特集│6・15時代、何をするべきか
徐東晩(そ・どんまん)suhdm12@sangji.ac.kr
尚志大教授、政治学。主要著書に『北朝鮮社会主義体制成立史 1945~1961』、『韓半島の平和報告書』(共著)、訳書に『韓国戦争』などがある。
1.「6・15時代」の歴史的意味
6・15首脳会談以降、南北関係は政府間関係においては起伏を見せたが、交流・協力面では根気強く進展してきた。首脳会談5周年になる昨年には、6・15関連行事と8・15関連行事によって南北関係が復元され、歴史上初めての民間行事と政府間会談が席をともにするようになった。過去における、政府と民間が一体化した北側と、政府と民間が分離した南側の、行き違いつつの出会いから脱し、政府対政府、政党対政党、民間対民間といった部門レベルでの対等な交流・協力が全面化する契機になった。6・15首脳会談の実現を南側内部の民主化という国民的な底力が下支えしていたのと同様に、交流・協力の面でも政府と民間のすれ違いを乗り越える民主化の論理が作用していたのである。
逆にこれは、この間の南側の不信と憂慮の対象だった北側の統一戦線的な対南接近が、解消されてきていることを意味してもいる。8・15行事において北側代表団の国立燎忠院「参拜」は、このような南北和解を包括する象徴的行為だ。特に、朝米間に少なくない緊張があったにもかかわらず、北の核問題が6者会談の交渉を通じた解決方式へと到逹するに至ったのは、南北の和解・協力関係が軍事的解決方式に対する「抑止力」として作用したからである。
6・15首脳会談の効果は、南側に劣らず北側でも発揮されている。南北交流と協力、南韓の対北支援によって北朝鮮経済は実質的に助けられており、それは北朝鮮内部でも隠しようのない公然の事実になっている。過去、南側以上に統一を叫んで来た北側政府の立場からは、名分上はもちろんのこと、人民から南北関係を進展させなければならないという下からの圧力を受けて来たはずだ。いまや北朝鮮で、いわゆる「6・15精神」は、金正日時代の統一路線であると同時にその成果として大々的に宣伝されており、金日成時代を超える新たな南北関係を意味している。北朝鮮で6・15精神の核心的な内容として打ち立てている「我が民族だけで」という用語は、従来、7・4共同声明の自主・平和・民族大団結のうちの「自主」原則の性格を変え、ここに「民族大団結」の原則を結合させたものとして解釈される。これは、外勢とその植民地としての南韓を排撃する「反外勢的自主」から、南韓をともに力を合わせることができる存在とみなす認識の転換を成したものだ。北側の用語である民族大団結の原則の中には、南側で使う和解・協力の意味が込められている。したがって「まずは自主、その後に民族大団結(和解・協力)」から、両者を並行するか、「まずは民族大団結、その後に自主」に向ける柔軟な変化を意味すると思うこともできる。北朝鮮の立場としては、朝米対置関係、韓米同盟という制約にもかかわらず、南韓の存在を認め、支援も受けねばならないという現実を認めたのだ。6・15首脳会談以後、北側が「自主」よりも「我が民族だけで」という表現を好むのには、このような変化が反映されている。ただ、この「自主」原則は、状況によっていつでも前面に登場しうる北朝鮮の戦略的な要であると言う点で「我が民族だけで」という言明は、まだ楽観できない流動的な性格をもっている。
南韓社会においても、 6・15首脳会談以後、南北関係を規定する様々な議論がなされ、去年の6・15行事を経て、それはまた活性化している。6・15共同宣言において連合制と低段階の連邦制の共通点を認めるという合意に至ったことを根拠にし、6・15を基点として、それ以前を分断時代の終焉、その後を統一時代の始まりとみなす見解が提示されている。
2. 南北関係の進展と後退
