창작과 비평

[卷頭言] 運動性回復を通して革新する創批 (2006 春)

白永瑞

 

 

今年で季刊『創作と批評』(以下、『創批』と略称)は創刊40周年を迎える。年初から新聞や放送から高い関心と期待を受けながら報道され、多くの読者方々がご存知のことと思われるが、本誌を通して直接挨拶をするはこびとなり、格別の感懐がわいてくる。

 

1966年の創刊以後、『創批』は、「創造と抵抗の姿勢」を整える「拠点」としての役割を自任し、それゆえ、70~80年代に軍事独裁政権の弾圧を受け、さらには8年間も強制廃刊されたこともあった。しかし、「民族文学の教科書」であり、「意識化のテクスト」という評価を受けるほど、韓国社会に強力な波及力をもっていたため、受難は自負の他の名でもあった。当時『創批』を通して「世界観の革命」を経験したと回顧する読者に、今でもたまに会うが、その際には粛然たる思いさえする。

 

90年代以後、理念的地形が変わり、多様な専門ジャーナルが登場する状況の中でも、『創批』は、文学誌と政論誌という二つの役割を果たしつつ、総体的に社会を見る知的滋養を読者に提供するために努力してきた。特に、資本主義的近代が押し進めるグローバル化の大きな流れに韓民族及び東アジア人として主体的に対応する道を模索するために、新しい言説を開発し続けてきたと自負している。分断体制論をはじめ、民族文学論の見直し(と関連した韓民族共同体文学)、リアリズム論、東(北)アジア論、近代にたいする適応と克服の二重課題論等が、その過程において得られた結実であることを、読者はすぐ想起することができよう。

このような成果は、他の新生の媒体がそう簡単にはやりがたいであろう深層的分析や理論的掘り下げを重視した結果であり、今の時代を解釈する言説として一定の役割を果してきた。ところが、同時にこれが、『創批』は「とても難しい」という批判の呼び水になった主犯でもある。収録された文章が難しくなったのは、現時代の矛盾構造が複雑となり、そうなるほど、より複雑な考え方が求められることも大きな原因であるが、『創批』の編集スタッフを含む主要筆者が以前とは異なり、制度圏へ入るようになり、切迫した現実対応力が低下したという理由もあると思われる。この点に注目した『創批』は、我々が時代的課題に忠実に応えているのか自己点検しながら、40周年をもう一度革新の契機とする決心をした。

 

革新の基本的方向は、創刊30周年当時掲げたように、「終始一貫でありながらも、日々新しい(法古創新)雑誌」になることである。何より『創批』は、「運動性」の回復を強調したい。ここで運動性というのは、日常生活の惰性から脱すると同時に、日常生活へ戻り、その現場に根ざした緊張を維持することによって得られる運動の特性、すなわち力を意味する。すでに、主流文化の一部になっている『創批』の編集スタッフ自らがまず惰性を捨て、現時代の要求に献身する課題遂行により多くの人々が参加できるように先導したいのである。

 

ちょうど無気力症状に陥っていた進歩的知識社会の活路として「運動する知識人」の必要性を主張する声が聞こえるが、これが時代の徴候であることは確かである。参与政府(=現盧武鉉政権)の危機が進歩及び民主主義の危機へと転化しているという深刻な診断が行われ、進歩の意味を問い直し、「危機」に置かれた民主主義の意味を何度も再考する作業が活発に行われる中、運動へと戻ろうという主張も提起されている。しかしながら、我々がいう運動性の回復とは、あの7,80年代の民主化運動のように、制度外で闘争する方式を再現しようとすることではなく、自己刷新を経た進歩勢力が制度内外の活動を連動的に進めようとするものである。特に、韓半島(=朝鮮半島)において進められている「南北の漸進的統合過程と連携した総体的改革」を実践しようという点において、大半の進歩的言説と尖鋭に区別される。現在本格化している韓半島特有の漸進的統一過程に対して掘り下げて思考しない進歩的言説は、我々の現実と乖離されざるを得ず、それゆえ、それには真の対案を期待しがたいというのが我々の判断である。まさに、このような状況認識から『創批』の自己刷新は出発する。

 


このような刷新は、当然、季刊誌紙面に反映されなければならない。これは何よりもまず、運動性を盛り込んだ新しい文章にして具体化されよう。必ずしも『創批』に載った文章に限定される問題ではないが、近年の人文・社会科学的文章は、専門用語や理論に依存する傾向が強く、現実と懸け離れた空論になりがちであり、たとえ現実に対して有効な発言をするとしても特別な知的訓練を受けていない一般読者が接近しにくくなるという面もある。このような問題点を打開するために、今年から『創批』は現実問題に密着して鋭く批評し、対案を提示する論争的文章の模範を示すように努める。これこそが、文学的想像力と現場の実践経験及び人文・社会科学的認識の結合を図る『創批』が他社よりよくできることであり、またそれゆえに先導していく義務があると実感する。

