창작과 비평

〔対話〕 脱北者の居場所をふりかえる

2015年 夏号(通卷168号)

 

 

高景彬(コ・ギョンビン) 平和財団理事。ハナ院院長、統一部政策広報本部長など歴任。

薛ソンア(ソル・ソンア) デイリーN K記者。北朝鮮平安南道出身。2008年に脱北。

李向珪(イ・ヒャンギュ) 漢陽大グローバル多文化研究院研究教授。共著に『私は朝鮮労働党員です――非転向長期囚キム・ソクヒョン口述記録』『北朝鮮の教育60年――形成と発展の展望』など。

韓基煜(ハン・ギウク) 文芸評論家。仁済大英文科教授。著書に『文学の新しさはどこからくるのか』、訳書に『書写人バートルビー』『アメリカヘゲモニーの没落』など。

 

 

韓基煜(司会) 昨年からますます、韓国社会で、脱北者の存在や発言が注目を集めています。一部の脱北者団体の対北朝鮮ビラ散布事件が、南北関係に多大な影響を及ぼしましたし、脱北者の証言で北朝鮮の人権問題が国際社会の重要な懸案になりました。ですが、韓国社会は本来、脱北者の実際的な生活や彼らの苦境に対しては無関心なまま、脱北者を私たちの一員として配慮するよりは、偏見と差別で対してきたのではないのかと反省しています。このように単純でない問題を、客観的かつ総合的に見てみることが切実に必要であろうと判断し、今回の座談会を準備しました。あわせて、これまで創作と批評社が提示した、南北の分断体制の概念が、この問題の理解にどれほど役立つかを考えてみたいと思います。専門的な話よりも、主として市民的な関心事を中心にしながら、脱北者の問題と同時に、脱北者に対する韓国社会の問題をともに見てみようと思います。私はこの分野の専門家ではありませんが、文芸評論家として、韓国社会で特別な地位を占める脱北者の存在や生活に関心を持っています。今日お迎えした方々は、みなこの分野でながらく経験を重ねていらっしゃいますが、まずは自己紹介と主な活動、近況をお話し頂きながら始めようかと思います。

高景彬 光栄です。私は統一部の官僚出身で「ハナ院」(北韓離脱住民定着支援事務所。脱北者の社会定着を支援する統一部所属の機関)の院長を歴任しました。今は平和財団で、北朝鮮の人権、環境問題などを研究しながら活動を助けています。

李向珪 私は漢陽大のグローバル多文化研究院におりまして、その前はレインボー青少年センターや韓国教育開発院の脱北青少年教育支援センターなどで、移住青少年、脱北青少年に対する教育支援、研究、実践などをしてきました。

薛ソンア 私は北朝鮮の平安南道の出身で、2008年に脱北して2011年に韓国に入国しました。これまで1人で試行錯誤を体験し、現在は北朝鮮についての記事を書く記者として仕事をしています。光栄です。

韓基煜 本格的な対話に先立って、いくつかの概念や状況について共有する必要があります。脱北者を指し示す用語や脱北の動機、脱北者の現況のような基本的な内容を、まず高景彬さんにお話し頂ければと思います。

 

 

「脱北者」とは誰のことか

 

高景彬 脱北者と称されますが、法律で使う公式用語は「北韓離脱住民」です。「新場民」(セットミン)、「移住民」など、残りは多様な社会的要求や脈絡によって使われる社会的用語です。脱北動機に関しては、冷戦時代には南北間の体制競争と、それによる政治的動機を中心に、前方に配置された軍人や自首スパイが中心でした。毎年10人内外と小規模でした。そうするうちに、90年代末以降に南北の国力競争が終息し、北朝鮮が食糧難と経済難を経て脱北者が大量に発生しました。そして2000年代中盤以降に家族の再結合レベルの脱北が増える傾向だとも報告されています。彼らは中国やロシアを1次経由地として、東南アジアやモンゴル、ヨーロッパなど、いろいろなところから韓国に入ってきます。脱北以降、韓国行きまでは、事情によって短くは数か月、長くて数年かかったりもします。最近は韓国ではなく第三国に難民申請するケースも増加していて、韓国の旅券を持った状態で偽装亡命申請者として割り込むケースも多いようです。ときに北朝鮮に再入国するケースも10件ほど報告されました。韓国内に入国する脱北者は、最近、増加率が多少減少しましたが、毎月100人余りに達しており、累積規模は近い将来、3万人に近づく見込みです。大量脱北の可能性は現在としてはありませんが、政局によって、その可能性は排除できないと思います。

韓基煜 脱北問題を扱った小説を見ると、企画入国の中で人身売買と関連した場合がかなり多いようです。鄭道相(チョン・ドサン)の『イバラの花』(創作と批評社、2008)や李向珪さんが推薦されたキム・ユギョン(ペンネーム、脱北作家)の『青春恋歌』(ウンジン知識ハウス、2012)もそうです。そのような話が今はずいぶん少なくなりましたが、実際はどうなのですか?

李向珪 どこまでを人身売買と規定するか、曖昧な面があります。むしろ安全のために自発的に選択した場合もありそうです。高景彬さんがおっしゃった用語の問題だけでも複雑です。たとえば、脱北青少年といえば、北朝鮮に居住していて脱出した青少年のことをいうと思いますが、実際に政府が集計した脱北青少年の半分以上は、中国生まれの、北朝鮮女性の子供です。北朝鮮に籍を置くことも、北朝鮮に対する記憶もない人たちです。そのまま「脱北女性の子供」と呼ぶのが適当なのですが、彼らをどのように呼ぶのか、はたして彼らを呼ぶ呼称が必要なのか曖昧です。もちろん、政策的な用語として、たとえば支援対象を定めるためなら必要な場合もあります。ですが、彼らを呼ぶ政策用語が日常用語になれば、いずれにせよ彼らを区別することになるんです。そのような意味で、彼らを呼ぶ新しい呼称を次々と作ったりするのではなく、最初から特別な用語で区別して呼ばないことを主張するべきではないか考えます。韓国で長く生きていかなければならないのに、つねに「脱北」というアイデンティティで釘を刺された名称になってしまいます。これ以上、脱北や北朝鮮に対する記憶をあえて持たない状態でも、依然として「脱北住民」と呼ばれる現実が、彼らを韓国社会の一員にしにくくしているのではないかとも思います。その渦中で興味深いのは、中国人の父親と北朝鮮の母親との間に生まれた青少年は、自身を北朝鮮の人間としてはもちろんのこと、韓国の人間とも考えません。中国人と考える場合の方がはるかに多いようです。中国の力が強いと考えるからです。

韓基煜 そのような場合にも、韓国社会に来れば「脱北青少年」と呼ぶんですか?

李向珪 そうです。教育部でそのように集計しています。

韓基煜 それは無理があると思いますが。

李向珪 支援を幅広くおこなうという意味はあります。この人々が体験する困難が、脱北住民が一般的に体験する困難と似ているという面で、教育的な支援対象になっています。

韓基煜 ですが、北朝鮮を実際に離脱した人を「脱北者」と呼ぶことには両面性があると思います。そのような名称で呼ぶことによって、その人がどのように変わろうと、そのアイデンティティに固定しつづける否定的な効果がありますが、「脱北者」と呼ばないとしても、アイデンティティの問題が解決されるわけではないでしょう。この名称の存在自体が、今の現実を反映する面があったりもします。脱北者というアイデンティティを付与する名称を一律的になくせば、行政管理上の問題もありますが、その人がアイデンティティを新しく見つけ出すためにも、必ずしも望ましいわけではないという気がします。

李向珪 アイデンティティは自分が自分をどのように規定するのかということと、他人が自分をどのように規定するのかということが相俟って成立すると思います。ですが、「脱北者」と呼び続ける場合、前者よりは後者の方が強く作用します。人によって、脱北者という事実を確認されつづけるということです。本人がそのように呼ばれることを望もうと望むまいとです。

薛ソンア 脱北者の立場から、私や私の周辺の人々を見ると、「北韓離脱住民」であれ、「脱北者」であれ、名称は別に問題にならないと思います。また、「企画脱北」というのは北朝鮮国内でもありますが、ここでもそのようにいいます。韓国に来た人がブローカーを通じて強制や合意で家族を脱北させたりもするんですが、海外の情報を聞きながら、2、3年で企画するんです。高さんもおっしゃるように、金日成(キム・イルソン)政権時はかなり特別な人だけが脱北したとすれば、90年代は飢えて死なないために、生存権のために、人身売買まで含めて、さまざまな方法を通じて脱北しましたし、最近ではもう少し豊かに生活するために脱北したりもします。このようなものがみな企画的な脱北につながります。脱北者の現況に対して他の角度で申し上げれば、韓国社会で保守と進歩が分かれて戦うように、脱北者もそうです。私は2012年の大統領選挙の時にとても驚きました。故郷の友人と酒を飲む席で関連対話をしていて、野党候補側が正しいといったら、「おまえがどうしてそのようなことがいえるのか、脱北者2万人のなかで文在寅(ムン・ジェイン)を支持するのはおまえ1人だ、おまえは間違っている」というのです。本当に胸が痛いことです。

韓基煜 概して二分化されるんですか、あるいは片方に偏るんですか?

