창작과 비평

柄谷行人とマルクス

 
 
 
柳在建(ユ・ジェゴン)  釜山大学校・史学科・教授。訳書として『古代から封建制への移行』、『近代の世界体制』、『イギリスにおける労働階級の形成』などがある。jkyoo@pusan.ac.kr
 
 
 
 
 
 

1. はじめに

 
 
「巨大談論」に対する不信が蔓延しているこの頃のような時代において、全体の世界史を「交換様式」の変化過程として解明するという試みは、ふと古く感じるかもしれない。生産様式云々ということも飽きているのに、その上また交換様式なのか、という反応が出てくるかもしれない。しかし、最近、柄谷行人が模索する交換様式論は、その発想が斬新的で創意的であるだけでなく、実践的な問題意識も鮮明である。2001年に発行された『トランスクリティーク』からスタートし、『世界共和国へ』、『世界史の構造』で展開される彼の歴史理論は、歴史学・経済学・哲学・人類学・宗教社会学・精神分析学など、様々な学問分野と対話しながら、独自的な地平を展開しており、論理展開も手強いといえよう本稿で引用した柄谷行人の著書は、次のとおりである。『隠喩としての建築:言語、数、貨幣』(キム・ジェヒ訳、ハンナレ1998)、『マルクス、その可能性の中心』(キム・ギョンウォン訳、イサン1999)、『トランスクリティーク:カントとマルクス』(ソン・テウク訳、ハンギル社2005)、『世界共和国へ』(ジョ・ヨンイル訳、図書出版b2007)、『ネイションと美学』(ジョ・ヨンイル訳、図書出版b2009)、『政治を語る』(ジョ・ヨンイル訳、図書出版b2010)、『世界史の構造』(ジョ・ヨンイル訳、図書出版b2012)、『「世界史の構造」を読む』(チェ・ヘス、図書出版b2014)。以下、上記の本を引用する時は、タイトルとページ数のみ書いておく。//以下、翻訳者注:なお、日本語版は以下である。 『隠喩としての建築』(冬樹社、1979年 / 講談社[講談社学術文庫]、1989年)、『マルクスその可能性の中心』(講談社、1978年 / 講談社学術文庫、1990年)、『トランスクリティーク――カントとマルクス』(批評空間、2001年)、『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を超えて』(岩波書店[岩波新書]、2006年)、『世界史の構造』(岩波書店、2010年)、『「世界史の構造」を読む』(インスクリプト、2011年)など。 。

 
 
柄谷の理論的な模索には、1989年、国家社会主義の没落以後、資本主義を歴史の中において、どのように認識し克服できるのかという問題意識が前提とされている。彼は、勝ち気を振舞う新自由主義の前で、国家社会主義が代案になれない現実における未来社会に対する代案的な想像力と理念が、切実に要請されると力説する。最近も、資本主義の向こう側を考える人々は少なくないが、その未来の像を浮かぶことは容易ではない。未だに、過去のような国家的な統制の発想に留まったり、もしくは、社民主義的は福祉国家を想像したりする場合も多くあるが、柄谷は、そのような方式では資本主義が決して克服できないと断言する。今日の世界は、資本主義とネーション、そして国家という三つの交換様式が、相互補完的な三位一体として結合されているため、生産手段の国有化や共同体的な統制によって(すなわち、国家やネーションによって)、資本主義を超えることは不可能である。
 
柄谷の立論において独創的であることは、このような資本制=ネーション=国家の三位一体を超えるためには、その内と外における第4の交換様式を実現していくべきという主張である。この第4の交換様式を、彼は、自由が保障される市場経済の性格を持ちながらも、終わりのない資本蓄積は取り止めさせられる「アソシエーション」(association)の交換様式として、想定する。この交換様式は、マルクス(K. Marx)が、『共産党宣言』で提唱した自由なる個人たちのアソシエーション系譜に属されるが、資本制=ネーション=国家を超えた世界体制の次元のものであるため、柄谷は、カント(I. Kant)の「世界共和国」理念の継承を標榜する。それは、全地球の次元において、新しい代案的な体制を実現しようとする「自由志向の」(libertarian)社会主義的な構想であるといえよう。
 
柄谷は、交換様式を軸とした歴史理論に基づいて、新たに資本主義の克服方案を模索しているが、その模索がマルクス思想との絶えない対話を通して行われていたという点も特徴的である。交換様式論は、マルクスの生産様式論に対する批判的代案であるといえるが、両社間の関係は、それほど簡単ではない。柄谷自らが、「マルクス読み」、「『資本』読み」を、生涯のテーマとしているといえるほど、彼の思想でマルクスとの対話は決定的である。彼は、迷わず、次のように語ることもある。「私が話したかったのは、マルクスを読むこと、それも『資本』を読むことでありました。それが文学批評であると考えました」『政治を語る』54頁。彼は自信が、1970年代に、経済学において文学批評へ転換した理由について、次のように回顧する。「『資本』では、いわゆる経済学よりも、もっと豊かな省察が入っており、むしろ経済学者はそれをわかることができないことを、私は早くから革新した。文学批評へ転換した後にも、私は絶えず『資本』について考えた」、「韓国語版序文」『マルクス その可能性の中心』8頁。 。実際、マルクス思想に対する、彼の大胆な再解釈と批判は、賛否両論と関係なく、独創性とともに相当な洞察を見せてくれる。本稿は、柄谷における交換様式論の基本骨子を、マルクス思想と関連づけることで、その理論的な位置と実践的な含蓄を検討しようとするものである。
 
