창작과 비평

[現場] 天安艦、まだ引き揚げられていない真実 / 李泰鎬

 

創作と批評 193号(2021年 秋)目次

現場

 

天安艦、まだ引き揚げられていない真実

 

 

李泰鎬

参与連帯平和軍縮センター所長。共著に『封印された天安艦の真実』『変革的中道論』などがある。

 

 

   最近転役して、天安艦事件(韓国哨戒艦沈没事件―訳者)の生存将兵らが経験した苦痛を証言しているチェ・ウォニル元艦長の積極的な活動を契機にして、11年前に沈没した天安艦問題が再び社会的議題として浮上している。生存将兵らの苦痛に共感し、治癒のために連帯しながらも、天安艦沈没に対する問題提起を続けていくための公論の場を期待しながら、本稿を書く。

 

1.天安艦、生き残った者の苦痛と真実探し

 

   キャンドル革命によって政権が交代された直後の2018年、ハンギョレは「天安艦、生き残った者の苦痛」という企画連載を通じて天安艦生存将兵らの苦痛を伝えた。記事は、高麗大学保健科学学部のキム・スンソプ教授研究チーム(キム・スンソプ、ユン・ジェホン)が4か月間行った「天安艦生存者の社会的経験と健康実態調査」を取り上げた。それによると、「『心的外傷後ストレス障害(PTSD)』の診断を受けたり、診断後治療を受けた生存将兵は、調査対象24名のうち、21名(87.5%)に達した」[1.「天安艦生存将兵のPTSD、イラク参戦米軍の7倍…『酒・薬なしでは眠れない』」『ハンギョレ』2018.7.15。] 。これは、イラク・アフガニスタン参戦米軍の7倍に当たる割合である。転役者21名は、精神疾患を全額私費で治療しなければならなかった[2.「『敗残兵』『ひとり静かに死ぬ』…軍隊も彼らの味方ではなかった」『ハンギョレ』2018.7.16。]。

   調査を行ったキム・スンソプ教授は、生存将兵の言葉を引用して「軍隊はレッテル貼りをし、保守は利用し、進歩は無視した」と言いながら、セウォル号からの生存生徒らと天安艦の生存将兵らの傷を記録する作業を行いながら発見した共通点について次のように診断した。「それは、トラウマを経験した被害者に対する韓国社会の脆弱な実力が露わになった事件であるという点と、その被害者の苦痛を嘲弄する陣営論理の暴力性と惨さが明らかになった事件という点でした」[3.「生還したという理由で侮辱される天安艦の生存者たち」『ハンギョレ』2021.6.6。]。

   キム・スンソプの診断に共感する。私も過去7余年セウォル号惨事の被害者家族とともに、真実の究明と完全な治癒のために活動してきたので、その暴力が何を意味するのか少しながら推測することができる。そして、韓国社会の脆弱な実力と陣営論理の暴力性が作動する文脈と構造に注目する必要があると思われる。それは、真空状態から生じたものではなく、分断体制と安保国家の暴力性に因るものだからである。

 

セウォル号と天安艦に差された分断体制の影

 

   セウォル号惨事においても分断体制や安保国家の暴力性は例外なく表れる。セウォル号の被害者による真実究明活動は「死体商売」として描写され、これに連帯する人たちは「セウォル号パルゲンイ(アカ―訳者)」と呼ばれたりもしたが、そこには保守団体だけではなく、国家権力からの支援があったことが明らかになった。被害者家族を非難する集会に西北青年団再建準備委員会が参加し、脱北者組織が動員された。国民を保護する義務を放棄した国家は、国家安保室は「災難コントロールタワー」ではないと責任を回避した。しかし、被害者家族のすべてを査察し、監視することにおいては、機務司(国軍機務司令部―訳者)、国情院(国家情報院―訳者)、法務部と検察、警察の情報組織、さらには文化体育観光部等の国家権力をも総動員した。海軍、国情院、青瓦台(大統領府―訳者)のセウォル号関連記録と情報は依然として国家機密あるいは軍事機密という理由によって公開されていない。

