창작과 비평

〔対話〕 2012年と2013年

 

 

 

金龍亀(キム・ヨング) 未来経営開発研究院長。著書として『韓国企業支配構造の現在と未来』(共著)、報告書として「政府人事の新たなパラダイムとビジョン」「学習国家と国家ビジョン戦略」などがある。

白楽晴(ペク・ナクチョン) ソウル大学名誉教授、『創作と批評』編集人。最近の著書として『どこが中道で、どうして変革なのか』『文学とは何か、あらためて問う』『2013年体制づくり』などがある。

李相敦(イ・サンドン) 中央大学法学部教授。2011-12年ハンナラ党非常対策委員、セヌリ党政治刷新特別委員を歴任。著書として『米国の憲法と大統領制』『静かな革命』『危機に処する大韓民国』などがある。

李日栄(イ・イリョン) 韓国神学大学グローバル協力学部教授、経済学。著書として『韓国型ネットワーク国家の模索』『新しい進歩の対案、韓半島経済』『中国の農村改革と経済発展』などがある。

 


 

 

李日栄(司会):本日の対話では、2012年と2013年の意味と性格を推し量りながら、最近「時代交代」という言葉が人々のよく話題にされるように、新しい時代とはどういうものであり、韓国社会はどこへ進まねばならないのか、話しあいたいと思います。また、第18代大統領選挙(以下、大選と略)が終わって2013年になりましたが、その雰囲気は第13代大選(1987年12月)直後の1988年初めと似ているんではないかと思います。一方はほっと安堵し、他方はとても失望しているようです。詩の一句「春来不似春」を借りて、2013年になったのに「まだ来てない」ようだと表現する人もいます。また、青少年がつくって流行らせた「メンブン(メンタル崩壊)」のような言葉が、政治・社会の分野でも広く流行しているんではないかと思います。与党側の支持層も選挙には勝利しましたが、それほど欣快な心情ではないようです。最近は経済が極めて厳しいと言い、大企業や金融界では構造調整が迫っているという懸念も広がっています。そうした点から2012年に意味をもたせて解釈することは、2013年を切り開いて希望を生みだしてゆく出発点といえましょう。3人の先生方をお招きし、この点について意味のあるお話を交わす場になれば、と思います。みなさん有名な方なので、私が特に紹介する必要はないようなので、昨年の経験をお話しながら自己紹介もかねていただければと思います。

白楽晴:李日栄先生からカミングアウトしてください(笑)。

 

2012年の総選挙と大選は私たちにとって何だったのか

 

李日栄:私の紹介をどのようにすべきかわかりません。私の2012年の状況は多少複雑です。昔の話からすれば、1987年末と88年初めの大選の時期、私は大学院生でした。その当時民主化の熱望は高かったのですが、大選の結果を見て失敗したという思いが広がり、そこで若い研究者仲間でもう少し科学的な態度が必要だと言って研究会を作った記憶があります。その時から経済学の専攻者として今まで政策研究をしてきたといえるでしょう。しかし、昨年4月の総選挙で急に衝撃を受けたような感じがしました。私はふだん、87年体制を越えて新しい秩序に進んでこそ韓国経済が進路を開拓できると主張する側でしたが、4月の総選挙をみて既存の野党の力量では問題があると思いました。そうした状況で新たな勢力による経済革新や政治革新が必要だという論議が広く行われ、その熱望が安哲秀現象として現れたようです。経済学用語でいえば、「デュオポリ(複数独占ないし二者独占)」という独占体制、つまり二者が既得権秩序を形成して絶えず政治的な不安定が現れ、こうしたものが経済を改革して革新的な成長モデルを作りだすのに障害になると考えました。ちょうど安哲秀現象が現れ、その期待が特定の指導者を生みだすべきだという熱望につながりました。もちろん不安もありました。システムが備わっていなかったのです。それで、そうしたものを安定化するのに一助となろうと思い、政務的な介入をしたことはありませんが、安哲秀選対本部の政策をつくるのに参加して力になろうと努めました。それなりに努力しましたが、ある方からはあまりに安易に考えてたてついているのではないかという叱責も受けました。それで、実は、私も自己省察をしなければなりません(笑)。このぐらいにしておきましょう。

金龍亀:私にとって国家経営の観点から2012年は少し特別な年でした。この間李明博政権の限界が明らかになって、何よりも公共性の価値が崩れていく状況でもハンナラ党の支持率は常に野党より高かったですね。こうした現象がよく理解できずに2012年1月になり、私が見るには責任政治のレベルで正常な局面、つまり野党支持率がようやく上がっていくのを見ながら、総選挙と大選が国民の立場では正しいものを正しく見て、間違ったものは間違いと見る選挙になるだろうと期待しました。でも、4・11総選挙の結果は全く異なって現れました。それで、なぜこういう現象が現れるのか分析しながら、これが12月の大選にはどういう影響を与えるのか熟考しました。一般企業や国家の公共組織は大型行事を行ったり、何か問題が生じれば、当然それに対する評価を含んだ報告をするものですが、当時1月まで高い支持率を得ていた民主党が4・11総選挙で失敗したにもかかわらず、まともな報告書を出さずに時間だけが流れていくのを見て、本当に問題が多いと思いました。野党に問題が多ければ与党も影響を受けるという点で、全般的に今回の大選が責任政治のレベルで順調にはいかないだろうと予想しました。そうした観点から大選の進行過程に注目すると、私が以前政党のビジョン樹立と組織設計をコンサルティングしてきた経験もあり、今回の大選で成功できる要素とは何かを一度考えるようになりました。第一に、今回の大選の核心は候補の学習能力だと思いました。第二は、候補を取り巻いている参謀陣の能力です。その能力とは専門性、開放性、拡張性です。とにかく本人の学習能力が高く、傘下に力量のある参謀陣を置いた候補が与野党を問わず当選の可能性がある、と2012年半ば頃に考えるようになりました。

ところで、民主党に注目すると、候補が決定される過程で情熱的なビジョンやひたむきな姿が見られませんでした。候補が決定した後も、大統領候補ならば党に対する全権をもつため、4月の総選挙に対する評価を含めて、党の革新方向が出るだろうと思いましたが、結局出ませんでした。そうした流れを見るにつけ残念に思いました。反面、ハンナラ党から名前を変えたセヌリ党を見ると、とにかく先ほど申し上げた学習能力が選挙過程に相当反映しているのが確認できました。多くの政治評論家が語っているように、朴槿恵候補が野党の主張を大幅に摂取してアジェンダの多くを本人のものにしたことが、まさに学習能力を示した事例です。選挙の流れを見ると、本人の話に対して顧客である国民がどのように反応するのか、また野党の主張を国民がどのように受け入れるのか、一日に何度も点検したんではないかと思えるほど、敏捷な対応をしていると感じました。野党支持者の立場では、李明博政権が民主共和国の基本を壊して公共性のレベルであまりにも多くの失策をしたため、当然権力が野党に移るだろうと断定していたのですが、そうはなりませんでした。私は今回の選挙を契機に、特に野党が新たに学習すべきだと思います。また、学習する方法自体を学習すべきだと思います。

李日栄:金院長がおられる未来経営開発研究院では、大選候補や政党の力量を評価することもしていますか。

金龍亀:国家経営の成功レベルで、企業や公共組織だけでなく与野を問わず候補や政党の成功要因に関心を持っています。今回の選挙には関与しませんでしたが、2008年2月民主党のビジョン樹立をコンサルティングしたことがあり、その前には党中央の組織設計について諮問したこともありました。

李日栄:それでは李相敦教授、何しろマスコミによく出演されて一番知られた方です。お話しください。

 

与党側の辛勝と野党側の挫折、その原因は

 