薛ソンア 偏るんです。95パーセントは保守のセヌリ党の方に傾きます。もちろんそれだけのことがあるのは、北朝鮮に「猫はなでてやると行ってしまう」という言葉もありますが、こちらの方が恩恵を多く与えているのですから当然の結果でもあります。そうであっても、脱北者が自身と社会に対して、もう少し客観的に考えたらいいのにと思います。

 

理念的な拘束と資本主義的な誘惑の間で

 

韓基煜 脱北者が韓国社会で体験する困難には、さまざまな種類がありそうです。まず経済的な困難、特に求職の困難、そして北朝鮮に置いてきた家族に送金することに伴う困難があるでしょう。そして脱北者には反共・反北朝鮮の理念的「拘束」と「誘惑」が普通の市民よりはるかに大きいようです。また、資本主義的な生き方に適応すること自体が簡単ではありませんが、それに加えて韓国社会の広範囲な偏見と差別にまで耐えなければならないことが大きな試練のようです。パク・ジョンボム監督の映画『ムサン日記』(2010)は、このような困難を実感を持って示していますが、脱北者の苦難と存在論的孤独が深く感じられます。青少年の場合、韓国の教育の殺伐たる競争体制にどのように適応するかも不可欠の問題だと思います。まず当事者として、薛さん、どうでしょうか?

薛ソンア 自分の経験が中心になりますが、客観的に聞いて下さい。南に来てからは、まず生活しようとするなら、お金を稼がなければならないですから、新聞などでアルバイトを探してまずは電話してみます。私たちには北の方言があるでしょう。先方は私たちの方言を聞いた途端に電話をすぐ切ってしまいます。そのストレスがかなりあります。このように北の方言のために就職できない状況がかなり長く続きます。「就職成功パッケージ」プログラムに入れば、政府から奨励金が出るというので懸命に勉強しました。ですが、問題は、同じ高卒でも、北朝鮮の平均的な教育水準が低いというところにあります。単純な職業でも、さらに勉強しなければ、就職して1か月でクビになります。ひとことでいって、就職でかなり困難を体験します。2つ目はシステムの問題です。資本主義システムがなかなかわからないんです。たとえば、貸出保証がどのようなものかわからないから、あちこちサインしてしまうんです。たとえば、韓国のボーイフレンドに対してもです。暖かく対してくれなくても、韓国の男性の一言でやられてしまうのが脱北者です。本当です。韓国の男性にとってはとても平凡な、カバンを持ってやるようなマナーに、40年間生きてきた女性が、一瞬にしてやられてしまいます(笑)。

韓基煜 先にいった小説『青春恋歌』にも、そのような場面が出てきます。

薛ソンア そのように貸出保証の署名や、輸入自動車購入のサインを、何も考えずにしていたら、すべてをひっかぶることになります。それだけではなく、脱北者が自由という概念をよく理解していないことからも問題が生じます。自由を放縦と勘違いするといいましょうか。もちろん困難な就職とも関係があります。相対的に誰かはうまく行っているのに、自分はだめで……といって、簡単に金を稼ぐ方法を探すのですが、それには2つあります。統一・安保講義とカラオケコンパニオンです。完全に両極端ですが、ともに問題があります。思想的な面で困難もあります。隣家のおばあさんがうちによく遊びにこられました。キリスト教の布教のためにです。一度は、北朝鮮はみな飢え死にすればいい、ぶっ殺してやりたい国だというので、「北朝鮮だからといって、みなが悪いわけではない、暮らし向きのいい人もいるし、悪い人もいる、どちらも見てほしい、ニュースでも北朝鮮をきちんと見るべきだ」といったら、その瞬間、彼女が完全に私を何かのスパイでも捕まえたかのように……(笑)。今はその方とは話もしていません。このように、人々が北朝鮮に対して偏見を持っているので、隣人関係からして用心深くなります。
その次に、うちの息子が去年の下半期に韓国にきて、ハナ院にいて、今、2か月目なのですが、息子を見ていて教育問題でも感じた点があります。脱北者の学生たちは概して身体が小さいです。実力も低いですし。これがまず定着に障害になりました。うちの息子は比較的身体もよく、勉強もできる子供ですが、他の子供たちの冗談すら聞き取れないようです。新しい靴を履いて出て行ったのですが、いたずらで、その新しい靴を踏みつける、韓国の子供たちの同じ年頃の文化があったのを理解できず、自分をバカにしていると思ったそうです。もちろん、このようなことは簡単に忘れられる部分ですが。買い物をするとき方言で話すと、4000ウォンのものを15000ウォンだといってきます。私もこのような目にずいぶん遭いましたし、今でもそうです。私一人がやられるならば、まだいいんですが、息子にそのようなことがあると本当に耐えられません。

 

韓国社会への適応と定着の困難

 

高景彬 脱北者の韓国社会への定着はきわめて難しいことです。脱北者のうち半分以上が、韓国に入国して5年未満です。私たちも過去、1960年代に田舎からソウルに上京した時、5年で定着するのがきわめて大変なことだったように、彼らはとりわけ体制が異なる状況に適応しなければならず、今、おっしゃったような困難が、早い期間で解消されることは難しいでしょうが、まだ幸いなのは、指標上で見ると生活は少しよくなっています。脱北者の失業率を見ると、2007年には22.9%でしたが、2010年に9.2%、昨年は6.2%にまで落ちました。もちろん、これもまだ一般国民の2倍にあたる数値ではあります。子供たちの場合、小・中・高の学業中断の割合が、2007年の7.1%から昨年は2.5%にまでなりました。ただし、これもまた、一般学生の2~3倍ほどの状態です。

韓基煜 政策的なレベルとは異なり、ハナ院長として在職しながら、社会に合流する前の脱北者にかなり接したと思いますが、彼らがハナ院での課程を終えて社会に適応する段階で、特に苦労したりつらさを感じる要因は、どのようなことだとお考えですか?

高景彬 心理的な要因が最も大きいと思います。故郷を離れて多くの障壁にぶつかりながら、彼らが感じる不安と、故郷を捨てたという罪悪感は、経済的にしたとしても一生付いて回るでしょう。そのようなことが社会活動や家庭生活にまで影響を及ぼすことになります。ですから、脱北者が韓国社会に定着する時に緊要なのは家族結合だと思います。家族と一緒に暮らす脱北者とは異なり、1人で過ごしたり、中国や北朝鮮などで離散して生死さえわからない家族がいる場合には、いくら南側で環境が整っていても、きちんと定着することは困難です。

李向珪 ある学生を5年間追跡インタビューする「脱北青少年長期研究」をやって5年目になります。5年ほど過ぎると、多くの場合には結局、定着するようです。青少年ははるかにそのようです。ひとまず言葉が韓国語になるからです。ですが、この子供たちを最終的に悩ませる障害は、まさに母親の健康なんです。母親が精神的にも身体的にも完全でなければ、家族自体が動揺する場合が多いようです。母親が健康でない理由にはいろいろあります。家族が離散したために、韓国に来る過程で体験したあらゆるトラウマ的な出来事で……1世の世代の健康問題が、2世の世代の定着に決定的な困難をもたらすだけに、この点に対する韓国社会の支援と関心がかなり必要です。

韓基煜 薛さんも心理的な困難を経験されたようです。

薛ソンア そうですね。私もはじめは、定着は本人の意志にかかっているのであって、家族には関係ないと思っていましたが、そうではありませんでした。うちの息子が来る前は食べ物があっても動揺しませんでした。胸が切り裂かれるような気持ちです。だから率直にいって、このことを解消するために誰かとお付き合いして失敗もしました。ですが、今は息子がそばにいるので世の中が違って見えます。前は家族のいる脱北者の方がうまく定着するという話を聞くと、自分もうまく行っているのにと思いましたが、それはこのことを言っていたんですね。孤独に勝てない人はおかしな道に陥りやすいかもしれません。また誰かが言っていました。5年過ぎると韓国が見えてくると。私は4年になりましたが、そろそろ少し見え始めています。たとえば、これまで医療保険を知らずにいました。病院で治療を受ける時も、みな保険なしで支払っていました。このような形でシステムが見え始めてきています。ですが、脱北者がこのように韓国社会を知るようになって、堅実に仕事をすることを考えず、これを逆利用する人たちもします。離婚慰謝料や保険金などです。

 

アイデンティティの混乱と心理的な圧迫感

 

韓基煜 脱北者が感じる不安には、さきほど高さんがおっしゃったように、故郷、祖国を裏切ったという心理的な要因も作用しているでしょう。このようなことは、普通の心理的な問題とは異なり、アイデンティティに影響を与えるトラウマ的な経験でもあります。脱北者は1つの明確なアイデンティティを持つことができず、北朝鮮の人、韓国の人、難民などのさまざまなアイデンティティにまたがる存在といえますが、韓国社会はそのような脱北者をありのまま受け入れることができず、異常な存在として締め出しています。単に脱北者だけでなく、移住労働者やセクシャルマイノリティに対してもそうですが、私たちの主流社会はアイデンティティ問題で非常に排他的です。つまり、脱北者の多重アイデンティティが、韓国社会の単一アイデンティティ指向とぶつかりながら、多重アイデンティティを持つ人をありのまま受け入れることができない、韓国社会の問題が顕著に出ているようです。このような面を李向珪さんにいろいろとお聞きしたいと思います。

