창작과 비평

脱分断のための南北女性たちの連帯的実践

特集│6・15時代、何をするべきか
 

 


金えるり ellikl@hotmail.com  


平和をつくる女性の会政策委員、女性学講師。著書に『平和教育と統一教育の出会い』(共著)などがある。

 

 

 

 

1. 出会いの入口で

 
2000年の6・15共同宣言が発表されてから5年の歳月が過ぎた。女性平和活動家の位置から見るとき、最も大きく近づいてくるのは「統一」過程が国家的次元で押しすすめられているという実感であり、民間団体の統一運動が合法的になされているという隔世の感だ。ある女性活動家は「統一運動といえば監獄と催涙弾でごちゃごちゃになった街頭デモを思い出すけれど、6・15共同宣言は統一運動の正当性を見出させてくれたターニングポイントだった」と評価する(そん・みひ)。北韓の人に会うこと自体が不法であり、北韓支援活動も迂回的になされるしかなかった過去を思い浮かべれば、6・15共同宣言は多様な出会いを拡大し、南北の共同活動を促進させ可視化させたという点で、脱分断の時代を開いたと思われる。

ところが、北韓の人との出会いがだんだん多くなるにつれ、出会いの性格と方法に対する数々の問いが生み出された。南韓の男性知識人たちが北韓に関して発言しはじめることで、北韓の女性応援団が団体で南韓を訪問することで、そしてイ・ヒョリとチョ・ミョンエが携帯電話の広告を通じて出会うことで、「私たち」の出会いはそのまま運命だと理想化することができない「現実」を見ることになったのだ。しかし、その現実は民族の同質性回復と異質性克服という政策の方向性のなかで、「私たちはひとつ」という大衆的な掛け声に酔い、はっきりと見分けられない時もあった。南韓社会で北韓女性が再現される方式が、北韓/北韓女性と出会う際に決まって障害物となっているにもかかわらず、脱分断のための主要争点からは退けられているのが現実だ。

本稿では、「私たちはひとつ」という掛け声のなかで、果して女性が主体的市民で参席しているのかも疑わしい現実において、南と北の出会いにおいて再生産されるのは何で、強調されるのは何なのかを、女性の立場から検討していく。実際、認識論的次元において統一に対する批判的省察がなかったわけではないが、この間の女性たちの活動と問題意識を自由に整理し共有することを本稿の目的とする。特に6・15共同宣言以後、北韓/北韓女性との公式的な出会いが増え、今後、多く人に出会いの機会が拡張されることを予想される現在、互いの出会いが時に引き起こしてしまう困難さを問題提起したかった。しかし差異・葛藤・連帯の問題を深化させることができなかったことをまず告白しておかねばならず、南北女性たちの差異を綿密に分析する作業は次稿の課題として残しておきたい。まず女性運動が北韓女性との出会いを成功させるために、いかなる努力をしてきたのかということから検討してみよう。

 

 

 

2. 6・15 以後、活発になった南北女性の出会い

 

よく言われることだが、分断以後、板門店を通じて訪北した最初の主役は鄭周永会長の牛500頭である。しかしこれはよく知らないがゆえに発される言葉であり、板門店を通過した最初の主役は女性たちだった。「アジアの平和と女性の役割シンポジウム」が東京(1991)、ソウル(1991)に引き続き平壌(1992)で開かれた日、21人の女性が板門店を通じて平壌に行った。このシンポジウムは、北の核問題が韓半島の政治的争点になっていくことで、1993年の東京シンポジウムを最後に中断された。それ以降にも北韓女性との出会いを多角的に模索したが、なすことはできなかった。一方、1993年に始まった〈日本軍「慰安婦」問題を解決するためのアジア連帯会議〉は、南北の政治論争に影響されずに間歇的にであれ南北女性たちの出会いを続けてきた。

 

 

