よりよい体制に向かって
金鍾曄(キム・ジョンヨプ)
韓神大社会学科教授。著書に『連帯と熱狂』、『エミール・ドイルケム(Emile Durkheim)のために』など、編著に『87年体制論』(創批談論叢書2)などがある。jykim@hs.ac.kr
1. 物化、または主体の危機
去る何年間、われわれに慣れてきた言葉に「スペック」(spec)がある。もともと工業製品の仕様を意味する英語のspecificationの略語であるが、いつからか就業を準備する青年世代が備えた、認証された能力を指す言葉となった。それからもっと進んで大学の随時入学選考に志願する高等学生を始め、自分の能力を立証すべきすべての人に求められるところを指し示す普通名詞となった。このようにスペックという言葉が幅広く用いられることによって、今はその言葉を最初聞いた際に現われた戸惑いと慨嘆の雰囲気さえも無くなったように見える。
工業製品の仕様と人間の個性とを同一視する風潮の前で、私たちはほぼ一世紀の前にルカーチ(G. Lukacs)が提起した「物化」(Verdinglichung)という概念を思い浮かべることとなる。彼は「商品形式がすべての生の表現に影響力を及ぼす形式、つまり支配的形式へと化した社会」 ゲオルク・ルカーチ(Georg Lukacs)、『歴史と階級意識』、朴政浩・趙萬英共訳、ゴル厶、1992、155頁。を批判するために、この概念を提起した。韓国社会の成員たちが自分を述べるのにはばかりなくスペックという言葉を用いる事態は、ルカーチの提起した自我の物化に相応すると言える。
ルカーチは資本主義経済の中で生きていくことがそれ自体、物化を引き起こすと見なしたが、物化が実際どれほど起るかは経験的な条件に因っている。ここでそのような経験的条件を詳しくまとめることはできないが、韓国社会でスペックという言葉が一般化した経緯くらいは指摘できよう。
韓国が低成長社会へと進み、良質の職場の数が停滞するにつれて、大学生たちにとってよい働き場を得ることとはあまりに大変なこととなった。彼らは就業のために色んな資格証を獲得し、ポートフォリオを作成し、志願した職場に合わせた自己紹介状を提出して面接の場に出なければならない。
このような一連の過程は、つまるところ他者が望むと予想される形で経歴を積み、述べることを繰り返すわけだが、このことはそうしなければならぬ当人の自己関係にも甚大なる影響を与える。与えられた状況に成功的に適応するためには、自我を過度に柔軟な存在として捕らえ、意志通りに造形しなければならないからである。こういうやり方で成される自己関係の方式は、自己経営の技法として体系化され実用的処世書を通じて流布しているし、それほど人々はそういう自己経営に乗り出すように唆されている。
しかし、真面目に自分の内面を観察し、主宰してみようと試みたことのある人は誰でも自我とはそれほど容易く自己統制に屈するものではないという点がわかってくる。われわれは自分の主観的世界を建築し、人性を陶冶できるが、それは摩擦のない過程ではない。われわれの内面はある暗いところ、自分にさえ立ち向かう衝動と性向とを持っている。そういう衝動と性向は、時にはわれわれの意志に大きな障碍となるが、時にはわれわれを生かす力の源ともなる。そういう意味で自我に対する配慮とは、衝動統制と解放という、釣り合いを保ちにくい二重的な企画線上に置かれている。
しかし、青年世代の求職努力に典型的に現われるように、能力標準、外貌標準、甚だしくは感情的態度の標準さえ含む様々なスペックを満たすために、引き続き自分を再構成し、提示しなければならない個人は、自我を恰も事物であるかのように操作し統制しようとする。彼は自分とスペックとの間の隔たりを不安そうに見つめるようになり、それによって自己関係も内的窮乏を招く過程へと変わってしまう。要するに、スペックという言葉が自己を語る上で核心語となったということは、韓国社会が個人に加える圧力が主体の危機に至るまでにほど、深化したことを意味する。
本稿ではこのように深化した危機を克服する希望の資源と展望を探ってみたいと思う。このためには主体の内面にまで入り込んだ危機の過程を再検討してみる必要がある。筆者はそういう危機の原因を再生産危機へと遡及して見てみる(第2節)。それからそのような再生産危機を引き起こすことによって、持続不可能となった現在の体制の特徴を分断体制論と87年体制論の観点から検討してみる(第3節)。それと共にこのような体制を克服するための代案を、白樂晴(ベク・ナクチョン)の「2013年体制」論と関わらせて検討し(第4節)、それを現実化する方案を模索する際、念頭に置くべき点と関連して連合政治と「希望バス」について見てみよう(第5節)。
2. 危機に直面した社会的再生産
主体の危機を引き起こす社会的圧力は、青年世代の求職難を越えて非常に広範囲に現れている。「福祉国家ソサエティ」が提起して幅広く共感を得た職場、保育と教育、住居、老後、健康不安という「5大民生不安」は、そういう社会的強圧の出所がどこなのかよく要約している。 李相二編、『力動的福祉国家の論理と戦略』、ミム、2010参照。この本で一つ残念な点は、議論を5大不安から始めるが、住居問題については政策的解決策を探る接近が全くないという点である。 5大不安の現況は実際広く知られている。深刻なのはこういう問題が相互作用しながら互いを悪化させているという点である。なので、どこから紐を引っ張ってもすべての問題が蔓のように引っ張られてくる実情である。