李相敦:2012年が天から落ちてきたわけではないですよね。2007年大選と2008年総選挙でも、いわゆる進歩陣営は相当挫折したんじゃないですか。ともすると、今よりもっと無力だったと思います。大選に負けただけでなく、総選挙でもあんなに議席を奪われてしまったので大変な無力感を味わったでしょう。保守の力に乗じて李明博大統領になったわけじゃありません。中道・実用を標榜したのに政権初期にそれこそ困難な状況に陥ったので、保守の力を掲げて克服しようとしたはずみで私たちの社会で陣営の論理が強化されてしまいました。当時、与党側の有力政治家だった朴槿恵ハンナラ党前代表と李明博政権の関係は、韓国政党史で今までなかったものでした。私が知りあいになったのも伝統的な野党側の人士ではないが、政府批判をしてきたためです。そういう人が金鍾仁、尹汝雋、そして私の三人程度でした。検討して見れば、ハンナラ党は李明博政権が失敗しても何とか持ちこたえてきましたが、そこに参加しないプレーヤーがいて、それが種になって今のようになったんじゃないかと思います。また、呉世勲前ソウル市長の愚かな行動も作用しました。実際、呉世勲が党を救ったんです。一等功臣です(笑)。朴槿恵前代表が金鍾仁博士と私を非常対策委員に抜擢し、以前にない試みを行ったのが、2012年の1年間効きめがあったんじゃないかと思います。ハンナラ党が最低線に落ちこんだのが昨年1月初めだったと記憶しています。その後、内部葛藤にもかかわらず刷新を通じて再び誕生し、呼応を得たと思います。反対勢力も多かったです。セヌリ党の再創党過程で克服すべきものは克服し、妥協すべきものは妥協しました。政治とは理想のみを追求するものではありませんから。こうした過程を経て4・11総選挙で善戦し、選挙戦の終盤には運もありました。正統民主党が生まれていくつかで助けられ、金容敏の暴言騒ぎもありました(笑)。結局、大選もその延長線上にあったと思います。

大勢の人が今回の選挙は進歩と保守の大激突であり、保守がそれに勝利したと言いますが、私はテレビ討論のような場でこれに異議を提起したことがあります。その論理に従えば、こちら側で誰が出てもすべて勝たねばなりませんが、私が見るには、他の候補だったら百戦百敗だったでしょう。朴槿恵という人は朴正熙の娘という点もありますが、李明博政権との距離の置き方と以前にはなかった非常対策委員会で内外のヤマ場を克服し、辛勝したと思います。2012年は単に政党対政党、陣営対陣営だけでは見ることができない要素があると思います。この一年は私にとっても一生一世の経験でした。

李日栄:昨年1月ハンナラ党が低迷して、政党の刷新と組織革新という果敢な試みをした反面、民主党は旧態依然だったという考えを私も新聞コラムで披瀝したことがあります。ハンナラ党では李教授がその核心的役割をなさったようです。さて、白楽晴先生が話される番です。今日の対話を準備するためインターネットを検索してみると、白先生に対する言及が極めて多かったです。有力日刊紙の社説にこうありました。でたらめな政治コンサルティングをした、むしろこれからは大っぴらにやれ(朝鮮日報2012年8月24日)。そういう話でした(一同笑)。

李相敦:あの人たちがどれだけ賢くてそんな話をするのやら、あっちの話を聞いていたら、私たちは滅んでいますよ(笑)。

白楽晴:どこまでがコンサルティングかわかりませんが、コンサルティングしたというなら、失敗したコンサルティングをしたのは確かです。簡単に、私が果たした役割についてお話します。私は野党側の選挙勝利を希望して私なりに寄与しようと努めましたが、ある特定の候補や陣営に加担して動いたことはありません。終盤に野党側の候補が文在寅に単一化され、「政権交代―新政治国民連帯」が彼を国民候補として推戴した後、当時私が属していた「希望2013・勝利2012円卓会議」が明確に文候補支持を発表しましたが――もちろん単一化した時点からずっと支持してはいましたが――、それでも私自身は国民連帯に入りませんでした。私を含む市民社会の何名かの人々は、2009年末から「希望と対案」という組織を中心に新しいタイプの市民政治を試みたといえます。外国には市民政治の様々な事例がありますが、国内では市民運動といえば厳格に政治的な中立を、与野間にもほぼ機械的に中立を守って市民団体として自分がやるべきことのみやる運動があり、その他に市民運動をして現実政治へ入っていく人々、この二つのうちの一つでした。しかし、「希望と対案」は与野間では野党側を支持する党派性は明らかですが、野党側のどの政派どの側にも傾かず、自らが現実政治に入っていくこともしない、そうした市民政治を試みました。後に、個別的にその路線から離れた人もいますが、それが2011年7月にいわゆる「希望2013・勝利2012円卓会議」の結成へとつながり、昨年の選挙期間中、私は主にこの円卓会議を中心にして行動したわけです。

それとは別に、一人の知識人としてあるいは論客としては、2013年体制論というのを提起しながら、談論を通じて介入したことがあります。2011年3月だったでしょうか、「平和と統一のための市民活動家大会」というところに行って初めて発表し、その年『実践文学』夏号に文章で新たに整理しました(「“2013年体制”を準備しよう」)。2012年になって総選挙に先立ち、もうちょっと影響を及ぼそうかと思い、『2013年体制づくり』(チャンビ、2012年)という著書を出しました。その趣旨は、2013年にとにかく政府がかわって新しい大統領が就任するので、これを単に大統領の交代とか政権交代で終わらせるのではなく、本当にまともな新時代を出発させようというものでした。私の構想通りにはなりませんでしたが、2013年に新時代を切り開こうというのには、大選局面で与野党の候補が全員同意したわけです。文在寅候補は第二回テレビ討論で、87年体制を終わらせて2013年体制を開こうと明示的に話をし、朴槿恵候補は単なる政権交代を越えて時代交代をすると言ったので、そうした面ではお二人とも同意されたわけです。

しかし私は、漠然と2013年に新たにうまくやってみようという話ではなく、私なりのプログラムというかロードマップがあったのに、総選挙の敗北でまず外れてしまいました。2013年体制をつくるための第一歩は、私たちが2013年以後の時代に対してちゃんとした構想と経綸をもって実質的な準備をしてこそ、2012年の選挙でも勝利できるという趣旨でした。とにかく2012年の選挙に勝ってこそだとみたのです。元来私の主張は、総選挙に勝ってこそ大選も勝つというものでした。しかし、総選挙で負けました。それなら放棄すべきか、という岐路に立たされましたが、私なりには収拾して、2012年大選勝利がより難しくはなったが不可能ではない、という論旨を展開して12月の大選勝利を念願しましたが、それすらダメでした。では、2013年体制はどうなるのか。その問題について私なりにこの間考えたこともありますが、今日は貴重な方々をお迎えしているので、お話をうかがいながら新たに整理する契機になればと思います。

李日栄:選挙局面で行動として介入されたこともあり、談論レベルで介入されたようですが、談論レベルはもう少し後で話すことにしましょう。その前に、事実確認のレベルでうかがいますが、保守メディアでは白先生が主導して民主党を圧迫し、統合進歩党と手を握らせて候補単一化の過程にも具体的に関与なさったと言われますが、その部分はいかがですか。

白楽晴:4月の総選挙時、民主党と統合進歩党が選挙連帯をしたじゃありませんか。それは双方でしたものであり、簡単ではありませんでした。そうした場合、円卓会議を含めた市民社会、いわゆる野党側性向の市民社会の人士や団体が単一化を迫ったのは事実です。私はそこまでは当然だったと思います。単一化さえもしなかったら、もっと大敗したのは確かですから。しかし、いわゆる統合進歩党事態というのが選挙後に起きました。統合進歩党の側で、単一化の過程で自分の取り分をもっと増やそうと努めたのが、進歩政治の領域を広げようと思っただけでなく、統合進歩党内の特定系派、後に党権派と呼ばれたその系派の取り分を増やすために、よけい執拗だった面があります。それについて、私たちがもっと冷静に把握し、批判し、そうできなかったのが不十分な点です。

李日栄:野党側の連帯を通じて統合進歩党の党権派が最も利益を得たわけで、結局それが問題を呼び起こす状況になりましたが、初めからそうした点について明確に把握されていたんではなかったのですね。

白楽晴:統合進歩党の組織文化に問題が多いということ、また一般的にいわゆるNL(民族解放)運動の教条的な分派と、その問題点について大体把握していましたが、統合進歩党の内部事情がその程度だったとは知りませんでした。

李日栄:私たちみな同様ですが、その点で多少認識上の過ちを犯しましたね。

白楽晴:そうですね。

 

2013年体制論は今も有効なビジョンか

 

李日栄:2013年体制論、これには二つのレベルがあると思います。まず先ほどおっしゃったように、何かをしようとすれば構想と準備とビジョンがなければなりません。新しい体制と時代をつくるための基本条件や要素が何なのか、という問題があるでしょう。次に、そこへ行くためにどういう経路を踏むのかという問題があり、その核心は「連合政治」に要約されるでしょう。この二つのレベルで論議できると思います。2013年体制論のこうした問題意識について、どういう意見をもっておられるのか、金院長と李教授にお話願います。

