「新たな政治」への省察と前進
高源(コ・ウォン)
ソウル科学技術大学の基礎教育学部教授。 政治学。 著書に『大韓民国の正義論』『韓国の経済改革と国家』などがある。onekoh@hanmail.net
1. はじめに
2012年の大統領選挙は、いつにもまして「新たな政治」に関する議題と言説の豊富な年であった。振り返ってみると、1997年の大統領選挙では、未だかつてなかった経済危機を克服しようという国民の念願が水平的な政権交代という形で表出され、さらに、2002年の大統領選挙では、金と権威主義、そして地域主義のかたまりである旧態政治に対する嫌気が「盧武鉉(ノ・ムヒョン)ブーム」という現象として表出された。この二度にわたる選挙は、1987年の6月抗争以降の類似民間政府と文民政府から続く民主主義の拡大へと向かう歴史的な局面であったと言えよう。しかし、韓国の民主主義は社会問題の解決に対する国民の期待に答えることはできず、結局、それが2007年の大統領選挙での民主進歩主義の惨敗を招くこととなった。民主化の主導勢力であった民主進歩勢力は、政権交代には成功したが、アイデンティティーとリーダーシップの間に亀裂が生じ、国民に社会問題の解決に対する信頼感を与えることができなかった。2008年の李明博(イ・ミョンバク)政権の登場は韓国の民主主義が逆進する導火線となった。民主主義の退歩は、社会の両極化や成長潜在力、就職難などの問題を、過去の朴正熙(パク・ジョンヒ)政権の産業化のような方法で解決しようとする試みとして現れた。それは経済的な側面だけではなく、政治的な側面においても87年体制以前へと逆戻りする現象が集中的に現れ始めた。一方通行の国家運営と法治の無視、公安権力の復活、言論統制、民間人に対する監視と強迫など、民主主義の基本原理の崩壊を目の当たりにするような出来事が続々と起こった。しかし、李明博政府の統治方法は韓国の社会問題の解決はおろか、むしろ深化させる結果となり、一部においては回復不可能な状態へと後退させてしまった。これによって、過去の発展方法への回帰が決して社会問題の解決にはならないという事実が、国民の脳裏に深く刻み付けられることになった。このような集団経験をもとに、国民は朴正熙政権のような権威主義的発展や87年体制のような民主主義的発展よりも優れた、新たな体制への切実な願いを2012年の大統領選挙に投影させた。より安全で豊かな暮らしへの欲求が福祉に関する多くの議題を満開させ、公平な機会と結果への願いが経済民主化の議題を生み出した。人間の「幸福」と「暮らしの質」を求める新たな社会発展モデルを作り出すことが韓国社会での重要なポイントとなった。
それと同時に、国民は未来社会へと向かう関門として政治の変化にも注目するようになった。日々深化していく社会経済的な両極化、成長潜在力の低下など、社会問題に全く対応しきれていない旧態依然の政治を思い切って変化させるべきであるという国民の要求が噴出したのだ。新たな政治の核心は、権威主義体制だけでなく、87年体制の「欠損民主主義」をも克服し、政治の枠組みを根本的に立て直すことだ。そして、それは新たな政治制度、政治勢力、権力を作り出す問題へとつながっていった。
新たな政治に対する国民の渇望は「安哲秀(アン・チョルス)現象」という形で現れた。安哲秀現象は大統領選挙の過程で、終始韓国社会を揺るがした。政党に所属しているわけでもなく、政界に入門するという意思を明らかにしたわけでもない「非政治家」に、世論調査の結果では1、2位を争う高い政治的支持が集まり、それは1年以上続いた。これは、その強度と持続性において前例のない現象であった。2012年の大統領選挙において新たな政治という議題が浮上したのも、まさにこのような流れにおいてであった。
