[インタビュー]世界文学の理念は生きている
尹志寛(右)(ユン・チグァン)文芸評論家、韓国文学飜訳院院長、徳成女子大英文科教授。著書に『黄銅色の空の下で』『リアリズムの擁護』、訳書に『傲慢と偏見』などがある。
林洪培(左)(イム・ホンベ)文芸評論家、ソウル大独文科教授。訳書に『ルカーチ美学』『ナルチスとゴルトムント』、主要論文に「ゲーテの世界文学論と西欧的近代の冒険」などがある。
とき:2007年10月20
ところ:細橋(セギョ)研究所・会議室
林洪培 今号の『創作と批評』の特集対談で「世界文学と韓国文学」という主題を用意しましたが、文芸評論家であり韓国文学飜訳院の院長でもいらっしゃる尹志寛先生にお話しを伺おうと思います。まず世界文学という言葉が大袈裟に聞こえるかもしれませんので、読者の実感に近いノーベル文学賞の話からしてみたいと思います。この間ノーベル文学賞の発表がありました。
韓国の作家の受賞が期待されましたが、残念にも受賞はなりませんでした。しかし韓国文学が翻訳された短い歴史に比べれば、それでも韓国文学がかなり世界化したのではないかという感じもします。ノーベル文学賞の100年を振り返って見れば、ほとんど半世紀が過ぎてようやく非西欧の文学から受賞者が出るほど西欧中心的な傾向を示していましたが、70年代以降は相対的に非西欧の方でも多くの作家が受賞しました。今回はドリス・レッシング(Doris Lessing)というイギリス作家が受賞しました。
ノーベル賞待望論の基底にある意識構造
尹志寛 ええ、今年のノーベル文学賞があのようになって、文壇でも一般市民たちの間でもがっかりしているようです。ノーベル賞というものを受賞すれば、必ず国民文学ないし民族文学の価値が確保されるわけではありませんが、やはり世界文学の観点から韓国文学を見ようとすれば、このように国際的に認められた文学賞を受賞した作家がいるかいないかがよく準拠になったりします。さきほど紹介した通り、私は今、韓国文学の海外進出を支援する公共機関で働いているのですが、今回も人並はずれた関心をもって見ることになりました。ノーベル文学賞の受賞は単に文学分野だけでなく、様々に意味のある大きな文化的な出来事ではありますが、たとえ受賞できなくても毎年関心を集める詩人の高銀(コ・ウン)氏や小説家の黄皙暎(ファン・ソギョン)氏を含めた韓国の作家が海外文壇で注目され、また最終候補に挙げられること自体が、韓国文学が世界文学の中に位置付けられ始めた証拠と考えてもよさそうです。
林洪培 韓国文学が植民地時代、分断時代を経て、民族史の現実を描いた成果が認められるようになり、その文学的な成就が朝鮮半島や周辺世界に対する独自の省察を通じて、世界文学的な地平を獲得していく過程にあると思います。
尹志寛 そうですね。ノーベル文学賞に対する私たちの期待や反応が少し過ぎているのではないか、後進的ではないかという批判も可能ですが、必ずしも悪く見る必要はないと思います。このような現象には韓国語で書かれた創造的な成果を他者に認められたいという認定欲望のようなものがあるようです。それ自体を民族主義的であると責める余地がないわけではありません。しかしこの文化的な認定欲求にも、豊かに暮らすことに劣らない真正性のようなものがあると思います。ノーベル賞は西欧で与えられるものであり、また今回のレッシング(Lessing)も、そのように欧米の作家らが主に受賞する、ヨーロッパ中心・西欧中心的な面があるということです。このような中で、私たちがすでに豊かに暮らせるだけの境遇になったからといって、それが全てではなく、それに劣らない創造性を持った民族であるということを知らせたいという欲求があるのだと思います。
実は大江健三郎が受賞した1994年以来の10数年間、イギリスの作家2名を含み、受賞者の大部分がヨーロッパの作家です。文学ではヨーロッパ中心主義がさらに強化される感さえあります。私たちとしてはこのような現象自体を冷静に読み取るべきであって、一喜一悲する必要はないんです。またひっくり返して言えば、今年のレッシング(Lessing)でも一昨年のハロルド・ピンター(Harold Pinter)でも、意味ある作品活動をもう数十年前に終わらせている作家たちが受賞者に選定されるということは、ヨーロッパ文学に彼ら以降にそれほどの活力を示した事例が少ないということの傍証になりうるのではないかと思います。むしろ世界文学という構図で見るならば、韓国文学を含めた非西欧圏文学の活力が期待される部分です。
GoetheとMarx、そしてグローバル時代の世界文学
林洪培 それでは本題に入ります。「世界文学」という用語自体に対して多くの見解や誤解があり得るので、簡単に概念を整理できればと思います。通常、「世界文学」と言えば、地域・民族文学の算術的総合、または人類共通の文化遺産という意味として理解できるでしょう。この言葉を初めて使ったゲーテは、民族的な偏向を越えて積極的な相互疎通と交流を追求し、人的交流や連帯をはかるべきだという主旨で世界文学を主唱しました。近代世界体制の浮上に対応する新しい文学運動ないし企画として理解したわけです。
その条件でゲーテ(Goethe)は資本主義の発達と国家間交易の増大を指摘しました。そのような面では後にマルクス(Marx)が『共産党宣言』(The Communist Manifesto)で言った世界文学の理念と相通ずる部分があります。またゲーテは特定の民族文学をモデルにしてはいけないとして中心と周辺の位階的な統合を警戒しました。それとともに世界史的な視野で、当時のドイツの現実を探求する創作実践を通じて世界文学の地平を開拓していったんです。たとえば西欧教養小説の典範とされた『ビルヘルム・マイスターの修行時代』(Wilhelm Meisters Lehrjahre)は、旧体制から市民社会への移行期という時代的背景のもとに、一人の人間がどのように完全な人格体として成熟しうるかという問題を扱い、『ビルヘルム・マイスターの遍歴時代』(Wilhelm Meisters Wanderjahre)は、市民的価値に基盤をおいた新しい共同体の探索を主題にしています。そして生涯の大作『ファウスト』(Faust)は、ゲーテ自身の表現を借りれば、「人類史と世界史」自体を扱ったものと言えます。
尹志寛 世界文学の理念を、やはりおっしゃったようなゲーテの意味から振り返って見る必要がありますが、このような質問がまず思い浮かびます。ノーベル賞の話をする時もつねに出ることですが、韓国文学が果たして世界文学か、世界文学と認められるに値する成就があるのかという質問です。韓国も世界の一員なのだから、当然その文学も世界文学であると言えば簡単ですが、文学の水準やあるいは目標としての世界文学にどれほど近づいているのかと聞く時は変わるのではないでしょうか。このような点でゲーテの世界文学の概念が、現在、再論されうる根拠や当為性はあります。「世界化」あるいは「地球化」と通称される世界資本主義の発展相の局面と相俟って、西欧の文学理論でも近年、世界文学概念をめぐる論争がありました。グローバル時代として全地球的に大量流布するベストセラー、ハリーポッター(Harry Potter)シリーズや『錬金術師』(Alchemist)、『ダビンチコード』(The Da Vinci Code)のような作品が、自然と世界文学になるわけではありません。ゲーテの時代にグローバリゼーションが本格的に胎頭したわけではありませんが、今、問題の端緒のようなものなどがあったので、ゲーテやマルクスの世界文学の理念が持つ現在性があるのでしょう。
