[特集] 「文学の政治」を考え直す / 黃靜雅
特集
「文学の政治」を考え直す
黃靜雅(ファン・ジョンア)
文学評論家、 翰林大学校翰林科学院HK教授。著書に『概念批評の人文学』、訳書に『単一なる近代性』、『ファニーとアニー』(共訳)、編著に『再び小説理論を読む』などがある。
jhwang612@hanmail.net
1. ややこしい「文学の政治」
2000年代末から2010年代始めに渡って行われた「文学の政治」論議は、当時タブーまではなくともスキャンダルとして取り扱われていた文学と政治の結合を堂々と宣言した。顧みると、その際の斬新さがいぶかしいほど、それ以来、政治性や社会性は当たり前のように韓国文学の明確で優勢なる特徴として落ち着いた。映画「パラサイト」(2019)や最近公開されたドラマの「イカゲーム」(2021)のグローバルな成功を考えると、この特徴は単に文学だけでなくいわゆるK-カルチャーの一つの弁別性とさえ言えそうだ。これに同じ期間韓国社会を揺さぶったいろんな「事件」の、目をそらせない威力が働いたことは勿論である。2009年の龍山と2014年の世越号、その耐えがたさが促したキャンドル革命という巨大なる転換の要求、相次いだフェミニズムリブートなど、共同体の正当性を根こそぎ揺さぶる方式で共同体自体の存在感を強力に実感させる時間が続いたし、息つく暇もなく襲ってきたコロナ19パンデミックはこの実感を一層強化した。
「感覚の再分配」のような曖昧な翻訳に便乗して、文学の政治を言語の自律性と感覚的新しさの問題へ取り戻そうとする一部の試みにもかかわらず、この論議が頼ったジャック・ランシエール(Jacques Rancière)の主な主張は「誰でも」または「如何なるものであれ」文学の市民権を持つという文学的平等の発想にあり、これが政治的平等と直ちに一致はしなくとも少なくとも緊密に共鳴するという認識が成された。その影響で「分け前のない者の分け前」という表現や、「包含と排除」という区分法、分け前のなさと排除の「可視化」が持つ重要性が幅広く共有されたし、政治性をめぐった解釈の面で文学の政治は現実政治と相当近寄るようであった。権利から排除されて分け前が持てなかった人々、それにもかかわらず、いや、だからこそ、排除されたという事実そのものが隠されている人々に然るべき分け前を返すことが、文学においても政治においても主要で、さらには優先的な民主主義的議題として浮上した。
ところが、「然るべき分け前」とは「包含」の実行で簡単に解消される問題ではない。何より包含と排除があまりにも単純な区分だからである。「包含」という単語は内と外で成される境界を含蓄するが、例えば市民権という公式境界が確実な国家を思い浮かべよう。国家の境界の外へと排除された代表的な事例は難民であり、彼らが経験するひどい苦境は実際に一国的層位やグローバルな層位両方で大事な政治的事案となった。だが、直ちに国境を開放し、市民権を与えて彼ら皆を「包含」すべきだという主張は、ジジェク(S. Žižek)が指摘したように、「本音ではそのようなことは決して起こらないという事実をよく知ってい」る「最も偽善的な」提案であるかも知れない。[1. スラヴォイ・ジジェク、『なぜハイデガーを犯罪化してはないないか』、キム・ヨンソン訳、グルハンアリ、2016、59頁。もちろんこれは難民と移住民の問題を放り出すべきだという主張にはならない。ジジェク自身は「共同の闘争」を提案すべきだと述べる。] その点をさて置いても排除に対する批判には、国家にすでに含まれた人々が経験しており、かろうじて市民権を獲得した難民たちもそのうち経験するはずだと予想される(排除状態に比するところではなくとも)激しい不平等の問題が別途に残る。不平等の構造は「包含と排除」のフレームではまともに翻訳されないわけで、構造のどこに位置してこそまともな「包含」となるか、ひいてはこの構造にまともに包含されることが一体正しいことなのかという疑問がはみ出てくるのである。現実は包含と排除という区分で組織化されていると見なすフレームは、絶え間なく新しい排除を発掘することに集中することで、包含とは何かという質問を避ける限りにおいてのみその効用が維持される。