ところが、このような国民の渇望にも関わらず、大統領選挙の結果は旧体制の再生産と持続という逆説的な現象へと帰結した。新たな政治の象徴と見なされた安哲秀は野党圏の統一候補になれず、その安哲秀の指示を受けた文在寅(ムン・ジェイン)候補が選挙で敗れたことにより、新たな政治への試みはひとまず足踏み状態となった。新たな政治への試みの限界は、国民の渇望だけでは克服できぬ、何か本質的な欠陥要因への根本的な省察の必要性を示している。勿論、保守政権が発足したからといって、新たな政治への試みが終ってしまったわけではない。ただ、政治が変化しなければ、韓国社会が直面している問題を解決することはできず、如何なる政権も成功することができないという事実は明白なのである。
本稿は、2012年 の大統領選挙における新たな政治への試みの過程で露になった限界を分析し、今後の政局での新たな政治の方向性と課題をまとめたものである。従って、以下の順で論を展開していきたい。まず、新たな政治の言説の時代的背景といえる87年体制の政治的欠損とは何かを具体的に考察する。次に、去年の大統領選挙における新たな政治への試みが失敗した原因を分析する。さらに、朴槿惠(パク・クンヘ)政権下での新たな政治の課題を明らかにし、その実現可能性を見通し、政治革新を全うするための民主進歩勢力の役割を提示したい。
2. 87年体制の政治パラダイム、三重の危機構造
87年体制とは、6月民主抗争が切っ掛けとなって形成された特殊的な憲政秩序を表わす概念である。憲政体制は市民社会と国家間の権力関係を規定する制度であり、狭義では「憲法体制」と「政党体制」の組み合わせが持つ総体的な特性を指し示す。87年体制は、狭い意味で見ると、5年単任大統領制を頂点とした憲法体制と単純多数小選挙区制に基づいた地域主義の政党体制を組み合わせた政治的支配秩序と言えよう。
87年体制は、以前の旧態依然の政治秩序に代わる順機能を有していた。特に、5年単任大統領制は、権威主義体制の出現を制度的に抑制し、徐々に民主主義を発展させ、市民の人権など多くの権利を伸長させた。地域主義の政党体制は、大統領権力と議会権力間の一方的な支配構造をかなり水平的な関係へと変え、一党の絶対的な優位を保障していた覇権的な政党体制を地域基盤の水平的な割拠体制へと変えた。このような87年体制は、政府樹立以来、初の政党間の水平的な政権交代を可能にした。これを皮切りに、ようやく韓国社会は民主的憲政秩序への移行と強固化の過程を踏むことができたのである。
しかし、87年体制は、民主主義をより高いレベルへと発展させ、暮らしの質を高めるには多くの限界と束縛を有していた。特に社会の底辺に存在する多くの利害と要求を政治的に代表できず、社会的な基本権を発展させることができないという問題を生み出した。さらに、社会葛藤の解決にも力不足であった。その結果、ここ数年間、我々は韓国の民主主義が依然として脆弱であり、しかも急速に後退する可能性もありうるということを直接体験した。87年体制の限界は、代表性の危機、責任性の危機、統治の危機という三重の危機構造として現れた。
まず最初に、87年体制は民意をまともに反映することができず、政治制度としての代表制の危機を露にした。特権・既得権集団の利害は政治的に過剰代表され、社会構成員の多くの利害は過少代表された。韓国の政党政治は民主化の前後を問わず、これまで既得権勢力の利害関係とより密接であった巨大政党を中心に構成されてきた。新進勢力が入り込むには有・無形の障壁があまりにも多く、労働階級や下層階級の利益を代表する政党の成長が遮られてきた。このような意味で、これまでの韓国の政党体制は高度の独占・寡占体制であった。
さらに、韓国の政党体制の地域割拠的な性格は代表性の深刻な歪曲をもたらした。去年行われた19代総選挙の結果を見ると、保守政党の本拠地である釜山(プサン)・蔚山(ウルサン)・慶南(キョンナム)での進歩的野党圏の政党は、約38%の政党得票率を記録したが、議席占有率では、わずか7%にしか至らなかった。このような深刻な不比例性が存在する中で、社会構成員の大半が政治的に代表されることは不可能であった。
脆弱な代表性の問題は、巨大政党の寡頭的な支配構造にも内在している。韓国の政党はトップダウン型の権威的政党、又は名士中心の政党という固有の限界を抱えている。政党の最も重要な権力資源といえる公薦(公認)権は党のヘゲモニーを握った有力者によって行使され、それゆえに、政治家は国民のための政治に精を出すのではなく、公薦権を握っている指導部へのご機嫌取りに必死であった。
