창작과 비평

東アジアとコリアン・ディアスポラ

特集│6・15時代、何をするべきか

 

 

 

玄武岩(ヒョン・ムアン) gen@iii.u-tokyo.ac.jp

 

玄武岩、東京大学大学院情報学環助手。著書に『韓國のデジタル•デモクラシ一』、論文に「東アジアのコリアン•ネットワ一ク:その歷史的生成」などがある。

 

 

 

1. はじめに

 

韓半島(朝鮮半島)は「真の国民国家」を成し遂げる前に脱民族という新たな潮流の渦に巻き込まれている。民族主義に対する内在的な批判があがっている一方で、東アジア共同体という地域統合の動きも浮上している。両者はグローバル化に対する対応という点において共通するのであるが、統一という「民族的な課題」もまたこのような時代的な流れに従うことを求められている。

我々は単一の国民国家としての統一への欲望を克服する必要がある。これは単に、一方的な統一が引き起こすであろう統一の負担という現実的問題への心配からだけではない。統一によってグローバルシステムに適応できない北朝鮮が内部の植民地になり得る恐れもあるからだ。もちろん、国民国家ではないその他の創意的な方法で漸進的な統合を果たしていくとしても、互いの信頼を回復するには多くの困難が予想される。何よりも冷戦崩壊後、ソ連・中国との国交が樹立し、交流可能となった韓国本土の国民と在外コリアンとの関係が言語的・経済的差別による序列構造で規定される現実に照らし合わせてみた場合、「同胞愛」だけで北朝鮮の住民が同等の共同体の一員として受け入れられるとは思われない。

「過程としての統一」というのが現実的な方向としてよく提示される。また、最近の統一論議が南北と在外コリアンを包括する新たな民族統合を目指しているものであるなら、韓国と在外コリアン社会が出会った瞬間からすでに統一に向けた途上に入ったとも言えるだろう。しかし韓国が在外コリアンを韓民族という共同体の構成員として受け入れない限り、そのような統合過程は根底から揺れているということを認識しなければならない。

 


南北の統合という課題をどのような形であれ進めていかなければならない状況の中で、在外コリアンの存在と彼らとの関係設定が多文化的な風土を経験したことのない韓国人に与える意味は少なくない。だからといって在外コリアンを南北統一のリトマス紙のように考えたり、彼らを通して多文化主義のレッスンを期待したりするのは、本稿で批判的に考察しようとする韓半島中心主義的な韓民族共同体論を繰り返すことと変わらないだろう。

 


韓半島を中心とする在外同胞政策においては、韓民族のアイデンティティと韓国語教育が重要な課題となり、在外コリアンを統一過程に活用可能な存在、経済発展に寄与する存在として認識することになる。「民族の同質性の回復」を目標としているある海外同胞の研究団体は、中国の朝鮮族の女性と韓国の男性との結婚を「半世紀の間、断絶していた韓民族の再結合という民族史的な快挙」として見なしている。このような在外同胞を見つめる視点には、民族意識を喪失した貧しい北方の同胞を啓蒙するという優越意識が現われている。労働力を取り入れる時、韓国語のテストを実施し、移住労働者は減らして朝鮮族の入国を容易にしようという支援団体の主張も閉鎖的な民族中心主義にほかならない。

 


在外同胞を資源的な存在として、または恩恵を与える対象として見つめるのは決して望ましい姿ではない。実際、歴史を振り返ってみると「在内」と「在外」との交流は常に存在していたことが分かる。何よりも植民地という状況下において、「在内」と「在外」はいつでも転移可能であったし、今後も人的移動が活発になればなるほど両者の境界はより曖昧となるだろう。

 


脱領土的な韓民族の連帯が課題として登場している。それが統一過程の根本をなし、さらには東アジアの地域協力体づくりに役立つためには、我々はもう一度本国と在外同胞の関係を振り返ってみる必要がある。すなわち、韓民族の連帯は社会的、歴史的場所を奪われたディアスポラ(diaspora)の存在が否定されない関係が可能である空間を通して成し遂げることができるのである。

