창작과 비평

[卷頭言] 「世宗市」論難に隠されたもの (2010 春)

李南周

 
 
庚寅年(2010年)が始まった。今年は、李明博政府が出帆してから政治的に最も重要な年である。2008年のキャンドル抗争、2009年の金大中・盧武鉉両前大統領の逝去とそれに対する哀悼など、去る2年間は多事多難であった。国民の偉大な力も再び確認することができた。しかし、李明博政府と議席数の優位を前面に出したハンナラ党の逆走を阻止することはできなかった。もはや国政の転換点をつくりだすことのできる貴重なチャンスが迫ってきている。6月の地方選挙がそれである。一方、新年初頭から世宗市論難が一波纔かに動いて万波随うといった状況になっている。この論難は、去る9月、政府が2005年に与野党合意で通過した行政複合都市(世宗市)案を修正するという意見を表明して始まったが、今年1月11日の修正案の発表によってよりいっそう加熱した。地域均衡発展という敏感な争点に与党側内部の権力闘争という要素まで加わったので、国民の耳目を集めるのは当然のことである。幸いに政府の強引なやり方に対する反発が拡散し、世宗市の原案を修正しようとする動力は漸次弱化している。安心するにはまだ早いが、これからは世宗市論難に隠されたものを考えなければならない時である。
与党側が世宗市論難を惹起することによって得る政治的効果、すなわちその他の失政に対する国民の関心を逸らすためにチャンスをみはからっていることを勘案すればなおさらである。世宗市修正案の国会通過が難しくなっても、それが国政運営に対する根本的反省へとつながることはないであろう。これまでの行動をみれば、「そうでなければいいけど」と言い逃れるか、新たな論難を惹起するおそれが大きい。その間、他の問題はより深刻な状態に展開されていると思われる。最近の一連の事態がそれを証明している。

世論の強い批判を無視して昨年の11月に着工した4大江事業の問題点が表面に浮かび上がっている。大規模の赤字財政を編成する中でも22兆ウォン以上の莫大な税金が投入される超大型国土改造事業をわずか5ヶ月間でマスタープランの作成と環境評価までを終え、直ちに水中の堰の建設工事を始めたこと自体が民主法治国家ではあり得ないことである。結局、去る2月初、洛東江達城堰の建設現場で汚染された堆積土が発見された。江の底に堆積している汚染物質を暴いて移すと、江は水質汚染に、陸地は土壌汚染に苦しむようになるという憂慮が現実化しつつあるのである。だからといって、この問題が4大江事業を全般的に再評価する契機にはなりがたく、論難を防ぐためにより素早く工事を進捗させる可能性も排除できない。無責任な政治家と建設業者らがともに行う「最後の晩餐」によって、国土の乳腺が断たれる危機にさらされているのである。事態がここまで深刻になったのには、4大江事業に対する最小限の事実報道も困難な言論環境を問題として指摘せざるを得ない。

昨年、拙速かつ強引なやり方で(かっぱらい)国会で通過されたメディア法は、その国会通過の手続き上の問題点が憲法裁判所の判決においても認められた。しかし、政府と与党側は何の解明や後続措置も行わず、メディア法を総合編成チャンネルの進出に死活をかけている保守言論に対する統制手段として活用し続けている。KBSとYTNを焦土と化させた放送掌握の試みも、今はMBCに火力を集中させ、終盤段階に入っている。これまでMBCを掌握するために使った手法は、便法、脱法、越権の「福袋」といっても過言ではない。検察を動員して「PD手帳」という番組の制作チームを起訴したが、刑事裁判1審で無罪判決が下された。青瓦台と新たに任命された放送文化振興会(MBC大株主)理事会の公然たる厳基永社長の退陣圧迫が順調に進まないと、放送文化振興会は主要役員の先任権を要求しながら、事実上直轄統治を試みる新しいカードを取り出し、ついに社長の辞退へとつながった。もはや放送掌握の陰謀を阻止するための前面戦を避けることはできなくなったのである。

問題はこの二つに止まらない。富裕層の減税は維持したまま、貧困層の支援のための福祉予算は縮小し、司法部の判決に理念的な攻勢をかけるなど、決して傍観できない事態が頻発している。深刻性が増していくこれらの問題を解決するために、頼れるところは国民の力しかない。まず4大江事業による国土破壊と環境汚染、放送掌握の陰謀、反対勢力への弾圧などの急事に対して政治界と市民社会との共同対応を急がなければならない。何よりも重要なのは、それらの力を結集し、来る地方選挙においてMB政府の失政を必ず審判することである。この機会を逃す場合、今後少なくとも2年間はこれまでの状況が繰り返され、その間韓国社会の退行がどこまで進むかわからない。一方、地方選挙の結果によっては、政府の逆走を阻止し、韓国社会を肯定的な方向へ進展させる契機をつくることができる。どの道を選択するかは明確である。

したがって、進歩改革側の内で地方選挙の勝利のための選挙連合の論議が活発に行われているのは当然のことである。しかし、我々は政界がより奮発するように要請する。第一野党であり、かつ受権政党を自任する民主党は、選挙連合を実現させなければならない一次的責任がある。他の政治勢力も反MB連帯と地方選挙の勝利を迂回して何らかの進展を成せるという幻想を持ってはいけず、現実的方案を考えて選挙連合に積極的に臨まなければならない。国民の意思と意志はキャンドル抗争以降何回かの再補欠選挙においてすでに確認された。今は、政界と市民社会がその思いを理解し、受け継いでいく時である。このような努力に対して、国民は必ず自分たちの偉大な力を見せることで応えると思われる。

