창작과 비평

歴史的実験としての6•15時代

特集│6・15時代、何をするべきか

 

 

 

柳在建(ユ・ジェクォン)  jkyoo@pusan.ac.kr

 

釜山大学史学科教授。主要論文に「マルクスとウォーラーステイン」「統一時代の改革と進歩」「米国の覇権の危機と世界史的転換」などがある。

 

 

 

1. はじめに

 

2000年度の6・15共同宣言には必ず「歴史的」、「画期的」という修飾語がつき回るが、それにあまり違和感は感じられない。分断後、初めて南北首脳が会い、和解と交流を通じた平和的統一に合意したという事実だけでもそう言った修飾語が出るに充分であり、そこには幅広い共感帯の形成が見られる。しかし5年余りが過ぎた現在、その宣言を「6・15時代」という時代区分の一つの基点とするのは正しいことであろうか。勿論、6・15宣言は複雑な状況の中で韓半島(朝鮮半島)の安全地帯化に貢献しながら南北の両社会に、ある程度変化をもたらしたことは事実である。しかしまだその変化が両社会の全般における一大刷新にまで至ったとは言いがたく、また北朝鮮の核問題など、平和定着への道程にも多くの難題が横たわっている。

このような状況において韓半島を単位とした「6・15時代」論は統一運動家が覚悟を新たにする誓いの表現にはなりうるかも知れないが、少なくとも我々社会科学界ではあまり共感は得られないと思われる。一般的に自身の生きている当代を規定するということは今日の歴史的座標を設定してからそれに相応しい課題を自覚する方便と言えるだろう。とすれば、「6・15時代」論は「分断時代」論と同じく、南北を一緒にした一つの時代を設定することにより南北関係及び統一に決定的な重要性を与えているのである。しかし年始にハンギョレ新聞が開催した「先進代案フォーラム」大討論会は今日の韓国社会の課題を模索する進歩的な知識人の初の集まりと言えるが、これを掲載した新聞紙面の4面どこを見てみても韓半島単位の考え方は勿論、南北関係は初めから視野に入っていないことが確認される 統一及び北朝鮮に関する言及は朴明林が韓国の進歩言説の危機状況を規定する三つの論のうちの一つとして「韓国の進歩言説の再構成は民族問題と直結しているが、統一問題及び北朝鮮の現実に対して困惑している。北朝鮮の体制イデオロギーは現在総体的な破綻を迎えている」と指摘している。『ハンギョレ』、2006年1月3日。 。だからと言ってそこに参加した進歩的な知識人が分断と統一の問題、韓半島の平和問題に関心がないわけではないだろう。だた、韓国社会の核心課題を取り扱う時、分断と統一問題を社会科学的な視野において省いているのは幾つかの理由があると思われる。

 


それはまず、南と北というあまりにも異質的な二つの社会の同時代性を認めがたいからであろう。分断時代であろうが、6・15時代であろうが、それが韓半島単位の意味のある時代区分である限り、異質的な両社会を包括する共通の枠、もしくは両社会の住民が同一の体制で生活しているという認識が前提となっている。我々の進歩言説が分断と統一の重要性を無視しているわけではないが、韓国社会を説明する社会科学的視野においてこの問題を取り除いているのは科学的根拠がないと思われるこのような前提を受け入れがたいからであろうと思われる。

 


もう一つは統一の問題が進歩的社会科学の志向する世界史的普遍性と民衆性の次元において本質的な問題ではないという認識からである。権赫範(クォン・ヒョッボム)が指摘したように、南北が一つの単位になるという意味での統一はそれ自体が韓半島の住民の普遍的な目的や基本的な前提となるにはあまりにも狭く偏ったものであり、人類が近代史の複雑な過程を通して合意した基本的な価値の下位レベルに留まっているというのである 権赫範(クォン・ヒョッボム)「統一から脱分断へと」、『当代批評』、2000年 秋号、159頁。 。特に民族主義が時代遅れとなってしまった地球化時代に統一という民族主義的な目標に度の過ぎた時代史的な意味を与えているのでないかとも考えられる。また一方では、全地球的な資本主義時代に韓半島全体に対する資本主義的な市場論理の拡大を中心とした統一過程に大きな意味を与えることに対する批判も見られる。ゆえに左派の知識人の間では現在の統一過程自体が新自由主義の流れに対抗する民衆的な対応戦略に却って妨げになっているという見解も見られるのが実情である。