6・15を基点とし、それ以前と以後が区切られるほど、去る5年間の成果は大きなものだったといえるが、南北関係は未だ様々な面で多くの限界を見せている。韓半島の平和と統一という長い旅程を視野に入れるのなら、それに向かう道は遠いということだ。問題は、これのみならず全世界的な冷戦の終息や南北関係の歴史に照らしてみた時、現時点まで当然にして解決されているべき諸々の課題が未だ実現をみていないという点である。なおかつ、和解・協力による南北関係の改善は、それ自体として歴史の前進ではあるが、同時にちょっと間違えば歴史の後退へと向かいうるような反作用を引き起こしかねないという点もまた軽視できない。これに関して「分断体制論」は、冷戦終息以降、南北和解・協力が大きく進展したものの、同時にこれは韓半島における危機というに値する不安定な情勢が造成された過程でもあったというところ注目する 以下、分断体制論に関しては白楽晴『揺らぐ分断体制』、創作と批評社、1998年。『世界』紙上でのインタビュー「我々は今、統一時代の入り口にいる」(www.changbi.com/webzine/content.asp?pID〓396)から引用。 。そこでは、韓半島における冷戦と分断の矛盾を、南北二つの体制や国家の対立といった側面のみから論じ、南北の和解・協力を進化論的な発展過程としてのみ把握する単線的な接近によっては、きちんと問題を見ることはできないと指摘されている。
このように、韓半島の情勢が単線的にのみ進展するのではなく、後退局面が起きることもあるとうい事実は、現実だけではなく認識の面でも現われている。進歩的な学界のなかで北朝鮮の体制危機状況を意識し、韓国の国家形成と民主主義の発展問題を自足的で独自的な単位として把握せねばならないという主張が出てきているのが、その一つの例である。 最近、崔章集の主張がその代表的なものだ。それは、彼自身が早くから堅持してきた分断国家形成過程についての歴史的分析や南北関係を敵対的共存関係としてみる視角とはズレる論理だという点で納得しがたいものだ( 崔章集「解放60年にたいする一つの解釈:民主主義者のパースペクティブから」『韓国民主主義の条件と展望』、ななむ、1996)。さらに、民主化以降、韓国の民主主義の限界にたいする彼の分析が、非常に説得力をもつようになったという点でも、崔の統一問題に対する視角は見逃すことができないものである(崔章集『民主化以降の民主主義』、ふまにたす、2004)。 さらにこの主張は、あらゆる統一論議やこれにしたがった民族主義的志向を、解放直後の挫折した統一国家建設の志向へと還元することで、まるで統一議論そのものが非現実的だとか、無駄な空論だという印象を植えつけうる。これに反して、今年の6・15行事を契機として南北和解の雰囲気が高まるなかで提起されたマッカーサーの銅像撤去事態にみられるような統一至上主義の動き たとえば姜禎求の6・25戦争論は、あくまでも学術論争の次元で処理される事柄であって、司法処理の対象ではなく、東国大の教授の地位を解除されたという措置も望ましいものではない。しかしながら、こういった統一論理は逆に統一論議の発展を阻害することもあるだろう。 もまた、南北それぞれの相対的独自性を無視してしまう結果を生むものであり、それはむしろ統一論議そのものに対する否定的世論を自ら招く原因になるであろう。
まず、歴史のある時期にその時代の課題が解決されないまま後に持ち越される時、それがどれだけ大きな悪影響を及ぼすかは、現在の北朝鮮の核危機に現われている。実際、北朝鮮核問題の根源は、全世界的に冷戦が終息した後にも解決されないままに残された朝米および朝日の対立関係にある。盧泰愚(の・てう)政権の時に韓ソ・韓中修交、そして南北の国連同時加盟がなされたが、北朝鮮の対外関係は米・日との冷戦的対立を脱することができなかった。さらに北朝鮮の体制を襲った経済危機は、本格的な改革・開放への路線転換にたいする障害として作用した。少なくとも80年代末、90年代初頭に朝米・朝日関係の正常化は当然実現していなければならない時代的課題だった。ここでその原因や責任を北朝鮮の対外関係へと帰着させることはできないが、結果的に北朝鮮核問題は92、93年に発生してから現在まで、韓半島情勢の進展を阻む障害物となっている。全世界的に冷戦が終息して以来、韓半島情勢が歴史的な観点において必ずしも進歩したとはいえない。これは東西間の冷戦的対決が終息されたという条件のもとで、対外関係を含んだ南側だけの一方的な発展が、韓半島全体の発展を自動的に保障するのではないことを示す証拠になる。