。
南北関係は最悪の状態です。変革的中道の“変革”は、朝鮮半島の分断体制の解消であるため、この核心的課業に進展がなければ、国内の改革も大きな進展をなしがたいです。もちろん、南北関係の改善と国内の改革作業がかみ合っているとは、両者がいつも歩調を合わせて進めるべきだというのではありません。どんな部分であれ、可能かつ至急な問題からまず解きほぐしながら、朝鮮半島の漸進的・段階的・創意的な再統合を推進すべきなのです。だがとにかく、今のように南北の対決と緊張が極に達し、北側当局が大韓民国を主敵と見なす状況が続くなら、分断の既得権勢力に反撃の口実を与えることになります。12月3日の内乱主動者たちは、何としてでも南北間の衝突、さらに戦争さえ引き起こそうと、どれほど卑劣に努力したでしょうか。
朝鮮民主主義人民共和国は、党と人民の隙間のない一致を信ずる体制なので、彼らが語る「大韓民国の連中」とは、自分たちをあれほど敵対視してきた尹錫悦一党と同一に見ているかもしれません。しかし、南側市民の奮発により尹錫悦が追放される歴史が実現すれば、韓国民に対する敵愾心はかなり和らぎうるでしょう。だとしても、平壌当局が南北関係を「国家対国家」の関係へ転換させようという方針を簡単には変えないでしょう。でも私は、韓半島平和アカデミーでの講義やその後の寄稿文で主張したように、国家連合を優先課題に設定してきた私たち南側の立場では、これはむしろ歓迎すべきことです(白楽晴ТV“招請講演002”「分断体制の克服と朝鮮半島式の国づくり」2024年5月:「朝鮮半島情勢の新局面と分断体制」『創作と批評』2024年秋号)。なぜなら、南北連合というのは、どこまでも国家対国家の連合だからです。だとしても、平壌当局が私たちの変革的中道路線に合流することを期待するのは無理です。ただ、分断体制の克服という私たちの努力は、はるかに安全な状況で、より柔軟かつ豊かな方式で展開される可能性が開かれるのです。
世界情勢でいえば、この間米国をはじめ民主主義先進国として知られる大多数の国家では、民主的な制度がほぼ回復不可能な状態に損傷し、大衆の政治参加は“右派ポピュリズム”の形態を帯びるのが常です。社会主義を標榜する中国のような国も、世界の民衆に思想的な指標にはなりがたい形勢です。経済的な環境もまた、2017年キャンドル大抗争期と比べて極めて劣悪です。尹錫悦政権が滅茶苦茶にした経済と民生を蘇らせるのは誰が執権しても急先務であり、世界的な景気は8年前よりはるかに低調なだけでなく米・中葛藤の激化で韓国の立地は日ごとに狭まっています。キャンドル革命の孤立が実感されるのは事実です。
しかし、孤立には先駆者の孤立というのもあります。政府当局や既得権層ではない、大衆に対するキャンドル革命の伝播力はすでに並みではなく、その先駆的な位相を認める人々が大勢います。最近のデモ群衆がKポップの応援棒を掲げて出てきたことで、その伝播力は極限に達したと思われます。全世界の韓流ファンの同類意識を触発すると同時に、「よく遊び、よく闘うのが、本当によく暮らす道だ」という自覚さえ抱かせています。
私たちが肝に銘ずべきことがもう一つあります。韓国のキャンドル・デモは21世紀になって急に現われたものではありません。東学の革命的な教えも本質は平和主義だったし、東学徒が起こした教祖伸冤運動[3]は平和的な大衆抗争の先駆的な事例でした。三・一革命もまた、非暴力が原則だったことは周知の事実です。もちろん、民衆がいくら平和革命をしようとしても、1894年の東学農民戦争がそうだったし、3・1も一部そうだったように、政権の野蛮な弾圧に引き続いて武力衝突を起こしたのです。ですが、東学革命や三・一運動で流された血と、その後の独立運動、民衆運動の尊い犠牲が積み重なり、少なくとも1987年以後の韓国では平和的な抗争を政府がむやみに踏みにじるのは難しくなり、今日私たちのキャンドル革命が全世界の民衆の胸に響いているのです。
ですから、皆さん。希望に満ちた2025年は決して空文句ではありません。
皆さんが健康で、開けゆく新しい世の中のまことの主人になりましょう。