 


たとえ上述の普遍的次元と民衆的次元の画期性はなかったとしても、もし6・15宣言によって統一がなされていたとしたら「統一時代」という規定は大きな意味を持ったかもしれない。しかし6・15宣言はようやく一歩前進したに過ぎなく、却って南北間の深刻な格差によって統一への試みが平和を損なうかもしれないという状況において、6・15時代という時代認識と未来の課題設定は統一至上主義に早急さまでが加わったものではないかという疑問が持たれる。この論文はこのような疑問を念頭に置きながら「分断時代」と「6・15時代」という時代認識が実践的な意味において、さらには社会科学的な意味においてどの程度の意義があるのかを考察してみたいと思う。

 

 

 

2. 韓半島の分断体制と冷戦

 

韓半島の分断は東西冷戦の産物であるとよく言われている。分断によって南北の対立体制が資本主義対共産主義の両大陣営の敵対関係をそのまま具現しているという点においては妥当な意見であろう。しかし冷戦構造の性格が果たして何であるかという点に関しては論議の余地があると思われる。

 


一時期、脱冷戦によって戦争の時代が終り、平和の時代がやってくるだろうといった期待をしたが、脱冷戦時代の世界が不安な混乱期に入ったという事実は広く実感されているところであろう。却って冷戦時代の方がイデオロギー的な敵対と軍事的な対置にも関わらず相対的に平和で安定した時代であったという見方は幅広く共感を得ている。冷戦時代の両極化された国際政治構造は個別国家に強制されただけに基本的には不安な安定を保証したものであって、そう言った意味において冷戦(Cold War)時代は事実上、ホブズボーム(E.Hobsbawm)が述べたように「冷平和」(Cold Peace)の時代であったのである。今日、全世界に不安定と動揺が蔓延し、局地戦が頻繁に起っているのは冷戦時代において安定的で定着していたある種の支配体制に龜裂が生じ始めているからと言える。

 


このような状況は共産主義対資本主義の対決が冷戦構造の核心的葛藤だという視角自体を修正する必要性を語っている。冷戦において米ソの対決を核心と見る認識には米国とソ連の力が同等であるという間違った前提がなされている。両国家間の力の格差は実際のところ、相当な違いがあり、まさにこの格差によって冷戦は米ソ間の暗黙的な黙契と封鎖が一つになった体制であった。冷戦構図は米国がソ連との共存を前提として世界的な覇権を樹立するために選択した一種の戦略的装置として考えるのが妥当であろう。これは第2次世界大戦後、経済回復が切実であったソ連にとっても利益であったため、米国はソ連に共産陣営の覇権を許したのである。米国の共産圏の封鎖政策自体が米国の覇権主義の企画の一部である限り、それは事実上、敵国と同盟国の両者に対する封鎖、即ち二重封鎖であった。このような意味において冷戦の敵対的な地政学的緊張は多重的な効果をもたらす戦略的装置として機能するにうってつけであったのである I. Wallerstein、After Liberalism、 The New Press 1995、180頁、183頁; ブルース・カミングス 「70年間の危機と今日の世界政治」、『創作と批評』、1995年 春号、69∼81頁; キ厶・ジョンベ『米国と冷戦の起源:共存と支配のっ戦略』、へアン、2001、著者はここで米国が一次的に狙った対象はソ連ではなく西ヨーロッパと日本だったと主張している。 。

 


まず一つ目は世界市場の拡大に役立たない共産圏の封鎖を通して、米国は負担を減少させながら資本主義世界経済の膨脹を主導し、同盟国を下位に置いた覇権体制を確立することができた。二つ目は、イデオロギー的に冷戦は東西両陣営の内部の統制を通して従来の世界秩序の威脅勢力を抑圧し、世界全域に安保国家体制を作り上げた。それによって冷戦は全世界的に全ての国家による国内の抑圧体制を正当化した。三つ目は、冷戦は資本主義世界体制に対する第3世界の抵抗を封鎖すること、言い換えれば南北葛藤の統制に貢献した。このことが米国としては最も統制の困難な問題であっため、50年代以来、第3世界においての脱殖民地化と発展主義国家の形成をその方策とした。最後に冷戦は米国の国内の支配力の強化をもたらし、資本/労働の闘争と人種葛藤を統制することにより、資本蓄積の加速化を促した。ウォーラーステインはそのような葛藤によってバラバラであった1930年代の米国を振り返ると、国内の冷戦体制なかったらならば、つまり「もし米国が1930年代にそうであったように分裂したままであったなら覇権国家には成り得なかったかもしれない」 I. Wallerstein、前掲書、183頁。 とまで主張している。