   天安艦沈没事件の場合は、セウォル号惨事の時よりもいっそう直接的で激烈に分断体制の実体が露わになりつつある。天安艦が北朝鮮の魚雷攻撃によって爆沈されたという政府の調査結果を導き出すまでの過程は、公開されないあらゆる軍事機密によって隠されている。この事件の重要な特徴は、爆沈の張本人として名指しされた対象が休戦線(北緯38度線―訳者)の向こうに存在するという点である。北朝鮮に結果的に有利な質問や提案をしようとする人は、誰でも大きな負担を持つようになっている。それにもかかわらず、政府の調査に合理的な疑義を呈するのは、北朝鮮を追従し、あるいは北朝鮮が全く信頼できないからではない。他者、とりわけ敵対的他者が名指しされた事件を扱う際、韓国社会の様式、公正性と比例性、問題を解決する民主的・平和的力量、そして何よりも真実が検証されることになると思われたからである。他者に対する一方主義は、結局私たち自身を攻撃し、最終的には韓半島(朝鮮半島―訳者)での共存を危うくさせ得ると考えられるからである。分断と敵対の長い経験から北朝鮮または「北傀」に関する問題に対しては、国際社会の中立的行為者らよりも、私たち自らが簡単に北朝鮮に責任を転嫁し、それがまた新しい葛藤の悪循環へとつながる状況を目撃してきた。

   実際、天安艦事件において政府が提示した「決定的証拠」に対して問題を提起したり、北朝鮮の魚雷攻撃という政府の推論に合理的疑問を提起する人たちは、陰謀論者、親北勢力と罵倒されることに耐えなければなかった。数多くの人々が、国家権力が自身を狙っているという恐怖を経験し、結局その恐怖が杞憂ではなかったということを現実において確認したりもした。多くの人々が、政治的・社会的・経済的脅迫と国家権力の「対国民心理戦」攻撃に苦しめられた後に、職場を失ったり、告発されたり、起訴された。高位公職人事聴聞会場では、例外なく天安艦爆沈を「信じるのか」という問いに答えなければならない隠れキリシタンが強いられた。

 

敗残兵と非国民

 

   このような状況下で、国民は両者択一の圧迫に追い立てられる。一つは、軍事安保当局が取捨選択して公開するいくつかの短辺的な諜報や北朝鮮ならいくらでもあり得るという、検証されていない社会的・政治的通念によって、北朝鮮がしただろうと信じることである。それとも、事件に対して持続された大小の発言の変更や、確率的にも稀な連鎖的な「ミス」、またはこうしたことで、国家権力に政治的に利用されてきた経験則によって政府の発表を信じないことである。これもあれも選択し難ければ、すでに相当数の国民がそうであるように、北朝鮮の仕業とは思うものの、政府の発表は信じられないという判断の中立地帯を選択する。

   天安艦生存将兵が経験しなければならなかった苦痛も、相当の部分は天安艦事件が置かれているこのような構造的暴力と不条理から派生されたということができる。国家権力が安保論理を掲げて情報を隠し、さらに操作までしながら合理的討論を封鎖するため、言葉を失った市民が軍に警戒失敗の責任でも問わなければ、と見守る雰囲気が形成される。生存将兵らは「英雄」として消耗された後、不都合な存在として忘れられたり、「敗残兵」として攻撃される。

   天安艦事件に作動するこうした暴力の構造を破るためには、まず政府が軍事機密という理由でまったく公開しなかった天安艦関連記録と情報を公開し、専門家や市民、天安艦生存将兵と家族が自由に討論し、質問できるように公論の場を開かなければならない。この討論の空間は、安全でなければならない。誰一人「敗残兵」や「陰謀論者」として扱われてはいけない。そうした安全な空間では、「誰の仕業なのか」「誰が責任を取るべきか」という問題だけではなく、犠牲者、生存者、そして分断体制を生き、また超えるべき私たちすべての未来のための、より価値的で豊富な討論を行うことができるであろう。

 

2.天安艦沈没事件の争点

 

 

法廷で行われた科学論争

 