職場の問題から始めてみよう。よく知られているように、品格のある働き場の数は減っている。青年世代の多数が夢見る大手企業の正規職や公務員、あるいは各種公社の正規職は、生産可能人口のなかでせいぜい5%程に過ぎない。 韓国における労働市場の状況については、本特集の金大鎬(キム・デホ)の論文を参照。 それなのにこんな職場に向かった競争が日増しに激しくなる理由は、これとそれ以外との間に賃金、雇用安定性、社会保険、年金などすべての水準で深刻なる格差が存在し、職場に入る時期によい職場を得ないと、以後、よい職場へと移動する可能性が稀薄だからである。
こういう職場不安は教育に対する過剰投資へとつながる。世界最高水準の大学進学率や莫大な私教育費の支出などは、もう古い問題である。このような教育投資の増大は、その収益率を持続的に減少させてきたが、それに対して人々は子女の数を減らして投資を集中すると共に、投資の絶対量を増やす方式で対応してきた。しかし、前の方は出産率の急激な低下と人口の高齢化をもたらしたし、後者はそれ自体で経済的限界に達した。 授業料を稼ぐために5万名余りの大学生が高金利の貸付会社から借りた負債の総残額が800億ウォンであるということや、アルバイトをしていた大学生が産業災害で死亡したという報道は、この点をよく示している。こういう問題に対するより詳しい議論は、本特集の金賢美(キム・ヒョンミ)の論文を参照。
これらの問題は住居問題とも連係している。建設中心の経済体制と不動産投機の結果、住宅の価格はあまりに高くなり、若い世代は住宅を手に入れることが難しくて結婚を延ばしている。また、OECD国家のなかで自殺率が1位である上で、その中でも年寄りの自殺率が高いということは、韓国社会の成員たちがどれ程対策なしに老後と疾病を迎えているかを物語る。 70代以上の老人の場合、韓国社会ではOECDの大多数の国家より、少なくて10倍、多くて15倍の越える自殺が繰り広げられているし、老後と健康に対する不安は老年層で集中的に表出される。韓国に次いで自殺率2位を記録したハンガリーにおける70代以上の老人自殺率に比べても2倍以上である。このような現況に対して金大鎬は「老人自殺大騒ぎ」といっても過言ではないと述べる。金大鎬、前掲論文参照。
5大不安のなかで社会的生産と発展方式が個人の生と継ぎ合わされる地点が職場問題だとしたら、残りは社会的再生産と連関する。この際、社会的再生産は衣食住と生老病死、そして基礎的社会化と関わる過程全般を意味する。このような再生産が円滑に成されるとき、私たちは安全で健康に日常が営めるし、社会的労働世界へ参加でき、そういう生を次の世代へと伝授することができる。従って5大不安とは社会的再生産、そしてそういう再生産領域と社会的生産体制との連結の輪がすべて深刻なる危機に直面していることを意味する。
こういう再生産が危機に直面した経緯を解明するためには、国家、市民社会、家族(個人)の関係を韓国社会の発展パターンと関わらせて見てみる必要がある。周知のように、韓国社会は戦争と分断を通じて基本形態が備わった。戦争と分断がそれ以来、韓国社会に及ぼした多くの影響のなかで、ここでの議論と関連して重要なことは、戦争がもたらしてきた国家機構の過剰成長と、社会的連帯の深刻な弱化である。
戦争国家はその後、「準戦時状態」のなかで権威主義的発展国家へと転換されながら、社会成員を統制すると同時に、経済成長を媒介に彼らを動員していった。また一方で社会的連帯が大きく弱化されたので、個々人は民主的法治国家の市民としての安定性、市民社会の成員としての社会的紐帯感、職場成員および家族成員という重層的保護のネットワークが持てないまま、もっぱら家族という繭のなかで蹲った存在となった。
このため、個人が家族のなかで深く包まれた状態が続き、家族が社会的行為の中心単位であると共に最も核心的な福祉の供給機関となった。また、こういう家族は社会的紐帯と絶縁されて一種の無道徳的家族主義(amoral familism)と呼べそうな性向を発展させていった。家族は個人が原子単位へと解体するのを防ぐ最後の分子単位となるにつれて、社会的原子化の否定的属性を担った。家族は不道徳だとは言えないものの、社会的連帯に無関心であったり、鈍感であるし、場合によって利己的なのを超えて不道徳にもなれる無道徳性をその特徴として持つこととなったのだ。無道徳的家族が実際、どれ程個人を保護できるかは、社会全体の発展パターンおよび家族の階級的地位と関数関係にある。高度成長期に家族は自分に任せられた機能を相当遂行できたが、その能力は階層的地位と連動していた。なので高度成長期においても貧困層の家族は個人を保護する能力を持ち得なかった。 韓国社会における家族の姿を理解するためには、近代化の文化的帰結を共に考慮すべきである。近代化は個人化を強めると同時に、家族の形成原理として愛に核心的重要性を与えることとなる。従って家族は福祉の供給体としての社会経済的機能、愛情に基づいた感情共同体、個人化という三つの側面が葛藤する場となる。韓国社会の家族問題に対する包括的で詳しい議論は、張慶燮、『家族・生涯・政治経済:圧縮的近代性の微視的基礎』、創批、2009を参照。
再生産の基本土台である住宅、医療、教育などが私的所有の原理に支配され、公的福祉が極めて脆弱な韓国社会が低成長局面へと移行すると、その中で家族は直ちに過負荷状態に入っていった。そして家族が保護機能を失い、無防備状態の個人を社会へ放出することが貧困層から下層を経て、中間階級にまで押し寄せていくこととなった。
そういう状況で家族の階級的失墜を防ごうとする努力は、「相続の熱情」と呼べそうな現象を引き起こしている。確かに伝統的家族の核心価値である奉養は、もう方向を変えて子女に向かっている。殆んど転倒された孝と呼べる相続の努力は、財閥家、中産層、ひいては中下層に至るまで幅広く現れており、進歩と保守もまた横切る。韓国社会の成員たちが財閥家の厚顔無恥な不法相続や、多数の高位公職者は勿論のこと、現職の大統領でさえ犯した、子女教育のための住民登録法違反に対して驚くほど鈍感な態度を示すのは、そういう姿から程度の差はあれ、自分と違わない相続の熱情を見い出すからでもある。
