창작과 비평

統一大当たり論と分断体制の変革の道

 
 
 
金昌洙  コリア研究院研究室長。民族和解協力汎国民協議会政策室長、青瓦台NSC政策調整室局長、民主平和統一諮問会議専門委員歴任。著書として『天安艦外交の沈没』(共著)等がある。changsoo@outlook.com
 
 
 

統一大当たり論と進歩の議題

 
 
朴槿恵大統領は2014年新年が明けると「統一大当たり論」を提示した。その後、統一大当たり論は各種の国内イシューを蚕食しながら、国政運営を象徴するブランドとして急速に浮上した。言葉その通り、「大当たり」だった。朴大統領はその勢いを活かして各種の首脳会談や国際会議で韓半島の統一は韓半島のみならず、北東アジアにおける大当たりになると大胆に語った。
 
 

進歩勢力は、これまで平和の定着を通して統一に向かう「過程としての統一」を主唱し、準備してきた。これに対し、朴大統領の統一大当たり論は準備や過程を省略したまま、結果だけをもってバラ色の青写真を提示していると批判された。また、2012年の大統領選挙を控えていた当時、朴槿恵候補は「経済民主化」と「福祉」議題を掲げていたが、選挙後それを見捨ててしまったことに対するデジャビューのせいか、6・4地方選挙のためのものではないかという疑いも提起された。このような批判を意識したのか、朴大統領は、大統領が委員長を担い、政府部局や青瓦台、民間専門家が参加する「統一準備委員会」の構成を発表した。勢いのあるスピード戦だった。統一準備委員会は大韓民国政府樹立以後、クーデターや戒厳状況を除いて、最も多い政府の高位職で構成される組織であるこのマンモス級機構は、当初4月中に設置予定だったが、組織の位相や構成を確定することができずにおり、セウォル号沈没事件以後、設置時期を決めることができなかったこととみられる。
。朴大統領の統一ドライブは、3月末ドイツのドレスデンで行った演説に盛り込まれた対北朝鮮提案へとつながった。
 
統一大当たり論は様々な限界を指摘されたが、統一に対する世論の関心を呼び起こしたという肯定的な効果も上げた。統一にかかる費用だけではなく、統一がもたらす便益という、より大きな魅力があることも知らせたのである。これによって、長く萎縮していた統一論議が活性化される兆しを見せ始めたのである。ちょうど北朝鮮もこれに応えるかのように、年初から南北関係の改善に対する意向を表し、南北高位級の接触と離散家族の対面が実現したりもした。
 
このような統一ドライブが、従北たたきをしたり、南北対決を煽るよりは望ましいということはもちろんである。しかし、統一大当たり論はこのような期待を裏切り、三日天下や竜頭蛇尾に終わるかもしれない運命に逢着した。統一大当たり論→統一準備委員会→ドレスデン提案へ滞りなく走ってきた統一ドライブは、結局韓米合同軍事訓練、アメリカのアジア回帰政策(Pivot to Asia)、ドレスデン構想に対する北朝鮮の反発、セウォル号惨事という構造的・状況的制約に閉じ込められた ドレスデン宣言以後、韓米海兵隊合同訓練の双龍訓練が平壌占領を目的として史上最大規模で行われ、オバマ(B. Obama)アメリカ大統領はアジア回帰政策を推進しながら、北朝鮮の核に対する強硬対応を名分として韓・米・日三角軍事協力を試みた。北朝鮮はこれに強く反発し、アメリカの北朝鮮への強硬政策に便乗した朴槿恵政権の態度やドレスデン宣言を激しく非難した。このように北朝鮮政策の推進環境が悪化した状態で起きたセウォル号沈没事件は、ドレスデン宣言の国内的推進力まで弱化させた。。
 