 


即ち、冷戦は東西の敵対を通した各陣営の内部の統制と共に北による南の統制、さらには米国の体制安定という意味を持っており、結局そのような意味において米国の覇権下の資本主義世界体制を揺るぎのないものとする方法であった。もし資本主義と共産主義の対決が冷戦の核心であったならば米国は冷戦を勝利に導いたと言えるだろう。しかし米国覇権の資本主義世界体制の強固化が冷戦の本質であったならば、米国は冷戦に勝利をおさめたのでなく、敗北したのだという逆説的な主張も成立する。「なぜなら冷戦は勝利すべきゲームではなく、踊り続けるべきメヌエット(minuet)の踊り」 前掲書、191頁。 であるからだ。踊り続けなければならない踊りを相手が体調がよくないと座り込んでしまったため、本当のゲームになってしまったのだから、これこそ米国覇権に決定的な打撃となったということである。

 

韓国の分断はこのような意味の東西冷戦の一部であり、韓国戦争(朝鮮戦争)は東アジアだけではなく世界的レベルで冷戦体制を固めるのに大きな役割を果たした歴史的な事件であった。まさにこの韓国戦争とその交錯状態へと固まってしまった韓半島の分断体制は上述の四つの側面を一層強化しながら米国の覇権の下、資本主義の世界体制の安定化に決定的な役割を果たした。

 


まず最初に韓国戦争は世界経済の膨脹期間中に多大な軍事費の支出により、経済膨張へ直接的な刺激を与え、日本経済の飛躍的な成長をも可能にした。二つ目に韓国戦争は米日防衛条約、日本の自衛隊創設、欧州の冷戦強固化などに影響を与えながら全世界的に抑圧的な安保国家構築にも貢献した。三つ目に、韓国戦争は米国の覇権主義に対する第3世界の抵抗の側面もあったが、長期間の休戦体制は韓半島を既得権勢力の抑圧が容易である準戦時状態にした。韓半島でも米国の本質的な政策は勿論、南北両国を封鎖する二重封鎖、つまり分断体制を維持させることであった。四つ目は、最近イラクと北朝鮮の「体制転換」(regime change)がよく論ぜられるが、違った意味で米国の「体制転換」に決定的な役割を果たしたのが韓国戦争である。カミングスは韓国戦争が世界的にベトナム戦争よりも重要な事件であり、米国史の一つの分岐点であったと主張している B. カミングス、前掲論文、80頁; Chalmers Johnson、 The Sorrows of Empire: Militarism、 Secrecy and the End of the American Republic、 Metropolitan Book 2004(『帝国の悲しみ: 軍国主義、秘密主義、そして共和国の最後』、アン・ビョンジン 訳、サムバン、2004)、 83∼85頁。 。米国史において類例のない状況が展開し、国防予算が飛躍的に増加し、軍産複合体に莫大な財源が当てられた。韓国戦争は米国の覇権主義の設立と維持に不可欠である米国内の体制を完成させたのである。

 


冷戦を共産主義と資本主義の対決として捉えるならば、韓半島は既に勝負の決まった戦いの終りに北朝鮮の共産主義の時代錯誤のため、全ての人々が捨てた冷戦の遺物を抱き抱えている場所と言えるであろう。そう言った観点から見ると、欧州が既に解決した課題を解決できない韓半島の後進性がはっきりと見えてくる。しかし冷戦の本質が米国の覇権の下での資本主義世界体制の強固化にあるならば、韓半島の分断体制は冷戦の古びた遺物ではなく、その本質的な側面を現在的にそのまま具現していると同じわけである。韓半島の分断体制はもう後進性の指標ではなく逆に欧州の冷戦解体によってその存在理由がよりはっきりとしているのかもしれない。韓ソ、韓中の修交、南北のUN同時加入などによって冷戦が解消されるかのように見えるが、北米、北日の冷戦対立が解消されないのもまた、米国の世界戦略と関連しているからであろう。このような問題意識のもと、白樂晴(ベク・ナッチョン)は韓半島の分断の現実が世界のどの国にも類のない特異な構造を持っているのは、韓半島の分断体制が東西対立+第3世界の統制という本質的な側面を持っているからであり、そのため統一過程において類のない独特な方法の創案が求められると主張している 白樂晴はウォーラーステインが韓半島の分断の独特な性格、東西対立+第3世界統制などの複合的な面を見逃してドイツの分断と同じようなものとして見なしていると批判している。白樂晴『揺れる分断体制』、創作と批評社、1998、93頁、179~80頁。 。