   2010年5月20日、民軍合同調査団(以下、合調団)が記者会見を開き、北朝鮮のヨノ型の最新潜水艇が重魚雷を発射してバブルジェット効果で天安艦が沈没したと発表してから、誤謬に対する指摘を含めてあらゆる反論と問題提起が噴出した。各国政府もそれぞれ自国の立場を表明した。しかし、活発だった論争は同年11月の延坪島砲撃事件以後、深刻に委縮した。政治圏も言論も大半が沈黙する中で、ある程度維持されていた公論の場は、逆説的だが、国家権力が「陰謀論者」らを罰するためにあらゆる疑いで訴えることによって用意された法廷空間であった。科学的研究の多様な結果が紹介された所も、呼んでも応答しなかった軍の調査当局をたまに呼び出すことができた所も、傾いた運動場ではあったものの、すべて法廷だった。天安艦の法廷、とりわけ2010年8月に起訴されて以来最も長い間持続された「天安艦―申祥喆裁判」は、激しい検証の場だった[4.法廷で行われた討論に対して、裁判部がそれぞれ判決したという意味ではない。名誉毀損罪の判断のために、事実関係を確認する過程において行われた論争に対して、裁判部が如何に判断したという意味である。]。申祥喆サプライズ代表(民主党推薦の民軍合同調査団調査委員)が、金泰栄当時国防部長官等の名誉を棄損したという疑いで起訴されたこの裁判を含めて、過去11余年主に争点となったことをまとめてみると、次の通りである。

 

   ① 1番魚雷が北朝鮮製なのか。

   合調団が5月20日に「沈没海域から魚雷で確証できる決定的な証拠物として、魚雷の推進動力部分のプロペラを含む推進モーターと操縦装置等を撤去」したと発表して以来、「1番魚雷」に対する論難は引き続いた。合調団は、「この証拠物(魚雷推進体)は、北朝鮮が海外へ輸出する目的で配布した魚雷(CHT-02D)の紹介資料の設計図に明示された大きさと形が一致」すると主張した。しかし、軍は保有していると言った設計図を未だに提示できていない。軍が裁判法廷に提出したのは、その間公開してきた魚雷図面1枚、それも原本ではなく、証拠能力のないハングルファイル(HWP)であり、設計図ではなく概念図だった。さらに、大きさも一致しなかった。シャフトの長さは12㎝以上の差があり、図面のモーターと魚雷推進体のモーターとは模様も大きさも違った。それにもかかわらず、一・二審の裁判部は固定舵と方向舵の模様及び接合形態が一致するという軍の主張を受け入れた。「設計図面ではない、外部の数値を中心にした概念図」であるため、「魚雷内部の(…)推進モーターの諸元が図面と一致するのかを確認することは事実上難しい」と言った。裁判部の説明は、測定の結果、内部の部品の大きさが図面と画然と違ったけれど、外形が同じなので北朝鮮製と判断したという意味だが、そうであるならば、なぜ艦尾の形が同一のソ連製や中国製の可能性は排除したのかについては説明がない。ともかくすでに証拠能力を失った紙切れ―ハングルソフトを利用して描き直された可能性が非常に高い―をもとにして、一致如何を争うこと自体が意味のないことである。結果的に魚雷推進体が北朝鮮製なのかは全く立証されておらず、立証されたのは唯一「魚雷設計図」を持っていたという軍の嘘である。

 

   ② 魚雷の腐食程度が船体と類似しているのか。

   合調団は、国立科学捜査研究所等の専門家らが合同で魚雷発射体の鉄の部分と船体の鉄の部分の腐食程度を確認した結果、類似したものとして確認されたとし、1番魚雷が天安艦を爆破させたという仮説を正当化しようとした。しかし、分析主体だった国立科学捜査研究所のキム・ウィス博士は、船体の腐食を科学的に分析したことも全くなく、また肉眼で見て二つが類似していると話したこともないと否認した[5.「2018天安艦『追跡1番魚雷、天安艦の再調査を語る』」『ニュース打破』2018.4.13。]。控訴審裁判部も確認不可能だと判断した。

 

