[論壇] 朝鮮半島の平和プロセス再稼働への道 / 李南周·任鍾皙
論壇
李南周(イ・ナムジュ)
聖公会大教授、細橋研究所長、本誌編集副主幹
任鍾皙(イム・ジョンソク)
前)(社)南北経済文化協力財団理事長、文在寅政権初代大統領秘書室長
李南周 歴史的な2000年の6・15南北共同宣言が今年で20周年を迎えました。朝鮮半島情勢も重要な分岐点に差しかかっています。今回の総選挙の結果、政府は膠着状態から脱却できずにいる朝鮮半島の平和プロセスを、さらに積極的に進展させるべく努力する機会を作りました。そこで今号では特別に、最近の南北朝鮮の関係変化を評価し、今後の発展の方向を議論する対談を用意しました。任鍾皙(イム・ジョンソク)前大統領秘書室長をお迎えしてお話しをうかがいたいと思います。あえて詳しく紹介する必要はありませんが、秘書室長であった当時、2018年の4・27板門店南北首脳会談や平壌南北首脳会談などの準備委員長を、また板門店宣言の履行委員長も歴任されました。そして秘書室長から退いて以降、政界進出が予想されましたが、統一運動に邁進するという意向を明らかにされ、総選挙不出馬を宣言されました。実際のところあまり知られてはいませんが、2000年の6・15南北首脳会談以降に始まった南北交流の過程で、多様な関連事業をされてきました。現在は南北経済文化協力財団の理事長に就任する準備をされています。6・15南北共同宣言20周年を迎えて、南北関係の現在と将来についてお話しをお聞きするのに最も適した方だと思います。しばらくマスコミにはお出になりませんでしたが、総選挙の時に公開的な活動を再開されてずいぶんと報道もされました。あいさつも兼ねて久しぶりに全国を回られた所感についてお聞きしたいと思います。
任鍾皙 こんにちは。お招き下さりありがとうございます。公式の選挙運動の期間は2週間でした。久しぶりに楽しく忙しく過ごしました。公開活動というよりは、昨年11月に不出馬を宣言した時から、選挙では私がやるべきことはやると言いました。結果によっては、文在寅政権の下半期の国政運営の方向を決定する重要な選挙なので、最善を尽くして、できるだけ新人候補を中心に支援しようと努力しました。また、私が関心を持つ南北朝鮮の問題と関連しても、かなり行き詰った現状況において、今回の選挙結果が、残りの2年間で突破口を見出せるか否かという政治的な岐路であると考え、懸命に活動しました。やりがいもありました。
反対を突破しようとしたトランプ大統領
李南周 やりがいがあるというのが何よりです。聞きたいことは数多くあります。なかなかお目にかかれない方をお迎えしたので、すぐに本論に入ります。この4月27日に板門店南北首脳会談2周年を迎えました。2018年には南北関係の新しい1ページが開かれたと思いましたし、人々の期待感にもものすごく高いものがありました。ですが、今、現実はそのような期待とはだいぶ距離があると思われます。ハノイの米朝首脳会談(2019.2.27~28)で成果を出せなかったのが最も重大な転換点だったという評価が一般的です。それと合わせて異なる要因があるとお考えですか?
任鍾皙 2つあると思います。まずハノイ会談が成果なしで終わったのは明らかに決定的でした。北朝鮮に戦略的な再検討を余儀なくさせたのが一番大きいようです。ハノイ会談までは本当に最後まで疾走しました。韓国政府も最善を尽くしましたし、北朝鮮も新しい方向でそのようにしました。トランプ大統領が意欲を示したので、私たちは南北間でできることも少し留保しながら、北朝鮮とアメリカの会談で第1段階の成果が出るように合わせて進めました。第1次決勝ラインを目の前にした地点でしたが、これが成果なしで終わったのが一番残念なことです。
もう一つは、南北朝鮮が両者間の合意事項をさらに積極的に実行すべきでしたが、そうできませんでした。北朝鮮とアメリカの会談が朝鮮半島の非核化と平和体制の構築に決定的だったとしても、南北が解決すべき問題を後回しにしたり、副次的なことのように扱ってはならず、同様に重きをおいて進めるべきだったのに残念です。2016~17年に行われた対北朝鮮の制裁が南北関係を非常に大きく制約していますが、必要ならば制裁委員会で積極的に私たちの立場を示して国際世論を喚起し、制裁の中でもできることは果敢にやりながら、米朝間の問題が解決するように中間者的な役割をするべきでしたが、その壁を越えることができませんでした。今後、米朝関係がどの時点で解決するか、私たちが思い通りにできないならば、2つ目の問題としては、新たな決心が必要だと思います。このことが事実、今日の対談で私が最重要事項として申し上げたいことです。
李南周 トランプ大統領がハノイ会談でなぜ失敗したのかを時々考えますが、一度にはサインをしないトランプの交渉スタイルが、その要因の一つではないかと思います。政治的取引では、一度にすべての問題を解決するのではなく、信頼を蓄積して、これを次の段階に進む動力としなければなりません。ですが、トランプはこのような方式で接近するよりも、毎回の取引において有利な結果を引き出して、それを成果としてかかげることに執着するスタイルです。有利な立場に立って、少しでもさらに利益を得ようとする接近法と似ています。今回の韓米の防衛費分担金の交渉を見ても、議論されて上がってきたものをそのまま受け入れずに、そこでまた価格をつり上げようとしました。そのような習性を当時においてよく把握できなかったことも問題ではなかったでしょうか?