 


このような関係を構築するためには「共同体」ではなく、「ネットワーク」としての韓民族という発想が前提されなければならない。本稿はコリアン・ネットワークの歴史的軌跡を検討し、その根拠の確保というところから論議を始めることにしたい。
 
 
 
 
 

2. 東アジアのコリアン・ネットワーク

 
日本は、韓半島を領土的に占有することには成功したものの、韓民族全体を帝国臣民として抱き込むことはできなかった。それは、日本が影響力を及ぼしながらも統治権を完全に行使できなかった帝国の外に存在する韓民族がいたからである。このような問題の解決のために、日本は在外韓人(朝鮮の人)を「日本臣民朝鮮人」として抱え込むさまざまな工作を繰り広げた。帝国臣民でない韓人の存在は、韓半島の支配を根幹とする日本帝国の足場を揺るがす存在であったからである。

 


さらに、支配の物理的装置として植民地に拡張された鉄道、海運、郵便などのインフラと帝国の統治権力は、その意図に反して対抗ネットワークを伴うものであった。このような対抗ネットワークは、各々の韓人社会を結び付け、人と情報の流通経路となった。これらを通して反日運動や独立思想、さらには近代的な共和思想が韓半島に波及した。

 


例えば、1900年代中頃から極東ロシアで発行された「海朝新聞」「大東共報」「勧業新聞」や、米州で発行された「新韓民報」など韓人社会のハングル新聞は、太平洋を隔てて論説と記事を互いに掲載したり紙面論争も繰り広げたりしたが、これは当時の国境を超えた韓人ネットワークを示してくれている。「新聞紙法」によって言論が厳しく統制されていた時期に、在外韓人社会の新聞は本国の新聞に代わって愛国啓蒙と独立思想の震源地となり、当時形成中であった韓国の民族主義を主導した。

 


このように帝国の支配に抗うコリアン・ネットワークは、帝国的な秩序形成を拒否し、新たな東アジアを志向したといえる。もちろん、これらが共有していた基本的な目標は朝鮮の独立と国民国家の成立であった。しかし、日本帝国主義による暴力行為が「東亞」の連帯と解放という名目のもとで繰り返され、朝鮮と中国、そして台湾の抗日運動•民族自決権に応えようとした日本の思想家や社会主義者、そして植民地である朝鮮の知識人までもがこのような暴力の連鎖へと引き込まれていったことを考えれば 米谷匡史 「ポスト東アジア: 新たな連帶の條件」、 『現代思想』 2005年6月号、75頁。 、韓民族の対抗ネットワークに朝鮮の独立を超越した地域連帯の地平がみえてくる。

 


最近、東アジア共同体が論議されている過程において、再びコリアン・ディアスポラが注目されながら「韓民族共同体」論が浮上している。韓半島の統一方案として提起された「韓民族共同体」の論議は、1990年代に入り、グローバル時代の民族的生存戦略として新たに位置づけられる。在外同胞もまたそのような世界化戦略の一端を担う存在としてスポットライトを浴び始めている。それが近年、いわゆる「韓民族共同体」もしくは「韓民族ネットワーク共同体」という概念として登場している。すると、植民地時代と冷戦時代、そして脱冷戦のグローバル化の時代を貫通してコリアン・ネットワークのあり方を問うことの意味は、決して少なくない。はたして、東アジアの地域秩序が帝国を超え、共同体へと向かう過程において韓民族はどのような役割を果たし、地域統合の未来構想を進めていけるか。ここで重要なのが、ネットワークとしてのコリアンのあり方である。それは二つの意味を持っている。

 