 


また、今年の春からオンライン上に雑誌の日本語版を、そして来年からは中国語版を刊行する予定である。韓流をはじめ、大衆文化の相互交流は活発であるものの、批判的言説が疎通する空間、とりわけ韓国が発信した言説が交流する空間が皆無な東アジアにおいて、この事業は有意義な効果をもたらすと思われる。これにより、かつて東アジア言説を主導してきた『創批』が東アジアの公共性の拡大に関与する拠点が確保されると同時に、我々の言説を普遍的視角から再検討する知的訓練の貴重な経験も蓄積されることが期待される。

 


今号から雑誌のデザインも新しくなる。創刊30周年を迎えて表紙を変えたときから10年ぶりのことである。これまで表紙の上段を占めてきたおもやかな一行の本誌タイトルがより立体的で、洗練されたデザインに替わる。総合誌『創批』がもつ「創作+批評」または「文学誌+政論誌」という本来の性格を現代的なイメージとして強調したのである。本文も読者がいっそう読みやすいように内部デザインを再調整した。その他に論争的で、生き生きと動きのある読み物を強化するために「挑戦インタビュー」「論壇と現場」といったコーナーを新設するなど、紙面構成も大きく変えた。

 

 

 

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「運動性の回復」を標榜した今回の春号の特集は、「6・15時代、何をすべきか」である。本誌が「6・15時代」を重視するのは、画期的統一方案に合意した6・15共同宣言とともに、韓半島式の長期的で、漸進的な統一が進行される「統一時代」へ進入したという時代認識と、この時代的特性に符合した総体的改革の実践意志を固めるためである。もちろん読者は、この作業が『創批』の「終始一貫した」理論模索の延長線上にあるものであることをよくご存知のことと思う。民族問題について掘り下げて考え続けてきた我々は、分断体制論を提起し、統一が単純な分断克服、すなわち単純な統一になってはならず、分断体制の克服に該当する統一、すなわち南北民衆の生活主導力を極大化する統一でなければならないと主張する。特に、昨年には韓国社会の改革課題を分断体制の克服と結合させる作業の一環として「87年体制論」を提起したことがある。そして、6・15時代を迎えて推進される総体的改革運動が「東アジアの平和構築」にとって核心的意味をもつという点において、我々の東アジア論とも一脈相通する。

 


ところが、この特集を飾る現在の南北とアメリカをめぐる国際情勢は、そう明るいものではなく、6・15時代の意味が退色しているように見えるかもしれない。アメリカが人権問題・偽造紙幣問題などで北朝鮮を圧迫し、6者会談の後続交渉の展望を暗くしているだけではなく、今年1月、韓米戦略対話において駐韓米軍の「戦略的柔軟性」を認める共同声明を発表したことが、今後の対北朝鮮・対中国関係をはじめとする東北アジア情勢に否定的余波を及ぼすと憂慮する声も出ている。しかし、特集の個別論文において指摘されているように、漸進的統合の過程は、韓国の対案的発展戦略の樹立はもちろんのこと、韓国を含む東アジアに居住する韓民族構成員の日常世界にも影響を及ぼすほど、すでに大勢を成していると信じている。

 


特集は、6・15時代の意味を多角度からアプローチした五つの論文によって構成されている。総論レベルの論文において、徐東晩は、6・15首脳会談以後、南北両側において認識上の大きな変化があったことに注目し、6・15時代の歴史的意味を鋭く分析している。徐は、韓国の進歩陣営には、一方で「統一至上主義」が、他方では韓国社会を「自足的に完成された社会」ととらえ、統一問題をさて置いたまま、平和と民主主義の実現を主唱する見解が存在するなど、認識上の「後退」さえみられると批判しながら、南北が協力してそれぞれの改革と発展を実践するために、平和-福祉-開発を連携させた南北協力発展構想を具体化することが、この時代における進歩の革新課題であることを力説している。徐の主張を経済領域においてよりいっそう具体的に裏付けるのが田炳裕の論文である。田は、我々が深刻な懸案と感じている韓国社会の両極化問題こそ、北朝鮮という「危機と機会の要因」を考慮した新しい発展モデルなしには克服しがたいという判断の下で、韓半島単一経済圏、東アジア分業関係及びネットワーク型戦略的投資の観点を結合させた発展戦略を対案として提示する。

 


この二つの論文が政策的議論に該当するとするならば、南北が一つの単位になるということの意味を女性問題、そしてコリアンディアスポラの視角から問いなおす金エルリと玄武岩の論文は、統一の普遍的価値を省察させる。前者は、南北交流事業に参加した韓国側の女性活動家の経験を基に「差異」を認める連帯の道を模索する論文である。これは軍事主義のような民族の否定的同質性を克服しようとする女性主義の意識がなくては脱分断運動が不可能であると結論付けるが、この点は、本誌が提起した分断体制克服運動の問題意識と通じるものである。後者は、韓半島本国と在外同胞の関係を通して統一と東アジア地域協力体の望ましい像を提示する論文である。「在日」の実践経験に基づき、南北の統合が単一の国民国家でない複合国家を指向するならば、アイデンティティーの多数性と柔軟性を認めなければならないというこの論文の主張は傾聴する必要がある。さらに、この二つの論文は、6・15宣言が女性と在外同胞のミクロな生活世界に(否定的であれ、肯定的であれ)影響を及ぼした跡を見せており、興味深い。