文学の市民権という面から接近すると問題はより複雑となる。文学的再現という「分け前」をこれまで享受できなかった人々、さらに動植物と事物まで盛り込もうとする努力は、敢えて政治性を先に立たせなくても文学の去る歴史が根気強くやってきたことである。そのような点で少なくとも近代以来の文学全般が「包含の拡大」としての民主主義的志向を孕んでいたとしても差し支えないが、同じ理由でこの陳述が特に注目すべき意味を伝えることはできない。意味のある文学的質問は再現の可否だけでなく、どのような再現なのかにまで至る。文学において分け前のない人々に然るべき分け前を与えるということは、分け前がないという事実を根気よく如実に再現することなのか、それともある異なる種類の分け前を設ける(そうすることによって分け前とは何かを問わしめる)ことなのか?このような避けられない質問に照らしてみると、「包含と排除」とか「分け前」とかいう表現、そしてそのようなものを主な内容とする民主主義概念が政治的におそらく十分でないという事実が現れる。
このくだりでふと1980年代の文学的主体、特に「民衆」をキーワードとしたいろんな論争が思い浮かぶが、他のすべての部門と同じく文学の政治においてもこれまで異なる要素が多く介入してきた。その中で「差異の政治」または「他者の政治」が文学に及ぼした影響が欠かせない。包含と排除というフレームがとにかく平等の政治という範疇で分類できるとしたら、差異と他者性に対する強調は「尊重」の態度をほとんど絶対的な境地に至らせるように先に立たせることはあっても、平等の実践としての再現を先に立たせることはない。むしろ再現不可能性と不可知に対する謙虚な認定が主な価値となり、その分、再現の政治よりは再現の「倫理」に傍点が打たれる。それによって再現の対象により注意深く接近することが勧められながら、如何なる客観化や普遍化も他者に向かった暴力のように考えられ、そのような暴力を微細な水準にまで感知し追跡する態度が政治的・倫理的徳目となる。「分け前のない者」と「他者」という範疇は幸いにも両立可能であり、さらには折り重なるように見えるが、「分け前のなさ」を可視化する文学と、「他者の不可知さ」を尊重する文学との間の距離は(それぞれの限界や難関とは別に)容易く縮まらない。そうして文学の政治性そのものは否認できない事実として幅広い同意を得た半面、文学の政治は一層遂行しにくい実践となった。
ランシエールの議論からそうであったが、文学の政治はそもそも文学の「すでにそのような」能力に対する観察であって、文学に与えられた規範のようなものではなかった。だが、「本然」の能力だといってそれをまともに実現しようとする意識的志向と無関係に存在するわけではない。民主主義が民主主義の正義をめぐった奮闘を諦める際、「政治的に正しい」言語と態度に執着するように、文学もまた自らの政治性に対する探究と質問を差し置いて狭小に規定された「政治的に正しい」文学に束縛される危険から自由でない。現実の政治が根本的な変化に向かった大胆な企画を通じて、せいぜい「間違わない」ことに悶々とする限界を脱すべきなのと同じように、今日文学の政治は政治的に、また倫理的に正しく見える文学的傾向との対決で力強く発動されるべきだと思う。これからその対決を要請するいくつかの具体的な地点を見てみよう。
2. センチメンタリズムという「誤差」
歴史に対する解釈が理念的争点となり、明かされるべき歴史的事実が法外に長い間埋もれていることを考える際、文学の政治性が歴史に向かうことは当たり前と思われる。歴史記述そのものが政治的叙事だという主張が出る一方、文学的叙事はよく歴史記述のまばらな叙事が漏らしたことに集中することで政治性を発揮する。韓江(ハン・カン)の長編小説『別れない』(文学ドンネ、2021)が向かう歴史は4・3と保導連盟である。二つの事件とも真実は勿論のこと、苦痛と哀悼さえ長い間抑圧されていた歴史として、光州の歴史を見事に叙事化した作家の眼差しがこれらの事件に届いたのは、もしかしたら必然的な因果のように見える。
『別れない』は実際に一種の後日談のように、『少年が来る』(創批、2014)と内的につながっている。小説の始めのところに作者自身を連想させる話者のキョンハが「その都市の虐殺に対する本を出してから二カ月近く経った時」(11頁)と明かしたくだりで、その「本」が何を指すかは疑問の余地がない。話者は雪が積もった黒い木々が墓碑として立っている墓へ潮が上がり、埋もれた骨が今でも流失されるかまごつく夢を繰り返して見るが、これもまた前作が残した影響であるに違いない。あれこれの悪夢はその本の執筆のため資料を読みながら始まったし、本を書く過程でだんだん生に割り込んで入ってきて、本を書き終えた後にも終結されない。話者がドキュメンタリー監督で友達のインソンと海辺の墓地の夢を基に共同作業を企画しようとした考えすらいつの間にか諦め、「私を去った人々が耐えられなかった方式で生きている、未だも」(28頁)と要約される、生命力が蚕食された状態でかろうじて日々を過ごす地点で小説は始まる。