   ③ マジックペンで書かれた文字は爆発にも生き残れるのか。

   裁判所は、魚雷爆発直後20万気圧、3000度以上の高熱・高圧が発生するが、爆発後断熱膨張(可逆反応)する間、急速冷却されるので、マジックペンの文字が燃えない可能性があるというKAISTの宋泰鎬教授の主張を引用した。ところが、これは、魚雷スクリューペイントが燃えない可能性、魚雷推進軸が高熱に曲がらない可能性をすべて含んだものとして、1番魚雷が爆沈の証拠だという国防部の論拠を毀損している。1番魚雷のマジックペンの文字が燃えなかったのに、遠く離れたスクリューに「爆発材」というアルミニウムパウダーがどうやって吸着されたのかについても説明できない。宋教授は、実際「私はアルミニウムパウダーの吸着メカニズムはよくわからないが、高温によるものではないという点は確実にわかる」と主張した[6.「『学者らしく学会で最後まで討論しましょう』」『週刊朝鮮』2119号、2010.08.23。]。

 

   ④ 白色の物質は爆発材なのか。

   合調団は、艦首、艦尾、魚雷推進体から共通に発見された白色の物質が爆発材だと主張し、長い科学的論争を呼び起こした。イ・スンホン、ソ・ジェジョン、ヤン・パンソク、チョン・ギヨン等の科学者らは爆発材ではなく、沈殿物であるという科学的根拠を提示した。控訴審裁判部は、結局「合調団の吸着物質に関する調査結果を、それ自体では科学的事実として受け入れ難い」と判断した。

 

   ⑤ 北朝鮮の仕業であることを立証できる弾薬は発見されたのか。

   天安艦調査報告書は、天安艦沈没船体から微量のHMX、RDX、TNT等の弾薬成分を検出したとし、北朝鮮製魚雷がこの三つを混合した弾薬を使用したこととして結論付けた。しかし、軍は、魚雷推進体からはHMXを含めていかなる爆薬成分も発見することができず、艦尾からも同様であった。それにもかかわらず、一・二審裁判部は、「HMXは天安艦に搭載された武器体系では使用しない火薬」と言いながら、軍の主張を受け入れた。この判断は、調査報告書はもちろん法廷陳述とも一致しないが、調査報告書は我が軍の機雷や誘導弾にHMX成分が使用されるものの、西海で発射試験を行わなかったとだけ叙述している。キム・ガプテ合調団科学捜査分科の軍側委員は、証人として出席して三つの火薬成分は「西邦国家や我が軍も使用する弾薬」であり、天安艦にもHMX成分のある武器体系があると答弁した[7.チョ・ヒョノ『天安艦7年、疑問の記録』センガクビヘン、2017。]。

 

   ⑥ 地震波と空中音波は近接水中爆発を立証するのか。

   実際、「近接水中爆発」説が依存しているほぼ唯一の根拠は、当日測定された地震波と空中音波である。事件発生時刻を確定した基準も、地震波の発生を基準とした。裁判部は当時の空中音波、地震波から水中爆発によるバブル周期が測定され、水中爆発があったことを確認することができると判断したが、これについても学者によって違う立場を取っている。合調団は、白翎島付近で観測されたという1.1秒間隔の音波が、バブルが形成―収縮―崩壊されるサイクルを見せる証拠と判断したが、法廷に出席したチョ・ボンゴン教授、キム・ソグ博士等は、空中音波ではバブル周期を測定することができないと陳述した。 音波以外に地震波も観測され、合調団は、これが爆発の明白な証拠と主張してきたが、震度1.5内外の地震波はあまりにも小さすぎて、これを以って推論できる衝撃の性格と大きさに対する論難が続いている。事故発生時刻の前後に測定された地震波と音波が、果たして水中爆発を意味するものなのか、それともある衝突とそれによる船体の破壊過程で発生したものなのかなど[8.地震波周波数の特徴と規模に対する研究者の分析は次表の通りである。 ]が、それである。

 

   ⑦ 近接水中爆発としてみるべき衝撃波があるのか。

   「近接水中爆発」説は、船体内の人だけではなく、物が負った衝撃波被害が著しく少ない状況についても依然として説明できていない。その代表的な例が、「正常な蛍光灯」論難である。これに対しても、一・二審裁判部とも「蛍光灯のカッパの支持フレームが耐衝撃構造を持つように設計されている」という軍の説明をそのまま受け入れている。ところが、参与連帯が2010年7月15日、国防部招聘で訪問した第2艦隊において直接数えてみたことによると、割れてない蛍光灯は上記の写真のように最小限155個以上であった[9.「国防部主催市民団体対象の天安艦説明会に対する参与連帯の参観報告書発表」報道資料、参与連帯平和軍縮センター、2020.7.19] 。