2.中道と開闢思想(2025年2月)
 元来、“変革的中道主義”は分断体制克服のための韓国内の実践路線として、仏教や圓佛教が語る“中道”または儒教の“中庸”とは距離をおいた。しかし、2012年に発表した「2013年体制と変革的中道主義」に至り、分断体制の変革のための「心の勉強」の重要性を実感につれ、政治的実践が宗教的な意味の中道に再び近づくという認識に到達した(拙著『近代の二重課題と韓半島式国づくり』、チャンビ、2021年、第8章193頁参照)。ついで、2014年の拙稿「大きな積功、大きな転換のために」では、その結びつきを一層強調している。

  最後に、変革的中道主義という韓国単位の実践路線が、仏教的“中道”――または儒教の“中庸”――のようなより高次元の概念と連結していることを想起したいと思う。ここで、本稿が動員した様々な概念の間に、一種の循環構造が成立する。すなわち、近代世界体制の変革のための適応と克服の二重課題を朝鮮半島レベルで実現することが分断体制克服の作業であり、韓国社会における実践路線が変革的中道主義であり、このためには集団的な実践とともに各個人の「心の勉強・中道の勉強」が必須である[4]。だが、中道自体は近代の二重課題よりもより高い次元の汎人類的な標準でもあり、他の様々な次元の作業を貫通しているのだ(同書、第9章259頁)。