二つ目に、87年体制のもう一つの問題は、国民の暮らしへの責任を果せなかった責任性の危機である。現在の韓国において、国民が感じる不安の根源の実体は「国家のない暮らし」、即ち、社会共同体の最後の砦である国家の公的機能が急速に崩壊したという事実である。韓国社会の高級官僚はもはや公職者とは呼べないほど私益追求集団へと転落してしまった。それにも関わらず、国家は天安艦事件(韓国哨戒艦沈没事件)を切っ掛けに、「従北」勢力と非難し、国民を脅してきた。
このように国民の日常的な暮らしの中で国家が消滅してしまった原因は、牽制と均衡の三権分立システムがまともに作動していないからである。 それは二つの問題に起因しているのだが、一つは市民参加が効果的になされていないため、社会勢力間の力関係が不均衡になり、それによって国家が特定集団に捕獲されているからである。87年体制は民主化にも関わらず、先進民主主義国家に比べて、市民参加によるガバナンスをしっかりと制度化することができなかった。政党は社会的基盤が欠如しており、官僚的な支配という伝統が依然として根強く残っていた。国民が直接選出し、召還できる公職対象者の範囲は狭く、国民投票権や立法発議権など、直接民主主義の機制は大きく制限された。もう一つは、国家機関間の徹底的な牽制と均衡が破れたという点であるが、これには権限と機能が独占・寡占的に設計されている政府権力の構造問題と政府権力に対する不十分な管理監督の問題も含まれている。ここには、具体的に短時間で権力の享有を極大化させようとする5年単任大統領制の問題、地域主義の政党対立の中で政府を牽制するよりは政権を保つための党派の争いを最優先せざる得ないという問題、権威主義の残滓による権力機関の肥大化などの問題が作用している。
三つ目に、政治勢力間の極端的な敵対と分裂により、真の多数派を形成することができず、それによって正統性が動揺し、まともな国家運営を行うことができない統治の危機である。大統領は政派を問わず、社会を統合するよりは、自分の親衛グループと支持者の強力な結束を維持することに専念している。そのため、大統領が提議した全ての議題は理由を問わず、反対陣営によってことごとく政争の対象とされた。
このような構造的な問題を引き起こした要因は、5年単任大統領制と結びついた地域割拠主義の政党体制の問題であった。全国が両分、もしくは三分化される中で、勝者独占の大統領権力を握るための無限の対立を繰り広げる構造において、過半数未満の相対的な単純多数の政権から抜け出すことは困難であった。1987年の大統領選挙での盧泰愚(ノ・テウ)大統領の得票率は36.6%、次の金泳三(キム・ヨンサム)大統領は42.0%、金大中(キム・テジュン)大統領は40.3%、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は48.9%、李明博(イ・ミョンバク)大統領は48.7%であった。これに投票率をかけると、盧泰愚32.6%、金永三34.3%、金大中32.5%、 盧武鉉34.6%、李明博30.7%と、有権者全体の実質的な支持率は3分の1にとどまっている。これは民主化以降の全ての政権において、権力の正統性という問題が存在するという意味であり、リーダーシップの不安定をもたらし、国家的な懸案を解決不可能にする構造的な要因であった。
3. 2012年の大統領選挙での新たな政治の試みと限界
2012の大統領選挙は、87年体制に内在していた三重の危機構造を解決せずには、韓国社会がこれ以上前進できないという事実が大衆的に認識される切っ掛けとなった。李鉉出(イ・ヒョンチュル)と賈尙埈(カ・サンジュン)の両学者が2012年の7月に実施した調査によると、韓国の発展を妨げる最も大きい要因として政治圏の無能と対立が挙げられた。経済不安の要因としても圧倒的な意見で政治圏の無能と腐敗が挙げられ、これらを解決する方案として、最も多数の意見として大企業と中小企業の同伴成長と政治圏の役割が挙げられた。李鉉出(イ・ヒョンチュル)編『大統領選挙と時代精神』、オルム、2012。