話者が経験することは『少年が来る』がそれほど痛烈に見つめた歴史のトラウマの延長であろう。「その時期の当事者に限られず、後世の人々にまで伝承」[2. キム・ゾンゴン、「「歴史的トラウマ」概念の再構成」、『時代と哲学』、2013年冬号、43頁。 ]されるという点が歴史的トラウマの特徴であるならば、歴史的トラウマが持つもう一つの特徴であり、力説はそれが克服されるためにも伝承が必要だという点である。伝承されてつながらないと、かえって深くなるトラウマなので、「伝承」に対する禁止と抑圧の中で光州のトラウマがどれほどよりひどくなったか思い浮かべるとわかることである。終わらない悪夢について、「虐殺と拷問について書くことを決意しながら、いつか苦痛がなくなるだろうと、すべての痕跡が容易くなくなるだろうと、どうして私はそれほど無邪気に―図々しく―望んでいたのだろう?」(23頁)と問う話者の言葉の中にも伝承の逆説が含蓄されている。「無邪気に」と「図々しく」の重なりが示すように、事件のトラウマは容易くなくならないし、なくなってもならない。事実と誓いを結び付けた「別れない」という小説のタイトルが、この点を端的に圧縮している。
ところで歴史的トラウマの克服に伝承が前提されるにしても、その伝承はどのように同時に克服であり得るか。歴史の苦痛、それもトラウマのような苦痛を伝承するということ自体が、与えられたすべての形式を超過する遥かなる任務に見えるし、トラウマの「裸になった反復」という不可能な位置を自らに与えることとなり得る。この小説で話者の疲労困憊の人生はその「不可能さ」を示す証拠であり、その点は話者が海辺の墓地の夢を解釈する方式でも現れる。
その際、わかった。
波がさらっていってしまったあの下の骨を背けて行かなければならない。膝まで真っ青に満ちてきた水を分けて歩いて、これ以上遅れる前に稜線へと。何も待たずに、誰の助けも信じないで、迷わず尾根の端まで。そこ、最も高いところに打ち込まれた木々の上にこなごなになる白い結晶が見えるまで。
時間がないから。
ただそれしか道はないから、だから
続けることを望むなら。
人生を。(26~27頁)
人生を続けるためには水に沈められた墓を捨てていかなければならないというこの「知」は、実は人生が続けられない理由を確認することに近い。墓とともに沈んだりそれを背けて行くことすべてが、実は取りえない選択として提示されるからである。話者が受諾できる道は専らこの悪夢を持続することであり、その苦痛のみが人生に許された唯一の猶予のように見える。トラウマの伝承に対する充実性を立証するかのように、この小説は始まりから苦痛でもって読者を圧倒する。話者の悪夢と孤立は、ある面で最後まで終わったと断定しにくいし、指が切断されたことに次いで縫合された神経が死なないように三分に一回ずつ針で刺されるインソンの苦痛は、広がっていく波紋のように小説全体を一挙にその感覚的存在感の中へ包括する。病院に入院したインソンに代わって、一日が暮れないうちに話者がインソンの済州島の家に到着して水を上げないと死んでしまうオウムの「アマ」の苦痛が進行中であり、激しい頭痛と胃痙攣に苛まれる話者が激しい吹雪と寒さの中でほとんど生命の脅威を経験しながらインソンの家にたどり着く過程や、雪に埋もれた、凍り付いた地を暴いてすでに死んだアマを埋めてから、電気が断たれた中で寒気に苦しめられる過程における身体的苦痛が生々しい。このすべての限界状況が小説の1部で吹き荒んで、その最後に熱に浮かれてほとんど意識を失っていく話者は、自分がインソンの済州道の家に「死ぬために来」たと、それも「切られ、穿たれ、首を絞められ、火に焼かれるために来た」(172頁)と考える。
続く2部は墓を襲った海水が抜けていき、悪夢が去ることから始まりながら転換を暗示するが、「彼らと戦って勝ったのか、彼らが私を押しつぶして過ぎ去ったのか明確でなかった」(177頁)という話者の言葉通り、どのような転換なのか弁えることは難しい。話者の前にいきなり登場したインソンが、死んで魂としてやってきたのか、それとも話者の他の夢のなかにやってきたのかから不明確であるが、この設定は魂であれ夢であれその次元に適した脈絡とリアリティで補われない曖昧さそのものとして残る。話者が光州の「痕跡」にとらわれているように、インソンも母親の経験した4・3の痕跡のなかにおり、話者とインソンは鏡上で向かい合っているように互いを照らし合う関係である。従って、二人の間における反復と差異が作る変奏の説得力が重要となる。インソンは幼い頃、母親が「やや曲がっている背中とひどく弱い声で。世の中で最も惰弱で卑怯な人間の姿で」(78頁)自分の人生を絞めつけていると考えたが、ついに気を失った母親を亡くした後になってこそ、母親が済州道で逮捕され大邱で収監された挙句、保導連盟の虐殺で犠牲となった外叔の痕跡を、誰より熱心に探し、また失敗したことをわかることとなる。