李向珪 事実、韓国で生きてきた私たちも大きく異なるところはありません。政治的指向だけ、すべての面で保守的だったり進歩的だったりするわけではありませんが、みな誰かを1つのカテゴリーで説明して、アイデンティティを規定したいんでしょう。誰かを規定して、自分もそのように規定されながら生きる社会だけに、そこに入ってきた脱北者をさらに苦労させます。さきほど薛さんがおっしゃった隣家のおばあさんは、薛さんのことが好きな時と嫌いな時があるかもしれません。好きな時は薛さんが脱北民らしい時です。北朝鮮についていい話をするのは、脱北民にとってふさわしくないことでしょう。きちんと定着していって韓国の人と大きく変わらない状態になることこそ、脱北民にとってふさわしくない姿です。脱北民らしい時に助けるという主流社会の考えは、きわめて大きな問題です。私たちは主として韓国にいる脱北者のことを言っていますが、私がインタビューしたケースの中で、カナダに偽装亡命してからやってきた青年がいます。彼いわく、カナダの韓国人社会では最初は脱北民をかなり助けるそうです。ですが、どうも韓国人社会の年長者たちが、英語もさほどうまくなく、カナダのシステムもよくわかっていないそうです。その後、自分が韓国人社会の限界を克服して、カナダ社会に進出した時、韓国人社会を離れたら、すぐに恩を仇で返したと言われたそうです。事実、韓国でも同じことですが、私たちは、彼らが支援が必要な位置にいつづけることをのぞみ、そうでなくなったら、彼らとの接触を面倒がったり、あるいは依然として助けが必要なのに助けようとしないようです。
私が出会った人々は、主として青少年なので、成人とは少し違うということはあるでしょう。この子供たちは、事実、勉強ができず、背が低くて、劣等感を持っていますが、他方ではむしろ、韓国の子供たちの方が、自分に比べて分別がないと考えています。それは彼らが境界を越えるという成長の経験をしたためだと思います。国境でも、社会的・文化的障壁でも、境界を越えた人々は、ある種の力を持つようです。この子供たちは時間が経過して次第に学び成長していきますが、彼らを脱北者と規定して、やたらと脱北初期の困難だけに注目することが、彼らを過去に束縛させるだけで、他の面に対して格別な関心を持たずにいるようで残念です。このような態度は、彼らに何か足りない点が多く、助けが必要な存在なので、韓国人が助けてここに適応させるべきだという考えに基づいていると思います。ですが、興味深いことは、私がインタビューしたある学生の母親は、最初は子供が韓国の子供のようになったらいいといいますが、5年くらい過ぎると韓国の子供のようになっていくと心配します(笑)。北で分別がついて「韓国の水」に染まらない年齢のときに連れてきたらよかったといいます。分別のない韓国の子供のように行動する息子が情けなく見えたんでしょう。そのように考えると、事実、彼らがみな韓国人になろうという情熱を持っているかのように考えるのも難しいかもしれません。だとすれば、韓国社会が作っている韓国人の姿は、はたしてどのようなものかということについて、私たちは省察してみる必要があるでしょう。

韓基煜 私も文芸評論やアメリカ文学の勉強をしながら、アイデンティティの問題をかなり考えますが、本当に単純でありません。韓国に来た脱北者の場合、同じ民族という1つの包括的なアイデンティティがないわけではないですが、現実的には北朝鮮の人、韓国の人、あるいは難民の多重のアイデンティティが顕著です。またマイノリティであり移住者です。韓国社会で移住者はほとんどマイノリティの身分になります。韓国社会でマイノリティは、外国人労働者、海外養子、セクシャルマイノリティなど、非常に多様化していると思います。ですが、脱北者はその1つにすぎないのか、あるいは少し違った特徴があるのか気になります。

薛ソンア 私としてはこれは本当に重要な質問です。私たちもそのようなことをかなり考えます。口では韓民族といいながら、このように対応するのかという(笑)。まず私が体験したことを申し上げると、警察が「安保愛」というタイトルで定着者の手記を出すのですが、北朝鮮で高位官僚で脱北した方が、そこに掲載する自分の話を私に書いてほしいというので、インタビューをやって書きました。ですが、北で最初から食べられず生活も苦しかったと書いてくれというのです。なので、私が事実そのまま書きましょう、あちらでもうまくやっていたが、韓国に来たら何がよかったというように比較するべきで、北朝鮮という国が、いくら生活が大変でも、高位級の幹部がおかゆを食べているはずないことは、私も充分に知っているといったところ、警察がそれを要求するんだというんです。なので、私はそんなことは書けない、そんなことを書いて何十万ウォンかもらって、ずっと嘘をつきつづけるのか、真実を語れといいました。
多重アイデンティティと関連して、もう1つの経験は、昨年、仁川アジア競技大会の女子サッカーの初戦で、北朝鮮とベトナムの試合を脱北者同士で集まって見ました。ですが、みなベトナムを応援するんです。それで私が、それでも私たちの故郷じゃないか、間違っているものを正すために闘争はするけど、故郷に対する愛情を捨ててはいけない、そうでなければ私たちはアイデンティティがないことになるんだといったところ、誰かが私に、おまえは間違っている、それは「従北」(北朝鮮への追従)じゃないかというんです(一同・笑)。私が、あそこでおまえの妹がボールを蹴っていても、あちらを応援するのかと聞いたところ、北朝鮮を応援する代わりに妹をすぐに韓国に連れてくるんですって。この感じだとケンカになると思ってそのくらいでやめました。そのとき私が何を感じたかというと、自分は自分のアイデンティティがわからないということです。脱北者10人に会えば、みな北朝鮮の悪口をいいます。事実、私もきっと批判をすると思います。ですけど、とても好きです。なので、これはなにか、言ってみれば二重思想なんだと思います。誰に聞いても問題だというだけで答えてくれないんですが、こうなると、しかも物を書いているという人は、人によって考えも違うじゃないですか。このようなアイデンティティの問題が、韓国社会の問題なのか、自分の問題なのか、他の脱北者の問題なのか、よくわかりません。

韓基煜 私は、薛さんが周囲の人よりアイデンティティ問題についてはるかによく対処していると思います。おっしゃった他の脱北者の姿は、北朝鮮という国家と北朝鮮の住民を区別すべきですが、そうできないから広がる現象なのでしょう。北朝鮮の体制に反対しても、北朝鮮の住民を考えるならば、彼らの試合を応援できない理由がないでしょう。

 

おまえは誰の味方かと聞く韓国社会

 

高景彬 私がハナ院にいる時、南アフリカ共和国でのワールドカップ・アジア最終予選がありました。せっかく韓国と北朝鮮が試合をするので、みないっしょに集まって共同で応援することにしました。当直の方が1人で残って教育生とテレビを見ていましたが、試合が始まるころ、どちらを応援するべきか、教育生が顔色を見るというのです。そうするうちに教育生の数字が圧倒的に多くなるので、一方的に北朝鮮の応援が始まりました。試合は韓国が1対0で勝ちました。ゴールが入る瞬間、当直の先生が1人で「ゴールイン!」を叫んだものの周囲は静かだったそうです(笑)。ハナ院の中ではこのようなことがあり得ますが、外に出ると、おっしゃったように北朝鮮の応援をせずに、むしろ相手を応援することになります。自分がこの地で生きようとするなら、このような形でここに合ったアイデンティティを維持すべきだということなんですね。それは脱北者の問題でなく韓国社会の問題です。
韓国社会に暮らす外国人などのマイノリティらと脱北者とで何が違うか、私はこう思います。外国人移住者は、韓国社会で、未来においてもマイノリティとして残る可能性が高いです。ですが、脱北者集団はたとえ、今、数は外国人よりはるかに少ないけれど、南北が統一したら、主流社会で一緒に生きていく人々です。このような人々にマイノリティとしてのアイデンティティを持てというのは、将来を考えても正しくないと思います。過去に三国の統一をした時も、新羅が統一をした後に百済的、高句麗的な要素や文化を完全に抹殺したならば、三国統一の意味がどこに残ったでしょうか。ですが、それを阻む要素が韓国社会にかなり残っています。

韓基煜 脱北者の問題でなく、韓国社会の問題だといいましたが、責任の所在を明らかにすればそうですが、私は両者が連動していると思います。まず韓国社会では脱北者をイメージ化して役割を付与することが多いと思います。最も代表的なものが、北朝鮮を非難させる役割です。分断体制論から見れば、南北両者が互いに対決する様相ですが、実はそのように分断が維持されて、既得権勢力はともにうまくやっています。問題は、国民や人民がその下で犠牲を払う構造ですが、脱北者には南北対決を助長することで、そのような分断体制を先頭で守護する役割が与えられるとでもいいましょうか。そして、韓国社会はマイノリティにあまり光をあてません。ですが、脱北者の場合には、「総編」(総合編成チャンネル)で光をあてて、ビラ事件についても大々的に報道します。可視性を与えるわけですが、この可視性はそれ自体としても、真のアイデンティティに基づいたものでないばかりか、照明され得ない多数の脱北者の人生を歪曲するおそれがあります。要するに、不可視性とともに誤導された可視性が与えられているのが、脱北者ではないかと思います。なので、脱北者がアイデンティティ問題で二重の意味で大変な面があるでしょう。朝鮮半島の住民としては、昔は韓民族同胞といいましたが、最近は民族という概念自体が疑わしいものとして考えられているばかりか、ひとまず会ったものの、互いに政治体制が違うから、顔色を見ながら韓国の主流社会の側に立つのが安全だといいながら、そちらの方に行くんでしょう。その過程でアイデンティティを韓国の主流社会に本当に移す人がいるかというと、それを隠す人もいるでしょう。ですが、ひょっとして若い世代は堂々と自分はこうだと言ったりもしますか?