このような状況において、6・15共同宣言は南北女性たちの出会いを定例化してくれた。6・15共同宣言以降、南北共同行事のために民和協、統一連帯、7大宗団が集まり、北側の公式パートナーとして「民族共同行事推進本部」を発足させた。この推進本部内に女性委員会が構成され、8・15民族共同行事がある度に、南側女性代表は女性部門として別途に出会いの時間をもった。2001年には平壌で22人の南側女性代表が北側女性たちとともに南北女性統一シンポジウムをもち、2003年には平壌で韓半島の戦争危機と平和定着のための南北女性大会をもった。6・15共同宣言は民間団体の交流を6・15宣言の実践過程へと昇格させ、各部門別交流は統一運動の主な軸を形成するようになった。

 

 

6・15共同宣言が発表されてから5年が過ぎた2005年3月7日、「6・15共同宣言実践のための南北海外共同行事準備委員会」(以下、6・15共同委員会)が出帆した。その前の2005年1月31日には6・15共同委員会の南側委員会内に48の女性団体で構成された「6・15女性本部」を発足させることにより、女性組職が再構成された。「6・15女性本部」に相応する北側のパートナーも発足した。同年4月9日、「女性分科委員会」が6・15共同委員会の北側委員会内に結成された。南北女性たちが常設的に話し合い、連帯することができる構造が、より安定的に用意されたわけである。きむ・すぎむ「南北女性交流」『韓国女性平和運動史』、はぬる(2006年2月刊行予定)

 

 

女性団体が6・15宣言以後、単独で南北女性大会を開いたことが二度あった。2002年10月16~17日に金鋼山で「6・15共同宣言実践と平和のための北南女性統一大会」が開かれた。南と北、そして海外から約700人が参加した行事だった。2005年9月10~14日、南韓女性100人が平壌と妙香山を訪問し北韓女性と二回目の出会いをもった。女性団体を中心にした特定の女性たちの出会いだったが、規模は他のどの部門の行事よりも大きかった。

 

 

南北女性たちの出会いは主に6・15宣言をきちんと履行しようという実践的意志を共有し、固める席だった。統一運動の主体である女性が「我が民族だけで」という基本精神を守り、韓半島の平和と安全を成しとげ、平和と統一のために女性連帯を図り、男女が平等な統一社会の基礎を用意するために努力することを宣言したのである「6・15共同宣言実践と平和のための南北女性統一連帯共同決議文」、2002年10月17日。。公式的な大会を除いても、個人的に話を交わすことができる短い時間はかなりあった。公式行事の時よりは、そういった時に互いの生や考えに対してはるかに深い話を交わすことができた。

 

北韓支援活動も活発になり、北韓の人々と直接ともに行う共同事業が展開された。2004年から反米女性会の会員たちの力が基盤になって推進された「北方子ども栄養パン工場事業」は、すでに北韓で腰を据えている。北韓に工場を建て、パンを自ら生産できるように支援するこの事業には、6500人余りの南韓の人々の心が込められているこの事業は(社)わが民族ひとつになろう運動本部の名のもとに進められたが、その運営と推進の大部分は女性が担っている。このような形態は宗団が展開する北韓支援事業にもみられる。。2004年4月、北韓の龍川駅で爆発事故が起こると、南北女性交流を推進した女性団体たちは「龍川を助ける女性行動」を組織し募金活動を展開した。そのほかにも、仏教・キリスト教・円仏教など、宗教団体で構成されている北韓支援事業も持続的になされている。これらすべての事業の中心には女性たちの活動がある。
 
 
 
 
 