 

   ⑧ 近接水中爆発とみるべきバブルジェット効果があるのか。

   裁判部は、切断面周辺の船体とフィンスタビライザーに現れた圧痕(dishing)現象、切断面と船体の底のあちこちから丸い水玉模様のようにペイントが剥がれ落ちた「バブル痕」等を根拠にして、バブルジェット効果が確認されたと判断した。熱の痕跡がなく、弾薬のにおいがない理由も、軍はバブルジェット効果のためだと主張しており、裁判部はそれを受け入れた。しかし、これは、軍自らのシミュレーションと背馳する。近接水中爆発シミュレーションによると、バブルが船底で崩壊される時は、すでに1次衝撃波とバブルの1次膨張及び収縮によって船底が破れている状態でなければならない。収縮したバブルの温度は3000度と推定される。破裂した船体に超高温のバブルが崩壊しながら飛び込んだとしたら、天安艦の破断面や電線被覆、内装材のどこにも熱の痕跡がないことが説明できない。生存将兵らは弾薬の匂いではなく、主に油の匂いを感じた。水柱の発生有無も立証されなかった。船底3~6m以内の近接爆発であれば、魚雷の破片がないのも説明できない。

 

   ⑨ 右側のスクリューが曲がったのは慣性のためなのか、外力のためなのか。

   右舷のスクリューの先端が回転反対方向のS字に曲がり、一部切断など損傷が発生したことに対して、裁判部は慣性では科学的説明ができないと判断した。ただし、座礁の痕跡とみることもできないと判断した。裁判部は、引き揚げ当時スクリュー軸に引っ掛かっていた網等についても調査しなかった。

 

   ⑩ 130トンのヨノ型最新潜水艇は確認されたのか。

   2010年5月20日の調査結果発表当時、合調団は、「西海の北朝鮮海軍基地で運用されていた一部の小型潜水艦とそれを支援する母船が、天安艦攻撃の2~3日前に西海の北朝鮮海軍基地を離れたが、天安艦攻撃2~3日後に基地に復帰したことが確認された」と主張した。しかし、母船は潜水艦でないため、離脱を追跡することができなかったというのは、説得力がない。 合調団は、多国籍連合情報分析タスクフォースの分析結果だといいながら、重魚雷を発射した北朝鮮の潜水艦が130トンのヨノ型最新潜水艇と説明した。北朝鮮国防委員会は、異例に記者会見を開き、ヨノ型潜水艇を保有していないと明らかにした[10.「北朝鮮国防委『我々には130トンのヨノ型潜水艇はない』」『中央日報』 2010.5.29。]。民軍合同調査団は、我が軍が5年間追跡してきたと主張したが、天安艦事件直前の2010年2月までも、我が軍が保有していた北朝鮮の「脅威資産目録」にさえ「ヨノ型潜水艇」が登録されていなかったことが2010年10月の国政監査において確認された。 一方、韓国政府は、国連軍司令部や海外に提出した資料においては一度も130トン級の新型潜水艦について言及しなかった。6月4日、国連に提出された調査結果報告書[11.‘Letter dated 2010/06/04 from the Permanent Representative of the Republic of Korea to the United Nations addressed to the President of the Security Council,’ S/2010/281, United Nations Security Council.]には「多国籍連合情報分析タスクフォースの分析結果」が国内とは違う形で紹介されている。ヨノ型潜水艇の排水量を70~80トン、つまり旧型潜水艇として紹介したのである。北朝鮮の70~80トン級の潜水艇は「理論的にのみ」軽魚雷(重魚雷ではない!)を発射することができ、主に浸透用として使用されてきた。130トン級の新型潜水艦と母船に対する説明は、最終調査報告書から除外された。

 

天安艦沈没の原因はまだ明らかになっていない

 