李向珪 そうでもありません。小・中・高校に在学中の脱北学生の65パーセントほどが、自分が北から来たという話すらしないという調査があります。話しても得になることがありません。ただし、脱北して韓国だけで過ごした場合と、イギリスやカナダ、アメリカなどに寄ってきた場合は少し違います。後者は比較的、韓国社会で自分の位置を相対化できます。外に出て行ってみると、自分が脱北者でなくコリアン、あるいはアジア人のように、より大きな集団に属するということを知って、他方では集団が重要なのではなく、個人が重要なのだという視野を持つようです。

韓基煜 外に出て行くと、コリアンというアイデンティティに依存できるのですが、ここでは敵と味方に分けるんです。主流社会と若干違うと「従北」のレッテルを貼ります。

李向珪 『青春恋歌』で「あの世の中に絶対行きたくないけれど、あの時代には戻りたい」という表現を印象的に読みました。私たちはそれを認めないようです。時代というものはひとりの人の歴史ですが、そこまで否定して、私たちの味方だと考えます。

高景彬 脱北者は北朝鮮でいろいろな経験して来たので、北朝鮮当局に対して恨みや拒否感を持ちます。北朝鮮が嫌いだというのも正常な反応です。憂慮するのは、韓国の人も北朝鮮が好きか嫌いかという時、自分の好みがあるように、脱北者にもその好みが明確にあるにもかかわらず、脱北者にはもう少し特別な社会的な問いになるのです。おまえは北朝鮮の味方か、韓国の味方かというんです。このことに耐えられない状況では、韓国に入ってくる瞬間、北朝鮮に関するものはみな捨てなければならず、韓国に関するものはすべて無批判的に合理化してしまいます。なので、さきほど薛さんのお言葉のとおり、水商売のようなところで仕事を見つけても、資本主義社会では金を儲けるためにこのようなこともするのだと自己合理化を簡単にします。そのように社会に無批判的になりますが、これは結局、正常な定着を疎外する要素として作用します。

 

政府と民間の支援は適切か

 

韓基煜 脱北者に対する支援の問題についても話してみようかと思います。当局レベルの支援があって、市民社会や宗教団体なども支援活動をしています。このようなさまざまな支援がうまくいく場合もあるでしょうが、ある種の後遺症や問題点もあるだろうと思います。脱北者支援の現段階について検討し、今後、どのようにすればいいのか、方向性を論じてみようと思います。初期の支援は適応と定着面にかなり力を注ぎましたが、それだけでは足りないという風に、最近は議論されているようです。なので、多文化とか統合とかいう概念も出てきて、また、それ以上の議論もあるようです。

高景彬 政府レベルの脱北者支援政策は、これまで時代や環境の変化によって方向が変わりました。朝鮮戦争の休戦以降、冷戦期には、亡命者を体制競争レベルで英雄として遇しました。なので、業務も援護処、今の国家報勲処が担当しましたし、補償金が途方もなく高かったんです。そうするうちに90年代初めに北朝鮮が食糧難で大量脱北が発生して、脱北者の入国規模が増えて、脱北者を難民として考え始めました。それとともに、このとき業務が保健福祉部に移管されました。
ですが、保健福祉部で低所得層や脆弱階層として脱北者を扱って施行した政策が、現実的に問題が多かったんです。脱北者と韓国社会の低所得層、ないしは脆弱階層の根本的な違いは、脱北者はよりよい人生に対する意志がものすごいということでしょう。脱北者の特性を勘案すれば、過去に英雄として見た観点や、難民として見た観点が、国家財政の立場で共通点があります。ともに韓国社会に来て、仕事をしなくても国家がみな支援するんです。ですから、新しい政策の方向は、これらの意志を生かして自活条件を作ろうというものです。補償金を与える代わりに、子供は学校で勉強できるように進学支援をして、大人は韓国社会で自立できるように就職支援をする形に変わったんです。小さな統一の実験場という考えで、統一部がこの業務を担当しています。
最近では、脱北者の定着指標が少しずつよくなって、新しい観点が提示され、いま一度の変化が必要だという要求が多いです。これまでは定着支援が脱北者個人の福祉レベルにとどまっていたとすれば、いまや政府が莫大な財政を投入して支援をしているだけに、脱北者のポケットだけに入るのではなく、韓国社会の全体的な力量として残るべきということです。ですから、韓国社会の包容性など、何らかの社会の変化を引き出すことが、脱北者の定着支援の究極的な目標になるべきではないか、それが真の南北統一の準備ではないかという見解です。
また、最近、目につく現象は、脱北者が地域社会に定着して、地方自治体の関心がかなり高まったということです。望ましい状況でしょう。中央政府が脱北者の定着支援業務を引き受けることによって、脱北者業務が過剰に政治化される面もありましたが、地方自治体が引き受けることによって、地域住民の一員として考え、民生ないしは生活中心に政策をおこなうものと期待できます。中央政府と地方自治体が役割を分担しながら、究極的には民間と地方自治体が定着支援を引き受ける方向に行くべきという意見が示されています。

李向珪 脱北者の自活意志を示す事例があります。江西区のある中学校ですが、全校生徒500人のうち脱北学生が25人、5パーセント程度です。教育部から教育福祉優先支援事業として脆弱階層に対する支援を受ける学校でした。2010年度だったか、その支援を受ける学生たちのうち、1年間、成績が最も上がった学生10人を選んだ分析報告書を見ましたが、5パーセントにすぎない脱北学生が名簿の10人中7人を占めました。メンタリングであれ基礎学習支援であれ、教師が支援すれば、この子供たちは韓国の学業不振の青少年よりはるかに成長するということです。脱北学生に対する支援が、韓国学生に対する逆差別ではないかという反問に対して、担当教師は「そう見ることはできる、だが、効果がある、それに比べて韓国の学生ははるかに難しい」といいます。これは、さきほど韓先生もおっしゃった通り、彼らはマイノリティですが、政策的な照明を受けているので可能なんでしょう。韓国の脆弱階層よりはるかに多くの機会を受けていることは事実です。
教育分野で争点になる部分は特例入学です。脱北学生たちは大学に行く時、在外国民特別選考の適用を受けて定員外で入学するからです。かつては「いい大学」にかなり行ったりもしました。韓国の子供たちのように。ずいぶん勉強して行くのと違ったルートで大学に行くので、学校生活にうまく適応できなかったり、いい学校を出ても就職には失敗する場合が多いです。ですから就職についても割当を要求する場合もあります。また脱北学生たちは学費も免除されます。アルバイトして授業料を準備している一般の学生たちと違った人生ですが、自分が努力して得たものではないので、やはり問題が生じます。小学校の時、韓国にやってきてここで学校にずっと通っても受けられる恩恵なので、これが彼らの定着にさほど役立たないという声も大きいです。英雄として遇された亡命者の時期からの政策は、そろそろ変えるべきだと考える方々も多いです。

韓基煜 他の低所得階層と比較した時、支援がさらに厚く、支援しただけ効果もありますが、高校まではそうだとしても、大学まで特例入学や学費が全額免除になると、相対的な違和感が生じます。この問題にどのような方法で接近すればいいのか、薛さんにひとことお願いします。息子さんはこの恩恵を受けられるでしょう?