金龍亀:白先生が2013年体制を提起されたのは、時宜適切だったと思います。ふだん先生が強調されてきた南北関係・平和共存の側面から見れば、この5年間に南北関係はこれ以上沈みようがないほど沈みました。また、福祉の問題が与野を問わずに台頭し、韓国社会の公正・公平問題が水面上に浮上しました。平和体制と福祉、公正・公平の問題を一つのシステムで解説するビジョンを政界全体に投じたという点で、2013年体制という問題提起は極めて説得力があったと思います。もちろん1987年に憲法がかわったため、87年体制という表現には問題がない反面、2013年にはまだそういうことがないので、体制という言葉をつけることに用語上の問題はあり得ますが、私たちが当面する問題の質的水準や深刻さを勘案する場合、そのように呼んでもいいと思います。

一方で、こうも思いました。先生の文章を見ると、2013年体制は南北の平和体制、福祉、公正・公平な国家に加えて常識と教養、民主主義まで回復されるべき時代なのに、李明博政権5年間に失われたすべてのものが一挙に回復されることを願う、どうかすると、あまりにも広範な構想を盛られたんではないでしょうか。これほど広範な2013年体制を強調したので、野党側の立場ではそれをあまりにも宿命的に受けいれようとしたんではないかと思います。この宿命論が自己学習を妨害する面もありました。とはいえ、大枠では2013年体制という話題を投げかけることで、与野を問わず新しい国家ビジョンの方向性に対する論議が可能になったようです。私は朴槿恵候補が選挙遊説で時代交代の話をするのを見て、元来この話は2013年体制論で白先生が強調されたものであり、結局与野党双方が2013年体制のビジョンを遂行しようというのではないか、と思いました。

李日栄:李教授は2013年体制の論議に批判的な立場だと思いますが…。

李相敦:数年前から野党側の曺国教授や金皓起教授も野党の統合と連帯をよく強調しました。似たような脈絡で統合を語っていた保守側の朴世一教授もいます。しかし、率直に言って、みんなで集まって統合しさえすれば政治ができるのかと思います。朴教授の立場には内容がないと思いますし、曺国教授のような見解については、内心うまくいかないだろうと思いました。そして2013年体制論は、内容を離れてそれ自体で、伝統的保守勢力にとっては非常に脅威的なものに思えたのです。

李日栄:どういう面で、でしょう?

李相敦:世の中をガラッと変えようというものじゃないですか。

李日栄:ちゃんと準備しよう、そんな次元ではないと?

李相敦:そうは見えせんね。まったく同じ新時代と言っても、朴槿恵代表が時代交代しようというのと、白先生が2013年体制をつくろうと言うのは違います。なぜなら、朴槿恵当選者の立場ではいくら中道で行くと言っても、固定層は気を使わなくても支持するんです。総選挙の結果を見れば、野党側全体の力はかなりあったと思います。光州西区乙に出馬したセヌリ党李貞鉉候補の場合も、民主党の候補が出たらダメだったでしょうが、統合進歩党の候補が相手ならそれでも何とかなるだろうと思いましたが、やはりダメでした。ところで、民主党の比例代表名簿を見たら、出しぬけにひどい人たちが大勢出てるじゃないですか。その影響が大きかったと思います。怒って審判しようと投票しに行く人もいますが、危機意識のために出かける人もいます。私は基本的に選挙で世の中がガラッと変わるとは思わず、次第に進化していくと思います。朴槿恵政権になったのも一つの進化という過程です。そうした過程を通じて発展するんではないですか。

李日栄:私も2013年体制を準備しようということに強く共感して文を書いたりもしましたが、李教授のお話を聞くと、総選挙時の野党側の比例代表名簿が2013年体制という用語を危険にみせたようです。私もまた一回の選挙を通じて新しいシステムに全面的に転換するのは簡単ではないと思います。白先生もそういう表現をなさったと思います。三つの革新、第一に南北関係で韓半島の安全と平和のためのシステムが必要であり、事実上足踏み状態にある87年体制の政治と経済、この三つのレベルで調整や革新が必要だ、そしてそれが2013年に現れればいいと思いました。李教授がおっしゃる通り、それは2012年の選挙を通じて達成できることなのか、言いかえれば、2012年の選挙がそれほど重要な契機なのかは討論できるでしょう。私としては、こうした内容が極めて危険な談論だとは思いませんが、別の視角から見れば、そう言えなくもないですね。とにかく、今一番の争点になっているのは連合または統合の問題のようです。2013年体制論の重要な要素として連合政治、野党側の統合、候補単一化などがあり、左派・右派双方ともにこれを攻撃しているようです。左派では、かつて1987年の「批判的支持論」の再版だと批判します。価値と路線を問わずに統合してとにかく選挙に勝とうという立場と、何が違うのかというのです。右派の側ではこういう表現を使っています。目前の利益に目がくらみ、総選挙・大選の利益に目がくらんで従北主義者と連帯した。そのように世の中を安易に生きようとするのか、こんなふうに言っていますが、これについてお話しくださればありがたいです。

白楽晴:まず連合と統合は区別して論じる必要があります。もちろん連合を広く解釈すれば、その中に統合も入るし、統合ではない連帯も含まれますが、2012年の主たる連合政治は統合ではない連帯としての連合でした。だが、これに安哲秀と文在寅の間でもぎくしゃくし、進歩正義党とは一時順調でしたが、統合ではなかったです。統合進歩党はあえて排除されました。とにかく連合政治は2013年体制論の実行方案と関連した一部に過ぎず、2013年体制の可能性に関連して盧武鉉政権時代に政策室長を務めた金秉準教授が、大選で勝利しても2013年体制は来ないだろうという話を明らかにしたのは、私としては注目すべき批判でした。選挙が終わってみて「いずれにせよ、ダメなものだった」という話ではなく、選挙を前にして「白某氏が2013年体制についてしゃべっているが、2013年体制は決して来ない」と断言しました。その理由は、わが国の政治がこのように嘆かわしく、その方は行政学者じゃないですか、行政体系がこのようにめちゃくちゃなのに野党が勝利してどうやって新しい体制をつくろうっていうんだということです。相当鋭い批判だと思いました。だからといって、その方の主張のように、今からうまくやって「2018年体制」をつくろうというのもちょっと漠然とした話のようでした。

ところで、2013年体制論というもの、2012年に選挙に勝って13年に新政権を出帆させながらガラッと変えるという論理ではありませんでした。体制という言葉がつくのは、2013年の新たな出発を契機に何年か経て新しい社会をつくっていくという意味であって、私が初めて発表した時からこの名称はのちに別のものになるかもしれない、創っていきながら他の名前がより適切だと判断することもありうると語ったことがあります。2012年の選挙すら負けた今にして思えば、2013年体制という名称は合わなかったようです。2013年体制よりもっと広い意味の「希望2013」は、方式を変えてでも追求し続けるべきでしょうが、2013年体制という名称は放棄する用意があります(笑)。

他方で、純然たる評論家的な立場からは、2013年体制論についてそれほど恥ずかしくはありません。純然と一つの論理としてのみ見るならば、2013年以後に対するビジョンと準備が不足すれば2012年の選挙さえ勝てない、2012年総選挙に負ければ大選も負けると言ったのです。その言葉通りになりました。とはいえ、私は評論家的な立場ではなく、2013年体制「づくり」を目標にして論議を展開したのであり、総選挙に勝てなければ大選だけでも勝とうと途中で修正までしましたが、完全に違う話になりました。「完全に」とは言わなくても、とにかく2013年体制という用語を使うのが苦しいほど外れてしまい、その過程では金秉準教授が指摘したいくつかの部分とか、先ほど李相敦教授がおっしゃったように、一部大衆がどのように受け入れるのかに対する考慮が足りなかったとか、省察すべき部分が多いと思います。

李日栄:評論家的な立場としては間違った話ではありませんが、現実の目標が外れたので、今後2013年体制論も修正しなければなりませんね。

 

新時代をめざす風の勢いが削がれた選挙ではなかった

 