 拙稿で指摘したように、これは何かの“体系的な完結性”を誇示しようとするものではなく、私たちは当面の課題が様々な次元、様々な時間帯と空間規模に関わる複合的な事案であることを認識し、課題の複合性に見合う実践をしようというものだった。変革的中道の時がついに到来した折に、その時そこに見合う――それこそ“時中”の――中道がより切実になったのはもちろんである。その上、変革的中道の“変革”は朝鮮半島の分断体制を第一次的な標的にしているが、分断体制は即世界体制の一部という点を勘案すれば、私たちの実践はグローバルな時中を思い悩まざるを得ない。
 時局に適応する努力の一部として、“変革的中道主義”という用語から“主義”を除き、大衆が少しでもより親しく受け入れる道を開こうと思った。だが、用語はどうあれ、概念による適切な情勢分析と実行方案がなければ、概念は概念に過ぎない。これに、新年コラム以後の情勢と当時の診断に対する敷衍、そして新たな状況と課題に対する考えをつけ加えようと思う。
 尹錫悦の内乱により韓国政治の“変則的事態”は、「奇怪な結末」を告げたという判断は、残りの変数がいくら多くても修正する必要は感じない。ただ、内乱首魁の奇怪な行動が追従勢力の応援の中で続いているのを見て、内乱の性格を再考するようになった。つまり、12・3戒厳令宣布の以前にも内乱の準備が広範囲に進められていたのは日ごとに明らかになっていたが、それとは別途に、変則的な事態が本質上、内乱の必然性を相当部分内蔵していたのではないかという点である。
 李明博・朴槿恵政権が示したように、87年体制で政権を一度喪失した既得権勢力は、再びそうしたことがないように、87年以前の長期執権体制をつくろうと執拗に試みた。李南周をはじめとするチャンビの同学らは、これを“漸進クーデター”ないし“新種クーデター”と規定した(李南周「歴史クーデターではなく新種クーデターの局面だ」『創作と批評』2015年冬号、「はじめに」2~5頁;韓基煜「新たな50年を開いて」『創作と批評』2016年春号、「はじめに」)。だが、朴槿恵政権は漸進クーデターでも執権延長が可能であると信じていたので本格的なクーデターは試みなかったし、任期が終わる前にキャンドル市民が蜂起して政権交代をしてしまった。反面、朴槿恵弾劾の学習効果さえ経た既得権勢力は、尹錫悦政権になるや否や、あらゆる憲政破壊行為を強行するソフト・クーデター(李南周「内乱は処罰され、わが民主主義は飛躍的な前進を遂げるだろう」『チャンビ週刊論評』2024年12月10日)に着手し、この企画が国民的な抵抗により果たせなくなると、より無謀な本格的なクーデター、つまり内乱をしでかしたのである。
 ともあれ、この間キャンドル革命が継続しながら進化すらしているのと同様に、潜在的な内乱勢力もまたそれなりに進化してきたことが、尹錫悦の弾劾訴追後の一連の事態から実感される。尹錫悦個人の妄想に満ちた行ないとは別途に、大多数の「国民の力」党の議員の公然たる内乱擁護、韓悳洙・崔相穆など高位公職者の内乱鎮圧への妨害工作、そして大多数のマスコミと学界人士の変わらない改革嫌悪の言動がその例である。いわゆるアスファルト極右もまた、以前のように日当を受けとる老人部隊中心から堂々たる上流層人士と若者世代がともに参加するレベルへと進化した。分断体制の変革を嫌う勢力は、与・野または保守・進歩の境界を越えて布陣しており、時には露骨な言動で、あるいは陰湿な方式で新しい世の中の到来を妨げている形勢である。
 この巨大なカルテルを抑えてキャンドル革命(または“光の革命”)を再出発させたのが10~30代の若者が前面に立った市民的直接行動だった。同時に、それとは異なる形態で介入し、加勢した市民も多かった点を見逃してはならない。戒厳令の当時、相当数の軍人と警察の消極的な動きとか、一部の指揮官クラスの正義に富む行動形態でも、韓国社会の民主市民意識がかなり深く根づいていたことが確認された。この間の政界の変化も無視できない。キャンドル市民の政党加入など、従来とは異なる市民行動により李在明代表の党内外のリーダーシップを確定させ、多くの議員が共に闘っている。あの“南泰嶺の大勝利”の場合も、伝統的な抵抗勢力である農民運動家と、Kポップの応援棒を振り回す若者世代の結合は最も際立った現象だが、野党議員が現場に出動して警察と交渉した末、一部のトラクターがソウル市内へ進入するように折衷させた介入もあった。