任鍾皙 トランプ大統領を評価する時、事業家気質、利害関係をとても本能的に重視して利益を得る面を多く指摘します。ですが、私はそのことよりも、アメリカ全体が朝鮮半島の問題にそれほど関心がないということの方が、はるかにもどかしい現実であると考えます。よくご存じでしょうが、オバマ政権の8年間、たったの一度も朝鮮半島の議題がホワイトハウスのテーブルに優先順位として上がったことはありません。国務長官からが、東北アジア・朝鮮半島の問題を扱う時、私たちが合理的に解決しようとする方式を受け入れようとしません。朝鮮半島の非核化と平和体制というものは一日で成就するものではないので、北朝鮮を正当な対話の相手として認めて段階的に解決していくべきなのですが、そのような接近法に否定的です。私たちがトランプ大統領に対してあれほど努力したのも、彼のスタイルがむしろアメリカ内の、そのような多くの留保ないし反対を突破できるのではないかと思ってのことでした。本当に文在寅大統領はものすごく努力しました。
エピソードをお聞かせするならば、2018年の4・27首脳会談の前の3月に、鄭義溶(チョン・ウイヨン)安保室長が対北朝鮮特使として平壌に行きました。帰ってきてすぐにホワイトハウスに行きましたが、おそらくよく記憶されていることでしょう。鄭義溶室長がホワイトハウスの前庭で徐薫(ソ・フン)国家情報院長と趙潤済(チョ・ユンジェ)大使を両脇に立たせて記者会見をする、本当にめずらしい光景がありました。本来は特使が行ってカウンターパートナーと話せば、そちらからトランプ大統領にまず報告して、その翌日に会うことになるだろうと予想していました。ですが、トランプ大統領が午後遅くに突然、韓国の安保室長に会おうと言って、そのような過程なしですぐに会談が成立します。鄭義溶室長もとても慌てました。なので、訪問したオーバルオフィス(Oval Office、ホワイトハウスの大統領執務室)にトランプ大統領とあちら側の主要責任者が20人近く座っていて、外の廊下にまたそれくらいの人たちがうろうろしていたそうです。そのような場で鄭義溶室長が「金正恩委員長に会ったが、明確な非核化の意志を持っていて、トランプ大統領と会うことを希望している」という趣旨を説明したんです。トランプ大統領の反応は、大部分の参謀たちに「見ろ、私が何と言った、そうじゃないか? そうだよ、それは」と言っていたとのことです。その場面から推察しても、内部の参謀たちは多数が否定的だったんです。トランプ大統領が朝鮮半島問題を解決できるように、周囲の誰もが助けていなかったということです。その面談の直後に、意外にもトランプ大統領がその場で、「私はいい、会う意志はある、だから、あなたが行って記者会見をしろ」と言い、それで鄭義溶室長が慌てたんです。
国務省を含めて、アメリカ情報関連部署とホワイトハウスの核心関係者たちが、どのくらいこの問題に否定的かを示す場面がまた続きますが、トランプ大統領が鄭義溶室長にその場ですぐそのような話をするので、鄭室長が、ではマクマスター補佐官(H. McMaster/当時ホワイトハウス国家安全保障会議補佐官)と一緒にやると言いました。すると、「ノー、ノー、あなたがひとりでやって下さい」と言ったというのです。ではマクマスターと相談して私がやると言ったところ、「ノー、そのままあなたがやりなさい」と(笑)。そしてそこで会議が終わって記者室に行ったのです。そのときが、トランプ大統領が就任後ホワイトハウス記者室に初めて行ったものだそうです。記憶される方もいるかもしれませんが、トランプ大統領がホワイトハウス記者室のドアを開けて、「少ししたら韓国の安保室長が重要な発表するぞ」と一言言って出て行く場面がニュースに出ました。その場面で私は、トランプ大統領が内部の途方もない反対を押し切って何かをやろうとした点を評価するべきだと思いました。ハノイ会談が成果なしで終わったりしましたが、それ以前までのトランプ大統領の態度には、私たちが十分に期待を抱くものがありました。それではなぜ結局、成果なしに終わったのかについては、私が自信をもって話すことはできませんが、様々なスキャンダルで、アメリカ内で政治的に追い詰められた場面がありました。なので、ハノイに行く前に、すでにアメリカの議会、政府部署、与野党など四方から、悪い結果よりも成果なしの方がはるかにいいと圧迫されつづけた状況が、結局、トランプ大統領をして、その先の一歩を踏ませなかったのではないかと思います。
板門店で初めて会った金正恩委員長
李南周 北朝鮮の金正恩体制がスタートした時は、金正恩委員長がとても若く、あまりよく知られていなかったので、彼に対して否定的な認識も多かったと思います。私はそのことも南北関係の変化を予想しにくくさせた原因の一つだったと思います。とにかく2018年頃には南北の首脳と高位級人々の間の交流が始まって、金正恩体制に対する評価、金正恩個人に対する評価が大きく変わりました。もちろんまだ人によって考えは異なりますが、最低限それ以前のように「幼い」指導者がスタートしたが、数年のうちに崩壊するだろうなどという展望はほとんど消えたと思います。交流の過程で、過去のいつの時よりも高位級間の接触や非公式の会談が多かった時期だったと考えることもできるでしょう。今でも、状況が非常に難しくなったにもかかわらず、4月27日に文在寅大統領が首席補佐官会議で、「私と金正恩委員長の間の、信頼と平和に対する確固たる意志を土台に、平和経済の未来を開く」と、その信頼感をあらためて表現しました。このような過程を直接経験された立場から、北朝鮮の指導者に対してどのような印象を持ったのか、そして南北関係に対する北朝鮮の態度をどのように評価するか、お聞きしたいと思います。
任鍾皙 4月27日の板門店首脳会談を目前にした時の私の所感を申し上げれば、本当に期待が大きかったです。私も北朝鮮側の新しいリーダーに対する情報があまりありませんでした。おっしゃったように、若い年で、あのような複雑な環境で、国家権力を担うことになりましたが、マスコミが客観的に見ても、かなり短い時間に安定的に権力を掌握しました。国務委員会にかなり早く転換しますが、9人構成の国務委員会に軍人は3人しか置いていません。これは軍を完全に掌握したという意味でもあり、今は先軍政治ではなく、正常な国家運営を行うという内部的な宣言だと思いました。この若い指導者の権力掌握の速度がとても早いという印象とともに、私が本当に気になったのは、「いったいどんな人だろうか」ということでした。今後20年、あるいは30年、政権を担うことになるかもしれませんが、本当に考えが違っていたり、または韓国の一部の保守派のマスコミが指摘するような心配な人物ならば、それは本当に大変なことです。なので、本当に気になっていましたしずいぶん心配もして行きました。会談の間じゅう同席して、ずっと両首脳の対話を見守りましたが、何と言いましょうか、終了後の私の印象は安心と期待でした。まずはキャラクターがとても率直でした。率直でありながらも堂々としています。大統領とこの問題を解決するという、とても確固たる意志を読み取ることができてとても安心しました。