白楽晴:ところで、その名称を使わないことと新たな時代に対する構想や試みを放棄するのは別個の問題です。私は大選に先立ち、こういう主張もしました。今回の大選が1987年大選よりもっと重要である。なぜなら、1987年10月には6月抗争の成果が既にあったし、7~8月労働者大闘争があったし、第六共和国憲法をつくって大選を行ったのです。87年体制の枠組ができた状態で、その最初の大統領をどちら側からだすのかを巡って争い、民主化勢力が分裂して負けたじゃないですか。民主化勢力にはとてつもない挫折であり、敗北だったが、87年体制の枠組は既にできた状態でした。それに反し、2013年体制論の観点から見れば、2013年体制をちゃんと出帆させるか、させないかという、そうした重要な鍵となる選挙が2012年大選だと考え、負けての自己慰めかもしれませんが、私のその言葉がむしろちょっと誇張されたのではないかと思います。なぜなら、先ほど李相敦教授もおっしゃったように、朴槿恵候補の勝利が一言で保守の勝利と見なし難い面もあるんですね。2007年の選挙は、たとえ李明博候補が中道実用主義を掲げましたが、守旧勢力が圧勝した選挙だったのに、今回は朴槿恵候補の公約が、実は、既存のハンナラ党路線とは異なる点が多かったじゃないですか。中道や進歩の議題をたくさんもちこんで、また文在寅候補が48%の得票を得たため、新時代をめざす私たち社会の風が決定的に削がれた選挙ではなかったとみることができます。

再度1987年大選と比較してみるなら、あの時既に87年体制の枠が決まっていたように、今回も2008年以来国内ではキャンドル・デモなどを通じた市民の覚醒があったし、世界的には金融危機、経済危機に見舞われながら、新自由主義の神話というか、そうしたものが崩れて、また李明博政権下で国民があまりにも多くのことに気づいて学んで、2012年大選頃には、私たちの社会の体質自体に相当な変化が起きたのではなかったかと思います。それで、この変化を受け入れて推進する役割を誰が担うのかを争う選挙だったとみる素地があります。そうした点で、むしろ1987年大選と似た性格であり、87年よりもっと悲惨な敗北だと見るのは難しいと考えます。

ならば、確かに「2013年体制」と呼ばなくても、2013年から新時代を開こうとする努力を私たちが一層本格的にする必要があるでしょう。その中で、ある課題は次の大統領が自分の公約を履行する方式で実現するでしょうし、ある課題は野党がしっかりして、早くしっかりするように望みますが、国民の意志を反映して政府を圧迫し、牽制しながら実現するものもあるでしょうし、ある課題は国民大衆がもっと目覚めて努力して自らの手でつくりだすものもあるでしょう。それでどうかすると、より複雑で多少ぐずついた形で新時代の建設が進行するのではないかと思います。

李日栄:2012年選挙の意味を振り返って下さったようです。1987年選挙と2012年選挙を比較してお話なさいましたが、これについて百家争鳴式の論議があるようです。先ほど金院長は、総選挙後に民主党が評価もしないで通り過ぎたとおっしゃいましたね。

白楽晴:評価文書は作成されたのに、公開されなかったと言います。回覧もされなかったし。

金龍亀:結局、しなかったに等しいですね。

李日栄:共有しなかったのだから、評価しなかったとみるべきでしょう。今色々な話が出ましたが、巨視的な分析や構造的な問題、例えば50代世代論や比例代表制、決選投票制のような制度に対する論議があります。また、地域主義や世代主義のような固執的な事案があります。次に、各勢力の戦略やキャンペーンレベルがあるでしょうが、2012年だけ見れば、確かにセヌリ党がより革新的だったと判断されます。また一方では、白先生がおっしゃったように、大きな流れでは変化して進展するのに、誰がこれを保証できるだろうか、そうした意味で民主化運動陣営に対する深刻な省察が必要な時点に来ている、という思いもします。2012年の選挙を見ながら、重要なポイントとか各勢力に対する評価をしてみてください。

李相敦:私が思うに、特異な現象があります。民主党は政党として政治行為者ながらも、外から教訓を垂れるというか、そんな方が多いです。反対に、与党側は2011年前後に自暴自棄という雰囲気が広がっていたじゃないですか。もう終わったと言っていた人もいたし、相当な危機でした。野党側は大きな陣営だったために、周知を集める必要もあり、意思決定も長くかかり、失敗した場合一人が責任をとる構造ではありませんでした。普通「保守」といえば、巨大な陰謀勢力が後ろにいると考えますが、今思うと、むしろその反対ではなかったかと思います。この一年間、保守陣営ではほとんど朴槿恵当選者側で先頭に立ち、外部から方向を指示したり、そんなことは特になかったと思います。保守系新聞の社説やコラムのようなものは、ほとんど影響しなかったと思います。冗談で私は、大選候補討論会で肝臓病のような問題で討論するのを他の国でみたことがあるかと言いました(第二回テレビ討論時の文・朴候補の健康保険の保障性論争――編集者)。公約が同じだから(笑)。公約だけ見ると投票に行く意味がないのに、これが対立に帰結するのは、候補よりも論評する人々がそうした思考に縛られているからじゃないかという気もします。今回の大選は根本的に不公正な競争だったと思います。35%を既に持っている側と競争したのですから、その点を語らずには説明しがたいようです。去年の総選挙と大選を陣営の論理でみると、見落とす点が多いと思います。

李日栄:保守メディアが朴槿恵政権に別に影響を与えなかったとか、及ぼさないだろうと見ていらっしゃるようですが、選挙が終わってすぐに趙甲済ダッカムで、「民主党はなぜ金鍾仁、李相敦をかばうのか」という話がでましたね(一同笑)。そして、今回の選挙結果を分析する場合、安保・理念・憲法を基準にして選挙を左右に分ければ、必ず勝つという右派知識人が予言した通りだ、このように述べていますよ。本当にそのようにして勝ったんですか?

李相敦:あっちでは総選挙時も与党側が滅ぶと言いました。でも、違ったじゃないですか。朴槿恵非常対策委員長ではない他の人が率いたなら、勝ったでしょうか。李明博政権になってから、どっち方向へ進むのかについて闘争がありましたが、全く同じ現象が今起きているのです。

金龍亀:そのお話に共感します。白先生は当初2013年体制論を提起しながら、総選挙で野党側が負ければ、朴槿恵代表が大選で勝利する可能性が高いと言われました。朴槿恵代表に象徴される原則、信頼、感覚、品位、そして特に福祉を政界で最初にイシュー化したこと、そうした政治的資産を見た場合、総選挙に失敗した民主党より、むしろ2013年体制の核心を実現する可能性があるとみることもできるでしょう。そうした面で、私は今回の選挙が左右の対立を越えてあるグループが2013年体制という歴史的課題を実践する力があるのか、安定的に実践できるのかテストした面もありうると思います。これがやがて成立する朴槿恵政権を見る国民の視角になりうると思います。それなら、白先生は2013年体制論を撤回なさらなくてもいいようです。

白楽晴:名称も、ですか?(笑)

金龍亀:はい。それは誰が当選してもいいからです。私は朴槿恵候補が「時代交代をします」と言ったのがただごとではなく聞こえました。それが国民に受けたのです。そうでなければ、選挙に勝てなかったと思います。そして、まさに時代交代というキーワードを投じたのは白先生の2013年体制論の貢献だとみることができます。ただ、その約束の実践如何で本物度が確認されるのです。

李相敦:李明博政権の初期、朴槿恵前代表に首相や党代表を引き受けろという主張がありました。朴槿恵役割論を巡って路線闘争のようなものがありましたが、その時李明博政権を助けろと言っていた側が朝鮮日報や東亜日報のようなメディアです。そうしていたら、100%失敗しました。そして、私が見るには、汎保守陣営が51%を得たと言いますが、15~17%程度はいつでも脱落しうる票だと思います。こういう現象がまさに2010年の地方選挙と再・補欠選挙で出ました。選挙というのは、最後に5~10%が左右するじゃありませんか。そうした点を朴槿恵当選者が看破したので勝利しました。

 

民主化運動世代の退歩と相変わらずの守旧・保守ヘゲモニー

 

李日栄:通常なら、政権を継承した政党が再執権するのは難しいにもかかわらず、このような結果になったのは、いわゆる民主化運動勢力が省察なき惰性的集団と評価されるからのようです。アメリカの経済学者キンドルバーガー(C.P.Kindleberger)は、1つの社会で経済の興亡を左右するのは生命力だが、政治勢力にもそうしたものがあると言っています。そうした点から見るなら、今の民主化運動世代が退歩・腐敗しているという診断も可能でしょう。学縁とか集団に埋没して革新できないという評価もあります。それで、大選終盤に民主党内外で、そこに白先生の名前もあがりましたね、「白衣従軍宣言」をしろという矢のような要求がありましたね(ハンギョレ2013年1月14日)。文候補は議員を辞職し、盧武鉉政権時に高官だった人々は任命職を引き受けないと宣言しろ、という要請が党内外から降り注いだといいます。しかし、候補をとりまく主流勢力は勝つと思ったのか、その認識自体も問題ですが、ついに無視したと言います。閉鎖的な文化が形成されているのではないか、ある人はいわゆる全大協(全国大学生代表者協議会、1987~93年)文化、サークル文化、運動圏文化、縁故主義のために判断と行動において、進歩的で革新的な気風が妨げられているとまで指摘します。これについて、どのようにお考えですか。