林洪培 ですが、社会主義圏の崩壊以降に資本主義の全的な支配という新しい局面のグローバリゼーション時代を迎え、ゲーテの言う世界文学が現実では否定的な様相として出てくる可能性が、つまり資本の論理に便乗した文化商品の世界的流通をあおる様相に傾く可能性が、以前になく大きくなったこともまた事実です。このような推移に対応する私たち独自の文学を追究することが重要な課題ではないかと思います。民族的なものだけにこだわっても困りますが、抽象的な世界市民主義を掲げるのも、昨今のグローバリゼーションに対する対応の論理としては空虚に見えます。たとえば第三の道を標榜するU・ベック(U. Beck)のような社会科学者のいう「世界社会」論も、そのような盲点を示しているようです。グローバリゼーションの大勢が地球的レベルでの格差拡大と局地的レベルでの国家間の葛藤を激化させる側面があるのですから、依然として民族ないし国民国家の重要な準拠にならざるを得ません。
尹志寛 そうですね。グローバリゼーションと民族国家の相互関係が重要であるように、世界文学を語る時、民族文学や国民文学との関係を考えざるを得ません。世界文学が全体の民族文学の総合であるという点もあってそうでしょうが、民族文学自体が世界文学との関係の中で成立すると言うべきでしょう。韓国文学における民族文学論もそうです。大きくはモダニティの問題、近代という全地球的な問題に、地域的に、あるいは民族的に対応する中で、民族文学あるいは国民文学が勃興するからです。おっしゃる通り、民族文学の時代が過ぎて世界文学の時代が来るとゲーテは発言していますし、またその20年ほど後にマルクスも『共産党宣言』で同じような主旨の話をしています。
ですが、ご存知のように、その直後、ヨーロッパに極度の民族主義が澎湃し、そのような世界文学的な企画は大きく後退します。最初にゲーテの発言も額面通りではなく、世界文学の理念に照らして民族文学の内容をきちんと充足するべきだという主旨があったようですし、また実は当時よりは、つまりそのような企画が過度な民族主義のために不発に終わった帝国主義時代よりは、グローバリゼーションが本格化している今の現実の方に、より的確さがある、そのような理念だと言ってもいいでしょう。
林洪培 実はゲーテの時代のヨーロッパ情勢も振り返って見る必要があります。フランス革命とナポレオン(Napoleon)戦争の余波で、国民国家間の熾烈なヘゲモニー争いが起こって民族主義が跋扈し、戦後のヨーロッパ秩序の復古的な保守化と帝国主義的な膨脹がそのような葛藤を縫合しているような形でした。ですから当時においても、完全な意味での世界文学は、国粋的民族主義と帝国主義をともに越えなければならないという二重の課題を抱えていたのです。
尹志寛 ゲーテ自身も中国やペルシア文学などの外国文学に関心を傾けましたし、基本的に他民族の文化や他者に対する認定、開放性、寛容、対話の精神などを世界文学理念の要件として提示しました。ナポレオン戦争以降に一時的に広まった国際主義の流れとも関係しますが、国際的な条件面では1990年代のポスト冷戦の気流の中で、西欧でまた世界文学の議論が始まったこととかなり興味深く符号します。ですが、ゲーテにもそのような要素がありましたが、世界文学というものが時にはヨーロッパ文学と同一視されたり、19世紀後半から20世紀にかけては西欧中心の正典をもって語られたりしてきた面が大きかったと思います。韓国の読書界でも、世界文学といえば西欧の名作であって、非西欧圏のものはほとんどなく、韓国文学はそこに立ち入ることもできずに別途に扱われてきました。ですが最近になって、ポストコロニアリズムの理論的な影響もあって、世界文学の地形図を新たに描くべきだという議論が西欧の方から出ています。ゲーテの理念も西欧文学の普遍性の論理として歪曲されてきた部分はそれとして批判し、最初の理念は生かすというような態度が重要だと思います。
林洪培 韓国文学で見れば、まさにそのような批判的問題意識を韓国的な状況に合わせて生かしながら進展させたケースが、この40数年の間「民族文学と世界文学」を話題として堅持してきた白楽晴(ペク・ナクチョン)の批評であると言えます。これまでの議論や脈絡をここですべて概観することは難しいですが、90年代に入って「民族文学の新段階」を取り上げて、特に近年は「グローバル時代の民族文学と世界文学」を強調する部分は注目する必要があると思います。冷戦体制の崩壊とともに資本と力の論理が主導するグローバリゼーションの波に対応しながら、東北アジアを一つの軸として展開する世界情勢の流れと分断体制克服の課題がさらに緊密に絡み合う様相を直視する必要があります。大雑把に言えば、分断体制の克服はそのまま大勢に追従して統一に安住しようというものではなく、南と北で現在よりはよい生を作りあう形で統一をしようということであれば、これまで朝鮮半島の秩序を規定してきた強大国の覇権主義にも一定の変化を伴わせてこそそれは可能でしょう。現在、朝鮮半島の現実において民族的な課題と世界文学の理念をともに思考する必要性は、このようなところに見出すこともできるだろうと思います。
尹志寛 もともと韓国文学でも外国文学でも、民衆的な、あるいは第三世界的な視角から見ようという民族文学論の前提自体が、世界文学の志向や理念を含んでいたわけですが、やはり東欧圏の没落と冷戦構造の解体に代弁される1990年頃が、世界文学の議論でも一つの転機になったと言えます。大きく見れば長期的な流れとしてのグローバリゼーションがこの時期から強く目立ちはじめて、また分断体制が動揺する危機の中で民族文学の議論に新たな模索がおこなわれたわけです。一部のポストモダン論者らが民族範疇の解体や消滅を語ってはいますが、実はグローバリゼーションの局面において、たとえば東欧圏の場合がそうであるように、民族が新しい重要性を持つようになった場合もあるのですから、複合的に思考して対応する必要がありました。ここにグローバリゼーションが実はアメリカ文化中心の画一性を強要しながら、見せかけの多文化主義を帯びているという様相が、世界文学の戦列自体に危機をもたらしていますし、民族文学が世界文学的な理念として養分を得るためには、世界体制に対する理解を深めるべきだということが、白楽晴批評の問題意識だったようです。もともと第三世界的な視角というものは、世界を三つに分けて見ようというのではなく、一つとして見ようという問題意識ですから、民族の危機というものも、結局、世界体制の問題とつながっています。世界文学の理念として言うならば、この世界体制に対応するそのような文学を通じて、私たち民族文学から見れば、世界体制とつながる分断体制に対する深い解釈を通じて、これに寄与できるというものです。
中南米文学の世界文学化とその限界
林洪培 では、今度は具体的な創作の成果をついて話して頂きましょう。ちょうど第三世界の話をされましたが、20世紀の文学史において中南米文学は民族的な伝統に基盤を置きながらも、他の言語圏とあまねく疏通した代表的事例としてよく挙げられます。たとえばガルシアマルケス(García Márquez)やボルヘス(Borges)の場合がそのような脈絡で言及されます。門外漢である私の立場から見れば、ボルヘスはラテンアメリカの現実とどのような関連があるのか把握しにくいですが、むしろ西欧の脱構築論的な理論趣向に合う作家として脚光を浴びたのではないかと思います。第二次大戦以前の時期にすでにリアリズム小説の再現論を全面的に批判して、先行テキストに対する「注釈」でテキストを取り替えるフィクションを書き始めたのも、戦後の西欧理論とコードが通じるようです。一方、ガルシアマルケスは、ヨーロッパで生命力が尽きたリアリズムを、中南米的な現実から出た魔術的な想像力と結合して発展させた場合として評価を受けているようですが、中南米文学に対してはどうお考えですか?
