中産層における欲望と高まる不安
特輯 | 「李明博(イ・ミョンバク)以後」を準備して
金賢美(キム・ヒョンミ)
延世大学校文化人類学科・教授。著書として『グローバル時代の文化翻訳:ジェンダー、人種、階層の境界を超えて』、『親密なる敵:新自由主義は、どのように日常になったのか』(共著)などがある。hmkim2@yonsei.ac.kr
1. 負債まみれの中産層と社会的再生産の危機
韓国の中産層 中産層の定義は、様々である。所得や生活レベルが中間程度である人々の集合という一般的な定義から、家や車を所有し子どもを大学に行かせる経済レベルである階層という世俗的な定義、世帯所得に基づいて中位所得の50~150%に該当する世帯という経済協力開発機構(OECD)の定義がある。張世薫(ジャン・セフン)は、韓国の場合、消費領域において「世帯単位の独自的な住居空間を所有する社会集団」という定義が適切であるとしている。張世薫「住宅所有の観点に立脚した中産層の再解釈」『経済と社会』74号、2007年。 における「危機」談論は、1997年IMF救済金融事態以後、言論を通じて持続的に提起されてきた。韓国中産層の政治的出現を祝っていた1987年の民主化闘争以後10年ぶりに、中産層は危機を迎えたのである。
IMF事態直後、中産層の危機については、雇用不安定、失業、倒産などが、その原因として挙げられている。すなわち、中産層の主要な生計扶養者であったホワイトカラーの男性家長の失業、自営業者の事業失敗などが、急激な経済的下落と家族解体の原因であった。しかし、最近、中産層の危機原因は、急増する「謝金」の問題である。国内の家計負債は、2011年3月の基準で、GDP対比85.9%の801兆4千億ウォンで、個人の可処分所得の1.5倍を超える水準である 。 元鐘顯(ウォン・ジョンヒョン)「金融当局の家計負債軟着陸の総合対策と限界」『イシューと論点』269号、国会立法調査処、2011年7月15日。 これは、実質所得は、増加していないにもかかわらず、消費が増幅するために、謝金に頼り消費しているからである。
ところが、注目すべき点は、朝鮮戦争以後、絶対貧困の状況において、速い経済発展のおかげで、1980年代に現代的な意味の中産層が登場し、現在は、彼らの世代的階級再生産が、広範囲において行なわれている時点である事実だ。当然のことながら、階級再生産の方式は、集団的であるだけでなく、同質的であると同時に、拡張的かつ競争的になっていくしかない。このため、競争の底には、「私だけが遅れているのではないか?」という、集団からの離脱と墜落に対する恐怖が、徐々にできるようになった。以前は、職や所得水準をめぐっての(中産層の間の)競争が、社会的再生産の領域へ急激に拡張されている。中産層としてのライフスタイルを維持し、その以上の地位を子どもに譲ってあげるためには、社会的再生産の領域、すなわち、衣食住、育児、教育、健康および外貌、休憩および娯楽、知識と世界観の伝授などにおいて、その地位獲得のための競争に参加しなければならない。問題は、この領域が、急激に市場化している点である。韓国の負債まみれの中産層は、こういった社会的再生産の費用が急増するために生じる。貧困階層の生活の不安定性と危機も問題であるが、中産層の危機について、真剣に討論しなければならないのは、中間程度の資産家階層も、すでに自らの再生産を行なわれない状況におかれるようになったからである。相対的に高学歴で、合理的な決定を構築できたと自負してきた中産層の、「企画的な生涯戦略」が通らなくなってしまった。このために、中産層における不安は高まり、またその危機は現実化しつつある。
しかし、中産層は、状況が厳しい時に使える信用資源を持っていると信じているために、実質的な危機対処や社会の変革の必要性に、もっとも鈍い階層かもしれない。もっとも重要な資産である家を所有し、規則的に賃金を受け取り、増加可能性の高い金融資産を保有していると信じている中産層は、すべての日常領域の商品化過程において、積極的な消費者として参加するのに慣れている。彼らは、商品消費者としての選択を社会的選択と同一視し、構造的に生じる生活の脅威を、あえて無視する。そのために、中産層の危機は、政治的な無感性の結果でもある。