新たな政治という議題の登場は、安哲秀候補の出馬宣言が切っ掛けとなった。安哲秀候補は出馬宣言文で「国民は政治を変えなければならないと訴えています。」「政治が変わらなければ我々の生活も変わることはありません。新たな政治が始まらなければ、民生中心の経済も始まりません。」と主張した。政治革新が本格的な選挙の議題として浮上すると、民主統合党の文在寅候補とセヌリ党の朴槿惠(パク・クンヘ)候補も素早くこれを吸収し、重要議題として採択した。
特に、10月の初旬から11月末の安哲秀候補の辞退までの野党候補の一本化において、新たな政治は最も中心的な議題であった。この過程で政治革新と政権交代に対する両候補間の激しい解釈論争が展開された。安哲秀候補は政治革新へより高い価値を付与し、それに反して文在寅候補は政権交代を最優先とした。両者の価値が相互必要条件であるという点では総論的な一致をみたが、実現方法においては相当なズレが見られた。
結果的には、野党候補の一本化がなされたにも関わらず、新たな政治の価値は十分に実現されなかった。候補一本化以降、文在寅候補が安哲秀候補の政策を最大限受け入れる姿勢を見せたが、安哲秀候補の辞退により政治革新の色褪せを食い止めることはできなかった。文在寅候補が自己刷新に思い切ってメスを入れることができなかった点も重要な原因であった。これは政権交代という目標にも否定的な影響を与えることになった。しかし、最も重要な問題点は、新たな政治の議題設定者であった安哲秀候補の政治的な力量が、それを実現するにはかなり不足していたという点である。
安哲秀候補が提議した政治革新の内容は、総論の方向としてはかなり正確であった。政治圏が既得権・特権を諦め、これを社会改革の動力にしようという提案はかなり斬新であり説得力のあるものであった。政治圏が既得権・特権を自ら放棄してこそ、分裂と憎悪の政治を乗り越えることができ、さらに民意を反映した政治制度を作り出して未来へと進むことができるという主張は現実にぴったりと当てはまるものでった。しかし、安哲秀候補はそこから一歩踏み出し、課題を体系的に提起することができず、野党候補の一本化の協議過程においてまともに貫くこともできなかった。
問題をより詳細に考察してみると、次の3つの問題に分けることができる。一つは、政治革新プログラムを新たな体制へと向かうための代案権力のビジョンと結びつけることができなかったという点である。新たな政治プログラムがお互いに結びつき、作動するためには、対案的な方向を示す価値路線、大衆との疎通が可能な言語フレーム、さらに、これらを勢力や組織として作りあげる具体的な計画が提示されなければならなかった。しかし、安哲秀候補が提示した政治革新プログラムは、それぞれ個別化された主張にとどまってしまい、総体的なビジョンとしては形成されなかった。政策路線は明確なアイデンティディーを獲得するのに失敗し、政治展開は主にスタイル政治中心に行われた。未来の権力を担当する新たな政治勢力形成のための戦略を示すことすらできなかった。新たな国民政党の建設に対する内部論議が行われたりもしたが、外部の抵抗を恐れ、主張することすらできなかった。結果的に安哲秀候補は、既成政党へ強力な刷新の圧力をかけるどころか、逆に圧迫の対象へと転落してしまったのだ。
二つ目は、安哲秀候補が「新たな政治」と「政権交替」という言説を上手く結びつけることができず、絶えず混乱が生じたという点である。「政権交替」と「野党候補の一本化」という言説を主張する民主統合党の攻勢の中、安哲秀候補は最初から「政党か、無所属か」という問題の限界を乗り越えることができず、戸惑い悩む様子を見せた。候補一本化という問題においても、彼は両極端な態度を繰り返した。最初は、候補一本化に対して、過剰なほどに否定的、且つ防御的な態度で一貫していたが、世論による一本化の声が高まると、まるで武装解除したかのように一本化に合意するなど、混乱した様子を見せた。