しかし、こういう過程の反復と増幅のなかで、ある変化が起こっている。私たちが職場、教育と保育、住居、健康、老後に対する不安という、ある面では非常に古い問題を再生産危機として再び捉えようとする理由は、再生産問題を処理してきた家族に加えられた圧力が臨界点を超えた面があるからである。例えば、今年韓国社会の中心議題のなかの一つであった「半額授業料」を考えてみよう。この問題の核心には、高いけれども収益率は途方もなく落ちた大学に対する不満とともに、そういう大学の授業料がもう中間階級までもが受け持ちにくい負担となったという事実が置かれている。
再生産の負荷はすでに中下層を超えて社会中心部にまで深く浸透したし、家族の相続戦略は教育と住居、そして老後と疾病の問題全般において実効性を失っている。このため、家族が担っていた負担を、その外の市民社会と国家の領域へと社会化しようとする談論が生成されているのである。最近、福祉談論がそれほど素早く社会全般に広がりながら中心議題として浮上したことは、再生産危機に対処するためには、成長と家族を連係する既存のモデルとは異なる方向が模索されなければならないという点が幅広く自覚されたからである。それは逆に福祉談論もまた、解決策というよりは再生産危機から発する兆候として見なすべきだということを物語る。次に再生産危機を引き起こす体制の論理を検討してみよう。
3. 現体制の持続不可能性
自我が物化する現象の根元が再生産危機にあるとしたら、再生産危機は現体制の危機から始められていると言える。従って危機を克服するためには、現体制の特性と現況を把握する必要がある。そこでもう一度、分断体制と87年体制、そして87年体制が解体/再構成しようとした権威主義的発展国家体制(朴正熙(バク・ジョンヒ)体制)をキーワードとして召喚する必要がある。
これらの概念を通じて照明してみると、韓国社会の基本枠は1953年の休戦で確立した分断体制の影響のもとで形成された権威主義的発展国家体制のなかで造形されたし、それを解体/再構成しようとする87年体制の成果が複雑に組み合わされた形態だと言える。87年体制は旧権威主義体制との妥協で形成されたので、それによる旧体制の解体作業は充分ではなかったし、新しい体制を作る作業も社会集団間の葛藤のなかで整わない形で展開された。だが、この過程は旧体制を解体する分だけ、旧権威主義体制と相互安定化の関係にあった分断体制を揺らし、侵食する過程でもあった。 87年体制については、金鐘曄編、『87年体制論』、創批、2009参照。
このような体制の構成が、先述した再生産危機と如何に連結されるか見てみよう。今、韓国社会が直面した問題は、分断体制に安着した旧権威主義体制のもとで作られた制度と行為パターンから始まったものが多い。今も韓国社会では教育、医療、住居領域が多分に私的所有の原理に沿って制度化されており、所有権至上主義が常識であるかのように通用している。 こういう点は公益法人である学校法人の財産でさえ私的所有であるかのように扱ったり、甚だしくは教会を売買したりもする賤民的形態に鮮明に現われる。 教育を通じた地位上昇の競争が急激な教育膨張を引き起こして教育と労働市場との間の乖離が大きくなったのも、旧体制的制度に適応する行為が増幅されてきたところから始まったことであり、住居形態が「アパート共和国」と呼ばれるほど画一化され、アパート財テクが中産階級形成の中心メカニズムであるのもそうだ。
それでも旧体制の核心である民衆部門の権威主義的排除と、国家─銀行─財閥の三者同盟に基づいた発展体制は崩壊したし、国家の権威主義的統制から逃れた資本と民衆部門は、各々の体制改革プログラムである新自由主義化と民主化を作動させた。去る20年余りの過程を要約すると、保守派と財閥は発展国家体制の遺産と新自由主義化のすべてを自分の階級的利益の観点から組み合わしていき、その結果、経済的領域で強いヘゲモニを構築した。しかし民主派は市民社会を発展させ、社会運動を拡張し、文化的価値観を深層的に変えることはしたが、そういう成果を法的に制度化し安定化するところまで導けなかったものが多い。その結果、再生産問題が家族を中心に充足されていた旧体制の行為パターンは維持されるものの、それと機能的に連結されていた以前の発展体制は形骸化した。それからこの不整合状態が引き続き再生産領域に対する圧力を強化してきたのである。 外国為替危機以後、国民の政府が設けて参与政府が拡大してきた社会的安全網は、寄与に基づいた保障システムなので保険料が出せない膨大な人口を吸収できなかったし、住居問題や教育問題などでは以前の体制を革新できなかったので、再生産危機を解決するには力不足であった。
従って、発展体制と社会的再生産体制すべての革新が求められたが、その方向を規定する核心集団の財閥と労働運動は日増しに退嬰的に変わっていった。財閥の場合、経済独占が行き過ぎてもう蛸足経営ではなく、ムカデ足経営という言葉が出るほどである。 公正取引委員会によると、オーナーのある10大財閥の系列社は、2008年の395個から2011年の581個へと増加した。同じ期間、資産総額はGDP対比2008年の50.3%から2010年の59.1%へと上昇した。 しかし、財閥中心の成長の落水効果(trickle-down effect)は著しく無くなった。財閥はグローバルな企業となったが、多数の生を向上させるのに寄与するところはほとんど無くなったわけである。それに最近財閥が非上場系列社に仕事をまとめて与えることで、10兆ウォンに近い収益を挙げたという報道は、財閥が国民経済の略奪者となったことを見せている。 