本稿は、中産層における欲望と不安を、社会的再生産の危機と関連づけて考えておきたい。韓国の経済発展と文化発展の原動力であった中産層が経験している階級再生産の不確実性、文化的混種性に対する不安、ジェンダー葛藤の増幅を中心に、中産層家族の危機を探索してみたい。家族構成員間のチームワークを重視し、階級上昇を模索した中産層の親子が、どうして「同床異夢」するしかないのか、新自由主義の経営技法を内在化した親が、「お金」で、どのように子どもを統制・管理するのか、また、どのように階級再生産に対する不安や欲望を不穏な方式で実現しようとするのか、なお、基本的な生活に関わる料理・洗濯などの自活労働能力のない男性と子どもの無気力が、どのように中産層女性の労働強度を深化させ、ジェンダー葛藤を触発するのか、を検討したい。こうした危機から脱出するための共通解法に関する想像力は、果たしてどのように構成できるのだろうか。
2.資本主義の「再生産的」転換と日常の商品化
社会的再生産は、出産と保育、成長及び教育といったすべての過程を意味する。とりわけ、未来の労働人口を生み出し、これらの労働力が日常的な次元においても、世代的な連続の側面においても、維持されるのに必要な衣食住、安全、健康、ケアなどの提供のみならず、その社会が維持されるのに必要な知識、価値体系と文化的な慣習を伝授し、集合的なアイデンティティを作り出すあらゆる過程を含んでいる 。 Diane Elson, “The Economic, the Political and the Domestic: Businesses, States and Households in the Organization of Production,” New Political Economy 3(2), 1998. 構成員の生物学的再生産のみならず、社会的行為の再生産をきちんと行なっていない社会は、維持されない 。 キム・ジヨン「社会的再生産:生産する再生産の力学」社会的再生産研究会編『女/性 労働価値を語る』全南大出版部、2010年。
問題は、資本主義の蓄積危機以後、これ以上生産領域において、超過利益を創出することが難しくなって、1980年代以後、「再生産」領域が急激に商品化している点である。資本主義の「再生産的転換」と呼ばれるこの流れは、資本主義体制の転換、すなわち商品を作り出す生産領域において、日常生活の再生を可能とする社会的再生産領域として資本が拡張していることを意味する。人間の誕生から死に至るまで、「生物学的な存在性」を商品化する産業は、人工出産及び代理母仲介業、「産後調理院」と老人療養及び介護施設、葬儀及び葬儀サービス業まで、「生命資本」事業を通じて盛んでいく。また、国家、社会、家族の価値観と知識を伝授する教育事業は、驚くほど多様に分化している。経験と体験を通じた趣向の開発も、中産層が追求する文化的再生産の領域である。旅行、文化公演、料理など、感情と生活の変化を望む消費も、中産層のライフスタイルを構築するための必須的な体験になっている。家という空間は、これ以上、住居と体験・記憶の空間ではなく、投機と自慢の空間となった。外見、スタイル、健康の領域も投資対比効果という経済的な効率性の概念が、支配しているのだ。再生産領域の商業化は、人間の物的・感情的・認知的な存在性自体をアウトソーシングし、改善できる対象として作り出した。社会的再生産におけるすべての領域が、急激に商品化しながら、電子製品より、より早く新製品を作り出しており、このたびに、価額が上昇する。消費なき人生は、想像しにくくなってきた。
何よりも、この15年間の不動産投機で蓄積してきた資産の増加分を所得として認識している中産層の消費規模が、日に日に拡張しているといえる。問題は、国家、市場、家族、第3セクターなどが、バランス良く担わなければならなかった社会的再生産領域が、急激に商品化することで、市場が社会的再生産をすべて担うことになった状況である 。 Kate Bezanson and Meg Luxton, “Social Reproduction and Feminist Political Economy,” Kate Bezanson and Meg Luxton, eds., Social Reproduction, MaGill-Queen’s University Press 2006. 社会的再生産が、社会維持のためのもっとも必須的な領域であるにもかかわらず、国家や市民社会が遂行していた「管理」および「調整」機能は、徐々に減っている。とりわけ、新自由主義的な世界化以後、企業、金融市場の行為者、政府が、資本蓄積という一つの利害関係として結ばれ、「社会的なもの」は消えその座を市場が主導するようになる。