薛ソンア 私たちの立場では本当にありがたい部分です。ですが、少し遠くから見れば、危険な部分もあるようです。私が実際に接してみた場合ですが、その恩恵を受けてソウル大に入って修士号まで取りましたが、問題は実力がないということです。外に出れば競争で負けます。これには構造的に問題があるようです。脱北者が大学に行って、それまで学べなかったことについて空白を満たし、心理的な治癒を得るのは本当にいいことです。ですが、本人が努力しない状況で、このような限界から来るストレスに打ち勝てなければ、むしろ定着が困難になるという限界があります。脱北者が受け取る就職資金がありますが、以前はそのまま全額与えたそうです。ですが、現在は仕事をしたら与えられます。1年仕事をすれば500万ウォン、3年仕事をすれば1800万ウォン。この就職資金をもらうために熱心に仕事をするという人が、私の印象では30パーセントくらいいます。定着に誘導する、本当にいい政策でしょう。ですが問題もあります。それをもらおうという目標で熱心に仕事をして、お金を受け取ったら仕事をする意欲がなくなって、基礎生活受給者として生きていく隙間を探します。また他の問題は、制度的なレベルですが、私がもらっている月給は130万ウォンです。私たちの息子も韓国に来たのに、基礎生活保障、学童家族支援のような福祉の恩恵を1つも受けられません。私が職業を持っているからです。これが私には不満です。仕事をする人が逆に恩恵を受けられないのは問題があります。私も仕事をやめれば、これを全額受け取ることができます。基礎生活受給費86万ウォン、学童家族支援25万ウォンに、教会に1、2か所通えば40万ウォン入ってきます。そうするとすでに今の月給より多くなります。

韓基煜 ですが、教会から出るお金はどのようにもらうんですか。何かの役割があるんですか。一種の証言のようなことをしたりもするといいます。

薛ソンア 月に4回行けば25万ウォン、30万ウォン、普通にくれます。何かの証言をすれば、また30万ウォンくらいくれます。普通はそのまま行って座っていればいいんです。脱北者をどれほど集めているかが、教会では一種の実績なのだそうです。とにかく熱心に仕事をする人は、私のように130万ウォン以外には福祉の恩恵を最初から受けられません。本当にありがたい制度もありますが、このように制度に問題もあります。率直にいって私も最近、かなり動揺しています。仕事をやめて明日すぐその支援金を、教会に行って……。

韓基煜 ですが、仕事をしてお金を稼いだ方がはるかに堂々としていませんか?

薛ソンア その通りです。ですから、1日に12回考えが変わりますが、明日すぐ仕事をやめようと思って、いや、ちがう、それじゃおかしい、将来を考えよう、と、考えをまた変えます。以前はわかりませんでしたが、自分が仕事をする方が、息子の定着にも力になりました。うちの母親は外に出てこのような仕事をして、というような具合にです。

李向珪 数年過ぎれば、今の数十万ウォンの差はどうでもよくなるでしょう。

薛ソンア わかりました。激励されたと思って、仕事はやめないことにします(笑)。

 

反北朝鮮情緒の助長活動に動員される理由

 

韓基煜 次に脱北者の政治的活動に関する話に移ります。脱北者団体主導の対北朝鮮ビラ散布問題や、北朝鮮嫌悪症を拡散する総合編成チャンネルへの放送出演のような問題があります。各種の反北朝鮮的な講演に動員されたりもします。このうち特に昨年からビラ事件が韓国社会の問題として台頭しました。南北和解の新しい契機があるたびに、それを阻む障害物になっています。代表的なものとして、昨年、仁川アジア競技大会に、北朝鮮で序列がかなり高い3人の高位級官僚が電撃訪問し、しばらくの間、和解の雰囲気が作られました。他の要因ももちろんありましたが、そこに冷水を浴びせたのがビラ事件でした。対北朝鮮ビラ散布は、しかも休戦ラインの近隣住民の生命や財産を威嚇する行動なので、住民たちが反対したりもしました。ですが、朴槿恵(パク・クネ)政権は、これは表現の自由に属するので、それをやめさせる法的根拠がないという立場です。この問題をどのように見るべきでしょうか。賛否があるでしょうが、この問題もそのように単純ではないようです。

高景彬 対北朝鮮ビラ散布をやめさせる法的根拠がないという言葉は正しいです。ですが、次の2つの点を考慮しなければなりません。まず、休戦ラインは南北朝鮮の重武装の軍事力が対立する、とても敏感な地域でしょう。ですから、軍事作戦に支障を与える行動をしてはいけません。そのような意味で、一般人の前方への立ち入りを統制する民間制限線が存在するのです。この地域では、些細な事件も武力衝突につながる可能性が大きいので、安全装置の準備が必須です。第2に、このように偶発的な武力衝突が発生したり発生するおそれのある状況では、休戦ラインの近隣住民の被害が予想されます。やはり、彼らの人命を保護し財産上の損失を保障する担保が必要です。対北朝鮮ビラ散布が南北関係の悪化や歪曲を招くという点は論外だとしても、このような安全装置なしに手をこまねいたりする事態は、責任ある政府の姿勢ではないと思います。あわせて、私たちは北朝鮮による間接侵略行為に対処するために、つまり、安保のために国家保安法で国民の自由の一部、特に表現の自由に対する制限を甘受しています。ですが、ビラ散布の自由のために、南北間の偶発的な軍事衝突を甘受するべきだという論理は、保安法の立法趣旨とも矛盾します。

李向珪 安全装置が必要だというお話しに全面的に同意します。ですが、ビラ散布を脱北団体がやってはいますが、事実、市場の支援があるから可能なのではないでしょうか。総合編成チャンネルがあり、彼らを支援するお金があります。ですから、事実、脱北団体がこの仕事をするのを問題にする以前に、それを可能にする市場の問題に注目をするならば、脱北住民がやむを得ない選択をしていると思います。移住民はまるで種のように、どんな土壌に落ちるかによって変わります。韓国社会という土壌自体が、彼らに対してこのような行動をさせるのであって、そのように発芽した脱北住民を非難することはむずかしいと思います。故郷に対する罪の意識であれ何であれ、自らの感情でこの仕事をするのは理解できます。結局、南北の分断体制が作り出した土壌の方が、この問題においてははるかに責任が大きいと思います。

薛ソンア 私は19歳の時、黄海道の沿岸に行ってビラを初めて見ました。普通の人には見せないように、組織責任者がビラを集めるのですが、それが気になってこっそり見ていました。金日成は独裁者だと書いてあって、私たちが火曜学習や土曜学習という思想教育を受ける様子を、縄に縛られた人のように表現してマンガで書いてあるんですが、その瞬間、私の意識が啓蒙されました。今でもそれが、私が世界を合理的に見ることに寄与していると思います。ですので、私は、ビラが北朝鮮住民の暗黒を照らす、とても重要な役割を果たしていると肯定的に思います。ですが、問題は、ひとまずビラがきちんと飛ばないということです。それ以前は政権が飛ばしていたようですが、今は民間団体がやっているので限界があるんでしょう。かなり保守的な団体にいる人々も、この点は批判しています。一種のショーだということでしょう。第2に脱北者が利用されるという点です。私は、ビラを北朝鮮の人々に送るまではいいと思いますが、あたかも北朝鮮の体制において金正恩(キム・ジョンウン)はすぐに交代するだろうというような、現実を歪曲することには反対です。
少し違う話ですが、総合編成チャンネルの「ようやく会いに行きます」(「南北疎通バラエティー」を標榜する「チャンネルA」の番組で、脱北者と芸能人が出演して北朝鮮について語るトークショー――編集者)を2度ほど見て、テレビを消してしまいました。私だけかと思いましたが、みな口を開けば北朝鮮を悪く言う脱北者たちも、あれは間違っているといいます。ありのままを話すべきなのに、そうでないからです。たとえば、病院に豚小屋の藁が敷いてあるというんです。北朝鮮の状況を悪く表現するほど関心を引くので、おかしな発言を並べ立てます。私はそのようなことに怒りを感じます。北朝鮮の構造的な問題は批判するべきです。病院に問題があって、壁が崩れて虫が出て、患者に薬がきちんと回らないなど、そのようなことがあることは認めます。ですが、いくらなんでも豚小屋の藁はないですね。このような人々が簡単に金を稼ごうとして、どこかの放送に出演できないかと血眼になっています。私が以前、講演に行って、北朝鮮に市場経済について説明したところ、質問がすぐにきました。おまえはあそこでそのように飯を食っていたのに、なぜ南にやってきたのか、そのように北朝鮮がよければ、なぜここに来たのかというのです。そのとき顔が紅潮したことを思うと……、私はいいと言ったのではなく、このような状況もある、本当にお粥も食べられない人もいるし、成功している人もいると言おうとしただけなのですが。そのとき以来、そのようなことは言わないことにしました。

韓基煜 そうなると講演招請のようなものは受けられませんね。

薛ソンア みな断りました。みなどんな講演が好きか考えてみると、「私は家もなかったし、古着も着られず、母や兄弟は飢え死にして……」というものです。ああ、こういうことを話すのかと思いましたが、私はやはり嫌です。残念です(笑)。

韓基煜 それが容易に金を稼ぐ方法ですが、そんなことばかりしていたら、脱北者としてのアイデンティティの問題もまったく解決されず、人間的にますます疲弊するでしょう。李向珪さんが個人の問題で恨みはないといいましたが、もちろん構造的な問題を度外視したまま、ビラを撒いたり総合編成チャンネルに出る人を非難するべきではありませんが、いずれにせよ、その人々は本来、南北の分断体制の犠牲者なのに、分断体制に利用されつづけているのが厳然たる事実だと思います。ですから、薛さんのように断るのは大変重要な一歩だと思います。

