창작과 비평

[卷頭言] 6・2地方選挙以後の韓半島の情勢(2010 秋)

柳熙錫(ユ・ヒソク)

 

 

 

15年ぶりに最高の投票率(54.5%)を記録した6・2地方選挙は、民主党をはじめとする汎野党陣営の完勝で終わった。87年6月抗争以後成し遂げてきたすべての民主主義的成果が崩れていることを、去る2年半の間、市民が生々しく実感していたところであったため、変化の熱望の反映された全国レベルの勝利といってもよかった。それまでの失政に相当するほどの政治的打撃が政府と与党に与えられた一方、力を合わせれば、李明博政府の独走を制御できるという力が野党陣営に乗せられたからである。
しかし、民心が野党の手をどれくらい確実に挙げてくれたかについては、もっと考えてみる必要がある。野党陣営の単一候補が全員苦杯を飲んだ7・28再補欠選挙の惨敗のためだけではない。再補欠選挙のみすぼらしい成績表は、6・2地方選挙の圧勝と李明博政権の連続の悪災に安易に頼ってしまった民主党指導部が受けて当然のものであった。韓国政治史上初めての政治連合実験に臨んだ民主党のそれまでの行跡も、野党陣営の長男としては信頼できるものではなかったのである。ところが、民主党のそうした問題と他の野党の複雑な内部事情にも関わらず、連合の成果があったが故に一次元高い野党陣営連帯の希望を抱く契機となった。

政治連合実験を新たに再稼働して、代案勢力を作り出さなければならない民主改革陣営の責務がより重くなったのもそのためである。それでは、選挙以後、果たして何が実際に変わっており、変わらなければならないのか。代議制民主主義の核心は三権分立と1人1票の選挙制度である。多数決原則によって票を少なくもらった側が多く獲得した側に承伏するが、牽制と均衡の原理が作動する中で為政者が民心を政治懸案に反映しようと努力するのが民主政治の基本である。にもかかわらず、外交・統一・安保ラインをすべて留任させた8・8改閣が端的に見せているように、李明博政府は民心との効果のない戦争を諦める意思がないようにみえる。

このように平穏な日のない政治現実であるが、これから総選挙と大統領選挙が行われる2012年までの局面こそ最も非常なる覚悟が必要な峠である。何より哨戒艦(天安艦)事態を契機に、李明博政府の内治(内政-訳者注)問題が南北関係及び外治(外交・国防-訳者注)の危機へと進展した兆候が各所で感知される。このような時こそ内部的には「天安艦」の事実関係から糾明することが重要である。あらゆる科学的疑惑が解消されるどころか、操作の疑いまで提起される現時点において合同調査団の「中間発表」(5月20日)及び李明博大統領の対国民談話(5月24日)の形式や内容を復碁(再検討)し、いわゆる天安艦外交ということの実状を覗いてみると、大韓民国の憲政秩序が健在であるかさえ疑わしくなる。

天安艦の日誌で注目する点は、李明博政府の態度変化も変化であるが、この事件を見るアメリカと中国の視点が初めから違っていたという事実である。天安艦事件を北朝鮮の素行にしながら国際社会の「承認」を得ようとする外交が無惨に失敗したのも、他でもなく、そのような状況に対する認識が不足していたからである。その過程において明らかになった韓国政府の対米依存は同盟関係という言葉が恥ずかしいほどであった。世の中にただのものはない。すでに依存の対価はいろいろな様相で現れている。アメリカが露骨に差し出す韓米FTA再交渉カードもそうであり、アメリカの独自的「イラン制裁」に韓国政府が賛同することを圧迫しているのもそうである。それによって、予想される経済損失はいうまでもなく、より危惧される点は南北関係の破綻と連動された、すでに危険水位に達した北東アジアの緊張である。李明博政府が戦時作戦統制権の転換を延期し、東海(日本海-訳者注)上で「不屈の意志」という韓米連合訓練を実施して北朝鮮と中国を不要に刺激し、アメリカはアメリカなりに航空母艦の西海進出を公言するなど、韓半島と北東アジアの平和を真正面から否定する口実として「天安艦」が拡大再生産されているのである。