朴大統領の統一大当たり論は相手党派の政策の中へ深く入り込んでいく「オフサイドプレー(off-side play)を真似たものといえる金鍾曄は、分断体制下では保守派が民主派の政策を民主派よりもっと果敢に採択するオフサイドプレーを期待することは難しいという(「保守派のオフサイド戦略と分断体制」『創批週刊論評』2011.5.25、http://weekly.changbi.com/537)。彼はこの論文で「『オフサイドプレー』が政治史において多くあるわけではないが、希なことでもない。ビスマルクの福祉政策、ド・ゴールのアルジェリア放棄(…)ニクソンの中国とのデタント、シオニストのベギンのエジプトとの平和協定、ゴルバチョフのペレストロイカを挙げることができる」と、その事例を紹介する。 。しかし、分断体制は保守勢力のオフサイドプレーに構造的な制約を加えるオフサイドとは、サッカー競技における攻撃者ファウルの一つである。攻撃者が相手チームの最後方に位置していてもファウルではない。その位置に立ってボールを受けると、その時にファウルとなる。注3で引用したように、金鍾曄は、保守派が民主派の政策をより果敢に採択することを「オフサイドプレー」という。これは、オフサイドファウルへつながる以前の状態である。筆者がこれを引用したのは、保守が進歩のアジェンダを使う場合が頻繁になり、これが相手陣営に深く入ってきたオフサイドプレーと類似しているからである。またオフサイドの位置にいたからといって、いつもファウルが適用されるわけではないので、オフサイド位置からでも得点を上げることができるという点に着眼する必要もある。 。ドレスデン演説の直前に開かれたハーグ核安保首脳会談で、オバマ大統領は葛藤する日韓首脳を招聘し、3国首脳会談(3.26)を開催した。オバマ大統領は中国牽制にかかるアメリカの費用を減らす最も効率的な方案をもって韓・米・日協力関係の強化を選んだのである。韓半島の緊張状態はこれに対する必要条件のようになっている。これが、オバマ大統領がハーグ韓・米・日首脳会談以後、対北朝鮮強硬政策を打ち出している理由である。アメリカのこのような政策は北東アジア状況を息苦しくさせている。筆者は、ドレスデン宣言がこのような「息苦しい危機状況において平和と安定のための息抜きにならなければ」ならず、そのために「去る2月にあった南北高位級の接触を再開してドレスデン提案を北朝鮮に説明し、危機を克服できる踏み台を作ってほしい」と述べたことがある 拙稿「ドレスデン演説、東北亜新秩序の上につくった息抜きの穴」『ソウル新聞』、2014.4.4。。
 
しかし、ドレスデン演説を前後にして南北間には何らの接触もなかった。疎通不足は南北間だけではなく、韓米間においても同様であった。統一大当たり論とドレスデン演説を実現するためには、アメリカの協調が必須的である。しかし、オバマ大統領はソウルを訪問(4.25〜26)した際に、北朝鮮の核廃棄に対する誘因策はなく、強硬策だけを打ち出した。北朝鮮は祖国平和統一委員会(祖平統)声明で韓米首脳会談の結果を猛烈に非難しながら、朴槿恵大統領が「体制対決妄想」だけをしているので、「北南関係において期待できることが何もない」と主張した北朝鮮は祖平統のスポークスマン声明(2014.4.27)で朴槿恵大統領に対してあまりにも酷くて口に出すこともできないほどの非難を行った。これが果たして国家機関の声明なのか疑わしいほどである。
声明全文は、http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=107041。 。北朝鮮は国防委員会と外務省の声明を出し続け、アメリカに対しても強烈に批判し、核実験とミサイル発射というカードを使う意思を表した。このような緊張の悪循環は今後統一大当たり論とドレスデン演説を座礁させるに十分である。たとえ調律を試みるとしても、アメリカのアジア回帰政策のため、簡単にはできないアメリカのアジア回帰政策が朴槿恵大統領の統一大当たり論と調律されにくい理由については、拙稿「アジアに来たアメリカの下心は」『創批週刊論評』2014.4.30(http://weekly.changbi.com/823)を参照。
。これが、まさに統一大当たり論が進歩陣営の議題の中へ果敢に入り込めない構造的制約なのである。
 
 

ドレスデン演説の四つの限界

 