キ厶・ジェソプ、「財閥、「仕事独占」で10兆儲けた」、『ハンギョレ』、2011.6.29。 実際、そういう事業は単に財閥家の子女のための相続戦略に留まるのではなく、相当数の公正取引を害し、中小企業や自営業者層にまで直接的な打撃を与えるからである。 MBC<PD手帳>の「儲けを一人占め─財閥の身内かばい」(2011.7.19)は、財閥がSSMを通じて近所の商店を略奪する水準を超えて、事務用品のような消耗性資材(MRO)、広告、トラック流通、海苔巻き、ポップコーン、コーヒーなど、中小商工業者や自営業者の事業領域にまで割り込んだのを見せてくれた。このように相続の戦略が社会の全領域に渡る略奪と搾取の形を取る様相として発展したことは、資本が社会的生産力を吸収してグローバルな行為者となる過程の裏面に極めて後進的な生産関係があるということを示している。マルクスの語った生産力と生産関係との矛盾ほど、韓国社会の財閥を述べるのに適した場合はあまりないだろう。
ところが、こういった経済体制を牽制し、代案的発展方案を模索すべき労働運動もまた、1996年の労働法闘争での勝利以後、外国為替危機を経ながら社会的信頼を失い退行し始めた。外国為替危機の前から停滞していた労働組合の組織率は、最近減少しつつあり、産業別労働組合体制も迫ってくる問題に対応できる水準へとは発展できなかった。また、非正規職との連帯運動は正規職によって拒まれるときも多かったし、日増しに連帯闘争や総ストのような掛け声は虚ろとなった。大企業の労組とそういう労組に基盤を置いた民主労総(全国民主労働組合総連盟)は、社会の一般的利害を代弁する集団から特殊利益の追及者へと変質されてしまったのだ。 こういう労働運動の退嬰は、その主体たちにも深刻な心理的代価を払わせている。何年前のことではあるが、『レディアン』に載せられた記事(「労働運動の活動家たちは憂鬱である」、2006.10.11、http://www.redian.org/)によると、金属連盟常勤者たちの約50%がうつ病の診断を受けたという。うつ病の診断を受けたある常勤者は、「興がわいて楽しく運動をするのではなく、慣性的に行っているよう」で、「労働組合も社会的に孤立されている現実に無力感を感じる」と語った。今日、労働運動の病理性の核心は運動主体が自分の活動に自尊感が感じられないという事実にあるのである。
強い労組を避けて社内下請けと不法派遣、そして非正規職の採用を増やしたり工場を海外へと移転する資本。それから雇用不安定のなかで賃金が稼げる時最大限多く稼ぐために昼夜2交代を構わず、非正規職を自分の賃金と雇用安定のための緩衝装置くらいに考える大企業労組。この両者が市場における弱者を搾取する方式で、互いに対する不信と対立を解決するのが現在の状況である。
このように退嬰的形態を示す両集団がこんな問題を解決することを期待するのは難しいので、問題を社会化し、公的システムを通じて解決するしかない。実効性のある社会的安全網と再教育の機会を保障することによって、労組が整理解雇に対してより柔軟で合理的に対処できるようにし、資本も整理解雇が齎してくる葛藤負担から脱して雇用に積極的であるように誘導すべきである。それと共に資本が解雇回避のために真摯な努力を傾けるようにする法的・制度的誘引も強化されるべきであろう。再生産でもそうであるが、発展体制の側面でも企業と家族(個人)との間の問題を公的領域を媒介にして解決することが求められる。
確かなことは家族を中心とする再生産領域では、旧体制で形成された制度と行為パターンがある程度維持されているが、旧発展国家体制ではすでに相当部分、解体されたという点である。そしてそれに取って代わる発展体制、それからそれに照応する再生産領域全般の再構成は、今だ社会的葛藤と闘争の対象でしかなく、その輪郭は明確とならなかった。しかしこの不整合と暫定性と膠着の持続が体制を次第に持続不可能とたらしめている。それは旧体制を不完全に解体したし、再構成の方向に向かった闘争が続いてきた87年体制の持続不可能性であると同時に、87年体制が絶え間なく動揺させてきた分断体制の持続不可能性である。
このような状態で、ある復古的幻想が生じうる。去る大統領選挙で大衆は李明博(イ・ミョンバク)政府を通じて、以前の発展国家体制を生き返らせて問題を解決する方へ導かれた。確かに李明博政府は新自由主義的政策と発展主義との合金の形で存在する現在の経済体制下で、以前の発展主義的側面をより強化しようとした。だが、そのような試みがすでに古いモデルに新しい火をつけることはできなかったし、むしろ朴正熙(バク・ジョンヒ)式発展主義体制と対を成していた腐敗と権威主義的統治、そして分断体制の政治的悪用を蘇らせるだけであった。李明博政府は87年体制を克服する「先進化」を掲げたが、それは87年体制以前への退行であったことが明らかとなった。大衆は直ちにキャンドル抗争、地方選挙、各種の社会的連帯闘争とパフォーマンス、オンライン上の抵抗を通じてそのような試みに歯向かった。そして、大衆の間で希望は後ずさりではなく、ひたすら前へと進むことによってのみ可能だということ、87年体制が成し遂げた圧制からの政治的解放という成果を、窮乏と搾取からの社会的解放へと拡散することに希望があるという認識が発展したと言える。
4. よりよい体制のための構想:「2013年体制」論
ある体制が持続不可能だということは、その体制が経験的にある時点に終了するということを意味するわけではない。人々は耐えられない苦痛に対して正当な怒りをぶちまけるより、自分の耐える能力を養いながら古い慣行にすがり付くこともある。また、体制の持続不可能性が直ちによりよい体制を設けてくれるのでもない。しばしばある体制はより悪い体制へと移行することもある。その場合、より悪い体制は人々を苦しめるが、その苦痛を正当化する能力をより高めた体制であるだろう。従って、体制の持続不可能性は私たちにそのような体制の延命、より悪い体制への再編、あるいはよりよい体制の樹立という三つの可能性を開いておく。