 


冷戦の本質的をこのような視角で理解した場合、今日の米国のブッシュ政府の強硬派集団が現在の世界的混乱期を第2次世界大戦後の冷戦時代の初期と比較したがっている理由が読み取れるだろう。現在、米国の覇権主義企画と同盟国の統制、そして国内の抑圧体制の維持への試みは冷戦戦略の延長線にあるからである。事実上、米国の強硬派集団は共産圏の封鎖の代りにテロとの戦争を通して米国の世界的覇権の維持が可能であると考えている。イラク戦争(湾岸戦争)も圧倒的な軍事的優位を証明することにより、性格の違ったあらゆる相手、即ち強力な競争者として浮上している欧州と東アジア、核保有国及び潜在的な保有国、さらにはイスラエルと対置している中東国家に対する脅迫の側面を持っている。また覇権主義企画は世界を恒久的な潜在的戦時状態へと維持させ、安保国家体制を確固たるものとし、米国の国内の抑圧体制を強化するという戦略も含まれている。9・11テロ以後、愛国者法をはじめとする反民主的な制度が横行しているという事実もそうであるが、テロリストの疑いがあればあらゆる拷問を加えても正当であるといった論理のように安保国家が伝統的な自由主義の価値までも損なう可能性もある。強硬派集団がテロとの戦争に誘惑を感じる決定的な理由は他にもある。先ほどの喩えを引用するなら、テロとの戦争は最初から究極的な勝利の概念のないゲームであるため、アフガンであろうが、イラクであろうが、北朝鮮であろうが、誰でも一人捕まえて踊り続ければいいのである。

 


ただ、米国の置かれた現在の世界的状況は冷戦の初期とは極端に対照的で、軍事力を除いては経済的、イデオロギー的な次元の何を見ても衰えの兆しがはっきりと認められる。米国の世界覇権が今日、徐々に衰えていく中、欧州と東アジアが競争者として浮上しており、軍国主義が米国の経済に及ぼす否定的な影響が徐々に増加している。もしかしたら韓国戦争当時に確立された、その体制を維持し続けようとしている努力が却って米国の衰退を速めているとも考えられる 米国の覇権の衰退に関しては柳在建「米国の覇権の危機と世界史的転換」、『創作と批評』、2005年春号、124∼33頁参照。 。

 


こうして見ると、分断された韓半島は世界的レベルでの覇権的支配体制の重要な地域現場と言えるかも知れない。韓国と北朝鮮が同一な支配体制の一部だという分断体制論が―南北の住民が全く違った社会の中で生活しながらも同一な体制の中で生きているという論理が日常レベルでは納得いかないかもしれない。従って社会科学界においても共感を得られないでいるが―全く無理な話ではないのはこのためである。韓半島の統一は韓半島という局地的地域において熾烈な戦争の交錯状態として固まってしまった南北の抑圧体制の解体又は転覆であり、それが世界全体の抑圧的な構造と関わりの深い限りは現在の世界体制の一角の打破であるわけだ。統一は1945年への復帰、もしくは当時の未完の国民国家建設という課題の実現ではない。また韓国が米国の帝国主義的支配下にあるために民族解放が要求されるという反米自主化の課題でもない。北朝鮮でも体制内の民衆に対しての抑圧的な力を弱化できるという見通しをしている当然のことであり、さらには米国のペレストロイカと言えるもう一度の「体制転換」にも貢献できるかもしれないという希望を持ってもいいだろう。分断体制の克服として理解される統一は世界的なレベルでの抑圧体制に対する一つの大きな打撃であり、資本主義世界体制の支配勢力との戦いの一環であるかもしれない。
 
 
 
 

3. 韓半島の統一と東アジアの地政学

 