 

2.人間と自然の交換

 
 
歴史を「生産様式」ではなく「交換様式」の観点から展望することは、何よりもマルクスの歴史館に対する批判的な代案として見られるが、必ずしもそうでないということが柄谷の主張である。マルクスが「生産」概念を使う時、常に人間を自然との相互関係からみる観点に基づいているため、「生産」を「新陳代謝」(Stoffwechsel:もしくは、物質交換)として、すなわち広義としての「交換」(Wechsel)として理解したことである。
 
私が、「生産様式」ではなく「交換様式」という観点から歴史を問い直そうとしたとき、それが、マルクスの通念と異なることは明確である。しかし、必ず、マルクスと異なることではない。私は、「交換」を広い意味として考えている。(…)マルクスが「生産」という概念を拘ることは、若い時期から一貫しているが、それは人間を根本的に自然との関係の中からみる視点を持っているからである。彼は、それをヘス(M. Hess)から学び、「新陳代謝」として、言い換えれば「交換」としてみなしていた 『世界史の構造』48、52頁。。
 
柄谷の全体思考にある興味深い論点は、我々がマルクス主義と知っていることが、むしろマルクス自身が批判していた思惟体系にとどまっていることである。これは、「マルクス主義」が、マルクス自身が一貫して批判していたヘーゲル(G. W. F. Hegel)哲学及び古典経済学体系と類似した一種の近代主義的な観点に立っているからである。柄谷は、マルクス主義が人間と自然の関係において、人間の労働を特権化する産業自然主義の発想をそのまま継承したとみなす。そうした思考方式においては、「生産」が自然との「交換」として理解できず、ただ人間の労働の創造性という面において高く評価される。自身の主張を跡付けるために、柄谷が注目するのは、マルクスの『ゴータ綱領批判』の最初のところである。1875年、ラサール主義者たちと一部のマルクス主義者たちが、ドイツ労働者党の綱領から採択した「ゴータ綱領」の最初の条項は、「労働は、すべての富とすべての文化の源である」という文句でスタートしているが、マルクスは、これに対して、次のように対抗した。
 
労働は、すべての富の源ではない。自然も労働も同じく使用価値の源である(そして、物質的な富は、まさにこの使用価値として成し遂げられる!)。労働、その自体は、自然力の一つである人間の労働力の発現に過ぎない。(…)ブルジョアが労働に超自然的な創造力を付与することは、ごく当たり前のことである 。K. Marx, Kritik des Gothaer Programms, 1875; Marx & Engels, Werke 19, Dietz Verlag 1957, 15頁。(強調はマルクス)
 
このようなマルクスの考えは、著作の色んなところで繰り返して強調されているものであるので、珍しいことではない。ただし、マルクス自身の思想と、色んなマルクス主義が混同され、根深い誤解が蔓延していることもあり、柄谷の主張は、マルクス思想の核心的な面に注意を喚起させる意味がある。歴史を自然に対する征服過程として見なしながら、自然に対する人間労働の創造性を強調する「プロメテウス」的な人間観は、労働を「自然力の一つである人間労働力の発現に過ぎない」とするマルクスには、全く合わない。マルクスは『資本』で、人間の労働を「使用価値の造形者(Bildner)」として表現したこともある。労働は、「人間と自然の間の新陳代謝を媒介とし、人間の生活を媒介するための永久的な自然必然性」であるが、「生産過程において人間ができることは、ただ自然その自体の方式に従うことだけであり、言い換えれば、人間は、ただ素材の形態を変えられるだけ」ということであるK. Marx, Das Kapital, 1867; Werke 23, 57~58頁。
カン・シンジュン訳の『資本』においては、「Bildner」が「使用価値を生み出す母」として翻訳されている(『資本』Ⅰ-1、図書出版ギル、2008年、97頁)。しかし、そのあとの文章では、マルクスが引用するペティ(W. Petty)が自然を母に、労働を父に比喩している点において、父である労働は、自然素材の形態を変化させる「造形者」程度に訳したほうが良いかもしれない。
。マルクスが、こうした観点を重大な問題として考えたことは明確であるが、彼は、自然を、人間のための対象、人間欲求に従属させる対象として見なし、その自体の力として認めないことを近代特有のブルジョア的な自己忘却として考えたためである。
 
1844年の『経済学・哲学 初稿』から、マルクスが哲学と経済学を批判しながら強調したことが、まさにこのような自然史的な観点であったが、不思議なことに、この点はよく看過されている。しかも、ヘーゲルが代弁する人間主義の哲学を克服するための唯物論的な苦闘として点綴された『経済学・哲学 初稿』をめぐっても、唯物論と対立される意味の「人間主義哲学」の著述であると誤解し、賞賛したり批判したりすることが一般化されていることもある。そこでもマルクスは、人間が自然の一部であるため、「人間の肉体的・精神的生活が自然と連携されていることは、自然が自分自身と連携されていることだけ」と主張しながら、「自然主義(Naturalismus)だけが、世界史の行為(Akt der Weltgeschichte)を把握できる」K. Marx, Ökonomisch-philosophische Manuskripte; Werke, Ergänzungsbände 1, 516, 577頁; 拙稿「マルクスの「単一なる科学」と「新しい唯物論」」、『歴史と世界』42号、ヒョウォン史学会2012, 143~49頁。 と言ったこともある。だとしたら、マルクスの生産概念を広義の交換として受け止める柄谷の考えに無理なことは無さそうにみえる。おそらく、彼は、やり取り、疎通、交通、もしくは交流の関係を経済学的な言語として表現する「交換」の概念こそが、人間と自然との関係において相互依存性を、人間と自然が同参するという意味をよく表現するのに、マルクスの唯物論により適合していると考えているようである。
 