人々は、国家がこれ以上、力を入れない生活世界における問題、すなわち保育、教育、健康、安全、環境などにおいて、生活の質を管理するための個人費用を支出するしかない。また、適者生存と勝者独食の構造において、益々、より不透明になる子どもの階層上昇のために、子ども教育にもっと多く投資をするようになる。
韓国社会の場合、普遍的な福祉概念が、まだ定着する前に、新自由主義的市場主義が拡張することで、福祉は市民社会と企業および国家の間において、先鋭な政治的アジェンダとして浮上した。福祉という概念が、正当なる再分配のメカニズムであるとするよりも、選別的な脆弱階層のためのサービスという認識が納まり返ることで、福祉拡大が依存的な文化を強化するということで否定的に受け入れられている。したがって、社会的再生産の危機を政策や擬制として設定していく努力に力を足していくよりは、個別化した家族戦略として解決しようとする傾向が強い。高強度の長時間労働に苦しめられている韓国の労働者は、家族の社会的再生産のための時間とエネルギーが足りなく、これを埋めるために、市場で物質的/非物質的な財物を購買する。家計の負債返済と高い私教育費のために、財政難に落ちた中産層は、再び、株式、ファンド、不動産など、不予測性の高い財テクに没頭し、共働き、two jobなどを通じて、所得を増加させようとする。安定性がもっとも切実に要請される家族の社会的再生産分野は、もっとも投機的で不予測的である市場状況によってその質が左右される不安定な領域へ転落した。
3.階級再生産の曖昧さと異質性の不安
親から子どもへの経済力の「譲り」は、贈与や相続などの富の移転を通じてのみ行なわれているが、もっとも代表的なルートは、子どもの教育に対する投資を通じて、将来の勤労所得の基盤を作ってあげることだ 。 金熙三(キム・ヒサム)「世代間の経済的移動性の現況と展望」韓国開発研究院政策フォーラム、2009年12月19日。 学業と職業の連携性が高かった産業資本主義時代に成長した韓国の中産層は、このような「譲り」戦略において、もっとも積極的な擁護者であり、参加者である。しかし、高等教育が大衆化となり、親の社会経済的な地位と関係なく、教育熱が高い状況においての教育は、もっとも競争的であると同時に、不確実な投資の場になってしまう。2007年、韓国消費者院が調査した国民消費形態及び意識構造の調査は、私教育に対する興味深い結果を発表した。大学生の私教育費が、中高校生の私教育費よりも、家計にもっと負担を与えるということである。これによれば、私教育を受ける大学生がいる家庭は、一人に当たり、月に平均36万8300ウォンを私教育費として支出し、この金額は、中高校生の34万1000ウォン、初等学生の29万7500ウォン、幼稚園児の25万8700ウォンより高いという 。 「“私は中産層”5年間で9%P減る」『東亜日報』2007年12月6日。 大学の入試準備に集中していた私教育が、今は就職活動に苦しめられている大学生の資格取得、英語の成績向上のための私教育へ拡張している。
最近の大学生は、不安という言葉を常に口にしている。不安という情緒は、彼らが、韓国社会において、最高に、そして大規模で、高等教育を受けた「ベビーブーム世代」であるという点とも関係がある。彼らは、中産層の世代的再生産という歴史的な任務を達成しなければならないが、以前の世代に比べて、そうした物的条件を揃えていくことがもっと難しくなっただけでなく、逆に、親の財産に頼り、独立を長期的に留保する大規模のレジャー階級(leisure class)になる可能性も高い。高学歴の中産層の親は、「大学教育」が、安定した職場を保証してくれた時代を経験した当事者であるために、未だに、子どもの大学入学、とりわけ、名門大学への入学に、すべての力を注ぐ。まだ、縁故主義と性差別主義が蔓延している韓国社会において、その中でも教育は、能力主義の原則に立脚した平等の領域であると考え、能力は、お金を投資して培養できる資源であると信じているからである。