2部はインソンが話者に両親、特に母親の惨たらしい訳を聞かせ、母親が集めてきた資料を見せてあげる内容が中心である。インソンは虐殺の話を映画にすることはしまいと言うが、その理由を話者は「血で染まった服と肉がともに腐っていく臭い、数十年間朽ちた骨の燐光が消されるだろう。悪夢が指の間に漏れていくだろう。限界を超える暴力が除去されるだろう。四年前私が書いた本で抜け落ちた、大路に立った非武装の市民たちに軍人たちが発射した火炎放射器のように。水ぶくれができた顔と体に白いペンキがぶっかけられたまま応急室に運ばれてきた人々のように」(287頁)と推量する。話者とインソンが耐える苦痛の伝承には、このように「再現の倫理」という問題もまた載せられている。
それにもかかわらず、話者とは違ってインソンがどのように孤立に耐えながら、話者が提案して撤回した共同プロジェクトを一人で準備できたかについては2部で明確には提示されない。最後の短い3部でインソンは話者を共同作業の空間となる場所へ導く。そこでインソンは虐殺の幻覚に苦しめられながら自分にすがっていた「母が亡くなると、ついに自分の人生へ戻ってくることだと考え」たのとは違って、「戻っていく橋が絶えてな」いということを(314頁)悟ったし、母親に次いで資料を収集する過程で自分もまた、境界を行き来する苦痛に晒されたことを告白する。そして、虐殺された子供たちを考えていたある日、吹き荒ぶ突風に打たれながら、自分にある変化が訪れてきたことを伝える。
一歩ずつ精一杯地を踏みしめて、その風を分けながら歩いていた一瞬考えたよ。彼らが来たな。
(・・・) 苦痛なのか恍惚なのかわからない異常な激情の中で、あの冷たい風を、風の体を着た人々を分けながら歩いたよ。数千個の透明な針が全身に刺さったように、それに乗って受血のように生命が流れてくることを感じながら。私は狂った人のように見えたか、実際に狂っただろう。心臓が裂かれるように激しくて奇異な喜びの中で考えたよ。君とやることにしたことをもう始め得るだろうと。(318頁)
インソンのように意志の強い芸術家にこのような感じがやってくる蓋然性を認め得ることとは別個に、その経験は突然でもあるし、性格上、それがもたらしてきた変化が当事者ではない誰かに転移されるのを期待することは難しい。その後、インソンの姿は魂なのか夢なのか相変わらず曖昧な状態で雪の中で人気がなくなり、「君の手が取られないなら、君は今君の病床で目を覚ましたのよ」という祈願と確信が入り混じった言葉とともに、話者が折れたマッチで「世の中で最も小さい鳥が羽を羽ばたいたもの」(324~25頁)のような炎を作ることで小説は終わるが、このような結末もまた、明白な変化や転換を実感させてはくれない。設定の曖昧さに加え、だんだん凝集力を失った破片へと散らばりながら2、3部の叙事はくだりくだりの描写は鮮明であるにもかかわらず、全体的ではぼやけた印象として残る。
そうして叙事全体がそれで搔きまわされると言えるほど、苦痛はこの小説の支配的現実であるが、その中で最も肉迫するのは1部で再現された「リアルタイム」の苦痛であり、小説全体に波長を残すその苦痛に比べる際、4・3のトラウマすら倍音として置かれる。それとともに「最も惰弱な人」に見えたインソンの母親がついに成功はしなかったものの、誰より長く根気よく「兄」の行方を探そうと注いだ努力もかすかに感じられる。そのような点でここで伝承という問題は、ある転置の危険に逢着する。歴史的トラウマの伝承に対する充実性が歴史そのものを押し出して、再現の倫理をめぐった苦痛が、再現しようとする苦痛より先に近寄ってくるわけだ。この転置は決して意図的なことではなく、そもそも設定された「不可能な」位置が実際座標とされる際、不可避に発生する「誤差」である。もう苦痛と痕跡は歴史的事件から話者自身のほうへ移ってきて、伝承の問題は苦痛の真正性へと焦点が変わる。もちろんこの小説は真正性の感傷的誇示とは無関係で、感情的虚偽を戒める自己不信の強迫に近い。しかし専ら苦痛の強烈さに頼る方式は、強烈な感情であるほど、真実を保証するという図式においても、感情の当事者である「私」の問題、つまり自己反映性が前面に出るという点においてもセンチメンタリズムの論理の中にある。「再現の倫理」に長く留まるほど(政治的でだけでなく)倫理的でも曖昧となるアイロニーの原因もここにある。いかに再現するかという問いが再現の対象に相変わらず焦点を合わせるならば、再現の倫理は「再現できなさ」という大前提を苦悶する「私」を中心に立たせて、その苦悶の真正性でもって再現の責任に取って代わる危険に晒される。