人間労働が、富の唯一な源ではなく、自然もその源であるという主張から、柄谷は何よりもマルクスの生態主義的な観点に注目する。資本主義的な生産様式は、自然と労働者を搾取する傾向にあるとする。何かを生産することは、自然の素材を変形させることであるが、それは同時に不要な廃棄物を生産することである。柄谷によると、「生産」を「交換」に理解したマルクスの観点においては、このような廃棄物が再処理されることが、何よりも重要である一方、マルクス主義者たちは、そうした発想にまったく近づくことができない。マルクスは、資本主義の生産様式が人間と土地の間の新陳代謝をかく乱し、永久的な自然条件を破壊する現実を深刻に受け止めた。自然搾取によって、「自然力」の枯渇を呼び起こす。彼は、『資本』において、資本主義的な社会的関係で発生した環境破壊が、再び人間と自然の間の活発的な新陳代謝を破壊することを繰り返して警告しながら、新陳代謝を合理的に規制し、廃棄物を自然の循環に返す課題の重要性を強調した。そこで、柄谷はマルクスが歴史を人間と自然の交換、すなわち、環境の観点で考える視点を堅持することで、近代主義的な思考の枠を乗り越えようとしたと考えられる 。『トランスクリティーク』470~71頁、『世界史の構造』297~98頁。
 
柄谷が交換様式論を提示したことは、2000年を前後した時点であったが 彼は自身が、資本=ネイション=国家という観点を持つようになった理論的な突破(breakthrough)は1998年に行われたとしている。『政治を語る』80頁。、彼が1970年代末に発行された『マルクス その可能性の中心』から、その理論的な根拠が芽生えていたことは明確である。そこで彼が、マルクスの『ドイツイデオロギー』で書いた「交流」もしくは「交通」(Verkehr、柄谷は「交通」として翻訳する)で表現されるが、たとえば、共産主義は、「世界交通を前提とする」という表現から見られるように、いっそう包括的な意味として使われている。ところが、柄谷はマルクスが世界史をいつも存在したことではなく、16世紀以来、世界交通の結果として始まった歴史的産物として把握したことをもって、「歴史において理念や目的を排除した時、「交通」という概念を活用した」「補論Ⅰ:交通について」『マルクス、その可能性の中心』196~97頁。 と解釈する。世界史は、世界が「交通」のネットとして編まれている時に成立し、「交通」その自体に必然性があることではないためである。
 
マルクスにおける交通という概念は、偶然的なこと、根拠されていないこと、横断すること、性的であること、暴力的なことを受容しながらより多いニュアンスを持っている反面、エンゲルスの「生産関係」という概念は、一種の閉じられた関係体系を表すだけである。『隠喩としての建築』155頁。柄谷は、唯物論的な歴史認識を試みていた『ドイツイデオロギー』における「交通形態」の概念が、全体史的な交換様式論として進展されなかったのには、
エンゲルス(F. Engels)のせいが大きいとみている。しかし、「生産関係」の概念を、マルクスではなくエンゲルスが作り出したという彼の主張は、根拠のない主張だと考えられる。
 
柄谷は、マルクスが若かった頃、「交通」概念を通して、開放的で非目的論的な交換様式論の下絵を描くこともできたが、結局社会構成体の変化の動力を、物質的なライフの生産様式から探したことを残念に思っている。生産様式と生産関係という狭小な概念に頼ることで、社会構造の経済的な土台から様々な交通形態の存在を排除することとなったのである。柄谷の交換様式論は、歴史で経済的生産関係と言い難い、異なる交通の形態もしくは交換様式の独自性を認めることからスタートしようとしている。
 
 

3.資本主義的な交換様式

 
 
柄谷の交換様式論は、歴史的にどのような社会構成体であれ、三つの基礎的交換様式が、互いに補完しながら共存するということからスタートしている。こうした見解は、ポランニー(K. Polanyi)の経済的な組織形態(互酬性・再分配・市場交換)論を批判的に受容したことであるが、他方、フランス大革命の3大理念(自由・平等・友愛)の現実的な土台に対する省察から生まれたことでもある。その骨子は、どの社会構成体であれ、贈与/お返しの互酬的な交換様式のA、略奪と再分配の交換様式のB、商品交換様式のCが相互補完的に結合されていること、その中で、支配的な交換様式がどれなのかによって、その社会構成体の性格が違ってくるということだ。氏族的な社会構成体(ミニ世界システム)は、交換様式のA、世界帝国は交換様式のB、そして、近代世界システムは交換様式のCが支配的であるが、再び近代世界においては、資本制が交換様式のCを、国家が略奪―再分配の交換様式のBを、ネーションが互酬的な交換様式のAを表す 。『世界共和国へ』56頁。ただし、柄谷は、人類が定住生活をする以前である狩猟採集時代の流動民社会においては、交換は存在しているが、「交換様式」としてシステム化されていなかったとみなす。そして、この社会の存在が、あとの人類史において重要な意味を持つということが、彼の主要な論点でもある。
 