 
朴槿恵大統領はドレスデン演説で父親の朴正熙元大統領のドイツ訪問と自身の訪問を比較し、統一大当たり論の動機を迂回的に披瀝した。朴正熙大統領が50年前にドイツ訪問を通してドイツの経済奇跡を学習したとすれば、自身はドイツの統一を学習したいということなのである。朴大統領は「私はライン川の奇跡が漢江の奇跡へとつながったように、ドイツの統一も韓半島の統一へつながるという信念を持っています」と表明した。実際、朴槿恵大統領はメルケル(A. Merkel)首相に「今年がベルリンの壁の崩壊25周年になる年だが、今回の訪問で統一ドイツの姿を見ながら、統一韓国のビジョンを立ててみたい」と述べた。メルケル首相は、このような朴槿恵大統領に対して「まったく違う生活をしてきた人々を開かれた心で接し、その人々の話に耳を傾けること」が統一過程において最も必要なことであると話した。
 
相手に対する尊重と共存の知恵が盛り込まれたメルケル首相の発言に対して、朴槿恵大統領がドイツ式吸収統一をモデルにしたいと答えた形になった。統一大当たり論やドレスデン演説の背景にドイツ式吸収統一構想があるという疑惑が消えない理由である。ドイツ式吸収統一を追求するような朴大統領の発言は、ドレスデン演説を実現させる他の当事者でもある北朝鮮の反発を呼び起こし、その実現可能性を低下させる一助となった。北朝鮮の祖平統は「朴槿恵が我が国をドイツと錯覚し、体制統一を叫ぶようだが、それは永遠に実現できない妄想である」とドレスデン構想を受け入れることができないことを明言した北朝鮮の祖平統は、2014年4月23日朴槿恵大統領のドレスデン演説を10項にわたって事細かく批判する「朴槿恵に送る公開質問状」を発表した。全文は、http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=106993。 。
 
統一大当たり論を具体化した朴大統領のドレスデン演説は、明確な限界を持っている。第一に、平和的統一過程を提示していない。統一大当たり論はその後統一準備委員会、ドレスデン演説等に進化しながらも、依然として平和的過程による統一については明確な言及がなかった。韓国政府の公式な統一方案は「和解協力—南北連合—統一」という3段階過程を経ることである。国民も大体急速な統一よりは平和的方法による漸進的統一を希望している朝鮮日報の年中連続企画「統一が未来だ」(2014.1.1〜)の基調は「1市場2地域論」である。朝鮮日報が1市場2地域論を掲げたのは、韓国資本主義の危機のためである。韓国経済の成長率の鈍化速度が速くなり、危機意識が高まったが、そこから脱出するための新成長動力として「統一」を対象にしたのである。朴槿恵大統領も新年記者会見で「統一は大当たり」と述べながら、「韓半島の統一は、私たちの経済が実際大跳躍することのできるチャンス」と強調した。両側の動機が類似しているが、実際これは何年間「平和が飯だ」といいながら、南北関係を通して新成長動力を用意しなければならないと主張してきた進歩の言説とも酷似している。朴槿恵大統領の統一大当たり論が朝鮮日報の1市場2地域論と違うのは、2地域が維持される状態を管理する過程が見られないという点である。朝鮮日報が1市場2地域論を掲げたのは、北朝鮮の急激な変化が新成長動力の創出に役に立たないという認識のためである。
。大統領が統一大当たりを言いながら、平和的過程による統一を明らかにしないということは矛盾する態度である。平和的過程によって行われる交流や協力が大当たりであり、これを経ない一方的な吸収統一は災いになるからであるキム・チャンファンは「南北関係において想像できる最大の悲劇が戦争であるならば、その次に起こりうる悲劇は突然の統一である」と語る。「韓半島危機と統一概念の再定立の必要性」コリア研究院編『統一、Re-Start』タイムブックス、2014。 。
 