   10争点を総合してみると、まず、決定的証拠(1番魚雷)が北朝鮮製であるという証拠がない。さらに、当該の魚雷推進体が現場で爆発したことが立証されていない。弾薬、爆発材、魚雷の破片を立証することができていない。魚雷の近接水中爆発に続くべき衝撃波やバブルジェットの痕跡を発見したとみることができない。地震波・音波で水中爆発を立証することができない。発射体が立証されなかった。合調団が国連に魚雷を発射したと報告した小型潜水艇(70~80トン)は、重魚雷を発射することができない。つまり、11余年が経った今まで、天安艦を魚雷で爆沈させた弾丸も、弾痕も、銃声も、銃(潜水艦)も立証されなかった。推論と秘密で満ち溢れる、四つに切断され、破壊された天安艦があるだけである。 2010年6月、国連において政府と軍は、北朝鮮による魚雷攻撃の「決定的証拠」があると主張した。しかし、国連安全保障理事会の議長は、声明を通じて「天安艦沈没と46名の人命の損失を招いた攻撃を『慨嘆』する」とのみ述べた。北朝鮮も、魚雷も言及しなかった。その頃、アメリカが主導した国連軍司令部特別調査チームは、「合理的疑いの余地がなく」、北朝鮮の魚雷による爆沈が立証されたと主張した。しかし、調査活動を監督した中立国監督委員会は、参観報告書を通じて北朝鮮を特定せず、魚雷も言及しないまま、「停戦協定の違反があった」とのみ結論付けた。参観報告書は、国連軍司令部が秘密情報を公開しなかったという事実を何度も繰り返して言及した[12.‘Letter dated 2010/07/23 from the Permanent Representative of the United States of America to the United Nations addressed to the President of the Security Council,’ S/2010/398, United Nations Security Council.]。私は改めて問う。天安艦が、北朝鮮潜水艦の発射した重魚雷によって爆沈されたということが、本当に立証されたのか。

 

3.市民の役割、政治の責任

 

科学的アプローチの可能性と限界

 

   軍と政府は、11余年が経った今も天安艦沈没と関連のある主な情報を公開していない。航跡記録、交信記録、状況日誌、戦術指揮統制体(KNTDS)記録、天安艦沈没以後の監査記録、熱像監視装備(TOD)映像などすべてを国家機密としている。 軍は、生存将兵らの陳述書さえも一審では公開せず、控訴審に来て初めて「非公開」を条件に裁判官・検事と被告側にだけ見せてくれた。控訴審の判決文を見ると、生存将兵らの陳述書を、軍がなぜ公開しようとしなかったのか類推することができる。判決文は陳述書に対してこう書いている。「被告人は、天安艦事件の生存者58人の陳述書の記載内容によると、爆発と判断した乗組員は14人であり、この乗組員らは情況上漠然と爆発と判断したという趣旨で陳述するのに対し、衝撃と判断した乗組員は24人であり、衝撃を確認した乗組員らの陳述は具体的で、爆発の可能性を完全に排除する陳述も存在するという点を根拠に、天安艦は水中爆発によって沈没したものではないとも主張する。上記の各陳述書の記載内容を見ると、爆発と判断した乗組員より、衝撃と判断した乗組員の数がより優勢ではある。しかし、爆発なのか衝撃なのかよくわからないという趣旨で陳述した乗組員が20人に上る点、(…)判断は、各自の事前知識や経験の影響によって異なる可能性が高い点等に照らしてみると、上述の乗組員58人の陳述書の記載内容が、天安艦が水中爆発によって沈没したという合調団の分析結果に背馳されると見難い」。軍の結論を受け入れたものの、裁判部も当時衝突と認識した将兵数がもっと多く、魚雷ではないと確信した将兵らもいたことを認めたのである。 天安艦沈没以来、政府は沈没に関する情報と解釈権限を独占したまま、科学的・客観的に真相を究明したと強弁してきたが、科学的・客観的アプローチというのは、それを可能にさせる関連情報の共有、学問と思考の自由が前提される時に可能になる。そうでないと、科学者らを閉じ込める罠、市民の常識的な問題提起を防ぎ、参加を排除する壁になりかねない。「科学」であれ「安保」であれ民主的統制が必要な理由なのである。 天安艦論争において、国家は自ら提供する情報範囲内で非常に制限された学術論争の空間を開いた。合調団と多国籍連合情報分析タスクフォースとを分離構成したのが、その例である。依然として私たちは、このタスクフォースが何をし、何を発見したのかわからない。「洗濯(捏造―訳者)された情報」だけが与えられたという指摘は、科学者らからも、国連軍司令中立国監督委員会からも、ロシア調査団からも、さらに合調団に参加したり協力した政府内外の研究者たちからも噴き出た。このすべての制約にもかかわらず、真実に向けた熱意に満ちた科学者らが、あらゆる制約を破り、堂々と市民とともに行う科学論争の場を開いたりもした[13.カナダのマニトバ大学地球科学科のヤン・パンソク博士は、合調団が「科学的という言葉を、相手を叱りつけたり脅かすために使用した」と指摘する。「天安艦5年、真実を追跡する人々」『メディア今日』2015.3.26。]。 裁判所もそれに一助した。特に「天安艦―申祥喆裁判」の控訴審の裁判部は、軍の主張を無批判的に受け入れた一審裁判部とは違って、白色粉末が魚雷爆発によって発生したという主張は科学的に立証されなかったと判断し、スクリューが慣性によって曲がったという合調団の声明も受け入れなかった。申祥喆代表の名誉毀損の疑いに対してもすべて無罪を宣告した。幸いなことである。しかし、こうした制限された空間も、その限界が露わになった。控訴審裁判部は、生存将兵らの陳述書を裁判法廷に提出するように指示したことを除けば、政府と軍が厳封していた「軍事機密」の聖域を裁判所の名で開封して新しい判断根拠を究明することには消極的であった。