高景彬 私も最近、脱北者が出演する総合編成チャンネルの放送を興味深く見ています。間違いが多いと思いますが、原則的にこのようなことを問題にできると思います。政府が報道指針を出して統制するわけでもなく、脱北者の証言を検証する手段を持っているわけでもありません。そのような点で見れば、これは脱北者の問題でなくマスコミの問題だと思います。視聴率を無限競争する商業放送・総合編成チャンネルの問題です。現在の脱北者出演の放送は、事実、報道番組ではなく、ほとんどが芸能・娯楽娯楽に近いと思います。煽情性、末梢的な興味中心で視聴者を刺激しますが、北朝鮮の実状や南北関係の現実が歪曲される素地が多分にあります。これが解決されるためには新しい放送内容が必要です。北朝鮮に特派員が行って直接取材できる状況がきて、信頼できる新しい報道内容ができれば、このような問題は自然に解消されると思います。

韓基煜 それは画期的な解決策になります。ですが、今の状況で根本的にこのような放送をやめさせる方法はないとしても、改善したり変化させる余地はあります。総合編成チャンネルの報道にでたらめな部分があるならば、それに対して視聴者や他のマスコミが指摘し続けるべきです。脱北者たちも自らそのように指摘する人が増えたらいいと思います。脱北者の場合は。そのようなことが個人的な不利益をもたらすので簡単に期待できませんが。とにかく、マスコミ改革の問題と結びつけるべきで、究極的には南北関係が少しよくなって、南から北に行って直接報道をしたり、往来ができるようになれば、かなりの部分が解消されると思います。

高景彬 私もそのような総合編成チャンネル番組を見ると、これはとんでもない話だと思いますが、同時に妙な中毒性があります。

韓基煜 本来悪いことにはみな中毒性があります(笑)。北朝鮮を正当に批判するならばいいのですが、戯画化しながら、笑い話や娯楽にしてしまうのです。

 

北朝鮮の人権、当局と住民を分けて考える

 

韓基煜 脱北者の政治的活動とともに、最近数年間で大きく争点化されたのが、北朝鮮の人権問題です。脱北者の証言で、北朝鮮の人権の劣悪さが幅広く指摘され、韓国の保守勢力はもちろん、国連のような国際社会の懸案になっている状態です。これまで韓国の進歩陣営は、北朝鮮の人権問題に概して中途半端でした。何より南北の和解と平和統一をともに成就すべき相手に、深刻な人権問題を提起するのが刺激的だったからだと思います。ですが、人権は、和解や統一の相手だからといって、見逃してやったりする問題ではありません。進歩陣営のこのような態度は問題だったと思います。ですが、反対に朴槿恵政権を見ると、普遍的な人権の問題を政治的に活用しようという態度がうかがえます。北朝鮮の人権を実際に改善しようとするよりは、北朝鮮の政権の野蛮さと失敗を強調することに焦点が行っているようです。その渦中で、北朝鮮の人権の惨状を告発する脱北者の証言の中で、確実でなかったり、大袈裟なこと、また単なる嘘も多いといいます。代表的な北朝鮮の人権活動家である申東赫氏が、自らの証言に誤りがあったことを認めたりもしました。このような問題にはどのように対処するのか、そして現在、国会で検討されている北朝鮮人権法案を含めて、北朝鮮の人権に対してどのような立場をとるべきか、意見を聞いてみたいと思います。参考までに、北朝鮮の人権専門家である徐輔赫氏が、北朝鮮の人権を別個のものと見ずに、「コリアの人権」の問題として考えようといったことがありますが(「進歩陣営は北朝鮮の人権問題をどう扱うべきか」『創作と批評』2014年春号)、これについてもご意見を頂ければと思います。

高景彬 「コリアの人権」の概念は非常に斬新で、北朝鮮の人権問題に関する韓国社会の歪んだ論議を正すことができる、いいアイデアだと思いますが、北朝鮮の人権問題を韓国のすべてのことと関係させるという、いわゆる問題の水増しと受け入れられる可能性も高いと思います。私は、北朝鮮の人権が非常に劣悪な状態なだけに、今のように声だけ大きく皮相的なレベルでなく、一層深い関心を持つべきであって、また、私たちに可能な手段や方法をすべて動員して、北朝鮮の人権改善を促して支援するべきだと思います。
ですが、国会で議論されている北朝鮮人権法には、いくつかの考慮すべき事項があります。最初に、法の規律対象が法的に北朝鮮でなく、私たち国民と政府だという点です。国内法なんです。南北合意でもなく条約でもありません。国会が北朝鮮を対象に人権改善を促すには、法律案でなく、決議案の形が正常な方法です。第2に、北朝鮮の人権の改善・要求活動は、最大限、韓国の憲法のさまざまな自由権によって保障されるものの、安保上の理由で休戦ラインでのビラ散布行為に制限を設けるべき必要を認めるならば、明文化された法律の根拠が必要です。現在の政権で明らかにしているように、これを規制する法律がないわけですから、北朝鮮人権法が作られるならば、北朝鮮の人権改善活動に対する支援根拠とともに、最小限の規制根拠も準備するべきですが、これについての議論があまりないようです。第3に、民間活動を財政的に支援することに細心の注意が必要だという点です。韓国と北朝鮮が7・4共同声明(1972)以来、南北基本合意書(1991)、6・15共同宣言(2000)、10・4宣言(2007)など、数度にかけて相互尊重と誹謗・中傷の禁止を約束しましたが、これは当局間の約束であって、私たち国民を直接拘束することはできません。したがって、最近、北朝鮮が南北対話で、韓国の民間団体の対北朝鮮ビラ散布行為などに不満を示せば、韓国当局としては自由民主主義の特性上、仕方がないと対応してきました。このような状況で、万一、民間のビラ散布を政府が財政的に支援するならば、北朝鮮はこれを明白な南北合意違反と主張するでしょうし、これに対して韓国政府の対応は、かなり困窮することになるでしょう。もちろん初めから正々堂々とした態度でもありませんでしたが。
最後に、南北関係において、法律、すなわち国内法がどのような役割をするかという点です。南北分断60年余りの間、南北関係を規律する国内法は、相当期間、国家保安法1つだけでした。この法は、すべての南北交流と接触を一般的に禁止しています。ですが、盧泰愚(ノ・テウ)大統領の時の1988年の7・7宣言以降、南北交流・協力を法的に後押しする必要性が提起され、政府が民間の南北往来と交流を許可する手続きを準備したのが1990年の南北交流協力法です。そしてその後の2005年には、南北交流・協力が活性化して、実際に対北朝鮮投資が実現し、南北間の合意を信じて対北朝鮮事業に参入した韓国の国民の権利を保護する必要が生じました。その結果、国会の批准・同意の手順を踏んだ南北合意書に限って法律的効力を付与し、韓国の裁判所で権利救済の根拠として引用できる道が開かれました。現在、この手順によって、13の南北合意書が国内法的な効力を持つようになりました。つまり、韓国の国民の権利と義務を直接規律する効力を持つということです。もし南北間の誹謗・中傷を禁止する内容を入れた、過去の重要な南北合意書に対して、国会の批准・同意の手順を踏んだり、一部の重要事項を抜粋して、履行法律案の形で国内法的な効力を付与できるならば、政治的な環境において南北間の不必要かつ消耗的な葛藤を減らす方案になるだろうと思います。このような点を勘案して、北朝鮮人権法が議論されてほしいです。

韓基煜 今、国会で検討中の北朝鮮人権法案はいくつかあると聞きました。お話しのように、法案で基本合意書と矛盾する条項を削除して、ビラ散布を行う団体を支援できないようにすることが必要ですが、法案によって大きな違いがあるようです。マスコミで北朝鮮人権法案を比較しながら、どのような法案にどのような問題があるのかということを、きめ細かく知らせてくれたらと思います。それから申東赫氏のケースもありますが、西欧では北朝鮮の人権状況に対する認識がきわめて否定的なので、脱北者が証言すれば、できるだけ信じるような雰囲気があります。それが悪用されて、それ以降の証言が信頼性を失うことがあるという点は、脱北者自らが警戒しなければなりません。

李向珪 私は、いわゆる進歩陣営が北朝鮮人権に対して沈黙すればするほど、自らの正当性が認められにくくなるという点で、北朝鮮の人権問題は断固として批判するべきだという立場です。ですから、徐輔赫氏のように、自浄的な省察が出てくるのはいい現象だと思います。人権の問題は政治と妥協できるものではありません。積極的な対応方向を堅持するほど、進歩が「従北」(北朝鮮追従)という仮面から自由になることができると思います。沈黙することが味方するような感じを与えるからです。一時、南北関係で「無条件の物資支援」の議論があった時、そのような主張をする人々が、韓国も暮らしが困難なのに、北朝鮮に何でも与えるのはいかがなものかという主張がありました。そのとき進歩陣営が「条件なき人権保障のために、北にも人道的支援をするが、同時に韓国の低所得層に戻る分も増やすべきだ」という声を出すべきだったと思います。そのように、分断体制の双方で苦痛を受ける多くの人を尊重するシステムを作ることで、観点を変えていけたらと思います。

