창작과 비평

[特別寄稿]大いなる積功、大転換のために――2013年体制論以後

2014年 冬号(通卷166号)

 

 

白楽晴(ペク・ナクチョン)
:文学評論家、本誌編集人、ソウル大学名誉教授。最近の著書として、『2013年体制つくり』『文学が何か、再び問うこと』『どこが中道で、どうして変革か』『白楽晴会話録』(全5巻)などがある。

(*訳注--「積功」とは「功徳の積み重ね」、ここでの「功徳」は仏教的な意味もこめた「現在または未来を資益する善い作業」(諸橋轍次『大漢和辞典』巻二)で、「道徳・恩徳」より「社会的貢献・成果」に近いと言える。
なお、本稿で頻出する『2013年体制づくり』『どこが中道で、どうして変革か』の主要論文は、拙訳書『韓国民主化2.0』(岩波書店、2012年)を参照のこと(訳文を一部修正)。)

 

 

1.積功と転換:セウォル号以後

 

「2013年体制づくり」の企画が失敗に終わった後、私は時局に関する発言をできるだけ自制してきた[ref]本稿は、第96回細橋フォーラム(2014年9月19日、細橋研究所)で発題した内容を大幅に修正・補完したものである。フォーラムには姜元澤ソウル大学政治学科教授と朴聖珉MINコンサルティング代表が約定討論者として参加し、細橋研究所の会員以外にも金錬鉄、青柳純一、李基政、李泰鎬、鄭鉉栢など様々な方々が参席して討論に加わった。当日参加された方々に感謝する。「2013年体制」企画を集中的に提示した拙著として『2013年体制つくり』(チャンビ、2012年。以下、『つくり』)があるが、それ以外にも様々な発言を通じて主張し、「希望2013、勝利2012円卓会議」(2011年7月~2012年12月)という市民社会各界人士の集まりの名称の一部にも反映された。[/ref]。省察すべきことがあまりに多く、国民の前に立つ面目もなかったし、「2013年体制」の代わりに何を提示するかも漠然としていたからである。だが、去る4月16日のセウォル号惨事を経て、私も黙っているべきではないと思われた。ほぼすべての国民が「セウォル号以前」のようには生きられないという思いを共有する状況で、以前のように考えて発言するのも問題だが、以前のように沈黙するのも難しくなったのだ。
「2013年体制づくり」に代わるスローガンを提示すべきだという強迫観念自体が古い思考という気もした。必要なスローガンは時が来れば生れるものであり、必ずしも私がそれを提示しなければならない理由もない。まずはセウォル号事件に触発された社会と私自身に対する省察を遂行し、これに基づいて「セウォル号以後」への転換を達成するように努力したいと思う。
実際、事件後に私たちは前のようには暮らさないという共感と決意だけでは現実が変わらないという事実を痛感している。言葉ではみんな変わろうと言いながら、従来のように(既得権を)享有しながらの生を全く変える意志のない者どもが社会の要所を占めており、彼らを批判して審判しようという野党政治家や知識人も相変わらず「セウォル号以前のように」考え、行動しがちである。そうした双方に失望した国民も対策なしに憤怒し、簡単に諦めて、時にはセウォル号以前の「日常」に戻ろうという主張に引きつけられる。
こうした状況で2012年がそうだったように、私たちは今も韓国社会には時代が要求する大転換を達成させる積功が足りないと痛感する。もちろん、それなりの功徳と功力が積まれているので大韓民国がこれほど民主化され、自力を備えた社会になったとも言えるが、さらなる大転換を達成すべき局面を迎えて一層大いなる積功が切実に求められる。いや、積功と転換は決して2つではない。積功するだけ転換が達成されるし、転換していく過程自体が積功でもあるのだ。
もしかしたらセウォル号事件の最大の教訓は、時宜に適った転換ができない場合、国が直面する混乱や難関はどういうものかを克明に示したことかもしれない。セウォル号特別法の制定をめぐって長期間続いた膠着状態が、その端的な例である。徹底した真相究明は省察の基本であり、新たな出発の前提なのに、その第一歩を前に政府・与党は破廉恥な引き延ばしに明け暮れ、野党は「セウォル号以後」の変化を読めないまま、「以前のやり方通り」に駆け引きする水準を大きく脱却できず、国民の信頼を失って混乱を増幅させた。そうした中、社会は「大統合」から一層遠ざかり、公論の質は以前になく低劣になった。植民地と独裁時代を通じて権力に服従し、むしろ被害者を蔑視する習性が多くの人に内面化された面は否認できないが、最近ほどそれが実感される時も珍しい。
とはいえ、「国民が問題だ」「私たち全員の責任だ」と簡単に言うこと自体、真相究明と対策づくりという任務を怠るやり方と言える。みんなが罪人である面がなくはないが、為政者としての是非を明らかにする責任、少なくとも真実を明らかにしようする市民の努力を妨げるべきではない指導者と政界の特別な責任を不問にしてはならない。強大な権限をもった者どもが、彼らなりに積み上げてきた功力と術策をもって誹謗するなら、いくら国民が優れていてもどうにもならない!
同時に次の瞬間、「本当に優れた国民ならば、当初からこういう政治が可能だったろうか」という問いが浮かぶのも避けられない。これは、「だから次の選挙では指導者をうまく選ばなければ」という決意だけで解決される問題でもない。政治の重要性を認識することは、選挙で選んだ政治家の責任をそれなりに問い、責任を追及していく広い意味の政治活動に各自が日常的に精進する、はるかに難しい積功を必要とする[ref]詩人陳恩英は、セウォル号惨事後の選挙で、「手伝ってください」「助けてください」という与党の訴えがかなり有効だったのに対し、「あらゆる力関係を施恵の関係で表象するような言説が乱舞する瞬間、私たちは施す支配者、弱者が可愛くて涙を流す人情厚い権力者を受け入れるのが最善の選択だと考えるようになる。……もちろん立場の逆転は可能である。私たちは有権者として選挙期間中は優勢でありうる。でも、やっと与えられた優勢さは合理的な選択の場ではなく、施しを受けた者の反対表象、つまり施す場となる」と述べ、「神聖な選挙に政治的意味をもたせうる唯一の道は、選挙にのみ収斂されない政治的活動を活性化することだけだ。私たちは善良さの枠外に出て他の活動の喜びを感じうる可能性を思惟すべきである」と力説する(陳恩英「私たちの念願は正午の影のように短く、私たちの羞恥心は夜中の12時のように長い」『文学トンネ』2014年秋号、420頁、423頁)。[/ref]
次の選挙を視野に入れて、今ここでの積功をどのようにすべきか、いくつかの主題を中心に検討しようというのが本稿の目的である。だが、具体的なアジェンダを詳しく論じようというのではなく、課題に接近する姿勢を考えたいと思う。『つくり』でも強調したように(82頁)、民主・平和・福祉のような主要アジェンダがいかに有機的に結びついた一大課題であるかを認識することが重要である。同時に、空間としては韓国だけでなく韓半島と東アジア、さらに全世界を考えながら、時間上は短期・中期・長期次元の課題を識別し、適切に配合する必要がある。この場合、「識別」に劣らず「配合」が重要である。短・中・長期の課題を分類して短期的課題から1つずつ遂行していくのではなく、その完成の時点がそれぞれ違うことを認識し、どういう方式で同時に推進したら最大の相乗効果が得られるのかを探し出す、まさに積功を要する作業なのである。
ともあれ、わが社会の混乱は極に達したが、どこまでも混乱、膠着であり、「セウォル号以前」への復帰ではないという点が希望である[ref]この点で、「悲劇はまた別の悲劇の始まりにすぎず」(李大根コラム「私たちはどこまで崩れうるのか」『京郷新聞』2014.9.4.)という断言は、積功と転換の可能性を事前に遮断する速断でありうる、と私は思う。[/ref]。膠着と混乱自体はもちろん歓迎すべきことではないが、諦めを拒否して「日常」への安易な復帰を拒絶する動きが、あちこちで展開されている。「どれほどたやすいか、わからない。希望がないと語ることは。どうせ、と語ることは。元来世の中はこういうものだから、もはや期待もしないと語ることは。私はすでにこの世界に向けた信頼を失ったと語ることは」[ref]黄貞殷「辛うじて人間」『文学トンネ』2014年秋号、447頁。[/ref]。ともあれ、このように吐露する小説家・黄貞殷自身を含め、数多くの市民が積功と転換の作業に立ち上がっている。
私もその隊列に参加しようと思うが、私の場合、2013年体制論に対する自己省察から出発するのが道理であろう。

 

2.2013年体制論に対する省察

・2013年体制づくりの趣旨

 

2013年2月は、新大統領が新政権を発足させる時だった。この時期を前にして、単なる政府交代または政権交代に満足せずに、6月抗争が起こった1987年に匹敵する大転換を求めたのは多くの国民が共感したことだった。野党候補は選挙運動期間に「2013年体制」を直接論じ、与党候補も「単なる政権交代を超える時代交代」を約束して当選した。もちろん、当選者自身の体質から見て、その支持勢力の性格から見て、「時代交代」の約束を履行する可能性は当初から乏しかった[ref]朴槿恵候補の当選直後も、新政権への期待は少なくなかった。『創作と批評』2013年春号の座談会「2012年と2013年」の出席者(金龍亀、白楽晴、李相敦、李日栄)の間でも期待する雰囲気が歴々だった。私自身は朴候補に反対した者として、就任以前に否定的な予断をするのは理に合わないと判断し、政権の展望に1~2点の留保的コメントに止めたが(37~38頁)、顧みると、当時の憂慮が大部分現実化した感じである。[/ref]。だが、意図的な欺瞞策であれ、自己催眠であれ、国民の要望があっての約束だったし、今の私たちは時代交代が達成できなければ、国民が不幸にならざるを得ないことを体験学習中である。
2013年体制論は87年体制を克服しようとする企画だが、どこまでも87年体制の成果を踏みしめて進もうというものだった[ref]87年体制に関しては、金鍾曄編『87年体制論:民主化後の韓国社会の認識と新たな展望』(チャンビ談論叢書2、チャンビ、2009年)を参照。[/ref]。従って、抗争を通じて韓国社会が確保した選挙空間を活用するのは当然だったし、6月抗争時のように街頭闘争を主要な手段とすることはなかった。「希望2013」というスローガンに選挙を意識した「勝利2012」という標語がついていたのもそのためであり、同時に「希望2013」に向けた徹底した準備がなければ、「勝利2012」自体期待しがたい点を強調した。さらに、4月総選挙の決定的な重要性に注目しながら、私は野党勢力全体の総選挙勝利が大統領選挙に勝利する前提条件だと明言した(『つくり』第4章第4節、85~87頁)。
不幸にも、その診断は的中した。総選挙で負けた野党勢力が大統領選挙でも負けたのだ。敗因の具体的な分析は専門家に任せるが、一言で「希望2013」に向けた積功が不足していたと言わざるを得ない。例えば2013年体制論は、87年体制が1961年以来の独裁政権を終息させた後もなお独裁体制と共有した53年体制(停戦協定体制かつ分断体制)という土台を変えてこそ87年体制が克服できる、という主張を重要視していたが(『つくり』79~80頁、162~64頁)、「2013年体制」をスローガンとして採用した人でも、この点は見落とすのが常だった。だが、この主張は分断時代の歴史に対する勉強とともに、韓国社会の現実診断から南を基本的な分析単位とする習性から脱すべきことを要求するものだった。また、それは分断体制さえ最終的な分析単位ではなく、世界体制中心に思考する学問上の転換を要求したものなので、短期間に広く共有されにくかったのは事実である。

 

・『つくり』とその後続作業の問題点

 