一つ目は民族共同体を超える東アジアの視点である。最近の韓民族共同体論はグローバル化の時代に対応した民族的戦略という未来のビジョンとして構想される場合が多い 例えば、鄭榮薰は「グローバル競争」を切り抜けていく代案として韓民族共同体論が力を得ていると指摘している(鄭榮薰「韓民族共同体の理想と課題」、『近現代史講座』第13号、2002、9頁)。 。しかし、このような未来志向型の「共同体イデオロギー」に基づいた論議では、20世紀に各地で多くの韓人が形成してきた関係性を逃すこととなるだろう。そこでは、「海外同胞」の独立運動を除けば、植民地であった本国と在外同胞間の活発な交流や、人の移動が制限されていた冷戦時代に国民国家システムを潜り抜けながら展開していった非合法的・運動的ネットワークは無視されることになる 済州道(チェジュド)と大阪は、解放(終戦)後も植民地時代のネットワークが繋がることで一つの生活圏を形成してきた。1950年代の後半から「サハリン帰還在日韓国人会」が韓国とサハリンを繋ぐ活動を繰り広げてきたことや、日本の市民社会と連帯して日本の戦後補償問題を先駆的に提議してきたのも冷戦時代のネットワークと考えられるだろう。 。このようなコリアンの連帯は決して民族共同体として存在したのでなく、むしろ民族的な意味を超える東アジア地域の脱国家的な実践としてみることができる。

 


二つ目は「韓半島中心主義」の相対化である。韓民族共同体論における共同体という意味には、韓民族同士がそのアイデンティティに基づいて集団の連帯と発展を図るという目的意識が垣間見られる。ところが、そこには白楽晴(ペク・ナクチョン)が提起した多国籍・多言語の民族共同体としての多層的なアイデンティティによって構成された在外コリアンの現実が反映されているとは言い難い。却ってそこでは、同質的な韓民族としてのアイデンティティに吸收すべき部分だけを吸収し、残りの逸脱した部分は周辺化されてしまう。流浪の民の在外コリアンは、祖国の発展に貢献しなければならない手段的な存在になってしまうのである。しかし海外に移住した韓人は、単に近代の渦に巻き込まれたのではなく、むしろ近代のシステムに能動的に対応することであらゆる形で祖国建設に携わってきた。韓民族のナショナリズムは、韓半島の人々と海外に移住した人々が相互作用する過程において築き上げられたものである。

 


このように韓民族の連帯を共同体形成というプロジェクトではなく、ネットワークという視点で眺めた場合、東アジアにおいて歴史的・空間的に展開したダイナミックな動きを捉えることができる。また、周辺的で劣った存在としての在外韓人のイメージを払拭することにつながると思われる。そしてそれは、今後東アジア共同体の政治的・経済的構想に批判的に介入しながら、東アジアの新たな連帯の条件となる開放性と市民性を映し出すことになるだろう。  
 
 
 
 
 

3. 規範としての共同体

 
韓民族共同体の議論は、グローバル化によって国民国家の規定性が相対化される過程において新たに「発見」された韓民族というアイデンティティを通して、グローバル時代に対応する国境を超えた共同体の可能性を模索しながら浮上している。

 


国境を超えた共同体といってもそれが共同体である以上、基本原理はゲマインシャフト(Gemeinschaft、共同社会)的な人間関係の中で求めることになる。姜大基(カン・デキ)は、ゲマインシャフト的な精神と人間関係が現代の共同体概念の準拠枠となっていると述べている 姜大基(カン・デキ)『現代社会での共同体は可能であるか』、アカネット、2004、48頁。 。だからと言って、共同体論が自己完結的で対面的・情緖的な閉鎖された共同社会を求めるものではなく、開放的な共同体を目指すものであることには間違いない。韓民族共同体に関する論議もまた開放的な民族共同体を目指している。

 


