창작과 비평

[卷頭言] 歴史クーデターではなく、新型クーデター局面である

2015年 冬号(通卷170号)

 

 

まさかと思っていた歴史教科書国定化という爆弾が落ちた。教育部が去る10月12日中・高校の歴史教科書を2017年3月から国定化するという案を行政予告し、11月3日これを確定告示することによって、歴史教科書国定化が本格的な推進段階へと入った。不通と独善で点綴された朴槿恵政権の振る舞いを見れば、予想可能なことである。そうだとしても世論の激しい反発とさまざまな国政懸案が座礁される危険までを甘受しながら、政府・与党が国定化を推し進める意図は何かを反芻してみる必要がある。

朴槿恵政権が、世論が自分たちに不利に働くだけではないと判断したともいえるが、激しい反発を招くだろうという点はすでに予想されたことである。そうであるならば、短期的な不利益を甘受しながらも、国定化を推し進めると判断したと考えなければならない。親日の合理化や維新の正当化等がこれに対する有力な説明として提示されたりする。歴史クーデターという批判もここから始まる。しかし、権力政治に誰よりも鋭敏な感覚をもつ現政権が単に自分たちに有利な歴史的解釈を教科書に盛り込むために、このようなことを引き起こしただろうか。もし政権交代になれば、「1年きり」で終わってしまう点までを考慮すれば、疑問はいっそう膨らむ。

彼らにとって真の問題はいつも歴史ではなく、政治なのである。国民世論と専門家の見解、行政手続きを無視し、さらに進んで透明性を保障するといった自分たちの約束までを覆した国定化推進過程をみると、「歴史クーデター」という規定は説得力がある。しかし、それが歴史に限定されず、民主化の成果をすべて無化させようとする「政変」の一環であれば、私たちの警戒心はより高められなければならない。国定化局面において、朴槿恵大統領は「明確な歴史観がないと統一も難しく、統一されても結局思想的に支配される状況が発生し得る」と主張した。さらに、「正しい歴史を学ばないと、魂が異常にならざるを得ない」と一喝した。統一のための思想的準備と異常な魂の正常化が歴史教科書の国定化によって実現できることなのだろうか。このような論理が政治的にどこへ帰結するかは、10月維新等を経験した私たちからすれば、とても明確である。金武星代表等のような、国定化を積極的に主張する人たちが現行の検定歴史教科書をすべて「反大韓民国史観」によって書かれたということを国定化の理由として、「国論分裂の防止と国民統合」を国定化の最終目標として提示しているところに彼らの真の意図がいっそう明確に表れる。すなわち、大韓民国と反大韓民国という対立構図に我が社会を区分し、維新時代の「国民総和」を復元しようということなのである。それによって、自身に不利だと判断される「民主−反民主」あるいは「進歩−保守(あるいは守旧)」のような対決構図を代替することに成功すれば、それを通して批判勢力を反国家的勢力として規定し、彼らの政治的生存権までを剥奪することができるようになる。

1987年6月抗争以後作られた民主的秩序に対する煩わしさは朴槿恵大統領とその支持勢力が長年共有してきたものである。これを変形させようとする試みも絶えず行われてきた。かつての国政院のコメント投稿事件は民主的秩序に対して正面から否定することであり、当時も銃声なきクーデターという批判が提起された。それは、李明博政権が行ったことであり、朴槿恵大統領はその受益者として李政権を「掩護」した程度だと考えがちであるが、朴槿恵政権の出帆以後、三権分立の無視、国政院の政治介入等の事態が繰り返されることをみれば、大統領の本心がどこにあるかは明らかである。今後国定化推進の前提となっている発想が韓国社会の全般を貫通するようになれば、その過程はもぞもぞと進む一種の低強度クーデター(creeping coup d’état)、まもなく民主的体制の漸進的廃棄として完成されるだろう。これは、新種クーデターであり、6月抗争の勝利を経験した国民を騙し、なだめながら、守旧勢力の永久執権体制を復元しようとする21世紀韓国のオーダメイド型変種クーデターといえる。かつてのように、軍人が銃剣を振るうやり方ではないので、一気に目標を達成することはできないものの、だからこそ、まさにその理由からとくに抵抗されることなく、その過程が進む可能性もある。では、この新種クーデター局面にどのように対応すべきか。中・高校生、教授、教師等が先導して国定化反対を主張することによって、世論が国定化に非常に否定的な方向へ動いている事態は、朴槿恵政権にとって多少予想外のことかもしれない。市民社会は、国定化問題を直ちに政治化するよりは、常識と原則に関する問題として捉え直し、民主的体制との不調和を浮き彫りにしながら、国定化に対する批判的な世論を拡大させている。我が社会の民主的力量が高いことを見せてくれたのである。しかし、事態の核心が新種クーデターだという鋭い認識が、市民社会でさえまだ明確ではなく、とりわけ野党への支持度が停滞し、下落している状況は、朴槿恵政権が来年の総選挙で勝利して事態を自身の意図通りに進展させる可能性を開いている。政府・与党が選挙によって窮地から抜け出し、政局の主導権を確保した事例はかつて数回あった。すでに朴槿恵大統領が率先して「正直で誠実な人だけが選べられるべきである」と事実上の総選挙審判論を取り出している。