2013年体制論があまりに抜本的な省察を要求して共有しにくかったとだけ言えば、他人のせいにする破目に陥るだろう。実際は、『つくり』だけでなく、その後の自己修正の試みさえも論者自ら多くの問題点を露呈させ、企画を失敗させる助けをした点は否定できない。
選挙の勝利に執着したら選挙にも勝てないというのは、『つくり』が重ねて強調した点だった。だがふり返れば、私自身にもそういう執着があった。例えば、2013年体制論の核心概念に該当する「変革的中道主義」は、『つくり』ではほぼ消失してしまったが(81頁で一度だけ言及)、これは選挙の年である2012年に本を出版するのでわざわざ選択した方式であった。「『変革』と『中道』という一寸見ると衝突する概念の結合」[ref]拙著『どこが中道で、どうして変革か』(チャンビ、2009年)の第7章「変革と中道を再考する」178頁。[/ref]が韓半島特有の現実に対する学び心を触発する公案ではあっても、選挙スローガンとしては無用の長物だったからである。
また、こうした執着の別の面でもあるが、時代的転換に抵抗する既得権勢力の力を過小評価する愚も犯した。端的な例として、大勢の人のように、私もソウル市長補欠選挙で朴元淳候補が当選したことに鼓舞されるあまり、ハンナラ党(後のセヌリ党)の朴槿恵非常対策委員会が発揮する威力を正確に把握できなかった(『つくり』63~64頁参照)。政治の門外漢として間違うこともあるではないか、と慰めてくれる人もいる。だが、門外漢なので口をつぐんで「損はしない」権利はあるが、公開的な発言が間違った場合に責任が伴う点は誰でも同じであり、より重要な点は私も含めた多くの人が韓国社会の強大な守旧・保守同盟に対する認識が十分ではなかった点である。
ともあれ、「変革的中道主義」を選挙スローガンとして採択しなくとも、できるだけ多くの人がこの趣旨を把握して闘いに臨むことが重要だった。変革的中道主義については後半でもっと論じるが、そこでの「変革」つまり分断体制の克服と、そのための「中道」つまり幅広い改革勢力の形成こそ、「希望2013」の要諦だったからである。
これはまた、「勝利2012」の前提条件としてあげた連合政治の問題を正しく解いていく指針でもありえた。実際、2012年総選挙における野党勢力の選挙連帯は、後に多くの批判を浴びた。特に、選挙後に暴露された統合進歩党の候補者選びをめぐる内紛と党分裂の事態を通じ、「主体思想派と手を組んだ何でも連帯」が俎上にのった。しかし、総選挙当時の統合進歩党は特定政派一辺倒の党ではなかったので、野党勢力の連帯と候補者一本化は2012年の総選挙でも、2010年地方選挙と同じく、国民多数の至上命令に違いなかった。それにしても、変革的中道主義のような連合政治の哲学が確立できなかったため、その哲学を共有できるすべての政党・政派の統合または連合と、それに達しないレベルの戦術的連帯を区別する明確な原則がなかったし、もっと堂々たる効率的な連合政治を実行できなかったのである。
とにかく、私は総選挙の敗北を経た後に、変革的中道主義の論議を再開した。「2013年体制と変革的中道主義」(『創作と批評』2012年秋号)という文章だが、それは総選挙に負けたら大統領選挙も負けるだろう、という自らの予測を何とか覆そうという足掻きでもあった。結果はみなさんご存知の通りだが、文章自体の問題点も反芻せざるをえない。
一つは、時宜性の問題である。2012年初めの時点で、変革的中道主義の論議は選挙に適さないという判断に一理あったなら、大統領選挙の目前ではあまりにも遅かった。もう一つは、最後の節「『(安哲秀の)考え』に対するいくつかの考え――結びに代えて」の件である。もちろん、安哲秀氏がまだ出馬を宣言していない時点で、また出馬後にどういう歩みを見せるかわからない状況で、確実な展望や代案を提出するのは不可能だった。とはいえ、「仮に『(安哲秀の)考え』が非常に立派な文書ファイルだとしても、どういう性能の実行ファイルが含まれているのか、文書だけでは判断できず、実行ファイルを作動させてみるべきだ」(33頁)という指摘は、「評論家的」発言としては無難だが、実践レベルでは不十分なものだった。しかし、その時点で安哲秀氏の能力に手厳しい評価を下して、彼の出馬自体に反対した一角の反応がより適切だったかは疑問である。これまた、「評論家的」発言としての鋭さは誇りうるかもしれないが、安哲秀の出馬を通じて初めて「朴槿恵大勢論」が一挙に崩れ、終盤に野党単一候補の得票率を48%に押し上げる道が開けた点は無視できないからである。

 

3.2014年の大混乱に至るまで

・「これが国なのか」

 

セウォル号惨事を経験し、あちこちから聞こえてきたのが「これが国なのか」という問いである。セウォル号特別法の制定をめぐる葛藤から、狭い意味の「国」、つまり大統領と政府がみせた言行や態度と、セウォル号以後も相次いで起きた事故と当局の変化なき無能・無責任により、この問いはさらに切実になった。
これを契機に、国家とは一体何であり、国家主義の弊害が何なのかという、根本的な省察を行うことも必要な積功の一部である。だが、国家あるいは国家主義が諸悪の根源という調子の単純論理へと突き進めば、真実味のある積功ではなく、観念の遊戯に陥る危険性が高い。万事を新自由主義のせいにする「新自由主義節」も同じである。国家主義、新自由主義が具体的にいかなる作用をしており、現時点でそういうものが完全な統一国家の不在とか、自由主義よりもっと古い「封建的」要素[ref]例えば、朴昌起『革新せよ、韓国経済:利権共和国大韓民国の経済改革プラン』(チャンビ、2012年)の第12章「財閥封建体制論」を参照。[/ref]などといかに結合し、作用しているのかを練磨する必要がある。
「大韓民国、即セウォル号」という図式も安易な単純化である。もちろん、大韓民国がセウォル号にどんなに似ているかに関する「凄絶な」認識は肝要である。例えば、小説家朴珉奎が私たちの立場を「下りられない船」に乗った共同運命と規定し、セウォル号との類似点を指摘したのは何度も噛みしめるに値する。「日本が36年間運行していた船だったし、私たちが自力で購入した船ではなかった。……戦勝国だった米国は軍政を通じて船のバラスト水を調節し、船の管理を引き受けたのは以前から操舵室と機関室で働いてきた船員らだった。彼らは自発的にバラスト・バルブの片方をあえて開けた。バラスト水を減らせば減らすほど、船に載せられる貨物の量は増加した。積み荷、積み荷、積み荷……私たちはそれを奇跡だと考えた」。そして、「傾いた船で生涯暮してきた人間たちには//この傾きは//安定したものだった。きちんと縛られていないコンテナのように、積み上げられた既得権、既得権、既得権の角度もまた、この傾きと角を同じくしていた。……当然、問題は多かったが、根本的な修理は一度もしなかった。ドバーン、ドバーン、ドバーン……そして、ある日//この船にそっくりな一隻の船が沈没した」[ref]朴珉奎「目がくらんだ者どもの国家」『文学トンネ』2014年秋号、438~439頁。[/ref]
作家のこうした洞察に共感すればするほど、私たちは二隻の船の相似と相違をより精密に分析する必要があり、この国が元来どういう国で、どういう歴史を展開してきたのか、それなりに少しは良くなったのか、いやこれより良かったのに、ある時期から悪くなってこの破目になったのかなど検討すべきである。そうした認識のために、一応87年以後に限ってこれまでの大転換の試みとしてどういうものがあり、どういう軌跡を描いたのかを検討してみよう。

 

・1987年以後の転換の試み

 

朴珉奎の言葉通り、大韓民国という船が「根本的な修理は一度もしなかった」とはいえ、それなりの大修理をして転換を実現したのは1987年6月抗争を通じてだった。先立つ(1960年)4・19革命が未完で終わり、(1980年)5・18抗争が流血鎮圧されたのに比べ、この時の転換は「87年体制」と呼ばれるほどの持続性をもって定着した。
とにかく大転換の最も確かな証拠は、大統領直選制が復活した後の最初の選挙で第5共和国の核心人物だった盧泰愚候補が当選し、次の選挙では三党合党を通じて与党系に合流した金泳三候補が選ばれたことも、87年体制が出発進行させた事実なのである。これら大統領の個人的体質やその支持勢力の性向にもかかわらず、両政権ともに87年が達成した大転換の波に乗り、時代が要求する変化を相当部分遂行したのだ。この厳然たる事実を無視して金大中と盧武鉉の「民主政府」だけが民主化を遂行したように語るのは、悪い意味での「陣営の論理」である。さらには、盧泰愚・金泳三で代表される「保守の時代」と、李明博以後に民主党政権10年を否定する線を超えて87年以前に戻そうと努める「反動(=逆行)の時代」を識別する基準を自ら放棄する誤りでもある。
1998年金大中政権の誕生に至り、87年の民心が要求した大転換により一歩近づいたのは事実である。もちろん、この時期を韓国での新自由主義の出発期とみる見解もある。当時としては、IMF(国際通貨基金)管理を脱することが急務だったし、IMFが要求する各種の措置を受け入れたからである。しかしこれは、金大中政権が受容したIMF側の要求には、官治金融の改革のように、実際に必要な旧自由主義的な改革も含まれていたことを看過する論理である。実は、それでも韓国社会の「封建的」な利権経済を清算するには不十分だったために、新自由主義の横暴がむしろ加重した面もある。また、世界的に新自由主義の主な打撃目標である社会福祉が、韓国でそれなりに拡大したのはこの時期だった。もちろん、最小限の福祉は新自由主義の円滑な作動のためにも必要なものだが、金大中政権の福祉拡大は新自由主義に適応した「最小限」というより、朴正熙時代に始まったいくつかの初歩的な措置以外には、全く何もないような状態で出発した結果とみるのが適切だと思う。
「進歩的」な社会科学者の論議でよく見落とされるもう一つは、金大中政権が経済危機の克服を南北関係の新たな突破口と連結させたという事実である。これは、李明博政権が2008年経済危機に対応した方式とあまりに対照的だが、金大中政権は東独滅亡後の金泳三政権下で膨らんだ吸収統一の虚夢をしぼませ、2000年南北首脳会談と6・15共同宣言を通じて南北の和解と協力の道を切り開き、公安統治の名分と新自由主義の圧力を減らす方式を選んだのである[ref]1997年と2000年の関係、そして金大中政権と李明博政権の経済危機への対応方式の違いに関しては、『どこが中道で、どうして変革か』の第13章「2009年分断現実の一省察」278~279頁を参照。[/ref]。これにより、87年体制の成立とともに揺らいでいた分断体制は、次の段階への転換を見通せる地点まで達した。
とはいえ、87年体制を超える大転換へと進めなかったのもまた確かである。元来、分断体制は南北関係のみならず、南北それぞれの内部条件、そして韓半島をめぐる国際関係がかみ合う複雑な構造であるために、これらすべての面で進展が(文字通り、同時である必要はないが)総合的に達成できないと克服段階へ入ることはできない。しかし6・15以後、米国のブッシュ政権の登場によって南北関係に足かせがはめられ、国内でもDJP(金大中―金鍾泌)連合の崩壊など守旧勢力の反発は手強かった。それでも、南北関係は紆余曲折を経ながらも前進し続け、これによって守旧・保守同盟の凝集力が弱体化した面もうかがえた。そうした中、国内ではいわゆる四大部門(企業・金融・労働・公共)の改革が推進されたが、執権勢力がこうした改革をもう少し念入りに仕上げる功力を備えていたならば、87年体制の克服に一層近づいただろう。
このように順調とは言えない改革の成果と旧時代政治の悪習に染まった執権勢力の腐敗事件などで、民主化勢力の再執権はほぼ不可能なように思われた。だが、87年体制の活力をそれなりに保存して拡大した実績があった上に、時代転換に対する国民の熱望が激しかったので、「参与政府」の誕生が可能であった(もちろん盧武鉉候補の大胆な個人技も一要因だった)。そして、いわゆる三金(金大中・金泳三・金鍾泌)時代を清算し、反則と特権のない社会をつくるという新政権のアジェンダの大部分は金大中政権に比べて抜本的な性格だった。ただ、積功という面ではむしろはるかに不足していたのが露呈し、多くの業績にもかかわらず、2006年地方統一選挙の惨敗が象徴するように、期待された大転換に失敗してしまった。
87年体制の末期局面はこの時に始まった。もちろん、選挙惨敗の根は大統領自身による与党分裂などですでに植えられ、2005年南北関係の画期的な進展と9・19共同声明を成就させた外交成果から生じたエネルギーは、「大連政」という突拍子もない提議により雲散霧消した。その結果、2007年大統領選挙では、1997年金融危機以来、貧困から抜け出したことがない庶民層と、この間政権以外は失ったものがない既得権勢力との一種の「国民連帯」が形成され、李明博候補が圧勝した。これによって87年体制の末期的混乱は加重されたが、「李明博政権が批判されるべき点は、こうした混乱を初めて起こしたという点ではなく、2008年を『先進化元年』にしようという李明博氏の約束が当初から実現性もなく、時代精神にも合わない発想だったので、実際に87年体制の末期局面を長引かせ、その混乱ぶりを『災い』レベルに拡大させたという点」(『つくり』51頁)である。
国民はそうした両面を直感していたので、一方で李明博政権後の真の転換を渇望しながらも、他方では積功が足りない野党勢力を信任するよりも、もっと力があると思われ、実際に選挙運動の能力が卓越した与党候補の「時代交代」の約束を好んで「安全な選択」をした。結局、これはもう一度「87年体制の末期局面を長引かせ、その混乱ぶりを『災い』レベルに拡大」させる誤判であり、「目がくらんだ者どもの国家」を持続させた「目がくらんだ」選択だったことが時の流れとともに明白になっていくようだ。

