창작과 비평

地球史・平和史脈絡の韓国戦争研究

2015年 夏号(通卷168号)


― 金學載(キム・ハクジェ)、『板門店体制の起源』、フマニタス、2015

 

洪錫律(ホン・ソクリュル)/ 誠信女子大学校史学科教授

この本は韓国戦争を「戦争の起源」ではなく「平和の起源」という次元から新たに接近する。韓国戦争の終結を巡った国際法的論議を地球史的次元と、平和企画という知性史的次元から分析して、よく「停戦体制」、「1953年体制」と言われた「板門店体制」の性格を照明する。
著者の金學載(キム・ハクジェ)は近代自由主義の平和企画をカント的企画とホッブズ的企画に分けて、その概念と歴史を地球史的脈絡で密度濃く述べている(第1部)。ここでカント的企画とは国連のような国際機構と国際法を基にして平和を維持する方式を言う。民族主義、国家利益より国際協力と普遍性を強調する。また、軍事同盟より集団安保(collective security)を追い求める。国際政治学で言う理想主義、ウィルスン主義がこれに当たる。その反面、ホッブズ的企画は一応人間世界で紛争と戦争は不可避であることを前提とする。軍事同盟と影響圏(sphere of influence)設定などで権力均衡を追求する、基本的に位階的で差別的な力による平和を追い求める。国際政治学で言う現実主義がこれに当たる。
著者はカント的企画とホッブズ的企画との違いと亀裂を充分に示すが、これを二分法的に思考したりはしない。両者が相互対立しながら、時には互いに重なり、結合する様相にも注目する。ファシズムとの対決で勝利することで二次大戦以後、カント式自由主義国際秩序が上昇する「自由主義的瞬間」(liberal moment)が渡来したし、これは国連の創設として現れた。だが、一方でこの時期はアメリカとソ連との間に冷戦が形成される局面でもあった。冷戦は徹底に力の均衡を追求するホッブズ的企画が圧倒したことであった。しかし、自由主義は本質的に自由の範囲とそれを享受できる人々を制限する排除/包摂の論理を内蔵している。著者は自由陣営とファシズム陣営の対立という二次大戦の二分法的国際秩序観が、再び自由陣営と全体主義的共産主義陣営の対立という冷戦構図へと繋がる側面に注目する。カント的企画も冷戦が形成されるに基本材料として作用したということである。
韓国戦争はこのようにカント的企画とホッブズ的企画が重なる冷戦の形成期に発生した。この本は戦争の終結を巡った諸般論議と政策が、戦争状況の変動によってカント的企画とホッブズ的企画へと気紛れに、非常に目まぐるしく行き来する様相を一目瞭然と叙述する(第2部)。その結果形成された板門店体制は基本的にホッブズ的企画の産物であるが、両平和企画のどちらにも完全に及んでいない「現存の秩序維持に対する周辺強大国らの強迫に依存して60年間余り持続された、不安で流動的な軍事停戦体制」(542頁、強調は著者)だと規定する。また、韓国戦争期にサンフランシスコ講和条約が締結され、東アジア各国がアメリカと両者的軍事同盟を締結しながら東アジア国際秩序が新たに再編される過程を糾明して、これもまたホッブズ的企画が圧倒したこととして見なす。現在西欧では北大西洋条約機構とヨーロッパ連合など、地域的協力が存在するが、東アジアには領土紛争など19世紀的民族主義葛藤が続く現象(「アジアパラドックス」)も韓国戦争およびその結果で作られた板門店体制と密接な関連があるという指摘である。
著者は朝鮮半島と東アジアでホッブズ的企画が圧倒する現象を、カント的企画が歪曲されたり失敗した結果として単純化するのではない。韓国戦争期における俘虜交換の過程を分析しながら、むしろカント的自由主義の根本的な限界を顕にして見せてくれる。ここがこの本で最も興味深いところである。停戦協商で国連軍側が掲げた俘虜の言わば「自由送還」原則は、自由で理性的であり、独立的な個人というカント式思考を投与したものであった。だが、そのような自由送還のため俘虜たちを審査し分類する過程は、想像を絶する惨たらしくて残忍な暴力をもたらしてきた。このような脈絡で著者は自由主義平和企画の根本的な限界を指摘しながら、デュルケーム(E. Durkheim)の社会的連帯を通した平和を代案的平和企画として提示する。
この本で多少物足りない点は「政治」の失踪である。カント式とホッブズ式企画が交差する過程は実際に超国家的に、または国家内部に存在する諸般政治・社会集団らの間の葛藤と密接な関連がある。著者は韓国戦争の起源論に焦点を置いた既存の研究が、戦争の責任を問う刑法的視角に埋没されたと指摘するが、評者としては同意しにくい。戦争の責任を問う研究が「起源」より「勃発」をより強調したという形式論理の次元で異議を提起するわけではない。戦争起源論の焦点は責任の所在よりは、戦争を発生させた葛藤の起源、またはその葛藤の性格の問題であったと思う。例えば、一般的に内戦論者として分類されるブルース・カミングス(Bruce Cumings)は、韓国戦争の起源を説明しながら戦後覇権を追求するアメリカと民族革命・土地革命を推進する韓国民衆との葛藤、またこれと共にアメリカ内部の国際協力と信託統治を主張した国際主義者(カント的企画)とアメリカの国益を力でもって一方的に貫こうとした民族主義者(ホッブズ的企画)との葛藤を描き出した。ところが、金學載の叙述では誰が、どの集団が特定の形態の平和企画を主導したかに対する言及が見られない。戦争責任論を脱するためにあまりに脱主体化した叙述をしたので、脱政治化の問題が発生する様相である。
著者は板門店体制および東アジア国際秩序が当然解決すべき政治的問題(朝鮮半島の統一、日本の植民地支配および侵略戦争に対する清算)の解決を排除したり、留保する「脱政治化」を特徴とする強調する。しかし、この本の板門店体制に対する性格規定は停戦協定とアメリカとの両者軍事同盟など、主に軍事的側面が強調されるし、一部発展主義のような経済的側面を言及するに留まる。朝鮮半島の分断は朝鮮半島内外を貫通するいろんな政治・社会集団の間に結ばれる特定の政治的関係、例えば「敵対的依存」などを通じて形成され維持される側面がある。このことに対してはこれまで談論的にも学術的にも多くの指摘があった。だが、この本にはこの点に対する説明がほとんどない。なので、この本で語っている「板門店体制」は「停戦体制」、「1953年体制」に取って代わることはできても、「朝鮮半島分断体制」に取って代わったり、これを全面的に新しく説明する用語にはなりにくいと思われる。
それにも関わらず、この本は新しい世代の韓国戦争研究が始まったという感じを与えるに充分である。朝鮮半島の問題を一国的視角ではない地球史的脈絡から接近する一方、哲学・法学・歴史・社会学などを行き来する学際的研究という側面で驚くべき大きな一歩を見せてくれる。これに関する限り、ある典範を示した著作として紹介され得るだろう。

 

〔訳=辛承模、シン・スンモ〕