しかし、教育と仕事が連携していた1980年代と2010年代の状況が全く異なる点を認識できないところに、問題があるかもしれない。2007年、全国経済人連合会で行なった国民認識調査報告書によると、子どもの職業として望ましい職業を問う質問に、公務員、教師など、政府などの公で働く職業を選んだ比率が全体の41.2%で、弁護士や医者などの専門職が34.3%、わからない・無応答が0.3%であった。このデータからは、韓国の親が、子どもがどんな職種に着くかについて、未だに強い信念を持っていることが読み取れる 。 「全経連、企業に対する国民認識調査」『時事フォーカス』2007年12月11日。 その反面、大卒の就職活動市場の現実は、非常に暗い。毎年、54万名の大学生が卒業し、彼らは、2万個所の専門職と正規職、すなわち、医療専門職分野、公社、大企業など、昔から良いと言われているこれらの職場を得るために競争する。安定している良い職を得るために、浪人、二浪をする大卒者の数を足せば、その競争率は想像できないほどである。良い職を得るための探索期間が長期になればなるほど、この期間における社会的再生産の費用は、大半の場合、親が負担しなければならない。
このような現実の中で、多くの若者は、大学を卒業しても職を得られない「ルザー」として烙印を押されてしまう。ときには、この烙印は、自身の親から初めて押される場合もある。高学歴中産層の親は、子どもが望むことに対して、すべてを支援してあげることに迷いがないと言うが、親自身の期待や理想に合わないと、徹底的に無視する傾向がある。
また、良い職場に対するわが社会における後進的な想像力も問題である。仕事において、追求されるべき価値というものが排除されたまま、お金と面目だけを重要な要素として考える 。 国際労働機構(ILO)は、「自由、公平、安全、人間の尊厳性という条件において、男性と女性とが社会的な基準に合う生産的労働を獲得することができる機会を与えられる職場」を良い職場として定義した反面、サムソン経済研究所は、「名目賃金基準全体の平均賃金レベルを上回る産業部門で創出される職場」とした。また、韓国経営者総協会は、「正規職であり、賃金の平均値より約20%高い職場」であるとした。なお、韓国教育開発院は、「高等教育機関卒業者の就業統計調査において、正規職として大企業に就職した人に含まれる者」と規定している。「私教育の心配のない世の中」主催、「幸福なる進路教育」講義案、2010年7月。 構造的に、いわゆる「安定している」お仕事の数は限られており、仕事に対する個人の主観的な満足は無視される状況において、大卒者の95%を「ルジャー」として烙印を押すことは、本当に妥当であるか。
私教育の費用が負担であるにもかかわらず、韓国の親が私教育に投資することは、子どもの独立を望んでいるからである。子どもが、この学歴社会において独立できる唯一の道は、入試を通して良い大学に入り、安定的で経済力のある職を得ることである。問題は、子どもが独立することで、親としてすべきことが完了する時期が、持続的に留保している点である。結婚や就職を通して独立しなければならない子どもが、長期的に、この独立の時期を延ばす場合、 資産分配と管理をめぐって大きな葛藤が生じることになる。韓国の中産層の資産は、住宅のような不動産に集中しており、不動産の価額が下落すると資産は大きく減るし、以前の生活レベルから離脱する可能性もある。引退後、中産層の老年は、自身の退職金、事業資金、年金、不動産などを管理しながら、安定的な老後を送りたいと思うが、独立できず家に頼る子どもと、このお金をともに使いながら生活しなければならない。引退後の老後に対する不安は、子どもの独立留保期間が長くなればなるほど大きくなっていく。
だとすれば、中産層の子どもは、どうして独立しないのか。彼らの立場からみれば、親の管理下にあるときに「成功」する確率が高いと思うため、親から独立することを恐れる。高失業社会において、親の支援がないまま生存戦略を立てることは、事実上難しいと言ってよい。大卒者の中で、非経済活動の人口が300万人に近いことや、職を持っている人の50%以上が、親に生計費用を転嫁するいわゆる「カンガルー族」という現象からも、世代的な階級再生産の不可能性を良く見せてくれる 。 中国の江蘇省は、大人になってからも両親に依存し生活しながら、両親に迷惑をかける「啃老族(こうろうぞく)」を減らすために、江蘇省老人権益保障条例の制定に取り組んだという。『ハンギョレ』2011年1月24日。 絶対貧困下において、「自手成家」(受け継ぐ財産などない人が自分の力で暮らしを立てること―翻訳者注)して中産層に入った親と、この親からの全面的な投資やプランを通しても独立すらできない子どもの間で、葛藤と緊張は先鋭化する。