韓半島の分断体制の克服が世界的なレベルでの抑圧体制に対する一大打撃だとすると、それは「民衆的」で「世界史的」な作業と言えよう。しかし原論的には大層であるが実際の具体化過程においては韓半島全体に資本主義的な市場論理が拡大する形で展開され、適切なレベルでの民族共存に基づいた民族主義が原動力として作用せざるを得ないであろう。6・15共同宣言後、一部の進歩陣営が見せた反応もこのような点に対する警戒であったのだが、一方では新自由主義的な資本主義の拡大に過ぎないということ、もう一方では民族主義の情緒を強化し抑圧的な性格の動員体制をもたらすだろうという点であった このような二通りの立場に対する批判としては柳在建の「統一時代の改革と進歩」、『創作と批評』、2002年夏号を参照。 。

 


勿論、統一されたからと言って韓半島が資本主義の世界体制から抜け出したり、またはいくら国家連合などの複合的な政治共同体と言っても国民(民族)国家の時代からはみ出すなどということは不可能なことである。韓半島であろうが他の違った社会であろうが資本主義の世界体制からの脱出が不可能であるならば、残った課題はその中でよりよい社会を作り上げるための道は何であるか、またその道が世界体制を一層民主的で平等な体制へと変化させることに貢献できるかどうか疑問を投げかけることであろう。それは世界体制にしっかりと適応しながらその克服のための役割を担当するという矛盾的な作業ではあるが、特に韓半島が覇権主義の作動する核心地域の一つであるならば、また現在の世界体制が混乱した危機に面しているならば、韓半島とそれを取り囲んである東アジアが抵抗の地点となる可能性がないとは言い難い。

 

しかし全ての地域単位の構造を批判する観点は脱冷戦時代という現在の世界史において間違ったイメージを描いているように思われる。それらは冷戦時代の分裂の解消後、全地球的な資本主義が国家と地域を超え貫徹されているため、局地的な反応は意味がないばかりでなく、危険で反動的だという発想を持っている。不思議なことに反新自由主義の陣営と脱民族主義の陣営、そして国境のない世界を主張している新自由主義の陣営がこの点においては一致している。

 


例えば、宋柱明(ソン・ジュミョン)は「世界経済は相互依存性の進展という側面において既に全世界的規模で拡大しており、分割が不可能である」 宋柱明「脱冷戦時代の東アジア太平洋の安保•経済体制と韓半島」、『歴史批評』、2000年冬号、72頁(太文字は引用者)。 と述べている。従って彼は地球化によって生活様式や文化様式までも地域を超えて展開しているため、地域を分割してアイデンティティーを与える地域主義的な対応は地域間の競争をもたらし、世界体制に敵対的な分裂を起こすだけだと主張している。また脱民族主義の視角から林志弦(イム・ジヒョン)は国民的/地域的集団のアイデンティティーに基づいて抵抗の拠点を作り上げようとする努力は反動的だという立場をとっている 林志弦「再び、民族主義は反逆だ」、『創作と批評』、2002年秋号、185頁。 。従って宋柱明(ソン・ジュミョン)は「それよりも民衆的な観点から根本的な国際秩序の再編のイメージを模索し続け」て民衆の利益に合うように介入した方がより進歩的であると提案し、林志弦(イム・ジヒョン)は代案として「個別の主体が固有性をかたく守りながら疏通的な社会性を構成していく「多衆」(multitude)、資本主義の植民化に対抗した疎通的社会性、全地球的市民権、脱近代的な共産主義、自律主義運動など」を挙げることができると分析している 宋柱明、前掲論文、73頁; 林志弦、前掲論文、201頁。 。こうしてみると韓半島と東アジアの代案的発展モデルの構想や模索はなく、生活の現場で現実的に作動している権力関係に対する分析や矛盾を解決する代案的体制構想を練るのは困難である。

 


このような発想は今の世界が唯一超強大国の一極体制か、または国家/地域が意味のない「帝国」時代に入ったという認識が根底にある。しかし今日、世界経済が分裂を通して統合的に作動したと解釈する世界体制論の洞察が現実的である。「今日、我々に存在するのは一つに統合された世界経済ではない」ということ、「世界はお互いに影響を与え合っているが、独自的な原動力を持つ三つの互いに違った地政学的な分裂に悩まされるであろう」と主張している I. Wallerstein、 The Decline of American Power: The U.S. in a Chaotic World、 The New press 2003(『米国覇権の没落』、ハン・キウッ、ジョン・ボンジン 訳、創批、2004)、376頁、368頁。(翻訳本では 「an integrated」を「統合された」と訳しているが 「一つに統合された」と引用者が修正した。 。今日の世界は経済的に米国主導の一極体制ではなく、主要な資本の蓄積地域が米国/欧州/東アジアへと分裂された体制であり、貧困な南の地域と豊かな北の地域が分裂した体制であり、さらには全世界的に存在する二つの集団・運動・階層に分裂した体制だということである。国家/地域に基づいた二つの分裂と全世界的な階層分裂が結合し作動する世界経済は複雑ではあるが、全地球・階級・地域・国家レベルを考慮すべきであるため世界体制の変化の原動力と主体を単純化する考え方に対する根本的な再検討が要求される。

