[巻頭言] 連合政治の進化を通して2012年を準備せよ(2011 夏)
李南周
トンネルの終わりが見える。李明博政府の任期が折り返し地点を回り、終着点に向かって走っている。李明博政府の登場を進歩改革時代の終息や保守覇権時代の到来としてとらえていた人が多かった。当時、進歩内の混乱と相次ぐ選挙敗北を考慮すれば無理でもない。しかし、李明博政府が「盗賊政治(kleptocracy)的行動を繰り返し、民心の離反をもたらすことにより、任期5年が守旧保守の墓になり得る状況が展開されている。
現政府が退くからといって、新しい時代が自ずと切り拓かれるのではない。トンネルの終わりが見えるといえるのは、政治社会の全般的な退行にもかかわらず、国民が新しい希望をつくってくれたからである。1年前に行われた地方選挙で、国民はすでに李明博政府を審判し、野党陣営の連帯を支持した。去る4月の再補欠選挙でも、野党は与党の支持基盤が強い地域でも勝利した。最近発表された世論調査によれば、来年の総選挙で野党陣営を支持したいと答えた有権者の割合が、与党を支持したいと答えたものより遥かに高い。
李明博政府を反対する政治勢力が一緒に連合政治という新しい地平を切り拓いたから、できた変化である。地方選挙以前には進歩改革勢力内に敗北主義が蔓延していた。2008年総選挙における敗北の記憶も消えておらず、野党は新しい人物も、斬新な政策も打ち出していなかった。このような状況が2012年まで改善される可能性はないという自嘲も少なくなかった。しかし、国民の考えは違った。いま李明博政府の退行的行動が審判できないと、2012年以後の未来もないというのが、曲折の多い政治史を生きてきた彼らの実感であった。その時、連合政治が、国民が自分たちの考えを表出することができるようにした誘い水となった。有権者は、連合政治を野党陣営が支離滅裂な状態を克服し、守旧保守の覇権に挑戦するための変化として認め、それに支持を贈ってくれたのである。
しかし、これまでの連合政治は完璧な成功ともいえず、また短期的な成果で連合政治が完成されるわけでもない。いまや連合政治は既存政党の既得権強化ではなく、新しい政治的希望を創る方向に進化しなければならない。4・27再補欠選挙の前後に、野党陣営内の少数政党は連合政治内で自分たちの既得権を維持するための道を探し求めており、多数党は連合政治を当面の危機から脱出できる手段としてしかとらえないという問題点がみられた。連合政治が成功の逆説に直面するのではないかという不安も消すことができない。連合政治は制限された分け前を分けるための競争ではなく、パイを大きくし、その中で皆が成長できる協力ゲームにならなければ発展し続けることはできない。
したがって、連合政治の次の目標は、2012年総選挙での勝利、それも単純な勝利ではなく、圧倒的勝利である。すでに地方選挙と再補欠選挙がその可能性を見せてくれた。その可能性を現実化する過程において国民の支持を得られる新たな政策と人物が現れれば、2012年政権交代の可能性がいっそう高まるであろう。総選挙の圧倒的勝利が持つ意味はこれに止まらない。2012年の政権交代は単に手続き的民主主義が作動するということを確認する場ではなく、韓国内の改革が実を結び、分断体制の克服のための大きな流れをつくる転機とならなければならない。ところが、去る十数年間経験してきたように、このような変化に対する守旧保守の反発が少ないと思われる。それ故、総選挙において圧倒的勝利を収め、改革が中途半断されず、実質的変化につながるようにする力をつくらなければならない。
総選挙の圧倒的勝利のためには、何より野党内で統合の流れを強化しなければならない。現在の破片化された政党構図では候補単一化方式の連帯は難しい。政党公薦(政党が公式に候補者を立てること―訳者注)における利害関係の調整にとらわれてしまうと、新しい勢力が進出する機会も消えてしまう。したがって、理念と根源が類似している政党、政治勢力がまず統合しながら、連合政治の新たな動力をつくり出さなければならない。このような小統合を通して政治に活力を吹き込むことのできる勢力の参加を誘導し、候補単一化の困難さを軽減させることができるのである。
連合政治の進化のもう一つのカギは、新しい受権(選挙により政権を継ぐこと―訳者注)主体を形成することである。2012年総選挙の勝利と政権交代が真の変化の契機となるためには、その変化を主導する主体勢力が必要である。李明博政府とハンナラ党(与党)に反対するすべての政治勢力が一つの政党に統合され、受権主体になればよいが、一部でも根本的変革を使命としてとらえ、独自政党の必要性を主張してしまうと、非現実的発想になりかねない。とはいえ、現在の民主党だけで守旧保守の反発を克服し、改革を完遂する主体を形成できるとも言い難い。それゆえ、政党間連合の課題はその都度状況に合う適切な方法で解決していっても、これとは別途により幅広い統合を実現し、統合的受権政党を建設する課題が提起されているのである。
統合的受権政党が建設されれば、総選挙で圧倒的に勝利できる可能性が画期的に高まり、連合政治もより効率的に作動させることができる。そのためには受権という位置に最も近く接近している民主党が政策政綱や政党運営方式等を画期的に革新することが必要である。名分を掲げるのではなく、自ら変化し、信頼を得なければ、統合の幅を広げることはできない。同時に、我が社会に山積している課題を解決するためにはより統合された力が必要であると考える勢力が、統合的受権政党の建設にいっそう積極的に取り組み、民主党の変化も導き出すことができる知恵を発揮しなければならない。