そうであればあるほど、当然事件の真相究明に関しては、科学精神に基づいた調査と私心のない判断が何より優先されなければならない。ところが、より重要な課題は、現政権が天安艦政局を梃子にして深刻にさせた南北関係の危機を制御し、6・15南北共同宣言の精神とそれに相応する対北政策の布石をもう少し長い目で構想することである。アメリカをはじめ、北東アジア強大国の先鋭な利害関係の中で南北の自滅的緊張が増幅されているため、包容政策も文字通り「多元高次方程式」の解法でなければ進めることができない。

そのような脈絡から考えても、天安艦事態をめぐって態度が分かれる米日-中ロの動きを注視ながら、その動きから韓半島の分断に介入した外部勢力の働きを読み取る歴史学習が緊切である。なお、韓米軍事訓練によって惹起された緊張に真っ向から対抗する北朝鮮に対しては批判をしつつも、天安艦事態を口実にして冷戦時代の韓米同盟へ戻ろうとする現政権の時代錯誤の行為に対しても市民社会は警鐘を鳴らさなければならない。

我が国民は、権力が専横を行う度に街へ出ていき、故障した代議制民主主義を修理してきた。そのような街の民主主義は韓国近代史の傷であると同時に誇りである。ところが、いまは路上の修理技術もいっそう複雑になった。現実というものが、一旦止めておいて修理する時計修理工の時計と同じであれば、いかに簡単であろうか。高度に発展し、多様化した社会であればあるほど、壊れた現実であっても各自の生活台で最大限充実に暮らしながら修理作業をしなければならないのである。6・2地方選挙や7・28再補欠選挙で明らかになった「一貫した」民心もそのような知恵を求めており、民心に順応し、常識を信頼する人々の日常から韓半島停戦体制の終息と北東アジアの平和の動力を見つけ出す知恵のガバナンスこそ今日の話頭といえよう。

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今号の特集テーマを「李明博時代の返還点、ガバナンスの危機」と掲げたのも、基本的にそのような趣旨からである。天安艦政局に対する分析とガバナンス概念の再検討を広く扱う総論とともに、我が社会において「協治」が切実に求められる地方ガバナンスの活性化問題、また方向を失った4大江事業の実体と可能な代案、無限競争をモットーとする教育現場の危機診断と学校革新戦略等を深く描き出そうとした。
李南周は、総論として天安艦政局が単純な一過性の事件ではなく、分断体制の制約が表出される典型的な事例であることを李明博政府の国政危機の様相を通して論じる。「天安艦」が現政府の保守的統治と民主的ガバナンスの不調和を伏せるための手段として動員される過程において、どのように「例外状態」が統治危機を糊塗するのに活用されるかを分析する。反新自由主義路線と相反されない反MB戦略を新たに錬りあげ、国家ガバナンスと地方ガバナンスとの相生方案を求めていく論争的分析は注目できる。朴仁圭(パク・インギュ)は6・2地方選挙を振り返りながら、地方分権を阻害する要因として中央集権的政治及び行政構造と地方政府の問題点を指摘する。今回の地方選挙の核心的戦略の一つだった共同地方政府を、2012年を展望しながら具体化するのによい刺激を与える論文である。朴昌根(パク・チャングン)は、4大江事業の概要を点検しながら、李明博政府が公言する事業の趣旨がいかに不実なものかを論じる。4大江反対の声は新しいものではないが、個別工事の現況及びその乱脈な状況を指摘しながら、望ましい河川管理方案まで具体的に導き出している点が特徴である。成烈冠(ソン・ヨルグァン)は、今回の地方選挙で躍進した、いわゆる進歩的な教育長らの公約である「革新学校」ビジョンを細密に検討し、新自由主義的教育改革パラダイムを克服するための学校革新の課題を提起する。教育こそガバナンスの基礎インフラであることを認識しているのであれば、責任教育の共同体をつくるための提案にも耳を傾ける価値がある。

