창작과 비평

[卷頭言] 剽窃と文学権力の論難を経験して

2015年 秋号(通卷169号)

 

 

白永瑞

 

 

今号を発行する編集陣の心構えはいつもより慎重です。去る6月申京淑作家の剽窃(盗作)騒動を経験した後、内外の方々が秋号を注視していることをよく知っているからです。

まず、編集主幹としてこの場をお借りし、本誌を愛してくださる読者の皆様にご心配をおかけしたことについてお詫び申し上げます。論難が生じた当時、私はサバティカルで海外の大学で講義中でした。文学出版部名義の最初の報道資料が内部での議論も経ずに出されたことで、読者の憤怒と論難を拡大させたことが、このような私個人の事情とも関係があるので、個人的にもっと申し訳なく思っております。とくに、創批の場合、編集者を含む編集委員たちは機関誌の編集を担当しており、私だけが機関誌と単行本の出版業務を一緒に掌るシステムであるため、さらに困惑しました。

私は、その後私たちに集中された社会的関心や反応に驚きながらも、そこには創批が約50年間歩んできた道に対する信頼や期待も込められていたと思いました。それゆえ、それだけ強い責任を感じ、深い省察の契機にしなければならないと強く思いました。

私たちはこの間内部討論を経て、申京淑の当該作品において剽窃論難を十分に招き得る文字的類似性が発見されるという事実に合意しました。ところが、同時にそのような類似性を意図的書き写し(盗作)と断定することはできないと判断しました。そうであるならば、無意識的な借用や盗用も含む広義の剽窃であるという点だけでも、迅速に認め、文学における「剽窃」とは何かについて討論を提議する手順を踏むべきだったかもしれません。しかし、作家が「意識的な盗作」をし、出版社はお金のためにそのような盗作行為を庇護していると断罪する雰囲気が圧倒する状況の中で、創批がいかなる言明をしても、結局は一人の作家を罵倒する雰囲気に合流するか、または「商業主義に堕落した文学権力」という非難を生むジレンマを避ける道がなかったので、私たちはこの間沈黙を選ばざるを得ませんでした。しかし、今は落ち着いて理性的に議論できるところに来ており、また読者の皆様には創批の立場を多少なりともご理解いただいた上で、ご批判いただけるのではないかと敢えて期待してみます。

剽窃問題に対する発言がとくに難しかったのは、それが他の争点、つまり文学権力(ないし文化権力)論難と結び付いているからです。創批が「文学権力」として名指しされた途端に、感情や道徳レベルの非難対象とされ、どの発言をしても不純な権力行使として見られがちでした。しかし、その問題も綿密に検討してみる時ではないかと思います。文学権力というのが文学場の中で一定の資源と権威をもつ出版企業を意味し、その出版社が有数な雑誌を生産する下部構造として機能することを意味するのであるならば、創批を文学権力と言ってもよいと思います。ところが、創刊号の巻頭論文で「創造と抵抗の拠点としての役割」を自任した創批にとって、公共的価値の実現は創社以来の最も重要な目標です。そして公共性を持続的に実現するためには、物的基盤を備えることが必要だと思いましたので、公共性と事業性との結合のために絶えず悩んできました。創批がこれまで積み上げてきた事業的成果も私たちの公共的寄与と関係があると、私は思います。もちろん創批がその過程において両者間のバランスをいつも上手に維持してきたと主張することではありません。

私が創批の主幹を担当するようになったのは、創批が創刊40周年を迎えた10年前のことです。当時は盧武鉉政権が後半期に入り、「進歩の危機」が言われはじめ、新自由主義の市場論理がますます強まる時でした。そこで、私は創批革新の基本方向を「運動性の回復」と決めました。去る10年を振り返ってみると、当時の約束に比べてその成果がまだ物足りない感じはしますが、創批の編集陣がその目標を忘れたことはなかったと自信を持って言えます。これからも私たちは読者の皆様の愛情の込もった批判に耳を傾け、姿勢を一層正すようにしたいと思います。

そのためには文学権力、さらに出版権力とは比べることもできないほど巨大な言論権力や宗教権力等を含む文化権力の実態とその具体的作動様相を分析する作業も当然必要となります。ところが、今号にはまず最近の事態をめぐる外部からの多様な見解を傾聴し、今後より深まった討論の資料とするため、他のところで発表された3人の論文を「緊急企画」欄に掲載させていただきます。一つは、文化連帯と韓国作家会議が主催した討論会で発表された討論文であり、もう一つは文化連帯と人文学協同組合主催の討論会で出された論文です。最後の一つは、韓国作家会議ホームページの掲示板に掲載された論文です。

この企画はもちろん一つの出発点に過ぎません。私たちは文学における模倣と剽窃、文学権力問題など、今回大きく浮き彫りになったテーマを持続的に探求するだけではなく、創批が十数年間念入りにつくりあげてきた「創批言説」をより充実化し、すばらしい文学を生産して評価する作業をいっそう積極的に行いたいと思います。私たちに与えられた貴重な資源を謙虚に活用しながら、韓国文学と文化の創造力を高め、公共性を具現するために、多様な運動を展開する方々と連帯及び善意の競争を大いに図りたいと思います。読者の皆様の変わらぬ愛情と鞭撻を心よりお願い申し上げます。

 

終戦70年であり、かつ解放70年を迎えて、本誌は「創批言説」の観点からその現在的意味を探るという趣旨で、特輯「時代転換の兆候を読む」を用意し、4本の論文を集めました。「資本主義の終末」が公然と取り上げられる世界史的・文明史的転換のレベル、中国の大国崛起がもたらした地域秩序の変化という東アジアレベル、そして朝鮮半島レベルの分断体制の動揺が度重なる局面において、韓国では前例のないより大きな転換を予感、あるいは期待します。