三つ目は、安哲秀候補は新たな政治の目標を実現させるための各論的な知識と手段に対する理解が不足していたという点である。「議員定数の縮小」や「選挙費用の半額化」のような政治革新の二次的な事柄に足を引っ張られてしまい、新たな政治の価値構造を混乱に陥らせ、政治的な支持基盤を乱してしまったのである。特に、このような問題において、進歩的な知識人・マスコミ・市民運動勢力などと不和が生じたのは致命的であった。多くの進歩的知識人らは、結局、安哲秀候補に「反政治主義者」の烙印を押すに至った。混乱は知識人社会に限った現象ではなかった。安哲秀候補が進歩改革陣営の内部で葛藤と分裂を引き起こす様子を見て、多くの野党寄りの支持者たちは衝撃を受け、動揺し始めた。
このような理由により、安哲秀候補は、当初、新たな政治を大統領選挙の中心議題とする決定的な役割を果したにも関わらず、野党側の候補一本化の競争においても負け、最終的に新たな政治の実を結ぶことに失敗した。安哲秀候補の政治的な力不足による候補辞退、それによる政治革新への圧力の弱化と民主党の自己刷新の遅延、この二つの問題がお互いに絡み合い、新たな政治の限界は、結局政権交代の失敗へと帰結した。
4. 朴槿惠政権下での新たな政治の展望と革新の課題
民主進歩勢力の大統領選挙での失敗により、新たな政治に対する渇望もある程度水面下へと潜んでしまった。しかし、そのような流れが完全に消滅したわけではなく、朴槿惠政府という制約された環境の下でも持続すると思われる。今回の大統領選挙では、候補を問わず、政治革新の公約に未だかつてない比重を付与した。朴槿惠候補も「健康な市民達の直接参加」「大統領の国会尊重」「野党との疎通」など、野党側の候補者たちと同様の政治刷新案を提示したりもした。今後、各候補陣営が提示した政治革新の議題をめぐり、主要な政局イシューが形成される可能性も大きいと思われる。
勿論、 朴槿惠政府が政治革新に逆行する方向へと進む可能性も少なくはない。自ら孤立した位置を固守し、保安と秘密を強調しながら、方針を下達するような一方的なリーダーシップを朴槿惠大統領はこれまで何回も見せてきた。このようなリーダーシップの危険性は、最近の引受委員会(大統領職引継委員会)と憲法裁判所長の人事権の行使においても直・間接的に現れている。
しかし、政治革新の実現は、朴槿惠政府の主観的な意思によって変わるのではなく、執権勢力と反対勢力の力関係が如何に形成されるかによって変わるのである。朴槿惠政府を取り囲む政治的な力関係の環境は、過去の李明博政府に比べると遥かに良好な方である。李明博政府の下では、大統領と与党により主要な事案の殆んどが議員数と物理的な力を動員して推し進められた。そのため、政局は抜き打ち採決と暴力事態により、跛行状態が続いた。しかし、今回の政府は、ある程度与野党の勢力均衡が保たれており、執権勢力が専横に振舞う可能性はかなり低くなった。万が一、執権勢力が過去のような慣性に従って無理やり推し進めるならば、却って政治的な危機を招くことになるだろう。
18代大統領選挙の結果を分析してみると、政治社会的な面においても与野党間の妥協接点が従来よりも遥かに多くなっていることが分かる。まず、今回の選挙では社会全般の理念スペクトルが「経済民主化」や「福祉」のような進歩的議題へと移動しており、各候補間の政策的な異質性は以前よりもかなり縮小されている。保守的なセヌリ党さえも政策的な環境の変化に適応するため、このような議題を素早く受け入れた結果である。有権者の間でも既存の地域対決、階級間の亀裂、理念葛藤などの問題が弱化しているという肯定的な指標が目に付く。例えば、ソウルの江南(カンナム)の3つの区で、野党候補が40%の得票率を記録しており、他の地域との格差は以前よりもかなり縮小された。ただ、世代間の亀裂は深化している。しかし、これは政治変化を妨げるよりは、促進させる方向へと作用する要因になると思われる。