 

・「欠損国家」の略史

 

ここで、87年以前に目を向けよう。これは大韓民国が元来どういう国であり、今はどういう国かという問いを反芻する方法でもある。
分断体制論によれば、大韓民国は(朝鮮民主主義人民共和国もそうだが)分断されない国々とは異なり、分断体制という中間項の媒介を経てこそ、近代世界の「国家間体制」(interstate system)に参加する変則的な単位である。ここで、欠損国家という用語を使うと、大韓民国を否定する非愛国(ないしは従北)行為だと憤慨する人々がいるが、それは1948年大韓民国の成立当時、ある程度普遍化した認識だった[ref]1948年政府樹立(「建国」とは言わなかった!)の記念行事を主管した「国民祝賀準備委員会」の懸賞募集で、1等なしの2等に選定された標語が「今日は政府樹立、明日は南北統一」だった。洪錫律「大韓民国60年の内と外、そしてアイデンティティ」『創作と批評』2008年春号、53頁(国史編纂委員会刊『資料 大韓民国史』第7巻、1974年、811~39頁を根拠として提示)。[/ref]。いや、今も大韓民国は憲法第3条の領土条項が守られていない(従って、国際的に公認された国境線に重大な空白がある)欠損状態を経験している(『つくり』、第7章「韓国の民主主義と韓半島の分断体制」144~45頁)。
欠損国家不良国家は別個の概念である。欠損家庭が必ずしも不良家庭ではないのと同じ理致である。ただ私が見るに、4・19革命以前の大韓民国は欠損国家であると同時に不良国家だった。単に李承晩大統領が独裁をしていたからではなく、その政権が独裁政権としても無能で支離滅裂な政権だったし、この時期の大韓民国自体が国家歳入の主な部分を米国の援助に依存し、国家の運営も米国の顧問官の現場介入に左右されるのが常だったからである。
その点で、朴正熙時代に対する私の評価は少し異なる[ref]これに関し、拙稿「朴正熙時代をどう考えるか」『韓半島式統一、現在進行形』、チャンビ、2006年:および白楽晴・安秉直の対談「韓半島の未来に対する国民統合的な認識は可能か」『時代精神』2010年春号、298~301頁の李承晩と朴正熙に対する比較を参照。[/ref]。(1961年)5・16は民主憲政を破壊した軍事政変であるのは明らかで、朴正熙は1972年の二度目のクーデターを通じて李承晩よりはるかに残酷な独裁へと突き進んだが、無能で腐敗した自由党政権に対する4・19の断罪を、5・16が継承した面もなくはなかった。実際、4・19以前に朴正熙少将自らが反李承晩クーデターを計画したのも知られている。ともあれ、彼は軍隊復帰の約束を覆しはしたが、1963年に憲政が復元された状態で直接選挙を経て大統領になったし、選挙期間に「アカ攻撃」をしかけたのはむしろ尹潽善候補だった。もちろん、第3共和国下でも人権弾圧と容共操作など不良政治が横行したが、維新宣布後とは異なるレベルだったし、経済発展と統治体系の整備などで大韓民国は不良国家というお札をある程度外したのは、この時期ではなかったかと思う。朴正熙時代と朴正熙なりのこうした業績を流し去り、むしろ朴正熙と李承晩を一括りして賛美する傾向は、朴正熙時代のイデオロギーではなかったし、李明博と朴槿恵の時代、長く見てもいわゆるニューライトが台頭した時期に特徴的な現象である。
大韓民国の画期的な改良は、もちろん6月抗争を通じて実現した。その結果、87年体制というひと際良くなった社会が成立した。だがこの時も、欠損国家の欠損状態に対する「根本的な修理」は行われなかった。このように改良はされたが、相変わらず危うい体制が適時に、新たな転換を達成できずに、李明博・朴槿恵政権下で逆走行を重ねながら、不良国家の姿が際立ちはじめたのが今日の現実である。セウォル号惨事の後、「一体これが国なのか」という問いが広まったのは、国民がこれを実感していることを物語る。この問いへの私の答えを要約すれば3つになるだろう。第一、元来別に国らしくもなかった国を国民が血と汗を流してひと際生きるにたる国に作り上げた。第二、それが近年再び崩れる面が多くなった。第三、それでもさらに崩れる余地がまだ十分にある国だ。
従って、もはや底を打ったと安堵することもなく、救済不能と絶望することもないのである。

 

4.「三大危機」再論

 

李明博政権1年を経て、金大中元大統領は「民主主義の危機、中産層と庶民経済の危機、南北関係の危機」という三大危機を警告した。これを指し、「保守政権」に対する「進歩」側の党派的批判という視角もあろうが、李明博政権が盧泰愚、金泳三政権のような「保守政権」というより、87年体制の大きな流れに逆らう「反動の時代」へ入っていることを看破したと見るのが正しいようだ。不幸にも、彼の警告は的中した。その上、いわゆる「四大河川再生事業」による前代未聞の国土破壊という第四の危機も重なった。朴槿恵政権になってこうした危機がどれほど改善したか、あるいはさらに加重しているかを冷静に把握することこそ、時代が要求する積功の一部だと思われる。そうした現実診断とともに、私たちの対応策として短期・中期・長期課題を配合することに焦点を当てて考察してみたいと思う。

 

・民主主義の危機と「陣営論理」

 