意外なことに、その後1か月もたたないうちに、北朝鮮の方から板門店の統一閣でまた会えるかと言ってきましたが、私の記憶ではその間に米朝間に不必要な言い合いがありました。北朝鮮側からペンス副大統領を名指しで批判すると、トランプ大統領も「会わなくてもいいんだぞ」という感じだったと記憶します。そのような状況で北朝鮮側の立場では、モメンタムを継続するために、急遽、南北首脳会談を提案したのではないかと思います。本当に急に提案してきました。大統領が一日で快く受諾して会ってきて、その翌日に国民に対して、「これから必要ならばいくらでも「隣家に遊びに行くように」会うのだと言ったんです。ひとまず最初の所感はこのようなものです。
李南周 2018年に首脳会談がしばしば開かれたのも、非常に異例のことではありました。そのことが南北首脳間の信頼形成に重要な意味があったのでしょう。
任鍾皙 金大中大統領の時をみると、様々な条件のために首脳会談をまず平壌でやりましたが、答礼の訪問を約束されたものの、実現できないために中断状態になりました。盧武鉉大統領の時は首脳会談がとても遅れました。このような過去を通じて、会談の場所を平壌とソウルだけにこだわるべきかについて多くの検討がありました。そこで文在寅政権でかなりうまくやったことの一つが、板門店を首脳会談の場所として企画したことだと思います。私は基本的に首脳会談の常時化・日常化が必要だと考えますが、そのためには板門店だけが唯一の場所ではないと思います。ながらく断絶した構造にあったので、非常な決心と合意がなくては何も進みませんが、必ずしも重要な決定があるわけでなくても、必要な時は成果も出し、誤解があればその場ですぐ解決するなどして、首脳間に日常的な対話を可能にすべきだという点でも、板門店会談を企画したことは大きな意味があります。私たちが初めから考えていたわけではありませんが、2018年の4・27首脳会談の直後、1か月後の5月26日にまた会談しました。大統領が翌日発表した内容の中で「隣家に遊びに行くように」と言ったのも、南北間で必要なら両首脳がいつでも会える時代にするということです。私は今、それをやるべきだと思います。大統領にもそう申し上げたいです。首脳会談が必要ならばいつでも会うと言ったことを、今、実践すべきだと。同様に、金正恩委員長にも、機会があるときに成果だけを出そうとする首脳会談はむしろ荷物である、このような時ほど、首脳間で直接、様々な情勢について討論し、相手がどのような困難に直面しているかを理解するならば、結局、ある種の成果として続いていくのではないだろうかと強調したいです。今、この時に、金正恩委員長の答礼の訪問だけを待つことはできません。答礼の訪問が困難な先方の事情があるわけですから。私たちとしても負担であることは事実です。まずその点を申し上げたいと思いました。
李南周 もっとおっしゃりたいことはおありかと思いますが、そこまでにされるのですね(笑)。南北間の信頼と関連して、最近、意外な事件が一つありました。北の「超大型放射砲」発射に対して、大統領府が強い遺憾の意を表明しましたが、これに対して4月3日、北朝鮮の金与正第1副部長が、相当な詰問調のメッセージを大統領府に向けて発信しました。もちろんその次のメッセージは少し違った方向で出てきましたが。それを聞きながらどのような印象を持たれましたか?
任鍾皙 北朝鮮側の談話や個人の論評が出てきた時、私が一番最初に感じるのは、表現が私たちの想像を越えることが本当に多いということです(笑)。
李南周 一つ紹介すれば、「怖気づいた犬ほど騒がしく吠える」と言いました。
任鍾皙 私は、北朝鮮側が意味ある立場を表明する時は、表現により気をつけるべきだと思います。対内的な表現でなく、外交的な慣例と国際的な通念を考慮すればいいと思いますが少し残念です。北朝鮮側の表現で特異なもの以外で見るならば、結局こういうことでしょう。「いや、あなた方は私たちよりもっとひどいのに、なぜ私たちが自分たちの軍事訓練をするのを、ああだこうだと指示するのか、あなた方は軍事訓練をして、新兵器で武装しておいて、私たちはボケっと座っていろとでも言うのか」――と、このような感じでしょう。私はこの際、この問題を整理する必要があると思います。北朝鮮が核兵器を開発したり戦略ミサイルを実験・生産する問題と、在来式の兵器を開発して訓練・試験する問題は、確かに区別するべきだと思います。私たちも年中訓練して、国防科学研究所でずっと新兵器を開発しながら、基本的に一国家として安保に対する自強能力を保有するために努力します。多様なミサイルも試験発射しています。また最近、新兵器も多く輸入しました。90年代後半の金大中大統領の「国民政府」スタート以来、国防費が一番急増したのは、1位が盧武鉉政権、2位が文在寅政権です。北朝鮮は私たちより小規模の訓練をしたり、またはある種の在来式兵器を改良し生産して、それを試験したりすることを、自衛権の問題として考えると思います。なので、私たちも一度整理すればいいということです。トランプ大統領のスタンスがぴったりだと思います。シンプルです。「小さな兵器? それはどこの国にもある、問題にしない」――これがトランプ大統領の一貫した姿勢です。ですが、私たちは、北朝鮮が在来式の兵器を試験発射するたびに、ある種の慣性かつ習慣のように反応します。とりわけ統一省が率先して立場を表明することではありません。国際社会が憂慮して禁止する一定水準以上のものになることを阻止しようとしているのであって、北朝鮮が自ら必要な安保状況に措置することまで、私たちが問題にしようとすると、むしろ問題を解決することができません。金与正副部長が言ったというのは、北朝鮮がとても重要なメッセージとして出したわけです。
環境が作れないことに責任持つべき
李南周 あらためて時期を遡って話してみたいと思います。2017年から18年まで情勢が急変しましたが、それを可能にした要因が何であったか、知りたいと思っている人々が相変らず多いと思います。韓国政府は自らの主導的役割を多く語り、一部では制裁が強くなったので北朝鮮が出てきたのだとも言います。北朝鮮側が非核化や南北関係の改善に対する意志があるからではなく、強制的にそうなったのだというような解釈です。2018年4月の首脳会談までの情勢が作られた重要な原因は、どこにあるとお考えですか?