規範的な概念としての脱空間的な領域や文化的単位としての共同体の形成を目指すとするならば、韓民族共同体という概念だけでも充分であろう。しかし、20世紀の韓民族の関係性は共同体という理念だけでは把握することはできず、このような連帯の経験を省察するためにもネットワークの概念が必要となる。また、韓民族の連帯が国家と資本の主導する東アジア地域主義に対しての相互理解を高め、平和へのビジョンを提示し、市民的な開放性と連帯性を志向する立場にあるならば、共同体ではないネットワークとしてのコリアンのあり方が模索されなければならない。

 


近年の韓民族共同体に関する論議や実践が、このような問題に答えているとは思えない。在外コリアン社会の現実が反映されていないばかりでなく、今後の見通しにも現実性が欠如しているように思われる。これは民族という総体的な価値とそこから得られるアイデンティティが前提となる共同体概念に対する再考もなく、それをグローバル化時代の民族的連帯のあるべき姿として理想化するためである。すなわち、共同体を規範的な実体として認識しているのである。

 


1980年代以降、リベラリズムの波及がそれらに反対するコミュニタリアリズムの登場をもたらし、両者の間に論争が起ったことは周知の通りである。リベラリズムが依拠するのが「正義論」に基づいた「自由な選択を行う意思主体としての人格概念」であるが、共同体主義者はそれが社会から遊離した自我を前提としていると批判している。それに対して提示された主体概念が、共同体的紐帯を構成要素とする他者との相互依存的な自我、つまり「位置づけられた自我」であり、その基礎となるものが「共同体の共通善」である 靑木孝平 『コミュニタリアリズムへ: 家族•私的所有•国家の社会学』、社会評論社、2002、51~56頁。 。

 


このように、共同体主義者は自分よりも大きな集団へ集合的なアイデンティティを回復する必要性を強調している。社会を維持するためには社会に帰属し、その社会を支持していくという「いい意味の」ナショナリズムが不可欠であるという 杉田敦 『権力の系譜学: フ一コ一以後の政治理論に向けて』、岩波書店、1998、174~75頁。 。韓民族共同体論はこのような「いい意味」でのナショナリズムが可能だとする。植民地時代の抵抗ナショナリズム、もしくは「侵略的」でない歴史が「いい意味の」ナショナリズムとして共同体の共通善を支えている。しかし、ナショナリズムは便宜的に仕分けできるものでなく、「開かれた」「健全な」「理性の」などの理想化された修飾語は、契機さえあれば「閉じた」「退行的な」「非理性的な」ものへと様変わりすることもある。他の価値を吸収してしまう「共同体の共通善」は、現実に多国籍・多言語的に構成されており、複合的で多層的なアイデンティティで構成されるコリアン社会にも大きくのしかかってくる。

 


経済学者のアマルティア・セン(Amartya Sen)は、共同体や社会的アイデンティティの重要性を認めながらも、ロールズ(J.Rawls)の正義論に基づきコミュニタリアニズムを批判している。センは、共同体的アイデンティティが選択されるものなのか、または発見されるものなのかと問いながら、社会的アイデンティティは単一なものでなく、帰属する複数のアイデンティティが互いに競合したり葛藤したりすることがあると主張している アマルティア・セン 『アイデンティティに先行する理性』(細見和志訳)、関西学院大学出版会、2003、(Amartya Sen、 Reason before Identity、 Oxford Univ.、Press 1999) 。共同体としてのコリアン意識は、確かに、本国人々や在外コリアンにおいても、グローバル化時代に「発見」されたものかもしれない。ただし、このような「発見」されたアイデンティティは本国では自明であっても、多国籍・多言語的なコリアンとしては、センが指摘したように選択の問題でもある。そしてこのようなアイデンティティの競合や葛藤は、発見されたアイデンティティの間で現実に表面化している。それは韓国社会が韓民族共同体の構成員となる在外コリアンを受け入れる態度によく表われている。

 


