脱分断のための南北女性たちの連帯的実践
1. 出会いの入口で
ところが、北韓の人との出会いがだんだん多くなるにつれ、出会いの性格と方法に対する数々の問いが生み出された。南韓の男性知識人たちが北韓に関して発言しはじめることで、北韓の女性応援団が団体で南韓を訪問することで、そしてイ・ヒョリとチョ・ミョンエが携帯電話の広告を通じて出会うことで、「私たち」の出会いはそのまま運命だと理想化することができない「現実」を見ることになったのだ。しかし、その現実は民族の同質性回復と異質性克服という政策の方向性のなかで、「私たちはひとつ」という大衆的な掛け声に酔い、はっきりと見分けられない時もあった。南韓社会で北韓女性が再現される方式が、北韓/北韓女性と出会う際に決まって障害物となっているにもかかわらず、脱分断のための主要争点からは退けられているのが現実だ。
本稿では、「私たちはひとつ」という掛け声のなかで、果して女性が主体的市民で参席しているのかも疑わしい現実において、南と北の出会いにおいて再生産されるのは何で、強調されるのは何なのかを、女性の立場から検討していく。実際、認識論的次元において統一に対する批判的省察がなかったわけではないが、この間の女性たちの活動と問題意識を自由に整理し共有することを本稿の目的とする。特に6・15共同宣言以後、北韓/北韓女性との公式的な出会いが増え、今後、多く人に出会いの機会が拡張されることを予想される現在、互いの出会いが時に引き起こしてしまう困難さを問題提起したかった。しかし差異・葛藤・連帯の問題を深化させることができなかったことをまず告白しておかねばならず、南北女性たちの差異を綿密に分析する作業は次稿の課題として残しておきたい。まず女性運動が北韓女性との出会いを成功させるために、いかなる努力をしてきたのかということから検討してみよう。
2. 6・15 以後、活発になった南北女性の出会い
よく言われることだが、分断以後、板門店を通じて訪北した最初の主役は鄭周永会長の牛500頭である。しかしこれはよく知らないがゆえに発される言葉であり、板門店を通過した最初の主役は女性たちだった。「アジアの平和と女性の役割シンポジウム」が東京(1991)、ソウル(1991)に引き続き平壌(1992)で開かれた日、21人の女性が板門店を通じて平壌に行った。このシンポジウムは、北の核問題が韓半島の政治的争点になっていくことで、1993年の東京シンポジウムを最後に中断された。それ以降にも北韓女性との出会いを多角的に模索したが、なすことはできなかった。一方、1993年に始まった〈日本軍「慰安婦」問題を解決するためのアジア連帯会議〉は、南北の政治論争に影響されずに間歇的にであれ南北女性たちの出会いを続けてきた。
このような状況において、6・15共同宣言は南北女性たちの出会いを定例化してくれた。6・15共同宣言以降、南北共同行事のために民和協、統一連帯、7大宗団が集まり、北側の公式パートナーとして「民族共同行事推進本部」を発足させた。この推進本部内に女性委員会が構成され、8・15民族共同行事がある度に、南側女性代表は女性部門として別途に出会いの時間をもった。2001年には平壌で22人の南側女性代表が北側女性たちとともに南北女性統一シンポジウムをもち、2003年には平壌で韓半島の戦争危機と平和定着のための南北女性大会をもった。6・15共同宣言は民間団体の交流を6・15宣言の実践過程へと昇格させ、各部門別交流は統一運動の主な軸を形成するようになった。
6・15共同宣言が発表されてから5年が過ぎた2005年3月7日、「6・15共同宣言実践のための南北海外共同行事準備委員会」(以下、6・15共同委員会)が出帆した。その前の2005年1月31日には6・15共同委員会の南側委員会内に48の女性団体で構成された「6・15女性本部」を発足させることにより、女性組職が再構成された。「6・15女性本部」に相応する北側のパートナーも発足した。同年4月9日、「女性分科委員会」が6・15共同委員会の北側委員会内に結成された。南北女性たちが常設的に話し合い、連帯することができる構造が、より安定的に用意されたわけである。きむ・すぎむ「南北女性交流」『韓国女性平和運動史』、はぬる(2006年2月刊行予定)