南北関係の中心をなす経済協力は、6・15首脳会談の産物である開城工団、金鋼山観光、南北鉄道・道路連結という3大協力事業を越えて、7大新動力事業(エネルギー協力、鉄道現代化、白頭山観光、南浦港現代化、北韓山林緑化、共同営農団地開発、共有河川の共同利用)へと拡大されるべき段階を迎えている。新しい南北経済協力は、北朝鮮内部の経済改革および開発とつながった大規模プロジェクトであり、一方的な単純支援の性格を越え互恵的事業、持続性のある事業を中心に編成されているが、インフラ、物流開発、エネルギー協力などは、ある程度、核問題の解決と連動していくことが予想される。経済協力の核心をなす対北電力支援は、南北両者のあいだの懸案だったが、金大中(きむ・でじゅん)政府はアメリカの反対を意識するあまり解決できなかった。盧武鉉(の・むひょん)政府はこれを6者会談の枠組みの中に移転させて妥結をはかったが、事案は国際化されたのである。電力提供問題も6・15首脳会談の後続措置として実現せねばならない時代的課題と見られる。朝米関係正常化と同じく、その時期に解かなければならない事案が後に延ばされれば、その解決は何倍も大変になりうるのである。
南北首脳会談の直後に展開された朝米関係が、ブッシュ政府の出帆とともに逆転し、関係正常化と平和協定を盛りこんだ2000年朝米共同宣言が死文化されることによって、韓半島の平和問題、南北の軍事問題もまた、現在までこれといった進展をなすことができていない。北朝鮮側は、徹底的に南北間の経済協力事業に関わる事案に限定して軍事実務会談に応じているだけである。朝米関係の膠着がその基本的な原因だが、南北間の軍事力格差が広がっている点も、北朝鮮には大きな負担として作用しているからであろう。戦時作戦指揮権などの軍事分野に韓米同盟関係が影響を及ぼすという問題もまた、南北軍事会談進展のために解決せねばならない課題になっている。このような状況にあって、今年1月19日に、第1回韓米戦略対話において在韓米軍の「戦略的柔軟性」を認める共同声明が発表されることによって、今後の対北・対中関係をはじめとした北東アジアの安保情勢におよぼす否定的影響が大きく憂慮されている。南北関係をとおして6者会談とともに核問題を突破していかねばならないという必要性がますます大きくなっているのである。南北関係の成就にもかかわらず姿を見せる限界は歴史的な流れのなかで乗り越え続けていくべきであろうが、成就と限界は時間的な前後関係として単線的な流れのなかに存在するのではなく、互いに絡み合った複雑な関係をなしていることを銘記せねばならない。
3. 分断、平和、統一
統一以後、後遺症に苦しんでいるドイツを例であげるまでもなく、急激な統一が南北双方に、ともすれば災いをもたらしうるというところには、大多数の国民が同意している。北朝鮮体制が経済的に自立できるかどうかという与件ではなく、韓国もまた自らの経済・社会的不均衡さえも収拾しがたい境遇であるために、統一は長期的視野をもって展望するしかない。また、南北の尖鋭な軍事的対峙状態をはじめとして、韓半島の冷戦体制が相変らず解決されていない状態から、平和体制を樹立することも先決の課題だ。しかし長期的視野でみるということが、統一という目標そのものの放棄に帰結するというわけではない。ドイツ統一は東西双方がすべて統一に対する備えなしに統一と分離した平和のみを追求したうえで、逆説的に冷戦終息とともに東ドイツが突然崩壊したことでなされたものである。長期的な交流・協力の実績を積んできた東西ドイツの関係の足元にも及ばない南北関係をおいて、統一以前の平和定着のみを強調し、ドイツ統一の限界を鑑みることができないような愚を犯してはならないだろう。
こうしてみると、昨年12月の国会を通過した南北関係発展法において、5年ごとに南北関係全般に関する政策計画を樹立するように規定したことは高く評価できる。統一分野において長期的視野で丹念に準備していく国家政策としてのアジェンダを設定することは、この間、短期的必要に追い回されて圧縮成長に汲々していた発展方式を反省し、問題にあらためて接近する転機になりうる。分断の歴史を振り返り、あらゆる分野にまたがってその弊害を探し出し、統一の可能性と方案を多角的に模索する作業を持続的に展開せねばならない。何よりも、南の連合制と北の低い段階の連邦制のあいだに共通点を認める6・15宣言の合意は、互いを排除してきた公式的な統一方案が接点を見出すことによって、統一論議を合法化したというところに大きな意義がある。