任鍾皙 私は基本的には、韓国で政権が交代したのが最大のモメンタムだと思います。文在寅大統領が確固たる意志を示し、また北朝鮮側にそれを多様に伝えました。北朝鮮側の立場でも過去10年とは異なるように、6・15宣言(2000)および10・4宣言(2007)を継承しながら、これをさらに発展させようと考える文在寅政権になった時に期待を持ったのは、あまりにも当然だと思います。なので、北朝鮮側もより積極的に出てきましたが、これを見ると、問題を解決する方向で環境が作られれば、北朝鮮もそうしようとするのだということです。結局、複合的なものだと思いますが、ですから、制裁が強くなったので窮余の策に出たと見るのは、問題をとても単純化するものだと思います。
李南周 その時期に何かが可能だと考えられるようになった、重要な転換点や契機はどのようなものだったでしょうか?
任鍾皙 私が申し上げたいことの一つですが、北朝鮮が核を放棄しないと言ってくるとすれば、私たちが北朝鮮に対して制裁も加え、敵対政策を展開することもあるでしょうが、根本的に問題を解決すると言っているのに、その環境を作れずにいるのは、とても残念なことで、相応の強い責任感を持つべきだと思います。その原因が何であっても、少なくともこれほどに発展した大韓民国の国力と水準ならば、北朝鮮が本当に核を放棄して経済発展に進むという時は、この問題を解決しなくてはなりません。4・27首脳会談を1週間前に控えた4月20日に、北朝鮮が朝鮮労働党中央委員会の全員会議を開き、金正日体制から始まり、金正恩委員長本人も政権就任後の2013年に再確認した、核・経済並進路線の公式廃棄と経済建設総力集中路線を宣言します。歴史的な4月27日の首脳会談を目前に控えて、すでに前もって措置するというのです。会談をやって話を聞いてからやるというのではなくてです。そればかりか、豊渓里(プンゲリ)核実験場も閉じ、東倉里(トンチャンリ)発射台も解体し、核実験とICBM(大陸間弾道ミサイル)の試験発射も中止するなど、このようなことをみな公開的に明らかにしました。何かの声明でもなく、朝鮮労働党中央委員会全体会議を通じて決定して内外に公表したのです。ですから、4月27日の首脳会談で金正恩委員長が自らその意志を文大統領に明言したので、大統領もこれは何かできそうだと考えてものすごい努力を傾けました。さきほど申し上げたように、一次的には米朝間に成果が出るように努力し、そのために南北間の信頼を維持するための様々な措置を同時にやっていったのです。
話が出たついでにもう一つ付け加えれば、北朝鮮が本当に核を放棄するのかということが相変らず言われます。ですが、私がとても印象的だったのが、成果がなかったハノイ会談以降に北朝鮮が示した姿でした。金正恩委員長がハノイまで65時間、汽車に乗ってやってきました。残念でもあり、何か共感もしたのが、シンガポールの時のように中国の世話になるのがいやで、汽車であの遠い道をやってきたのです。ですが結局うまくいきませんでした。金正恩委員長の立場では予想外の状況を迎えたわけです。寧辺(ヨンビョン)の核施設解体を提示しましたが、私は事実、ここを解体すれば、いわゆる復帰不可能な過程が始まると考えます。もちろん残るものはあります。ウラニウムの核施設もあり、一部の研究施設も残るでしょうが、豊渓里を閉じて東倉里を解体して、そのうえ寧辺まで放棄するとすれば、一度にみな完成されるわけではないにしても、明確に復帰不可能な重要な地点に至るにもかかわらず、アメリカがこれを受け入れませんでした。会談が終わってトランプ大統領が記者懇談会を開きましたが、その要旨は、北朝鮮が相当数のプログラムを非核化する準備ができているものの、それがすべての非核化ではない、北朝鮮は対北朝鮮制裁の完全な解除を望んだが、アメリカはそれを聞き入れられないというものです。ポンペオ長官がまた言いました。寧辺の核施設を解体するといっても、その他の施設が残っている、北朝鮮は基本的に全面的な制裁解除を要求した。ここで本当に異例の、北朝鮮の李容浩(リ・ヨンホ)外相と崔善姫(チェ・ソンヒ)副首相が、翌日、ただちに現地で記者会見をします。それが私には非常に印象的でした。当然、金正恩委員長の現場指示によってなされたはずですが、北朝鮮がどれほど真面目にこの問題を解決しようとしているのかがその会見にあらわれていたと思います。会見時の話では、北朝鮮が要求するのは全面的な制裁解除ではないといいます。国連が2016年から17年まで6件の制裁を決議しましたが、その一つは個人と企業に対するもので、残りの5件のうち民需経済と人民生活に支障を与える一部の問題をまず解除しろというものでした。それに相応して寧辺を放棄するという趣旨だったと説明します。事実、私たちはこのくらいは可能だろうと期待しました。北朝鮮に対する制裁というのは2006年から17年まで11件ありますが、2016年以前までは北朝鮮の核や戦略武器、ですから、国際社会の立場から見れば、不法な行為を制裁するというもので、16年から17年の間に加えられた規制は、北朝鮮自体を不法な存在と規定し、経済活動を完全に封じ込めるというものでした。ですから、この後半のものを緩和すれば、自分たちも復帰不可能な地点に入るという条件だったのですが、これを作り出すことができないのです。とても残念です。少なくとも北朝鮮がハノイに行って何を与えて何を受け取ろうとしたのか、明確に確認できましたが、そのことまで疑って要求の水準を高めるならば、問題を解決することができません。個人の意見で誰かが言ったわけでなく、北朝鮮の最高指導者が現場にいながら、外相と副首相がこのように発表したわけです。ですから、私は、北朝鮮が現在のこの方向を断念しないようにするべき責任が、私たちにあるということです。
結局、私たちの役割が重要
李南周 米朝関係が膠着したことがハノイ会談を経て明確になりましたが、事実、4月27日に板門店宣言をして、夏を過ぎた局面から米朝対話がデッドロックに乗り上げました。その状況で平壌首脳会談(2018.9.18~20)が結局開かれますが、その時も、私の理解では、南北首脳会談に多少懐疑的な雰囲気が韓国側の内部にありました。ですが、とにかく平壌に行ったこと自体が、北朝鮮とアメリカの会談が膠着した状態において、私たちが私たちの力で解決しようという、ある種の動力を作ろうという意志の表明でしたし、あの会談で9・19南北軍事合意も成し遂げられました。あの時はどのようなお考えでしたか?