白楽晴:事実関係をまず申し上げれば、私は文候補や民主党にそうした要求をしたことはありません。そういう調子で「柿を出せ、梨を出せ(あれをよこせ、これをよこせ)」と言うなら、普段相手の頼みをよく聞いてあげなければならないのに、そんな関係ではなかったんです。ただ、安哲秀陣営でそうした要求をし、金徳龍民和協(民族和解協力汎国民協議会〉代表常任議長が合流しながら、そうした要求をしたと聞きました。しかし、双方とも受け入れなかったと言うけど、事実確認はできませんが、民主党は実際そうだったようです。受け入れなくても勝つ、と思っていた人が多かったようです。ともあれ、今民主党と野党側全体に閉鎖的文化が広がっているのは事実ですが、それをどのように刷新するかはよくわかりません。

しかし、こんな風に10年、20年行くだろうという主張や私たちの社会に守旧・保守勢力のヘゲモニーが確立されたかのように話すのにも同意しません。ともすれば、極めて強力なヘゲモニーですが、他方では非常に脆弱でもあります。先ほど李相敦教授が35%を既に持っている人と競争したので不公正だ、とおっしゃったのはそれだけ強力だというお話ですが、他方では友好的な外部勢力がなかったということもお話しなさったじゃないですか。もちろん友好的な外部勢力がないわけではないでしょう。むしろ選挙に臨めば、とてつもない資産として活用される官辺団体や地縁・血縁・学縁などで結ばれた友好勢力は多いのに、お話になったのは、朴候補が何かをうまくやろうとする場合、または朴当選者が政治をちゃんとやって大統領をちゃんとやろうとする時、それを助けてやれる友好的な市民社会団体のような勢力は民主党に比べてむしろ少ない方です。そういうお話だったでしょう?それだけセヌリ党やそちらの勢力のヘゲモニーが脆弱だということですね。李相敦教授がある新聞だったかのインタービューで、合理的な保守層と市民団体の人士が今後たくさん増えねばならず、そのためにはもう一度執権しなければならないとおっしゃいましたが、私の記憶は確かでしょうか。

李相敦:希望事項を話したんです。実際、私が考える改革と刷新を支持してくれる既存の勢力はあまり多くないようだと思える場合が多いです。

白楽晴:私たちの社会に合理的な保守人士が数的にも少ないが、最も大きな問題は一部の例外的な方を除けば、守旧勢力が主導する守旧・保守同盟に包摂されていることだと思います。セヌリ党内にも個人的には革新的で合理的な方はいるにしても、党全体では合理的な道を進むことができず、少なくとも李明博政権ではみんなそのまま従っていきました。選挙が迫って離脱したケースもありましたがね。それで、そんな方をもっと鼓舞して育てる方法はセヌリ党の再執権ではなく、敗北が必要だと思いました。進歩の勝利のためだけでなく、私たちの社会の合理的な保守がより覚醒して独自性を発揮し、それで中道の幅が広がるなら、多少の混乱を甘受してでも野党側の勝利が正しいと考えたのです。

李相敦:似たような話で、昨年の総選挙でセヌリ党が152議席を占めると考えた人は、朴槿恵当選者も含めて誰一人いませんでした。ところで、むしろもっといい結果になりました。過去の話ですが、140議席程度なら大選で有利になりうると考えました。問題は今後ですが、私が見るには、35%に15%程度が加わった状況で、35%にのみ重きを置く政策を展開すれば、座礁すると思います。当選者が選挙をたくさんやってきた人なので、そんなことを知らないわけがないので、私は希望的な期待をもっています。去年の総選挙の時、私たちが党内の人をすっかり変えたのかといえば、そうではなかったんです。選挙には限界がありますから。直に発表されるでしょうが、朴槿恵当選者がどんな人を通じて率いていくのか、自分がたてた約束をどれほど重く実行するのか、こういうことが重要でしょう。民主党に対して、私があれこれお話しするのはちょっとなんですが、イギリス労働党がサッチャーの保守党に負け続けた道を行くまいとするなら、民主党もまたトニー・ブレアやゴードン・ブラウンのような新しい指導者を育てていかねばならないのではないかと思います。朴槿恵非常対策委員長の刷新、経済民主化、福祉のようなものも、実際「朴槿恵版・第三の道」と呼ぶこともできるじゃありませんか。とにかく既存の保守は維持して、それに15%を乗せるためには、時代が要求する道を進まねばならないのではないかと思います。そうすれば、固定支持層を失ってしまう危険性があると考えられますが、実際そうするとしても、選挙では危険性がそれほど大きくはないのです。与野がこのように接近してこそ、極端な対立と陣営の論理を脱皮できると思います。

金龍亀:最近、企業では「ビッグデータ」というのをもって戦術や戦略を立案します。2012年民主党の行動形態を見れば、顧客が国民なのに顧客に対する分析をうまくしているのか、果たしてどうなのか疑問です。予備選の過程を見ても、予備選に出馬した核心人物の大部分が自分の選対内で品物を出しておけば、国民はただそれを購入するだろうと仮定している感じを受けました。元来予備選挙というのは、国民と絶えず意思疎通して周辺を拡張していく過程です。しかし、予備選挙が終わっても、国民との意思疎通がより活発になり、広がるという姿は見られませんでした。私はその原因を、さっき言われたように、運動圏の考え方に求めたりもします。例えば、こういうことです。韓国社会で1988年オリンピックは極めて重要な国家的行事でしたが、現在野党側にいる方の一部は当時オリンピックに強く反対しました。当時、色々な理由がありました。しかし、韓国が世界に広がって世界的な理念戦争が終わるのにソウル・オリンピックが寄与した面を考えるなら、修正すべき考えです。野党側の一部政治家の認識構造に、その当時と似た自己確信の過ちがそのままあるんじゃないかと思います。認識の誤りというレベルで、歴史学習をまともにしているのか、今までしたのか確認してみたいです。

一方で、民主党の活路はとても多いと思います。去る2011・12年を振り返れば、民主党の支持率がずっとハンナラ党より低くても、隙をついては支持率が上がるという場面がありました。国民は民主党がよくやっているからというよりは、まるで大人が子供の背中を軽く叩くように、このように一度ずつ上げたのです。国民の立場では、民主党に対して様々な経路で活力を吹き込んでやっても、民主党は相変わらず学習できないのではないか、今民主党は学習機能が止まっている組織だという判断です。どこで学習が中断されたのか、その時なぜそう考えたのか、そうした考えをした自分の認知構造がどうだったのか、誰から情報を得てどういう判断を根拠にそうした意思決定をしたのか、を客観的に振り返る歴史学習を進めたいと思います。

私は今回の選挙を見ながら、朴槿恵当選者が依然として父親から大いに助けられたと感じました。朴当選者が今回50代から決定的な支持を得ました。私も50代ですが、私が大学に入学した当時は大学の定員が少なくて進学率は20%を越えませんでした。ですから、50代といえば大部分庶民です。現在の40代以下とは大学進学率で非常に大きな違いがあります。そして、今の50代は成長期に教練のような科目を通じて維新教育をたくさん受けました。それで、彼らには朴正熙時代とは自分が訓育された時期、その中で自分の秩序を求めた時代なのです。ですから、2002年大選の時もその当時40代だった今の50代は、盧武鉉候補と李会昌候補をほぼ半分ずつ支持し、大きな違いはありませんでした。ある意味で、その当時の40代は盧武鉉候補をより支持したかった状況でしたが、その時もほぼ同じでした。その中でおおよそ13~14%程度が10年過ぎた今回の選挙で、支持グループを変えました。2002年当時も彼らの投票率は82~3%だったので、89%は驚くほど高い数値ではなく、全体の投票率の増加を考慮すれば、少し高かったにすぎません。彼らは維新体制で自分の人生の主要な部分を形成しました。彼らは不動産、健康その他社会問題など、自分の暮らしの現場で発生する様々な苦悩を解決してくれる能力が朴槿恵当選者により多いと判断したようです。特に、セヌリ党が不動産や家計の負債をキーワードにしたのは、かなり有効な選挙戦略だったと思います。しかし、果たして50代が直面している経済や家計の問題を朴当選者が解決できるのか、そうしようと思えば、本人が掲げた財閥問題に着手するしかありません。全世界で類例を探しがたい世襲の財閥が、その財布を開いて中小企業とともに進もう、中小企業を中堅企業に育成し、朴当選者が語ったように創造経済の再建にともに参加しよう、という方向に行かないならば、とても失望するでしょう。朴槿恵当選者の立場では父親を歴史的に誉れ高く作ろうという欲求が大きいのに、これに成功できなければ、一挙に没落する可能性が高いのです。この問題を解決できなければ、朴槿恵政権にとって極めて困難な状況が来るでしょう。