尹志寛 世界文学の理念がこの時代に新たに模索される過程で核心になるのは、やはり西欧中心主義の脱皮あるいは克服の問題でしょう。ノーベル文学賞もそうでしたが、非西欧文学のうち西欧の中心部で本格的に認められたのが中南米文学で、70年代以降は世界文学の地形図の変更に中南米文学の活力が作用した面が大きかったといえます。数年前、韓国にも来たカサノバ(Pascale Casanova)が『世界文人共和国』(The World Republic of Letters)という本で、世界文学を民族文学の間のヘゲモニー争いの場とする観点を示して論争となりましたが、このような世界文学の場という枠においても中南米文学は大きく成功をしたわけです。ボルヘスとガルシアマルケスを少し区分しておっしゃいましたが、私が見るところでもそのような点があるようです。
ただ、ヘゲモニー争いというものがそうであるように、主流側に受け入れられるのと同時に呑み込まれてしまう面もあります。中南米文学も全般的にはそのような要素があるようです。ガルシアマルケスに代弁されるマジックリアリズムの成果も、少し単純に言えば、その「マジック」というものが妙に現実を神秘化する効果を生み出しうるのです。『百年の孤独』(Cien años de soledad)は、西欧様式と南米の物語様式、そこにコロンビア特有の歴史が結合した成果であるといいますが、西洋人の目から見ると、その「マジック」というものには、外ならぬ西洋の新しい近代文明に対して第三世界の人間が感じる不思議さや歓呼のようなものがないまじっているのです。非ヨーロッパ圏で起きている近代化の過程で、確かにそのようなモダニティの要素が出てきますが、一方で政治的暴力や暗さ、悪魔的な要素のようなものなども付け加わるものですが、彼の作品にこのようなものはかなり抽象化されたり後に隠れたりして、ノスタルジアのようなものがまさっているので、ある意味では西洋に兔罪符を与えるような側面もあるようです。中南米文学が他の地域のもう少しリアリスティックな作品よりもアメリカや西欧にたやすく受け入れられたのは、このようなことが作用したと考えるべきではないかと思います。
林洪培 ですからマジック効果が評価されたのは一種のオリエンタリズムが作用した面もあると思うのですね。一つ付け加えるならば、西欧の読者がモダニズム時期の多様な形式実験を通して習得した学習効果のおかげで、受け入れが容易になったという面もあるのではないかと思います。西欧文学において現実を不可思議で奇怪な恐怖の体験として認知する想像力が、少なくとも第一次大戦以降はあまり珍しくなくなりましたし、ガルシアマルケス自身もそのような作品の影響に言及したことがあります。そうではありますが、たとえばオクタビオ・パス(Octavio Paz)のように「ラテンアメリカの孤独」にこれ以上すがらずに西欧的な普遍性を志向しようと主張した場合とは異なり、ガルシアマルケスの文学にはやはり西欧独自の目には物珍しい衝撃の体験のようなものが、独特の形態で具現されているのではないかと思います。
尹志寛 この間、チリ出身のアメリカ人作家のアリエルドルフマン(Ariel Dorfman)が戯曲集の刊行を契機にソウルを訪れたことがありましたが、その時、私と対談をしてこのような話をしました。私が彼の長篇小説『チェ・ゲバラの氷山』(the Nanny and the Iceberg)を取り上げて、「あなたの作品にもマジックリアリズム的な性格がかなりあるようですが、「マジック」よりは「リアリティ」へと掘り下げる精神がより感じられるので、マジックリアリズムと呼ぶのは少しひっかかります」と言ったら、ドルフマン自身もマジックリアリズムは好きではないと言うんです。そのような手法を活用はするけれども、どのように同時代の現実のリアリティを掘り下げるのかという、「マジック」よりも「リアリズム」に集中する方が、モダニティに対する探索としても作品的な成就としても、より大事ではないかと思います。
マジックリアリズムは中南米だけではなく、たとえばインドのラシュディ(S. Rushdie)のように西洋の主流の文壇で活動する第三世界の作家らがよく使う技法です。ラシュディはイギリスでブッカー賞を受賞するなど文学的に認められていますが、パキスタンやインドの状況をとても鮮明に描いたその地域の作家らの作品は、西欧社会ではほとんど相手にもされずに流通もしないんです。真正な世界文学がそのような「マジック性」に装われた、西欧の目に受け入れられやすい文学だけではなく、非西欧的な形態であっても各地域の切迫した現実をリアルに描き出す各民族の文学を包括するものでなければならないとすれば、中南米のような形態の世界文学への進出は、一方では既存の世界文学観念に対する革新ですが、他方では同化のような側面があります。韓国文学において西欧の主流の言説に逆らったり、別途に成立したリアリズム文学の議論や問題意識が、世界文学を新たな構成に重要だったりするのもそのためです。
林洪培 そのお話しを他の言葉で表現するならば、リアリズムにも典範があるのではなく、現実を見る目を新鮮かつ豊かにしてくれる、絶え間ない自己刷新が要求されるという脈絡として理解できます。西欧の場合もその点は同じなのですが、たとえばトマス・マン(Thomas Mann)もそうです。最近も彼を通常的な意味でのリアリストと見る見解があるかと思えば、それに対立して初めからモダニストであると主張する人もいますが、厳密に言えば西欧近代に対する批判的思惟の洗礼を通じて鍛錬されたリアリストだと思います。トマス・マンはワグナー(Wagner)、ニーチェ(Nietzsche)、ショーペンハウエル(Schopenhauer)の影響を強く受けましたし、そのような知的滋養分によって、没落していく西欧市民社会の内部の価値崩壊を、それより前の時代のリアリストとは違う感覚で鋭く洞察することができたのです。
トマス・マンとともによく議論されるカフカ(Kafka)の場合も、そのままモダニストであると断定していい作家ではありません。西欧の周辺部であると同時にハプスブルク帝国の属国であるチェコにおいて、それもユダヤ人でありながらドイツ語でものを書くしかない自意識の表現で、カフカは自らのエクリチュールを「小さな文学」と称しました。つまり、西欧中心部のマスターナラティブには載せることができず、数重もの抑圧構造を捉えるために、新しいエクリチュールを試みたわけです。そうして西欧資本主義社会が直面した危機意識、たとえば事物化や疏外の問題を描くような世界文学的な地平を獲得することになります。
西欧モダニズム議論の受容様相
尹志寛 モダニズムは時代の思潮でもあり文学的特性のことを言ったりもしますが、世界文学のレベルでは20世紀に入って最も広範に追求された世界文学運動のようなものだと思います。ヨーロッパで勃興して20世紀初頭に爆発的な成就を経て世界全般に波及しながら、狭い意味のリアリズムを更新し、各地域に独特のモダニズムの成果を誕生させたからです。マジックリアリズムをまるごとモダニズムに帰属させるのは語弊がありますが、その一つの例にはなると思います。おっしゃる通りトマス・マンやカフカもモダニズムの洗礼を受けながら、もう少しリアリスティックになる面を示したとすれば、第三世界のすぐれた成就も規模の大小とは関係なくそのような経路を経ざるを得なかったのではないかと思います。私はモダニズムの世界文学的な意味を、長篇から教養小説が衰退していく現象と関連させて理解したいと思います。西欧文学が19世紀に収めた成果で、また世界的に余波を最も広げたのがまさに教養小説であると考えるからです。ある社会共同体の中の個人が冒険や失敗、挫折を経験し、それを通じて成長して、その過程で世界に対する認識を獲得するという教養小説的な枠は、それ自体が西欧的な近代化の産物であり、資本主義のダイナミズムが文学に具現された代表的なジャンルですから、西欧だけでなく第三世界など非西欧圏の近代文学に繰り返し試みられて成果を示しているのです。そのような点では西欧文学のある種の普遍的性格がここに出現したわけです。フランコ・モレッティ(Franco Moretti)風に言えば教養小説は「モダニティの象徴形式」なんです。
モダニズムはこのような教養小説的な統合の可能性が西欧社会で消失することで生じた危機を突破しようという一つの実験でしたが、モダニズムの本当の力は西欧の中でも第三地帯に属する作家たち、たとえばダブリン(Dublin)のジェイムズ・ジョイス(James Joyce)やベケット(Beckett)、チェコのカフカのような作家から出ましたし、当時生きていた変革理念とも結びつきながらモダニズムにも爆発が起きました。カフカの「小さな文学」の言及をマイナー文学の抵抗性とすぐつなげて考えるドゥルーズ(Deleuze)のような観点はかなり度の過ぎたものだと思います。けれども、モダニズムもこのような脈絡の中で、それがたとえば私たちのような具体的な局地においてどのように発現するかを見るべきであって、西欧で一度経験した様式と内容を、そのまま普遍性の枠で真似たからといって世界文学のようなものが出るでしょうか。「君たちのモダニズムはそのようなものなのか、私たちはこのようなものだ」と言える成果を出そうとするならば、やはり私たちの具体的現実とは何か、分断とは何かというようなことに対して、深く考えてみる態度が重要です。
林洪培 はい。教養小説の歴史的変遷も面白い部分です。ゲーテも本格的な近代化の初期には19世紀の社会小説への移行を予告する物語的統合の可能性を強く示していますが、19世紀になると孤立した個人の内面的分裂を探索する方に傾いて、そのような意味でアンチ教養小説というものが出たりもします。モダニズムないしアバンギャルド文芸運動も偏差が多様です。第一次大戦を経験して西欧の没落を見通す文明悲観論も沸騰で、西欧的な近代に対する絶望と再生への欲求が交差する中で、ファシズムと二度目の帝国主義戦争をヨーロッパ本土で行ないます。このような状況で近代文学の核心的成就と言える人間と歴史に対する信頼のようなものが崩壊します。そのような脈絡でダダ(dada)のように初めから文学概念自体の破壊に没頭するような実験や、現実の因果的合理性を否定する超現実主義などが出ましたし、かと思えばイタリアの未来派のようにファシズムの先鋒を自任するような無茶な例もあります。一方、韓国文学においてモダニズムは、植民地時代―1930年代の李箱(イ・サン)や1970年代の産業化時代の趙世煕(チョ・セヒ)の場合に見られるように、私たちが直面した現実を通じて屈折・変形しながら他の効果を発揮するようです。
尹志寛 いわゆるモダニストたち、たとえば李箱や趙世煕のような独特の成果に対する林先生の指摘に同意しながらも、たとえばカフカとマンの対比の中で、ルカーチ(Lukács)が語ったリアリズムとモダニズムの対立、あるいは互いに方向が異なる傾向性の衝突という問題意識の下で韓国近代文学史を見るならば、韓国の近代文学はルカーチが注目したまさにその時期、すなわちモダニズムの勃興期に近代文学へと形成されましたし、その中にモダニズム自体の成果もありますが、全体的にはつまりリアリズムを中心にして形成されたと言えるでしょう。廉想渉(ヨム・サンソプ)、玄鎮健(ヒョン・ジンゴン)、蔡万植(チェ・マンシク)、李箕永(イ・ギヨン)などにつながる伝統がやはり植民地文学の主流をなしていますし、解放後も近代化される過程で中心的な成果がおおよそはそこから出たんです。歴史的に見れば西欧とはかなり異なる様相を示しました。世界文学レベルでも、ならば早く西欧を追いつくべきだというように発展論的に見る問題ではありません。地域的にモダニティが発現する様相によって、その民族独自の文学的成果が出るようになり、そのような成果が集まって世界文学を形成するのであって、世界文学の定形がすでに存在していて、それに到逹しているかどうかというレベルの問題ではないと思うんです。
林洪培 そのような側面で民族文学と世界文学の接合点は、歴史的に不均等に進む個別の民族文学ないし国民文学の成就を土台に考えるべき問題ではないかと思います。
日本文学と村上春樹現象の問題点
林洪培 次は東アジア文学の話をしましょう。最近、日本や中国の現役作家らの作品が韓国はもちろん西欧にもかなり多く紹介されていると言います。まず日本の場合、村上春樹のような作家は日本でもベストセラー作家として脚光を浴びていますし、韓国の作家らに比べてはるかに多くの言語に翻訳され、欧米でもよく読まれているうえに、今回、マスコミではノーベル賞候補としても挙げられていました。このような現象をどのように見ますか?