第二に、平和体制に対するビジョンがない。朴槿恵大統領の対北朝鮮政策は抽象度が高くて曖昧であるため、解釈の余地が多かった。ドレスデン演説で人道主義、経済協力、社会文化交流の活性化という3大提案をもって南北関係に臨みたいという意図を表したが、依然として北朝鮮の核問題や韓半島平和体制に対しては納得のいく解決策やロードマップを提示できていない。北朝鮮の核問題に対するアプローチでは、むしろ李明博政権の「非核・開放・3000」を連想させるほどである。問題解決の能動的な意志は見られず、北朝鮮に核放棄を求めることに止まっている。また北東アジア多国間安保体制を言っているが、韓半島平和体制は依然として禁忌語である。韓半島平和体制に対する論議なしに北朝鮮の核廃棄や北東アジア多国間安保体制を言うのは「縁木求魚」である。
 
第三に、北朝鮮の政策変化に対して国内政治的成果中心に評価する。政府の統一大当たり論に対し、当初北朝鮮は積極的に回答をしていた。北朝鮮による南北対話の改善発言に対して、政府がその真正性に疑問を投げかけた時も、北朝鮮は過去のようにこれに反論するのではなく、自分たちの意図を積極的に解明した。離散家族の対面に対しても実務的に支障が発生したが、金正恩第1委員長が直接特命を下した。これに対して朴槿恵政権は自身の原則的な姿勢が北朝鮮の態度変化をもたらしたとみていたのであるこのような認識は対日関係にも見られる。青瓦台は第3次核安保首脳会議で韓・米・日首脳会談を開くことにしたことに対して、「この間我々の原則に基づいた外交的努力と日本側のある程度の姿勢変化が、今回核安保首脳会議を契機に韓・米・日首脳会談を可能にした」と評価した。『Newsis』2014.3.21。 。
 
このように対北朝鮮政策や対外政策において短期的な成果誇示を優先する成果中心の認識は、むしろ離散家族の対面以後、最近悪化した南北関係を説明できなくさせる。北朝鮮も分断体制の構成員として朴槿恵政権の政策や性格を分析しながら、それに合わせる形としての対韓政策を展開している。「揺れる分断体制」の中で北朝鮮政権も体制維持を図っているという事実を、朴槿恵政権はあまりにも疎かにとらえている。
 
第四に、歴代政権の政策を継承する意志が足りない。ドレスデン演説には「統一以後世界に寄与」「新しい韓半島」「ドレスデン統一ドクトリン」のような雄大なスローガンはあるが、南北関係を正常化していく説得力のある手段は見られない。朴大統領はドレスデン演説で軍事障壁、不信障壁、孤立と断絶の障壁という3つの障壁が南北間に置かれていると言ったが、これを克服するために提示した手段はその現実認識に比べて十分ではない。朴槿恵政権が対北朝鮮政策の手段に弱い理由は、歴代政権の政策を継承しないからであるドイツの場合だけみても、社民党のブラント(W. Brandt)首相が提案したことを、政権が替わっても20余年間持続的に推進し、基民党のコール(H. Kohl)首相時代に統一を成し遂げるようになったのである。その後、ドイツは短期的には統一後遺症があったものの、今は世界経済危機の中でもヨーロッパで「独り成長」を続けている。
。韓半島信頼プロセスと統一大当たり論も6・15宣言や10・4宣言から離脱したものではない。2000年の6・5南北共同宣言では、「南と北は経済協力を通して民族経済をバランスよく発展させ、社会・文化・体育・保健・環境等諸般分野の協力や交流を活性化し、相互の信頼を築き上げていくこととした」(第4項)と約束した。2007年の10・4共同宣言も信頼をつくるための具体的なプロセスとして経済協力をはじめとする各分野で協力と交流を活性化することに合意した。つまり、ドレスデンで発表された3大対北朝鮮提案もこの10・4宣言の枠内にあるのであるキム・ボグン「10・4宣言を無視したドレスデン宣言」『ハンギョレ』2014.3.30。 。
 
 

分断体制の再安定化を試みる保守勢力

 
 