柄谷によれば、このように近代世界を資本制=ネーション=国家の三位一体に理論化して把握した人は、ヘーゲルである。彼は、ヘーゲルがフランス大革命の理念から、これをキャッチしたとみている。フランス大革命の理念である自由・平等・友愛は、各々市場経済の商品交換、国家の再分配、共同体的な互酬関係の理念的な志向を表現することであるが、現実においては、資本制=国家=ネーションとして実現されたといえる『世界史の構造』322~23頁。 。この三者を理念的に統合しようとしたヘーゲルの弁証法体系は、資本主義経済を意味する市民社会が、国家とネーションによって、順次に統合されていく順番になっている。ヘーゲルは、「欲望の体系」として、市民社会の自由を肯定しながら、それが招来する富の不平等を是正することが国家であると考え、ここで発生する自由と平等の矛盾を超越する友愛を、ネーションから探したのである『トランスクリティーク』465~67頁、『政治を語る』100~101頁、『世界史の構造』322~23頁。 。柄谷は、ヘーゲルがたとえ観念論的であり、ネーションを最上位におき、三位一体の克服可能性を排除した閉じられた体系を構成したとしても、少なくとも三者間の相互依存的な関係は、的確に把握していたと評価する。
 
ところが、1840年代のマルクスは、ヘーゲルの法哲学を通して、資本主義的な経済を土台として、ネーションと国家を上部構造として規定し、土台である資本制の経済を廃棄すれば、ネーションも廃棄されると考えた。柄谷は、これはネーションと国家が商品交換と他の交換様式に根をおいたことを看過したことと考えたが、そのため、ヘーゲルの法哲学に再び近づき、初期のマルクスとは異なる方式で、唯物論的に批判することが必要であろうとしたのである。しかし、このような批判作業の根拠が、マルクス自身により、すでに『資本』で提示されていることが柄谷の重要な論点である。ここで、マルクスが、資本―賃労働関係の生産様式ではなく商品交換様式からスタートしたことが、事実上、異なる交換様式を一旦括弧に入れるという問題意識を持っていたことを示唆することとなる。だとしたら、1840年代、マルクスが確立した唯物論的な歴史館は、『資本』で提示された新しい認識を根拠として修正される余地ができるということであり、柄谷自身がその修正を成し遂げるといえるのである。
 
柄谷は、『資本』が商品でスタートされることを、マルクスが資本主義を交換様式から考えたこととして理解する。要するに、マルクスにとって資本は、根本的に商人資本であることだ。この点において、柄谷の論旨は簡明な方である。マルクスは、近代資本主義の一般的な本性を商人資本としてみなし、その中で産業資本主義及び労働力商品(賃労働)の独特性を位置づけようとしたのである。柄谷は、「マルクス主義者の中には、(…)剰余価値を生産過程の「搾取」においてだけ見つけ出そうとする思考が支配的」であるが、これは産業資本を特権化する古典経済学者の立場であるだけと、批判する『トランスクリティーク』38頁。 。マルクスの理論において産業資本は、人間労働力という特殊な商品を発見した点において、商人資本と異なるが、交換差額から利益を得る点において同様であるため、結局、剰余価値は、広義の流通過程においてのみ存在することである『世界史の構造』268~69頁。 。なぜならば、産業資本においても剰余価値が本当に実現されるのは、その生産物が売られる時であるからだ。商人資本が空間的な体系の差異から剰余価値を得られる反面、産業資本は技術革新によって絶えず時間的に異なる価値体系を作り出すことで、剰余価値を得られるが、資本の本性としては同様であるという。そのようにして、柄谷は「マルクスの独創性は、価値または剰余価値の問題を生産過程だけでなく、事新しく、流通過程においても考えようとしたところにある」『マルクス その可能性の中心』12頁。 と強調する。
 
この問題をめぐった論争は、非常に長い間持続されてきたが、あるところでは、ウォーラーステイン(I. Wallerstein)とマルクス主義者の間における論争を連想させるところもある。実際に、柄谷の見解は、「マルクスは、今日の大半の人々より、より流通主義者であった」「マルクスは、今日の大半の人より、より流通主義者であった。(中略)もちろん、彼は生産の場所と生産の場所の中の関係を強調した。しかし、交換のために生産をしたことである。それか、目的であった。『資本』この商品からスタートしたということを忘れないようにしよう。(中略)ともかく、賃労働なき剰余価値の存在を否定する最小限の理論的理由も考え出せることはできない」I. Wallerstein, “Hôtel de l’Amerique,” Espaces Temps 34/35, 1986, 45頁。同著者の『社会科学からの脱皮』ソン・ベクヨン訳、創作と批評社、1991年、201~209頁をご参照いただきたい。 と抗弁していたウォーラーステインのそれと類似しているが、それは、両者ともにマルクスが資本主義を世界市場の脈絡において認識したと信じているためである。柄谷は、マルクスが念頭においたことは、いつも世界資本主義であり、「16世紀に、世界商業と世界市場が資本の近代的な生活史を開いた」とか、「資本主義的な生産は、一般的に海外貿易なしでは、あり得ない」とかという、再度にわたるマルクスによる強調からみて、これは疑いの余地がないと主張する『トランスクリティーク』 426、432頁、『世界史の構造』238頁。 。ただし、『資本』がイギリス経済をモデルとしたという見解が広く知られているが、彼は、その研究対象も世界資本主義であり、世界経済がイギリスの中で内面化され把握されたこととして見なしている 『ネーションと美学』60頁、『トランスクリティーク』436頁、『世界史の構造』382頁。。たとえば、それは、イギリスの産業革命も国内市場だからではなく、重商主義的な競争において国際的な覇権を掌握する文脈で可能であったためである。しかも、柄谷は『資本』の副題が「国民〔political〕経済学批判」である理由の一つは、資本主義を世界から見ようとする観点にあるとまで主張する『トランスクリティーク』441頁、『世界史の構造』382頁。 。
 