明記された文案のみを見ると、北側が既存の連邦制統一方案を二つの段階に分け、南側の連合制に近寄りを見せるという変化をはかったことに現われている。しかし、表現としてはなされなかったものの、南側の立場には金大中大統領の3段階統一案のうちの共和国連邦制段階が念頭にあったことを示唆している。 徐東晩「南北韓統一法案の接点――‘南北連合’と‘低い段階での連合制’」。高麗大アジア問題研究所学術会議発題文、2000年6月26日。 60年以上持続した南北それぞれの体制が深めてきた成果とその否定的側面まで含んだ相互の異質性を鑑みるならば、単一国家への統合だけを推し進めるのでは能がないだろう。解放当時、挫折した単一国家への統一を修復するのに重点をおいてきた韓国内の統一論議は、連邦制を含んだ様々な形態の複合国家への統一も視野に入れなければならない。
このように南北が統一方案において共通点を認めたことは画期的合意だといえるが、その核心は長期的視野で漸進的に統一を推進しようという点であり、ひいては現在の分断された南北を、それぞれもう少しマシな状態で発展させようという点にある。現在よりもよりよい状態への統一ではない限り、力量も不足している状況で敢えて統一をなすのではなく、また、南北それぞれの体制もこれから発展潜在力を充分に活かしていくような統一になるのが望ましい。このような認識には、生存自体に拘らざるをえない北朝鮮体制の現実が横たわっているのだが、それでも現時点で統一そのものを云々することが非現実的だとか南北のどちらにも役立たないだとかいう一部の進歩的学界の主張は、韓半島の分断に対する宿命論ないし悲観論への後退にほかならない。問題は、分断自体が根本的に不安定だということであり、さらには分断の外的条件としての韓半島の冷戦が解消された場合、現在のような分断状態がそのまま維持されうるのかという点だ。分断状態をもう少しマシなものへと改善することが、逆説的に分断状態の動揺を伴わざるをえないことを看過してはならない。特にその過程の中で、南北それぞれの内部で噴出している統一への熱望は、分断状況の管理という消極的な接近だけをもっては制御が困難だと思われる。むしろ、長期的視野で「過程としての統一」という観点をもって積極的に対応する方が現実的な接近だろう。この観点からすれば、今や「良い分断」「もう少しマシな分断」への改善は「悪い統一」を阻みつつ望ましい統一に向けた準備過程にならねばならないのである。
当然のことながら、平和は統一に向けた努力において堅持されるべき大切な価値であり、持続的に進展させねばならない課題でもある。同時にこの間、平和は統一以前に定着させるべき一つの段階とみなされてきた。これは、冷戦的対立時期に、72年の東西ドイツ基本条約をモデルとして南北関係の秩序を構想した韓国において主に通用してきた認識だった。もちろん、南北とともにアメリカもまた当事者として含まれている韓半島の平和体制樹立という制度化の過程は、統一以前に必ず通らねばならない段階である。しかしながら平和とは、「過程としての統一」と同じく、絶え間ない努力の中で確保され進展させねばならない「過程」でもある。南北基本合意書のような詳細な制度的内容を備えた文書も、履行されないのならば、それによって平和を保障するのは困難だ。休戦体制という国際法的秩序が維持されてはいるが、韓半島には戦争のない状態が50年以上持続している。6・15以後、包括的な軍事会談は開催されなかったが、交流・協力が推し進められ、3大経済協力がなしとげられていくなかで、実質的な水準での韓半島の平和は画期的に進展した。韓半島の分断体制は6・25戦争 という巨大な暴力によって固定化され正当化されたものであり、あらゆる分野に渡る南北間の総体的断絶と対立の産物である。したがって、分断それ自体が暴力だという点で、南北間の交流・協力自体は非軍事的分野ではありつつも韓半島の平和を増進させる効果を生みだすはずだ。