中国の延辺の朝鮮族は、民族自治州を中心として独自の文化と言語を守ってきた。しかし中国朝鮮族の「朝鮮語」や高麗人の「コレマル」は、韓半島、特に韓国とのつながりを証明するよりは、むしろ断絶性を示すものである。均質的な文化的・言語的空間を形成する民族的アイデンティティを疑わない 「故国」の人々から、忠誠を誓う対象は誰かと問われると、韓国の朝鮮族は自分たちが余計物に過ぎないことに気づいたのである。

 


このような韓国国民と朝鮮族の葛藤を象徴的に表わしたのが、朝鮮族を戯画化するとして問題となったKBSのコメディ番組「ギャグコンサート」の「鳳仙花学堂」と、このコーナーに反対して在韓朝鮮族が開設したウェブサイト「アンチ延辺チョンガ」をめぐる一連の出来事である。このサイトの掲示板で、番組の反対派と擁護派は激しく衝突するわけだが、インターネットを通して領域を横断する仮想的な対話の空間を構築しようとした試みは、本国民とディアスポラが対決する場となってしまった この掲示板の言説を分析した拙稿「浮遊するディアスポラ:「延辺チョンガ」をめぐる中国朝鮮族のアイデンティティ・ポリティクス」、東京大学大学院情報学環紀要、『情報学硏究』69号、2005、参照。 。結局、朝鮮族の声は圧倒的多数の声によって封じ込められ、その言説空間は支配的な公共圏の外部に排除されてしまった。

 


このような本質主義的な民族観念が脱構築されるべきであるのは言うまでもない。もちろん、それが民族的な連帯を否定しているのではない。制度的な側面においては、「在外同胞法」のように民族成員の法的資格が迂餘曲折を経て整備されてきた。ところがこのような民族的結合への推進は、リベラリズムの立場から見ると容認できない部分である。コリアン・ネットワーク論は、こうしたリベラリズムの批判に対応する論理構造を整えていなければならないであろう。実際のところ、韓民族共同体の構想は民族主義を批判する立場からその血統的閉鎖性が問題視されている。

 


林志弦(イム・ジヒョン)は、移住労働者よりも在外同胞を優先する「在外同胞法」が韓国の血統的純粋性を強調するものだとして批判している。彼は、在外同胞が韓国政府に納税や国防などの国民としての義務を果たしているかという疑問を投げかけ、韓民族共同体において在外僑胞よりも移住労働者の寄与度の高いことを認めなければならないと主張するのである 林志弦(イム・ジヒョン)『理念の中身』、サムイン、2001、191頁。 。これは市民的な公共性という観点から考えると妥当であろう。

 


しかし、このような韓民族共同体に対する貢献を論ずること自体が在外同胞の歴史と現実を無視した対価主義的な発想であり、結局のところ韓半島中心的な韓民族共同体とコインの両面をなしている。歴史的な側面からコリアン・ネットワークを考えると、韓民族の表象と空間は本国の人々だけに独占されるものではないことが分かる。

 


解放後、韓国には多くの在外コリアンが帰還したものの、当時の政府は満州の同胞らが開拓した農地を確保し、現地に定住することを望んだ。政治的・経済的理由によりサハリンに残留していた韓国人の帰還に消極的であった韓国政府の責任は重い。在日コリアンは祖国の分断という状況に縛られながらも、今も解放当時に匹敵する本国籍の所有者数を維持している。林志弦の批判には祖国に捨てられたサハリン韓国人や、ホスト社会の義務を果たしながらも同等の権利を得ることのできない「在日」など、分断された本国との切るに切れない関係におかれている在外コリアンへの認識が欠落している。
 
 
 
 
 

4. 共同体からネットワークへ

 
最近、「韓民族ネットワーク共同体」という言葉が使用されているところからも察せられるように、韓民族共同体論にもネットワークの概念が導入されている。とはいえ、このような韓民族共同体論がネットワークの意味をそれなりに活用した、新たな関係性によって構成される民族同士のコミュニケーションを保障しているとは言いがたい。主に1990年代後半、急速に普及されたインターネットなどのコミュニケーション技術の登場に後押しされた韓民族ネットワーク共同体の議論には、韓半島中心主義や技術決定論が色濃く投影されている。すなわち、自発的で分散的なコリアン・ネットワークというよりも、本国の「韓民族」を頂点に据えたピラミッド式のヒエラルキー構造を想定しているように思われるのである。