しかし、資本主義の商人資本的な一般性の中で、産業資本主義が持つ独特性は、それ自体が重要である。柄谷は、産業資本主義で、資本制・国家・ネーションの緊密した三位一体性が、一層強化されたことを指摘する。人間の労働力とは、商品は産業資本より、むしろ近代国家によって形成される側面がもっと大きいからである。徴兵制と義務教育を通して、ナショナリズムを育成することも労働力商品を育成することと分離できない『世界史の構造』307頁。 。他方、柄谷は、産業資本主義が、労働力商品に根拠するということ自体が、資本主義の無限な膨張にある種の限界を作ると見なしている。産業資本は、技術革新の絶えない圧迫を受けるだけでなく、周辺の安い労働力及び新しい消費者が充員されるべきであり、無尽蔵な自然が継続して確保されなければならないという難しさを抱えることになる。したがって、資本制の経済がいくら自立的な力で、全体の生産を掌握しようとしても、自ら作ることができないこと、すなわち任意で処理できないため、自然環境と労働力商品の担当者である人間の「再生産」において、ネーション=国家の介入がなければならない、ということである。
 
このように、国家やネーションの能動的な役割を考える時、これらを資本主義的な土台によって規定できる上部構造としてみる上下部構造論は、一言で「誤謬」とするのが柄谷の主要論点である。生産様式=経済的な土台が上部構造を規定するという上下部構造論は、認識論上や実践的な次元において、色んな否定的な結果をもたらしたのである。彼が、認識論上の欠陥とすることは、大概、我々が今までよく聞いてきたことである。それは、たとえば、そのような歴史観自体が、近代資本主義社会の馴れ馴れしい発想に根拠した非歴史的なこととして、前資本主義時代に適用しがたいという類の批判である。柄谷がより深刻に受け止めていることは、近代世界においても、国家やネーションが持つ能動的な役割が看過され、「それが、以後の社会主義に致命的な結果をもたらした」『世界史の構造』262頁。 という点である。
 
現在の資本制社会に関しても、国家やネーションを、ただ単に上部構造として見なすという思考は、難関に直面した。なぜならば、国家やネーションは、むしろ能動的な主体として作動するためであったからだ。マルクス主義者は、上部構造である国家やネーションは、資本主義的な経済が破棄されれば、自動的に消滅されると考えた。しかし、実際にはそのようにはならなかった。そのため、国家とネーションという問題に引っかかり、転んだわけである。同上書、5~6頁。
 
しかし、過去に、資本主義的な経済が破棄されたにもかかわらず、国家やネーションが消滅されていないという柄谷の主張には、深刻な論理的な矛盾がある。他のところでも彼は、「資本主義的な生産様式が解消」されても、国家とネーションが消滅されなかった例として、ソ連とともにドイツや日本におけるファシズムの勝利を挙げている『「世界史の構造」を読む』141~42頁。 。これは、資本主義を一国的に廃止できると信じたソ連の試みと、ネーションの回復を通じて、資本と国家を乗り越える目標を標榜したナチス運動を、資本制的な生産様式の廃棄として理解することである。しかし、柄谷は、ソ連の社会主義が、資本主義の廃棄ではないことを強調したこともある。労働者を国家の賃金労働者として作り上げることに過ぎなく、「国有化と資本市議は背反されることではない」『世界史の構造』357頁。 ということだ。しかも、「資本主義の問題を一国の単位ではなく、いつも世界から考えなければならない」同上書、301頁。 という柄谷の主張を、そのまま受け入れるなら、ソ連、ドイツ、日本にける資本主義的な生産様式の解消をいうことは、より難しくなるかもしれない。
 
この論理的な矛盾は、柄谷が自ら資本主義を一国の単位ではなく、世界経済から考えるべきであるとしながらも、いざ上下部構造は、一国単位の社会構成体の内部で設定することから始まったといえよう。彼は、資本主義的な社会構成体は、他の社会構成体との関係、すなわち、世界体制から考えるべきとすることで、ウォーラーステインの世界体制論を選別的に活用するが、結局、分析単位としては、いつも一国的な空間を想定している。しかし、『ゴータ綱領批判』において、「「今日、国民国家という枠」は、それ自体が経済的には、世界市場の「枠の中に」、政治的には、列国体制(Staatensystem)という「枠の中に」あること」K. Marx, Kritik des Gothaer Programms; Werke 19, 23~24頁。 と主張するマルクスの上下部構造論に対する柄谷の批判は、焦点を上手に合わせられなかったと言わざるを得ない。
 
しかも、マルクスの上下部構造論は、当初国家における「能動的な主体性」の可否とは何の関係もない。それは、経済的な土台が、国家の特定の「性格」ないしは「形態」を形成規定するという意味を持つからだ。マルクスは『資本』においても、中世のカトリックと古代の政治が、「主な役割を担当」(die Hauptrolle spielen)であったことを当然視し、ただ「なぜそうであったかを説明してくれることは、まさに人々が彼らの生計を獲得した様式」であるとすることで、宗教及び政治の能動的な主体性を認めたK. Marx, Das Kapital; Werke 23, 96頁。 。だとしたら、資本主義の世界経済の変化が、国家の抑圧的な性格に変化をもたらすという認識、マルクスの表現のように、経済的な土台の変化とともに、巨大な全体の上部構造がいずれ変革されるという展望が、認識論の上でも実践的においても、致命的な誤謬になるかどうかは、上手に納得がいかない不思議なことであるが、『トランスクリティーク』において柄谷は、経済的土台が、上部の構造を規定するというマルクスの見解を、「死後的または長期的からみれば正しい」と指摘している。マルクスに対するマックス・ヴェーバー(Max Weber)の批判も、マルクスの命題における「一般論を否定していることはできない」ということである。『トランスクリティーク』235~36頁。 。
 