今年に入ってから国内の事情も簡単ではないが、世界的レベルで尋常でない変化が相次いでいる。北アフリカ及びアラブ圏を揺るがした市民革命の余波がどこまで及ぼすかはまだ予想し難く、日本の福島原発事故は生活方式の根本的変化を求めている。このような事情を鑑みれば、2012年の選挙が政治勢力の交代に止まるのではなく、韓半島と世界的レベルの変化に対応する新しい主体をつくり出す過程にならなければならないということがより切実になる。大いなる夢を抱き、自己革新と連帯の精神を堅持すれば、我々は2013年を平和、福祉、民主に向けて新たに出発する転換点とし、内外の挑戦に能動的に対応することができると思われる。
今号の特集は、「2010年代の韓国文学のために 2」である。昨年冬号特集の後続として、当時提起された問題意識を受け継ぐと同時に、韓国文学が直面している新しい争点や課題を幅広く論じる。
韓基煜は、韓国小説の将来を懐疑する評者の立場を緻密に考察しながら、彼らの断絶論的な近代文学史認識と長編小説不可能論の根拠を批判的に検討する。長編小説の可能性、長編小説とジャンル文学の関係等、現段階の小説批評の主な争点に関する論議が、具体的な作品評価と西欧文学の様式に対する興味深い討論へとつながる。白智延は、不安の時代に対応する文学の疎通的想像力に注目しながら、権汝宣、尹成姫、金美月の作品を分析する。個別性を保存しつつも、自身の中に潜在している関係性を発現する能動的個人の意味とともに、近代的共同体の各種の範疇を批判的に省察させる想像的共同体の意味を集中的に分析する。沈甫宣は、2000年代の詩と詩批評で展開されてきた「文学と政治」論議を、現在の文学制度の持つ伝統的分割線の解体という争点へ導いていく。「無知な詩人になること」という挑発的言明を通して、創作行為に内在している感性的力量の平等と民主主義問題を提起する。
今年の本誌の主な企画の一つとして、中堅作家・殷熙耕の長編小説を連載する。この間話題を呼んだ本誌の長編連載の声価を引き継ぎ、読者の皆様の関心に応えられると期待する。なお、尹大寧、金度延、金異説の短編がそれぞれ個性のある世界を披露する。「詩」欄にも多様な世代や傾向の詩人が紙面を多彩に飾る。アラブ文学及び比較文学者であるサブリ・ハーフェズ(Sabry Hafez)の評論は、1990年代以後エジプト文学に登場した若い作家群の作品傾向と社会変化との関係を追跡するものである。簡単には接しにくい現代中東文学に対する理解を手助けするだけでなく、昨年末始まった「ジャスミン革命」を予見(?)したような筆者の洞察力にも注目できる。前号より新設されたコーなーである「作家探索」では、新しい小説集を出版し、独特の作品世界を展開し続けている片恵英を招待する。これとともに、各部門の注目できる成果を取り上げ、簡明なレビューを提供する「文学フォーカス」欄もご覧いただきたい。
今号の「対話」は、日本大地震の招いた原発災害をテーマにした。エネルギー及び環境政策研究者であると同時に、環境運動の現場に対する理解も深い三人の専門家が、今回の原発事故の原因と収拾過程を検討し、韓国原発の安全性及び「原子力神話」の虚像を深く診断する。
「論壇と現場」は、いつもより重みのある論文を用意した。坂本義和は原発事故の根本的な要因を冷静に振り返ると同時に、現代文明の存在方式に対する根本的な問いを投げかける。統一部長官等を歴任し、参与政府(盧武鉉政権―訳者注)の外交統一政策に深く関わった李鐘奭が、分断の克服と東アジア共同体に対するこれまでの理論と実践を評価する論文も掲載された。東アジアの平和に対する問題意識は、柄谷行人の講演文で繰り広げられる。彼は東アジアの平和が「下からの運動」を通して可能になるという持論を再び強調すると同時に、そのような運動は、国を「上から」抑制するための国際連合の改革を共同の課題としなければならないという論争的な主張を展開する。「社会人文学連続企画」の二回目では、金永植が人文学と科学の軽率な統合の試みに潜んでいる問題を指摘しながらも、この両者をつなげる作業の必要性を強調する。これを通して人文学は特定の分科ではなく、すべての学問分野を結合するものになると、慎重に展望する。
趙孝濟の散文と文化評は、タイトルだけでも目を引くが、その内容も読者のご期待に応えられると思われる。寸評も短い分量であるが、『創作と批評』をよりいっそうおもしろくさせる主役である。なお、今年から新設して施行する「創批社会人文学評論賞」の第1回原稿公募にも多くの関心と応募をお願い申し上げる。分科学問の枠を乗り越え、主体的談論の生産に先立つ新しい批評家の登場を期待する。
毎回雑誌の最終編集を行う時には、いつも文学と社会批評を通して時代精神を明らかにしようとする本誌の趣旨が充分に発現されたか振り返るようになる。まだ不十分ではあるが、このような使命を果たそうとする意志や努力が読者の皆様に伝われれば、何より大きなやりがいを感じられると思われる。
翻訳:李 正連(イ・ジョンヨン)
季刊 創作と批評 2011年 夏号(通卷152号)
2011年 6月1日 発行
発行 株式会社 創批
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