3. 北韓女性に語りかけること

 
女性たちによる対北活動が増加することで、北韓女性に出会う機会も多くなってきている。私が北韓女性に最初に会ったのは、1992年「アジアの平和と女性の役割」ソウルシンポジウムに参加した時だった。その後には1998年以降、北韓を脱出した女性たちと会ったことがあり、国際会議に参加した北韓女性とあいさつを交わしたくらいがその全てだった。もとはといえば、私の母は平壌で生まれ、祖母も北韓女性であるから、目新しいことなど一つもない北韓女性が、分断の歳月のなかで私たちに特別で他なる存在になったのである。2002年、南北女性統一大会で会った北韓女性たちは、終始一貫して私に「どうして結婚しないのか」と聞いてきた。「あなたみたいな女性が子供をたくさん産んで、統一事業を成し遂げねばならない」という話だった。南韓女性参加者たちの中に独身女性がかなり多いのを見て、非常に驚く北韓女性たちと、その後には集団的に討論が繰り広げられるほどだった。北韓女性たちは、結婚もせず、子供を産まない、いわば異性愛的家庭をつくらない南韓の非婚女性の考えを理解することができなかった。

 

 

一方、私は南北女性統一大会が進行されているあいだ中、「お母さん」と呼ばれ歓迎された。「女性」は「自主統一の道に立つように押し出してくれる立派な妻、母」「統一の水車の片方を押していく全国統一の主役」を意味した。部門別の小さな会合のとき、南韓女性たちは南韓で繰り広げられている性暴力・セクハラに対する運動の成果を説明したが、北側代表女性たちは「性」問題よりは統一事業を遂行するのに全力をつくさなければならないと主張した。南韓の女性画家が台所から見た女性の生を描いた作品を一緒に見ながら、北韓女性は「北韓では男性と女性がまったく同じように働いている」と応酬し、「どうして台所が絵の素材にならねばならないのかよくわからない」といった。1992年「アジアの平和と女性の役割」ソウルシンポジウムで、「共和国の女性たちはすべての社会的不平等から解放されており、女性運動を新しい、より高い段階で展開できる」と発表した北側の発題文のような文脈だった。

 

 

母-家庭-民族という範疇の中で女性の役割を想定する北韓女性たちに、南韓の女性主義は、単に「南韓式」でしかないという印象を受けた。「女性」という名のもとでの出会いだったが、南北女性の差異は明らかだった。女性の自己実現が個人や性的主体としてなされるのではなく、党と祖国に向かっている北韓女性たちにとっての「女性」の意味は、違っていた。

 

 

北韓の社会で歌い親しまれ、南韓社会でも今やよく知られている「女性は花だね」という歌は、すでに南北女性の差異を見せてくれる有名な話になった。1999年、北韓脱出女性たちが「3・8世界女性の日」記念大会の舞台でこの歌を歌いたいといった時、私を含む南韓女性たちは仰天しながら引き止めた。南韓社会で女性を花に比喩することは、女性を一種の観賞物として扱う性的対象化であり、女性性に対する誤った固定観念だからだ。しかし北韓女性たちは、女性が社会の花という比喩はその社会の核心・中心を意味すると解釈した。このような北韓女性たちの積極的な解釈にもかかわらず「家父長的な北韓社会主義体制のなかで私的領域の空間を伝統的な女性美として残しておいた感性的効果」鄭鉉栢 「北韓女性、いかに出会うか」『女性と社会』12号、韓国女性研究所編、創作と批評社、2001年、94‐95ページ。であると分析する南韓女性学者の解釈は、依然として「女性」に対する理解が互いに異なっていることを示している。
 
 
 
 

 

4. 差異を理解する方式

 
現在は女性団体を中心とした少数の女性たちが北韓女性に会っているが、今後は出会いの規模も大きくなり、回数も増えるだろう。ところが、北韓女性との出会いには「会った」という喜びと胸のときめきのほかに、私とは異なる他者と向き合う不慣れさがつきまとう。

 

 

南北女性交流の実務を担当する女性活動家たちは、出会いと付き合いが続けば「民族の同質性を拡大し、異質性を乗り越えることができる余裕」を持つようになるだろうと楽観した。「民間交流は相互の出会いを通じて相互理解と信頼をつくりあげ、相互のあいだに変化を導き出すことで、南北間の理念的・文化的・心理的な違いと距離を狭め、互いに異なる点を寛容する」という成果を期待するのだい・ひょんすく「南北女性交流、どのようにしていくか」、平和をつくる女性の会主催「南北女性交流と統一教育」討論会資料集、2002年9月、32ページ。。この見方にも一理がある。出会いを通じて互いに異なる点を感じてみれば、その差異の隙間が脱分断のための新しい空間を作ることができるだろう。