韓国民主主義の危機は朴槿恵政権2年目になってもっと深化した、というのが多くの人の診断である。公正な法執行と国民の基本権尊重などの民主主義の初歩的な原則すら日ごとに破壊されている。朴槿恵大統領と李明博大統領の中、どちらがより多く過ちを犯しているかを検討しようというのではない。朴槿恵政権は李明博政権5年を通じて自由と民主主義の破壊が進んだ結果を踏まえて出発したので、前政権より一層容易に反民主的な言行や態度が横行するようになったのだ。
ここで、そうした言行や態度を一々列挙する必要はないと思う。それよりも、87年体制が達成した不十分な民主主義でさえあちこちで反転する現実にもかかわらず、どうして「民主対反民主」という構図が韓国政治で作動できないのかを考察してみる。この構図が力を失ってから長い年月が経ち、むしろ野党には「毒薬」になっているという診断が出ている。「民主党が数十年間信奉している『民主対反民主』という信念なり、スローガンは民主党に『毒薬』になっている。こういう二分法の構図で民主側に属した人も、民主党を支持すれば『民主』、反対側を支持すれば『反民主』という図式は時代錯誤という程度を超え、もう“ウンザリ”していると思う」[ref]康俊晩『不作法な進歩:進歩の最終執権戦略』人物と思想社、2014年、200頁。[/ref]。
康俊晩教授自身も、この対立構図を全面否定するわけではない。この構図が通じる場合でさえ、民主党支持が即「民主」という発想は清算すべきであり、この自己満足的な発想から全く「不作法な軽挙妄動」が生じ、選挙での相次ぐ敗北を自分で招いたというのだ。これは、野党の執権戦略の致命的な弱点を指摘した言葉である。ただ、礼節や「作法」の問題で接近して解決策が生じるかは疑問である。康教授も指摘するように、不作法な軽挙妄動の相当部分は誤った構図から派生するが、それがどのように、どれほど誤った構図であり、どういう対案が可能なのか、より精密に検討する必要がある。
「民主対反民主」という構図がむしろ選挙の敗北をもたらすなら、少なくとも短期的には誤って設定された構図であるのは明らかである。しかしこれは、与党人士がよく主張するように、私たちはもう民主化を達成したので今後はひたすら「民生」に取りくむことが残ったためではなく、「民主対反民主」の内容が「独裁打倒対独裁維持」から「民主化の新たな進展対民主主義の退行」へ代わったためである。従って、「民主」に該当する勢力も、過去の反独裁運動家や反独裁闘争の伝統の継承者を自任する野党と同一視できないし、「民主」の方法もはるかに多様かつ柔軟であり、「作法」が必要になった。「民主」のそうした再定義と再編(および拡張)がないと、「政争対民生」という欺瞞的な枠組でいつも敗退するはずだ。
「民主対反民主」という構図への反応が良くないもう一つの理由は、国民が「黒白二分法」または「陣営の論理」に食傷しているためである。まさにこの理由で、反民主的な言行や態度を糾弾する政治家より、何の積功も転換の意志もないのに「社会大統合」、「100%国民統合」などを豪語する政治家が優勢になりやすい。2007年の李明博候補がそうだったし、2012年の朴槿恵候補がそうだった。今後も民主勢力が「反民主」の問題を別の形で提起する方案を見つけない限り、そういうウソの公約で当選して社会分裂を深化させる現象が持続するだろう。こういう場合こそ、短期・中期・長期の課題を正確に識別し、賢く配合することが切実な事例である。
まず、「100%国民統合」は虚像であるだけでなく、危険な発想である。極めて長期的なビジョンとしては、(大韓民国や韓民族ではない)人類社会の調和ある生、そういう意味で100%ではないが、かなり高いレベルの統合を夢見ることができる。これは色々な条件を勘案した総合的かつ遠大な設計を要するが、政治家も自分なりの遠大な夢をもち、韓国社会の一定の社会統合を提唱することはできる。だが現存の87年体制、特にその末期局面で、それを当面実行する道はないという事実を直視すべきである。韓国社会の統合は、新たな大転換を伴う中期的課題として設定することだけが正直かつ現実的な道である。『つくり』で、社会統合を私たち社会の切実な懸案として提起しながらも、本格的統合はすぐに実現すべき課題というより、「2013年体制の宿題」として残らざるをえないと述べたのもそういう意味である(73~75頁)。しかし、そう言うと社会統合に反対して権力奪取に汲々とする「ケンカ好き」とみなされる困難に直面する。いわば、一種の陣営対決で勝ってこそ統合の宿題を解くことができるが、その闘いは「陣営の論理」どっぷりであってはならず、推進者が「選挙で闘って勝つことだけ考える集団ではなく、統合をうまく達成できる勢力であることをあらかじめ示せなければならないのだ」[ref]拙稿「社会統合、不可能なことではない」『チャンビ週刊論評』2013年12月27日(http://weekly.chanbi.com/?p=1609&cat=5)。[/ref]
実際、わが社会の「陣営」問題は本当にきちんと検討すべき問題である。今日、陣営の論理が批判されるべき理由は、わが社会に陣営というものがないからだと信じるなら、それこそひどい錯覚である。欠損国家かつ分断体制の一環である韓国社会は「正常な」社会に見られる「保守対進歩」の対立構図が成立する以前の状態にあり、分断体制の守旧的な既得権勢力が相当数の本当の保守主義者まで包摂し、頑強な城砦を構築している特異な現実である。その政治的な集結体であるセヌリ党は、現職大統領と国会議員の過半数など選出職はもちろん、官僚と軍部、検察と裁判所などの非選出の権力機構と経済界、言論界、宗教界、法曹界、学界など社会の有利な高地を大部分占有している。ここで看過すべきではない点は、彼らが単に国内勢力だけではないという事実である。世界資本と直接連携する大企業は言うまでもなく、さらに学界のように客観的な真理の探究を標榜する領域でも、米国の主流学界と彼らが伝播する各種イデオロギーの影響力は圧倒的である。これは研究費や出世の機会にしがみつく学者の良心を売る(決して珍しくない)言行や態度とも異なる問題として、こうした現実への分析と対応も時代が要求する積功・転換の重要部分である。
ここで、「極右勢力」の問題をしばらく考えてみる必要がある。守旧・保守同盟は、守旧勢力が真性保守主義者まで包摂した巨大なカルテルだという場合、「守旧」は理念上の「極右」と区別されねばならない。大多数の守旧勢力は理念を超越して自らの既得権を守るのに没頭する人であり、極右理念の信奉者は少数だと思わねばならないのだ。ただ、分断が固着化する過程で深刻な理念対立が極右分子に対する既得権層の依存度を高め、87年体制の末期局面に至って守旧勢力が「アカ攻撃」以外は既得権守護の名分が希薄化する状況で、極右にとって「商売になる」時期が再来したのだ。こうした理念的極右以外に、生計型または出世志向型の極右まで猛威を振るうようになった[ref]もちろん生計型、出世志向型は極左にもいる。今は彼らの世の中ではないだけだ。[/ref]
では、これに対応する陣営をどこに求めるのか。何よりも肝要なのは、守旧・極右・保守同盟という巨大陣営に対し、1対1の「陣営対立」を構成するほどの陣営がないという点を認識することだ。その強大な城砦に亀裂でも生じるかと、国民が準備した陣地がいくつか点在する程度である。そういう状況で、陣地さえない大衆が広場やSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)に集まり、時おり喚声を上げ、時には個人や社会団体を通じて声を上げている。それでも、野党がまるで自分らも一陣営をもつように組分けし始めると国民は眉をひそめがちで、「陣営の論理を脱して国民統合を達成しよう」という既得権陣営のもっともらしいスローガンに切り崩されるはずだ。もっと悪く見ると。それでも陣地を保有する立場に安住して闘いを避けるとか、いい加減に闘って国民への背信行為をする。「民主党も既得権化した」という言葉が広がるのもそのためであり、新政治民主連合の立場でこうした批判を相殺しうる最大の武器が「民主対反民主」の構図なのだ。ただ野党の「既得権化」をさし、彼らが城砦内で守旧勢力と共同支配していると見るのもまた錯覚である。どこまでも城砦周辺の副次的な既得権集団であり、そうした集団たる些細な既得権をとても大事にする困った人があまりにも多いのだ。
第1野党ならずとも闘いをきちんとできず――時おり争ってはならない時と場所を選んで争いを仕掛け――むしろ守旧勢力を助ける事例が多い。大企業や公企業労組が零細自営業者や非正規職の生活に無関心なまま、自らの既得権を守る争い(と談合)に熱中するとか、過激な単純論理で武装した一部の「進歩政党」または「進歩論客」が国民から嫌われ、守旧・保守陣営の支配をむしろ手助けするケースがその例だろう[ref]「進歩、意図とは異なって守旧反動、この事実を知らぬが悲劇」金大鎬社会デザイン研究所長へのインタビュー、オーマイニュース2014.10.6.(http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002039894)を参照。[/ref]。ただこの場合も、巨大な陣営を備えた正統な守旧勢力と彼らを同一視すべきではない。彼らがどうして結果的に守旧的な作用をするのか、精巧な分析と適切な対応が要求されるが、この時守旧・保守同盟以外には陣営といえるものがなくなった分断韓国特有の現実に対する科学的な認識が要求される。過激かつ偏狭な進歩派が、逆に保守ヘゲモニーの延長を手助けする事態は、もちろんどこの国にもある。だが、韓半島では共産主義と反共主義をそれぞれ標榜する南北の支配勢力が対決する中、内部の支配力を互いに強化する奇妙な共生関係が作用しており、南では進歩主義が北に対する態度を中心にして分裂し、各自が単純論理に突き進む傾向が発生した。つまり、一方で北の政権も分断体制の一翼という認識が欠けたまま、彼らが標榜する自主統一路線を進歩の最高尺度とみる「民族解放」の論理があるかと思えば、他方で北の現実が同じ分断体制内に生きる私たちにも他人事ではないという認識なしに、その反民主・反民衆的な面を強調して、分断なき先進国の「左派的」アジェンダに没頭する単純論理がはやる。そして双方が、「意図とは異なって」分断体制の既得権勢力を強固にする「守旧的」効果を発揮する。だがこうした洞察は、巨大野党と群小野党、進歩運動などの様々な“自殺ゴール”をのんびり楽しんで、その時々に誘導もする真の保守陣営の存在に対する認識を曇らせてはならない。南の現実把握で世界的な視角とともに韓半島的な視角が重要な理由でもある。
この闘いで、短期的課題と中期的課題を混同してはならない例として、最近急に話題になった改憲問題を挙げうる。87年憲法を時代の要求にあわせて改定することは、87年体制を克服する重要部分であるのは言うまでもない。だが、これは最低限、2016年総選挙を通じて「87年体制以後」への転換に対する国民的な意志が確認された時に実現可能な課題であり、現状況でただ「帝王的大統領制」を牽制するとの名分で、87年体制で最大の既得権集団の一つである国会議員同士で推進する改憲ならば、既得権者の談合以上にはなりがたい。現行の憲法下でも可能で、憲法を改定すべき時に必ず伴うべき選挙制度の改革を避けたまま、二元執政制または内閣制に改憲をしようという発想がまさしくそうだ。それよりは、勝者独占制の緩和と大統領の任意的人事権の行使の牽制、国会改革、地方分権の強化などすぐにも可能な成果を出すように最善を尽くすべきであり、そうしてより民主的な権力構造に向けた様々な方案を公論化し、2016年総選挙後にきちんと憲法を改定するという中期的目標を立てるのが正道だろう[ref]こうした主張の一例として、金南局「改憲はいつ、何のために必要か」(ハンギョレ、2014年11月3日)を参照。[/ref]。反面、中期的課題としての改憲を今論議することまで大統領が妨害するのも、「帝王的」(または「帝王志望的」)しぐさをまたも示したに外ならない。
要約すれば、「より良い代議政治」を通じて民主主義を増進して社会統合を追求する作業が中期的目標となり、この間に進行した民主主義の逆転を阻止し、新たな反転を生み出す機会をとらえるのが短期的目標になるはずである。効率的な闘いのために、短期・中期目標の識別と適切な配合が必要であると強調したが、つけ加える点は長期的目標を正しく設定し、これを中期・短期の課題と結合することも、これに劣らず重要である。例えば、理想的な代議民主制が最終的な目標なのか、それよりもっと抜本的な「民の自治」、つまりグローバル次元での全面的な住民自治を志向するのか、熟考すべきだろう。
これは、切迫した戦場に公然と遠大な話を引き入れる暇なお遊びと映るかもしれない。だが、何を最高の志向点とするかにより、短期的に展開される様々な努力に対する評価も異なってくる。例えば、地方自治の実質化のための各種の草の根運動は、「民の自治」が理想的な代議民主主義の補完財というよりも、人類が共有すべき夢だと思うとさらに力を得るはずだ。密陽の送電塔反対運動や済州島のカンジョン村の住民運動も、国家権力への一部住民の過剰な反発とは全く異なる意味を帯びるようになる。ただ、なぜ「理想的な代議政治」より「民の自治」がもっと望ましいのか、望ましいにしてもいかにして可能なのか、その可能性を切り開く世界体制レベルでどういう変化が進行中なのか、などに対する篤実な練磨に支えられねばならない。そうした場合、「住民参加の相対的な拡大」と「より良い代議政治の具現」という中期的目標との一層着実な結合も可能になるだろう[ref]敢えて敷延すれば、「短期」「中期」「長期」は相対的な概念である。例えば、当面に達成できうる課題を「短期」と呼び、人類次元の究極的目標を「長期」と呼べば、その中間のすべてが「中期」に該当するが、私たちが数年の積功で達成できるだけのことを「中期」と限定すれば、それ以上の課題は様々に異なる次元の「長期」課題になる。[/ref]

 

 ・民生の危機と「民生フレイム」

 