階級再生産の不確実性ほど、中産層の家族の危機として表れたことは、家族内における文化的混種性の不安である。中産層家族の中、構成員が2カ国以上の国家に住んでいるグローバル世帯と分散家族が急増している。一か月平均世帯所得が、600万ウォン以上の世帯主の場合、配偶者や未婚子女が国外にいる比率が25.6%、配偶者と離れて住む場合は、6.6%であった 。 2006年の統計調査の際、別居家族の中で、子どもと離れて生活する世帯が18.5%、配偶者と離れて住む世帯が4.7%であり、収入が高ければ高い程、職場よりも子どもの教育のために、と答える場合が多かった。趙恩(ジョン・ウン)「新自由主義の世界化と家族政治の地形:階級とジェンダーの競合」『韓国女性学』24巻2号、2008年、20頁から再引用。 早期留学は、高費用である上、家族構成員の別居を要する点で、容易くない選択である。しかし、韓国の中産層は、「ワールドクラス」を目指す欲望の記号として登場したこの早期留学に対して、もっとも積極的な集団である 。 趙恩「雁パパ:ワールドクラスに向かう欲望の記号」『黄海文化』56号、2007年、79~97頁。 とりわけ、IMF経済危機以後登場した「知識基盤経済」談論は、創造力と感受性を揃えたグローバル人材を強調し、画一性と権威主義の象徴であった韓国教育に脱規制を強調する市場原理が積極的に導入されることで、早期留学は新しい教育商品として注目され始めた。小学生の早期留学は、2002年の3464名から、2006年には1万3824名というおよそ4倍も近く増加し、早期留学の低年齢化が早く進行していることがわかる 。 李永閔(イ・ヨンミン)、ユ・ヒヨン「早期留学を通じてみる教育移民の超国家的ネットワークと象徴資本家研究」『韓国都市地理学会誌』11巻2号、2008年、75~89頁。
1990年代まで、それなりに希少価値を持っていた早期留学は、2000年以後に大衆化し、親の経済力の差によって、アメリカやカナダのみならず、マレーシア、シンガポール、ベトナム、中国など、留学先も多様化した 。 成晶鉉(ソン・ジョンヒョン)、洪錫俊(ホン・ソクジュン)「東南アジア早期留学青少年の留学決定過程と留学経験:マレーシアに留学中である青少年を対象にして」『青少年学研究』16巻6号、2009年7月、71~102頁。 早期留学は、チームとしての「家族スピリッツ」に基盤する階級再生産の戦略であるが、この過程において意図しない家族価値の変化が起きる 。 崔陽淑(チェ・ヤンスク)「子どもの早期留学による別居家族に見られる社会心理的規制」『韓国家族関係学会誌』13巻3号、2008年。 別居家族の構成員は、家族解体、離散、別居について、もっと柔軟な態度を取りながらも、彼らの間においての「同床異夢」も増えている。
興味深いことは、子どもの早期留学を決定したり勧めたりする人が、父親であることだ 。 前掲、成晶鉉・洪錫俊、85頁。 彼らは、とりわけ英語学習からくるストレスや本人の教育欲求の挫折に関する補償心理との反作用として、英語を完璧に駆使する子どもにさせたいという「夢」に挑戦する。ところが、自分の子どもが、アメリカ式の教育を受け英語を流暢に駆使しながらも、韓国的なアイデンティティを維持してほしいとも期待する。しかし、子どもにおける文化的な変化は驚くほどである。アメリカのみならず、多国家・多文化的に教育された子どもと、子どもを連れて留学に同伴する母親は、家族内における文化的混種性を作るのに寄与することになる。中産層が、超国家的な教育を通した階級再生産には、もっとも積極的であるが、この過程において生じる家族構成員間における文化的異質性や混種性は受け入れないという点が問題である 。 このような「文化的混種性」に対する不安は、韓国社会の多文化家族政策においてもよく表れている。 早期に留学した子どもたちは、留学先の国と韓国とを行き来しながら、二つの文化を同時に享有し、多重的な所属感を持つようになることは当然である。にもかかわらず、帰国した韓国の子どもたちは、海外での生活と教育に含まれている価値や基本に「影響を受けていない」ように行動すると期待されている。彼らは、留学中にネイティヴのように英語を駆使するが、韓国語と韓国文化及び韓国的な趣向、礼儀正しい態度などを要求され、帰国後は、すぐに再韓国化するだろうと期待されるのだ。とりわけ、女性は、「汚染されない性的な純粋さ」を保っている状態、すなわち、「純粋な娘」に在り続けることが要求される。