 


世界の地政学的分裂に対する認識は韓半島の分断体制の克服の問題を東(北)アジアのレベルで考えるべき必要性が求められている。世界史の転換局面において最も活力的な地域に属している東アジアが日本を筆頭に世界体制の主要な資本蓄積の場として注目を浴びているからだ。とすれば、現在米国の一方主義的な覇権主義が東アジアにて多大な打撃を受ける可能性はないのか、この過程において他の覇権主義が台頭したり民族主義的衝突が起る可能性はないのか、このような状況の中で韓半島の平和と統一がどのような役割を果たすことができるであろうかを検討すべきである。

 


今日の世界状況は米国の覇権の衰退と他の覇権国家の登場へと繋がる可能性は見られない中、米国の覇権の安定期において固着化した政治的・経済的・イデオロギー的な支配構造に龜裂が現われ始めている時期だと言える。ところがこの流れに合わせ、東アジアの地域主義の構築のような地域単位の創造的な対応を模索すべきであるということがよく提議されている。ここには新たな地域協力のモデルなしでは東北アジアにおいて冷戦よりも一層危険な状況が演出される可能性もあり、東西冷戦の解体以降、全地球的な資本主義が引き起こした混乱に対処することができないという問題意識が根底に敷かれている。地域内の国家の相互依存と平和共存に対する必要性が一層大きくなり、協力と統合の構想が主要議題として挙げられているとしたら、白永瑞(ベク・ヨンソ)の言った通り、米国が覇権を握っていた東アジア秩序の龜裂は不安定ではあるが、既に新たな秩序の可能性を生みだしたと言えるだろう。従って、彼は東アジアの秩序の未来が当分の間米国の一極的な主導権と東アジアの多極的な地域統合への努力が妥協・競争する過程において決定されるであろうと予想している 白永瑞(ベク・ヨンソ)「帝国を超え東アジア共同体へと」、白永瑞 外 『東アジアの地域秩序』、創批、2005、25~26頁 。

 


多極的な地域統合への努力は一方では市場統合を進展させながら、他方では環境破壊と社会の両極化をはじめとする多くの難題を同時に解決しようとする過程において世界体制の進歩的変化に寄与することができるであろう。しかし殖民地時代の遺産を清算できないまま、米国の覇権主義が介入している東アジアの不安定な現実を考えたとき、このような地域主義の見通しが明るいとは言いがたい。西ヨーロッパが米国の覇権に対してある程度自律性を模索しながら米国の地球単位の戦略の従属的な位置から脱出しようと共同体構造を形成しつつある事実とは対照的である。このような点において欧州連合に対する東アジア地域の後進性が目につくが、その一方では、まだ流動的な状態である東アジアがある種の代案的共同体をしっかりと形成した時に起ると思われる世界体制の変化の潜在力は想像よりも遥かに大きいだろう。さらに東アジアをこれまでの開発主義パラダイムを超える代案的パラダイムが可能な巨大な実験場として展望している意見も見られる。白樂晴(ベク・ナクチョ)は危機に面した世界体制に対する東アジアの創造的な対応を模索しながら、東アジアが最も活発な資本蓄積の地域である上に、地域内に合意されたモデルがないので流動的であり、従来の開発パラダイムでは生態系における災いの危険性が高く、文明の遺産までも豊富であるという点において世界の危機に対する代案的なパラダイムの模索に珍しく有利な条件を持っていると分析している 白樂晴「21世紀の韓国と韓半島の発展戦略のために」、白樂晴 外『21世紀の韓半島構想』、創批、2004、24~25頁。 。またウォーラーステインは東北アジアの三国が睨み合いを克服し、ある種の共同体を構成した場合、今後数十年かけて現存の資本主義世界体制が新たな違った体制へと移行する際に、東アジアの共同体が中心的な役割を果たし、それが主に東アジアの人々にかかっているという見通しを述べている I. Wallerstein、 「East Asia and the World: The Decades Ahead」 Comment No. 157(2005年3月15日)。 Fernand Braudel Center、 http://fbc.binghamton.edu/comment.htm. 。