 

政治の責任、言論の使命

 

   李必烈は、呉チョルの『天安艦の科学、ブラックボックスを開ける』(東アジア、2016)に対する書評[14.李必烈「科学行為だけで明らかにし難い天安艦の沈没原因」『創作と批評』2017年春号。]において「結局著者の提案する透明で独立的な科学調査も、政権が替わり、分断体制が大きく揺れ、東アジアの情勢が変わらなければ、犯人を捜し出すことに大きく寄与するのは難しい。それゆえ、再調査の前提条件は、分断体制を克服しようとする意志を持つ民主主義政権の創出である」と展望した。 その後、文在寅大統領がキャンドル市民の力によって政権を執り、2018年の南北首脳会談を通じて4・27板門店宣言を採択し、軍事分野合意書も交わした。4・27板門店宣言を通じて、南北首脳は「韓半島にこれから戦争はない」と宣言し、「南と北は、互いに如何なる無力も使用しないことに対する不可侵合意を再確認し、厳しく遵守していくことにした。」しかし、米朝首脳会談における交渉が中断されて以後、南北関係も膠着し、南北連絡事務所の爆破という刺激的なイベントとともに悪化した。最近になってようやく南北通信線を復旧し、期待を抱かせたが、韓米連合軍事訓練の開始によって、北朝鮮側の高位官僚らの激しい非難の中で再び断絶し、今(2021.8.13現在)も復元していない状態である。韓米連合軍事訓練問題は、天安艦事件のあった11余年前や今においても刺激的でホットな話題である。 分断体制は、揺れる中でも特有の底力を発揮している。史上最高の軍備増額を通じて、年間軍費を北朝鮮全体GNI(国民総所得)の1.4倍規模を支出する政権は、「分断体制を克服しようとする意志を持つ民主主義政権」だろうか。それはともかく、文在寅政権の最終年度に入ったが、「透明で独立的な科学調査」の道は、まだ開かれていない。かつて政府と同じく市民、活動家、科学者たちが天安艦裁判に被告として出席したり、同僚の裁判に証人として出席して大変難しい真実探しを続けてきた。しかし、新しい政府や与党が絶対多数である国会のどこにおいても再調査や封印された情報に対する公開の追加は行われなかった。文在寅政権の国防部もすべての情報公開の請求に「軍事機密であるため、公開できない」という簡単な答弁だけを返している。これに対して、チェ・ウォニル元艦長等の天安艦生存将兵らがこれまでの苦痛と辛さについて発言し始めることによって、この未解決事件は再び議題化している。大統領に「北朝鮮の魚雷攻撃による爆沈」を明確な語調で再確認してほしいという声である。天安艦の論争に関していえば、こうした状況は、すでに2015年3月25日、当時新政治民主連合の代表だった文在寅大統領が、天安艦沈没5周年を控え、海兵隊2社団上陸突撃装甲車大隊を訪ねて「北朝鮮の潜水艇がひっそりと入ってきて、天安艦を打撃した後北朝鮮に復帰した」と言った時に予定されていた[15.李泰鎬「自らの足を引っ張る文在寅代表の天安艦爆沈論」『創批週刊論評』2015.4.1。] 。このように当時文在寅代表と野党(現在の与党)は城門内へ入っていき、多くの人は「従北陰謀論」の首かせをかけられて城外に残ったが、意外にもそこに、その海から生還し「英雄」として消耗されてしまった人たちも一緒にいたのである。 