また、いくつかの「成功モデル」を除いては、早期留学の後、グローバルワールドクラスに入れず帰国する学生らも増加している。世界の中心に立てると思っていた子どもであったが、彼らも、西欧社会の壁を乗り越えることが容易なことではなかった。
中産層が階級再生産のために、もっとも切実に願っていることは、グローバル教育においての成功である。しかし、文化的な同質性の維持と再現の重要な場所である家族(家庭)さえも、超国家的で文化的に混種的な空間に変化するというジレンマを迎えている。
4.「消尽された女性たち」とジェンダー葛藤の深化
韓国の中産層が悩む葛藤の中の一つは、「ジェンダー葛藤」である。ジェンダー葛藤は、子どもを社会化していく責任、たとえば、育てて教育していくなどの一次的な責任を女性に担わせる伝統的なジェンダー観念が、現代社会の複雑な要求に合わないにもかかわらず、この観念がイデオロギー的に強く持続されているため、この葛藤はより深化しているといえる。IMF経済危機以後、生計扶養者である中産層男性の物的な基盤が弱化することで、中産層における核家族の危機がもたらされ、また離婚率も増加した。しかし、家族内における性役割の分業体制には大きな変化がなく、家事労働および介護労働に対する女性の過重な責任も持続されている。公私領域のすべてにおいて、女性の経済的な役割と寄与が強調されながらも、家族内における性平等や民主的な家事分担は遅れている状況において、女性が選択できることはそれほど多くない。結婚時期を遅らせたり、出産を調節することで仕事と家事の両立に努力したり、キャリアと経済的な独立のために結婚をしなかったりする。韓国社会にも到来した少子化(低出産)という「人口学的な危機」は、主に高学歴の未婚女性が結婚を避け、結婚しても出産児の数を最少化したことから始まった。高学歴の女性が結婚よりも経歴を中心に人生の構図を変えたことには、IMF時代、企業における解雇の1順位が、既婚女性と妊娠中の女性であった点も影響を与えたといえる 。 前掲、趙恩、5~37頁。 2009年のある調査によると、働いている母親たちが、子どもをもう一人産まない理由として、「養育費用による経済的な負担のため」という答えが48%で、「子どもを育てるのに充分な保育与件が整えていないため」という答えが43%であった 。 趙恩、「ジェンダー不平等もしくはジェンダーパラドックス」『韓国女性学』26巻、1号、2010年、80頁から再引用。
「人間再生産の危機」と呼ばれる少子化現象は、結婚の自然な内面化を通じて人口を調節してきた韓国社会においては、衝撃なことであろう。これは、ある意味、国家の危機として受け入れられている。そのため、最近、仕事中心のパラダイムから「ケア」中心のパラダイムに韓国社会を再編成すべきという主張が強く提起されている。国家は、出産を奨励するため、保育手当を中産層家族にも提供すると説明しているが、家族内における介護などケア労働の民主的な再編成や保育および教育の社会化に関する長期的な展望は、まだ不透明である。これは、未だに、女性が主に担当する再生産および介護などのケア労働は、当たり前のように「与えられる無料商品や支援」であるとされ、まるで「女性の身体から出てくるような「自然的なパワー」である」とされている 。 前掲、キム・ジヨン、16頁。
中産層の家族内における性平等革命がまだ完了される前に、押し寄せられた新自由主義の経済改革は、女性の人生の質をより悪化させる方式に全面化していった。家族福祉が脆弱である上、国家が社会的再生産で自分の役割を果たしていないために、女性が育児、家事、介護などのケア労働に参加しなければならないという負担が、益々増加している。家族構成員の失業、物価や教育費の上昇に対処するために、家計所得を挽回しようとする女性の動労市場進出が多くなっているが、家族内のケア労働において担わされる役割もすべて女性の仕事である。