朴槿恵候補が当初から政治的民主主義には特に関心がなかったのに比べて、民生危機の解決と「経済民主化」は彼女の核心的な選挙公約だった。それだけ、金大中元大統領が警告した「中産層と庶民経済の危機」が李明博時代に深刻になったという証であろう。だが就任後、彼女の相次ぐ公約破棄のせいもあるが、とにかく庶民経済が良くなった兆候はなく、李明博式の「大企業フレンドリー」政策への転換にも拘わらず、今は輸出の展望を含めた韓国経済の全体的危機を心配する声さえ聞かれるようになった。この場合も、確かに朴槿恵個人が李明博よりもっと反民生的だというよりも、転換すべき時期に転換できなければ、現状維持ではなく事態を悪化させるという教訓に当たるだろう。
経済や福祉政策の門外漢である私としては、その問題を詳細に論ずる考えはない。それよりは本稿の論旨通り、民生の危機が他の危機と有機的に連関することを認識し、長・中・短期の目標を配合して韓半島と東アジア地域、そして地球全体を同時に考える姿勢の重要さを強調するのに重きを置きたいと思う。
朴槿恵政権の経済民主化の放棄が、民主主義全般に対する軽視や逆行と密接に関連するのはあらためて説明する必要もない。民意の民主的手続きを尊重する政府ならば、このように公然かつ一方的に経済政策を変えながら、「信じようと信じまいと」式の言い訳では乗り越えられなかっただろう[ref]87年体制は「政治的民主主義」を達成したが、「経済・社会的民主主義」の達成に失敗したという一部進歩派論客の主張は、そうした有機的な連関性を看過して「政争より民生」というフレイムをむしろ強化する面がある。87年体制は政治的基本権の伸長に大きく寄与して経済の民主化と持続的発展にも――87年7~8月労働者大闘争と以後一連の状況展開に見るように――画期的な転換点をつくった。[/ref]。民生の悪化は南北関係の危機とも直結するが、南北の経済協力とユーラシア大陸への進出という韓国経済に固有の可能性が対北強硬路線(ないし管理能力の不在)に相変わらず妨げられ、(2010年)5・24措置という自害行為の影響が持続している。
同時に、韓国経済の現況は韓半島だけでなく東アジア地域、さらに世界経済とも直結している。世界経済の波及効果は、政府当局も庶民経済の危機の責任を転嫁するとか、大企業中心の政策を弁護する論理としてよく話題にされる。もちろん、全く根拠のない話ではない。その点も無視したままで万事を政府の責任に転嫁するとか、経済は除いて民主主義ばかり叫ぶと、「民生に顔をそむけた政争」という逆攻勢にあうのがオチだ。従って短期的には、庶民生活の難しさのどこまでが世界的不況のせいなのか、どこまでが例えば中国の成長の鈍化(または技術競争力の強化)のせいで、どこからはそうした世界的・地域的条件下でも政府と企業、その他の経済主体がうまく打開しうることもやらないせいなのか、精密に分析すべきである。さらに、その打開のための中期的戦略をたてながら、長期的にはどういう経済生活、どういうグローバル経済を志向するのかを合わせて練磨する必要がある。これに関連して、私は韓国人の立場で経済成長自体を否定するより、「現存世界体制に対する適応と克服の『二重課題』の遂行が要求する程の適度な成長、そうした意味で攻撃的であるより防御的な成長へとパラダイムを変えるべき」[ref]『つくり』77頁。「二重課題」に関しては李南周編『二重課題論:近代適応と近代克服の二重課題』(チャンビ談論叢書1、チャンビ2009年)を参照。[/ref]だと主張したことがあるが、専門性を備えた方々による真摯な討論を望む。なお、成長のために全力投球しても不十分なのに、初めから「適度な成長」をめざして何ができるのかという反論ならば、ひたすら全力投球するのは長期的に虚妄な戦略であるばかりか、中・短期的に賢明な選択をするのにも不利な点を想起させたいと思う。
物質的不平等の問題に関連しても、抜本的かつ複合的な視角が要求される。韓国での貧富格差の拡大は、短期的に高い自殺率と失業率など深刻な民生問題を生むだけではなく、内需経済の鈍化など経済成長にも逆効果を生み、各種の社会費用を増大させる実情である。だが、これは韓国だけでなく日本や中国のように割合経済的な成功を収めた地域国家や、相変わらず世界経済の中心である米国でも広がる現象なので、中期的に韓国が国内政策のみならず国際舞台でも新自由主義の大勢に順応する道を選ぶのか否か、深刻に悩まざるを得ない。さらに、資本主義世界体制は一体格差拡大を防ぎうる体制なのか、少なくとも一定程度以上の貧富格差があってこそ作動する体制が、自己崩壊を避けうる線で貧富格差を括りうる能力を保有しているのか[ref]これに対する賛否の論議を扱った著作として、Immanuel Wallersteinなどの共著 Does Capitalism Have a Future?(Oxford University Press 2013):および否定的な展望を異なる視角から提示した Wolfgang Streeck,“How Will Capitalism End?” New Left Review 87(2014年5-6月号)を参照。[/ref]、万一保有しないなら、私たちはどういう対案社会を志向し、設計するのかなどの長期的課題に突き当たる。
長期的に見て、均等社会が理想だと語るのはたやすい。だが、完全な平等が実現される社会が果たして可能か、可能だとしても満足しうる文明社会になるのかなどは簡単に答えうる質問ではない。私は、物質的平等こそ完全な民主主義と人間個々人の自己発展に必須だが、同時に「民衆が自ら治める対案的秩序ないし『体系』に対する経綸」[ref]拙稿「D.H.ロレンスの民主主義論」『創作と批評』2011年冬号、408頁。[/ref]が作られないと平等のための闘いは成功しがたいと力説したことがある。ここでは、こうした長期の展望と経綸を備えることが中・短期的な課題の遂行にも助けになることを強調したいと思う。遠大なる長期的課題へと進む道の遠く、複雑なことを認識すればするほど、中・短期の闘いでより賢くなることができる。性急に「無条件平等」を叫ぶとか、一国レベルの平等社会の実現を掲げる場合、当面食べて暮らすことに追われる大衆から嫌われ、既得権陣営の「民生フレイム」をむしろ強化させるからである。

 

・南北関係と自主、平和、統一

 

李明博政権が造成した危機を朴槿恵政権が改善できるか、もう少し見守るべき分野が南北関係である。これまでレトリックの豊富さに比べて達成したものは特にない。だが、金大中政権と盧武鉉政権が相対的にうまくやった分野でほぼ急転直下の後退を示し、5・24措置という超憲法的な措置で盧泰愚政権以来20余年の流れを覆したまま、残りの任期2年半を無為に過ごしたのが李明博大統領である。従って後任者は、戦争でも始めない限り、悪化させる余地も多くはなく、これ以上の悪化は周辺の強大国も心配させるに至った。多少の改善がそう難しくはない局面である。それでもまだ進展がないのを政府や与党は北側の責任に転嫁しており、また南北関係が悪化すればするほど北側の責任論が世論に受け入れやすくなるのが現実でもある。南で反民主的な政治が威勢を張りながら、唯一南北関係だけが画期的な進展をみせることはないというのが分断体制論の長年の主張である[ref]それでも、李明博政権初期に私自身が南北経済協力だけは「実用主義者らしく」うまくやるかもしれないという期待を一時抱いたことについて、自己批判したことがある(「2009年分断現実の一省察」『どこが中道で、どうして変革か』267~68頁)。[/ref]。従って、朴槿恵政権が南北関係の画期的な進展どころか、きちんと復元でもしてくれると期待するのは控える方がいい。ただ、北朝鮮叩きで世論の支持率を高める方式もあまり関心を引かず、何よりも南北の経済協力なしには韓国資本主義の未来が暗澹たるという認識が既得権勢力内でも広がっただけに、多少の改善は依然可能かもしれない。
この場合、国内民主主義とは別途に――民主主義と決して無関係ではないが――もう一つの問題がある。南北問題を国家間の関係として扱おうと、統一を前提にした特殊な関係として接近しようと、問題を自主的に解こうという意志と能力が必要だが、この面で朴槿恵政権は李明博政権よりもっと情けない選択をした。盧武鉉政権が米国と2012年で合意した戦時作戦権の回収を李明博政権は一度延期したが、朴槿恵政権はこれをほぼ無期限に延期する新たな決定を下した。これをさして、公約破棄という非難があるのは当然だが、公約破棄の次元に局限すべき問題では決してない。良かれ悪しかれ、国家がある限りは主権があるべきで、国家の主権には有事の際に自国の軍隊の動きを統制しうる権限が核心的なものだ。そうした軍事主権の回復が予定されていたのを、国会や国民の同意もなく一方的に覆したのは、朝鮮戦争の渦中で李承晩大統領が作戦統制権を丸ごと米国に譲ったことよりもっと深刻な主権の譲渡行為だと言わざるをえない[ref]この点でも、朴槿恵政権は朴正熙時代よりむしろ李承晩時代に似ていく面を示している。朴正熙大統領は、たとえ李承晩が譲渡した軍事主権を取り戻せなかったが、その意志は強く、随時公言してもいた。こうした対照については、金鍾求コラム「恥ずかしさを知らない『朴正熙キッズ』の軍首脳部」(ハンギョレ2014年11月4日)が痛烈である。[/ref]。今や韓国は南北間の交渉テーブルや六者会談に臨むのも完全な当局者としての行為が困難になり、より大きな問題は、完全な行為者になる意志さえない軍部に対して文民政治が統制権を発揮できない現実である。
わが社会で自主性の問題がこれほど深刻なのに、それに対する真摯な論議がとても足りない実情も分断体制と無関係ではない。周知のように、「自主」は北側体制の最大の「自慢の種」であり、「わが民族同士で自主統一」を当面の実行目標に掲げる一部の統一運動勢力の主な関心事でもある。だが、韓半島の分断が外部勢力によって強要されたため分断体制は本質上非自主的な体制である以上、一方は自主のシンボルだが、他方は民族解放を待つ植民地と見るのは、分断体制の複雑さを看過した論理である。朝鮮民主主義人民共和国の場合、軍統帥権を自国の指導者が保有するのはもちろん、外国軍の駐屯もなく外交・軍事政策に対する他国の干渉が通じない点で「自主路線」を誇るだけはある。しかし、自主性の概念を広くとらえ、「個人であれ集団であれ、本当に自ら必要で自らが望むものを他人の干渉なしに成就できる状態が自主だとすれば、朝鮮民主主義人民共和国とその住民こそ、今日(誰かの誤りのためであれ)極めて深刻な自主性の制約を受けていると見るべきである」[ref]拙稿「分断体制の認識のために」『分断体制変革の勉強の道』、創作と批評社、1994年、19頁。[/ref]。また、「自主統一」は(1972年)7・4共同声明と6・15共同宣言の第1項で重ねて言明された原則だが、これはどこまでも外部勢力に依存した統一はしないという原則的宣言であり、具体的な統一方案の合意は6・15共同宣言の第2項にある。それでも、宣言的条項を具体的方案であるように振り回すのは、漸進的・段階的な「韓半島式の統一」を推進する意志や経綸の不足と言わざるをえない。そうしてきた結果、自主性自体を「親北的」アジェンダとみる情緒さえ生まれた。とはいえ、南北関係の発展と平和、統一を論じる場合、省略できない主題として蘇らせるべきアジェンダが自主性である。
実は、統一問題自体が近年の選挙では特別な争点になりえなかった。これは平和統一を念願する勢力が、それを国民の生活問題と密着した懸案として提示できなかったせいもあるが[ref]細橋フォーラムで、金錬鉄仁済大学教授と権台仙ハフィントンポスト・コリア代表がともにこの点を指摘した。特に金教授は、兵役年齢人口が急減し、いわゆる「関心兵士」が兵士の大多数を占める展望が優勢な韓国の現実で、募兵制への転換が若者とその父母を同時に動かしうるアジェンダだと説明し、私も概ね共感したが、このように開発しうるアジェンダがもっとあると思う。[/ref]、私は、選挙でどのように有権者を説得するかという問題とは別個に、分断体制の克服という中期的目標を正確に設定することの重要性を強調したい。そうした時に、国民は統一に無関心なので「統一」より「平和」で勝負をかけようという、選挙戦略としても「逃げのピッチング」に該当する、理論的にもお粗末な主張の誘惑から免れることができるだろう[ref]もちろん、原論的には平和が統一より普遍性が高い概念である。しかし、分断された韓半島で平和を実際に具現しようとする場合、「統一」を絶対視して平和を危険に落とし入れてもダメだが、分断体制克服という課題を避けて平和にのみ没頭しても平和は実現しない。これに関しては、拙稿「韓半島に『一流社会』をつくるために」、『創作と批評』2002年冬号(拙著『韓半島式統一、現在進行形』、チャンビ、2006年、第10章)。徐東晩「6・15時代の韓半島発展構想」『創作と批評』2006年春号、219~22頁:柳在建「歴史的実験としての6・15時代」、同書288頁、および同「南の『平和国家』つくりは可能な議題か」(『チャンビ週刊論評』2006年8月22日)など参照。[/ref]
しかし長期的には、やはり統一よりも平和である。単なる戦争不在ではなく、人類が等しく和合し、楽に暮らす状態としての平和であり、その時は国家も今私たちが知る形ではなくなるはずだが、「国家の自主性」も中期・短期的な目標以上にはなりにくいだろう。とはいえ、そこに行く前に韓半島の住民と韓民族は分断体制の克服という中期的課題をまず遂行すべきである[ref]注18)で述べたように、「中期」は相対的概念である。世界体制の変革より先立つという意味で「中期」としたが、87年体制からの転換を達成して国家連合――中でも現実性がある「低い段階の連合」――へ進む作業を「中期」と設定すれば、分断体制の克服はそこからさらに進まねばならないという意味で、より長期的な目標にならざるをえない。[/ref]。このため、すぐに可能な南北関係の改善作業と自主・平和統一過程の進展を図り、長・中・短期課題の適切な配合を達成すべきはもちろんである。『つくり』で「包容政策2.0」を提議するなど、この問題を比較的詳しく論じたので本稿では省略する。

 