また、「構造的平和」という概念が強調するように、経済的貧困、甚だしい社会的不均衡が存在する以上、平和は維持されえない。これは、それぞれの体制内部のみならず南北関係にも適用される。今後、南に比べて圧倒的に劣勢にある北の軍事力というよりは、危機に瀕した北朝鮮経済が韓半島と東北アジア地域におけるもっと大きな脅威の要因になるだろう 李ぐん「韓半島平和体制構築のための新たな接近」大邸慶北地域統一教育センター・東亜細亜国際政治学会共同学術会議における発題文、2005年11月。 。北朝鮮の核問題も、危機に直面した体制の安否と直結している。いまや6者会談においても、北朝鮮の核施設撤去はこれに相応する当事国の経済的支援と結び付けられるというところに、一定の合意が成り立っている。したがって、在来式の軍事力に関連する韓半島の平和体制樹立もまた、北朝鮮の経済再建と分離できない問題になるだろう。軍事・安保の次元でのみ定義された平和は、それが増進されていくにしたがって北朝鮮体制を不安定化させることになりかねない。それゆえ、交流と協力、ひいては長期的な統一過程と分離したかたちでの平和は一面的なのだ。統一以前の段階として長期的な平和定着段階を設定してきた従来の発想を越え、二つの過程が互いに折り重なるような新たな認識が要請されている。
南北関係が互いの体制を実質的に認める局面に入るにしたがって、政府、団体など各分野の主体は、南北関係を規定する秩序と慣行に対する合意を取りまとめていかねばならない。韓国の統一運動が、昔と変わらず合法性を無視してまで北朝鮮側との接触と連携を優先させるのであれば、これ以上、国内で大衆性を確保することはできない。韓国内で多数の支持を得て内部動力を育てようとするなら、韓国の民主主義の流れに乗った方向へと運動を発展させねばならない。これを土台として南北間の出会いには、事実上の国家関係に準ずる法的・慣行的措置を作り、これをもう少し民主化・制度化していくのも重要である。
しかし、長期的な統一は言うまでもなく、韓半島の平和や南北和解を念頭におくといっても、事実上の国家間関係を越えて南北間連帯の根拠をどこに設けるかというのは、除くことができない課題だ。国際的には、かつてのプロレタリア・インターナショナリズムに即した階級連帯路線が存在したが、いまやその妥当性と現実性を喪失して久しい。平和・環境・市民運動においては国際的市民連帯という路線が現在進行中であるが、北朝鮮の政治・社会・経済状況を見るとき、当分はその対象を見つけることは難しいだろう。この点で、分断体制論が強調する南北民衆間の連帯、その基準としての南北民衆の利益という観点は重要な示唆を与える。そして繋ぎの一つが民族という靭帯であり、統一を志向する「韓半島の民族主義」は、分断という条件に内在している民衆的熱望なのである。
民族主義がもつ否定的側面は常に警戒するべきだが、韓半島の民族主義がまともに構成されるためには、開かれた性格を帯びざるをえない。まず、分断状況において形成されてきた、民族とは区別される北朝鮮人民、韓国国民のアイデンティティを相互に認めあわねばならないからだ。これは「同質性の拡大」であるとともに「異質性の共存」を実現することによってのみ成り立つ複合的アイデンティティをもつからでもある。もちろん、韓国国民のアイデンティティは、より民主的で多様性を包容する方向に深化・発展しなければならない。そして北朝鮮人民のアイデンティティは、今後の改革・開放を経験していくことで、事実上、アイデンティティの転換だというべき大きな変化を経験せざるをえないだろう。韓国の国民的アイデンティティが吸収統一を志向する「大韓国主義」として自己拡張をはかることもあろうし、北朝鮮の愛国主義は「金日成民族主義」に矮小化される恐れがある。しかし、民族主義の否定性にたいする嫌気にまかせて民族主義を否定するのであれば、むしろこういった事態は放置されてしまうだろうし、だからこそ逆に、積極的に健全な民族主義、ひらかれた民族主義を構成しようとする試みこそが、民族主義の問題点を乗り越える道なのである。南北の住民が韓半島内部に建設する「民族共同体」を土台として、ここに主要4大国に離散している海外同胞の存在を含めれば、韓半島の民族主義はより豊かになることだろう。ここに形成される「多国籍・多言語の韓民族ネットワーク」は、自民族中心主義の閉鎖性から脱するという志向性を含んでいる。これは、東北アジア地域レベルの協力を土台とした平和と繁栄の中でこそ成立しうるだろう。
4. 相生の南北協力発展