野党陣営、とくに第1野党の新政治民主連合がこのような趨勢を取り戻すためには、単に国定化批判をもって与党の弱点を浮き彫りにして反射利益を狙うのではなく、新種クーデター局面に相応しい特段の対策を講じなければならない。そうしないと、来年の総選挙後の状況はいっそう深刻となり、野党が結果的にクーデター局面の進展を幇助したという批判も逃れ難い。否、野党の総選挙敗北という幇助なしでは決して成功できない無理なクーデターの緊要な助っ人になりかねないである。

もちろん来年総選挙の結果を前もって悲観する必要はない。しかし、現在のように野党陣営が支離滅裂、右往左往する状態が続けば、総選挙で敗北せざるを得ない。この状況を変化させるためには、野党の勝利が特定政派の既得権強化ではなく、国民の勝利になるビジョンを提示し、行動として見せなければならない。最近数年間野党の主要な指導者たちは既得権の放棄を強調したが、実践につながらなかった。これが、最近野党が主要な選挙で連続して敗北した理由であり、互いに必死に戦う人士たちもすべて大枠では無気力症状から抜け出せない理由である。当然国民の信頼を回復できない理由でもある。もちろんどの既得権をどのように放棄するかをめぐる論難があり得る。しかし、この問題を解決することが政治指導者の責務であり、現在最も多く持っている指導者や勢力が他者に押されてではなく、自ら決断して最も多く放棄する行動を見せる時、初めて国民が感動し、新種クーデター局面を逆転させる変化が始まる。国民は、これを切実に待ち望んでおり、見守っている。今や皆が姿勢を正し、21世紀韓国の新たな局面に相応しい新しい汎国民運動を準備する時である。

 

 

今号の特輯は「韓国の文学、これからどこへ」というテーマで、今夏から文壇を越えて社会的関心になった剽窃(盗作)と文学権力論難を整理し、韓国文学の進むべき道を模索する対話と論文で構成した。自身と文学に対する省察、そして社会的次元での変化のための努力が別物ではないという点から、これは本誌の一貫した関心事と直結する作業である。これまで提起された主要な争点に対して今こそ落ち着いて深く議論すれば、その熱気が韓国文学の発展のためのエネルギーとして昇華することができると思われる。

「対話」では本誌の編集委員のカン・ギョンソクの司会で 金炅延·金南一·蘇栄炫·尹志寬·姜敬錫が参加して剽窃と文学権力論争過程で提起された争点について虚心坦懐に議論した。活発に取り上げられた論点の裏面に作用する構造的で、根本的な問題を明らかにし、その後の発展的議論のための糸口を提示する。廉鍾善は内部者の視点から創批をめぐる最近の論難をじっくり点検する。剽窃と文学権力論争過程において創批の明らかな過ちと誤解・誤導された事実関係を詳細に区分して説明することによって、今回の事態の実際と争点、関連論議の性格と虚実を把握するのに必須の基礎資料を提供する。