5.「より基本的なこと」

・常識、教養、良心、廉恥……そして教育

 

「『2013年体制』を準備しよう」でも、私は政治や経済問題よりも「より基本的なこと」に注目した。

さて、2013年体制の設計には南北連合とか、福祉国家とか、東アジア共同体という壮大なビジョンよりも、はるかに基本的で、ともすれば初歩的ともいえる問題を含めるべきである。人間の社会生活で基本になるものを蘇らせる時代にしなければならないのである。例えば、大統領をはじめとする高位公職者や指導的な政治家はとんでもない嘘をついてはならないということ。もちろん、政治家すべてが聖人君子になれとか、国政の運営を完全に公開しろという話ではない。ただあまりにも頻繁に、あまりにも見えすいた嘘をつくとか、あまりにも簡単に言葉を変えては困るのだ。それでは社会がまともに動かないし、正常な言語生活さえ脅かされる。(同27頁、拙訳『韓国民主化2.0』、岩波書店、2012年、173~74頁)
大きく見れば、これらすべてが常識と教養および人間的羞恥の回復という問題に立ち戻る。(同31頁、同書177頁)

朴槿恵候補の当選には、彼女が少なくともこうした基本、つまり個人的正直さと教養をある程度備えた候補というイメージが大きく寄与した。だが、大統領になった後は国民との約束を覆して前言訂正を繰り返す事態が相次ぎ、「ウソをつかない政治家」というイメージが「ウソに明け暮れる商売人」のイメージ以上に、国民をだますのにより効果的だった面もある。その上、よくウソをついて国民を愚弄する高位公職者を側近にしてかばうので、力のある者はそれでもいいという雰囲気を社会全般に拡散させた。この問題は政界だけでは解決できない性質なのは明らかだが[ref]「そして、それが政権交代や政治勢力主導の努力だけではできないのは明白である。何人かの人の無教養と非常識、そして不道徳から問題が生じたというより、国民多数の生命軽視の習性と正義感の欠如、そして歪んだ欲望に根ざしたものだからである。一日や二日で正せるものではなく、世の中と自らを同時に変えていく努力を各自の生活で着実に進める必要があるのだ」(『つくり』31~32頁)。[/ref]、大統領がいかなる言行や態度を示し、その治下でいかなる人々が勢力を張るかが莫大な影響を及ぼす点を実感せざるを得ない。セウォル号の遺族を無慈悲に侮辱し、嘲弄する政界内外の多くの言行や態度が実証するように、最近ほど破廉恥な人間が自らの破廉恥ぶりを誇示する時期はなかったと思う。もちろん、独裁時代には非常に強力な物理的打撃と弾圧が横行したが、それでも大多数の人の心の中にはそれは過ちだという情緒があったと記憶する。
そうだとして、次の大統領選挙をうまくこなすことに今から没頭する政治中毒症、選挙中毒症は、こうした社会風潮を育てる要因になるだけだ。陳恩英が語る「選挙のみに収斂されない政治的活動」の日常化を含め、より根本的かつ多角的な対応を練磨すべきである。この場合、直接的に大きな影響を及ぼす分野として言論や市民運動が考えられるが、長期で見れば、教育と文化芸術を通じて社会の体質を変えることが重要だと思う。
その中でも、学校教育は国家の莫大な財政が投入される分野で、中学校までは義務教育なので、国家の将来を設計する点において包括的かつ精巧な教育構想が必須である。優れた人材の輩出を最終的に左右するのは優れた大学の存在が決定的だが、「基本的なこと」を考える場なだけに初等・中等教育を中心に考えてみたいと思う。
この間、与野党ともこれと言うべきビジョンを提出したことがないのが教育分野なので、学校教育正常化の画期的方案が提出される場合、選挙勝利の重大な変数になるかもしれないという期待を2013年体制論でも表明した(『つくり』84~85頁)。もちろん2012年選挙では、どの候補もそうした方案を提出しなかったし、教育が重要な争点にもならなかった。だが、2014年統一地方選挙でいわゆる進歩派教育長が大挙当選したので、今後新たな局面が展開される兆しがある。教育領域では有権者が政界の与野対立とは異なるレベルで接近するという事実が確認されたし、教育こそ草の根の民生問題に当たるという認識が共有されるに至った。また、今後3年余にわたる教育長の実験と業績は教育議題の整理と具体化にまたとない貴重な資料になるだろう。例えば、2008年ロウソクデモを触発した女子生徒の「どうかもう少し食べさせて、もう少し寝かせて」という絶叫が一部の教育庁で反響を呼び始めたが、自分の子がご飯を減らし、睡眠を減らしてでも競争に勝つ姿を見たいという父母をどれだけ説得できるのか、様子を見たい(登校時間の繰り下げの賛否をこのように整理できるわけはなく、教育現場において学生の福祉と多数の父母が代表する現行の教育イデオロギーの間に矛盾が存在するという意味)。ともあれ、各地の教育長と教育庁レベルで可能なこと、よき中央政府とよき教育省トップに可能なこと、そして全社会が力を合わせて長期的に追求すべきことを識別し、一層緻密に追求する作業が可能になった局面である。2017年大統領選挙でこそ、「教育を握る者が大統領を握る」という命題が成立するかもしれない[ref]李基政『教育を握る者が大権を握る』、人物と思想社、2011年。同じ著者の『教育大統領のための直言直説』(チャンビ、2012年)も一読に値する。[/ref]
教育現場の細部の点検と議題を具体化する作業は経験と識見を備えた人々に任せ、私は議題設定において短期・中期・長期の課題の正確な識別と適切な配合が必要なことを再度強調したいと思う。例えば、全教組(全国教員組合)と一部の進歩的な教育運動団体が提示する「平等教育」の理念も、異なる時間の幅に合わせて検証する必要がある。まずその短期的意義は、しだいに既得権層中心の競争へと引き寄せられる教育現実に反対する名分なのだが、その効果は必ずしも有利な点ばかりではない。理念偏重のわがままという反駁に直面しやすいからだ(実際、先日の教育長選挙で全教組出身の候補者でさえ「平等教育」の代わりに「革新教育」を標榜した)。中期的には、例えばフィンランドのように、韓国よりはるかに平等ながらも学習達成度が高い教育体制を導入しようという主張がありうるし、これは十分に説得力ある主張である。ただ、フィンランドと大きく異なる韓国の現実に合わせて設計された方案を提出する宿題が残される。
「より基本的なこと」と教育の緊密な関連は、「人性教育」の重要性が最近またぐっと強調される点にもうかがえる。人性教育を口実にして民主市民教育を弱体化させようとする与党一角の動きは、彼らが考える人性の水準を推測させるだけだが、真の人間性の問題が道徳科目の授業や教師による訓話で解決されないのは自明である。そうだとして、人文学者がすぐ強調する人文学の読書も充分な答ではないようだ。伝統的に人格完成の過程で人文学古典の読書を最も重視したのが儒教だが、儒教でも礼と楽をより基本だと考え、古典学習の出発となった『小学』を通じて振舞いを正すのに焦点を当てた。私が思うに、現代の初・中等教育では幼い頃は学校に来て、健康で楽しく飛び跳ねる経験が基礎を成し、ここに学生各自の素質と好みに適う芸術教育、適当な分量の労作教育が加味されるべきだろう。そして、学年が上がるにつれて少しずつ増えていく知識教育が合わさり、現在のように試験の点数を高める固定化した知識の習得よりも、人文的読書が一層大きな比重をもつのが正しい。
これだけでも、わが社会は大いなる転換を達成し、「基本」を備えた人間の生きる場になるだろう。だが、短期的に可能なことではない。特に、欠損国家を補正する分断体制の克服作業を伴わずに、南でのみ転換が達成できると信ずるなら、これまた「後天性分断認識欠乏症候群」[ref]これは「後天性免疫欠乏症候群」(Acquired Immunity Deficiency Syndrome略称AIDS)に引っかけて私が作った造語である。英語で言えばAcquired Division Awareness Deficiency Syndrome略称ADADSになる。拙稿「2009年分断現実の一省察」『どこが中道で、どうして変革なのか』、271~72頁参照。[/ref]の典型例になるだろう。また逆に、分断体制の克服過程自体がこうした積功と転換を要求するとも言える。
少なくとも長期的には、完全な平等社会内の平等教育を目標とするのが進歩主義者の当然の姿勢だと思われる。だが、前述したように、民衆自らが治める完全な民主社会に、果たしていかなる位階秩序が許容または必要とされるかの問題に従い[ref]注22)で言及した拙稿「D.H.ロレンスの民主主義論」を参照。[/ref]、少なくとも教育の場合、何であれ、よく出来る人から学び、よりできない人を教える垂直的関係の介入が不可避である。しかし、このように学んで教える内容には、一切の物質的または身分的な不平等が排除された社会を建設して維持するために必要な知恵の偏差を認知し、尊重する習性が含められるべきではないか。その点、今のような不平等教育は当然克服されるべきだが、平等自体を最善の長期目標と見なすのか、疑問の余地がある。ともあれ、教育議題の設定でも、そうした様々なレベルの検討と省察をすればと思う。

 

・「カネより命」

 