 


最近のネットワーク論では、それが自発的に形成され、自立的・相互作用的であり、分権的な構造をなしているという側面が強調されている。韓民族ネットワーク共同体の論議においても開放性と包容的な姿勢が求められるが、ほとんどが韓民族としてのアイデンティティの確立や韓国語教育の強化を強調している。在日1世の財産を国内企業が国内に持ち込む事業を推進すべきだという主張はネットワークの意義を無意味にしている キ厶・ヨンホ 外『民族統合の新たな概念と戦略』(翰林大出版部2002)の論議参照 。

 


ネットワークの概念が積極的に使用されている例として華僑のネットワークを挙げることができる。これを韓民族共同体の未来像として理想としたりしているが、それはネットワークが最も実体的な姿を見せるのが経済活動の側面であるからであろう。こうした動きが重要であることは間違いないが、コリアン・ネットワークは華僑のネットワークとは違い、経済分野を超えて政治的(または市民社会)ネットワークとしての可能性を持っている。

 


ネットワークの性格規定において経済的合理性が基本原理でないということは重要である。民族のネットワークであっても、資本を優先するよりは価値志向性を同時に考慮すべきである。また、国家的なレベルでのプロジェクトではなく、市民社会を土台とした連帯の観点から推進していく作業が市民性を保障することも忘れてはならない。すなわち、マスコミ機関やNGOなどの市民団体も積極的に乗り出しているように、民主化の経験を通して生まれた市民的なネットワークの可能性を備えているのがコリアン・ネットワークの特徴と言えるだろう。このような特徴からコリアン・ネットワークを東アジアの地域統合という視点から捉えることで、脱国家的なアクターの連帯として位置づけることができるのである。

 


コリアン・ディアスポラ、特にネットワークとしてのコリアンが注目され始めたのは、日本帝国に対抗する在外コリアンが本国と「気脈ヲ通シ」、朝鮮内地の独立運動と連携するのを防ぐため、在外韓人を体系的に調査した植民地時代へと遡る。『開闢』(1925年8月)が設けた在外同胞特集では、「同胞全体の協同奮闘」を要求しながらネットワークの必要性を力説している。「在内同胞が在外同胞を忘れて行動することはできず、また在外同胞が在内同胞を捨てて勝利を得ることはできないため、内外が力を合わせ、内でできないことは外で行い、外でできないことは内で行い、互いに協同共進しなければならないであろう。」  

 

植民地である朝鮮において、在外韓人に対する在外同胞としての認識が朝鮮という「内地」を作り上げ、「内地」と在外同胞が一体となることにより朝鮮民族を際立たせた。日本はこのような記事に対して停刊処分で応じた。このように当時は朝鮮の独立が最大の課題ではあっても、国権回復運動の主導権は殖民地下にて政治的中心性のなかった「内地」(本国)よりも帝国の外縁部にあった。すなわち、ネットワークの自立性と分権性が存在していたのである。ところが、今は分断という状況ではあるが「国民国家」という政治的意味を持ち、経済力を備えた韓民族の最大のエスニック・コミュニティーである韓国がネットワークの結節点となっている。このような韓国が断絶されたネットワークを再構築する過程において中心性を表明することで、ネットワークを韓半島中心の共同体へと転換してします。これが「韓民族共同体」にほかならない。

 