任鍾皙 おっしゃった通り、ハノイ会談の前に、すでにアメリカ内にいろいろな違和感と反対が感知されました。それを南北朝鮮が直接の当事者としての主導力を高めて、モメンタムを維持し、ハノイで成果を出そうと最善の努力を尽くしたんです。平壌宣言の前に南北間でかなり多くの実務接触がありました。特に連絡事務所の設置と軍事合意書のための会談を数多く行いました。その過程でアメリカとも絶えず連絡を取り合いました。重要な時期には鄭義溶室長が1か月のうち20日以上を、ボルトン(J. Bolton、当時、アメリカ国家安全保障会議補佐官)と通話したようです。そのような努力のおかげで牽引していくことができたんです。韓米連合軍司令部のブルックス(V. Brooks)前司令官がかなり合理的かつ協力的なので、私たちが期待したよりはるかに意味ある軍事会議が成立したこともありましたが、そのような成果がまさに進められている時、おもしろいことが一つありました。ステファン・ビーガン(Stephen Biegun)がその夏にアメリカ国務省対北朝鮮政策特別代表に任命されましたが、かなり圧迫を加えます。言ってみれば、自分がまた業務を把握して「OK」するまで「オールストップ」しろというのです。私たちとしては受け入れにくいことでした。アメリカと相談をしてこなかったのならわかりませんが、韓国大統領府とホワイトハウスの間に首脳を除いた最高位級でやりとりがあり、ここに韓米連合軍司令部とほとんど毎日のように話し合いながら作ったものを、特別補佐官が1人任命されることで状況をストップさせることはできないでしょう。あのときの私たち韓国側の内部の姿が、私たちが克服すべき地点なのかもしれません。外交省はストップ、統一省もダメ……大統領府でも、話が後退するほど、一部では負担に思われたようです。それで私が大統領に報告し、大統領が連絡事務所の設置と軍事合意に関する南北間の合意事項を承認して進めたのです。印鑑を押したんです。ビーガンが入ってくる前に。
李南周 それが終わってビーガンが入ってきたのですか?
任鍾皙 サインして2日後だったかに韓国に来ました。本人が来る時までストップしろというのを私たちが聞き入れなかったわけですが、もちろんその次は重要な人なので十分に礼遇しました。安保室長が会い、その場に大統領がしばらく立ち寄って激励もしました。北朝鮮にとってもこの人は重要な人物だ、トランプ大統領がこの問題を解決しろと特別に任命した人物だから、この人物は成果を出そうとするだろうと言いました。とにかく私がその時、私たち韓国側の関係部署の様子を見て、南北間で何かを推し進めるためには、私たちが必ずや克服すべき態度であると感じました。私が当時、関連の公務員に何度か話したことがあります。なぜこのように韓米同盟を軽く見るのか、韓米同盟はみなさんが考えるよりはるかに強い、私たちがこう判断して進めるからといって韓米同盟が揺らぐことはないから、心配せずにやってくれ……それでも大変です。アメリカで、私たちで言えば局長級や室長級にもならないといえば、私たち韓国側は部署全体が何の決定もできない今のような態度では、私たちがさらに役割を果たすことは困難です。
李南周 南北朝鮮の関係発展と韓米同盟をともに進めることはできないという見解は、進歩と保守の双方に存在します。一方では南北関係のためには韓米同盟が破産しなければならないという主張があり、他方では韓米同盟のためには南北関係がそこに従属すべきであるという主張があります。今のお話しは互いに衝突せずに進めることができるということですか?