金鍾曄は、韓国レベルで87年体制の政治的転換の可能性を点検します。私たちが日常で実感している危機構造を脱民主化に伴う国家能力の継続的な悪化としてとらえ、その克服のための短期的課題を、まさに今論争中の圏域別比例代表制の導入において探ります。それは、古い習俗から抜け出した社会運動勢力を中心にして、選挙法連帯が稼動する時に実現できると展望します。キム・ヨンチョルは、解放70年を分断70年と規定し、朝鮮半島レベルでの転換の道を、北朝鮮を中心に模索します。分断体制が北朝鮮の国家形成において韓国との差異や競争の環境を造成したことを、歴史的アプローチによって分析し、北朝鮮の崩壊ではない変化の可能性に注目します。

昨年出版された『白楽晴が大転換の道を問う』と真摯に対話する金東春は、当面の短期課題を中長期的観点と結びつけて思考する白楽晴のアプローチ方法を高く評価しながら、その本で語る「大転換」の実際内容と未来構想がより充実になれる方法を提案します。朴槿恵政権の跛行とその克服という課題を分断体制の克服及び19世紀末以来強要されてきた非自主的近代化の克服という重層的時間帯の課題とつなげなければならないということです。温鐵軍等は中国の新国家戦略の「一帯一路」を陸上勢力と海上勢力との覇権葛藤として展開された19世紀末以来の世界史レベルで把握します。そして社会正義の理念と文化多様性のビジョンが盛り込まれた生態文明戦略を中国内で実現してからこそ、代案言説が説得力を持つことになると力説します。

元老人文学者の林熒澤と宮嶋博史を中心に行われた「対話」も特輯の趣旨とつながります。中国大国化がもたらす東アジア秩序の変化と絡み合っている今日の日韓対立問題を思想史・文明史的観点から巨視的に分析し、オルタナティブパラダイムの可能性を東アジアの思想資源において探る格調高い討論の場です。

今年はバンドン会議60周年になる年でもあります。「論壇と現場」欄では第3世界の現在的意味を再考するために、ウガンダ知識人のマフムード・マムダニがアフリカ的視点からアメリカの形成に関する言説を批判的に検討した論文を載せます。インディアンの運命を通して定着型植民主義の先駆だったアメリカ史の特性を浮き彫りにさせる野心的作業として、近代世界の植民支配歴史を再考する契機を与えてくれると思います。その他に、前号のサード(THAAD)関連の論文に対する反論が投稿されました。韓国に配置しようとするサードが韓国を狙う北朝鮮の攻撃危険に対処するものではなく、対中国用であるという根拠を提示していることがその骨子です。また今年の5月、香港で開かれた「東アジアの批判的雑誌会議」の成果を丁寧に伝える論文、マーズ事態の真相と医療体系の改善点を市民の視点からわかりやすく説明した論文が読者の皆様をお待ちしています。

「緊急企画」欄には、上述したように申京淑の剽窃問題に関する3本の平文が掲載されます。チョン・ウンギョン、キム・デソン、ユン・ジグァンはそれぞれ異なる立場から剽窃と文学権力論難について論じますが、3本の論文は扇情的な世論誘導ではなく、社会と文学の現在を熾烈に問う批評の役割を果たそうとする問題意識の所産です。寄稿者たちは既存に発表した内容を多少補完して送ってくださいました。

「文学評論」欄には韓国文学の現場に対する繊細で鋭い批評的省察を見せる論文によって構成されました。ハム・ドンギュンはセウォル号惨事以後韓国文学の変化様相に注目しながら、真実が隠蔽される現実から逆説的に「棄却され、忘却されたものが自ら発火する」文学的現象を論じます。新鋭評論家のイ・ウンジの論文は、若い作家の作品に表れている記憶、忘却、回想行為の多様な局面が、生活に対する共通感覚とどのように接続するかを分析します。創批新人評論賞で登壇したキム・ヨソプは文学作品と歴史的現実との関係を根気強く探聞します。

「小説」欄には前号から始まったチョン・ソンテの長編連載が作家の事情で1回休むことになりました。その代わりに新鋭作家のヤン・ソンヒョン、イ・スンウン、イム・ヒョン、チョン・ヨンス、チェ・ウニョンと、創批新人小説賞を受賞したキム・スの作品が、現在活動している若い作家たちの多彩な色彩と個性を披露してくれます。また詩人11名と創批新人詩人賞を受賞したキム・ジユンの詩編も紙面を輝かせます。その他に批評文化の水準を高めるために、本誌が力を注いだ「文学フォーカス」、「作家スポットライト」及び「寸評」等の論文も今号を豊富にします。

今年萬海文学賞は残念ながら受賞作がなかったですが、申東曄文学賞は詩人のパク・ソランと小説家のキム・グミに与えられました。我が文学に活力を吹き込んでくれたお二方に読者とともにお祝いと激励のお言葉をお贈りします。なお、創批新人文学賞の各部門の当選者にもお祝い申し上げます。

非常に暑かった夏も去り、落ち着いて思考し、討論できる季節が近づいてきます。今号は厚い分量で読者の皆様を訪れます。秋号をめぐった皆様との真摯な対話がいつもより楽しみです。創批は読者の奥深い関心に励まされ、ここまで一号一号と歩んでくることができましたし、今後もそうさせていただきたいと思います。

 

訳:李正連(イ・ジョンヨン)