尹志寛 村上春樹は実際にも象徴的にも、東アジア文学だけでなく世界文学を語る時、欠かすことのできない作家ですが、その前に東アジア文学全般に対して少し確認しておこうと思います。全体的に東アジア文学が世界文学に占める比重がこれまでは小規模でしたし、同じ第三世界圏と言っても、中南米やアフリカの方と異なり、アジア圏の作家は各自の民族文学としての成就とは無関係に、世界文学ではあまり存在感がなかったといっても過言ではありません。
様々な理由があるでしょうが、もっとも重要なのは言語の問題ではないかと思います。たとえば中南米の場合はスペイン語圏という利点があって、アフリカの場合は西欧の植民地支配を経験してフランス語や英語で作品活動をする作家が多いので、主流の西欧文学圏に進出しやすかったと考えられますが、東アジア圏ではそうはいきませんでした。固有の言語を守ったという長所が、むしろ世界文学においてはるかに周辺的な位置に追いやってしまったということは歴史のアイロニーと言えるでしょう。日本文学は東アジアあるいはアジア圏でも、ある面では特殊なところがあります。私たちが世界文学と関連づけて民族文学を語る時、第三世界的な視角を強調してきましたし、また第三世界文学との連帯や類似性を語ったりもしましたが、日本は少し違います。村上春樹文学の場合もかなり西欧化・アメリカ化されたと言いましょうか、西欧中心の世界秩序に特に抵抗なく応じる中で成立した成果のように思えるんです。今の日本文学をどのように見るべきかという問題で言うならば、今、グローバリゼーションとはどのようなもので、世界文学とは何かという問いに鋭くぶつかりそうです。
林洪培 村上春樹は西洋の読者にも馴染みのモチーフや感覚があるという気はします。問題は果たして自国の歴史や現実に対する批判的認識に裏付けされているのか、またそれが外国の読者にも説得力があるのかということですが、最近の代表作『海辺のカフカ』を見ると、そのような期待とは距離があるように思えます。たとえば太平洋戦争を日本国民共同の歴史的責任として受け入れるよりは、自らを戦争の被害者としてのみ記憶したがる、だけど腹を割って話し合うことはできない、普通の人々の集団的無意識を刺激して、戦争による精神的トラウマ自体も脱歴史的に神秘化します。1960年代の学生運動も臆病な個人に致命的な傷だけを残した集団的抑圧として簡単に処理され、このすべての歴史的負債をまるで不当なタブーのように破壊する自由だけが容認されます。ですから小森陽一のような評論家は、「歴史の記憶を消去するきわめて危ない転向」と評しました。このような脱歴史的な想像力が洗練された感覚主義と結びついて、韓国や中国でも多く読まれたのではないかと思います。つまり韓国では1980年代に対する反作用と相俟って、またおそらく中国では文革に嫌気を見せる上の世代とは異なり、初めから政治一般に無関心となった新世代の感覚に応えたのではないかと思います。
尹志寛 でも『海辺のカフカ』は『ノルウェーの森』(韓国では『喪失の時代』として翻訳・刊行)のように、はがゆいというよりは歴史の現実に一度は楯突いてみるという意味もあるように思いましたが、やはりそのままでは済まされないのですね(笑)。私も読みましたが、ひどく言えば真似だけが目につきます。村上春樹だけを見て日本文学全体を語ることはできませんが、いわゆる村上春樹現象というものは無視できそうにありません。村上春樹を含めた80年代以降の世代がなしてきた日本文学の流れを見るならば、それが世界文学であると言えるほどに日本の現在を深く描き、その地域的な内容を普遍的な主題に昇華させた成果なのだろうかという点については、日本の中でも否定的な意見が多いようです。先年、柄谷行人が近代文学の終焉を宣言したのも、基本的には特に80年代以降の日本文学の変化にかなり依拠したものでした。もちろん世界的現象としてのグローバリゼーションとか、大衆文化やマスコミが中心になって文字言語が主導権を喪失したとかいうポストモダン的な変化がその根拠ですが、日本文学の内部にもその根拠を置いています。以前、大江健三郎にノーベル賞を受賞させた『万延元年のフットボール』のように、日本の歴史、社会現実、それと関連する日本人の心理的抑圧のような問題を突破しようとする、そのような真摯な文学が追放されて、軽くて表皮的な感想や雰囲気を喚起させる作品が日本文学の主流をなしているために、文学が社会の変化に影響を与えた時代は終わったというようになったのです。
村上春樹は全共闘を経験した世代ですから、変革運動が失われた時代の喪失感を代弁したり、新しい感覚であるとか言って韓国の90年代の作家に特に影響を及ぼしたようですが、村上春樹も村上龍も表皮性が強く、たとえばゲーテやマルクス的な意味での世界文学、グローバリゼーションに対抗する数少ない拠点としての世界文学、そのような抵抗の中の人間や社会に対する洞察や社会体制を揺るがす根本原理に対する解釈のようなものには到っていないと思います。最近、韓国の若い作家を見ると、村上春樹から何か代案を探そうとしていたところからは脱したようで幸いですが、私はまたこのような局面で村上春樹がノーベル文学賞でも受賞してしまえば、これは本当に大変です。韓国も受賞できませんでしたが、村上春樹もだめだったということが、それでも世界文学やゲーテのためには幸いだと思いました(笑)。
激変の渦中を飛翔する中国文学
林洪培 最近、中国の作家も韓国でかなり紹介されています。余華(ユイ・ホア)、莫言(モォ・イエン)、蘇童(スー・トン)のような作家が中国の内外で注目されていると聞いています。
尹志寛 中国文学についてはあまり知らないので、長く話をするとボロが出るかもしれません(笑)。まずは東アジアという枠で世界文学の理念について語ってみることも必要でしょう。東アジアを一つの文化的カテゴリーとして見れば、そこにアメリカ化していくグローバリゼーション現象に対立する、ある種の東アジア的な価値志向が文学として表出されることもあります。そのような点で韓・中・日の文学的な流れを互いに把握して交流・連帯することが重要です。
韓・中・日の三国を比べる時、一種の文学的な時差のようなものがまず思い浮かびます。たとえば日本がいわゆるポストモダンな文化形態、一種の後期資本主義的な文化論理としてのポストモダニズムが盛んで、そこに巻き込まれている状況であるとすれば、韓国はある程度、日本的な表皮文化の浸透を受けながらも、依然として文学としては現実参加的な精神も生きていて、グローバリゼーションの荒波を経験しながら揺れ動いていますが、そのような中でも新しい文学的対応を試みているという感じがします。それに比べれば中国文学の場合、中国の歴史のようなものを素材にした若い作家たち、特に1980年代にデビューしてその後熱心に活動している余華や蘇童、莫言など、いわゆる「先鋒派」の作家たちの作品には、中国文学の伝統に基盤をおいてはいますが、現実に対するほとんど自然主義的な描写に近い、大きく見てリアリズム的なアプローチがかなり生きています。このような三国間の違いを、世界文学という観点からどう解釈できるかがキーだと思います。
林洪培 韓国文学が西欧に紹介される過程でも、韓国の現実に対する批判的省察を幅広く深くおこなった高銀や黄皙暎の作品がまず目を引きます。国外に知られている中国文学も中国現代史の背景が色濃く存在するようです。たとえば余華の『活着』のような作品は、臆病な個人の生に刻印された中国現代史の縮約版といえますが、まさにそれが小説としては盲点ではないかとも思います。個人史の年代記に歴史的事件をエピソードとして配置する物語の流れと筋が、少し退屈で粗雑だと言えるでしょうか。中国のことをよく知らない西洋の読者に最低限の歴史的常識は提供しているかもしれませんが、小説自体の成就としては韓国の読者の鑑識眼にかなうだろうか疑問です。だとすれば中国と韓国の文学的疎通が世界文学の境地を眺望できないのはもちろんのことで、東アジア的な価値の共有を裏付けるレベルにもいまだ到っていません。もちろん一つの作品の事例を一般化してはいけませんが、韓・中・日の文学的な疎通を語る時は、たとえば韓流ブームを語る時とは違うレベルの作品検証が必ず必要だと思います。