1987年6月抗争によって形成された「87年体制」は、「分断体制を浸食し、不安定化すると同時に、その発展方向の選択や調整が分断体制によって深刻に制約される」体制と規定される金鍾曄「分断体制と87年体制の交差路で」『創作と批評』2013年秋号、490頁。 。朴正熙・全斗煥体制において抑圧された統一運動も6月抗争の翌年である1988年から再び噴出され始めた。6月抗争以後、統一運動が持続性を持ったのは87年体制を支える民主主義力量のためであった4・19革命後の1961年から始まった革新系と大学生の統一運動が、持続性を持たなかったという点と比較してみる必要がある。朴正熙・全斗煥時代を経て1987年まで分断体制固着期だったという事実と87年以後は分断体制が揺れる時期だったという差が存在する。分断体制を揺るがす最も大きい要因は6月抗争以後形成された民主化力量である。 。白楽晴は「1987年を起点として分断体制が固着段階から動揺段階へ入った」と言いながら、これを「揺れる分断体制」と命名し白楽晴「分断体制と参加政府」『韓半島式統一、現在進行形』創批、2006、47頁。 、「分断体制の固く維持されていた状況に合わせた体制運営及び発展模型が、これ以上通用しないようになったことによる一層本質的な危機」と、これを説明した白楽晴「巻頭言」『揺れる分断体制』創作と批評社、1998、5頁。 。
 
揺れる分断体制を再安定化しようとする保守勢力の試みは、2000年6・15共同宣言以後本格化した。政府の対北朝鮮政策に対して「一方的な支援」だの「従属的」だのといった政略的批判が相次ぎ、反対勢力に従北のわなをかぶせるやり方が、マッカーシー(J. R. McCarthy)狂風のように民主主義を脅威した。北朝鮮の核問題が長期化すると、北朝鮮による脅威を日常化し、北朝鮮に対する不信情緒を高めた。北朝鮮の政策が韓国社会の進歩的発展に反するという判断も増えた。西海北方限界線(NLL)議論や統合進歩党事態も統一問題に対する疲労感が高まる要因であった。
 
このような一連の現象は、固着した分断体制が不安定になり、発生したものである。これは、金鍾曄が提起した「分断体制動揺期には平和の可能性及び事例と、緊張の可能性及び事例が同時に増大し、両者が複雑に絡み合う過程を経験するように」金鍾曄、前掲論文、471頁。 なるという論理で説明することができる。ところが、このような状況は、本質的に分断以後の統一論議を主導してきた進歩勢力が李明博政権の成立と民主主義の萎縮以後、統一論議を引っ張っていく力を消尽したという内部的問題から生じるといえる。分断体制が揺れる状況において、分断体制を克服するための進歩的努力と分断体制を再安定化しようとする守旧的試みとが衝突する中、進歩陣営の力量が消尽することによって分断体制は揺れ動くが、統一運動は弱化する逆説的現象が発生したのである。
 
これは、6月抗争以後再活性化した統一運動内部の限界と進歩陣営の分断体制に対する不確実な認識の結果である。白楽晴はかつて進歩陣営内部の3つの問題点を指摘した。第一は、分断体制が介入されていない社会や社会理論を標準とし、民主化運動や統一運動の担当勢力を設定しようとする態度、第二は、北朝鮮社会の成就と問題点を分断体制と関係づけて考えない態度、第三は、韓国社会に対して分断体制が強要する隷属性にのみ注目し、自律性の相対的増大の可能性を看過する態度である 白楽晴「統一と文学」『創作と批評』1989年春号、88-90頁。。統一運動は90年代以降発展していったが、進歩陣営はこのような問題点を克服できておらず、日常において多様に提起される個別議題を統一問題と結合させて分断体制の克服運動へ発展させていく力量もなかったため、守旧勢力の分断体制の再安定化戦略に対する進歩陣営の対応は漸次無気力になった。
 
このような状況により、朴槿恵大統領の統一大当たり論が「一種のオフサイドプレー」になって進歩政策に深く入り込むようになったのである。しかし、上述したように、統一大当たり論が果敢に推進されると期待できない理由は、「保守派の核心利益が、分断体制の維持がなければ、なかなか守られにくいからである」金鍾曄「保守派のオフサイド戦略と分断体制」。 。さらに、アメリカのアジア回帰政策が統一大当たり論に対してリップサービスをするだけで、実質的には分断体制の維持を必要とするという構造的制約も存在する。
 
 