ところで、財閥問題一つだけではダメで、白先生が強調する南北平和体制をつくることがやはり重要です。いずれにせよ、2008年以後、世界資本主義経済は既に崩壊状態じゃないですか。1991年社会主義の崩壊、2008年資本主義の崩壊、このようにみるのが一般的です。今や資本主義は新たな資本主義へ再生する過程にあります。そのために南北憎悪の時代を終わらせ、経済的次元で新たな韓民族経済共同体を創っていくことがやはり極めて重要です。朴当選者がこれを達成しようとすれば、李相敦教授がおっしゃった新しい支援勢力がなければならないでしょう。そうした条件がうまく備われば、私は朴当選者が白先生の2013年体制を実現しうる大統領になることもあると思います。

 

朴槿恵政権の「時代交代」は果たして成功するか

 

白楽晴:2012年大選と1987年大選に関する従来の私の発言を修正し、むしろ両者が似ている点を述べましたが、その話をもう少し発展させてみましょう。87年大選の結果、当時の民主化勢力はメンタル崩壊状態に陥りましたが、大きく見れば、盧泰愚政権も87年体制の建設を進展させました。公安政局があったし、弾圧事件も多かったし、またハナ会のような軍部内組織が厳存するなど、文民政権とはいえない面もありました。しかし、先ほど李日栄教授が語った三つの面、87年体制の政治、経済、南北関係の三つの面すべてで進展したと思います。特に南北関係の発展でいえば、歴代大統領のうち最も寄与した二人を挙げろというなら、私は金大中大統領と盧泰愚大統領を選びます。もちろん、盧武鉉大統領の功績も大きいですがね。政治的には弾圧もしましたが、ともかく軍事政権に、全斗煥式の暴政に復帰するのを止めましたから。国民が止めたのですが、盧泰愚大統領も寄与したと思います。経済の場合、今日とは反対に、当時は経済的主体に自由を与えることが当面の課題でした。朴正熙、全斗煥時代に国家が統制していたものを自由化することが課題でしたし、これには労働運動の自由も含まれていました。結果的には、巨大な経済主体があまりにも自由化され、財閥をどのように規制してバランスをとるかが今日の課題になりましたが、当時としては経済的な自由化も含め、三分野のすべてで業績があったと思います。

さて、朴槿恵政権が少なくとも盧泰愚政権のレベルに、時代の大きな流れを受け入れて進んでいけるかどうかを、この三つの面から点検してみることができそうです。経済の場合は、いまお話したように、課題が変わって今日は経済民主化、財閥規制などをどれほどやりぬけるか注視すべき問題ですが、引き継ぎ委員会でその担い手がいないという言葉が聞こえるなど、決して楽観できません。政治の場合は、野党が勝利した時のように「民主主義2.0」というか、そういう大々的な市民参加を実現させるのは難しいでしょうが、最小限、李明博政権下で後退していた点を元に戻して、民主政権時代の人権と民主主義のレベル程度に維持できるかが関心事ですが、これもそう簡単ではないようです。当選者自身が民主主義に対して透徹した信念がある政治家のようではない上に、より重要なことは、支持勢力内に今回の勝利に絶対的に寄与したと自負して、新政権の成立を機に、いわゆる従北左派を永遠に放逐しようと気勢を上げる人々がとにかく多いのです。それで、盧泰愚大統領が軍部に基盤を置きながらも、軍部が過度に政治に介入したり、復帰するのを牽制した程度に、朴槿恵大統領がやりきれるのか、これは注視すべき課題です。次に、南北関係です。金秉準教授が2013年には難しいといって2018年を語る場合、ちょっと漠然とした話だと私が感じたのは、あまりにも韓国中心の見方だからです。それも政治や行政に集中しすぎた見方だからでもあります。韓半島全体の事情をみた上で、なおかつ東北アジアや世界が変化する情勢をみれば、2018年以前に停戦協定を平和協定にかえなくては、大韓民国全体が多くの面で難しくなると思います。ところで、朴槿恵候補は南北関係の改善を公約しましたが、平和協定については話していないじゃないですか。信頼プロセスを作っていくとは言っていますが、果たしてそこまで進展させることができるかわかりません。しかし、当選者が積極的に南北対決を助長する勢力の肩をもちさえしなければ、私たち市民が立ち上がり、停戦協定を平和協定にかえる方向で相当な成果を上げることができるかもしれません。大きな流れがあるので、朴槿恵政権下で全く不可能なことではないと思います。しかし、やりぬくことができるのか、それも簡単ではないようです。万一こうしたことがすべて実現したなら、少し不十分でも、相当な程度で時代交代したと評価されるでしょう。

李日栄:李教授が一番正確な情報をもっておられるでしょうが、お話しにくい点もあるだろうと思います。現在の引き継ぎ委員会をみると、かなり節制している印象です。こうした点からみると、期待がなくはありません。ただ一方で経済面は、経済民主化の公約を消化するには相当度胸が要るように見えますし、財界や官僚側は当面緊張しているが、長期的にみれば、甘く考えているという話も聞こえます。統一・外交面でも、昨日ある方が辞退した事情(2013年1月12日崔デソク外交・国防・統一分科委員の辞退――編集部)について、憶測が乱舞しています。期待と憂慮が交錯する時点ではないかと思います。

李相敦:今後首相や大統領府の人事があるでしょうが、最も関心を集めるのは、どんな朴槿恵政権になるかという点です。これまでなら大抵予測できましたが、とにかく今回は実際、当選者本人の功績が最も大きいじゃないですか。だから、それだけ自由な面もあるし、選択肢も多いということです。有権者は賢明じゃないですか。2010年6月2日の地方選挙と昨年4月11日の総選挙は、ほぼ似たような投票率を示しましたが、結果は異なりました。先日の大選とともに行われたソウル市教育委員長[韓国では公選制]と慶尚南道知事の選挙では、私たちの候補もよくなかったのですが、野党側の候補がもっと悪かったですね(笑)。キャスティング・ボードを握っている中道層の有権者が、かつての民主労働党出身の候補者に食傷したのは確かです。その代表的な候補者はみんな負けてしまったではないですか。これを保守派の勝利とみてはなりません。万事を進歩と保守の枠内でみますが、実際に李明博政権が不信任されたのは、保守的政策をとったからではないんです。民主主義の法則を黙殺して財政を破綻させたので、審判を受けたじゃないですか。50代の人々が朴槿恵候補を強く支持したのは、公約のためというよりも、野党側が文化的に彼らの世代とあわなかったからです。実は、老年層にとっては文在寅候補の公約の方が良いものがたくさんあったじゃないですか。年100万ウォン以上の無料医療のようなものです。民主党はあまりにも20~30代に依存しすぎたんです。

朴槿恵政権が成功するか否かは、過去の教訓を生かせるか否かにかかっていると思います。わが国の歴代大統領の政策中、最も支持率が高かったのは金泳三大統領の時に金融実名制を実施し、ハナ会を解体して全斗煥と盧泰愚を裁判にかけたことでした。大統領の支持率は政権が正義と真実の側に立つ時、確実に上がるのです。朴槿恵当選者がそうした事例を参考にして政局を運営してこそ、1年半後の統一地方選挙と2016年4月の総選挙という二度の中間評価で支持が得られると思います。私が民主党や野党側の方々と多少異なる点は、南北関係も必ず何とかしなければならない、そのようには思いません。いつまでに何かができなければダメだ、歴史にそういうものはないと私は思います。時代が要求する時点で、自然に進むものでしょ。朴槿恵当選者が語った平和プロセスというのも、「私の任期中に何々を必ずやる」というものではないじゃないですか。プロセスに比重を置き、漸進的に接近していくと思います。財閥改革も同じでしょう。野党側がすることになれば、とにかく急激な変化があるはずだから、中間層の有権者は、それよりは信じられる安定した改革を選んだんじゃないかと思います。政権初期に、繰り越された課題を解決するのは当然だと思います。就任前に、この数年間タブーのようになっていた四大河川問題もでてくるじゃないですか。朴槿恵政権が、いわゆる守旧勢力にそのまま縛られていくとは思いません。当選者は幾度もの選挙を経てきた政治家だからです。