尹志寛 私は少し違う印象で読みました。最近、韓国にも紹介されて西洋にもかなり知られている中国の作家たちを見ると、まず歴史・伝統意識が生きています。最近の中国文学の変化や改革による創造的な成果だと言えます。中国文学がこれまで社会主義体制の中で萎縮していたとすれば、その萎縮した創作力がこれから旺盛によみがえってくるような兆しを感じさせます。モダニズムの成果を可能にした歴史的状況についてのP・アンダーソン(P. Anderson)の分析を援用するならば、「中国の現代文学には過去の伝統がまだ消えておらず価値を持っている状況で、新しい科学技術が可能性として近付き、ここに変化ないし改革の展望が裏付けされた、ある種の結合局面の力が作用している」というような推定も可能です。これに比べて日本の場合には、そのような可能性が色褪せてぼんやりしている段階ではないか、歴史的感覚がなくなった場所に表皮的感覚が立ち入っているのではないかという気がするんです。
多くは読んでいませんが、蘇童という作家はかなりいいと思いますし、余華は『許三観売血記』をかなり面白く読みました。廉想渉と金裕貞を合わせると、あのように悠長かつ深刻でありながらも愉快な歴史小説ができるのではないかと思いました。これに比べれば私もやはり『活着』はかなりレベルが落ちると思います。蘇童は自然主義的な面がありながらも、たとえば運命論や決定論的な人間の条件、否応なく歴史の罠に陥って抜け出すことができない漠々とした状況を描き出します。現代の中国社会の価値観の変化を反映した「離婚指南」のような中編には、ジョイス(Joyce)の『ダブリン市民』(Dubliners)のような雰囲気もあります。中国文学の可能性を考えると、最近の韓国文学があまりにも呼吸が短いという気がします。現実参加の文学はもう時効であるとか、リアリズムは構文の問題であるなどという話がずいぶんと聞こえてきますが、もう少し視野を広げたらどうかと思います。
林洪培 私は『許三観売血記』をまだ読んでいないので、先に言ったことは修正しなければなりません(笑)。いずれにせよ一人の作家の作品に互いに異なる評価が出ることがあるということは、現在、中国文学が大きな実験の渦中にあるという一つの兆候として考えられるのではないかと思います。莫言からそのような印象を強く受けました。たとえば『酒国』を見ると、「食い意地」を子供を蝕むアレゴリーとして変換して、改革開放に沸き立つ欲望をグロテスクに描きあげていますが、一見、薄気味悪い話をそうでないように、あるいはその逆に解決していくようなブラックユーモアが特異だと思います。私の印象では中国の伝統物語的な要素がありますが、そのような要素と拮抗する現代的な実験精神がはるかに勝っている作品のようです。ですが、このような混血様式をどうやって郷土色の濃い『紅高粱家族』(映画『紅いコーリャン』の原作)の作家が書いたのだろうかという疑問がわきます。このような様式の断絶と混合に親近感があるほど、果たして今、中国社会が激しい混沌の渦中にあるということなのか、それとも香港式のノワール映画を意識したのか、よくわかりません。
蘇童の作品は、また異なるところ、中国の近代と前近代が錯綜した様相がよく出ていると思います。たとえば「妻妾成群」のような作品は、蓄妾制度が封建時代の遺物として残っていた開化期初頭の物語ですが、このような作品が今、中国で現代小説として読まれる現実的な根拠がどのようなものなのかがよくわかりません。かと思えば「離婚指南」はイプセン(H. Ibsen)の『人形の家』(A Doll’s House)に出てくる女性主人公「ノラ」(Nora)を現代中国の男性に置き換えた異本なわけです。イプセンのノラとは違って、虚栄と稚気だけで固まった男性人物を愚かな家父長として戯画化することに成功していますが、やはり「戯画」の様式が許容するほどの世態小説にとどまっているという感じもします。韓国文学で、たとえば蔡万植の『人形の家を出て』(1933)と比べても小品ですね。
尹志寛 あの作品にはそのような小品的な面があります。ですが、蘇童の『米』のような長篇を見ると、粗雑なようで人間の欲望や複合心理を掘り下げる力がかなりのものだと思います。蔡万植と比べるのも面白いですが、私もこれを読みながら穀物市場を背景にした蔡万植の長篇『濁流』(1937)のことがふと思い浮かびました。人間群像を歴史の現実の中で描き出す滔々とした筆致においても似ていて、ともにものすごい風刺家ですが、蘇童の根気とも言えるでしょうか、人間の悪魔性のようなものを最後まで描き通す執拗さが、現代の中国文学の力を見せていると思いました。問題は韓国の40代作家たちからこのような追及力があまり見られないということです。
中心部の限界を突破するアジア文学の活力
尹志寛 すぐ隣りの国で隆盛している中国文学もそうですが、また私たちと歴史の因縁がからむベトナム文学も同じ脈絡で注意深く見る必要があります。ベトナム文学も翻訳されているものがいくつもありませんから一般化は難しいのですが、バオ・ニン(Bao Ninh)やバン・レ(Van Lê)の小説、また最近、グエン・ゴック・トゥ(Nguyên Ngoc Tu)という若い作家の『果てしない原野』(The Endless Fields)という作品が紹介されました。バン・レの場合、社会主義リアリズムの体臭がかなり出ていて、特に楽しさを感じることはできませんでしたが、バオ・ニンは戦争の心理的な影響を密度濃く掘り下げて、近代を自らの生と関連づけ、またベトナムの現実とも関連づけて形象化する力があります。グエン・ゴック・トゥのような新世代作家には、現在のベトナム現実、その現実の切迫した状況を詩的に形象化する能力があると思います。そのような点でベトナム文学の活力が感知されますが、まるで韓国文学が1970年代前後に経験して対応した局面が、時期を異にしてよみがえっているような面があるんです。
このようにアジア文学の情況を全体的に見ながら、文学が時代的局面や状況によって、また地域によって発現する方式を統括して、それを世界文学形成の新しい力として編み出していく視角が必要ではないかと思います。私たちは民族文学のことを語りながら、中心部でぼんやりしてしまった歴史意識が生き生きとさせる周辺部的な状況を言ったのだとしたら、グローバリゼーションの中で地域間のこのような対比や中心部の限界を突破する周辺部の文学の力のようなものが、新しい世界文学の地形図として当然のことながら位置づけられるべきでしょう。
林洪培 バオ・ニンの『戦争の悲しみ』(Noi Buon Chien Tranh)やバン・レの『君がまだ生きていたら』(Gia anh van con song)のような作品を見ると、少年期にベトナム戦争=対米抗戦に参戦した闘士らしく革命的な楽観主義が強く感じられ、それに比べてつらい流民生活の断面を描いた『果てしない原野』はおっしゃる通り抒情的色彩が濃いと言えます。今、ベトナム社会の総体的な姿を反映した現代の小説がもう少し出たらいいのにという残念さは残ります。
ですが、おっしゃる通り、韓国文学との時差をあまり強調すると、一種の環境決定論ないしは進化論的発想に陥るおそれがあります。たとえば中国のように過渡期の激変を経験している社会では物語の活力が生き返り、一方、後期資本主義の段階に入った国では物語の活力が減退するというような図式です。最近の韓国文学についても、社会が停滞しているから小説が萎縮するのだという話が出ていますが、そのように見て済まされる問題ではないのではないかとも思います。
尹志寛 「ベトナムや中国の小説は韓国の60、70年代式のリアリズムである。だが、日本文学はそのような段階を少し早く通過してポストモダンな大衆小説の方に行っている。そして韓国はその中間あたりである」と単純化したら少し極端かもしれませんが、一面の真実はあると思います。日本の場合は韓国に最近、紹介されているものを見てもそうではないでしょうか。露骨に感傷的な、あるいはほとんど純情小説的な作品がのべつまくなしに入って来ています。ここにはもちろん現代の都市の若者たちの考え方、感じ方、生活方式、スタイル、ファッションなどが華麗に反映されています。日本文学にそのような大衆文学だけがあるのではなく、在日朝鮮人の作家や社会意識を持った作家がいないわけではないのですが、とにかく結局のところ、このような段階的にグローバリゼーション、あるいは資本主義が進むことによって、文学の意味が究極には消滅せざるを得ないのではないかと問うこともできるでしょう。