もちろん一時的にはネットワークの結節点が求心力を持ち、人と情報の移動を促すこともあるあろう。また国家レベルであろうが民間レベルであろうが、現在の韓国が中心的役割を果たしているという事実は否定できない。しかしそれは比較的最近の現象である。植民地時代の独立運動はいうまでもなく、解放後の南北の建国過程、さらには経済発展と民主化に参加した歴史を振り返ってみると在外コリアンの役割を単に「貢献」としてだけ見なすことはできない。未来志向の共同体概念では視野に入れられない在外コリアンと本国の関係を歴史的に考察することにより、長いスパンからコリアン・ネットワークの脱中心性と双方向性を捉えることできるのである。
 
 
 
 
 

5. 「在日」とコリアン・ネットワーク

 
最後に、コリアン・ネットワークにおける在日コリアンの位置を考察することで、南北統一や東アジアの新たな連帯の条件となる開放と市民性の意味を考えてみることにしたい。1990年代に入り、日本社会での「在日」、あるいは本国との関係における在日同胞という従来の範疇を超え、東アジアのリージョナルな存在として新たに自らを再定義することでポジティブな意味を与えようとする試みがある。

 


20年の歴史を持つワンコリアン(One Korea)フェスティバルは、2000年の大阪大会において「21世紀のワンコリアンと東アジア」を主要なテーマとし、翌年の東京大会でも「アジア共同体」を標榜するなど、在日コリアンと東アジアをめぐる本格的な論議がなされ始めた。知識人層からも在日コリアン問題を考える際、東アジア的な視点が必要だという声が上がっている。2004年「境界から共生へ」をスローガンに設立されたコリアNGOセンターは、民族教育の拡大とコリアン・ネットワークの形成、そして東アジア共同体の構築を目標としている。

 


実際、在日コリアンの位置は東アジアという観点から考察することで、より一層明確になってくる。何よりも在日コリアンは日本国民と連帯できる立場にある。そして現在、韓日連帯を超え、アジア連帯として在日コリアンの意味が注目を浴びている。それはマイノリティや在外同胞としての「在日」ではなく、英国での「ブラック」という概念がエスニック(ethnic)集団の意味を超え、移民者連帯を形成する際に用いられるように、旧植民地出身者として定住国との妥協に止まらない、より普遍的な人権としての権利概念を広めていくことが求められている。

 


コリアン・ネットワークとしての「在日」は、日本社会で育ててきた多民族的で市民的な運動力量をもって本国へも向かっている。前述したワンコリアフェスティバルには、近頃韓国からもゲストが招待されたり、在外同胞団体も参加者を募集して参加を呼び掛けたりしている。しかし韓国の参加者らが「在日」の目指す「ワンコリア」に対しては違和感を表わすこともしばしばある。彼らには沖縄文化や日本の祭文化などを取り入れたワンコリアフェスティバルが異質的なものとして感じられるのであろう。そこには彼らの期待した「韓民族の民族文化」は存在しないのである。主流文化や他のエスニック・マイノリティと多文化的に共生することにより民族的でいられる「在日」の叫びは、単に日本の主流社会にだけ向かっているのではない。

 


異質的なものに対する排他的な風潮は、官僚的な政策だけでなく一般人の意識構造にも深く根付いている。朝鮮族には言語的・文化的同質性を要求しながらも、一方では政治的に違和感を表わす二重性を見せてきた。柔道選手として胸に太極マーク(韓国の国旗のマーク)をつけたいがために「祖国」を訪れたが、閉鎖的な風土のため、結局日本に帰化し日本の国家代表となったある在日コリアンは、「日本に帰化してからようやく韓国人として認められた」と語っている。民族と国家が同一視される本国では、ナショナルなアイデンティティは自然と身につくものである。しかし在外コリアンにとって、アイデンティティの獲得は自分との格闘の過程である。

 


南北の統合がどのような形でなされるかは予測しがたい。ただ、南北が経済的な隔たりを無くしながら漸進的な統合を目指すという統一のロードマップに対するコンセンサスはある程度共有されている。それが国民国家ではなく、複合国家・連邦国家を目指すものであるならば、強固なアイデンティティは却ってこれらの構想に逆作用をもたらす可能性がある。アイデンティティは固定されたものではなく構築されていくものであるという事実を在外コリアンは実践的に見せてくれる。このようなアイデンティティの多数性と柔軟性をどのように受け入れるかという課題が、在外同胞との関係においては言うまでもなく、統一を展望する過程においても浮き上がってくる。

