[卷頭言] 天安艦事件が悟らせる真実(2010 夏)
白智延
天安艦沈没事件が起こってからいつの間にか四十日あまりが過ぎた。深い悲しみと哀悼の中で告別式が行われた後にも事件の真相は明らかになっていない。去る3月26日の夜、白翎島の近くで作戦を遂行していた海軍の哨戒艦、天安艦は急に通信が途切れたまま沈没した。船が真っ二つに割れ、艦尾と艦首が次々と深い海の中へ沈み、将兵のうち46人は私たちのもとへ帰ってくることはできなかった。家族の顔を思い出したり、恋人からの愛情の電話を待っていたはずの、あるいは疲れる一日の日課を終え、眠りに入ろうとしていたはずの将兵たちの平凡な日常は、何の予告もなく残酷に破壊されたのである。
天安艦の沈没は、政府の危機対応能力の不在がいかに大きな悲劇を招くかを鮮明に見せてくれた事件である。事件発生初期、軍と政府の情報独占と、不実で一貫性のない発表は、疑惑と不信をもたらした。一部の保守言論と現政権を含む既得権者らは立証されてない攻撃勢力を仮定したシナリオを早くから流布してきた。どの空想科学映画でも見られない奇想天外な内容で綴られた仮想の叙事が連日バージョンを変えながら言論の紙面を飾った。
事件の原因を伏せたまま、危機と安保を強調する話は実体のない敵に向けた応懲と報復を決め、念を押す。真実は彼方へ放り投げ、加害者の存在を想像し、それに対する国民の敵愾心を煽ることにすべての話が集中されている。6月2日の地方選挙を据えている今、政権と保守世論は天安艦関連のシナリオを通して、政治現実の中で浮き彫りにされなければならない熱い争点を、公論の場から追い出すところに力を注いでいる。
追い出されている政治的懸案の中、代表的な事例は検察非理とMBC(文化放送)ストライキ、そして4大江事業である。前総理に対する捜査権の濫用から始まった検察の横暴は、スポンサー検事波紋を収拾する過程で絶頂に達した。非理を取材する放送関係者までを脅迫する検察の大胆な行動は公権力の濫用と道徳性の麻痺を赤裸々に現した。言論弾圧に立ち向かって創立以来最大規模の記名声明と長期ストライキを宣言し、18年ぶりに起きたMBCストライキも正しく明らかにされない重要な事案である。法と手続きを無視しながら推進されている4大江事業はどうであろうか。文化と生態を破壊し、税金を浪費する大規模の土木事業に対して各界各層から批判の声が高いが、政府は微動だにしない。安保メカニズムを動員した各種の憶測と事実の操作は公権力の濫用と不法の事例を隠して政治的争点を隠蔽する積極的手段として活用されている。
天安艦事件をめぐるシナリオが隠そうとする政治的懸案を一つずつ思い浮かべば思い浮かぶほど、来る地方選挙がいかに重要であるかが改めて実感できる。検察改革と言論の自由及び国土環境の保全を含めて、個々人の生活が人間らしく営為されるために解決されなければならない政治的課題に対する切実な悩みがこの地点で求められる。また、無償給食論争で具体化された国民福祉の問題、全国教職員労働組合(全教組)の教員名簿の公開と教員評価制の導入が惹起する教育現場の問題は日常の現場において実感できる政治懸案である。このような問題は、地域ガバナンスの合理的公正を通して望ましい方向へ解決していける可能性を持っている。実際、今回の地方選挙において「4大江事業の中断」と「無償給食の実現」は有権者主導の地域ガバナンスの構成を可能にする核心的な事案である。このように社会構成員の積極的な参加を基盤にして成立される地域ガバナンスの構成と改革は、実質的民主主義と福祉問題を追求していける動力である。
客観的な情勢判断を基にした有権者の積極的な政治参加とともに、今回の地方選挙において重要なのが進歩改革勢力の政治的進出である。簡単ではない過程であるが、進歩改革勢力が実現しなければならない政治連合は、短期的な選挙戦略を超え、包括的に構想される必要がある。進歩改革勢力の政治連合は、民主主義の実現という中長期的展望を成就するために持続的に推進されなければならない課題である。同時に政治連合の問題は、韓国社会を制約している分断体制の認識とその克服という総体的な視野を確保する時に、説得力を持つことができる。個人が実感する実質的民主主義と福祉の拡張も、分断体制を克服する問題と切り離して考えることができない。今回の天安艦事件だけをみても、分断体制の制約が政治的にいかに作用したかを確然と見せる事例ではないか。
凄惨な姿で引き上げられた天安艦の巨大な艦尾は、歪曲された政治現実の中で実体を失くした我が社会の空っぽの象徴のように映る。事件の究明を後回しにした現在の奇異な状況は、私たちに対して、それが必死に隠している窮極的な真実が何であるかを深刻に問い返す。韓国社会が置かれている真の危機が何であるか、そしてそれを解決する方式がどのように模索されなければならないかを天安艦事件以後の政局が悟らせているのである。