 

4.アソシエーションの交換様式

 
 
マルクスの生産様式論に対する批判的な代案としての交換様式論は、歴史過程における商品交換に、互酬関係や支配/保護関係のように、倫理的・政治的な次元の異なる交換形態を経済的土台から分離しないようにするという意味を持つ。ホップス(T. Hobbes)が言う国家の保護/服従の政治的交換をはじめ、宗教的なこと、倫理的なことも特定な交換様式に根を置いていることである。柄谷によると、社会主義を交換様式論の観点から考える時、社会主義の根拠を、経済と分離された宗教的な愛や倫理ではなく、広い意味の「経済学」から見つけるようになる 『世界史の構造』330頁。。三つの基礎的な交換様式の他に、現実的には実現されなかったものの、理念として根強く存続してきたもう一つの交換様式のDがまさにそうした意味の倫理的な革新を盛り込んでいる。
 
交換様式のDは、まだ現実化されない理念と言えるが、柄谷は、その概念が過去に、世界帝国時代におけるキリスト教、イスラム教、仏教のような普遍的な宗教によって追求されたとみなす。「普遍宗教は、共同体でも国家でもない、市場的な空間(都市)で出現し、また早く存在していなかった空間すなわち新しい交換様式を開始したこと」『世界共和国へ』107, 198頁、『世界史の構造』216~17頁。 である。それによると、普遍宗教は、交換様式のBが支配的な世界帝国では、互酬的な交換様式のAが、商品交換様式のCの拡大によって解体されていく時、これに対抗する交換様式として出現したことである。世界帝国で、交換様式のBとCが、空間的に拡大されながら、国家が強大していき、交易と市場の発展が深まっていく時、普遍宗教は、彼らの交換様式の拡張に対する批判として、交換様式のAを高次元的に回復しようとする方式として現れたことである。
 
柄谷の普遍宗教発生に対する構造論的な解明は、興味津々であるだけでなく、相当な説得力がある。普遍宗教の神が、部族共同体や国家を超えた超越的な存在として登場することと時をともにし、市場交換の拡大として共同体や国家から相対的に自立した個人が現れるようになる。市場経済が拡大される現実において、その矛盾を越える動力が、いつも宗教の形態として絶えず存在してきたことは、そのためである。これは、神の力が共同体の力、国家の力、貨幣の力を超えたこととして近づいてきたことを意味し、普遍的な存在である神は、自立的な個人の存在と照応する。柄谷によると、これが現実においては、国家や共同体から遊離された個人が、直接、神と関係することを意味するというより、むしろ神を通して、個人における相互関係を新しく創出しなければならないということを意味する。実際に、普遍宗教が、愛や慈悲を広める中においても、究極的に志向するところ、相互互酬的な共同体、個人のアソシエーションを創出することである 『世界史の構造』216~17頁。。
 
しかし、このようなアソシエーションの志向が、歴史的に持続的な社会原理として定着されなかったが、普遍宗教が現実的に拡大定着されていくとしたら、再び国家の宗教、共同体の宗教になってしまったからである。「このように、普遍宗教は、国家や共同体に浸透すると同時に、逆にそれらに吸収されてしまった」同上書、222頁。 。この過程において、浸透と吸収は、相互的な面もあるが、普遍宗教が世界帝国に吸収され、世界宗教に固まってからは、その普遍宗教性を失っていくが、相変わらずその要素の一部が根強く残っていることも不可避であるためである。三つの交換様式が結合された社会構成体も、知らず知らず普遍宗教から由来する観念や法を通じて、交換様式のDの影響を受けてきたことも事実であるといえる。
 
柄谷は、近代社会主義の創意的な努力は、まさに普遍宗教の未完の課題を、再び実現しようとすることからきたとみなす。社会主義は、国家や共同体に包摂してしまった普遍宗教を批判しながら、同時にその宗教の倫理的な核心、すなわちアソシエーションの交換様式を救出する課題を提起したものである。その課題を追求した近代最初の人物として、柄谷が目星をつけた人は、カントである同上書、331頁。 。自由の相互性という倫理的な理念を提示した普遍宗教の精神が、カント哲学に継承されているが、カントの場合、抽象的な道徳論に留まらず、それを一種のアソシエーション思想と世界共和国理念として、一層具体化させたのである。柄谷は、カントの有名な言葉、「他者を手段としてだけでなく、同時に目的としても扱うように」『トランスクリティーク』16, 366頁、『世界共和国へ』112, 184~85頁、『世界史の構造』331~34頁。 という言葉を、非資本主義的であるが市場経済的な新しい倫理的・経済的なビジョンを見せてくれることとして、解読する。「手段としてだけでなく、同時に」(強調は引用者)という言葉が示唆するように、この言葉は、他者を手段として使用するしかない市場経済的な状況を前提とした上で、正当な代価として補償することで、他者を目的とする市場経済的な倫理を説破しているといえる。
 