 

「安哲秀現象」が残した教訓

 

李日栄:ここまで時代交代の意味と朴槿恵政権の今後について話してきました。2012年に起きたことの中で、特異なのは「安哲秀現象」でした。新しい政治を望む国民の熱望と動きを評価し、整理してみたいと思います。私は安哲秀現象を次のようにみます。現在韓国社会は極めて激動する環境の中にありますが、既成の体制は相当頑固で変化しようとしません。喩えれば、今の局面は中国の明・清交代期に似ているのではないかと思います。当時東アジア7年戦争、つまり壬申倭乱[文禄・慶長の役]が起きたじゃないですか。国内政治は東人と西人の両党独占体制であり、変化と危機に対応できなかったのです。対内外的に不安でしたが、今も大きな時代的変化の中で不安要素が大きいという点で、似たような面があるようです。先ほど50代の話をされましたが、50代が家長として不安を強く感じているといい、全体的に青年・壮年層も不安感と挫折感が大きいのです。結局、国政をどこに任せるかという問題で、より多くの人が安定感のある側に任せようと決定したのであり、2011・12年の状況では不安とか怒りが極めて大きかった。既成の体制と官軍が危機と不安に対応できなければ、結局は義兵が出てこざるを得ません。そうした調子で、義兵として引き出された人が安哲秀候補だったようです。本人もそのように話したじゃないですか。自分が国民の熱望を受け入れるほどの能力があるのか悩み、あんなに長い間考えたというじゃありませんか。その長考が失敗の原因になりもしましたが、このように既成秩序が大衆の熱望を受け止められない現象がよく噴出するものであり、既存の政党がちゃんと役割を果たせないなら、続いて市民抗争の形態でシステムの不安が現れるんじゃないかという展望も出ています。私たちがこうしたエネルギーをどのように社会発展の契機とするのかも課題でしょう。

金龍亀:盧武鉉政権期に与党代表が何人変わったかを調べてみたら、およそ12人ほどでした。1人当たりの任期はせいぜい数カ月です。政治活動は予測性を示せねばなりません。その予測性の枠内でリーダーシップが形成されるのであり、リーダーシップで最も重要なのはリーダーが作るビジョンだと思います。誰かがビジョンを提唱して人々がそれを理解し、両者間に一体感が生まれる場合、リーダーシップが形成されるのです。現在、民主党の組織運営はお互いを殺しあう構造です。例えば、集団指導体制からはリーダーシップは生じません。安哲秀教授が政治はやらないと思ったのに、国民が押しあげて出馬させるほど悲劇的なことはありません。歴史に責任をとる姿勢でビジョンを強力に掲げて身を投じる場合、良質のリーダーシップが生まれるのですが、押されて登場するようなリーダーシップはもうダメだと思います。リーダーは自分が望んですべきものであり、その中でできる人たちに希望と勇気、機会を与える政党組織が作られるべきだと思います。私はそうした点から「安哲秀現象」を韓国社会の歴史的資産とみなすべきだと思います。もちろん、最初に申しましたが、重要なのは学習ですから、安哲秀教授が新たに学習して新たなビジョンを作り、政治に身を投じるなら、また違ったリーダーとして野党側でそれなりの役割を果たせるでしょう。

李相敦:今回の大選で野党側は大変な挫折を味わっていますが、実際の投票結果をみれば、30代と40代の教育を十分に受けた階層は野党側にたくさんの票を入れました。これは意味深長なことではないですか。私たちの側で、こうした点を重く受け止めるべきだと思います。昨年初め、私は汝矣島に朝早く出かける機会が多かったんですが、そこに出勤する人々がどんなに多いか。その渦中で、「ああ、ここで私たち側に投票する人が何人いるだろうか」と思い、挫折を感じました(笑)。そして総選挙の時の経験ですが、中央から地域区をみれば明らかです。とても裕福な地域や農村は私たちがトップで、朝出勤する人々が多く暮らす地域はすべて負けました。ベッドタウンでは私たちは完敗でした。実際、韓国の未来は年金で暮らす世代ではなく、そうした人々にあります。今後、朴槿恵当選者とセヌリ党はこうした点を肝に銘じねばなりません。それでも私が希望を抱くのは、セヌリ党内で寡頭体制がなくなったという点です。また、朴槿恵後を考える場合にも有望株がいます。「安哲秀現象」のようなものを受けいれられる潜在的リーダーがセヌリ党で育つ可能性が大きいと思います。今回の選挙に負けたらかなり難しくなったでしょうし、寡頭体制が再び生まれるところでした。

李日栄:政治評論家は一般的に、「安哲秀現象」の核心支持層は中道・革新層、湖南、20~30代だと言います。組織と勢力の絶対的劣勢にもかかわらず、一年以上続いたこうした現象は相当特異なものであり、他の国では見いだしがたいと言っています。しかし結局、路線、組織、リーダーシップ、戦略が全般的に不足して負けたという評価です。

白楽晴:実証的な資料はありませんが、安候補自身も文候補との討論で、ある老人が自分の手をぎゅっと握りながら、今度はちょっと変わったらいい、という話をしたと言いましたが、私は李日栄教授が列挙された集団以外に、韓国にちゃんとした進歩政党があったなら、そこに票を入れたであろう人々も「安哲秀現象」を生みだすのに一助となったのではないかと思います。無党派層といえる若者ではなく、年齢と関わりなく、ハンナラ党と民主党を含む既成の政治から何の恩恵も受けられずに徹底的に無視されてきたが、安哲秀という人が出てきて新風を巻き起こしているというから、そこに漠然とではあれ、期待をかけた人々も多かったんじゃないかと思います。それが事実なら、安哲秀候補が彼らの欲求に果たして応えられたのか、問うてみる必要があります。候補者自身の体質やセンス、また選対本部内の重要人物の感受性に照らすと、選対本部の見方は、本来の安哲秀現象の震源地である20~30代と意志疎通して共感する側に焦点を合わせつづけていたのであり、前述した底辺の庶民と意思疎通するには極めて不十分だったようです。とにかく、安候補は準備がなかったし、組織が不十分でしたからやむを得ない面もありますが、抑圧されてくやしくつらい庶民生活に対する認識や感受性が足りなかったんじゃないかと思います。

時代交代の問題に関連して、政権交代と時代交代は区別して点検する必要があると思います。通常なら、同じ政党の候補者が大統領になれば、それは選手交代であって政権交代ではありませんが、政権交代に準ずる結果が出ることもあります。四大河川問題もありましたが、李明博政権の様々な失政と不正、真実の歪曲などについて、民主党政権が誕生した場合に劣らず徹底して調査し、是正措置をとるならば、それは選手交代であると同時に、政権交代に匹敵するといえるでしょう。他方で、時代交代と言えば、李日栄教授がおっしゃった通り、2013年体制論は87年体制がこう着状態あるいは末期的な混乱状態に陥っているのを清算して新しい体制を出発させよう、という趣旨でした。87年体制が混乱に陥った重要な理由として、一つは経済面で朴正熙時代以来の財閥依存の経済体制がほぼ統制不能の状態に陥っており、もう一つは韓国の守旧勢力の法的・制度的な土台をなす停戦体制です。停戦体制というのは、国際的に公認された国境がない状況です。そのため常に安保不安が実際に存在し、それで、これを悪用して不当な既得権を守って広げようとする勢力が盛える客観的な土台になるのです。だから、これを平和協定にかえることは、単純に南北関係の問題ではなく、韓国内の政治改革や経済改革、また市民社会の健全な発展にも関鍵となる要素です。ひとえに、南北問題が国内問題よりもっと重要だから停戦協定問題に執着するのではなく、また、これはいつまでにかわらなければ何もできない、というわけではありませんが、この問題を朴槿恵政権がちゃんと解決できないならば、結局はセヌリ党内で守旧勢力を制圧するのも難しくなるということです。事態が順調に解決される場合はいいですが、何かの障壁にぶつかった場合、結局は家ウサギと同じようにならざるをえない状況が来る憂慮があります。

李相敦:私は若干違う考えです。わが国の有権者のうち、停戦協定を重要だと考える人はそう多くないようです。

白楽晴:その通りです。今回の選挙でもあまり重要なイシューではありませんでした。国民が特に関心をもっているイシューだから重視するのではなく、国民が関心をもっている経済民主化とか福祉社会、民主主義、社会の公正性と道徳性の回復のような問題を解く上で、これが隠れた鍵ではないかと申し上げたのです。