任鍾皙 当然です。破産してはならず、破産することもないということです。韓米同盟は数十年を続いてきた全方向的な同盟です。そして今、私たちが南北朝鮮の間でやろうとしていることは、国際的な同意も受けているもので、実際に議論すればアメリカも否定できないことです。アメリカの立場でも窮極的に自らが望む結果を得ようとするなら、私たちがさらに役割を果たすべきです。そのために私たちが決定し執行する水準を高めるべきだということです。私が総選挙以降、文在寅政権後半の2年間に何か成果を出すために必ずや解決すべき課題として強調したいのが、この対談の冒頭で申し上げた、私たちのこのような姿勢です。文在寅大統領もこれを克服するという意志を確固としてお持ちです。私が大統領府にいたとき何度かこのような問題で報告するたびにそうでした。ただ、ハノイ会談を目前に控えて一部を留保したことはあります。何かを作り出すためにです。ですが、もし今年も米朝間に進展がないならば、アメリカと十分に連絡は取り合うものの、一部否定的な見解があっても、仕事を作って進めようとされるでしょう。今、この態度が一番重要です。そのためにはいくつか実務的に変えるべき課題もあるんですが、今後、国連の制裁を積極的に解釈することを、政府のレベルでやらなければなりません。制裁の状況でもできることはたくさんあります。
積極的な解釈と実行が必要
李南周 去る4月27日の首席補佐官会議でも、大統領が国際的な制約のために困難に陥った客観的な限界の中でも、私たちが現実的に少しずつ進むよう努力するという話をしました。それと関連して、どのような方式であっても一歩進むことのできる方案について、お話しをお聞きしたいと思います。
任鍾皙 基本的には南北朝鮮の間ですでに合意した4・27板門店宣言の精神、また9・19平壌宣言で合意したことなどを、私たちが実現できるように最善を尽くすのが重要です。そうしてこそ私は北朝鮮も反応するだろうと思います。その信頼が高まらなければ、私がさきほど申し上げた、首脳間の日常的な出会いや国際社会を説得するための作業にならないということです。いくつか例をあげてみます。今でも人道的な協力事業は可能です。ですが、このように少しずつやるのではなく、全方向的にやる必要があります。中央政府だけでなく、地方自治体の力も活用するといいと思います。私たちの地方自治体の首長の中で積極的な方々は多数います。現在このように経済制裁が集中していますが、北朝鮮に必要なもの、たとえばダイズ油やビニール薄膜の事業のようなものは、日常的に季節ごとに協力しようというものです。中央政府が持っている協力基金もあり、広域団体や地方自治体も一定規模以上の能力と意志があると思います。そしてすでに大統領が明らかにされましたが、観光は積極的な解釈を通じて果敢にやるべきです。北朝鮮の元山(ウォンサン)と韓国の雪岳(ソラク)地区をつなげるべきです。今回、東海(日本海)北部船をつなげると韓国政府が発表しましたが、このような仕事も当然です。それだけではなく、京義線の作業でも、すでに合意した山林協力でも、私は可能だと思うんですが、制裁に対する解釈で行き詰っています。アメリカは制裁の判定基準を越境して適用します。物資が移れば無条件制裁の対象かどうかを判断して規制しようとします。話にならないことです。制裁精神はそのようなものではありません。移転の基準でなければなりません。制裁物品を移転すれば国際社会のルールを破ることなのでダメですが、単純に行き来するのを制裁対象と見るべきでしょうか。今、アメリカはずっと私たちにそのように要求していますが、私は、私たちが積極的な解釈を通じて国際社会の世論を喚起させ、アメリカを説得するべき問題だと思います。アメリカがそのように言うからといって、「ああ、そうですか?」という問題ではないということです。それでは何もできません。この問題を私たちが解決すれば、山林協力でも鉄道・道路連結でも進められます。基本調査を進めて双方が計画を立案だけでも相当な時間がかかるでしょうが、しかし、着手すれば双方が実質的な協力段階に入ることができるということです。鉄道・道路もかなり現実性のある執行直前の段階まで進めることができます。そのようにして、核の問題と制裁の問題を解決する努力を同時に進めるべきであって、今のように制裁をきわめて防御的に解釈していては、絶対に南側が主導的な役割を果たすことはできないということです。国連軍司令部も同じですが、話にもならない越権を行使しようとします。通過するのを確認さえすればいいのに、通過させる否か、何か権限でもあるかのように……はやく正常化すべき問題です。もう一つ、私が実務的に必ず克服できたらと思うのは、韓国とアメリカ政府が南北協力、そしてそれに伴う対北朝鮮制裁の関連懸案を調整するという趣旨で運営しているワーキンググループから、統一省は除外されるべきです。それは対北朝鮮協力の主務部署としての統一省にとって毒になります。統一省のためにもあそこには出ない方がいいと思います。
李南周 調整するという趣旨で運営を始めたワーキンググループが、事実上、南北交流事業にブレーキをかけるように機能しているという批判がかなり提起されました。統一省が最近、一度出席しないことがありました。
任鍾皙 一度そうしたことがありましたが、また復帰したと聞いています。正確にいって韓国政府の公式の立場を先方に伝えて行かなければなりません。調整は基本的に国務省と外交省がやります。統一省はそこからは退いて、はじめて南北協力の主務部署としての役割を果たせるのであって、統一省が実務水準で制裁決議に対する厳格な、場合によっては過度な解釈を前面にかかげるケースが多い、そのようなワーキンググループに入っていても、いったい何ができるでしょうか? ここまで申し上げた課題くらいは、ただちに克服して進められると思います。これをやるからといって、韓米同盟が動揺するはずもないばかりか、北朝鮮が今のように核実験や戦略ミサイル生産・実験を留保するモメンタムを維持させるためにも必ずや必要なことです。これだけ見ても今年は可能なことがとても多いと思います。
李南周 私も南北関係で韓国が役割を果たすために一番重要なのが、おっしゃられたように、アメリカとの関係において私たちに可能なことを示すことだと思います。もう一つ加えれば、軍事合意の問題もありますが、軍事的な信頼構築が南北間に非常に重要で、今、韓国が国防費をかなり増加させています。これに対して市民社会側では相当な不満もあります。私たちが軍備を増加させながら、北朝鮮側にはそうするなという論理自体が成立しにくい側面があります。コロナ19事態の以降において、私たちがいずれにせよ予算を調整しながら国防費を削減したわけですが、今後も経済的に相当な、もしかしたらより大きな危機が来るでしょうし、全世界的にもそのような問題があって、この際、私たちが軍備を管理しながら、北朝鮮がミサイル相互中断の局面をずっと維持できるようにする、信頼構築のプロセスを始めるべきではないかと思います。
任鍾皙 全面的に共感します。盧武鉉政権と文在寅政権で国防費が急増したことには、戦時・平時作戦権を正常化する問題とともに政治的な理由も作用しました。私はこれを合理的な水準で制御する方法も、また、今日、申し上げた内容と関連すると思います。首脳たちも常に会うべきですが、軍当局者らもそうするべきです。軍事合意書でかなり意味ある内容を合意して、そのために軍事共同委員会を構成することにしましたが、今、うまくいっていません。日常的な出会いができれば、お互いの間に必要な情報でも交流できるでしょうし、さらにはお互いの訓練も参観できるでしょう。こうなれば、まず保守陣営の情緒を勘案すべき政治的な要素は解消されるだろうと思います。
李南周 6・15宣言できわめて重要な合意が統一方案についてのものです。「南と北は、国の統一のための南側の連合制案と北側の低い段階の連邦制案が、互いに共通性をもつことを認め、今後、この方向で統一を指向させていくことにした」(第2項)。文在寅政権で進められた北朝鮮との対話が多かったと思いますが、統一方案と関連して進んだ議論や状況はいまだ作られていません。6・15のこの条項が、今でも北朝鮮との関係発展に相変らず有用か、あるいはそこにどのように考慮すべき事項がさらに反映されるべきかなど、統一方案についてどのようなお考えをお持ちですか?