 


東アジアの地域協力モデルはまず米国の覇権主義を弱化させることにより、東アジアが米国の地政学的戦略の従属的な部分にならないようにすると同時に他方では新たな域内の覇権主義が台頭し緊張を高めないという条件のもとで十分に作動することができるであろう。このような新たな秩序形成に韓半島の平和と統一は決定的だと言える。6・15共同宣言による韓半島の和解が既に東北アジアの地域協力の始まりであるという和田春樹の主張には韓半島の平和構築と変革の重要性を改めて考えさせられる 和田春樹『東北アジアの共通の家』、平凡社、2003、130頁。 。不安な緊張が漂う韓半島が東北アジア地域の不安定の要素であったが、韓半島での和解ムードが拡大しながら断絶していた東北アジアを結ぶ構想が現実性を帯びるようになったということである。

 


中国の急浮上によって予想される中国と米日同盟間の域内での覇権競争がどのように帰結されるのか、やはり韓半島の問題と緊密に関連している。従って分断体制をどのように無くし、韓半島にどのような体制を作り上げていくかという問題は東アジアの反覇権主義連帯を導くにおいて重要な鍵であり、韓半島が統一されたとしても、民族主義を強化させる方法やこれまで進めてきた開発パラダイムを持続させる方法の場合、中日の民族主義を強化させ軍事力競争を引き起こし葛藤をもたらすであろう。韓半島がよりよい社会へと変革する統一過程において可能となる反覇権主義は中国と日本の間での円満な仲裁のための財産となるかも知れない。韓半島の変革が順調に行われた場合、東北アジアの平和と統合に役立つだけでなく、それ自体が世界体制全体の行路にこの上もなく多大な影響を及ぼすであろうと予想される。けれども統一が民族主義の否定的な側面を弱めるのではなく、個別の国民国家の完成に対する欲望を拡大したものとなり、その延長線において地域統合がなされるなら、その悪影響は実に深刻であろう。このような意味において分断体制をなくしていく6・15時代の過程がどのような性格であるかか問題の鍵と言えるが、もしかしたら統一よりも統一過程の方がより重要だという自覚こそ「6・15時代」の概念の意義と言えるかも知れない。
 
 
 

 

4. 6・15時代の独特性

 

「6・15時代」という規定は、今後も韓半島の統一の過程がどのような方法で展開するかということが韓半島だけではなく東アジアと世界の将来にも決定的な重要要素であるという自覚の表現と言えよう。早急に統一を全面に押し出すよりは平和と相互交流を実質的に進めながら、各々内部改革に力を尽さなければならない理由がここにある。韓半島の統一は単純に分断以前の状態への回復や未完の国民国家の建設という課題の実現ではなく、一方では反覇権主義の世界史的課業であると同時に、また他方では両体制内の問題点を解決し、新たな社会を建設する過程として理解する必要がある。韓半島の統一がベトナムような武力統一でも、ドイツのような吸収統一でない平和的で漸進的な過程でなければならないという6・15宣言における合意はそれ自体が類のない歴史的な実験の予告と言える。とすると、統一が一回的な事件というよりは平和と和解、交流過程の延長線にあるという見方ができる。従って今の時代の中心課題は平和なのか統一なのか、両者択一を要求するような論議はこの時代の独特性を正しく捉えていないということになる。

 

例えば、昨年の9月、「民衆の声」の主催討論会にてミン・キョンウは、6・15時代の中心問題を平和/和解勢力と統一勢力間の争いと見て、統一勢力のヘゲモニーを強調する論理を唱えたが、そのような主張には同意しがたい。彼は6・15時代の争いの地点が北米協商を見つめる態度、反米自主化闘争に対する態度、民間交流の性格などにあるだろうと予想しながら、例えば「民間交流は平和共存、交流協力を拡大する通路なのか、でなければ全民族的な統一運動なのか」といった感じの両者択一の質問を投げかけている ミン・キョンウ「6•15宣言と祖国統一の経路」、「民衆の声」討論会 発議文、2005年9月。 。このように両者択一の発想は統一を交流協力と体制革新を通して南北を一つにした韓半島の支配体制を解体していく過程として見ていないのである。

 