高景彬 多くの脱北者が北朝鮮の人権状況を作ったり誇張したりします。脱北者に対して、100パーセント真実だけを語れと要求・期待することは現実的ではありません。韓国社会も高位公職者の聴聞会を見ると、嘘をつく人がとても多いです。脱北者が北朝鮮でこうむった被害はとても甚大ですが、外では関心がないので誇張できると考えるんです。ですが、このような場合、逆風が生じ得るのが、申東赫氏のように国連人権報告書に重要な証言をした人が、その一部を取り消すことで、全体の報告書にダメージになる可能性があります。過去には証言を誇張する必要があったとしても、今は皮相的な水準ではあるけど、北朝鮮の人権が劣悪だということは、みなが知っている事実でしょう。実質的に北朝鮮の人権をどう改善すべきかに焦点を合わせるべきで、証言について誰も検証できない環境で、その人の言葉が真実なのかどうかを突き詰めようとするのは、非生産的な議論だと思います。実際に北朝鮮の住民の人権を改善する方法について検討する過程で、自然と証言の真実性も見分ける機会が出てくると思います。

薛ソンア 北朝鮮の人々が日常的に話すことがあります。戦争でも起きればいい、ということです。私も北朝鮮で似たようなことを思ったことがあります。戦争さえ起きれば、保安員をみな殺してやろうと思ったのです。保安員から、ときに口外できない下品なことを言われたときは、目の前では謝りましたが、心の中では「私が何を間違ったというのか。生活のために金を少し稼ぐことの何がいけないのか」と思いながら、とても悔しかったです。そのうえ女たちは人間扱いされません。このようなことが、今、考えてみれば、人権問題だったのでしょう。まして、自分がこのように悔しいのに、監獄に行った人々はどれほど苦労したでしょうか。そのような人々の心情を考えるとき、国際社会に証言して北朝鮮の人権がよくなるならば、そうすることに積極的に賛成します。ただし、うさぎ一匹のために核を撃つという北朝鮮の言葉のように、人権を改善するといいながら、あらゆる政治戦が大きく展開するようなことがなければいいと思います。

 

人権改善と分断体制の克服の努力を同時進行すべき

 

韓基煜 北朝鮮の人権が劣悪なだけに批判するのは当然ですが、それが韓国の人権には問題ないという意味として受け入れられてはならないと思います。事実、映画「ムサン日記」で脱北者が経験する韓国社会は、人権尊重とはかなり距離があります。もう1つ、北朝鮮の人権を批判するとき、韓国や北朝鮮の当局と、国民あるいは人民を区別することが重要です。たとえば、北朝鮮の政権と北朝鮮の人民の状況を区別して、北朝鮮の人権の劣悪さは政権のせいなのですから、そこに照準を合わせて批判するべきです。批判をする側も同じ役割分担が必要です。韓国の当局者の場合は正面からの批判が難しいですが、国民はそのようなことができるでしょう。市民団体を含めた民間の場合は、そのようなことにこだわりなく批判する権利があり、またそうするべきです。ただし批判が、ある程度、信頼性を持つとき、はじめて逆風を受けずに共感を呼び起こせるでしょう。お話しのような、大騒ぎで政治的にショーをやるのでなく、痛い部分は指摘するものの、実際的な議論を通じて改善されうる方向に進むとき、それが可能でないだろうかと思います。私が見たところ、当局の間で統一と交流のために協力すべきパートナーシップがあるので、礼儀を守るべき部分が明確にあります。しかし、当局の間でも、民間で北朝鮮の人権状況に対して、このように赤裸々な批判があるのだから、改善すべきではないかという話はすることができます。

高景彬 指摘するべきです。北朝鮮の人権を実質的に改善するために、必ずしも北朝鮮の人権状況に対する批判の水位を下げる必要はないと思います。批判と改善の要求や圧迫はするものの、問題は、北朝鮮に対する敵対的かつ威嚇的な環境と併行してしまったら何の効果もないということでしょう。

韓基煜 効果がない程度ではなく、そのような場合には、事実、分断体制を強化するんです。敵対性を強調すれば、人権に対する議論が、突然、政治的な議論になって、むしろ人権に危害を与える状況に変質してしまうからです。ビラ事件がそうなる可能性も大きいです。散布行為をする人々は、北朝鮮の人権の実状、北朝鮮の隠された真実を知らせるという一念があるでしょうが、そのような意図とは関係なく、安全上の危害をもたらすこともありますし、威嚇的かつ敵対的な態度も、人権を非人権的な方法で処理しようとする印象をかなり与えます。

高景彬 過去の軍事独裁政権の時期に、国民が政府や指導者を批判したり、自由を抑圧するのに反発した時、政府は北朝鮮の威嚇を口実としてそれをみな抑えました。北朝鮮もやはり似たような状況で、住民の自由を抑圧しているんです。体制を崩壊させようとする外部の威嚇に対抗して堪えるべきだと北朝鮮住民を説得していますが、私たちがそこに口実を与える必要はないと思います。国を転覆させたり、指導者を交代させるのが目的でなく、純粋に私たちは人権改善、住民の生活の質の向上に関心があるということを示すためには、このような敵対的かつ威嚇的な外部環境を緩和させる必要があります。

薛ソンア 少し違う話ですが、行き過ぎた政治的余波がもたらす、残念な日常の事例があります。韓国の人と脱北者が結婚した夫婦が、政治的な話でかなり夫婦げんかになるようです。たとえば、天安艦事件の話が出た時、韓国の人が北朝鮮の仕業だという政府発表とは少し違う角度で見るべきだというとき、けんかをしたそうです。脱北者の方で北朝鮮を肩を持つのか、おまえがどうしてそんなことが言えるのだ、と言ってきます。また、ある夫婦は、韓国人の夫が北朝鮮に米を送るべきだといってけんかしたそうです。誰を喜ばせるために米を送るのかと脱北者の夫人が怒ったんでしょう。離婚してしまいそうな大きなけんかになることもあるそうですが、胸が痛む話です。

李向珪 天安艦事件のとき、脱北学生たちがかなり学校をやめました。あたかも自分が天安艦を爆破させたかのように、韓国の学生に攻撃を受けたようです。私たちは、話では脱北住民が韓国社会に定着するようにといいますが、南北関係が悪くなるほど、彼らは韓国で自分の居場所を見つけることが困難です。脱北者がいくら保守的になっても、外側である瞬間、親北朝鮮的な人間であると規定してしまい、「私たち」でない「彼ら」と考えてしまう傾向があります。さきほど韓さんがおっしゃったように、国家と個人を区別する能力を、事実、誰よりも私達の子供たちが学ぶべきです。分断体制というものが、敵と味方を分けて、どちらに立つかという情緒を作り出しているので、このような状況では、脱北住民が自らのアイデンティティに混乱をきたすばかりか、外部の強圧によって、あるときは抱き込まれ、またあるときは排除される状況が、彼らをより一層混乱させています。だから、敵と味方を分ける尺度や障壁が高くない社会を作ることが、統一を準備する重要な運動だという気がします。

韓基煜 天安艦事件はさまざまな面で深刻な後遺症を残しています。真相究明がきちんとなされなかったのに、あたかも思想的検証の尺度として作動するからです。科学的に異なる意見が残っている状態から、政治的な信念の問題へと変質しながら、天安艦事件が北朝鮮の仕業ではないかもしれないといった瞬間、おまえは北朝鮮追従であるという風に規定してしまうので、脱北青少年の場合のように胸の痛いことが起きます。このような「理念的な」正解を強要することがあってはならず、また、野党代表のような責任ある地位にある方が、そのような不当な要求に屈服してはいけません。

 

堂々かつ健康な朝鮮半島の住民として生きていく

 

韓基煜 最後に「脱北者のオールタナティブな生を求めて」という主題で対話を終えようかと思います。私が見るところ、脱北者は分断体制が持続する以上、最も干渉され傷つきやすい位置にいると思います。天安艦事件だけを見ても、相対的に一般市民の場合は、世論調査で47.2%が、政府発表が信じられないと出ていますね(NEWSTAPA、2015.3.25)。ですが、脱北者がこのような部分について返答を強要されること自体が――事実、このような形の「思想検証」は深刻な人権蹂躪です――自分らしく自由に生きにくい理由になります。脱北者が、政府当局や社会のイデオロギー的な要求から自由になって、自らの意向のままに生きていく道をどのように模索すればいいでしょうか?