南北それぞれが直面していた内部状況と分断との連関関係は、分断体制論や敵対的共存関係論の立場から提起され続けてきた争点である。冷戦的な対立の時期は言うまでもなく、民主化の初期の時点まででも南北両体制が互いに対立しあうなかで、相互依存の関係にあったという点は概して認められる事実だ。6・15時代にあって、このような側面は南側の民主主義と分断の関係、北側の改革・開放と分断との相関関係に関する問題として浮き彫りになっている。
これをめぐって分断体制論の立場からは、南韓社会における民主化の進展とともに「分断体制が揺らいでいる」という問題提起がなされてきた。これは、冷戦体制の下で、むしろその冷戦という条件のおかげで世界的に類例なき成功をなした南韓の発展主義国家体制が、冷戦終息とともにこれ以上維持しえなくなりはしたものの、ちょうどその時期に改革をなしえなかったために迎えることになったのがIMF金融危機だという解釈である。まだ社会科学的に具体的な因果関係が分析されたわけではなく、南北それぞれの問題をすべて分断に帰着させる分断還元主義に陥ってもいけないが、内部の独自の構造と論理を認めつつも分断との相関関係を見出そうとする努力は、国内問題を韓半島および東北アジア地域のレベルで眺望する視角を提供する。
実際、経済体制のみならず政治的地形を見ても、韓国の民主主義は未だに理念的に狭い枠組みに閉じこめられた「冷戦型民主主義」を脱却することができていない。このような状況で、新自由主義的な両極化が直撃したのである。世界レベルで10位という貿易規模を誇る韓国だが、社会福祉予算はOECD加入国の平均の3分の1(6%)にも及ばないという最下位を記録している。にもかかわらず、進歩的な政党の勢力は非常に微々たる状態のなか、分配なしに健全な成長はありえないという論理や、社会的両極化に対して最小限の社会的安全網を確保するための福祉政策を社会主義的だと非難するような世論への駆り立てがある程度説得力をもつような風土を、分断状況と切り離してみることはできない。非常に脆弱な社会保障に比べ、肥大化した軍事・安保部門も無視することができない。韓国経済の成長とともにGDPにおける軍事費の占める割合は大きく減ったが、国家予算の全体から見れば、相変らず少なくない比重である。目に見える軍事部門だけではなく、そのほかの安保部門まで含めれば、その規模はより巨大なものになる。すでに体制競争の面で立ち後れ、崖っぷちの経済状態にもかかわらず莫大な軍事費を出費している北朝鮮の事情は、一層深刻だ。
北朝鮮の国家社会主義も分断状況の影響を強く受けてきた。すでに70~80年代を経ながら停滞状態に陥った北朝鮮社会主義は、市場的要素の導入を通じた改革の試みを頑なに拒否し、国家社会主義をより一層徹底化する方向で問題点を乗り越えようとしてきた。金日成・金正日最高指導者を中心にした絶対権力体制として、極端な超越的一人体制は、内的な形成論理をもちながらもこういった構造と無関係ではない。市場的要素に対する拒否感と分断状況によるそれに対する恐れは、コインの両面に他ならなかった。中国、ベトナムが 80年代から改革・開放を本格的に推進してきたのとは違って、北朝鮮はこの流れに後れを取っていたのだが、ソ連・東欧の社会主義圏が崩壊することによって経済危機に逢着し、2002年に入ってからようやく市場的改革に取りかかった。北朝鮮の改革・開放は 2000年 の6・15首脳会談において南北関係が「正常化」されることで南側からの安保脅威が緩和されたという情勢と連動している。
南北間の和解・協力がある程度軌道に乗っている現段階で、南北関係はそれぞれの内部状況と密接に絡み合っていく可能性が大きいが、これは、もう少し綿密な対策のもとで意識的に推進せねばならない。まず、南韓だけをみたとしても、南北経済協力は、電力提供やインフラ建設など、莫大な財源を必要とする。対北支援も医療・食糧など人道主義的支援にとどまらず、農業協力、消費財産業などの開発援助方式へと拡げていかねばならないという新しい段階に入っている。ところが、南韓政府が大規模対北支援と投資を先駆的に展開せねばならないこの時に、社会的両極化の進行による莫大な福祉需要の充足も至急に対応せねばならない課題として首をもたげている。同時に現在、韓国経済は社会的両極化という現実の一方で、400兆ウォンの不動資金が、投資先を見つけられずに流動しているという過剰資本の状態にある。国内で土建国家的な開発需要を保障していく方式によっては、韓国経済のより一層の先進化と発展をなすことができないということが、不動産価格の上昇がもたらした、国をも滅ぼしかねない弊害としてあらわになってきている。社会的両極化と過剰資本が共存する国内の不均衡が韓国民主主義の病幤として現われるのと同じく、南北間の経済力の極甚な格差と過剰資本が共存する韓半島内の不均衡もまた、平和を阻害しうる。