よりよい体制を樹立するためには、それを押し進める勢力の形成、または結集が必要であるが、これと関連して注目すべき対象が現在の野党とその支持勢力、そして進歩的な社会運動で構成された、いわゆる進歩陣営と改革陣営の連合政治である。連合政治は李明博政府のもと行われた様々な選挙における勝利のために暫定的な形で出発したが、それ以上の中長期的な意味を持っている。進歩改革陣営の連合政治は、水平的政権交代のためDJP連合が必要であった時期を考えると、87年体制を克服し再編できる新しい政治的中心が形成されていることを示唆する。ところでこの連合政治を一段階高い水準へと導くためには、大衆によりよい体制の方向を提示する構想と談論を提案し、それに対する論証および論争を発展させる必要があるが、こういう点から最近、白樂晴(ベク・ナクチョン)の提起した「2013年体制」論は検討するに値する。 「2013年体制」論に対しては、なぜよりによって2013年なのかという質問が出るに決まっている。白樂晴はその経緯をこう語る。「1987年の6月抗争で韓国社会が一大転換を成し遂げたことを「87年体制」という概念で表現したりもするように、2013年以後の世の中もまた、別個の「体制」と言われるほどもう一度大きく変えてみようということである。(…)「2013年体制」という呼称そのものは、他のものに置き換えられるかも知れない。例えば、そういう転換を可能たらしめる2012年の両大選挙を重んじて「2012年体制」と呼ぶこともできるし、2013年以後の変化が短時日のうちにより画期的な事件を産み出す場合、その事件を主にして名が作られるかも知れない。題目の「2013年体制」に括弧をつけたのは、そういう可変性を念頭に置いたからである。」(白樂晴、「「2013年体制」を準備しよう」、『実践文学』2011年夏号、363頁)
彼が2013年体制論を提起する理由は、2012年の総選挙と大統領選挙を新しい体制建設のための切っ掛けとするが、2012年選挙の勝利のための議論に埋没されないで、選挙政治を牽引する体制構想を整える必要があるし、そのような構想を形成する過程が却って2012年の選挙を勝利へと導く力となれると見なすからである。言い換えると、議論の地平を連合政治ではなく、何のための連合政治なのかで押し進めて、連合政治を未来志向的に作り、それの規範的土台を固めうるようにしようということである。
白樂晴は2013年体制が二つの核心的な転換を成し遂げるべきだと見なすが、一つはそれが南北が共にする体制であるべきだということであり、もう一つはその体制構成の核心原理が平和、福祉、公正であるべきだということである。最初の問題が重要な理由は、現体制の持続不可能性の一枠が分断体制の持続不可能性から始められているからである。李明博政府が示したことは、分断体制の解体が韓国社会の民主力量を集めて苦労して成される過程であるに比べて、分断体制を政治的利益のために動員することで社会を退行的局面へと追い立てることは容易く起こり得るという点であった。従って韓国社会でよりよい体制を構築するためには、6·15共同宣言が志向したところを韓国・北朝鮮両者に通用される法的・制度的形態として発展させて安定化する必要がある。すなわち、韓国社会が南北連合のための鉄路敷設者の役割を自ら引き受けて、それに至るまでの努力を注ぐべきなのである。そういう時、北朝鮮社会も体制が脅かされないという安定感が獲得できるし、その分、より民主的で経済的に発展した体制へと進むことができよう。
二つ目の主張はたいてい同意できるが、議論をより深化する必要があると考える。平和、福祉、公正が新しい体制運営の原理であるべきだという主張、それから平和が福祉および公正と内的連関を持っているという主張は、容易く共感が得られる。だが、福祉と公正との関係に対しては、現在韓国社会の論争構図に照らして三つほどさらに議論される必要があると判断される。一番目は現在、対立的なものであるかのように議論される福祉と公正が本当に対立的なのかということである。二番目は─便宜上そう命名するならば─福祉論者と公正論者との間の論争のみでなく、福祉をめぐった議論全般が政策にあまりに傾いたのではないかということである。最後は福祉と公正との論争がより規範的な問題を深く穿鑿すべきではないかということである。
現在、韓国社会の議論構図で福祉と公正は対立的なものとして浮上している。一方に鄭勝日(ジョン・スンイル)と洪憲晧(ホン・ホンホ)がいるとしたら、また一方には金大鎬(キ厶・デホ)がいる。 鄭勝日、「政権を握りたければ、「盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代精神」を捨てろ!」、『プレシアン』2010.11.12;金大鎬、「盧武鉉は知っていた… 張夏準(チャン・ハジュン)・鄭勝日の錯覚、または空振り」、『プレシアン』2010.11.19;洪憲晧、「金大鎬式のいい加減な公正社会論、盧武鉉にとって毒であった:盧武鉉政府の失敗から何を習ったか」、『プレシアン』2011.4.11参照。 この論争は韓国社会の改革課題の中心にあるものが─金大鎬式に表現するならば─1次分配構造(市場)と2次分配構造(福祉と所得移転)との間のとちらなのか。そして分配構造の歪曲の原因は何かをもって成されている。金大鎬は1次分配構造の改革がより重要だと見なし、鄭勝日は2次分配構造の改革がより重要だと見なす。洪憲晧は1次分配構造の歪曲の主犯が新自由主義だという点から公正社会論が事態を間違って捉えていると批判する。