白智延は、申京淑小説に対する過去の批評を文学史的言説と作品論議を通じて再検討し、これまで創批文学に提起された問いに批評的に答える。1990年代創批の批評言説における変化をリアリズムの刷新という流れの中で解釈し、一方、これを学術的に体系化できない限界を指摘する。白楽晴は今回の事態を直接言及する代わりに、「近代適応と近代克服の二重課題」の視点からリアリズムの役割、文学と政治問題等を点検する。すべての形而上学的概念を超える文学と芸術の居所を明らかにするため、「道」とその力としての「徳」、そして関連する「律」の問題を最近の韓国文学の問題作と関連付けて論じることによって、「韓国文学の進むべき道」の模索に寄与しようとしている。

「文学フォーカス」では文学評論家、崔元植と対話を行った。今季に注目できる詩・小説新刊を中心に交わす三人の座談者の文学談話が興味深くて有益である。1年間この誌面を充実に満たしてくださった愼鏞穆、鄭弘樹のお二方に感謝の意を表したい。「作家スポットライト」では最近詩集『廃墟を引き揚げる』を出版した白無産詩人を紹介する。中堅詩人の鄭宇泳との話を通じて伝わる詩人の肉声がひたすら熱く聞こえる。

廉武雄の「文学評論」は、我が文学史の一時期を風靡した林和が日帝時代からKAPF(朝鮮プロレタリア芸術家同盟)の過度な政治主義と文学的純粋主義という両極端を克服し、民族文学理念を形成していった過程を、そしてその模索が南北分断と戦争という現実的条件で挫折する残念な過程を深く追跡する。

「創作」欄では、全成太の長編連載が作家の不可避な事情によって中断されたことについて読者の皆様にお詫び申し上げる。幸いにも成碩濟、殷熙耕、崔眞英らそれぞれ異なる色を持つ現代の代表的な語り手たちの短編小説が今号の創作欄を飾った。金正煥、朴瑩浚など11名の詩人の新作を盛り込んだ「詩」欄もいつものように多彩に構成された。

「論壇と現場」も多様に組まれた。柳昌馥と林慶洙の論文は地域共同体の活性化のために諸自治体が進めているまちづくり事業を検討する。各々ソウルと全羅北道完州の事例としてそれまでの成果と問題点を検討しながら、同事業が我が社会の直面している問題を解決するのにどのような示唆を与えられるかを示している。アメリカの外交政策専門家のジョン・フェッファーは、人類の未来のために火星を探査し、外界の知的生命体を探そうとする努力が実は植民主義の変種にすぎないことを辛辣に指摘しながら、地球を保全するためには伝統的な知性の克服が先行される必要があるという興味深い論旨を展開する。アメリカで活躍するチリ出身の作家アリエル・ドルフマンはルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を興味深く読み取ることによって、変革運動の希望を夢見る。過去に「左の国」の謹厳で重い言語と態度が過ちであったならば、現在はこの名作童話のカーニバル的エネルギーと煽動性がよりいっそう貴重になっていることを力説する。第5回社会人文学評論賞受賞作であるチョン・ヒョンの「セウォル号以後政治的なことの『世俗化』」はセウォル号事態以後、死に対する、過去とは大きく違う態度を媒介に近代的政治共同体の没落の兆候を分析し、このような事態を招いた「動物的俗物性」を中断させる新しい理念的方向感覚を求めるべき必要性を提起する。社会人文学評論賞はより多くの若い論客が参加できるように、改善策を用意している。読者の皆様の持続的な関心をお願い申し上げる。

本誌で欠かせない「寸評」、「文化評」、「教育時評」も少ない分量ではあるものの、多くを考えさせられる。なお、第17回白石文学賞が発表された。受賞作は白無産詩集『廃墟を引き揚げる』である。熾烈な現実変革意志と内面探求とを同時に行う作家の詩的道程において同賞が少しでも応援になれば嬉しい。

いつのまにか年が暮れていく。ところが、私たちの直面している多くの問題は年が変わってもより深刻になりそうにみえる。いつもよりも過ぎ去った時間に対して真摯に省察し、新しい覚悟を決めなければならない。本誌は新年にちょうど創刊50周年を迎える。読者の皆様に革新した構成と姿勢でお訪ねすることを約束する。

 

李南周

 

訳:李 正連(イ・ジョンヨン)