このように、分断による国内体制の限界が南北の和解・協力が進展してこそ克服されうるというのなら、対北支援および投資を中心にして、和解・協力に入って行くための費用は、逆に国内福祉予算の増大に有利な与件となりうるだろう。北朝鮮に投資先を確保し、南北の同時発展、協力発展をはかる方式は、過剰資本にとっての一つの出口となりうる。限定された予算の中での競合関係という近視眼的な発想から脱して、平和と福祉が互いに相乗効果をもたらす善循環関係にあることを緻密な計算のもとに展望するようなビジョンと政策が、切実に要求されている。さらに、安保費用の抑制と削減効果を肌で感じることができるくらいに平和と福祉に転換していくという成果も見せてくれなければならない。この点で、南北間の軍事的脅威を緩和・減少させる南北軍事会談は、南北経済協力の促進剤としての役割を果たすようになるだろう。長い目で見れば、これらすべてが統一のための先行投資、統一費用であるという南北共存の認識が、国民の意識の中に根付かなければならない。
2002年の 7・1措置以降、控え目にではあるが市場化に踏み出しつつある北朝鮮の場合も、内部改革は南北経済協力と密接な結びつきをもって進行していくだろう。すでに南韓の食糧・肥料支援と、南北経済協力が北朝鮮内部の経済循環において無視できないほどのパーセンテージを占めるに至った。北朝鮮の市場改革は、現在の、発展段階が低い状況で経済開発と結びつけて推進していくしかない。北朝鮮の改革・開放は 2004年から本格化した中国の対北投資進出と直結している。市場化と開発の初期段階において南韓資本の投資も実質的な役割を果たすことによってこそ、今後の長期的次元における北朝鮮経済の構造がもう少し南北統合的になっていくであろう。韓国の過剰流動資本が対北投資において収益構造を作り上げることができるように、南北協力のもとで持続可能な北朝鮮開発プログラムが用意されねばならない。経済開発の初期条件から韓日国交正常化による日本資本の進出が、現在のような韓国経済の構造を形成するにあたっての決定的要因になったという点を教訓にせねばならない。
上記のように韓国における平和と福祉、経済の新しい跳躍は、並行して進行せざるをえない関係にあり、体制の性格と発展水準が異なる北朝鮮の場合も、南北がともに動くことでこそ、望ましい発展を成すことができる 白楽晴ほか『21世紀の韓半島構想』、創批、2004年。「特集:新しい韓半島経済モデルの模索」『動向と展望』2005年夏号。 。現時点の韓国の政治地形からみた場合、改革‐進歩勢力は平和‐進歩勢力になることで多数派となることができ、その媒介が平和と福祉の結合にあることを考慮する時、この結合に亀裂が入るような状況は進歩勢力の将来にとって致命的だ。すなわち、平和と福祉、開発を連携させた「南北協力発展」構想を実行可能な政策として準備せねばならない時なのである。これは、南北経済協力が、南北それぞれの国内経済に主要部門として位置づけられ、持続的に拡大再生産されるような共同経済の構造が形成されることを意味する。すでに5年前の6・15宣言は、鉄道と道路連結を通じた鉄のシルクロード、「民族経済の均衡的発展」という青写真を提示することで、私たちの政治・経済・社会・文化的空間を韓半島と東北アジアへと広げてみせた。韓半島全体、ひいては東北アジアという視野でから、南北それぞれの改革と発展を展望し、協力方案を見出し、実践していくことこそが、6・15時代のもっとも主要な課題である。
訳ㆍ金友子
季刊 創作と批評 2006年 春号(通卷131号)
2006年3月1日 発行
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