 

 

それにもかかわらず、北韓/北韓女性との出会いはそんなに簡単なものではない。出会いはむしろ互いに異なるということを確認させることによって、時には葛藤と混乱を増幅させもする。女性団体の南北女性交流の成功のために、その足で走り回ったある女性平和活動家は、去る5年の歳月を「苦痛」と「忍耐」ということばで表現してもいる (きむ・すぎむ)。他者と出会いながら「差異」が負荷する重みに押さえ付けられ、他者を通じて自らを知っていく過程がつらく、他者を見つめる私たちの中の多様な視線が交差する現実は、苦痛の過程であるだろう。北韓女性との出会いをなすための熾烈な努力をした分、出会い自体が与える胸のときめきには「喜び」と「苦痛」が、居心地の悪いままに入り混じっている。

 

 

出会いは出会いそれだけで分断の長い間隔を埋めてはくれない。さらに、差異を同質性の拡大によって乗り越えるということは、画一的全体主義にほかならない。特に、出会いの違和感と差異を「韓民族」の情緒に頼り、覆いかぶせようとする姿勢は、抽象的で原論的な統一論議の次元で空回りする結果をもたらすだけだ。民族主義がもつ家父長的男性中心主義が女性の生を幾重にも取り囲み、女性を「女性」として現わすことができないようにする時、「韓民族」という情緒には、女性主体を再び他者化する危険性がある。脱分断のための南北女性の出会いは、同じ韓民族であることを強調するよりは、南北女性の差異と向き合うときにこそ、現在、何が必要とされているのかをよりよく見ることができる。

 

 

ここで、南北女性は相異なる社会体制から来たのだから互いの差異に対して理解が必要だという「当たり前の」主張をしようとしているのではない。むしろ、こういった方法での理解は、差異をそのまま差異として、南北関係の多様な側面のうちの一つとして放置する可能性がある。その差異のなかに隠されたヒエラルキーや権力関係を見逃しやすいのだ。

 

 

脱分断のための新たな空間をつくるためには、差異を差異として受け入れることができる「力量」が必要だ。これは「北韓を正しく知る」ことを通じて習得されうる次元の問題ではない。この力量は、人を見るときの基本的な認識の問題で、女性を見る観点の問題だ。北韓/北韓女性に対する情報を扱い、知識を生産することそのものが認識の問題なのである。

 

 

あるものを優劣に二元化した構図で見ること、〈強さ-征服-男性性〉と〈弱さ-敗北-女性性〉という力の論理で理解すること、このような思考体系は差異を差異として見ることができない。つまり、差異を差別へと置換しやすい。ある政治学者の指摘のように、北韓/北韓女性に対する態度は「単純に反北韓・反共イデオロギー教育によるものだけではなく、南韓社会全般に敷かれている社会的強者の社会的弱者に対する『他者化』の傾向を反映している」くぉん・ひょっぽむ「統一から脱分断へ」『当代批評』2000年秋号、168ページ。。移住女性の人権活動に専念するある女性活動家は、北韓の人々が第2の市民となり、中国朝鮮族、アジアからの移住者が次の順位へと位階化される未来社会を憂慮している(はん・くぎょむ)。ジェンダー、セクシュアリティ、年齢、障害、階級に加えて民族と人種は、差異を差別化する範疇になっている。女性は多くの範疇が横切る地点に多重的なアイデンティティをもち、「女性」という理由で男性と違う差別を経験する。

 

 