薛ソンア 脱北者の立場では、本人の姿勢が基本的に重要だと思います。極端に言えば、いっそのこと定着金を与えない方がよくなるかもしれません。中国でいつ捕まるかもしれない恐怖の中で生きたことを考えれば、ここは本当に楽園です。ですが、定着金をもらえば非常に力になる反面、それを逆利用する場合が多いので、さきほど申し上げたように、むしろ懸命に自立しようとする人々が失望するような状況です。脱北者も自己啓発をすればいいと思います。次に、やはり理念的な目的で脱北者が利用されなければいいと思います。安保講演だけにしても、北朝鮮の実状を伝える人はやめさせられて、北朝鮮政権を打倒しようという人だけを使いつづけるのが現実ですが、本当に残念な部分です。脱北者が盲目的にお金ばかりを稼ごうとせずに、自分たちの社会のために、キツネも死ぬときは自分の巣に戻るといいますが、お金を稼いだら、1つでも何か志を持ってやってくれればいいいと思います。これもやはり脱北者の問題になるでしょう。宗教団体でも脱北者を計画的に集めようとするのはやめてほしいと思います。別の見方をすれば、教会も脱北者の金儲けの手段として利用されます。

韓基煜 相互利用と見ることができます。

薛ソンア そうです。信仰というものは心の安定を得るためのものです。とにかく今までは、信仰も定着も自分のアイデンティティも、みなきちんと成し遂げることが困難です。このようなさまざまな問題を、脱北者自らの努力とともに、システムを合理的に作ることで解決していければと思います。

李向珪 脱北者の問題は、政治が過剰になっている領域ですが、個人の生に対する尊重の方に進めばと思います。脱北してソウルで大学に通う学生がいますが、北朝鮮で孤児のような生活までしました。ある日、もの乞いをして戻ったら、藁でできた家の藁の部分を、誰が燃料に使うために持っていってしまって、1日で家がなくなったそうです。お兄さんやお姉さんと駅前で野宿生活をしてから中国に来て、ある家に3、4年隠れて暮らしていました。私がこの子に、君の人生をイメージで表現したらどんなものだろうかと尋ねました。北朝鮮では自分が野原を飛び回る鳥みたいだったそうです。朝起きて、落ちた穀物や米粒を拾うために歩きまわって、夕方に家に戻ってから寝て、翌日、また野原に出て行くような生活だったということでしょう。中国では鶏小屋の中のひよこみたいだったそうです。自分が出られるのか、外に出て行けるのか、いつまでこのような生活をしなければならないのかわからなかったようです。そして、韓国に来てからはケージの中で走りまわるハムスターだといいます。懸命に走ってはいるものの、なぜ走っているのかわからず、いつ終わるかもわかりませんが、そばにいる子たちはみな走っていて……どこが幸せなのかよくわからないといいます。ですが、私の考えでは、彼らはここに来たからこそもっと深刻に体験した苦痛があるようです。韓国は敵・味方に分ける社会、政治が過剰な社会、孤立した社会だからです。また他の友人は、父親が、北朝鮮ではいつも家の鍵を閉めず、隣人たちが家にやってきて酒を飲んで行ったそうですが、ここでは誰も訪ねてくる人がないから、ある日、父親がぼんやりと1人で、泥棒でも来てくれたらいいのにといったそうです。どの空間にも属さないと考えられる人を、誰も気遣わない社会、だからといって、ある空間にいる人々さえ、互いに面倒を見ない社会になってきたので、これらの人々が体験する苦痛がかなり大きいようです。だとすれば、脱北者の問題は、事実、私たち韓国社会の問題である面も多いんです。結局、統一が、野原の鳥でもなく、ハムスターでもない、人間が生きる社会を作ろうということのはずですが、ならば、彼らが韓国社会をどのように見ているのか耳を傾けて、直す部分は一緒に直していって、もう少しいい社会を作るべきです。私たちは優秀だったから、おまえたちが適応するべきだという態度では、それは困難です。彼らの声に傾聴する態度が必要です。

高景彬 同意します。脱北者を改造するのではなく、韓国社会をよりよい社会にしていくことが目的になるべきです。脱北者の問題を、彼らの集団の特異な指向や道徳の問題として眺めていてはいけません。そのようなものを作り出す韓国社会の構造的な問題は何なのか反省するべきです。相手の立場で考えることで、自分が韓国社会に来て、定着できずにさまよって、ある日突然、自分に北朝鮮の人権闘士だといってきて、お金もくれて英雄として突き上げられる環境と向き合ったら、それを拒否することができますか。また仕事をしなくても教会に行けばお金をくれますが、それを拒否することができますか。ここで一番重要なのが政府の役割です。脱北者だけではなく、韓国社会がすべての人々に、北朝鮮追随か、反北朝鮮かを強要する秩序の中にあります。このようなとき、5年ごとに変わる政権が、その時期の雰囲気で右往左往してはいけません。政府ならば、最低限、南北関係に関して、超党派的な基盤を準備して政策を展開するべきです。短期的には安保のためにどのような道が望ましいか、そして長期的な側面では平和的な統一の達成に、どのような道が必要なのかをめぐって、この問題に接近するべきだと思います。

韓基煜 脱北者の問題が韓国社会の問題であるという点に同意しながらも、私は社会の努力とともに、脱北者も努力するべきだと思います。分断体制に利用されながら金銭的代価を受ける人を個人的に非難することは解決策にはなりませんが、それを拒否する人に対して、それがどれほどすごいことかを認めるのはとても重要だと思います。社会構造的な問題を政策的に解決するか、あるいは個人の努力と決断で解決するか、この両者が相互に接近すべきだとすれば、個人が踏み出す一歩が政策の根拠になると思います。言葉をかえていえば、脱北者が人間らしい人生を享受するには、自らの身体を韓国や北朝鮮という国家の政治的・イデオロギー的な機制あるいは装置に差し出さない努力が必要だということです。ですが、よく考えてみると、これは脱北者だけに該当する話ではありません。分断体制下に生きる住民全体が、韓国・北朝鮮当局から発想や立場を強要される部分があります。それに対して「そうしたくない」と言えなければなりません。そのような思想と表現の自由が民主主義の核心です。脱北者は朝鮮半島で最も特殊な存在だといいますが、ある意味ではむしろ最も普遍的な存在ともいえます。分断体制の再生産過程で利用されずに戦わなければならない普遍性の問題に、まず正面から耐えることを要求されている存在ですが、他の人も、今、目立って催促されていないだけで、結局は同じことです。結局、脱北者でも脱北者でなくても、分断体制による韓国・北朝鮮の弊害に対してともに戦って、はじめて脱北者の問題も、韓国社会の問題も解決できるだろうと思います。ずいぶん話が大袈裟だったでしょうか(笑)。

高景彬 私がさきほど韓国社会の構造的な問題でみるべきだといったのは、もしかしたらそれがもっとも容易な方法だからです。明確に必要ですが、さらに困難なのが脱北者の努力です。命を賭けてこの地に来たわけですし、ここでも困難を抱えていますが、むしろ南北間の敵対感を増幅させる役割を与えられやすいと思います。南北が長い間、互いに敵対している環境で、和解し、許し、平和に統一できる役割を、勇気をもって切り開かれる方々を、私も何人か知っています。盲目的な反北朝鮮活動がアイデンティティを確立する道ではなく、民族史的に、この地に来て、やるべきことがあるとおっしゃっている方々です。そうした方々に希望を見出します。そのような努力は努力としてやりながら、政府が重心をとって進むべきです。

李向珪 私は、脱北者に民族と歴史の使命を付与するのは、あまりにも荷が重いのではないかと思います。実際に民族の和解のために韓国で来た人々でもありません。健康な市民、健康な個人として生きられれば、それで充分ではないでしょうか。そのように重い荷物を課してはいけないと思います。そのうえ、健康な個人として生きることも容易ではありません。北朝鮮にいるときに、そのように暮らしたことがない人々ですから。韓国に来てからも、どこでも民主主義を教えないために、そのような教育を渇望する青年たちもかなりいました。健康な個人として生きようとする、彼らを支援できる、教育と訓練の機会が、さらに準備できればと思います。

高景彬 全面的に同感で、さきほどの私の話は取り消します(一同・笑)。事実、健康な市民として生きることが和解の道具になるんです。

韓基煜 健康な個人、健康な市民、ともに重要です。健康な個人の方がもう少し根本的な問題で、そこに健康な市民が内包されていると思います。健康な市民というのは、南北間に敵対的な対決を助長するよりは、それを小さくする努力をする存在ではないでしょうか。個人的に歴史的な重圧感を与える必要はありませんが、実際にそのような人たちが統一の資産になるでしょう。

薛ソンア 私が1人で突拍子もない質問をしているようです。韓国の人が今の北朝鮮に行くと、どのような現象が起きるだろうか。現在、韓国で脱北者が直面している定着過程と同じような問題点が見られるだろうか。かならずしもこのような形ではなくても、韓国の国民や政府、脱北者自身まで、いろいろ省察して行くならば、もう少しいい道を探すことができると思います。

韓基煜 私は脱南するつもりはありません(笑)。

李向珪 余談のように申し上げれば、私も北朝鮮に行って住みたいとは思いません。ですが、私たちが北朝鮮に行って住みたいと思うように、北朝鮮という国を作っていくと同時に、北朝鮮の人が韓国に来て暮らしたいと思うように、韓国という国を作っていく過程が、まさに統一を準備する過程でないかと思います。

韓基煜 長時間、貴重なお話しをありがとうございました。これで座談を終えたいと思います。(2015年4月24日/於・細橋研究所)

 

〔訳=渡辺直紀〕