 


こういった問題意識は、6・15時代の普遍的意義を韓半島・東(北)アジア・世界という三つの次元の相互関連の中から抽出した柳在建の論文においていっそう深化される。柳は、韓半島の統一が東アジア地域の協力を促進し、さらに地政学的分裂に基づいた世界的次元の抑圧体制に一つの大きなの打撃を加えることによって、民衆的であり、世界史的な作業になると展望する。進歩陣営の言説がもつ問題点を取り上げる論争的叙述をもって構成された柳の論文は、読者が争点をよりいっそう明確に把握できるように補助線を引いてくれる。

 


創刊40周年を記念する今号を一段と際立たせるのは、国内外の主要雑誌の編集者11人が送ってくださった祝辞と提言である。儀礼的祝辞ではなく、まごころのこもった感懐と苦言すべてが貴重なプレゼントである。このありがたい心遣いに対し、『創批』が東アジアの批判的知識人ネットワーク構築において核心となるという約束をもって応えたい。

 


今号から新しく試みる「挑戦インタビュー」にも注目していただきたい。その第一回として、評論家黃鍾淵が、本誌編集人の白樂晴に韓国文学の理論的・実践的課題に関する立場を問う場をもつ。文学の創造性を時代の中心課題として取り上げ、韓国文学においての価値を求める評論家としての白樂晴の真の姿はもちろんのこと、二人の評論家の間に行われた生き生きした討論の現場がとても興味深い。我々の時代における争点をつくりだす人物を対象にし、この欄は続けられると思われる。

 


もう一つ新設された「論壇と現場」は、時事性の強い人文社会批評文によって飾っていく予定であるが、今号では、まもなく防潮堤が完工されるという切迫した立場におかれたセマングムと、行政中心複合都市事業とを一つのプロジェクトとして結合させ、韓半島を希望の地へとつくりかえようと主張する建築家金錫澈の懇切な提案、そして韓・中・日がともに作る東アジア3国の共同歴史書『未来をひらく歴史』を史学史的観点から読解し、国境を越える対話の糸口を作ろうとする成田龍一の真剣な試みが掲載されている。

 


文学現場と密着して文芸誌的性格をよりいっそう強化しようとすることもまた、創刊40周年を迎えた本誌の方針である。そこで、若い文学評論家である李章旭、陳正石を年初から常任編集委員に迎え入れ、内部力量を強化した。新しい方向にふさわしく、今号の創作欄は華やかである。詩においては元老金奎東詩人から新人李謹華詩人に至るまで老壮の陣容がむらなく並びながらも、それぞれの個性が輝く詩の世界が繰り広げられている。小説欄も元老朴婉緖先生を筆頭に、我々の文壇において旺盛な活動をしている中堅小説家の円熟した作品で満たされた。本誌に連載されていっそう話題を呼んだ朴玟奎の長編は、今号の最後を飾っている。作家の労苦に感謝の意を表す。

 


「非主流の下位文化」の精神に満ちた黃炳承の詩の世界を分析した黃鉉産、アメリカの代表的現代作家ポール・オースター(Paul Auster)の作品が韓国社会においても流行する現象を緻密に分析した柳正完の評論文と、今年の詩・小説の季刊評を担当する嚴景熙、鄭弘樹の批評が入り、文学評論も体裁よく構成された。その他に、固定筆者として一年間活躍していただく金基澤、朴明圭、洪性旭を含む十一人の文章が寸評欄を実のあるものにしてくれた。

 


今号には作品の器量がいっそう高まったという評価を受けた『第4回大山大学文学賞受賞作品集』とともに、過去40年間『創批』とともにあり続けてくれた筆者及び読者の皆様に感謝の意を表すために、25人の詩人の肉声を盛り込んだ朗誦詩集「言語の蝋燭が咲く時」を特別付録として加えた。

 


最後に、今年の初めから主幹職に臨んでいる筆者をはじめとする編集スタッフ全員は、40年という歴史の重さを推進力とし、時代の召命に応える雑誌を作るために間断なく努力することをもう一度誓う。このような約束がいかによく履行されたかを、国内の読者はもちろんのこと、これからは東アジアの新たな読者までが見守るようになるので、旧に倍する覚悟をせざるを得ない。

 

 

 

訳: 李正連

 

季刊 創作と批評 2006年 春号(通卷131号)
2006年3月1日 発行
発行 株式会社 創批
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