このような文脈から北韓女性の差異を見ると、「韓民族」の情緒を越えて、もう少し纎細に見て、多くのことを指摘することができる。南韓女性と北韓女性が、誰が誰を代弁あるいは代表するのか、そして誰の視角が正しいのかといった考えを捨てる時、差異を受容する力量が発揮される。実際、南韓社会で女性が一つの主体として想定されえない状況において、南北女性たちのあいだの差異を語ることによって、もかしたら性差別問題の深刻性を薄めてしまう、または女性の団結性を散らばらせてしまうような副作用をもたらしはしないかと憂慮されることもあろう。しかし、女性の連帯は差異を認知してこそ可能になる。南北女性たちの異なる位置が可視化される時、問題が何なのか把握し、初めて連帯の地点を見出すことができるのだ。
 
 
 
 
 

5. 変わらないこと、同質性に対する執着

 
ある日のことだ。匿名の男性から「北韓脱出女性と結婚したいから紹介してくれ」という電話が来た。誰だかも分からないこの男性の図太さに慌てたが、次の言葉がさらに驚くべきものだった。「ここの娘たちは手強いが、北韓女性は従順的でしょう。だから結婚したいんです」。
 


これは、否定的であれ肯定的であれ6・15共同宣言が日常に及ぼしている影響だと考えられる。北韓にいっそう易しく近付けること、最小限の敵愾心は持たないこと。依然として反共主義と民族主義の枠組みにあるが、北韓に対してより柔軟に思考することができる条件を6・15宣言は提供する。しかし、その過程には、注意深くのぞき見なければならない、変わっていないことがある。第一には、強者になろうとする欲望だ。力の論理を崇め、自らを中心において北韓を周辺化・他者化し、優越感をもった視線で北韓を眺めることがそれだ。二番目は、性と愛、結婚、家族の問題は、未だに伝統的で純粋な自然の領域として残されていることを期待する欲望だ。


6・15共同宣言後、急増する離散家族の再会はこれを典型的に示している。父が理念の歴史を担う主体であるなら、母は理念から退いた血筋と自然の領域にある。母は変わることのない伝統保存者で、純潔な存在だ。だからこそ永遠な原型である。このような母の貞節が、南北を出会わせる根源になる。座談「脱分断時代の家族と女性――南北離散家族の出会いを見守って」、『女/性理論』3号、女性文化理論研究所、2000年。


女性を変わることのない存在としておこうとする欲望は、北韓女性のイメージの再現のなかにも現われる。去る2002年のアジアゲームに参加した北韓女性応援団の南韓訪問や、金鋼山観光の中で出会う案内女性との対面で、南韓男性たちも北韓女性に会う機会が多くなった。このような出会いは、南韓男性たちにとって警戒と混乱の経験になりもしたが、この混乱を整理する方式は「民族」の同質性拡大を通じた異質感の克服という単純な次元だった。


ここでの民族の同質性は、伝統文化に依存している。最近、北韓社会が開放されてきたことで北韓を訪問した男性知識人たちは、北韓女性たちを純粋、素朴、自然美、伝統美というイメージによって再現した男性文人たちが北韓を女性の伝統美としてイメージ化することについて、若手の学者たちは、帝国主義的視線であるとすでに批判している。ちょん・ひょぐぁん「メディアにみられる北韓のイメージ構成」ちょ・はん・へじょん、い・うよん編『脱分断時代を開いて――南と北、文化共存のための模索』(さみん、2000年)所収。。北韓女性応援団に降りそそいだ賛辞も似たり寄ったりだった。外見については、自然な線、素朴な感じ、誇張されない化粧法などをイメージの特徴として強調する。言行の次元については、いったんはにかんで見せる点が最高だ。「ボーイフレンドはいるのか」という南韓の人々の質問に北韓女性たちは「淑女にそんなことを聞くなんて失礼ではないですか」と顔を赤らめるとか、質問を避ける機知を見せる。メディアは、澄ましながらも恥かしがる北韓女性たちの特性を伝統的女性美として扱いながら「整形しない自然の美人」「無公害美人」「身土不二の顔」に焦点を合わせた『週間東亜』2002年10月17日、『日刊スポーツ』2002年10月4日、『ハンギョレ21』2002年10月17日など。。北韓女性の伝統的イメージは民族的同質性を再現する記号であり、民族の純粋性を保全するものとして象徴される。これは、文明化と区分される自然であり、故郷の原型だ。