セウォル号事件を経験して多くの人が共鳴したスローガンが「カネより命」である。ここには様々な種類の欲求が込められており、そのどれか一つだけを絶対化してはスローガンの訴える力が損傷されやすい。
それは一次的に、身体的な生命の安全性こそ、民主や福祉、統一などを言う以前の「基本」に該当するという自覚であり、絶叫である。この基本さえ守れない社会と国家に対する憤怒の表出でもある。これに対し、政府や政治家は我も我もと「安全な社会」を約束しているが、まだ特に実効性は感知されておらず、実は「安全」のみに没頭するのが正しい答でもない。安全事故は減らすことはできても根絶しがたいし、「命」もまたいくら命の保存が基本だとしても、「冒険」を耐え忍んで命らしくなる面があり、時にはより大きな意味で「永遠の命」のために犠牲になりうることもある。
まさにそのために「無条件に安全」ではなく、「カネより命」である。つまり、無意味な生命の損失を招く、個人および企業の貪欲に対する拒否である。だが、カネに対する人間の欲望をむやみに罪悪視してはならず、セウォル号惨事の責任をすべて「新自由主義」に転嫁するのも「カネより命」への共感をむしろ弱める道である。セウォル号惨事の場合、企業家の貪欲と新自由主義的な規制緩和、金銭万能の風潮に染まった社会の堕落と責任回避が原因になったのは明らかである。しかし、後に公開されたユン一等兵事件など軍隊内での残酷な事件が新自由主義より長年の軍事主義文化の産物であり、セウォル号問題を避ける大統領の態度がまさに前近代的な権威主義を想起させるように、新自由主義は複雑な現象を分析する時に動員すべき様々な概念の道具の一つに過ぎない。
新自由主義の比重が一層明確な安全問題として、頻発する労働現場における安全事故やストライキ労働者をいわゆる損賠訴仮押留(損害賠償訴訟による財産仮押留)などで圧迫し、自殺事件を引き起こす事態が挙げられよう[ref]「労働者がカネと孤立に抑えられて自ら命を絶つ社会では誰も安全ではない。核事故による前例のない死が恐ろしくもあるが、日常的に徐々に死んでいくのも恐ろしい」(河昇佑「セウォル号惨事後の韓国での安全言説」『実践文学』2014年秋号、98頁)。[/ref]。また、医療民営化による医療費の値上げも貧しい人々の命と安全に対する深刻な脅威である。だが、これらの場合も「新自由主義反対」だけで効果的な闘争が可能なのか再考すべきだ。生命の損失は正規職、非正規職を問わず悲惨であるが、勤労の現実は正規職か否かによってひどく異なり、あらゆる労働問題を企業の貪欲だけに転嫁するとか、非正規職の根絶を叫ぶだけでは国民多数の共感を得がたい。医療問題も現在の診療慣行と医療体系、さらに現代医学の限界に対する省察を省略したまま、すべての国民にその恵みを享受させるのが医療の公共性だと主張するのでは答が出るはずがない。
安全と関連して特に留意すべき問題は、すぐに目に入る事件や事故以外に、徐々に臨界点に向かって近づき、一度勃発すれば収拾がほぼ不可能な大型惨事になる原発事故に備える問題である。この間、原発当局および関連業界が示した無責任と不正直さ、「命よりカネ」優先の思想と、それによる積弊は事故の蓋然性を着実に高めており、釜山や蔚山など大都市近隣の原発密集区域で一度事故が勃発すれば、日本のフクシマ惨事が色あせる大惨劇が起きる局面である。この原発問題こそ、短期・中期・長期対策の配合を自然と要求する。短期的には韓国水力原子力会社、原子力安全委員会などの透明性と責任性の確保、老朽化した原発の稼働延長の禁止、三陟市のように住民の反対が明確な所への原発建設の阻止などがあり、もう少し長期にはすべての原発の新規建設を放棄し、次第に原子力発電から脱皮すること、そしてより長期的には人類社会が生態親和的な生へと転換する課題が同時に提示されるのである。
生態親和的な生への大転換に原則的な合意でも得る必要が切実なのは、例えば気候変化によるグローバルな災いは、原発事故よりさらに遠いことのように感じやすいが、一度臨界点を超えると、人間の能力では全くどうしようもないので即座の行動が急がれる。だがそれだけに、気候変化の実像に対して科学的にわかる限りわかりながら、科学的知識が不足したら不足したなりに、その時々に必要な行動をとる知恵の練磨が要求される。あわせて生命の概念自体も変わらねばならない。たとえ人間には人間の命が優先であり、従って「人間中心的」な各種の行為が不可避でありうるが、人もまた地球上のすべての生命体と共同の運命にある面があり、実際、すべての生命体が同胞であり、人間は無生物のお蔭もあって生存するという思想が切実に必要になる。「カネより命」というスローガンは、結局こうした次元の生命思想、生態運動にまで転換してこそ、その完全な意味が活かせる。
「カネ」の問題も決して単純ではない。カネに対する欲望が、どこまでが財貨に対する生活者の正当な欲求で、どこからが「貪欲」に当たるのか、区別は容易ではない。もちろん、資本の無限蓄積を基本原理にして稼働する社会体制は、「命よりカネ」という逆転した原理を追求する体制であるのは明らかだが[ref]こうした資本主義自体の問題を「新自由主義」と規定するのは、問題の核心をそらすことになりやすい。もちろん、「資本主義の人間化のための努力が、結局は断片的かつ一時的なものにならざるを得ないのを、もしかして率直に告白しだしたのが新自由主義」という点で、それを「人間の仮面を脱いだ資本主義」と言うこともできる(拙稿「再び知恵の時代のために」、『韓半島式統一、現在進行形』104頁)。ともあれ、勉強の道筋は資本主義で、新自由主義の研究はその一環と位置づけねばならない。[/ref]、資本主義世界体制内にすでに入れられた人々はその原理を無視して生きていくのは難しい。だから、資本主義近代世界に適応するが、克服のために適応し、克服の努力が適応の努力と合致する、例の「二重課題」が肝要なのである。

 

・性差別の撤廃と陰陽の調和

 

先ほど労働現場に蔓延した事故の危険に言及したが、近年最も切迫した身辺の安全問題中の一つは、女性が安心して街を歩くことさえ難しい現実である。さらに、子どもや小学生すら強姦や性的暴力にいつも曝されており、その過程で殺されてもいる。これは、わが社会で女性差別の問題が深刻なことを示すと同時に[ref]特に国家の経済力や国民の教育水準に比し、韓国の女性の地位がとんでもなく劣悪という点は、世界経済フォーラムの2014年度世界男女格差指数(Global Gender Gap Index)で、――これが何か絶対的な尺度ではないが――大韓民国は142か国中117位に上がったという事実でも実感される(http://report.weforum.org/giobal-gender-gap-report-2014/ranking/)。ユネスコ教育統計資料で、韓国の人間開発指数は32位の反面、「性別権限尺度」は73位を記録した1997年の時点で、私はこうした奇形的な事態もまた分断体制と無関係ではないと主張したことがある(「分断体制の克服運動の日常化のために」『揺れる分断体制』、創作と批評社、1998年、45~52頁)。[/ref]、性平等問題の特異な性格を暗示する事例である。こういう場合の安全問題は、企業の貪欲や個人の物欲とは直接関連がない場合が多い。
性差別の内容も多様である。性犯罪被害者の圧倒的多数が女性だという事実以外に、労働者に対する抑圧も女性勤労者への差別が加重されて起きる。その上、性に関連する差別は確かに男女両性の問題だけではない。性的アイデンティティと志向を異にする様々な個人の問題があり、異性愛者の場合も、未婚の母や婚外同居者に対する差別問題がある。こうした様々な問題間の優先順位をどのように定め、どういう方法で解決するかは多くの練磨と積功を要する。
中・短期的に相当程度の改善が実現したとしても、性平等社会の実現は容易ではない展望である。男女平等は啓蒙主義の重要な遺産であり、自由主義政治思想の一部をなすが、貧富格差を自らの存在条件とする資本主義体制は、その本質上、性別と人種、地域など各種の差異を差別の根拠に転用して貧富格差を維持し、ごまかす体制なので、資本主義下で性差別主義の廃棄は不可能だという視角がある[ref]例えば、イマニュエル・ウォーラーステイン『ユートピスチックス:または21世紀の歴史的選択』白英瓊訳、創作と批評社、1999年、37~42頁。「民族主義・人種主義・性差別主義の台頭」(Immanuel Wallerstein, Utopistics : Or, Historical Choices of the Twenty-first Century. The New Press, 1998年、20~25頁)を参照。女性解放も二重課題論の視角で接近する必要性を提起した文章として、金英姫「フェミニズムと近代性」、李南周編『二重課題論』118~37頁を参照。[/ref]。さらに、性差別は資本主義以前の遠い昔から存在したもので、階級の撤廃よりはるか後になって可能なのが性平等だという主張もある。
私が特に研究もしていないこの課題に言及するのは、私たちの究極的な目標をどこに置くかという「より基本的な」問いを発することが、特に重要なヤマだと信じるからである。先に列挙した各種の差別の撤廃は当然追求すべきだが、階級自体の撤廃を最終目標とする階級運動とは異なり、性平等運動は性別の撤廃を目標にはできない。また、男女の結合なしに別個に生きようという「分離主義」も女性主義運動の一角を超えて普遍化はできない。高等動物の種族保存の過程では雌雄の結合が必要であり(もちろん例外はあるが)、人間世界における幸福な生のためには――この場合、より多くの例外を認めて十分配慮すべきだろうが――男女の調和ある関係が重大な比重を占める。今日、韓国を含めた世界各地の生がそうした調和ある関係に程遠いのは男女間の権利の違い、またこれによる実力差、言い換えれば大部分の場合、女性に対する不当な差別のせいだと認めれば、性平等社会の追求という課題が短期的な懸案を超える大事であるのは明らかだ。ただ、究極的な目標を「性平等」におくのか、「男女の調和ある関係」におくのかは論議の余地があり、その結果によって短期と中期課題の設定と推進方式にも相当な違いが発生しうる。性平等を至上目標とする場合、何が「差別」で、何が「差異」なのかという論争が絶えず起こりがちで、自らの成熟と幸福のためにも女性解放に寄与してしかるべき男性の説得にも不利になりうるのである。
ここで、「男女」よりも「陰陽」という東アジアの伝統的概念を動員してみればどうかと思う。現実的に存在してきた伝統社会が家父長的秩序だったのとは別に、太極の陰と陽は支配・被支配がない相補関係であり、大体陽が勝るのが男性で、陰が勝るのが女性であるが、双方が各々陰と陽の両面をもち、陰陽の調和を通じてこそ生命が持続されるものと理解する。従って、性平等自体より陰陽の調和が具現される社会を志向する場合、陰陽の調和を阻害する性差別に対する闘いを当然含むし、平等に該当しない場でも平等に固執する憂慮が減り、調和を増進する方案を男女ともに推進する余地も広がるだろう。
陰陽調和の概念を真面目に導入するなら、人間世界を超えるはるかに大きな問題に行き当たる。ご存じのように、陰陽(または陰陽五行)は人間関係だけでなく、宇宙全体に適用される概念である。従って、質量と運動など量的特性以外に異なる特性を認めない近代科学の宇宙観と矛盾する。この矛盾を私たちはいかに考えるべきか。近代教育を受けた多くの知識人はここで壁にぶつかるが、まさに現代科学の世界ではニュートンからアインシュタインに至る機械的宇宙観が深刻な挑戦に直面し、「世界に再び呪術をかけること」(re-enchantment of the world)が要請されている[ref]この一句は、Ilya Prigogine and Isabelle Stengers, Order Out of Chaos: Man’s New Dialogue with Nature(Flamingo 1985:原著はLa nouvelle alliance Gallimard 1979)にでており、近代世界体制の変革を率いる新たな学問の定立を強調するウォーラーステインがよく引用する表現である(例えば、イマニュエル・ウォーラーステイン『知識の不確実性:新たな知識パラダイムを求めて』柳熙錫訳、チャンビ、2007年、154頁:Immanuel Wallerstein,The Uncertainties of Knowledge, Temple University Press,2004年、125頁)。[/ref]。プリゴジンらのこの概念が、すぐに東アジアの陰陽論を立証してくれるわけではもちろんない。反面、「複雑系の研究」(complexity studies)という彼らの新しい科学も「世界に再び呪術をかけること」の第一歩に過ぎないので、中性的だけではない時空間がいかなる特性をもって運行されるかにつき、今後多くの研究が必要だろう。ともあれ、宇宙観自体が変化して人間と自然の調和ある生が模索されている今日、人間社会における陰陽調和に該当する男女関係の追求が、東アジア的宇宙観の潜在力を引出す努力と合わさると、世界観の転換という人類史的課題に貢献することと同時に、眼前の性差別の撤廃や性平等の具現にも力になりうるのではないかと思う。

 

6.何が変革で、どうして中道なのか

 