 


いずれ実現されるであろう統一後の韓半島は、グローバル経済に統合された韓国が主導する可能性が大きい。そうなれば国家制度の大部分が国際標準である韓国を中心として再構築されるだろうということも容易に予想できる。国旗、国歌などの統一後の新たなシンボルは新たなアイデンティティを意味するが、統一国旗の使用が合意された民族行事で韓国の国旗の太極旗が入場できないということに対して保守的なマスコミが批判する現実に照らし合わせてみれば、このような国家シンボルの再創造、すなわち、新たなアイデンティティの構築は決して容易ではないということが分かる。

 


国家的シンボルは再創造されるとしても、統一過程において北朝鮮が及ぼす制度的な影響は言語や文化的側面にだけ制限される可能性も無視することはできない。このような点を考慮すれば、「日朝条約」に韓日条約で含むことのできなかった歴史意識が反映されるならば、統一後、日本と韓半島の関係を新たに設定することにつながり、それは北朝鮮の住民にとって大きな精神的資産と成りうるであろう。最近日本が右翼化しているとは言え、現在の歴史認識はこれまでの学問的成果によって韓日条約当時(1965年)とは比較できないほど前進した。もちろん、国家的次元の影響力もあったが、強制連行に対する研究の学問的土台を築き上げたのは在日コリアンの学者であり、また朝鮮人強制連行真相調査団などの団体も持続的な研究と調査活動を行ってきた。

 


このような成果が2002年の日朝首脳会談での平壤(ピョンヤン)宣言で「反省」と「謝罪」という表現に含まれたが、さらに一歩進んで「補償」という歴史認識が反映された「日朝条約」が締結されるならば、それは日朝関係だけでなく、今後の南北関係、さらには統一後の韓半島と日本の関係にも肯定的に作用することは言うまでもない。もちろん、外交が国益を追求する限り、その実現の可能性は未知数である。しかし在日同胞社会は日本の市民社会と共に日朝間の関係改善と、正しい過去淸算を通しての国交樹立を持続的に要求してきた。在日コリアンとの連帯は韓日間の問題だけでなく、統一過程における南北の新たなアイデンティティ構築にも重要な意味を持っている。

 


個人的に自立することと民族的に生きるということが矛盾していないということを在外コリアンは見せてくれている。在日コリアンが民族教育や文化活動を通して民族的に生きているのは、韓民族という共同体的な実体を具現しようとするためではなく、韓国、朝鮮人としての主体的なアイデンティティを持って生きていくためである。「分断線よりも過酷な国境」を壁に、南と北として対立してきた在日コリアン社会であったからこそ6•15南北首脳会談の知らせには歓喜し、北朝鮮による日本人拉致の事実には誰よりも陣痛な思いをしたのである。統一への熱望は本国民だけの独占物ではなく、その作業もまた在外同胞と共に行っているということをコリアン・ネットワークを通して改めて知らされた。

 


このように連帯の一つの軸としてコリアン・ネットワークが存在し、それが目的を異にする他のネットワークとさらに新たなネットワークを形成していくような開放性を持つ時、東アジアの地域統合という地形の中で統一時代に備えることができるであろう。また韓民族のネットワークが一体性の空間ではなく、複数の人々の「間」として、言語・行為による表現とそれに対する一定の応答のある親密圈を形成するならば 親密圈に関しては齋藤純一 『親密圈のポリティクス』、ナカニシヤ出版 2003、参照。 、自然と「韓民族共同体的」なものとなるであろう。

 

 

 

訳・申銀兒

 

季刊 創作と批評 2006年 春号(通卷131号)
2006年3月1日 発行
発行 株式会社 創批
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