女性団体が6・15宣言以後、単独で南北女性大会を開いたことが二度あった。2002年10月16~17日に金鋼山で「6・15共同宣言実践と平和のための北南女性統一大会」が開かれた。南と北、そして海外から約700人が参加した行事だった。2005年9月10~14日、南韓女性100人が平壌と妙香山を訪問し北韓女性と二回目の出会いをもった。女性団体を中心にした特定の女性たちの出会いだったが、規模は他のどの部門の行事よりも大きかった。
3. 北韓女性に語りかけること
一方、私は南北女性統一大会が進行されているあいだ中、「お母さん」と呼ばれ歓迎された。「女性」は「自主統一の道に立つように押し出してくれる立派な妻、母」「統一の水車の片方を押していく全国統一の主役」を意味した。部門別の小さな会合のとき、南韓女性たちは南韓で繰り広げられている性暴力・セクハラに対する運動の成果を説明したが、北側代表女性たちは「性」問題よりは統一事業を遂行するのに全力をつくさなければならないと主張した。南韓の女性画家が台所から見た女性の生を描いた作品を一緒に見ながら、北韓女性は「北韓では男性と女性がまったく同じように働いている」と応酬し、「どうして台所が絵の素材にならねばならないのかよくわからない」といった。1992年「アジアの平和と女性の役割」ソウルシンポジウムで、「共和国の女性たちはすべての社会的不平等から解放されており、女性運動を新しい、より高い段階で展開できる」と発表した北側の発題文のような文脈だった。
母-家庭-民族という範疇の中で女性の役割を想定する北韓女性たちに、南韓の女性主義は、単に「南韓式」でしかないという印象を受けた。「女性」という名のもとでの出会いだったが、南北女性の差異は明らかだった。女性の自己実現が個人や性的主体としてなされるのではなく、党と祖国に向かっている北韓女性たちにとっての「女性」の意味は、違っていた。
4. 差異を理解する方式
南北女性交流の実務を担当する女性活動家たちは、出会いと付き合いが続けば「民族の同質性を拡大し、異質性を乗り越えることができる余裕」を持つようになるだろうと楽観した。「民間交流は相互の出会いを通じて相互理解と信頼をつくりあげ、相互のあいだに変化を導き出すことで、南北間の理念的・文化的・心理的な違いと距離を狭め、互いに異なる点を寛容する」という成果を期待するのだい・ひょんすく「南北女性交流、どのようにしていくか」、平和をつくる女性の会主催「南北女性交流と統一教育」討論会資料集、2002年9月、32ページ。。この見方にも一理がある。出会いを通じて互いに異なる点を感じてみれば、その差異の隙間が脱分断のための新しい空間を作ることができるだろう。
それにもかかわらず、北韓/北韓女性との出会いはそんなに簡単なものではない。出会いはむしろ互いに異なるということを確認させることによって、時には葛藤と混乱を増幅させもする。女性団体の南北女性交流の成功のために、その足で走り回ったある女性平和活動家は、去る5年の歳月を「苦痛」と「忍耐」ということばで表現してもいる (きむ・すぎむ)。他者と出会いながら「差異」が負荷する重みに押さえ付けられ、他者を通じて自らを知っていく過程がつらく、他者を見つめる私たちの中の多様な視線が交差する現実は、苦痛の過程であるだろう。北韓女性との出会いをなすための熾烈な努力をした分、出会い自体が与える胸のときめきには「喜び」と「苦痛」が、居心地の悪いままに入り混じっている。
出会いは出会いそれだけで分断の長い間隔を埋めてはくれない。さらに、差異を同質性の拡大によって乗り越えるということは、画一的全体主義にほかならない。特に、出会いの違和感と差異を「韓民族」の情緒に頼り、覆いかぶせようとする姿勢は、抽象的で原論的な統一論議の次元で空回りする結果をもたらすだけだ。民族主義がもつ家父長的男性中心主義が女性の生を幾重にも取り囲み、女性を「女性」として現わすことができないようにする時、「韓民族」という情緒には、女性主体を再び他者化する危険性がある。脱分断のための南北女性の出会いは、同じ韓民族であることを強調するよりは、南北女性の差異と向き合うときにこそ、現在、何が必要とされているのかをよりよく見ることができる。