任鍾皙 私が考える方案というものが別途存在するわけではなく、あの時の合意は明確に意味がありました。ですが、私たちが今、やるべきなのは、事実上の統一、過程としての統一を管理することだと思います。私は、場合によっては、統一の話を後回しにしても関係ないと思います。統一方案に対する議論を、今、懸案として持ち出すことが、私はそれほど実用的ではないと考えます。ただちに結論を出すことはできない話です。
李南周 昨年1月に金正恩委員長が新年辞で統一方案の必要性を提起しただけに(「北と南は、統一に対する全民族の関心と熱望が前例なしに高まる今日のいい雰囲気を逃さずに、全民族的合意に基づいた平和的な統一方案を積極的に模索するべきであり、その実現のために真剣な努力を傾けていくべきでしょう」)、状況が進展すれば、この問題がまた浮上することもありそうです。また南北協力が進展すれば、これを安定的に管理し発展させるガバナンスが必要になるでしょう。一部では、開城(ケソン)の南北共同連絡事務所の運営、定期的な首脳会談、軍事共同委員会をはじめとする各共同委員会の稼動などで、事実上、南北連合が始まるという主張もあります。
任鍾皙 南北協力が強化されれば、自然に提起されるでしょう。私は今は学界で議論する程度がいいという立場です。
任鍾皙 私は今、北朝鮮側の構造をすべてわかっているわけではありませんが、北朝鮮で、政府間交流ではないが完全な民間でもない、「1.5トラック交流」を管理する責任が、北朝鮮の朝鮮アジア太平洋平和委員会にあるのではないのかと思います。そこで金英哲(キム・ヨンチョル)委員長(朝鮮労働党副委員長)が北朝鮮側の最高指導部と信頼関係にあるので、私はできることなら、この委員会や金英哲委員長らによく会えるようにして、1.5トラックで南北間の協力を支援する役割を果たしたいと思います。私は、出馬はしないものの、こうしたことを象徴的に統一運動であると言ったのですが、政治に関する限り、私の悩みはこのようなものです。南北朝鮮の問題におけるある種の変化とともに、政治的役割があれば、それをやるつもりだという考えです。それが制度政治であるべきだと言われれば、率直にご説明申し上げて、それをやることになるでしょう。ただ、そうではない条件で、一般の制度政治にずっと身を置きたいという考えはあまりありません。なので当分は民間領域で信頼関係を積みながら、1.5トラックの線で政府間の疎通を支援し、民間分野でも実質的に協力できるような仕事をしたいと思います。最近、私たちの財団の職員たちが、志ある韓国の地方自治体をかなり回っていて、小さいですが人道的な協力事業も行うなど、7、8つほどの事業を展開しています。
李南周 とにかく南北関係の発展と関連した役割の範囲内で考えるということですね。
任鍾皙 そのようなことをもっとうまくやるために、政治的な役割が必要ならば、それは私も拒むつもりはないという、そのような状態です。そしてもう一つ必ず付け加えたいのは、盧泰愚(ノ・テウ)政権が1992年に南北合意書を締結して、ロシア、中国と国交を回復し、北方政策(対共産圏外交)を進めた点に注目し、高く評価します。非常に立派に時代の変化に対応したと思います。残念だったのは、結局、その政策の核心が朝鮮半島の平和体制の構築と南北協力にあるにもかかわらず、北朝鮮を孤立させる方向に道を誤ったという点です。南北の人口を合わせれば8000万、中国の東北三省が1億1000万、ロシアの極東地域が600万です。算術的な人口規模を越えて、経済的に無限の潜在力を持った地域でもあります。この地域を一つの経済圏として構想する大胆なビジョンが、今。私たちにとって必要です。ここに大韓民国と私達の子供たちの未来がかかっています。
協力事業のための「1.5トラック」における役割
李南周 先生をせっかくお迎えしたので、個人的な状況と関連した質問も差し上げます。昨年、総選挙不出馬を宣言して統一運動を行うとおっしゃいました。室長のこれまでの活動を勘案するならば、突然の宣言ではないとも言えますが、政治家としてのイメージが明確な状況において、統一運動を始めるというと、意外に思われる人々も多いと思います。構想されている統一運動は、市民社会で考える統一運動とは少し異なりうるとも思うのですが、どのような活動をお考えですか?