今後、このような条件をうまく活用させるためには、朴槿惠政府が退行的な方向へと進むことを牽制しながらも、妥協可能な接点を作り出すことが重要である。朴槿惠政府のリーダーシップスタイルに危険要素も多く見られるが、社会政治的な環境がかなり変化しており、政治革新が朴槿惠政府の成功とも関わっている問題であるだけに、お互いに利害関係を共有できる接点を作り出し、それを徐々に拡大していくべきであろう。
ならば、我々は朴槿惠政府の発足という状況のもとで、何を、どこから、どうやって変化させるべきであろうか。最も重要なことは、まず政治を復元することである。これ以上、政治家と国民が地域・理念・党派によって分裂し、絶えず相手を不信、憎悪するような無駄な政争を終えるべきである。そのためには、勝者独占の政治構造を緩和させ、極端的な対立を引き起こす要因を除去しなければならない。
まずは、制度的な実践目標を明確に設定する必要がある。これまで国会で主に提議されてきたものは「国会先進化法」のような国会での暴力行為自体を規制するものであった。しかし、そのようなレベルでの論議では、問題の根本的な原因を見逃してしまうだけでなく、対決の政治文化をまともに清算することはできない。暴力行為や揉み合いの発端には、国民多数の否定的な世論にも関わらず、人数と力を盾に自分たちの政策を一方的に推し進めようとする勝者集団の貪欲と独占の論理が作用しており、さらには、このような状況を繰り返し再生産する制度上の構造が存在しているからだ。従って、このような問題意識をもとに与野党が合意可能なところから始め、徐々に政治革新のレベルを高めていくことが重要なのである。
新たな政治の実現のために先決すべき課題は、以下のようである。まず一つ目は、各政党の自己革新である。政党の革新が最優先すべき条件である理由は、政治全般の根本的な変化を成し遂げるために、最も重要な主体である政党から変化しなければならないからだ。また、政党間の合意の必要がなく、推進が容易であり、どの政党であろうが、先に成果をあげたら、他の政党にも革新競争が素早く波及する可能性が高いのである。
革新の方向としては、政党の下向式で覇権的な支配構造を党員と国民が中心となるような水平的なネットワーク構造へと変化させることである。その最も重要な手段は、公薦(公認)制度の革新である。公薦制度は、これまで主要な政党の内部において覇権争いとコネ文化を生み出す主犯であった。公薦制度の革新は、既存のような「上向式であるか、下向式であるか」のような二分法的な接近方法では不可能である。上向式の競選(党内選挙)を行うとしても、党内の系譜政治の代理者に過ぎない中央党の公薦審査機構をそのままにしては、徹底的に捏造されるしかないというのがこれまでの経験である。上向式の競選が正常的に行われるためには、有権者に公職選挙志願者に関する基本的な検証と情報を提供する過程がしっかりとしていなければならない。そのためには、上向式の競選を基本としながらも、既存の公薦審査機構に代わる方案は何かを提示すべきである。そのような意味で、公薦審査委員会のような方法を廃止し、その代わりに、下からの選出と抽選によって構成された市民陪審員が、候補支援者を相手に内実のある討論と評価を進行してから表決するという方法を採択する必要がある。
この他にも、政党の中央集権的で下向的な構造を自律的で分権的な構造へと転換するための象徴、及び実質的な処置が並行しなければならない。例えば、中央党と国会議員が、地域の政党組織を支配できないように権限を制度的に分離するのである。政党の国庫補助金の配分を地域の草の根政治を活性化する方向へと大幅に改善し、 国庫補助金が市民の参加・監視の下で透明に使われるよう、覇権的支配の物的土台を取り除くことも重要である。
二つ目は、政党間の革新競争が始まったら、合意を前提とした地域割拠主義と独寡占体制の改革に着手すべきであるということだ。地域割拠主義による独寡占体制を打ち破る最も確実な方法は、現行の単純多数小選挙区制を政党得票率と議席占有率の比例性が強化される方向へと変えることである。そのためには、政党名簿比例代表議員定数を50%レベルに増やす方法と、全国区比例代表議席数は現行維持したまま、地域区の選出方法を圏域別大選挙区制に変えるという方法がある。しかし、問題は、どちらにせよ与野党間の妥協を導くことが容易ではないという点である。