こういう争点に先立って議論した体制および再生産危機と関連づけるなら、こう語れる。再生産危機の問題を取り扱うためには福祉拡充が求められるが、そうであるためには新しい発展体制がそれと連係して構想されるべきであり、そういう体制構成で公正は非常に重要な再構成の原理であろう。また福祉のための負担は、社会的に公正に配分される際、抵抗なしに受け入れられ得る。言い換えると、福祉と公正は互いを扶養し支援する関係にあると言える。しかし、福祉論者と公正論者との論争には、金大中(キ厶・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府に対する評価、新自由主義に対する判断、そして進歩陣営と改革陣営との間の古い不信が流れており、だからこそ他者のテクストが合理的だと仮定して最適の解釈を試みようとする「慈悲の原則」は貫かれない。
次に福祉政策と福祉政治との連関について見てみよう。最近、福祉談論の急速な拡散の根本は大衆の処せられた再生産危機である。先に指摘したように、福祉国家ソサエティが提起した5大不安は、こういう危機を的確に指摘しており、それと関連して各世代はおそらく自分の位置が容易く見い出せるだろう。例えば、20代は職場と授業料から、30代は保育と教育から、40代は教育と健康から、50代以上は老後と健康から自分の問題を見い出し、その解法として福祉を拡大しようという提案に同意するだろう。しかしそのために増税が必要だと言われたら、なぜそうしなければならないのか、そして増税が公正なのかを問い質すだろうし、寄与と恵沢との間の関係を冷静に問い詰めるだろう。
当然、福祉を切実に必要とする階級と、そうでない階級、また税金を主に出す階級との差が現われるだろうし、色んな階級に幅広く利益となるとしても、それは長くて複雑な迂回路と時間的遅延を経由する性質のものである。従って、彼らを啓蒙された自己利益のなかで一つに括り出すことは容易いことではない。この福祉同盟を形成する世代同盟と階級同盟の政治が、ある意味では福祉政策よりずっと重要であり、この点は最近ソウル市の無償給食に関わる住民投票の発議がよく示している。それほど大きな予算の要らない無償給食でさえ激しい論争の対象となる現象は、福祉政策の実現が簡単ではない政治的闘争を経由しなければならないということを意味する。
政策的合理性の追求が政治的次元に対する一定の鈍感さを生む現象は、公正論者たちにも現われる。最近、希望バスに対する金大鎬と金基元(キ厶・ギウォン)の議論は、非常に衷情に満ちたものであるにも関わらず、「整理解雇のない世の中」「非正規職のない世の中」という希望バスのスローガンを余りに政策の観点から解釈したと言える。 金大鎬、「希望バスのなかで一度考えてみると、よいこと:私は「希望バス」から希望が見い出せない」、社会デザイン研究所ブログ(http://kimdaeho.egloos.com/5009978)、2011.7.30;金基元、「韓進重工業事態の正しい解法は」、『創批週間論評』(http://weekly.changbi.com/557)、2011.8.3参照。彼らの議論は非常に慎重なものであったが、筆者が見るに『中央日報』は前者を、『朝鮮日報』は後者を希望バスに対する反対を扇動することに用いた。金大鎬と金基元両者とも保守言論の報道を始め、評論の波長に対する所感を兼ねた後続の評論をインターネットを通じて発表したが、一読されたい。(金大鎬、http://www.socialdesign.kr/news/articleView.html?idxno=6411;金基元、(http://blog.daum.net/kkkwkim) 希望バスに参加する人々が掲げたスローガンは政策的要求ではなく、「不安が霊魂を蚕食する」世界に対する不満、そういう世界をもうこれ以上容認できないという意志、渡来するのを熱望するユートピア的像に対する表現として読み取るべきだからである。
なぜそのように表現されるべきなのか、正確な政策的要求がスローガンとなるべきではないかと問うなら、政治にはいつも政策を超える過剰の側面があると答えるしかない。非制度的な街頭の政治は散在した不満を特定のスローガンと象徴で凝集するので、政策的合理性を度外視する場合が多い。しかし政治は常に政策の地平を変更し、制約したり、拡張する力となる。従って、政治と政策との間隙を狭めるためには、政治が政策の合理性に耳を済ますことも必要だが、それに劣らず重要な、否、それよりもっと重要なことは大衆の政治が発信するメッセージを、政策が慎重に聞き取ることだと考えられる。 ここでは取り上げられないが、政策的な水準でも韓国社会における福祉議論の問題点のなかで一つは、それが度を越して国家中心的で社会保険中心的だという点である。福祉政策の最も重要な部分は、国家を経由する再分配や社会保険であるが、それに劣らず重要なものが協同組合や地域的相互扶助組織、または最近活発に議論された社会的企業のようなものである。こういう市民社会的福祉機構が活発に発展することが重要であり、そういう意味で私たちが追い求めるのは福祉国家であるだけでなく福祉社会であるべきなのだ。このような観点から接近する際、南北連合の問題を福祉と連係できる方案が模索され得るだろう。このような問題と関連して、本特集の柳時珠(ユ・シジュ)の論文もまた、参照に値する。