爆沈なのか否か?西海の守護なのか、放棄なのか?南北関係が膠着したり変曲点を通る際、大統領選挙のような選挙がある際、こうした質問はいっそうしつこく行われる。水面下の天安艦事件がいつ「ひっそりと入ってきて」韓国社会を分断するかもしれない。現政府と巨大な与党には、この未確認物体の雷管だけでも除去しなければならない責任がある。大げさに行うことではない。しかし、回避しても消える論難でなければ、最小限の立場と方針を立てなければならない。まず、天安艦犠牲者家族と生存将兵らの傷をケアしなければならない。彼等には治癒され、回復される権利がある。天安艦問題によって誰一人傷付いたり批判されないように注意しなければならない。そこには「敗残兵」として追い込まれてきた人たちだけではなく、「非国民」としてレッテルが貼られた人たちも含まれなければならない。政府レベルでの1次調査において不足していたいくつかの検証課題について、情報を公開し、科学的分析を依頼することも方法である。「敗残兵」として追い立てられた人たちと「従北陰謀論者」として追い立てられた人たちの声が伝えられ、誰一人排除されない安全な公論の場が必要である。特に、言論、探査言論の責任のある役割が重要である。 革新系言論さえ事実報道を無視し、一定のフレームから脱することができない残念な状況はもちろんのこと、今年6月に放送されたMBC『PD手帳』の「天安艦生存者の証言」はあまりにもがっかりだった。チェ・ウォニル元艦長の証言を加減なしで聞くのは重要で必ず必要なことであった。しかし、『PD手帳』は、まず天安艦生存将兵と「陰謀論者」の葛藤構図を前面に出し、より大きな暴力の実体を隠した。また、過去11余年伝家の宝刀のように使ってきたが、全く検証されなかった「~という諜報があるそうだ」という方式の典型的な安保フレームで魚雷説を既定事実化し、それに対する合理的問題提起を防ぐのに一助した。「半潜水艦なのか、鳥の群れなのか」を取り上げる部分においては、韓国の代表的な探査番組の墜落にほろ苦い失望を味わうほどであった。その物体が本当に半潜水艦であり、攻撃の主犯と仮定すれば、魚雷説は否定される。半潜水艦は重魚雷を発射することができないからである。結局『PD手帳』は、警戒に失敗した敗残兵は天安艦の将兵ではなく、軍指導部だ、というまた異なる「英雄―敗残兵」フレームの罠に陥ってしまい、視聴者もそれに陥らせた。敗残兵という罠や陰謀論者という投げ縄から抜け出し、将兵らの苦痛と合理的な疑問提起が一緒に理解される空間、思考が一致しなくても互いに尊重し、尊重される空間、そうした公論の場を言論が作り出さなければならない。筆者が、天安艦沈没直後軍の閉鎖的な調査手続きに問題提起を始めた理由は、失踪者家族の要請があったからである。ある街角で各自行く道は分かれたが、軍の持つすべての情報を公開することは、依然としてチェ・ウォニル元艦長をはじめ、全員が願うことであり、天安艦事件に対する疑惑と葛藤を払拭させる最も確実な方法である。それが、今沈黙している既成政治の責任であり、探査言論の役割なのである。

 

訳:李正連(イ・ジョンヨン)

 

 

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