従って、巨大政党による独寡占体制を打ち破るためには、大衆的に訴えることができ、直ちに実践可能な方案を見つけなればならない。選挙と議会政治の活動において巨大政党の既得権構造を非合理的な方法で保証している各種の制度を見直す必要がある。例えば、選挙で巨大政党優先に記号(番号)が割り振られる「記号順番制」を廃止し、抽選により記号が割り振られる方法を採択したり、又は現行の交渉団体中心の国庫補助金の配分方法を議席率・得票率を考慮した比例的な配分方法に変えるなどの方法が考えられる。
三つ目は、大統領と非合理的な権力システムを改善しなければならないということである。その核心は、5年単任大統領制の変更、監査院の会計検査権の国会移転、大統領決戦投票制の施行、責任総理制の導入など、牽制と均衡の原理に従った制度的な構造を作り出すことである。しかし、政派間の先鋭な政治的利害関係が絡み合っているだけでなく、改憲同様の事項が多いため、これらを直ちに推進するのは容易ではない。ならば、微視的、もしくは中範囲的なレベルでの改善方案を作り出し、その成果を着実に積み重ねていく必要があるだろう。
まず、憲法に規定されている総理の権限、及び機能を現実化したり、責任長官制を強化する形で大統領の権力の恣意性を縮小すべきである。検察・警察・国税庁のような大統領の権限の誤用・乱用を誘因する肥大な権力機関の権限の分散により、牽制と均衡を強化しなければならない。さらに、大統領が行使する各種の直間接的な人事権を縮小、及び制限すべきである。現在、大統領の人事権は大統領制を採択している他の国家に比べて牽制されていない面がかなり多い。長官や監査院長の任命の際、国会の牽制の役割を強化すべきであろう。また、依然として、落下傘人事(天下り)が問題視されている公企業、及び公共機関の代表任命にも国会による統制の強化が必要だと思われる。
国会議員の権限もやはり、機能と責任は拡大しながらも、特権は大幅に縮小する必要がある。韓国の国会議員は世界的なレベルから見ても、かなり多くの特権を与えられていると言われている。国会議員の年俸と各種の恵沢を縮小し、国会議員の補佐官の便法による運営も厳格に制限すべきであろう。
5. 新たな政治のための民主進歩勢力の役割
民主進歩勢力は、今回の大統領選挙の敗北により、大きな後遺症を抱えることになった。内部的にはその原因をめぐってお互いに責任を押し付けるような場面も繰り広げられた。しかし、敗けはしたが、民主進歩勢力に与えられた役割は決して小さくない。何よりも朴槿惠政府とセヌリ党が力の優位性に物言わせて政局を運営することのないよう、野党圏の強力な牽制が絶対的に必要なのである。また、執権勢力の狭小な政治改革の内容を充実に埋めていくという意味でも野党圏の役割は必須的であろう。
朴槿惠政府の発足により、民主進歩勢力は、既存の慣性的な対応から脱皮し、一段階高いレベルでの創造的な対応を要求されている。これまで与野党を問わず、相手の失敗を誘導するような傾向が見られた。しかし、それによって政治が跛行すれば、社会的な危機に対する責任をお互いに押し付けるような政治が行われ、国家主義のイデオロギーと権威主義が横行する可能性が高くなり、結果的には、国民と民主進歩勢力が最も多大な苦痛を受けるという事実に気付かなければならない。現在、政治的に旧態依然の慣行と制度を克服できるような多少は改善された環境が造成されつつはあるが、リーダーシップの面では依然として不通、顔色うかがい、秘密主義などのような封建的な様子がまん延している。単純に朴槿惠政府の態度によって受身的に対応していては、このような両面的な状況にしっかりと対応することはできないだろう。民主進歩勢力は、強力な牽制力を発揮すると同時に、妥協点を事前に示すような二重的な戦略を取らなければならないのだ。