その上、柄谷は、近代社会主義の思想史において、資本主義の経済を国家的な統制によってではなく、交換様式のDの実現として克服しようとした人物として、プルードン(P. J. Proudhon)とマルクスをあげている。その他の社会主義思想は、何とか国家とネーションを通して市場経済を統制する道を追求してきたし、これは、すなわちフランス大革命の理念である自由・平等・友愛において、自由を平等と友愛により統制しようとした道であった。これに比べて、自由を優先視するという点において、プルードンとマルクスは、二人の間における思想的な対立があるにも関わらず、かなり類似していることである。ラサーレ(F. Lassalle)式の国家社会主義を、徹底的に排撃したマルクスは、アソシエーションが国家を代替すべきと主張した点においてプルードン派であり、そのような「マルクスに社会主義とは、協同組合的なアソシエーションに違いない」『世界史の構造』352頁。 。マルクスが、国家権力の掌握の必要性を強調したことは、国有化のためではなく、協同組合化を通じて資本―賃労働の階級関係を破棄するためであり、そうすることで、階級支配に根拠する国家が、究極的に死滅するだろうと展望したのである。マルクスがプルードン派アナキストであれば、資本主義の経済を国有化し、計画的に統制しようとしたエンゲルスとレーニン(V. I. Lenin)、そして社会民主主義は国家主義的である同上書、357~58頁。 。
 
このような柄谷の主張は、たとえ、マルクス―エンゲルス―プルードンに対するある種の偏見が働いていることではあるが 偏見が働いた一つの例として、マルクスにおける「連合された生産者たち」に対する展望を柄谷が「小生産者連合」として誤解したことを批判している拙稿「マルクスの共産主義思想と「個性」の問題」『コギド』69号、釜山大人文学研究所、2011、350頁があげられる。短いものであるが、拙稿「根本的でありながら中道的である近代克服論」『創作と批評』 2009年秋号、447~49頁においても、同じ批判を試みた。、ともかく、マルクス思想の核心に対する洞察を盛り込んでいるといえる。実際、マルクスが、生涯にわたって、未来社会のテーマとして考えたのが、常に「自由」と「個性」であり、これは、平等というスローガンが、資本主義時代の現実を土台とした課題を表現するのには、不適合であると見なしたためである。ただし、エンゲルスが「階級廃止を超える、ある平等に対する要求も、必然的に不合理に至る」ようになり、社会主義社会を「平等の王国」として連想しないようにすることも、自由を犠牲にする均等化に対する警戒から始まったことであることを認めるべきである拙稿「マルクスの共産主義思想と「個性」の問題」333~34頁。 。
 
柄谷は、マルクスのアソシエーション思想を高く評価しているが、他方、マルクスの生産様式論からはじまった根源的な限界を批判することもあった。生産様式論は、誰が生産手段を所有するか、という観点からみるため、平等を重視し、自由の問題を無視する傾向にある。
 
マルクスは、生産様式における社会構成体の歴史を考えた。生産様式から考えることは、言い換えれば、誰が生産手段を所有するかという観点から考えることである。(…)また、こうした観点は、最初の段階に存在する平等性を重視するが、それを可能とすることが、遊動性(自由)ということを無視する。すなわち、コミュニズムを遊動性(自由)ではなく、富の平等という点においてだけ考える思考になりやすい。交換様式の観点から考える時、以上のような欠陥を克服することが可能である『世界史の構造』104頁。 。
 
彼は、同書で、このようなマルクスに対する、相反する主張をしているが、これに対する適切な解明をしてはいない。生産様式論が、「誰が生産手段を所有するかという観点から考えること」という主張は、ふと過度に単純化しているようであるが、生産手段を所有した資本家と、所有していない賃労働者の階級関係を念頭におくのであれば、単純に共同所有であるか、私的な所有であるかの問題に単純化したと断定する必要はない。本当の問題は、他のところにある。
 
マルクス理論において、物質的なライフの生産をめぐる個人の社会的な関係は、柄谷の表現方式を借りるのであれば、歴史的に様々な交換形態を帯びている。近代資本主義社会は、資本―賃労働の関係が主な形態であるが、マルクスはこの形態の特定した性格を、以前の資本主義時代のそれと異なるものとして区別しようとした。資本主義時代においては、商品交換の普遍化により、個人の関係が抽象的・事物的・非個人的な関係に変わったことである。そのため、マルクスは、1840年代の『ドイツのイデオロギー』から、個人の個性より分離不可能な身分と対比される階級の抽象性を繰り返し強調した。個別の農奴は、個別の領主に属されるが、労働者は、特定の資本家に属されることなく、資本家階級に属されるという主張もそのような意味を持っていると考えられる。
 