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今号の特集は、「文学の政治性を問い直す」である。特集に掲載された4本の論文は、これまで評壇において活発に取り上げられてきた文学と政治に関する論議を振り返り、これを生産的な問題提起として深化させようとする意欲をみせる。各々の論文は実際的な作品に対する深度ある解釈を基にし、文学が現実と結ぶ関係について鋭角化された論議を引き出している。一昨年本誌において詩と政治の問題に対する批評的議論を触発した陳恩英は、今回の論文で金洙暎を中心に他律性に関連する美学的自律性の意味を新しく探求する。文学の場と政治の場とをかき混ぜることによって、感覚的なものの頑強な境界を乗り越える美学的自律性の事例が、金洙暎を通して鮮明にされる。鄭弘樹は、小説の歴史に刻まれたリアリズムの志向を喚起しながら、現実と創造的に交渉する小説の美学的経路を探索する。彼は、発火しない政治性、敵対と侮辱の人間学、反美学の美学というテーマの中で、金衍洙と権汝宣、孔善玉の作品がみせる政治性の層位を細心に分析する。権熙哲は、キャンドル抗争が暗示する「疏通的空っぽさの可能性」に積極的な意味を与えながら、「どのアイデンティティにも帰属されない存在」の出現という脈絡から黄貞殷と片惠英の作品を評価する。柳熙錫は、植民地近代の克服を話頭にして、韓国の近代小説研究の慣行に対する批判的な論議を試みる。植民地状況の中で西欧近代と衝突して行われた叙事様式の変化を探求したブラジルの批評家・シュバルス(Roberto Schwarz)の文学論と廉想渉の『三代』とを論じている点が注目される。
特集とともに、「評論」も、文学が現実と関わる地点を多様な側面から検討している。まず、高銀の『萬人譜』の完成を記念し、それまでの詩の歩みを詳細に検討した廉武雄の論文がある。『萬人譜』に表れた叙事詩的衝動から始まった独特でありながらも野心的な実験に注目したこの論文とともに、高銀詩人自身が執筆の所懐を明かす真率な散文もご紹介する。東アジア論の創発(emergence)的構想と実践を強調する脈絡から安重根の思想と作品を細密に検討した崔元植の論文と、青少年文学の成果を深く分析した呉世蘭の論文も有益な思惟のネタを提供する。「文学焦点」には、崔勝子の詩集評を含めて現在の文学の流れを圧縮的に診断する批評を載せた。
特集と評論に続き、「創作」欄の作品も今季の豊富な読み物である。「詩」欄は、金泰亨から黄圭官にいたる9人の詩人が多彩な詩的個性で同欄を飾ってくれた。「小説」欄では孔善玉と金愛爛の長編連載と、李ホンの短編が読者を迎える。前回に続き、2回目となる孔善玉の小説は生き生きとした話術と興味を増していく叙事的展開で視線を引き止める。今号から金愛蘭の小説の連載が新しく始まり、誌面をより豊かにしている。若い世代の溌剌として、かつ暖かい感受性をみせる金作家の初めての長編連載に大きな激励と関心をお願いしたい。連載2回目を迎えている弁護士でありながら、かつ映画製作者でもある趙光熙の散文も率直で吸引力ある筆致をもって読者の皆様を訪れる。
今号の「対話」は、「韓日併合」100周年を迎えて新しい韓日関係の道を模索しようとする意図から企画された。日本主流勢力の代表的な知識人としてあげられる寺島実郎と本誌の編集主幹である白永瑞が、日本と韓国の政治現実を行き来する幅広い話を交わす。寺島は政権交代を成し遂げた日本民主党の志向と限界を鋭く指摘しながら、寺島本人の独特な発想である「親米入亜」と東アジア共同体構想について語る。日本の懸案である駐日米軍問題に対する彼の構想は、米軍基地と北朝鮮の核問題を抱えている私たちの共感も確保し、東アジアの平和と共生の時代を創出することのできる可能性について冷静に考えるようにさせる。
「論壇と現場」では、前号に引き続き、韓国史の見直し連続企画として構成された洪錫律と韓洪九の論文は、2010年の現時点で4・19と5・18の意味を新たに再検討している。洪錫律は、韓国近代史において近代化論と成長主義が地域開発論理として内在化する過程を明らかにしながら、分断と地域対決下の民主抗争と韓国政治とを関連させる幅広い視点を披露する。韓洪九は、韓国の民主化運動史において独歩の規定力をもつ80年の光州体験とそれが残した死の意味を分析しながら光州を記憶した人々の人生と理念の闘争に対する叙事を興味深く追跡していく。日本歴史学界の近世史研究を支配してきた近代化パラダイムを批判的に検討した宮嶋博史の論文は、「対話」欄のテーマとつながり、歴史問題に対するより深い理解を提供する。一緒に載せるようになった「韓国併合100年に際した韓日知識人共同声明」は、韓国と日本の知識人200余名が、1910年に締結された「韓国併合条約」が源泉無効であることを宣言する内容を盛り込んでいる。貴重な史料となるであろう。その他にも環境専門著述家のビル・マッキベン(Bill McKibben)の論文は、気候変化科学を拒否するアメリカ社会の政治的動向を鋭く分析した論文として注目できる。
これまで「視線と視線」では文学と社会科学分野を行き来しながら、興味深い争点を産み出してきた。今回は「ダイナミックな福祉国家論」をテーマにして、申東勉と金大鎬がそれぞれ異なる立場から評した論文を送ってくれた。人文社会諸分野の重要な新刊を総合する「寸評」は毎回多大な努力を費やして企画される欄である。誠意を込めた論文を送ってくださった筆者の方々のおかげで、良い本を幅広く紹介する機会を持てるようになった。「読者の声」に投稿された方々とともに、今号に参加されたすべての筆者の皆様にこの紙面を借りて深くお礼を申し上げる。なお、今号から編集委員会に都鍾煥詩人が合流するようになったこともお知らせする。新しい力をいただき、よりいっそう活力をもって時代の課題に応えていくことをお約束する。
季刊 創作と批評 2010年 夏号(通卷148号)
2010年 6月1日 発行