今後、民主進歩勢力が政局を主導するためには、自己刷新という面で、朴槿惠政府とセヌリ党よりも先に進まなければならない。覇権主義、系譜政治、政派主義、コネ主義を再生産するような内部の制度と文化を清算すべきなのである。民主進歩勢力が自ら強度の革新プログラムを稼動し、政治圏全体の革新競争を主導しなければならない。そうすれば、朴槿惠政府とセヌリ党を圧迫できる力がつく。そして、何よりも民生の切実な苦痛に耳を傾けることのできる能力を身につけることができるのだ。
今後、どのような形であれ、民主進歩勢力の再編は避けることができないであろう。その成功のポイントは、新たな政治のビジョンを示すことのできる未来型の政党システムを作り出すことができるかどうかである。去年の総選挙と大統領選挙での失敗により、民主統合党に自ら内部革新を実現させる動力が存在していなかったという事実が明らかになった。それだけでなく、外部との連帯による革新可能性も消耗しつくしたことが分かった。今、民主進歩陣営には、民主統合党による独占的な支配構造が存在しており、これが革新と変化を挫折させてきた。従って、革新のためには、民主進歩陣営内部の独占体制を打ち破り、競争体制を建設しなければならない。
ところが、民主進歩陣営が直面しているもう一つの問題は、党と市民社会のどちらにも政治革新を導くような明確な主体が形成されていないという点である。現在、民主統合党の主導権は、いわば「親盧武鉉-486」の政治家たちの連合勢力が握っており、彼らが自ら既得権を手放す可能性は少ないと思われる。彼らのヘゲモニーに挑めるような内部勢力は存在せず、存在するとしても、かなり破片的である。民主統合党の外部には潜在的に安哲秀グループや進歩左派の政治勢力などが存在するが、安哲秀グループは、前回の大統領選挙で政治力の限界を浮き彫りにし、進歩左派の政治勢力は、去年の統合進歩党の事態により瓦解した状態である。市民運動グループは、政党中心の選挙過程の中で周囲的な役割にとどまってしまい、また、政治参加をした場合にも、結局は道具としての役割に転落した感がある。
このように政党刷新を導く明確な主体が存在しない状況のもとで、派閥間の力比べによる自己革新は、根本的な限界を露にするだけだ。自己革新が、内容のない勢力関係の再編や人的な清算にとどまってしまっては、結局何も改善されないという事実を確認させるだけだ。このような状況は、一般市民の参加を導く実質的な代案の提示が、勢力の再編と同時に行われなければならないということを示唆している。そして、この過程において、政党と市民運動の力を集め、協治を稼動させるようなプログラムを開発しなければならないのである。
そのようなプログラムの一貫として、筆者は「市民陪審制」方式の革新を提案したい。市民陪審制方式とは、直接的な利害当事者や職業的な専門家集団ではない、独立的な一般市民の中から一定の手続きを通じて選ばれた陪審員が政党の意思決定に参加することを指す。陪審員は、各市・道の党において公正な選出方法で2倍数を選び抽選を通して最終選出するか、又は中央党において一般の党員、及び有権者の公募により基本的な審査を行った後、抽選で選出するか、どちらかの方法で決定することができよう。このように構成された陪審員は一定期間、政治制度を学習し、多様な利害団体からの意見を聞き入れ、自主的な討論などを行い、政治革新案を出すことになる。各政党は、この革新案に対して修正を要求することができず、ただ、可否の投票によって受け入れるかどうかを決定する。これは、カナダの一部の州といくつかのヨーロッパ国家において施行されている「市民会議(citizen’s assembly)」の運営趣旨と似通っているとも言えよう。
民主進歩勢力は、今後このような方法で自己革新に取り掛かり、年末までには革新作業を終え、来年の地方選挙の際に、その成果を公薦過程で反映しなければならない。そうすることによって、セヌリ党を初めとする政治圏全体の革新を刺激することができよう。そして、その成果が政党間の独寡占体制を解消し、さらには非合理的な政府権力構造が生み出す政治体制の全般を革新できるよう拡大しなければならない。
翻訳:申銀児
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