結論に代え、変革的中道主義に関して多少付け加えたいと思う。
「変革的中道主義」は、2009年の拙著『どこが中道で、どうして変革なのか』のキーワードに他ならなかった。だが前述したように、選挙の年に出した『2013年体制づくり』で潜伏させようにしたのは、「変革」と「中道」という一見矛盾した結合が多数の有権者を説得できないものだったからだ。その点は今も事実で、現場の選手が適切な方途を見つけだすべきだが、私たちが大いなる積功、大いなる転換を夢見れば見るほど、グローバルで遠大なビジョンと韓国の現場で当面する課題を連結させる実践路線として、変革的中道主義以外に何があるのか、見通しがつきがたい。
確かに、「変革」は「中道」と括らなくとも、今日の韓国で容易に受け入れられる言葉ではない。戦争勃発のような急激な変化が警戒の対象であるのはもちろん、南北が共存する中、南だけが革命ないし変革を達成できるという主張も共感しがたいからだ。実際、そういう主張を展開する少数勢力がなくはないが、これは空想に近く、例の「後天性分断認識欠乏症候群」の疑いが濃い。
このように南北双方の内部問題が韓半島全体を網羅する一種の体制内で作動しており、この媒介項を除いてはグローバルな構想と韓国人の現地実践を連結する道がないという点こそ、分断体制論の要諦である。従って、私たちの積功・転換の過程でこうした韓半島体制の根本的変化、つまり南北の段階的再統合を通じて、分断体制より良い社会を建設する作業が核心的なので「変革」を標榜する[ref]「変革的中道主義」や「中道的変革主義」を特別な考えもなく使い始めたが、これは用語のなじみにくさのせいもあったが、変革的中道主義がそれなりの厳密性をもった一つの概念であることを見逃して作ったのである。南の現実における実践路線として、変革的中道主義は変革主義ではなく改革主義だが、南の社会改革が分断体制の克服運動という中期的運動と連係してこそ実効を上げうるという立場なのである。[/ref]。そして、このために南だけの性急な変革やグローバル次元の漠然とした変革を主張する単純論理を脱する時、広範な中道勢力を確保する「中道主義」が成立しうるのである。
実際に、それが可能か。「とてもいいお話ですが、それは可能ですか」という問いは、私が討論会のような場で、際限なく直面する質問である。そういう時、私は「もちろん不可能ですよ。皆さんがそんな問いばかりされるなら」と答えるが、よく考えれば、変革的中道主義は切実に必要なだけでなく、唯一可能な改革と統合の路線である。
拙稿「2013年体制と変革的中道主義」では、「変革的中道主義でないもの」の例を6種類、番号までつけて列挙したが(『創作と批評』2012年秋号、22~23頁)、そんな調子であれこれ除いたら、どういう勢力が確保できるのかとの反駁を聞いた。ありそうな誤解に弁明すれば、それは排除の論理ではなく、広範な勢力確保を不可能にしてしまい、真摯な改革を達成できない既存の様々な排除の論理に反対し、各立場の合理的核心を生かして改革勢力をまとめあげる統合の論理だった。ただし、変革的中道主義とはこうこうだという定義を正面に掲げるよりは、何が変革的中道主義ではないかを適示することで、各自が自ら気付くようにする仏教『中論』の弁証方式を試してみた。ただ、『中論』の方式に真に忠実であろうとすれば、変革的中道主義者だと自負する人も、自らの考えをたえず省察しながら、自ら固定化したイデオロギーに陥らないように、自己否定の作業を続ける姿勢が必要であろう。
ここでは、前述の文章を読まれていない方のために、あの1~6番を簡略に紹介しながら、いくらか敷衍したいと思う。

1)分断体制に無関心な改革主義:大体こうした性向をもつ国民は、たとえ改革の内容や推進の意志は千差万別だとしても、全体の大多数だと思う。ここには、(与党の)セヌリ党支持者の相当数も含まれ、いわゆる進歩的な市民団体も多数がこの範疇に属する(もちろん、特定の改革テーゼを採択した活動家がここに集中するとして「後天性分断認識欠乏症候群」患者に追いやりはしない)。ともあれ、1番は社会の多数を占めるだけに自己省察に消極的なので、変革的中道主義の成功のためには彼らを最大限に説得する作業が肝要である。

2)戦争に依存する変革:韓半島の現実で、戦争は南北住民の共滅を意味するため、当然排除される路線である。だが、戦争を辞さずと叫ぶ人も大部分が戦争は起こらないと考えており、自ら韓国軍の作戦権を行使して戦争する気はまるでないことを勘案すれば、2番を実際に追求する人は極少数と見るべきだ。

3)北だけの変革を要求する路線:この部類も「北朝鮮革命」または「北朝鮮人民の救出」を積極的に推進する強硬勢力から、北朝鮮体制の変化を消極的に希望する人までスペクトラムは広い。後者は1番との境界線が曖昧な場合も多い。また、前者の場合も2番と同様に非現実的なので、南の改革を妨げる名分として作用しがちである[ref]「実現の可能性がほとんどない、こうした構想[2番または3番]が一定の勢力を維持するのは、そういう方式で南北対立を煽ることが南の内部における既得権を維持する上で助けになるからである。つまり、北の変革は名分だけで、実質的には分断体制の変革とそれに必要な南の内部改革を妨げることに寄与しているのだ」(「2013年体制と変革的中道主義」29~30頁)。[/ref]。しかし、変革的中道主義は2番または3番の路線に反対するだけで、現在その追従者たちが路線の偏向性を自覚して「中道」を取りうるという期待を初めから閉ざすことはない。

4)南だけの独自的変革や革命に重きを置く路線:80年代急進運動の隆盛後、影響力は減り続けてきた路線だが、今も追従する政派や政党はなくはないし、特に知識人社会の机上変革主義者の間にかなり人気がある。ともあれ、「これは分断体制の存在を無視した非現実的な急進路線であり、時には守旧・保守勢力の反北主義に実質的に同調する結果になりもする」(同論文、22頁)。反面、世界体制と韓半島の南北双方を変革の対象とし、階級問題の重要性を喚起するという点から、分断体制の変革が核心懸案だと認識さえすれば、中道に合流する余地がある。

5)変革を「民族解放」と単純化する路線:これまた80~90年代の運動圏ではやり、最近は影響力が大幅に減少したが、ただ日帝植民地期には民族解放が当然の時代的要求だったし、光復後も「民族問題」が厳然たる懸案中の一つだったという点で、その根はひときわ強固である。ただ分断体制下で、北の社会が歩んできた退行現象に目を閉ざし、さらには主体思想に追従する一部の勢力が[ref]彼らに「従北」の嫌疑が被せるのもそのためだが、「従北」という曖昧な表現より、「主体思想派」という正確な概念を使用するのが正しいという主張は説得力がある(李承煥「李石基事件と『進歩の再構成』論議にあたり」『創作と批評』2013年秋号、335頁)。[/ref]進歩勢力の連合政党だった民主労働党と統合進歩党を掌握したが、進歩陣営の分裂へと突き進み、自主と統一という言説全体が弱体化する状況を招いた。しかし、「後天性分断認識欠乏症候群」と根気強く闘ってきた人すべてを一括りで罵倒してはならず、彼らが強調してきた自主性言説を、分断体制に対する円満な認識に基づいて変革的中道主義へ収斂する努力が進歩政党内外で実現されるように望む。

6)「グローバル的企画と局地的実践を媒介する分断体制の克服運動に対する認識」(同論文、23頁)が欠けた平和運動、生態主義などの場合:彼らも各様各色だが、全人類的な課題としての名分と現地実践に対する熱意をもったならば、例の「媒介作用」に対する認識の進展を通じ、変革的中道主義に合流または同調するのはいつでも可能だろう。

こういう調子の論理展開を『中論』を借りてほのめかしたが、より俗な言い方をすれば、択一型試験で間違った答を消去して正答を「突き当てる」方式と酷似する。実際、現場で各種の極端主義と分派主義に苦しみながら、より良い社会をつくろうという熱情を放棄しない活動家であるほど、変革的中道主義の趣旨を最近わかりかけていると思う。本当に難しい問題は、正答を「突き当てる」ことよりも、正答に適う中道勢力をつくり出すことである。これこそ、各分野の現場の働き手と専門家が練磨し、積功すべき問題であり、ここでは選挙を左右する政党政治の現実に関して1~2の断想を披歴するに留めたいと思う。
韓国社会の大転換のためには、転換を妨げようとする勢力の力を一応部分的にでも削ぐべきだが、87年体制下で国民の最大の武器は6月抗争で勝ちとった選挙権に違いない。「1円1票」ではない「1人1票」が作動する、珍しい機会だからである[ref]細橋フォーラムの討論で朴聖珉代表は、守旧・保守カルテルの「最も弱い環」が選挙であることを強調し、現在野党の人気はあまりにもないが、国民は「そこそこなら」野党に票を入れる準備はできていると主張した。[/ref]。それなら既存の野党、特に第1野党である新政治民主連合をいかにすべきか。「まあまあなら」票を入れるんだが、現状では到底入れる気にならん、という人が絶対多数ではないか。
これに対する答が私にあるはずはなく、変革的中道主義論がそうしたレベルの問いにいちいち答を出す言説でもない。ただ、いくつかの誤答を摘示する基準にはなり得る。例えば、野党の低い支持率を最近の若い世代の「保守化」のせいにする傾向があるが、もちろん社会風土の変化で若い世代が人一倍個人的「成功」に執着し、家庭教育でも社会的な連帯意識を軽視する面がある。その上、87年体制の末期局面が持続して冷笑主義が蔓延し、人々の心性が荒廃化したのは事実である。だが、少数の例外を除いて若者が既成の現実に対し、今のままで生きるに値すると肯定し、政府・与党の古いブザマさをお笑い(または彼らの表現で「笑わせる」)と思わない程、保守化していないと思う。むしろ、今とは異なる世の中に対する渇きが切実だと思われ、さらに彼らは上の世代に比べてはるかに識見が広く、溌剌たる気性をもつ。そうした若者に野党が「民主対反民主」の構図で迫り、自分側に立たないと保守化を云々すれば、ますます嫌われるのは当然である。逆に、変化に対する彼ら自身の欲求に合わせるのを「進歩」の尺度とし、それに適う政策議題を提示すれば、彼らはとても進歩的な反応を示し、むしろ年配世代の適当な牽制が必要になるかもしれない。
「変革的中道主義ではないもの」に対する説明を援用すれば、野党が1番の路線に安住して「右クリック」を通じて「保守化」した若い有権者を捕えようとすると、与党との比較劣勢が際立つだけである。それなら革新化すると、4~6番のうちどれかに「左クリック」するのも少数勢力にのみ魅力的になるだけだ。多数の国民もそうだろうが、特に若い世代は「変革的中道主義」という文字には無知だが、冷淡などころか、1~6番すべてが合わないという点だけは直感しているのだ。
こういう認識なしに、新政治民主連合に対して過度な革新化を注文するとか、期待するのは古い惰性でもある。第1野党が自己革新さえすれば、守旧・保守陣営に対抗しうる独自の陣営を実現できるという幻想をもちやすく、民主党(新政治民主連合)が即「民主」の総本山という固定観念に縛られた結果とも言える。第1野党の革新はもちろん必要だが、革新しても守旧・保守カルテルを制圧する力が生じるわけでもなく、短期間に変革的中道主義の政党に生まれ変われる立場でもない。カルテルの巨大な城砦に多少の亀裂を生じさせるのが急務であり、このために生み出すべき広範な連帯勢力の中で最も大きな現実政治の単位が民主党だという認識をもち、その役割を遂行しうるほどの自己整備と革新をやっていこうという謙虚な姿勢が必要である。本格的な変革的中道主義の政党(たち)の形成は、一応選挙勝利を達成した後のことであり[ref]2013年体制が成立しても、変革的中道主義勢力をすべて網羅した単一巨大政党ではなく、基本的な志向を共有する多数の政党の存在が望ましいという点を表明したことがある(同書、30~31頁)。[/ref]、選挙勝利のためにも変革的中道主義に対する志向性をある程度共有すべきであり、このために自身より現実的な力が弱い政派や集団の声も変革的中道主義に対する認識がより貫徹するならば、傾聴する姿勢があってしかるべきだろう。
最後に、変革的中道主義という南単位の実践路線が、仏教的「中道」――または儒教の「中庸」――のような一層高次元の概念と連結していることを想起させたいと思う(上掲論文、第2節「分断体制内の心の勉強、中道の勉強」を参照)。ここで、本稿が動員した様々な概念の間に一種の循環構造が成立する。つまり、近代世界体制の変革のための適応と克服の二重課題を韓半島次元で実現することが分断体制克服の作業であり、その韓国社会における実践路線が変革的中道主義であり、このためには集団的実践とともに各個人の心の勉強・中道の勉強が必須だが、中道自体は近代の二重課題よりひと際高次元の汎人類的な標準でもあり、他の様々な次元の作業を貫通しているのである。敢えてこの点を指摘する理由は、体系の完結性を期してではなく、今ここで私たちに与えられた複雑多岐にわたる積功・転換の課題を、時間帯と空間規模によって識別して結合する作業がむしろ理に適うことを強調したいからである。

 

[訳: 青柳純一]