ここでしばらく『少年が来る』を想起してみよう。『少年が来る』で歴史的トラウマは二つの方向へと導かれる。一方で小説は光州を経験した人物たちに続く「放射能被爆」(207頁)のような、とほうもない苦痛を余すところなく見せながら、歴史を取り残したまま小説だけがトラウマの「昇華」に至ることを最後まで警戒する。しかし、少年のドンホが銃に打たれた友人をほっておいて逃げた後、「何も許すまい。私自身までも」(45頁)と決心して都庁に残ったように、光州抗争自体が「生き残った者」のトラウマをまともに抱えたまま一歩を踏み出した人々が遂行した事件であることを小説は見せてくれる。ドンホが悲しみと苦痛を呼んでくる人物に留まらず、誰かを生きながらえさせ、また「あっちの明るいところ」(192頁)へ導けること、そして光州がまたわれわれをその名ほどの「明るいところ」へ導けたのも、その事件がトラウマでありながら、同時にすでにトラウマの克服であったからであろう。[3. この点に関するより詳しい分析としては、拙稿「「きめを逆らって歴史を撫でる」文学:『夜の目』と『少年が来る』」、『アングァバク(内と外)』、2015年上半期号を参照。 ] この二つの方向の緊張をかろうじて耐えながらどこへも偏らなかった点こそ、この小説の優れた成就だと言えようが、当然にもこの類の成就は毎回新しく遂行されるわけである。
『少年が来る』が見せてくれたように、トラウマを残した歴史的事件であっても事件全体がトラウマへ還元されはしないし、歴史の伝承もまた、トラウマの伝承へ収められはしない。歴史的事件がトラウマの伝承を要求するという事実、後世にまでトラウマを容易く無くすことはできないという事実自体が、事件にトラウマ以上の公的な力があることを示す。伝承が克服とつながる可能性もこの力から始められるだろうし、苦痛の真正性というセンチメンタリズムの回路を脱する糸口もまた、そこにあるだろう。だが、真正性に十分な代価を支払ったこの小説のおかげで、文学の政治はこれからその不可能な席を発つ勇気を得たかも知れない。
3. 共同領域に向かった認知感受性
センチメンタリズムが政治性とかけ離れていないという点は、感情を特権化しこれに基づいて道徳的秩序を構築しようとした18世紀のセンチメンタリズムの企画においてから明白である。周知のように「センチメント」(sentiment)という単語そのものが規範と感情を合わせるものでもある。フランス革命という政治的事件をセンチメンタリズムの開花と衰退で再構成したウィリアム・レディ(William M. Reddy)によると、「フランス革命期が政治思想と実践の全体歴史において極めて異例的」な理由は、その時期に「政治は全的に感情的なるもの」であったし、「正しい政策とは自由のための燃える熱情が勧告する政策」であったからである。[4.ウィリアムM.レディ、『感情の航海:感情理論、感情史、フランス革命』、ジョン・ハギ訳、文学と知性社、2016、235、269、293頁。] ところが、道徳的あるいは政治的生において感情が占める重要性に、適した注意を注ぐこととしても見なせるセンチメンタリズムのメカニズムは、直ちに過熱されながら自らを崩す結果にたどり着く。 「美徳は感情から育つものなので、感情の極端(・・・)は有徳なこと」という意識が一応落ち着くと、「感情が激しくなればなるほど、その感情は自然で善いものとして見なされ」てだんだん過剰がもたらされるし、このような強化のメカニズムが結局感情の真実性に対する不信として帰着されるわけである。[5. 上掲書、255~56頁。] フランス革命との密接な関係のなかで展開されたイギリスの浪漫主義が自発的感情を強調しながらも、感情過剰に内在した自己耽溺を警戒したのも革命期のセンチメンタリズムに対する省察の一環であろう。それ以後、「センチメンタル」という言葉は、「センチメント」が含蓄した「感想」の緊張された結合体を指すより、「感傷」の偏りを非難することに主に使われ、それと共に感情そのものが政治的であれ倫理的であれなるべく無視すべきものとして考えられた。
しかし、最近の政治領域で感情は新たに注目されており、情動(affect)をめぐった関心と論議もこのことを反映する。「感情労働」という分類が語るように、感情が管理され動員され搾取されうるという認識が広がる一方で、考えや理念と必ずしも一致しない感情の自律性と力量に対する関心も高くなった。感情が人間の私的な生だけでなく、公的な生で占める重要性がわかるようになったことは、現実をより豊かで深く理解するようにしてくれるし、感情を感じ表現する権利に対する積極的な主張は、「然るべき分け前」という議題においても欠かせない要素である。このように感情の政治的存在感が大きくなるほど、それがセンチメンタリズムのメカニズムや私的な権利主張にとらわれないように、ある「共同領域」(commons)の地平のなかで捉える必要も高くなる。