これはかなり大きく深刻なテーマですが、資本主義体制およびその成熟、あるいは拡散と、私たちが文学において期待する創造性の領域や、言語を通じた創造的な空間の保障や形成が、矛盾し対立する面があるようです。その中で文学は危機に瀕していて、またつねに危機の中にあるのです。ただグローバリゼーションの傾向の中で、すべてのものが全体化されるとしても、たとえば中国やベトナムのように第三世界の特殊性のようなものもあって、第一世界であれどこであれ、地域で起こる反グローバリズム的な要素が、運動においても情緒の上でも存在することがあるならば、そのような要素を作品的な成果として生み出した各地域の文学を通じて、言わばマルクスが予想した通りの世界文学の形象が新たに誕生しうるのです。それとともに国際連帯の問題も考えられるでしょうし、そのような点ではアジア・アフリカ文学フェスティバル(Asia Africa Literature Festival、AALF)を推進する最近の文壇の動きや季刊誌『アジアASIA』の刊行、ベトナム、インド、パレスチナに関心を持つ文人の集まりが活性化することなども注目するに値する変化だと思います。
林洪培 ええ、おっしゃる通り、狭くは東アジア、遠くは中東やアフリカに到るまで、作家の交流が活発になることは、過去に西欧文学を中心に編成された世界文学に対して、新たな突破口を開くことができる重要な契機であると考えられます。そのような動きに韓国の文学者が積極的な役割を果たしていることに、韓国文学の底力が感じられます。ですが、韓国社会の変化と文学の役割を別途に診断する立場では、このような考えに同意しないかもしれません。つまり韓国も日本のように資本主義が爛熟した局面に入れば、文学の活力も萎縮するのではないかという診断ですが、実はそのような現実の複雑多岐にわたる矛盾や葛藤を総体的に描ききるという課題が、文学の負債であると同時にやりがいになると思います。後期資本主義社会の大きな特徴として、よく商品文化と従来の芸術文化の境界が曖昧になり、感覚というものも人間の生活を豊かにするよりは、現実認識を鈍化させる文化的消費財へとたやすく吸収されてしまい、日常の生活世界において仮想と現実の区分も曖昧になる現象が指摘されます。問題は状況が状況だから文学環境が切迫してくるのだとばかり考えるのでなく、さらに明るく闊達な感受性が要求されるということをきちんと理解するべきだと思うんです。マルクスが『資本論』(Das Kapital)で商品の幻覚効果を指して「リアルな仮想」と言ったように、ポストモダン文化にくっついているものにも、その実体的なルーツがあるものです。
尹志寛 つまり西欧のモダニズムが達成した成果のうち素晴らしい部分が、まさに林先生のおっしゃるような課題に対応したという点ではないかと思います。西欧のモダニズムが直面したそのような問題が、今、非西欧あるいは第三世界の大都市ではどのように追求されうるのかが重要ですね。もう一つは、今、グローバル化された世界の中で、大都市は多文化的で多民族的な要素が強まっている状態です。モダニズムが勃興した当時、西欧の都市も実はそうでしたが、特にグローバリゼーションが拡がってきた今の時点において、大都市は移民者、移住労働者を含めた外国人、その他の相互交流などを通じて、様々な人種が集まった多文化的な属性が大きくなりました。韓国もそのようになっていく傾向がありますが、その中でどのような文学が、グローバル化された新しい形態の大都市で誕生しうるのかということが宿題であると言えます。このようなグローバリゼーションの変化の中で内と外の間の堅固な境目のようなものが崩れたりしますが、ここに積極的に対応していく努力も必要なんです。最近、無国籍文学とかいうものが世界文学の大勢であるというような、つまり村上春樹が世界文学のモデルであるというような理解もあるのですが、最近かなり議論になっているトルコ人作家のオルハン・パムク(Orhan Pamuk)を見ても、各地で起こっている葛藤や矛盾、アイデンティティの問題自体に対して、単純に脱走だとか離脱だけではきちんと対決できないということが実感できます。
韓国長篇文学の成就と課題
林洪培 そのような大きな脈絡の中で最近注目された韓国の長篇小説を一度見てみたいと思います。まず目につくのは黄皙暎(ファン・ソギョン)の近作で、東アジアの近代化を扱った『沈清(シムチョン)』と脱北者の離散の問題を扱った『パリデギ』があります。申京淑(シン・ギョンスク)の『李真』は旧韓末の激動期に犠牲になった宮女出身の女性の悲劇的な運命を描いていますし、17世紀前半の丙子胡乱〔清による朝鮮侵略〕を素材にした金薫(キム・フン)の『南漢山城(ナムハンサンソン)』も同様に歴史小説です。金英夏(キム・ヨンハ)の『光の帝国』は最近の小説には珍しく1980年代末の学生運動と分断問題を現在の現実へと引っ張り出した作品です。
まず黄皙暎の小説から見てみましょう。『沈清(シムチョン)』は人身御供説話を借りて物語を展開しますがが、単純に素材を借用したのではなく、物語の展開の方式が西欧式の基準から見れば小説の原型となる叙事詩のような形態で、独特に変形された感じがします。特に沖縄を「龍宮」として想像する場面がそうですが、全体的に沈清を蓮花菩薩の世俗化として変奏するやり方がそのような感じを与えます。もちろん韓国・中国・台湾・シンガポール・沖縄・日本を経て、また韓国へと帰郷する沈清を動かす力は、西勢東漸の渦中に搖れる東アジアの現実、特に歪曲された市場論理によるもので、そのような部分に対する描写は、やはり黄皙暎らしいリアリティを発揮しています。実は私はこの作品を読みながら、沈清があまりにも遠くに行ってしまっているのではないかと心配になったりしましたが(笑)、そのようにリアルな描写と東アジア近代化の核心の局面を適切に配置する歴史的遠近法を見ると、やはり黄皙暎ならではという腕が感じられます。
尹志寛 長篇小説は近代文学の寵児であり、柄谷行人が近代文学の終焉を宣言したのも長篇小説の意味喪失を語っているものですから、そのような意味でも韓国文学において果たして長篇小説が生きているのかということはとても重要な質問です。黄皙暎は出獄後はずっと長篇小説で勝負しています。韓国の叙事文学が生きていることを立証する、大きな巨木として活躍してきたことは事実です。90年代以降の文学において叙事が弱まったとすれば、黄皙暎の長篇はこの危機を正面から突破する力があります。『懐かしの庭』以降の毎作品は、韓国文学の現在を証明する重みが加わっていますが、一方で作品によってそれぞれ特徴があるようです。
先年、彼の長篇の『客人』がフランスの権威あるフェミナ(Femina)賞の候補に上がった時、私は個人的に『懐かしの庭』の方が上がったらよかったのにと思いました。『客人』ではリアルな描写力が輝いている部分がある一方、作品の構造上、非常に重要な怨霊の介入が緩く、トニー・モリスンの Beloved ような戦慄がないんです。もちろんそれ自体として素晴らしい成就であるとは言えますが、いわゆる世界文学という基準で見る時には少し物足りないと言えそうです。最近の作品『パリデギ』でも、またかつての『沈清』でも新しい形式を実験しています。二つの作品はともに歴史小説的な体裁を持っていますが、小説の原型に戻ったとでも言いましょうか、ピカレスク(picaresque)形式を活用して国境の向こうにまで拡がる冒険を描き出し、アジア、あるいはその向こうまでの空間を包括して、グローバリゼーションの局面と主体の生をつむごうとしています。遊牧的な主体といいましょうか、世界的なレベルでの離散問題を受け止めながら、受難の主体が自らを探す冒険を敢行するという点で、形式はピカレスクですが、その内容には世界体制の中で人間の運命を形象化しようとする近代長篇小説(novel)の衝動が生きているようです。その点では確かに注目に値するのですが、作品でこの衝動がどれほど生きているのかという問題を指摘しなければなりません。『パリデギ』は集中度のすぐれている前半部に比べて、パリが海外に出た後半部ではエピソードがきちんとまとまっておらず、ピカレスクの問題性が出ています。現在、旺盛に作品活動をしていますし、世界の文壇でもその比重を認められている作家ですから、今後ともさらに集中力ある長篇が期待できそうです。