 こうした政界の変化、特に大多数の国民が絶対的な支持を受ける政治指導者の存在が、2016~17年の大抗争時とは異なる点のうちの一つだ。また、その点が弾劾で滅びる「国民の力党」およびその支持勢力の学習効果を強化してもいる。実は、守旧勢力のうち「李在明でさえなければ」とっくに尹錫悦を切り捨てただろう人が少なくないと思われる。いや、守旧勢力には分類しがたい人々も、そうした立場であるケースをよく見かける。国民大多数の心の中で、尹錫悦か李在明かという選択肢が与えられたために、弾劾政局がここまで来たのは厳然たる事実である。それなら、なぜ唯一李在明はダメで、それでどうするのかという問いを、少なくとも同じ党の人士ならば深く考え、率直に説明する必要がある。尹錫悦のソフト・クーデターが生んだ“司法リスク”を、大統領が拘束・起訴され、罷免が目の前という時点で相変わらず問題にするとか、大選以前の改憲に邁進するのは守旧勢力の論理と大同小異ではないか。
 私の個人的な考えでは、李在明をそのように忌避する核心的な原因は、唯一彼が一度も既得権カルテルに属したことがなく、あらゆる圧迫の中でも屈服するとか、妥協しなかったという点であるようだ。その上、李在明が有能な実用主義者でもあれば、与党だけでなくあらゆる既得権勢力には一大事ではないのか!実際、「李在明一人ではダメだ」という懸念は、大統領選時よりもその後、就任後に適用されるのが正しい。尹錫悦が崩壊させた国を建て直すのも容易ではないし、国内外で山積する懸案は李在明ではない、他の誰でも一人で担いうるであろうか。選挙の勝利を助けてくれるキャンプのメンバーとは別に、選挙後に適材適所で起用できる実力ある人士が、彼の周辺にどれほど集まっているのかは、私が知らない領域で、ここであれこれ注文をつけるには適当な誌面でもない。
 ともあれ、理念より実用を重視する姿勢は“変革的中道”の本質とも通じる。ただ、誰のための実用なのかにより、その意味が大きく異なる。民生重視というのも、民衆は食べる物さえ投げ与えれば鎮まる犬・豚というのが、既得権勢力の理念である反面、変革的中道の実用主義は「朝鮮半島的な視角を持つ実用主義」であり、分断体制の克服という歴史的な課題を担う市民を、当面食べて暮らす心配から最大限、解放されるべきだという主張である。なま身の衣食住問題に追われてはもともと心の勉強は不可能だが、同時に「日常的に偉大なビジョンなしには道徳教育は不可能である」(Moral education is impossible without a habitual vision of greatness)というホワイトヘッドの言葉通り(Alfred North Whitehead “The Place of Classics in Education”)、ある遠大な目標と誓いは心の勉強のもう一つの必須条件である。
 分断体制が悪い点は、低劣な言説が公論の場を支配するようになる点である。尹錫悦政権の暴走と妄動に打ちかつ過程でも、例えば憲政秩序と法治主義に対する攻撃があまりにもメチャクチャなので、まるで立憲政治と法治主義が民主主義という考えに陥りやすい。憲政と法治は民主社会の必要条件ではあるが、論議がそこで留まれば民主主義を守ろうと広場に出てきた市民の熱望を(最近の言葉で)“低廉”にしてしまう。これは自覚している民衆自らが治め、友愛あふれる世の中をつくるためには、絶えざる心の勉強と高度な政治的な実践が並行されるべきである。特に朝鮮半島の住民の場合なら、分断体制を緩和・解消し、それより良い体制をこの地域に建設すべきであるという、極めて現実的で実用的な課題を言説の場で打ち消すのが既得権政治家・知識人の論理なのである。
 変革的中道が国内で未完の課題であるのみならず、国際情勢にてらしてもたぶんに孤立した路線であることは新年コラムでも指摘した。民主主義とは無縁なトランプ大統領の就任で、不利な環境がより強化された感じもある。しかし、韓国という特定状況に彼の政策が及ぼす影響は、より細密な分析を要する。“光の革命”の孤立に関しても、それが現存の世界体制を変えられないにしても、より悪くなるのを防いだ面にも注目する必要がある。南基正教授が「戒厳令を阻めなかったら直面した残酷な世界史」(『チャンビ週刊論評』2024年12月24日)で詳しく分析したように、「2024年12月3日国会前で、国会内で、韓国の国民と国会議員が阻んだのは戒厳令だけではなかった。“北風”と“西風”を阻み、日本の改憲の流れを阻み、日韓同盟化の流れを阻んだのだった」[5]
 トランプが世界的な右傾化の波に乗り、彼の再執権が気候危機という人類的な課題や米国内の民主制度のためには災いとなる事件だとしても、当面朝鮮半島に及ぼす影響に限れば、悪いことだけではない。少なくとも、南北の軍事衝突を作りだそうとした尹錫悦の“北風”の試みに一定の制約が加えられ、南基正教授の分析通り、ウクライナ戦争に支えられた“西風”工作もより難しくなった形勢である。トランプが金正恩委員長との親密さを自慢しながら豪語する対北関係の改善は、もちろん見守るべき問題である。2019年ハノイ会談の決裂後、北の非核化を前提にした関係改善は望みがたいが、最近トランプが朝鮮を“核保有国”(nuclear power)と認めた点から出発し、まじめに核凍結・核軍縮交渉を進めていくなら、本人や金正恩の意図とは無関係に、分断体制の緩和に寄与する可能性はある。