そのため、生産手段の所有の問題においてもマルクスは、資本主義時代における商品交換の普遍化として抽象的・事物的・非個人的な支配が貫徹された所有を、「階級的な所有」と表現し、人格的・個人的な性格が残っていた前の資本主義的な所有から異なった面に注目した。マルクスの所有概念において、社会的・集団的な所有と、私的な所有の対立以外に、階級的所有と個人的な所有の対立に重なることは、このためである。これを、柄谷式として言えば、資本主義的な階級的所有が、まさに交換様式のCが支配的である所有形態であるため、個人的所有の蘇生は、交換様式のDの実現に該当する。したがって、『共産党宣言』においてマルクスは、「ブルジョアには、階級的な所有の廃止が、生産それ自体の廃止のようにみえる」としながらも、「資本が共同所有に(…)変化するとしても、個人的所有が社会的所有に変わることではなく(…)所有は、その階級的な性格を喪失するだけ」K. Marx & F. Engels, Manifest der Kommunistische Partei, 1848; Werke 4, 476頁。 であると主張したことである。このように、所有の問題を、生産をめぐる社会的関係として見なしていたマルクスが、共産主義を個人的な所有の蘇生であるとした時の意味は、個人の個別性が貫徹された所有の蘇生を意味することであり、これは、交換様式のDの蘇生であるといえる。こうした意味で、生産様式論を、「誰が生産手段を所有するかという観点で考えること」と言えることは、それをもっとも狭小に理解することとなる。ひいては、マルクスがこのような考えを、『ドイツイデオロギー』から一貫して指摘してきたという点において、柄谷のように『資本』のマルクスが、過去の唯物論的な歴史観を本質的に修正しなければならない程度の認識論的な断絶を経験したと見なすことは難しいのである 柄谷は、資本主義を交換様式として把握した『資本』の画期的な転換を次のように表現している。「アルチュセールは、『ドイツイデオロギー』の頃に、マルクスの認識論的な断絶があったとしている。しかし、もし、そのように言いたければ、『政治経済学の批判要綱』から『資本』にいたるまで決定的な「断絶」があるとすべきであり、それが価値形態論である」『トランスクリティーク』326~27頁。。
 
 

5.おわりに

 
 
柄谷は、マルクス主義の理論的・実践的誤謬の中で重要な一つを、生産様式中心の思考から探し、交換様式論に基づいた資本主義の克服方案を提示しようとしている。資本主義的な生産様式の変革とこれを通した国家の死滅を期待したマルクスの理論は、これ以上維持できないという認識の下で、彼はカント的倫理学とマルクスの政治経済学の批判のまとめを通した新しい思想的な模索を試みることとして見られる。彼の交換様式論に従うのであれば、今日の世界は、各々異なる原理に根をおいている資本・ネーション・国家という交換様式が三位一体として結合されているため、これを解体し克服する新しい方案が要請されたのである。彼は、このために、「より根本的に社会構成体の歴史を「生産様式」ではない「交換様式」からみる視点」『世界史の構造』413頁。 を捉えることを強調する。
 
その間、生産過程に対する過度な重視と流通過程における軽視が、資本の蓄積過程に対応する対抗運動を失敗させたことである。柄谷は、まず、資本に対抗する運動において、労働運動より、消費者-生産者協同組合や、ボイコットのような流通過程における抵抗的動きを新しい運動として注目する。労働者階級が自由なる主体として有利な位置から資本に対抗できる場は流通過程であり、ここで非資本主義的経済を自ら創出できることである。彼は、資本=ネーション=国家のスギマ空間において、非資本主義的な経済が拡散されることが重要であるとみなす。だからといって、柄谷の未来の展望が明るいことではない。彼は、今日の世界を戦争危険と環境破壊、深刻な貧富格差という切迫な難題に直面している時代として認識する。資本の一般的な利益率の低下で、資本主義的な経済の危機が迫り、このことから世界戦争も起きうるということである。彼は、資本制=ネーション=国家のシステムも、崩壊の可能性を排除しがたいとしているが、未来にそのような事態が起こったら、莫大な社会的な危機が発生できるため、そのような危機の時空間に比べて、非資本主義的な経済がある程度拡散されるべきと主張する。
 
他方、柄谷は、資本制=ネーション=国家の克服は、個別の国家内部の解体としては十分ではなく、外部から来る力が、必ず必要であるという認識の下で、カントの永久平和論に頼り、世界共和国の構想へ進んでいく。消費者=生産者協同組合のようなアソシエーションが、互酬の交換様式のA原理の高次元的な回復とするなら、世界共和国は、それを国家間の関係において実現することである。彼は、世界各国が国民国家の軍事主権を徐々にUNに贈与し、UNを強化・再編成することで、世界同時革命になりうるような新しい世界体制建設が可能であるとみなしている。彼がUNのような国際機構をどれほど重視しているかは、「20世紀のロシア革命と国際連盟の成立の中で、より重要な事件は国際連盟の成立」『「世界史の構造」を読む』83~84頁。 という認識からもよく表れている。
 
柄谷は、自身の世界共和国構想は、切迫した現実に対抗する規制的理念としている。それは、「根本的で漸進的な」企画であるが、根本的になれないお急ぎの戦略は、その意図とは反対に、国家を強化し、結局のところ資本主義を永続させる結果をもたらしただけであるとしている。しかし、理想を高く設定し、その方向へ続けて進んでいこうとする趣旨の規制的理念は、マルクスが生涯もっとも警戒していた理想主義と異なるとは考えられない。マルクスは、1870年代、自身の社会主義を、人々が「科学的社会主義」とした時、自らは「批判的で唯物論的な社会主義」という名称をよく使用していた拙稿「マルクスにおける科学的社会主義と現実的科学」『創作と批評』1994年秋号、265頁。 。柄谷の世界共和国構想には、マルクスが言った意味の「唯物論的な」面が欠如されたものにみえる。今日において、「唯物的」であるとしたら、「根本的で漸進的な」理想主義的な道ではなく、「長期的かつ根本的でありながら、中・短期的に中道的な」道の模索が要求されることではないかと考える イ・ナムジュ編『二重課題論』チャンビ、2009年。。より現実主義的なその道においては、柄谷が国家を強化できるかを心配し、白眼視する福祉国家の追求であったり、地域統合であったりするようなものも、時間と場所によって、大きい意味を持つことができるし、地域と国ごとに、柔軟でありながらも、創意的な努力が可能となると考えられるかもしれない。
 
 
翻訳=朴貞蘭(パク・ジョンラン)

 
 
2014年 6月1日 発行

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