市民参加、統一概念の転換から出発

 
 
統一大当たり論は分断体制の不安定性を反映する。李明博政府の対北朝鮮政策を継承すれば、分断体制の不安定性がもたらす矛盾がいっそう深まるので、それとは違う政策を展開したいという判断から出発したのである。分断体制は南北の敵対的相互依存を本質とするが、「統一に対する念願さえ体制維持に巧妙に利用できる柔軟な対応力を持ったもの」白楽晴「韓半島の統一時代と韓日関係」『韓半島式統一、現在進行形』創批、2006、39頁。 だからである。北朝鮮の金正恩体制が南北関係の改善を必要とするということは、朴槿恵政権にとって非常に有利な対北朝鮮政策の推進環境である。しかし、朴政権の統一ドライブが持つ構造的制約のため、互恵的南北関係へ転換することは不確実である。相対的に弱くなった進歩陣営の政策への進入を試みたが、限界は相変わらずである。
 
統一大当たり論の意義と限界を分断体制論的な視点からみると、統一大当たり論によって始まった統一論議を進歩陣営が活性化させる方向をキャッチすることができる。統一論議の活性化の出発は統一の概念を改めて設定することである。白楽晴は、これに対して「単一型国民国家への『完全な統一』という固定観念を捨て、連合制と低い段階の連邦制の間のある地点で南北間の統合作業が一次的な完成に到達したことを双方が確認した時に、『1段階統一』が実現されるという新しい発想が必要」白楽晴「6・15時代の韓半島と東北亜平和」上掲書、20-21頁。 だと提起した。その後、白楽晴は南北連合を1段階統一とすべきであり、和解協力の結果として自然と訪れる南北連合ではなく、積極的な目標としての南北連合を設定しなければならないと主張した。また南北連合になれば、「北朝鮮政権としては非核化決断を下し、自らの改革の冒険を敢行する—たとえ完全に安心はできなくても—ある程度の条件が満たされる」ので、南北連合が非核化を可能にさせることであると、南北連合の意味を強調する白楽晴「『2103年体制』を準備しよう」『2103年体制づくり』創批、2012、21頁。教科書的にみると、二つの異なる国家や勢力の結合方式として「連合(confederation)」と「連邦(federation)」を提示することができる。連合は二つの主権国家が各々独立を維持しながら結合するものとして連邦より結合力が緩く、中央政府の権限が弱い。南北連合は一つの単一国家ではないので、「一つの単一国家を建設」することだけが統一と考えると、南北連合は統一といえない。ところが、発想を変えて南北連合を1段階統一として設定し、それ以後弾力的に発展する韓半島統一過程をつくっていくことが、長い過程を必要とする韓半島式統一といえる。
。鄭鉉坤も韓半島式南北連合を主張する。「韓半島式南北連合は両国家を重視し、社会体制問題に対しては柔軟に接近」することを意味する。交流協力を活性化し、平和体制を構築するためにも、南北連合に基づいた統一論が必要だということである。南北連合によって保障されない交流協力と平和体制構築の試みは成果を上げにくいという判断からである 鄭鉉坤「韓半島体制と統一運動試論:省察と模索」晩春文益煥牧師20周忌—4・2共同声明25周年記念シンポジウム『Restart統一運動:統一言説と戦略』(2014.4.2)資料集、32-37頁。。
 
このような統一概念の再定立のために、基本的に投げかけないといけない質問がある。統一は南北が一つになることなのか。よくそう答えがちだが、韓半島の固有の分断体制を克服するためには、「一つになる」よりは違いを尊重し、共存を制度化し、この制度の発展過程をまず考えなければならない。すなわち、韓国と北朝鮮の「平和共存」を統一過程の出発としてとらえようということである。平和共存は統一ではないが、韓国と北朝鮮が軍事的脅威を受けず、交流協力を通して経済共同体をつくる状態である。このような状態がまさに統一過程の初期の姿であり、また「事実上の統一」ともいえる。「事実上の統一」が南北関係において交流と協力が活性化することに積極的な意味を付与した概念だとすれば、もう一歩進んで、共存の概念に基づいて南北関係を発展させ、制度化したものが南北連合である。南北連合が、我々が追求する「1段階統一」なのである。
 