ここで、南北女性は相異なる社会体制から来たのだから互いの差異に対して理解が必要だという「当たり前の」主張をしようとしているのではない。むしろ、こういった方法での理解は、差異をそのまま差異として、南北関係の多様な側面のうちの一つとして放置する可能性がある。その差異のなかに隠されたヒエラルキーや権力関係を見逃しやすいのだ。
脱分断のための新たな空間をつくるためには、差異を差異として受け入れることができる「力量」が必要だ。これは「北韓を正しく知る」ことを通じて習得されうる次元の問題ではない。この力量は、人を見るときの基本的な認識の問題で、女性を見る観点の問題だ。北韓/北韓女性に対する情報を扱い、知識を生産することそのものが認識の問題なのである。
あるものを優劣に二元化した構図で見ること、〈強さ-征服-男性性〉と〈弱さ-敗北-女性性〉という力の論理で理解すること、このような思考体系は差異を差異として見ることができない。つまり、差異を差別へと置換しやすい。ある政治学者の指摘のように、北韓/北韓女性に対する態度は「単純に反北韓・反共イデオロギー教育によるものだけではなく、南韓社会全般に敷かれている社会的強者の社会的弱者に対する『他者化』の傾向を反映している」くぉん・ひょっぽむ「統一から脱分断へ」『当代批評』2000年秋号、168ページ。。移住女性の人権活動に専念するある女性活動家は、北韓の人々が第2の市民となり、中国朝鮮族、アジアからの移住者が次の順位へと位階化される未来社会を憂慮している(はん・くぎょむ)。ジェンダー、セクシュアリティ、年齢、障害、階級に加えて民族と人種は、差異を差別化する範疇になっている。女性は多くの範疇が横切る地点に多重的なアイデンティティをもち、「女性」という理由で男性と違う差別を経験する。
5. 変わらないこと、同質性に対する執着
6・15共同宣言後、急増する離散家族の再会はこれを典型的に示している。父が理念の歴史を担う主体であるなら、母は理念から退いた血筋と自然の領域にある。母は変わることのない伝統保存者で、純潔な存在だ。だからこそ永遠な原型である。このような母の貞節が、南北を出会わせる根源になる。座談「脱分断時代の家族と女性――南北離散家族の出会いを見守って」、『女/性理論』3号、女性文化理論研究所、2000年。
女性を変わることのない存在としておこうとする欲望は、北韓女性のイメージの再現のなかにも現われる。去る2002年のアジアゲームに参加した北韓女性応援団の南韓訪問や、金鋼山観光の中で出会う案内女性との対面で、南韓男性たちも北韓女性に会う機会が多くなった。このような出会いは、南韓男性たちにとって警戒と混乱の経験になりもしたが、この混乱を整理する方式は「民族」の同質性拡大を通じた異質感の克服という単純な次元だった。
ここでの民族の同質性は、伝統文化に依存している。最近、北韓社会が開放されてきたことで北韓を訪問した男性知識人たちは、北韓女性たちを純粋、素朴、自然美、伝統美というイメージによって再現した男性文人たちが北韓を女性の伝統美としてイメージ化することについて、若手の学者たちは、帝国主義的視線であるとすでに批判している。ちょん・ひょぐぁん「メディアにみられる北韓のイメージ構成」ちょ・はん・へじょん、い・うよん編『脱分断時代を開いて――南と北、文化共存のための模索』(さみん、2000年)所収。。北韓女性応援団に降りそそいだ賛辞も似たり寄ったりだった。外見については、自然な線、素朴な感じ、誇張されない化粧法などをイメージの特徴として強調する。言行の次元については、いったんはにかんで見せる点が最高だ。「ボーイフレンドはいるのか」という南韓の人々の質問に北韓女性たちは「淑女にそんなことを聞くなんて失礼ではないですか」と顔を赤らめるとか、質問を避ける機知を見せる。メディアは、澄ましながらも恥かしがる北韓女性たちの特性を伝統的女性美として扱いながら「整形しない自然の美人」「無公害美人」「身土不二の顔」に焦点を合わせた『週間東亜』2002年10月17日、『日刊スポーツ』2002年10月4日、『ハンギョレ21』2002年10月17日など。。北韓女性の伝統的イメージは民族的同質性を再現する記号であり、民族の純粋性を保全するものとして象徴される。これは、文明化と区分される自然であり、故郷の原型だ。