ガバナンスをキーワードとして掲げた特集と関連して推薦したい論文は、シーラ・ジャサノフ(Sheila Jasanoff)の翻訳論文である。科学技術の発展による危険性の増加という近代的現象を制御するために、どのように専門家の知識と一般市民の常識を集めて代案をつくることができるかを探索する。4大江事業の無謀さを省察するにもよい参考となるだろう。対話「福祉国家は進歩の代案か」も我が社会の新しいガバナンス構想と無関係ではない。1997年IMF通話危機事態以後、本格的に深刻となった格差(二極化)が韓国社会全体へ広がり、すべての人々が福祉問題を今日の緊急な懸案問題として実感するようになった。 李兌洙(イ・テス)・金淵明(キム・ヨンミョン)・安秉鎭(アン・ビョンジン)・李日榮 (イ・イルヨン)の4人の討論は、韓半島レベルの福祉戦略についても考えさせる。

「論壇と現場」にも注目していただきたい。哨戒艦(天安艦)事件の民軍合同調査団の調査結果がいかに不実であるかを科学的に検証した徐載晶(ソ・ゼジョン)・李承憲 (イ・スンホン)は、今回の事件に対する政府発表の誤謬を詳細に明らかにすることによって、我々がこの事件をどのように理解すべきかについて非常に重要な示唆を与える。韓国史100年を振り返る連続企画第3回目の鄭鉉坤(チョン・ヒョンゴン)の論文は、タイトル通り「6・15共同宣言10年を読む」ことである。去る10年間の簡単ではなかった南北関係の現況を事細かく点検しながら、「過程としての統一」を成し遂げる新たな市民主体の発見を力説する。

「創作欄」と「批評欄」も豊富である。まず、若い詩壇の風向を推測させる新鋭の詩人の特集が用意されている。それぞれ連載3回目と2回目になる孔善玉(コン・ソンオク)と金愛爛(キム・エラン)の長編も回を重ねる度に、作家的個性が確然と表れて興味を増しており、チョン・ミョングァンの短編も疲れる現代人のむなしい日常をよく表している。また、白楽晴のリアリズム論の軌跡を精密に検討し、批評の新しい方向を模索する 柳浚弼(リュ・ジュンピル)は、これまで我が評壇において誤解と没理解の少なくなかったリアリズムの面貌を明らかにしている。前号の特集の問題意識を受け、文学の新しさと小説の政治性を、作品を前にして具体的に再論した韓基煜の論文、また高炯烈(コ・ヒョンリョル)、李楨錄(イ・ジョンロク)、崔勝鎬 (チェ・スンホ)の最近作を詳細に検討しながら、詩と政治論争にも助言を加える高奉準の論文も韓国批評の最前線に立って問題を提起する。また黄晳暎の新作『江南夢』を文学評論家と社会学者の目線から検討した白智延(ペク・ジヨン)・金白永 (キム・ペクヨン)の評論も興味深い読み物であり、趙光熙(チョ・グァンヒ)の連載散文は映画を通して人生と芸術という古典的テーマをだれでも共感できるように書いたものである。

林奎燦(イム・ギュチャン)、車炳直(チャ・ビョンジク)、張會翼(チャン・フェイク)等12人の筆者が参加した文学焦点と寸評、文化評は短いが、いつも大きく精根をうちこむコーナーである。筆者の方々に格別にお礼を申し上げる。また読者の皆様に良書を推薦する気持ちで、萬海文学賞と申東曄創作賞の受賞作を発表することになり、嬉しく思う。萬海文学賞の共同受賞者として選ばれた姜萬吉(カン・マンギル)、朴炯圭(パク・ヒョンギュ)、愼洪範(シン・ホンボム)先生と、申東曄創作賞を受賞することになった安賢美(アン・ヒョンミ)詩人に心からお祝いを申し上げる。

なお、今号から詩と評論とを行き来しながら、文壇に新風を吹き込んで注目されてきたチン・ウニョン(진은영)詩人が編集委員会に参加することになったことをご報告する。

地方選挙で勝利したものの、依然としてすっきりした気分を味わえないのが今日の政治現実である。ところが、晴朗な秋を待ちながら、読者の皆様にも新鮮な風が届きますようにお祈りし、時代の先を歩きながらも、昨日の足跡を忘れない創批になることをお約束する次第である。

 

翻訳 = 李正連(イ・ジョンョン)

季刊 創作と批評 2010年 秋号(通卷149号)
2010年 9月1日 発行 

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