「一人称作風の時代」の到来を述べた鄭珠娥(ジョン・ジュア)は、「「私」を中心に世界が解釈され、視野が制限される特徴を人生の態度として快く受容」するだけでなく、そのように「自己中心的に制限され狭まれる視野は、むしろ自我アイデンティティの鮮明な発現であり、さらには政治社会的に分明な態度を表明することとして見な」される現象に注目する。[6.鄭珠娥、「一人称作風の時代における小説」、『創作と批評』2021年夏号、56頁。] このような作風が「数多い「私」らを政治的主体として発言させて」くれるという評価は、先述した「誰であれ、またどんなものであれ」包含する文学の政治と触れ合っている。そうしながらも鄭珠娥は一人称作風が「常に「政治的正しさ」自体のための書きものとして傾斜される危険に晒される。私自身を直接見せる作風だからである。正しい話をするということだけで倫理的正当性が確保されると感じる瞬間、倫理的立場はナルシシズムの材料として消耗」されるという警告も付け加える。[7.上掲書、67~68頁。]「私」が自らについて語る物語は「正しい」再現であり、従って政治的にも倫理的にも「正当である」という論理が働く危険があるということだ。「一人称」に「感情」が加わると、この論理に沿う正しさの保障はより確実なものとなる。感情こそそれを感じる人の一人称的再現が正しいと主張するに最も容易だからである。
ところで、この危険は付随的な結果というより「自己中心的に制限され狭まれる視野」をむしろ積極的に肯定する一人称作風の特徴と隣接しているし、事実上「政治的正しさ」あるいは「政治的正解主義」そのものが取りも直さずこのような類の一人称的肯定を内包する。それは「事態を捉えるための標準はある人がその事態をどのように感じたかに拠っている」と見なす立場であり、特に「「自分が傷つけられたり侮辱されたと感じる者は正しい」は(・・・)基本原則」に従って「事態のすべての客観的解決において傷跡と侮辱に対する感受性の優位を許す」ことによって、結局「公的な場所を個人の感受性(・・・)に隷属させる」からである。[8.ロバート・プファラー、『成人言語:政治的正しさとアイデンティティ政治批判』、イ・ウンジ訳、図書出版b、2021、62、26頁。]
文学で「自分」を語る、さらには自分の「感情」を語る叙事が、他の何に劣らず虚偽意識に露出されやすいという事実はよく知られており、例えば自叙伝さえ当事者に対する正しい陳述で満ちた叙事として考えられないのもそのためである。一人称の正しさに免疫力を蓄えてきた文学ですらその圧迫を感じる現象が「分け前のない者の分け前」という命題と連結されたことならば、文学の政治がその地点で一歩踏み出す必要性がより明らかになる。一人称的な作風が増え、一人称的感情に注目する現象そのものは当然歓迎するに値する文学的民主主義の進展である。だが、「政治的正しさ」が政治領域を個人の感受性へ私有化するように、一人称の次元で正しさが確定されると見なすことは「協同的創造」を通じて文学的意味と真実を発生させる共同領域を否認するわけであり、文学を一人称たちの私有地に変えることにほかならない。[9.文学で共同領域が意味するところに関するより詳しい議論としては、拙稿「文学性とコモンズ」、『創作と批評』2018年夏号を参照。] 共同領域を構成する潜在力をけなす点でそのような私有化は究極的に一人称の権利に対する尊重はもちろんのこと、その感情に対する穏当な尊重にもなれない。従って長い文学的知恵を発揮して、いかなるものも文学という共同領域で出会うに先立って、前もって正しいものとして通用されえないことを想起する必要がある。文学の政治はより多い一人称たちの「包含」とともに、この共同領域を認知し、もっと生かすようにする任務を持つ。
ところで共同領域に対する「認知感受性」は文学的叙事の内部、例えば一編の小説ではどのように発揮されるだろうか。「これまで成し遂げられた人間表現の最高の形式」と言いながら長編小説ジャンルを高く評価したD.H.ローレンス(D. H. Lawrence)は、小説では絶対的真実や戒名のようなものはなく、「神の口から出たにせよ人間の口から出たにせよ、すべての戒名は厳密に相対的であり、特定の時間と場所、状況に付着してい」ると強調する。小説では「お言葉の白い鳩」が絶対的真実かのように飛んでいると、猫に襲われやすいし、「踏んで滑るバナナの皮があり、建物のどこかに便所があるということもわかる」ことになっているというわけだ。ところで「すべてのものがその関係の中で真実であってそれ以上ではない」[10.D. H. Lawrence, “The Novel,” Study of Thomas Hardy and Other Essays, Cambridge University Press 1985, 179~85頁。]という事実がうまく表れるためには、何より「猫とバナナの皮と便所」を含むその「関係」が充実に提示されたり喚起されなければならない。関係の全体性に向かった努力が叙事内部に真実の民主主義的競合を鼓舞するわけだ。そのような点でこの努力は再現をめぐった極度の倫理的注意深さと自己再現の正しさに対する倫理的確信が奇妙に共存する現状を突破することにおいても重要である。