10・4共同宣言で約束した南北の各種の当局間対話、つまり首脳会談の定例化をはじめ、総理と国防長官、経済長官、社会文化長官、国会の会談が行われ、民間レベルの民族共同行事等が実現すれば、南北連合としての初期進入が可能である。南北連合は1段階統一であるが、完成態ではないため、南北連合自体も発展する過程を持つ。初期の進入期、中期の発展期を通過し、中央政府の権限が連邦制レベルへ進んでいく成熟期を経る中で、自然と定着されると思われる。南北連合は教科書的には二つの国家であるが、首脳会談をはじめとする各種の装置が結合されれば、二つの体制の発展と共同繁栄を追求する強力なプラットホームになると思われる。
 
歴代政権が継承してきた統一方案である「民族共同体統一方案」政府の統一方案は1989年につくられた「韓民族共同体統一方案」に基づき、1994年に修正された「民族共同体統一方案」である。 に基づいてみると、我々が現時点で合意し、想像できる統一の形には3つある。第一に、南北連合、第二に、南北連合の次の段階、第三に、北朝鮮の急変状況による予測不可能な状況に対する対策準備である。
 
南北連合自体が初期の緩い状態から連邦制に近い高い水準へと中央政府の結合力が漸次発展していく過程であるように、南北連合の次の段階も高い水準の南北連合が連続的に発展していく過程である。したがって、南北連合の次の段階は南北連合を発展させる過程において南北変革の結果として迎えるようになる統一段階だと思われるが、これは段階と区分することも曖昧な連続的な過程なのである。6・15共同宣言や10・4宣言では南北連合以後、段階を設定しない。南北連合自体も発展する過程であるため、その終局の姿がどうなるか予断しがたい。それ故、南北連合の次に来る最終段階の統一を具体的に設定することは不可能に近い。南北連合を1段階統一と設定しようと主唱した白楽晴は、「統一の最終の姿を前もって決めないことにしようということです。韓国は自由民主的基本秩序に基づいた現行憲法に充実し、北朝鮮もまずはその体制を維持しながら変化するようにしてあげる、緩い結合を推進しようということです。「混合体制」であれ、自由民主主義であれ、最初から統一の前提条件とすることによって、交流協力すらできないようにすることは止めようということなのです」と提案する「直撃インタビュー:宋虎根が問い、白楽晴が答える」『中央日報』2014.4.9(オンライン版)。 。1段階統一である南北連合の発展結果がその最終段階としての統一像を描くことに一助すると思われるが、いったんその姿は、我々が夢見る未来、我々が追求する価値が実現される社会であろう。誰もがその未来を夢見ることができ、誰もが自身の価値をその未来に実現することができる。その未来発展像による社会をつくっていくことが分断体制の変革運動である。統一の最終段階は、我々が合意できる未来社会の設計図なのである。
 
第三には、北朝鮮の変化と深刻な不安定化に対する対策準備である。北朝鮮の不安定化は分断体制の災いへつながり得るので、我々が追求する統一の準備ではないとしても、危機管理のために政府レベルで総合的対策を準備することが必要である。北朝鮮で発生するかもしれないある状況に対処し、韓半島を安定的に管理するためにも南北連合をつくることが重要である。
 
そうすれば、南北連合を通じて分断体制を変革する目的意識的活動が市民参加の方向という自然な結論に到達する。社会諸般領域から提起される市民社会の議題と統一問題を結合し、統一運動の日常化・生活化を通して分断の残骸を解消することが市民参加である。それ故、市民参加が「過程としての統一」を牽引せざるを得ず、逆に「過程としての統一」は市民の役割を必要とする。市民参加戦略は市民社会の改革議題を「過程としての統一」と結合しながら、南北連合への進入を通して南北の2つの社会を変革することである。このような戦略が統一準備であり、また韓国社会の改革議題を完成させる道なのである。
 
 
翻訳:李正連(イ・ジョンヨン)

 
 
 
2014年 6月1日 発行

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