林洪培 ですが、小説というものはもともと多くのジャンルや形式を混淆して融かし出す溶鉱炉のような属性があって、そのような点ではピカレスクのような先行形式もいくらでも新たに借用できるのではないかと思います。この作品のように、時空間が大きい場合は、そのような形式が独自の内的必然性を持つのではないかというのが私の考えです。
歴史に対する関心も多くの様相として見られます。卑近な例として、テレビで1980年代でも今でも、歴史ドラマが常に人気を博していますが、実はいわゆる「歴史のひっくり返し」を標榜しながら興行を狙うかなり多くの歴史小説も、そのようなテレビ放映物を真似ている面があります。そのような場合をおけば、現在の現実認識が膠着状態に陷っていたり、特殊な過渡期の局面において現在の座標を定めるために視野を遠くに持って行くという側面もあるんです。つまり過去との対話を通じて、今、こちらの現実を幅広く眺めようとするのです。しかしそのような試みがきちんと成功できなければ、物語の欠乏に代わる状態に陥る危険もあります。
そのような面で申京淑の『李真』や金薫の『南漢山城』について考えてみましょう。私は『李真』を面白く読みましたし、実際の歴史的な出来事が遠景として配置されていますが、申京淑特有のロマンチック色彩の強い、想像力が引き立った作品だと思います。もちろん歴史を意識しているので少し静寂な感じも与えますが、そのような点ではむしろロマンチックな想像力をさらに追求してもよかっただろうと思います。かつてゾラ(E. Zola)がバルザック(H. de Balzac)との差別化をはかりながら、バルザックにはロマンチックの残滓がとても強くてリアリティをだめにすると責めたことがありますが、実はゾラが考えたのと異なり、高品格のロマン主義はリアリズムの立派な養分になっていたんです。いずれにせよ『李真』は、小さな一個人の運命を、その時代に合った歴史的な均衡感覚で消化した作品ではないかと思います。一方、金薫の『南漢山城』は、丙子胡乱という歴史的素材を借りてきていますが、歴史性を除去した実験セットみたいだという感じが大きかったです。出口がなく閉じこめられた状況で人間がどのような反応を見せるのか、行動実験をしているみたいです。歴史と虚構が出会う地点で過度な恣意性が出ています。作家は「私はどちらの味方でもない。ただ苦しむ者たちの味方だ」と言っていますが、前者は正しい言葉のようですが、後者は説得力に欠けます。この作品がベストセラーになった理由として、評論家の金永賛(キム・ヨンチャン)は前号の『創作と批評』で、IMF事態以降の国民の剥奪感に迫ったという点に触れていますが、読者たちが直面している無力感を不可抗力的な事態として絶対化して鬱憤を刺激したという意味と理解すれば、そのような効果は似非カタルシスに過ぎず、真正な歴史小説としてはまだレベルに到達していないと思います。
尹志寛 まず申京淑の小説から申し上げると、私も『李真』を面白く読みました。文体もそうですし、人物を描く申京淑特有の個性が歴史を扱うところで発揮されて、一度、本を手に取ったら手放しにくいくらいでした。また開化期と称される近代初期の問題に焦点を置きながら、モダニティの問題をその始原において解明しようとしている点で、以前に出た金英夏の『黒い華』とも互いに比較できて関心がわきました。二人の作家はともにいわゆる90年代文学の代表走者としてスタートしましたが、脱民族、内面、脱歴史のような言説とよく結び付けられる作品活動が中心をなしたことに比べれば、近作は歴史への帰還と言いましょうか、ともに歴史小説を試みているということが、現代文学の一つの兆候でもあるという感じを受けます。
二つの作品ともに最近出た長篇の中で秀作であることは明らかですが、やはりこれらを世界文学的な基準から見るとどうだろうかと考えます。『李真』を読んでから、このように美しい歴史小説もあり得るのだなという気がしながらも、歴史が私人化されたとでも言うか、美学化されたと言うか、とにかく正統な歴史小説が示す歴史の躍動のようなものが感じられず残念でした。もちろん作家がそれを狙ったという側面はありますが、歴史の中の人物を復元し、また生き生きと復元した部分があったとしても、背景になる歴史という枠は教科書で言う通りにしておいて、その中の人物だけを彩色したと言えるでしょうか? 同じ年配の中国の作家が書いた歴史小説の中の人物たちの躍動感とは種類がまた異なり、さらに近くは北朝鮮の洪錫中(ホン・ソクチュン)の『黄真伊(ファン・ジニ)』に見られる、歴史に対する「解釈」のようなものが足りないのではないかと思います。
金英夏の『黒い華』が、その点では歴史小説として期待できるような歴史解釈力がより際立っているようです。ですが、この作品も正統な意味での歴史小説ではなく、そのような体裁をしていますが、歴史に対する脱構築といいますか、そのような意図を陰に陽に抱えているのがひっかかります。『黒い華』の成果は、このような意図にもかかわらず、同時代の人間が近代に出会った時の姿をありのままに描き出そうという作家的な紀律がなさしめたものだと言えるでしょう。とにかく美学では勝利したけれども哲学では充分でないということ、つまり歴史に対する思惟の深さが小説に反映されていないということが、世界文学から見ると、韓国の才能ある作家たちから感じる私の残念さです。
それでも二つの作品には歴史を捉えて格闘するという意識が生きていますが、今回の『南漢山城』をはじめとする金薫の小説は、歴史を借用しているだけであって歴史小説ではないんです。読者の民族主義的な情緒に訴えながらも、逆に歴史自体に対する虚無意識を煽る内容を書いていて、何か少し不正直ではないかという感じです。文章の呼吸を生かす腕前や職人的なところは優れていますが、歴史を美学化しようとする意図があまりにも露骨なので、申京淑では長所になっている哀れな美しさのようなものが、ここではずいぶんと格好をつけているようで上滑りしています。
林洪培 金英夏の『黒い華』の話をしましたが、この作品と『光の帝国』は物語の時空間が全く違っていても、語る方式は何か似ているという気がするんです。つまり破局的な結末をあらかじめ予定しておいて、物語の流れの中に国家、民族、理念のようなものを集めて脱構築しようというやり方とでも言いましょうか、そのような感じがします。『光の帝国』が定着スパイという特異な人物設定で南北分断の問題を扱っていますが、ここでも『黒い華』に見られた過度な作為性が人物の活動余地を大きく制約しています。「光の帝国」というタイトルの超現実主義モチーフが示すように、分断状況で定着スパイになるまで必然であると考えていた生の道程が、今、自分の存在とは全く無関係なものとして蒸発してしまいます。冷戦時代に別れを告げる意味はあるものの、それも今の時点ではいまさらながらの話でしょうし、倦怠と虚無にまみれた資本主義的な日常に吸収されるのとは異なる方式の生に対する探索へと進むことができません。そうしてみると作品の結末が南北分断という素材を取り除いても、無難でやや苦い世相の確認で終わってしまいます。
尹志寛 金英夏の『光の帝国』は、さきほど『黒い華』を語ったやり方で言うならば、その特有の歴史転覆に対する没頭が作品の中で問題を引き起こした場合ではないかと思います。南北分断の問題が持つ理念の桎梏を皮肉ろうという意図はもちろん理解できます。ですが、分断問題を扱いながら全体的には当時の歴史において要求された民主化運動と分断克服運動の結合という運動の背景や歴史解釈に対して、脱構築や転覆を試みようとする意図がとても強く、作品上の多くの問題として出ているようです。分断問題において引き起こされる悲劇を戯画化するためには、たとえば余華が『許三観売血記』で文化大革明をめぐってそうしたように、人物に対する作家としての応対と言いましょうか、ある種の愛情が自然に作品の中に溶けていなければならないのですが、運動に参加した女性の堕落のようなものが愛情も説得力もなしに提起されているところが多いと思います。やはり脱理念、脱民族もいいですが、あまりそのような「理念」に縛られていると、このように作品が粗雑になってガタガタになります。『黒い華』が彼の意図を越えてかろうじてリアリズムの成就を達成したとするならば、『光の帝国』はそうではないと言えます。