ローレンスが述べた小説のジャンル的力量は「抑圧されたものの回帰」という方式としても発現される。小説で「猫とバナナの皮と便所」はたとえ叙事から排除されても、その外のどこかに幽霊のようにさすらいながら自分たちの存在を消した叙事を疑わしくする。チェ・ウンヨンの長編小説『明るい夜』(文学ドンネ、2021)を見てみよう。話者の「私」ジヨン―母親のミソン―祖母のヨンオク―曾祖母のサムチョンへと遡っていく4代に渡る女性の系譜を合わせたこの小説は、構図上、家父長中心の家族年代記を意識した一種の対抗叙事であり、その分家父長制に向かった批判的視線が明白である。特に中心系譜に属した女性たちと家族関係で結び付けられた父親、夫たちは一様に否定的であるが、これは個人的な性格や気質であるより家父長的理念を体化したことに依るところが大きい。比較的比重のあるように描かれた曾祖父は、賤民の娘として卑しまれていた曾祖母のサムチョンの好奇心に満ちて堂々たる、闊達な姿に惹かれて、サムチョンが日本軍「慰安婦」として引っ張られる危険まで高くなると、故郷と家族とも仲違いして開城に駆け落ちして結婚する。カトリック信者として殉教の生に惹かれた彼は、この過程を犠牲と救援として感じながら高揚されるが、その「虚栄心の力」(60頁)が次第に弱くなり、妻が救われた者として当然持つべきその上ない尊敬と感謝の態度を示さないと、「夫としての一抹の権威」すら脅かされると感じながら、「一生を抑うつさと鬱憤と罪障意識を抱いて生きて」(61頁)いく。娘に対する態度も同じようで、戦争で疎開に出る時も「彼は最も楽な場所で眠り、いかなるものも娘に譲らなかった」(217頁)し、娘を騙して重婚へとせき立てながらも夫の心が掴めなかったとどやしつけるに至る。
この他にも北朝鮮で結婚した妻と母親が遅れてやってくると、事態の解決さえ彼女らに押し付けながら、一抹の呵責もなしに二回目の妻と子息を捨てて去った話者の祖父、娘の目に母親が「男子とその家族から搾取されるばかり」(17頁)だったと映されるほど、自己中心的な話者の父親、そして浮気をして離婚しながらも、話者の両親にさえ共感を確保する元の夫に至るまで、彼らみなが申し訳なさと罪障意識がなかった理由は「そうできるからそうしただけ」(228頁)であると要約されるところ、ここで彼らをして「そうできるように」してくれたのは疑問の余地なく家父長的慣習である。「お父さん、死んでしまえよ。私たちの目に触れないで死んでしまえということですよ」(250頁)という祖母の言葉は、この悠久な慣習に投げかける発言と言えようが、そのように対抗すべき「家族」制度の向こう側に置かれたのは家族関係を超えたり、最小限世代を越えた女性たちの間における友愛である。「社会的関係」としての役割が公式的に登記されたことのない女性たちの間の関係を前面に出したのである。特に曾祖母とセビおばさんとの間における綿々とした温かい友情は、相互ケアを主調とする姉妹愛の典範として描かれ、それほど一途ではないがその娘たちである祖母とヒジャも一生刻印される友情を分かち合う。もう一つの形は話者と祖母、そして祖母と(セビおばさんの叔母である)ミョンスクおばあさんで成された「隔世」の友愛であるが、ここでもケアの雰囲気が支配的であり、これは連鎖的に話者と捨てられた動物との間におけるケア関係へと拡張、または延長される。
このように『明るい夜』の世界で家父長制の明白な否定性と、女性連帯の明白な価値は正確にかみ合ってほとんど空白を残さない。一見その画然たる区分から外れたように見える人物も、論理の次元では再び回収される。「一回も会ったことのない賤民の家に行って看病をし、誰の上にも君臨しようとせず、妻を大事にする」(81~82頁)、この小説で唯一に肯定的な男性として登場するセビおじさんは、ケアと(原爆)被害というアイデンティティから女性連帯の方へ属する。半面、正常家族と平凡に執着することとなった話者の母親は、自ら系譜から抜け出て祖母と断絶し、話者とも不和の関係だが、娘(話者の姉)の死とガン闘病がそのような「背反」の代価のように与えられている。あまりに鮮明なこの構図は『明るい夜』で、ある未決定の領域としての「夜」を追放する。正しさの可否が定かでない主張と質問が闇のなかでぶつかりながら、予測不可能な夜明けを迎える余地を与えないわけである。そのために苦しめられる人物たちが登場するにもかかわらず、叙事そのものはこれといった苦痛を経験しないまま治癒に向かった直線の進路を踏む。