民族の同質性とは、南北が分断の歴史を経験したにもかかわらずともに共有する、基本的な伝統的文化があるはずだという前提のもとでいうことだ。変わらない同質性の根は、同じ血筋で結ばれた家族と家族の延長である民族だ。このような血縁共同体は、すなわち女性の純潔な身を必要とするものであり、女性は純粋な民族と同一視されるという象徴性をもつ。民族の同質性という言説において、女性は無時間的で脱歴史的な存在になる。
ところが、北韓女性を通じて民族の同質性を見ようとする欲望は、実際には文明化に編入した男性たちの自意識なしには不可能だ。純粋、自然、身土不二が価値をもちうるのは、これらが南韓社会を生きている男性たちにとって、欠乏した懐かしさだからである。すでに文明化された主体としての視線をもった南韓が、自らは北韓と違うということを規定することである。つまり、西欧資本主義の単線的な発展尺度から北韓を眺めているのだ。結局、同質性に対する追求は北韓/北韓女性を通じて自分のアイデンティティを確認すると同時に北韓と境界を引く事であり、他者を専有しようとする欲望の別の姿だ。
6. 差異を認める連帯のために
主体的に、自主的に統一を成すことは重要だ。しかし北韓/北韓女性との出会いにおいて経験する困難さは、単純に「民族」という名に解消されえないものが多い。脱分断の努力が、もう少しよい社会を志向することなら、「我が民族だけで」成す統一における民族の否定的同質性は、冷静に批判されるべきである。
民族の否定的同質性を見るためには、南北の軍事化された社会の性格を点検せねばならない。南韓と北韓は分断という軍事・政治的対立状況のなかで「民族主義」の情緒を土台に近代化を推進した。こうして「民族」は、性・階級・地域などのあらゆる範疇を越えてアイデンティティを構成する絶対的範疇になった。ところが民族主義は「私たち」を構成する根幹であり、「私たち」は「我が民族」の外部にいる「敵」を想定する。あいにくにも南韓は同じ民族である北韓に向けて銃口を定め、軍備競争をし、敵対感を育ててきた。したがって、民族の同質性を批判的に見るためには、南北の対立と対北敵対感を基盤とする南韓社会を綿密に省察する必要がある。趙韓惠貞「統一空間と文化――批判的解釈」趙韓惠貞、李宇榮編、前掲、329‐33ページ。
軍事化された社会とは、個人と社会共同体に軍事主義軍事主義とは、軍事的価値を鼓舞するイデオロギー、価値、信念の体系、社会と行動様式の傾向性のことである。葛藤が発生すると、武/暴力的方法で解決しようとする態度が軍事主義である。が日常化もしくは社会化されている社会を意味する。当然だと思うことに好戦的価値があり、戦争準備動員のために個人と社会が決まった方向に構成されることをいう。戦場で必要とされる規律が日常的な生の規律と類似していく過程が、日常化された軍事化だ。ところで、軍事化された社会は家父長的性差別主義なしには作動しない。軍事力を必要とし、軍事的価値を高めてくれる戦争、軍隊、軍事安保は、それそのものが性役割を基盤としており、ジェンダー・アイデンティティを構成する主要な機制だからだ。したがって、軍事主義はすでに性差別主義を内包している概念である。
だからこそ、脱分断運動は女性主義の意識なしには不可能だ。否定的同質性を批判的に見ようとするならば、女性問題を突かなくては十分ではない。先に見たように、統一を民族的同質性によって解決しようとする統一論者たちにとっての統一とは、女性を他者化し差別化する思考体系を基盤としている。それゆえに、完全な脱分断/統一運動になるためには性差別主義の解消が必須となる。
したがって、脱分断/統一運動において女性の参加は当然だ。男性も女性主義を分からずして脱分断/統一運動の真正な主体として立つことは容易くない。このような意味で、南韓と北韓女性が出会う地点は明らかだ。もちろん、それぞれの差異が大きいのは事実だ。しかし、南北女性たちが否定的同質性を解消しなければならない主役であるという点で、差異を基盤とした連帯をつくることができる。さらに、肯定的異質性を探し出し、共有することができれば、南北の差異が無視されるのではなく尊重される連帯になるだろう。
訳ㆍ金友子