李相敦:よく聞く話ですが、不戦協定や平和協定の後、もっと大きな戦争がいつも起きたじゃないかということです。パリ協定とベトナムの事例がそうです。逆に、こうしたことを強調しすぎると、いわゆる守旧勢力をより助けるんではないかと思います。外交と国内政治は別個ではないかと思います。国内改革も別個だと思います。政治家の中でも、外交と内政の方向が相当違っていた場合もたくさんあるじゃないですか。例えば、1950年代に趙炳玉博士のような方も、国内政治では李承晩大統領よりも民主的でしたが、南北関係については李大統領よりも冷戦的だったじゃないですか。

李日栄:2013年の時点で重要な課題として、白先生は経済や福祉の再編と平和体制がともに考慮されねばならないとお考えで、李相敦教授はそれぞれ固有の領域があるので、時代交代の意味といえば、法治と民主主義の問題により力点を置かねばならないとお考えですね。

 

真の時代交代の条件と核心課題

 

金龍亀:私が一言付け加えれば、李明博政権で大きく破壊されたのは社会的資本ですが、その中には公共性の価値や信頼資本などが含まれます。朴槿恵当選者は本人がもっている信頼と安定という長所をうまく活用し、失われてしまった公共性の価値を回復できたら、と思います。私が最も当惑したのは、李明博政権が2008年の世界的な経済危機にもかかわらず、その前年に大選対策本部でつくっていた経済政策をそのまま執行したことです。経済学者の中には、2008年以後数年間のウォン安だけでも内需経済レベルで家計経済の損失が150~160兆ウォンに達する、と解釈する人もいます。まさにその合計が家計負債とか、消費低下につながっているのです。経済運営において確実な構造的対策作りが必要だと思います。いわゆる雨だれ効果を期待したり、輸出万能の国家経済を運営することには限界があります。以前のように成長中心に突き進んでいく勢力がありますが、当選者本人は支持率の伯仲状態が続いていた時、そうじゃないと言明しました。また、金泳三政権の時から始まったグローバル化の逆作用、新自由主義から派生した物心崇拝的な性格構造が、すでに私たちの中に根深く浸透しているのは大問題だと思います。今信頼資本を積み上げて人間性を回復する体制が作られればいいです。そうするには、最近再び論議されている公企業の民営化は深思熟考し、しない方がいいと思います。民営化とはいっても、結局は私営化であり、財閥体制に編入されるのです。外国では公企業にとやかく言って市場化すると主張する経済学者がいますが、その外国経済は既に2008年以来限界が明らかになりました。新しい経済モデルを作ってより多くの公共性の価値と公的資産を回復し、信頼資本を堅固にうち立てる経済運営をすればいいでしょう。

最後に国民統合について言えば、湖南89%内外が文在寅候補を支持し、与党側候補としては初めて朴槿恵当選者も二桁の投票率、つまり10%以上の湖南人が投票しました。今回の結果に湖南人は失望しているといいますが、李相敦教授がおっしゃる通り、20~40代の未来世代とともにする投票だったため、それほど落胆したり、疎外感を感じる必要はないと思います。

李日栄:かなり時間が経ちましたので、最後に一言ずつお願いします。

白楽晴:政府の役割が大きいので、そこに関心を寄せて批判し、見守ることも重要ですが、各自が身を置く場で私たち自ら社会の基礎体力を育てていくことに、より力を注がねばならないようです。公共性を含めて市民社会の力量を強化するのも、その一部です。また、専門性を掲げる人々が自分の専門性を強化すると同時に、専門家としての矜持と自尊心を守ることが重要であり、これも李明博政権下で無残に壊されたものの一つだ、と私は思います。こうしたことを一般化して語ることはできませんし、各分野で市民自らが進んでやるべきことでしょう。そうした意味で、停戦協定を平和協定にかえることが重要だからといって、あらゆる人が平和協定の締結運動に立ち上がる必要はなく、当然国政運営においても、李相敦教授がおっしゃる通り、各分野の特性と独自性を尊重しながら、着実に進んでいかねばなりません。

ただ、私が最後に申し上げたいのは、国政のグランド・デザインを描く立場とか、社会現実を分析する学者の立場では、やはり私たちの国内問題というものが、南北関係といかに深層において連結しているのか、表面に現れてはいなくても、どれほど深く関連しているのか、を洞察することが緊要ではないかと思います。仮に、87年体制の限界を語る場合でも、韓国が分断社会であり、特に1953年以後、戦争がとにもかくにも終わった状態が固まったものとして、それを私は分断体制と呼びますが、反民主的で非自主的な要素がすべてを主導する、一種の体制が成立したという認識が必要なようです。87年の民主化と世界的な東西冷戦の終結により、そうした分断体制が揺らぎはしましたが、今日も依然として厳存し、今回の選挙を通じて、分断体制は本当に力が強いということをあらためて実感することができました。私は変革的中道主義ということも主張してきましたが、その話まで詳しくする時間はありませんが、簡単に言えば、分断体制とは何かがわかる中道主義が変革的中道主義といえます。分断体制とはどんなものであり、どれほど力が強く、それでもどういう部分が脆弱であり、克服の道があるのかということを知って、その弱点を正確に検討しうる中道路線、それが必要だと思います。先ほど、下手に平和協定の話をするのは守旧勢力に力を与えることもありうるとおっしゃいましたが、実際、私たちの社会で進歩を志向するという人々が、そうした逆作用を果たすこともあります。本人の意図とは関わりなく、分断体制をより固めることもありますが、だから、分断体制を克服するには中道がより力が強いと考えるのです。

李相敦:朴槿恵政権の成立を、分断勢力の勝利だとおっしゃっているのかもしれませんね(笑)。今回の選挙は候補者本人の不正がなかったし、現政権が助けるどころか、妨害さえしなければ幸いという状況だった点で、政治史では特異な選挙だったと思います。そこに込められた有権者の意志を、朴槿恵政権は今後抱えていかねばならないと思います。安定的な改革と刷新を通じ、私たちの社会を変えねばならないと思います。野党側におられる方々も、同意できる部分については力を貸してくださればと思います。

金龍亀:私は朴槿恵当選者にぜひ成功してほしいと思います。今回の大選で当選者が活用した現場学習能力、つまり顧客である有権者の要求を把握しようと努めた姿勢を最後まで維持しながら、国民が何を望んでいるかを任期終了まで忘れなければと思います。また、民主党をはじめとする野党側は、2012年二度のチャンスを逃したことを、国民が与える最後の学習機会とみなすように願います。実際、野党が健康でちゃんと運営されてこそ、朴槿恵政権もきちんと役割を果たせるのですから、2012年の経験に基づいて野党も健康になり、正しいリーダーシップを育むのが朴槿恵政権を助けることだと思います。また反対に、朴槿恵政権の成功が野党を一つのビジョンをもとにする中身のある、挑戦的な政党に作るだろうし、今後野党の執権可能性とその後の成功可能性をやはり高めてくれるだろうという自信をもてばと思います。チャンスは常に後姿だけ見せると言いますが、こうした教訓を、野党であれ与党であれ、忘れてはいけないでしょう。特に、民主党は自ら何がわからないかを悟る無知の学習からまともに始めるというなら、「禍転じて福となす」の機会を掴むこともできるでしょう。20~40代がこれほど高い支持率を示すのは、世界的にも多くない未来の資産でしょう。経済的な実利だけではなく価値に基盤を置いた情熱を抱いた人々、青年・中年世代の国家経営に対する高い眼目が、私たちの未来をどうあれ牽引していくだろうと思います。

李日栄:一点だけ、付け加えます。朴槿恵当選者が選挙結果の出た後、支持者にこのようなメールを送ったといいます。「本当に感謝します。今回の選挙で私を支持して下さり、忙しい中でも投票して下さったその志、よくわかっています。民生の苦労、葛藤と分裂の政治、私が一挙に終わらせることはできなくても、少しでも緩和して改善しながら、今日より良い明日を創っていきます。私を支持されなかった方々の意志も謙虚に受け入れ、野党を国政の真のパートナーとして考えます」。このようにしてさえくださればいいでしょう。そう期待しながら討論を終えます。お疲れ様でした。ありがとうございました。(2013年1月15日 細橋研究所)

 

翻訳:青柳純一

 

季刊 創作と批評 2013年 春号(通卷159号)

2013年 3月1日 発行

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