だが、追放された「夜」は叙事に影を落とすが、当然にもその影響は女性系譜の方が受け持つことになる。要するにこの小説で友愛とケアの関係は端正なばかりで、親密で人格的なその関係に連累されそうな葛藤と裏面を鋭く踏み込んではいない。従って曾祖母とセビおばさんのように初期から同調化された関係や、話者と祖母のように「隔世」の距離で調整された関係では輝く半面、より直接的で感情的に膠着された話者と母親の関係において不和が起こり、鎮まる過程はどこか焦点がずれており、祖母とヒジャとの間の違いも適切に取り扱われていない。一つの対抗叙事として『明るい夜』が狙ったのは、もちろん絶対的真実ではないだろう。隠された相対的真実に注目し、それに盛られた美徳と治癒力を見せようとするこの小説の志向は、文学の政治が努めて遂行してきた「包含」の実践とも触れ合っている。しかし、その相対的真実を構築する、あまりに当てはまる構図、そしてそこから追い出された「猫とバナナの皮と便所」の不在がある絶対的真実の雰囲気を作り、その分真実の説得力はむしろ弱くなる。
4. 文学の「自己ケア」
先述した二つの小説は韓国文学の主な傾向として落ち着いた政治性が「政治的に正しい」文学の要求とぶつかる地点をくっきりと指示してくれるし、そのような点で本稿の意図はこれらの作品を批判の対象であるより、苦悶の対象として提示しようとするものである。二つの小説を読みながら、改めて文学が世界の疾患を直接「患う」という言葉が考えさせられる。それとつながる物語で文学は、そのように共に患うからこそ「治癒」に近寄れるともいう。傷つけられた感受性に対する共感に留まる政治的正しさと違って、共に患い治癒する次元で文学の政治性が力強く展開されるためには、「先に起きて」「先に笑う」(金洙暎(キム・スヨン)「草」)といったあの有名な詩句のように、世の中の「患う」主体が決して軟弱な主体に留まるわけではないし、ケアが必要な主体は多少すでに自らケアする主体であることを記憶すべきである。その点は文学自らにも当てはまるが、政治的正しさと対決すべき今日の文学は、特にある「自己ケア」に力点を置く必要があるだろうと考える。
広く知られているように、新自由主義時代に登場した「自己ケア」の流行は、ケアの社会的危機を回避する戦略であり、また異なる統制の戦略であることは明らかである。しかし、フーコー(M. Foucault)の談論によると、「ギリシャの人々にはそれが(・・・)社会的・個人的行為と生の技術のための規則」であり、「市民的自由が一つの倫理として反映される様式」であったし、「汝自らを知れ」(つまり、自分の身の程を知って謙虚に自分を放棄せよ)に傍点を打つキリスト教禁欲主義を経ながら、忘却された公的価値を指す概念でもあった。[11.Michel Foucault, Ethics: Subjectivity and Truth, ed. Paul Rabinow and trans. Robert Hurley and Others, The New Press 1997, 226, 284頁。] 文学の自己ケアを考える際、それより先に思い浮かぶことは「ケア」とは「人間を彼の本質へ戻して」真に人間らしくしてくれることであるし、「存在(Being)の真理を守る」者としての人間の実存が経験される方式だといったハイデガー(M. Heidegger)の議論である。[12.Martin Heidegger, “Letter on Humanism,” Basic Writings, ed. David Farrell Krell, HarperSanFransisco 1977, 199, 210頁. このことから「ケア」の核心の一面に関する議論が展開されることもできると思うが、本稿の範囲を越える。] 文学の自己ケアもまた、文学という共同領域を「正しい」観念と感情の私有化から守って、文学がその「本質」へ戻っていく実践であると定義してみたい。ここにはその共同領域が如何なる真正性のある患いと治癒も取って代わられない意味と真実の発生を指す名であることを記憶することも重要である。韓国文学の政治性がこのような意味の「ケアの政治」を通じて、一層力強く展開されることを信じる。
訳:辛承模
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