任鍾皙 以前、活動した南北経済文化協力財団(「経文協」)に理事長として復帰しようと思います。私は2000年に国会議員になりましたが、その時からも私は南北朝鮮の平和と共同の繁栄を、宿命のように、使命のように考えてきました。2003年に南北交流のためにチャーター機で平壌を訪問しました。その準備のために事前に金剛山に行って、酒宴で勝負もしてきました(笑)。 250人ぐらい行きましたが、仁川空港のゲートで「ソウル・平壌」の表示が出ているのが、その時は本当に感激的でした。その後も何度か平壌を訪問しました。韓国の飛行機でも行って、高麗航空が仁川空港にやってきて、それに乗って行ったりもしました。そのような活動の結果として2004年に経文協を作りましたが、その趣旨は6・15宣言と関係しているのです。政府間の関係がよくない時は、民間部門の社会的交流や経済協力を政府がいちいちつなぐことができません。なので、私たちが南北をつなぐ信頼の橋頭保を一つ築くというものでした。経文協が北朝鮮側のカウンターパートナーと確固たる信頼を積んで、経済協力、社会協力をしようと考える人々をつないで、成果が出るようにするという考えでした。とても小さな事務室でしたが、敷居がすり減るほどに人が多数出入りしました。一度などは現在、韓国の卓球女子監督をつとめる玄静和(ヒョン・ジョンファ)さんが来て、北朝鮮の李粉姫(リ・ブニ)選手に会いたいが、どうしたらいいかと聞かれたこともありました。政府ができないことが多かったんです。なので、そのような過程で、私たちが、持続的で制度的な協力事業になるだろうと思って、一番最初に手を付けたのが著作権事業なのですが、今でも南北間に両政府が承認して制度的に成立している唯一の事業です。北朝鮮側とのすべての著作権契約は、経文協を通じてやることになっており、放送局も朝鮮中央放送に対して、普通、1、2年過ぎてから契約を更新しなければなりませんが、経文協を通じてやらなければ、画面を使用することはできません。なので、李明博・朴槿恵政権で私たちにかなり圧力を加えながらも、完全に組織をなくすことはできなかったのでしょう。今は知的財産権全般に拡大する段階まで議論されています。その他にも北朝鮮側の人材育成を支援したり、社会各分野で行き詰っている事業の再開を支援するなど、できることをやっています。北朝鮮が最近、統一省だけでなく、民間分野に対してもまったく反応せずにいますが、深い戦略的な検討に入っていると考えるべきでしょう。それでも唯一、私たちとは大小の仕事を進めていて、やはり信頼が重要だということを考えます。
李南周 読者のみなさんも、そのような過程を聞けば、統一運動をやるとおっしゃったのが突然のことではないと感じることができます。具体的にどのようなな形で仕事を進めるおつもりですか? 相変らず政治との関係を気にするケースも多いようです。
任鍾皙 そのようなことをもっとうまくやるために、政治的な役割が必要ならば、それは私も拒むつもりはないという、そのような状態です。そしてもう一つ必ず付け加えたいのは、盧泰愚(ノ・テウ)政権が1992年に南北合意書を締結して、ロシア、中国と国交を回復し、北方政策(対共産圏外交)を進めた点に注目し、高く評価します。非常に立派に時代の変化に対応したと思います。残念だったのは、結局、その政策の核心が朝鮮半島の平和体制の構築と南北協力にあるにもかかわらず、北朝鮮を孤立させる方向に道を誤ったという点です。南北の人口を合わせれば8000万、中国の東北三省が1億1000万、ロシアの極東地域が600万です。算術的な人口規模を越えて、経済的に無限の潜在力を持った地域でもあります。この地域を一つの経済圏として構想する大胆なビジョンが、今。私たちにとって必要です。ここに大韓民国と私達の子供たちの未来がかかっています。
2年以内に意味ある進展を
李南周 南北朝鮮の関係転換のためにいろいろと仕事が多いだろうと思います。特に様々な理由で、今年から来年までがかなり重要な局面とされています。ひとまず総選挙を経て、韓国は体制を整える条件ができていますが、外部の環境を見ると、アメリカでも大統領選挙があり、世界的にはコロナ19の問題もあって、なかなか容易ではありません。
任鍾皙 今年も米朝間に進展がなければどうするかという悩みを、政府でも民間領域でも非常に深く、しかし早くやって、私たちのできる最善の案を絞り出さなければなりません。そうしなければ、私は文在寅政権の残りの2年間にも、何もできないのではないかと思います。アメリカ大統領選挙がどうなるかもわかりません。特にアメリカは、大統領選挙が近づけば、新しい事業に対する議会の牽制が強くなるので、今年の前半期がこのまま終わってしまえば、トランプ政権の中ですら容易ではないこともあります。トランプ大統領が再選しても、民主党が政権を奪還しても、米朝関係には変数が多いと思います。私たちが無数に経験したようにです。そのためにアメリカが積極的に問題解決に出ざるを得ない環境を作る役割は、結局、私たちにあるという考えを、確固たるものにしなければならず、さらに多様な方法について検討するべきです。南北間に対して北朝鮮も考えを変えるべきです。いつまでにアメリカと結論が出なければストップするのか、北朝鮮も真剣に悩むことを私は望んでいます。本当に非核化と経済集中へ進むことが、アメリカと合意しなければできないことなのか、少し違う角度で考えてみようということです。私たちも少し違うことを考えて、北朝鮮もそうするのです。もちろん限界はあります。厳格にアメリカ中心の国際制裁が喉元まで来ているんです。しかし、それを緩和せざるを得ない環境も、私たちが作るべきだということをを、少し考えればいいと思います。そしてその過程で、アメリカだけでなく、中国やロシアも相当な役割ができますが、私たちがそれを活用できずにいます。このような国際的関係を活用することまで含めて、断固たる私たちの決意が必要だということを、言い換えれば、米朝間で解決できない時、私たちが何をするべきか悩まなければならないということを、今日の話題としてもう一度強調したいと思います。
李南周 今日の対談を通じて、私たちが置かれている状況と、どのような姿勢でこの状況を突破していくかについて、率直なお話しを伺えたかと思います。読者を代表して感謝申し上げます。最後に、この時点で金正恩委員長にお会いになるならば、どのような話をしたいかについてお聞きして、この対話を終えたいと思います(笑)。
任鍾皙 特使として行けば会うことができるのか、可能性のある問いかわかりません(笑)。板門店で首脳会談をする時、私は主として聞く立場でしたが、偶然、金正恩委員長に話しかける機会があり、その時かわした話があります。その話を最後にしましょうか。「文在寅大統領の任期内に必ず一緒に成果を出して下さい」。文在寅政権の残りの2年内に、きわめて意味ある地点まで、南北関係のある種の主導力を通じた協力の進展が、できれば不可逆的なある地点まで、文在寅大統領と金正恩委員長の協力と決心で、成し遂げられればいいという話でした。今の気持ちはその時のその話とまったく同じです。(2020.4.30/創作と批評社細橋ビル)
〔訳=渡辺直紀〕
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