「3大危機を乗り越え、3大危機論を乗り越えて」を掲げた今号の特集は、韓国社会が直面している危機を分析し、これを克服するための方策を提示する。3大危機論は、現在、韓国社会の総体的危機を説明するフレームとして広く使われている。今回の特集は、その危機の様相を説明するのに止まらず、危機の根源を分析し、それを克服する方法を探索するとともに、3大危機論自体の限界を乗り越えようとする理論的模索である。

金鍾曄は、現在の危機の核心を民主的法治国家の危機として把握し、この危機が道徳の危機へ転化し、道徳の危機は再び民主的福祉国家への進展に必要な社会的連帯性を破壊するメカニズムを探求する。そして民主的法治国家を守ることこそ道徳の危機を防ぎ、民主的福祉国家への進展を保障するための実践であることを主張する。李南周は、民主主義の危機を克服するためには政治連合が必須的であるという点を強調する。とりわけ政治連合が進歩改革勢力すべての相生する道であり、そのために変革的中道主義の精神と知恵を発揮する必要性があるという点を重点的に説明する。

田炳裕は、李明博政府の減税政策と4大江事業が現在の危機を解決するというより、問題を累積させていると論証している。田氏は、民生危機を克服するためには再分配政策と福祉政策の強化だけでは難しく、雇用と市場における分配構造に焦点を当てて福祉領域から脱落する人々を減らす政策がともに推進されなければならないと提案する。白樂晴(ペク・ラクチョン)は、2000年6・15南北首脳会談以後の成果(包容政策1.0)に対する様々批判(連邦制論難、一方的支援論難等)を、非常に説得力をもって反駁しつつ、これに止まらず、既存の包容政策に対しても根本的な問題提起を行う。「包容政策2.0バージョン」はまったく新しい次元の統一政策であり、民主改革戦略の一部とならなければならないということである。その核心は、分断体制の克服のための南北連合建設を明確に掲げ、統一過程における市民参加を画期的に強化することであるが、この論文においてその必要性と可能性が詳細に説明される。

今号の「論壇と現場」も他の誌面では接しがたい新しい視角と論争を提供する。金興圭は、去る秋号において新羅の三国統一についての解釈をめぐって問題を提起したことに引き続き、近代文学研究へと論争を拡大する。韓国近代文学の形成と展開を植民地時代の従属的回路の中でのみとらえる一連の傾向を批判し、植民主義と被植民地の関係を動態的に把握する言説が必要であると主張する。レベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)の訳文は、ハイチで発生した災難に対するアメリカの主流言論の報道態度を鋭く批判する。このような報道が、韓国政府がハイチに平和維持軍を派遣することにした決定にも影響を及ぼしたという点から、それがより実感できる。最近のパレスタイン社会の雰囲気と現地の文学者とを一緒にスケッチする金南一の文学紀行も、紛争現場の内外を捕捉しており、思考する楽しさと読む楽しさを同時に提供する。なお、本誌は、2010年に「○十周年」という年を迎える多くの歴史的事件を新たな視角からとらえ直す論文を連続企画の形で掲載する予定である。そのスタートを切る鄭根埴の論文は、競争と対立の観点によって再生産されてきた朝鮮戦争の記憶を、戦争写真という媒体分析を通して未来志向的疏通と理解の観点へと切り替える可能性を探索する。次号に続く4・19革命、5・18民衆化運動等に関する後続企画も期待していただきたい。

今号の「対話」は、小説家、インターネット論客、学生会長、雑誌社の編集記者など多様な分野において活動する20代が自己世代について話し合う場として飾った。彼らは、とくに外部から与えられた様々なイメージや世代言説を拒否し、青年世代の文化と政治についての生々しい話を交わす。

「文学評論」では、最近燕巖・朴趾源に関する研究や出版熱気を契機に、燕巖文学が新たに注目されるようになった理由やその翻訳書の意義を、説得力をもって叙述する宋載卲の論文と、去る1年間文壇の最も大きな関心事として定着した「詩と政治」論議を批判的に点検する申亨澈の論文が掲載された。申亨澈は、今日の詩人の欲望と批評の任務について根本的な問いを投げかけながら、批評がテキストの美学的な部分だけではなく、政治学的なもの、さらに政治的なものまで読み取らなければならないと主張する。

文壇に話題を集めている創批の長編連載は、中堅作家の孔善玉が受け継ぐ。今回の小説においても作家特有の暖かい視線と闊達な描写が強烈な社会意識と結合して、貧しいものの、根気強く生きていく今日の人間群像をリアルに描き出す。昨年、萬海文学賞を受賞し、作品の世界がより深まっている孔善玉の今回の連載に大きな声援を送っていただきたい。朴玟奎、金柳眞、具竝模等の個性の強い短編小説とともに、中堅と新鋭の作品が一緒に載った豊かな「詩」欄も注目できる。なお、今号からは「散文」欄が新設され、映画制作者でありながら、かつ弁護士でもある趙光熙が読者を訪ねる。すでに創批週刊論評の文化コラムにおいて魅力的な筆致を見せたことのある同氏が、内密な自己省察と鋭い社会批評を一緒に披露している。

今回韓国文学の成就を集中的に検討する「文学焦点」や「視線と視線」、人文社会科学分野の話題作を広く検討する「寸評」の楽しさも相変わらずである。大学生の文士らの登竜門となっている大山大学文学賞第8回受賞作にも大きな関心を寄せていただきたい。

内外の試練や苦難の中でも、必ず新春は訪れる。読者の皆様のご健勝をお祈りし、皆様と常にともにする創批になれるよう努力いたします。

 

翻訳:李正連(イ・ジョンヨン)

季刊 創作と批評 2010年 春号(通卷147号)
2010年 3月1日 発行
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