民族の同質性とは、南北が分断の歴史を経験したにもかかわらずともに共有する、基本的な伝統的文化があるはずだという前提のもとでいうことだ。変わらない同質性の根は、同じ血筋で結ばれた家族と家族の延長である民族だ。このような血縁共同体は、すなわち女性の純潔な身を必要とするものであり、女性は純粋な民族と同一視されるという象徴性をもつ。民族の同質性という言説において、女性は無時間的で脱歴史的な存在になる。


ところが、北韓女性を通じて民族の同質性を見ようとする欲望は、実際には文明化に編入した男性たちの自意識なしには不可能だ。純粋、自然、身土不二が価値をもちうるのは、これらが南韓社会を生きている男性たちにとって、欠乏した懐かしさだからである。すでに文明化された主体としての視線をもった南韓が、自らは北韓と違うということを規定することである。つまり、西欧資本主義の単線的な発展尺度から北韓を眺めているのだ。結局、同質性に対する追求は北韓/北韓女性を通じて自分のアイデンティティを確認すると同時に北韓と境界を引く事であり、他者を専有しようとする欲望の別の姿だ。


このような文脈において、北韓女性と結婚したいという男性の電話は、脱分断時代にあって批判的に点検しなければならない男性性の典型を凝縮的に見せてくれる。最近、結婚年令が遅くなり出産率が低下していくことで、今やアジアから来た女性たちが韓国女性の席を埋めるという現象が見られる。実際に、民族国家の境界が崩れているが、これに対抗して民族国家を堅固にしようとする反動は相変らず続いている。もし、分断の線が崩れれば北韓女性はアジア女性よりも選好される対象になるだろう。
 
 
 
 
 

6. 差異を認める連帯のために

 
南北の差異と葛藤を解決するために、今なお大きな動力と見なされるのは「民族」だ。6・15共同宣言で意味あるものとして評価を受ける部分も「自主的に」「我が民族だけで」成す統一だ。そして、女性たちも統一の主体になり核心的役割を果たすために、女性たち独自の大会開催、女性参加率30%要求、女性政策の提示、女性主義平和運動への拡張のために努力している。


主体的に、自主的に統一を成すことは重要だ。しかし北韓/北韓女性との出会いにおいて経験する困難さは、単純に「民族」という名に解消されえないものが多い。脱分断の努力が、もう少しよい社会を志向することなら、「我が民族だけで」成す統一における民族の否定的同質性は、冷静に批判されるべきである。


民族の否定的同質性を見るためには、南北の軍事化された社会の性格を点検せねばならない。南韓と北韓は分断という軍事・政治的対立状況のなかで「民族主義」の情緒を土台に近代化を推進した。こうして「民族」は、性・階級・地域などのあらゆる範疇を越えてアイデンティティを構成する絶対的範疇になった。ところが民族主義は「私たち」を構成する根幹であり、「私たち」は「我が民族」の外部にいる「敵」を想定する。あいにくにも南韓は同じ民族である北韓に向けて銃口を定め、軍備競争をし、敵対感を育ててきた。したがって、民族の同質性を批判的に見るためには、南北の対立と対北敵対感を基盤とする南韓社会を綿密に省察する必要がある。趙韓惠貞「統一空間と文化――批判的解釈」趙韓惠貞、李宇榮編、前掲、329‐33ページ。