多くの中産層の家族が共働き夫婦へと変化しているが、女性に要求される家族内における労働は、そのままである。このために疲れがたまってくる女性が増え続けているという。韓国において40代の女性の中で、慢性疲労症候群に苦しめられる人々が多いことは、すでに良く知られていることである。自分の子どもが学閥を通して階級再生産してほしいという欲望を捨てきれない中産層家族における女性は、疲れがたまっているにもかかわらず、子どもの勉強時間や塾の受講などをチェックしながら、恐ろしい訓育を執行する「マネージャー母」にならなければならない。子どもの教育の支援と管理を通して、競争力のある人的資源としての子どもの価値を高めるのに積極的である中産層における「マネージャー母」は、子どもを新自由主義主体として作り出す「家族事業」の主役になりつつある 。 朴昭珍(パク・ソジン)「「自己管理」と「家族経営」時代における不安な人生(生活)」『経済と社会』84号、2009年、12~39頁。 子どもの時間を入試のための「スペク」(specificationのこと:韓国で就職活動をする人の間で、学歴・成績・英語検定などの点数を合わせて言う言葉―翻訳者注)を管理するマネージャー母は、子どもを、すべての生活および家事動労から免除してあげる。中産層における子どもたちは、人間の生存のために必要な自活労働や自立労働の重要性を学ぶことができないまま、家-学校-塾に移動しながら、成績管理のための道具になっていく。彼らは、自分が食べるものを自ら作ったり、衛生的な環境のために掃除をしたり、自分の服を選んだりすることすら学ばないまま、また、他人と民主的に交流し協力する方法も知らないまま、「成人」になる。今日、現代における中産層家族は、公的領域において高強度の労働をする男女生計扶養者と、疲れてしまったマネージャー母や子どもが住む空間になってしまった。この空間において女性は、家族内の民主化の生産者であり、なお犠牲者でもある。
このように、社会的再生産の費用が増加する状況において、企画の調整者の役割を任せられた女性の疲労も徐々に増加していく。また、女性は、負債を防ぐための財テク領域において、その能力を発揮してくれるだろうとまで期待されている。中産層の女性は、子どもの教育達成に対する負担が、女性自身に転嫁されるのに対して不満を持っているが、「不安」だからこそ、私教育に走ってしまうという 。 前掲、朴昭珍、28頁。 なぜならば、少なくとも、子どもに無関心であるという非難から免れ、私教育というサービスに頼ってでも、子どもに対して何かをしてあげているという心理的な安定感が得られるからである。子どもが良い学歴と専門職を得られない場合に受ける周囲からの非難や無視に敏感になっている中産層女性たちが抱える憂鬱の問題も深刻であるといえる。韓国の教育体制におして自分自身が主役になってしまった「家族事業」の企画に対して、疲れ果て、なお怒りを覚えた中産層の女性たちは、韓国社会における再生産の危機を、余すところなく担っていることであろう。
5.社会的連帯のための想像力
社会的再生産の危機は、国家の危機でもある。何よりも社会的再生産を、誰が、どのような方式として担当すべきなのか、問題として挙げられる可能性がある。また、この過程において、政治的な闘争は必然的である。韓国は世界11位の経済大国であるが、たとえば、学校で子どもたちに与える給食の問題、この給食を無償にするかしないかという問題を「政治的な試案」として扱うこの国では、社会的再生産に関する長期的な展望を持つことは難しいかもしれない。国家が、税金を通して再分配機能を効率的に行使するだろうという信頼も、消えつつある。現政府において法人税の減免を通じた企業活動の促進、お金持ちの減税を通じた「富益富・貧益貧」現象は、国家の調整及び管理機能が、資産家と企業にいかに有利に利用されているかを、良く示唆している。
韓国社会は、国家が提供する経済的・物理的・情緒的な安全網のない個人がひたすら自身の資源を動員し工夫することで、生存と社会化過程を図らないといけない状況にある。現在の中産層は、強い意志、誠実さ、そして教育の方を通して成功できると信じているし、また、このような戦略のおかげで自分自身が中産層になれたと信じる世代である。しかし、子どもの階層上昇のために選んだ生涯戦略は、消費志向的で過度に道具的であるといえる。公共的な資源が投与されるべき社会的再生産領域が、市場に支配される時、中産層は、当たり前のように「負債まみれ」の状態になる。