最後に政策より政治が要なら、その政治を嚮導する規範的次元に深い関心を示すべきである。われわれに求められるのが持続不可能な現体制を克服することであるならば、公正であれ福祉であれそれは体制移行という課題を担った言葉だと言える。ところで一つの体制から他の体制への再編は、言わば移行の谷間を通らなければならない。現在の膠着を超えて、よりよい体制へと移動する過程で、二歩前進のため一歩後退する蓋然性は相当ある。一歩後退は個人的水準でも耐えにくいし、複合的社会で一歩後退は受容されがたい。従って、移行が規律できる規範的信念がないと、人々は容易く後ずさりするし、すでにわれわれはそのような後ずさりで李明博候補を大統領として選出したことがある。白樂晴は「2013年体制」を提案しながら、願を大きく立てようとしたが、その弘願とはほかではなく、よりよい体制に向かった移行の道を、一喜一憂しないで堅実に歩んでいける規範的確信だと言える。
規範と関連して見ると、福祉はそれ自体で規範的なものではない。福祉が規範的意味を持つのは、普遍主義的福祉に至ってのことだ。しばしば間違えられるように、普遍的福祉は選別的福祉と対立するものではない。福祉は恵沢を受ける人の特性に沿って選別的なものになるべき場合が多いし、それがより効率的で規範的にも正当である。福祉の全面的試行や段階的試行も全く争点事項ではない。それは単に予算制約の可否の問題であるだけだ。普遍主義的福祉は政策形態であることもあるが、その核心は福祉が脆弱者保護のための余剰的なものではなく、社会成員の一般的権利であるのを主張するところにある。つまり普遍的福祉のもとで市民は福祉の恵沢を受ける人としての権利を持つし、そういう事実を道徳的恥ではなく成員という事実に対する法的・制度的認定の一つの形態として受け入れることとなる。そういう意味で普遍主義的福祉は具体的政策だというよりは、福祉政策を嚮導する道徳的原則だと言える。従って普遍的福祉の成敗は実際どんな政策が普遍的な形で実行されるかよりは、具体的政策がまだ普遍的に試行されないときも、それを社会成員たちが普遍主義的原則を充足していく過程として認識し、根気よくその道を歩んでいけるかによっている。
これに比べて公正は確かに移行を規律できる規範の側面を持つ。正義規範(justice norm)は普遍性が主張できるからである。だが、規範そのものが勘定の対象となったりもする世俗化した世界で、公正はなぜ公正であるべきかに答えることは難しい。弟や友だちが私に公正を要求するならば、私は公正であろうと努力するだろう。ところが、見知らぬ人が私に公正を求めると、私はしばらくためらった後、その要求を無視することもできる。公正であるためには他者が「彼/彼女」ではなく「あなた」として体験されるべきなのである。公正は存在する社会的連帯感を強化することに寄与するが、社会的連帯感のないところで育つのは難しい。
捉え直してみると、平和、福祉、公正という三つのキーワードは、すべて社会的連帯と連係される。平和が単に戦争の恐怖からの解放ではなく、分断克服と南北連合の道を含蓄するならば、そのためには北朝鮮住民に対する疎遠さを克服し、共感と連帯を発展させることが必須的である。福祉もまた、余剰主義ではなく普遍主義を志向する限り、成員圏(membership)が社会的連帯感として満たされていなければならない。そして公正も連帯感の上にある際、行為動機の水準で規範的強制力を持ち得るのである。従って、私たちは新しい体制を構想するために連帯概念をより穿鑿すると同時に、連帯形成的活動を発展させる道を模索すべきである。 先に私たちはよりよい体制構想と関連して提起された「2013年体制」論、それからそういう議論を深化するために、現在進行中の論争のなかで取りあえず扱うべきだと思われるいくつかの点を見てみた。議論をより進展させるためには、「2013年体制」論と同じ立場に立つにせよ、そうでないにせよ、より多くの談論と政策が開発されて論証の舞台の上に上る必要がある。そして、そのような努力が新しい体制を構成する社会勢力を結集し、拡張することに寄与するであろう。
しかし、勢力の結集とリーダーシップの創出、そして色んな政治勢力との間の連合は、より複雑な問題を伴う。また単に政治集団や組織された社会運動勢力の問題ではなく、大衆の内部で形成される連帯の形成もまた、共に考えるべき問題である。これと関連して現在私たちが注目すべきことは連合政治と「希望バス」だと思われる。ここでこの問題をめぐった様々な議論をすべて包括することはできないが、筆者が思うに指摘する必要があると考えられるいくつかの点を提起しながら本稿を終えたい。
現在、韓国社会でよりよい体制に向かった革新の出所は、進歩改革陣営になるしかない。 分断体制に依存してきた韓国社会保守派の革新能力の制約については、拙稿、「保守派のオフサイド戦略と分断体制」、『創批週間論評』、2011.5.25(http://weekly.changbi.com/537)参照。 そして進歩改革陣営が実際にそのような力量を発揮するかを試す舞台は、連合政治を通じて現われる進歩改革陣営の内部協商だと思われる。大衆はこれを通じて進歩改革陣営がよりよい体制を作り出す実力を持っているか見極めている。すでに何回の地方選挙を通じて大衆が連合政治の結果だけでなく、過程における円満さと合理性をまで慎重に評価していることが現れてきた。従って新しい体制樹立の鍵は保守派の革新可否ではなく、連合政治自体の成果に依存すると言える。
ところが、こういう連合政治から提起された様々な方案と動き、例えば、大統合の議論、野党間連帯の主張、進歩政党間における統合努力の停滞、国民参与党の曖昧な歩みなどが大衆の目には膠着と足踏みの状態として映っている。だいたい協商は自分と相手の持ったすべての権力資源を認めて成される。それで協商では脅迫でさえ重要な戦略の一環である。だが、連合政治は全的に協商の政治であるわけではなく、よりよい論拠と洞察だけを争う論証の政治でもある。