軍事化された社会とは、個人と社会共同体に軍事主義軍事主義とは、軍事的価値を鼓舞するイデオロギー、価値、信念の体系、社会と行動様式の傾向性のことである。葛藤が発生すると、武/暴力的方法で解決しようとする態度が軍事主義である。が日常化もしくは社会化されている社会を意味する。当然だと思うことに好戦的価値があり、戦争準備動員のために個人と社会が決まった方向に構成されることをいう。戦場で必要とされる規律が日常的な生の規律と類似していく過程が、日常化された軍事化だ。ところで、軍事化された社会は家父長的性差別主義なしには作動しない。軍事力を必要とし、軍事的価値を高めてくれる戦争、軍隊、軍事安保は、それそのものが性役割を基盤としており、ジェンダー・アイデンティティを構成する主要な機制だからだ。したがって、軍事主義はすでに性差別主義を内包している概念である。


だからこそ、脱分断運動は女性主義の意識なしには不可能だ。否定的同質性を批判的に見ようとするならば、女性問題を突かなくては十分ではない。先に見たように、統一を民族的同質性によって解決しようとする統一論者たちにとっての統一とは、女性を他者化し差別化する思考体系を基盤としている。それゆえに、完全な脱分断/統一運動になるためには性差別主義の解消が必須となる。


したがって、脱分断/統一運動において女性の参加は当然だ。男性も女性主義を分からずして脱分断/統一運動の真正な主体として立つことは容易くない。このような意味で、南韓と北韓女性が出会う地点は明らかだ。もちろん、それぞれの差異が大きいのは事実だ。しかし、南北女性たちが否定的同質性を解消しなければならない主役であるという点で、差異を基盤とした連帯をつくることができる。さらに、肯定的異質性を探し出し、共有することができれば、南北の差異が無視されるのではなく尊重される連帯になるだろう。


南北女性たちの連帯は、組織的な面からみてもすでに「6・15女性本部」と「女性分科委員会」が整えられている。しかしこれらの女性組職は「6・15共同委員会」のなかで6・15共同宣言の実践という範囲内で動かなければならないという、そもそもの限界がある。それにもかかわらず、南北女性たちの共存のための女性たちの自生的基盤になりうるという点で、その存在価値は大きい。


たとえ6・15共同宣言が民族の枠組みのなかにあるとはいえ、女性運動はグローバルな視角で統一問題を展望しなくてはならない。脱分断運動のために必須とされる脱軍事化運動は、統一以後にも続けられるべき平和運動だからだ。「6・15共同宣言実践と平和のための南北女性統一大会共同決議文」もまた、南北女性たちの連帯が反戦と平和をなしていく努力にあることを明示している。何よりもグローバルな視角が必要とされる理由は、南北女性たちの生がグローバルな資本主義の流れの中にあるからだ。最近、北韓では経済改革以降、家庭での女性の責任が強化されているとか、女性の労動が増加しているといった変化が現われているぱく・ひょんそん「近年の経済改革と北韓女性の生活の変化」、韓国女性研究院セミナー発題文、2005年4月15日。林順姬「食糧難と北韓女性の生」、国家人権委員会北韓人権国際セミナー発題文、2005年11月3日。。そして、国境を越える北韓女性たちの数も増加し続ける趨勢にある。さらにはアジア各国と北韓から来た女性たちの存在が、南韓女性の経験を再編している。特に、北韓女性たちとの出会いは南韓女性の位置を新たにつくりかえていくだろう。したがって、脱分断運動は、他者といかに関係を結ぶのかという問いの中で、持続的に自らを省察することなのである。


 


*この文を書くためにインタビュー形式で対話をしてくれた6・15女性本部共同代表のきむ・すぎむ(平和をつくる女性の会常任代表)、はん・くぎょむ(NCC女性委員長)、6・15女性本部共同執行委員長のそん・みひ(反米女性回副議長)の三人に感謝する。インタビューの発言を引用する際には、本文に発言者の名前をカッコの中に入れて表示した。同時に、この文章は、特定の女性団体の立場を代弁するものではなく、個人の見解であることを明らかにしておく。また、「北韓」の呼称については、「北朝鮮」、「北方」といった表現があるが、本稿では北韓という表現をそのまま用いた。


 


 


訳ㆍ金友子

季刊 創作と批評 2006年 春号(通卷131号)
2006年3月1日 発行
発行 株式会社 創批
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