負債の多い中産層の急増で、総体的な社会不安が加重される今、どのような政治的想像力で、連帯性を構築するのか悩むべきである。国家、市場、家族、第3セクターなどによって、バランス良く遂行されるべき社会的再生産の問題は、「李明博以後」を構想する2013年体制の様々な課題の中で、中心的なイシューになるべきである 。 市民運動界も、社会的再生産の脱市場化のために多くの努力を注いでいる。たとえば、「私教育の心配のない世相」という団体は、「もったいない、塾の月謝!」というスローガンの下で、私教育と全面的に戦っている。この団体は、私教育界において名声が高かった講師らを集めて、なぜ私教育が「お金の浪費」にしかならないかを説明し、説得しようとしている。消費主義を排除し、環境親和的な人生を送ろうとする中産層によって組織される社会運動なども起きている。衣食住になるべくお金をかけないで、不平等の原因である資本主義から脱することを目標とするアメリカのフリーガン(Freegan)運動や、シンプルで少しでも消費的ではない生態志向的な人生を日常化するシンプルな人生(simplicity/simple movement)運動などがある。
アンドレ・ゴルツ(Andre Gorz)は、中産層が「負債まみれ」から脱するためには、成長に対する疑問から出発すべきであると提案する。ゴルツは、中間階層の家庭における負債が、経済成長の重要動力になってきた点を指摘している。支払い能力のある需要の減少や経済の後退を防ごうと、銀行はお金を貸してあげながら中産層の消費をそそのかし、無駄遣いをするといった消費モデルを日常的な文化として位置づけた。消費文化は、個人化、特異化、競争関係など、反社会的な社会化に基盤をおいているために、もっと多くの自律性と実存の安全を確保することから、かけ離れていくようにさせる 。 アンドレ・ゴルツ(Andre Gorz)著、林喜根(イム・ヒグン)、鄭惠容(ジョン・ヘヨン)訳 『エコロジカ(Ecologica)』センガクエナム社、2008年、69~70頁。 ゴルツは、資本主義的な成長が強調する外面化した富ではなく、社会の「内在的な富」を創出することが重要だと力説する。内在的な富とは、生活環境の質、教育の質、連帯関係、相扶相助の組織、共通の常識と実際的な知識の拡散、日常の相互作用の中で反映され繰り広げられる文化などを意味し、商品形式ではないが重要な価値を持っている 。 同上書、163頁。 アンドレ・ゴルツの論議は、4大河事業のような「難開発」を通した外縁的な成長や、大資本と金融資本を主軸にする規模の拡張を、国家発展や国力と同一視する現政府の政策に強い疑問を持たせる。
内在的な富は、生活の質の問題であり、社会的再生産の方式に対する省察を要求する。結局、韓国における中産層は、虚構的な成功神話に傾倒されこの神話の失敗の可能性をあえて無視しており、この過程においてもっとも重要である非物質的かつ共同体的な価値を喪失している。高費用低効率の消耗戦の中において、絶えず空回りする中産層が、これからは、生活の質と社会的再生産のために、国家の責任に対する政治的な選択をしないとならない時期である。
現政府は、執権当時の中産層の崩壊を防ぐために、私教育費と住居費、医療費などの家計支出を画期的に減らす政策を推進することを約束した。「中産層を育てるヒューマンニューディール」と命名されたこの政策は、社会的再生産の費用を国家が負担するという宣言であったが、この約束は守られなかった。結局、中産層の危機は、国家の調整能力の不在のためにできたものであるため、危機克服のためには、国家が社会的再生産に対して努力を見せながら中産層の信頼を得られることしかない。たとえば、執権与党が約束した「半額(大学)授業料」問題を、ただの政治的なハプニングとして終わらせてはならないし、そして、保育の公共化と公教育における質の高い変化を実現させなければならない。国家の民主的な調整機能を失った社会における中産層の役割は、市場主義原理として貫徹される社会的再生産の危機を、「社会的なこと」を回復することからスタートしなければならないのだ。
翻訳 : 朴 貞蘭(パク・ジョンラン)
季刊 創作と批評 2011年 秋号(通卷153号)
2011年 9月1日 発行
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