一方昨年の10月の参与社会研究所の討論会での崔章集は平和が統一よりもより重要な価値であると両者を分離させる場合には、誰でも同意する主張に基づいて全ての統一主張を、変化した現実に合わない民族主義だと批判している チェ・ジャンジプ「解放60年に対する一つの解釈: 民主主義者のパースペクティブから」、参与社会研究所、「解放60周年記念シンポジウム」、2005年10月。 。平和と統一を分離させる見方に対しても同意しがたいが、彼の主張の決定的な問題点は統一を1945年への復帰、もしくは1948年に南北がそれぞれ単独政府をもった体制に対するアンチ体制と見なしながら分断時代論を「統一という歴史的復元の観点」として断定しているところにある。

 


結局、分断時代の抑圧性を世界資本主義体制の中の地域支配体制の問題として見ていないということになるが、広く知られている彼の「民主化以降の民主主義の危機」での問題提起は現在の我々の社会の問題点を鋭く分析した面があると同時に一方では韓国の民主主義の現状況をこのような支配体制が崩壊しつつある過程として理解していなく、限界を見せている。「分断時代」を考えず西欧の理論的な枠に基づいた説明では韓国の民主化の成就と限界に関しても均衡の取れた評価はしがたいと思われる。実質的な民主化と政党体制の構造改革を強調する彼の立論自体がそれなりに重要であるには違いないだろう。しかし欧州の政党体制及び市民主義のモデルと比較し、政党体制の低発展に問題の核心を探し求めるような型にはまった枠では複合的な現実は説明しにくい。

 


冷戦時代の韓半島の支配体制は準戦時状態のもと、堅固でなければならなく、一部ではあるがそれを突破した韓国の民主化の現状を複合的に判断すれば、それよりはもう少し高い評価を得られるであろう。政党体制が順調に発展しているという西欧での社会主義政党と保守主義政党間の政権交代は常時的になされるが、その交代が社会の支配体制の変化へとはあまり繋がらないという事実とは違い、韓国の現実においては保守と中途との政党間の政権交代だけでも、強固であった支配体制の亀裂による社会的影響は非常に大きかったと言えよう。これによる激しい葛藤分裂が政党体制へと受け入れられない現実はそれはそれで批判はしても、このような独特な点は一緒に考える必要がある。現在の韓国の政治を後進段階から西欧の正常段階へと移動する初段階と言いがたいのは、韓国の政治が進歩政党及び政党体制自体の底発展のような後進的な面がありながらも民衆的な活力を引き出す先進的な面もかなり持っているからである。上で述べたように欧州とは違い、韓半島の冷戦は未だに清算されていないことや東アジア地域が欧州に比べてまだ自律的な統合をなしていないことをただ単に後進性としてだけ見なすのは現実に与えられた独特な創造的可能性を見逃しやすくなると述べたが、今後は韓国社会を考える時も同じことが言えるだろう。

 


そのような創造的な可能性を現実化するためには何よりもこれまでの分断時代に慣れてしまった古いパラダイムを変え、新たな代案的な発展モデルを構想する必要がある。南北和解と交流が進むほど、分断体制のもとで固着化されたパラダイムの限界と弊害が浮き彫りになる可能性が大きいため、避けられない事実でもある。今後6・15時代はその構想を南北を含めた韓半島にまで拡大する必要がある。韓国のあらゆる政治・社会・経済的な課題を韓半島レベルでの変化と結び付けて考えた時、一層創意的でありながら現実的な改革を求めることができるからである。そしてさらに韓国において行われる改革は南北を超え、東アジアと世界へも影響を及ぼすことが予想される。

 


どのような意味からしても6・15時代は流動的な変化と動揺の時代になるであろう。その一方では分断時代に適応し、維持されてきた多くの慣例と制度の枠組みが変わらなければならない状況であり、これを取り囲んでる葛藤と動揺も相当なものであろう。また今後、南北間の実質的な交流が進められ、両者の関係が緊密になればなるほど、一般人の間でも分断時代に生きているという意識が徐々に大きくなり、それによって分断社会の持つ不安定性に対する実感もよりわくであろう。従って、ある時点での大衆的なレベルでの統一が当面の課題として挙げられるということも十分に予想される。6・15時代はそれまでに改革過程を統一の過程とする類のない実験の場と言えるため、漸進的で平和的な統一に直面した社会改革の課題を結合する議題統合への努力が切実に求められる時代である。

 

 

 

 

 


訳・申銀兒

 

季刊 創作と批評 2006年 春号(通卷131号)
2006年3月1日 発行
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