グローバル時代の韓国文学の課題―翻訳と疎通
林洪培 最近のいくつかの作品に言及して見ると、批判的な評価がかなり出たようですが、長く見れば韓国文学の活力は依然として生きていると考えるべきでしょうか。そのような可能性を念頭に置きながら、韓国文学の課題を世界文学と関連してお伺いします。
尹志寛 ゲーテが世界文学を語る時に重視したのが民族文学間の交流でした。他者の文学と対話し、またそれを容認する過程で民族文学も発展させて世界文学を形成しようという、そのような主旨だったでしょう。実は今、考えれば、ゲーテの言った交流というものがゲーテの時代に比べてもかなり増えました。作家が海外旅行に行くようにもなりましたが、外国の作家が訪問し、あるいは韓国の作家が海外に出て一緒に行事を行なったりしています。問題はその交流というものがどのような内実を持つのかということですが、文人の交流が何かの邪教の集まりなどではなく、やはり各民族や地域が直面している矛盾や困境に対立する作家としての悩みを互いに分かち合える土台となるべきでしょう。一方的に向こうの話を聞くのではなく、こちらの話を説得力持って伝える能力も必要でしょう。
林洪培 ゲーテの場合にも、歴史学者カーライル(T. Carlyle)がゲーテ選集を英訳する時、二人が直接書信を交わす作業がありました。今日の作家の直接的な交流可能性はずいぶん開かれていると言っても過言ではありません。そのような点で東アジアを含めて世界の各地域との交流や連帯がますます重要になっていますし、そのような過程を通じて望ましい意味での世界化に寄与する文学の役割が大きいと思います。他方で、文学作品を通じて行われる相互疎通も日常的に重要な課題です。初めに申し上げた通り、韓国文学はようやく90年代に入って本格的に海外に翻訳され始めましたが、いい翻訳を出すことは依然として大きな宿題ではないかと思います。尹先生がちょうど韓国文学飜訳院の院長という職責をなさっておられるので、そのお仕事と結びつけてお話し下さいますか。
尹志寛 私の仕事を紹介する機会を下さってありがとうございます(笑)。私たちは韓国文学を世界文学と関連づけて話して来ましたが、実は韓国文学は、翻訳がされていなければ、世界文学の現実では存在しないのと同じです。交流というのもほとんど内実がありません。そのような点で韓国文学のように相対的にマイナー言語で書かれた文学では、特に翻訳というものが世界文学に並ぶ土台と言えます。この場で詳しく申し上げることではありませんが、おっしゃる通り韓国文学がまだ世界文学の中で存在が小さい理由の一つは、いい翻訳がかなり少ないという現実です。そのような意味で翻訳は至急の課題ですし、また韓国文学を海外に翻訳できる力量を持った翻訳家を支援・教育するのが非常に重要です。また海外で韓国文学を一つの研究分野として位置づける仕事や、海外の読者層を形成するような翻訳インフラを構築することに、政府機関の韓国文学飜訳院がこれから力を入れていくべきだと思います。
林洪培 一角では、文学翻訳や世界的な流通問題は、市場とか学界に任せておくべきであって、政府がどうしてもやるべきことなのかという視角もあります。他でもない「文学」翻訳院の存立根拠を問う質問でもありますが、翻訳の現代的な意味といいましょうか、そのような問題と関連してもう少しお話し下さい。
尹志寛 難しい質問ですが(笑)、まず翻訳がどうして重要なのかということです。本質的にはグローバリゼーションの時代になって、翻訳の大切さがほとんど質的に転換したと言えるほど大きくなったということから指摘したいと思います。グローバリゼーションというものが言語間の交流を頻繁化させながらも、中心言語への統合のようなことも同時に進めます。最近、世界語として待遇を受けている英語がその代表的なものです。このような現象が起きるようになれば、各民族語の位相は弱まる傾向ができて、その民族の言語が反映している文化の土台や新しい創造の動力のようなものが危機に瀕するでしょう。
私は一年ほど前に翻訳関連の学術大会で基調講演をして、画一化された英語に行くべきか、民族の多様性を生かす翻訳に行くべきかという選択の前に私たちが立っていると言ったことがありますが、実は翻訳がそのまま機能的な、あればいいけれど、なければまたそれでいいというような、そのようなものではなく、グローバリゼーションがもたらしうる画一的な文化、画一化された言語に対立する必須の媒介であると同時に力であると認識するべきでしょう。つまり英語の使用を強要するのではなく、民族語を生かしながらグローバリゼーションに対立しようとするならば、翻訳を育てて行くしかありません。それが民族文化の創造性を維持する方法でもあるからです。文学の翻訳が重要なのは、文学が民族語の達成した成就の核心だからです。私は韓国政府が国庫で文学翻訳を支援するには、翻訳の問題に対するこのような認識が土台になるべきだと思います。またあまりにも韓国文学の基盤が世界的に脆弱なので、市場や学界に全面的に任せるには時期尚早で、これらが本来の機能をするように支援するのが、現在としては非常に重要だと思います。
さきほど言ったカサノバ(Casanova)という理論家が民族文学の角逐・競争としての世界文学を話しましたが、もちろん私たちが国家的に文学翻訳を支援することも、民族国家の国際的な位相や、あるいは競争という目的や観念とつながる面が確かにあります。ですが一方では民族国家が必ず民族利己主義だけを追究すると考えるのは少し一面的だというのが私の考えで、実際に民族国家がこのようなグローバリゼーションの局面では局地的な要求と切実な生の問題を収斂し、状況を突破していく拠点になりうると思います。
韓国文学飜訳院という公共機関も、韓国文学の競争力を高めて文学作品を輸出したり、ノーベル文学賞を受賞して国の名前を上げたりすれば、他の商品を売るにも有利だとかいうそのような競争の目的、カサノバ(Casanova)的な意味での現実もあります。ですがそこに焦点をおくのではなく、世界文学をこれからどのような方向に構築していくべきか、韓国の創造的な成果をどのようにきちんと海外に出して、世界文学の地形図の変更に寄与すべきか、ゲーテ的に思考しながら対応すべきではないかと思います。
林洪培 おっしゃる通り、韓国文学の世界化は、単にこれまであまり知られてこなかった韓国文学を外の世界にも広く知らせようという消極的な主旨を越えて、韓国文学が韓国の局地的現実に対する独自の省察を通じて、世界的な問題意識の共有に特別な寄与をしようというものです。韓国文学がそのような意味で世界と疏通する多様な可能性を模索することこそ、依然として未完の課題として進行中の世界文学の理念を、今の時代の要求に合うように生かし発展させる道ではないかと思います。最後に一言申し上げれば、朝鮮半島に限定して考える時、南北の文学交流も持続的に発展させるべき重要な課題です。たとえば過去に東西ドイツが統一される前にかなり多くの東ドイツの作家が西で作品集を出して多くの読者を確保しましたし、後に作家の交流もかなり活発でした。私たちも公式の機構を通じて南北の文人交流を相当程度進捗させて来ましたが、作品交流は最近、洪錫中(ホン・ソクチュン)の『黄真伊(ファン・ジニ)』が万海(マネ)文学賞を受けた程度です。一、二の作家の作品しか紹介されていないほどに断絶されているということも、これから乗り越えるべき課題ではないかと思います。
長時間ありがとうございました。
訳=渡辺直紀
季刊 創作と批評 2007年 冬号(通卷138号)
2007年12月1日 発行
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