 思うに、バイデン政権の“価値外交””価値同盟”こそ、一種の“右派インターナショナル”により適合した理念であった。米国の民主的制度が、世界の民主市民の共同遺産である面がなくはないにせよ、米国内でさえ、それは極めて制限的であり、差別的に施行されてきた上に、外国に対する帝国主義的な干渉と支配の道具に服するのが常だった。米国の民主市民自らが、今回を契機に定着植民地主義(settler colonialism)で始まった米国の歴史を振り返り、韓国の先導的な市民革命から学ぶべき時ではないかと思う。
 就任するや否や、パリ気候協定から再び脱退し、無限大の石油採取を公言する行動形態はさらに深刻である。だが、この間の国際的な協約や各種の処方が気候危機の解決には極めて不十分という観点から見れば、トランプのような超大型の気候悪党の登場こそ、果たしていかなる世の中をつくれば、人類の問題を円満に解決できるのか、根本的に再考してみる機会でもある。
 朝鮮半島は、朝鮮王朝末期の大混乱と東学革命の敗北、国権喪失などの苦難を経ながら、ついに“物質が開闢されたので、精神を開闢しよう”という簡明ながらも意味深長な命題を生み出した。これは単なるスローガンの発明ではなく、新たな仏教を標榜する自生した宗教に、東学以来の後天開闢思想が合流する世界史的な事件であった。
 少太山は植民地時代に活動した方なので、“分断体制の変革”は彼の課題ではなかった。だが、拙稿「変革的中道主義と少太山の開闢思想」(『どこが中道で、どうして変革なのか』第15章、2008年)で明らかにしたように、彼は変革的中道論の実質的な先駆者の一人というべきであり、その後植民地体制の変革のための中道勢力の形成を夢見た義岩・孫秉煕、島山・安昌浩、夢陽・呂運亨などを包括する論議を私は進めてきた(『近代の二重課題と韓半島式国づくり』第2章;白楽晴ТV「学びの道149」、姜敬錫編、第1回、2025年1月7日)。
 私たちの時代のキャンドル革命(ないし光の革命)が、東学以来の国らしい国づくりと平和革命の伝統を継承するものであり、時代が要求する変革的中道の学びが、つまり開闢の世の中づくりと別物でないと明らかになる。「気候危機と近代の二重課題」という拙文を引用すれば、これは「マルクスなどが遂行した資本主義批判を避けたまま、後天開闢を実現することは不可能」だという言葉と同時に、「いくら厳格かつ精密な資本主義分析も、それ自体では十分ではないし、マルクスが強調した革命的な実践意志がこれに加わるにせよ、“開闢”に値する個々人の心の学びを内包せずには文明の大転換は達成しがたいことを意味する」(同書、第13章、361頁)。トランプ時代の米国が世界の覇権国家というより、最強の略奪者・搾取者に変身したのは米国式民主主義の末期現象だと見ることができる。ウォーラーステイン(I. Wallerstein)が、近代世界体制の“地球文化”(geo-culture)と規定した(レーニン主義という変種まで含める)自由主義が破産状態に至った今日の世の中で、元来朝鮮半島で始まった後天開闢の伝統と、その現代的な発現がもつ重要性はあらためて切実な意味をもつ。“変革的中道”の時が来たという宣言は、韓国に局限されない世界史的な意味をもつと見ることができよう。

<注>

[1] 内乱の第二人者と目される当時の金龍鉉国防相が、非常戒厳令の失敗直後に語った言葉。

[2]「結合らしい結合をめざすなら、むしろ三者が結合してこそ可能である、という点が中道主義の独特の主張である」(上記の“付記”、68頁)。。

[3]1864年に処刑された教祖の水雲・崔済愚の無念さを晴らし、東学に対する弾圧を中止してほしいという請願運動として、1892年11月全羅南道・参礼における集会は3000人規模に達したといわれ、次いで1893年2月景福宮光化門の前まで進出した教徒は三日三晩に及んで赦免を訴えた。高宗が善処すると約束して解散したが、政府が約束に背いて弾圧を強化したことにより、同年3月忠清道・報恩で2万人という、当時としてはもの凄い規模の群衆が集まったと伝えられる。1894年の東学農民戦争はこうした平和的運動に対する弾圧の結果だったのである。

[4]もちろん、心の勉強は各自がするが、集団的な実践勉強はその重要な一部であることを忘れてはならない。

[5] これに続く、末尾の二文はこうである。「しかし、その流れは執拗である。戒厳令を世界史的な事件として注目すべき理由である」。






(訳=青柳純一)