連合政治が発展するためには、各局面と状況が協商と論証のなかでどこに属するかを弁えるのと同時に、協商の膠着を論証の政治で打開し、協商を通じて論証の対立を仲裁する知恵が必要である。最近、連合政治で顕になったところ、協商中断のような非協同戦略を公論の領域でそれとなくほのめかしたり、「恋愛」「離婚」「再結合」のような、協商に役立たない比喩を用いてはならないであろう。また、価値と政策を中心とした論証の政治もまた、以前の政策や立場に対する反省が充分でないといったふうな過去志向的な態度から脱するべきであろう。言い換えると、連合政治が協商に劣らず、よりよい体制に対する議論と深く継ぎ合わされるべきである。
連合政治が深く継ぎ合わされるべきもう一つの対象は希望バスである。この際、繋がりとは単なる連合政治の主要人物たちが希望バスに乗ることに限られない。それよりもっと重要なことは、希望バスに現われた新たな連帯の形式に着目してその可能性を耕すこと、そして希望バスが伝えるメッセージを深く読み取ることである。
希望バスは連帯の形式の面で注目に値する。スマートフォーンと太陽熱バッテリー、そしてツイッタ─に依存した疎通から私たちは新しい連帯のネットワークが形成されるのが見られるが、 金鎭淑のツイッタ─「@JINSUK_85」のフォロワーは1万名ほどである。彼らが取り交わす「しゃべり」は、日常的で暖かい。ユーチューブを通じて彼女の歌う歌「織女に」も聞ける。政権に掌握された公営放送や保守言論の沈黙にも関わらず、人々は疎通の道を開いているのである。6月30日、人権委員会は金鎭淑の緊急救済要請に対して食べ物と衣類、医薬品、ランタン乾電池などの必須品を供給することに会社と合意したが、電気とスマートフォーンバッテリーは会社の反対で除外された。彼女は太陽熱電池でツイッターを続けている。彼女は6月29日付のツイッターでこう語った。「ところで、どうしよう。ツイッターを防ぐためには太陽を無くさなければならないのに。」 それは形式の面で脱伝統的で脱因習的であり、非組織的・自発的連帯である。だからこそ伝統的紐帯形式に制約されずに自由に拡散され伸びていくことができる。こういう形での新しい連帯方式の存在は、韓国社会が内部から自発的に動員できる社会運動的力量が、思ったよりずっと大きくて多様であることを物語る。
もう一方で、希望バスのメッセージが何なのかは多様に解釈できるが、少なくとも主要言論メディアで多く議論されているような、韓進重工業の整理解雇と趙南鎬(チョ・ナムホ)会長の問題に限られてはならないだろう。筆者にとって希望バスは、たとえ微かではあっても現在韓国社会における経済体制の運用方式全般が再構成されなければならないという意志の表現として思われる。そう判断する理由は、希望バスの参加者たちが85号クレーンの上に上った金鎭淑民労総(全国民主労働組合総連盟)指導委員の姿から、整理解雇に抵抗する大企業の正規職労働者の通常的な主張とは異なるメッセージを読み取っていると考えるからである。例えば、金鎭淑はこう語る。「低いところで咲いたとして花であり得ないでしょうか。足に蹴られるとして花じゃないことはないでしょう。松の木は立ったまま老いていきますが、タンポポは春の度に新しく咲き誇ります。柔らかい地に落ち着いた松の木は高く伸びられますが、固く凍り付いた地を自分一人の力で穿って出なければならないタンポポは、その分、育つにも力に余ります。(…) タンポポに上がってこいと言うのではなく、喜んで体を低くすることが連帯です。低くなってこそ平たくなるし、広くなります。冬にも青い松の木のみでは春はわかりません。タンポポが咲いてこそ春が春であり得るのではないでしょうか。生涯始めてタンポポを待つ春。このときめきを同士たちと分かち合いたいです。 金鎭淑、「非正規職は正規職の未来である」、『塩花の木』、フマニタス、2011、162~63頁。 彼女の呈する非正規職に対する連帯意識、それから正規職と非正規職の皆を合わせる暖かい共感が、人々を、彼女を焦点とした連帯行為へと括り出しているのであり、その分、そこには幅広い社会改革のメッセージが見えかくれしているのである。 色んな面で希望バスは2008年のキャンドル抗争と比較してみるべき点がある。連帯の形式の面で希望バスはキャンドル抗争と深い類似点がある。だが、政府政策の特定の政策と正面から対立していたキャンドル抗争とは違って、希望バスの中心には幅広い社会経済的議題が落ち着いている。従って、キャンドル抗争がその後、地方選挙の流れに大きな影響を及ぼしたように、希望バスも連合政治の流れと連結できる可能性は充分あるが、キャンドル抗争が自ら政治的水路を探しながら連合政治の流れを形成する動因となったのに対して、希望バスの場合は連合政治がそのメッセージを実現するための政治的企画を提出することがより必要だと思われる。
「2013年体制」論を始め、よりよい社会体制に対する構想(知的談論)、連合政治(リーダーシップと組織的代案の形成)、希望バス(新しい連帯と大衆運動)は、それぞれ掛け離れていてはそれが志向するところに達しがたいだろう。韓国社会がよりよい体制に到達するためには、この三つが含蓄する肯定的な力が互いに集まり、継ぎ合わされて互いを上昇させる過程が必要だと考えられる。そしてそのようになる時に始めて、私たちはよりよい朝鮮半島社会に向かってドシドシと歩んでいけるし、人々が自分や互いを描く際に「スペック」のような言葉が使われることを道徳的侮辱だと見なす社会に到達することができよう。
語訳:辛承模
季刊 創作と批評 2011年 秋号(通卷153号)
2011年 9月1日 発行
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