[新年コラム] 2010年の試練を踏まえ、常識と教養の回復を

白楽晴  /『創作と批評』編集人、ソウル大学名誉教授

* 韓国語原文は創批で読めますhttp://weekly.changbi.com/504

 

 

韓国社会にとって2010年は、とりわけ試練に満ちた年だったと感じられる。去る11月23日に朝鮮半島の西海で勃発した延坪(ヨンピョン)島砲撃事件から1カ月余りの間、悲しみ、憤怒し、不安を感じることが続いたために、特にそう思うのかもしれない。

延坪島事件自体、その理由と経緯はどうあれ、南の領土に対する北の意図的な砲撃であり、衝撃と憤怒を抱かせるものだった。さらに、南の初期対応が余りにもお粗末なことに不安を感じ、後ればせに「全面戦も辞さない」と叫んで危機を煽るやり方はむしろ不安をつのらせ、憤怒までかきたてた。

ところで、12月8日には国会で与党ハンナラ党の議員が安保危機の隙に乗じて予算案などの強行採決を敢行した。三権分立と法治主義が完全に踏みにじられ、民主主義の危機という言葉をあらためて実感させられた。強行採決の最大の動機は、四大河川事業といわゆる「親水区域法」 「四大河川事業」とは、李明博政権が2008年下半期から韓国内の四つの主要河川で洪水予防と水不足の解消、水質の改善を目的として推進中の大型土木事業である。生態系の破壊を憂慮する地方自治体と野党勢力、学界、環境団体、宗教界などの国民的な反対運動[反対の理由には、この憂慮に加えて政府が掲げる目標の達成は不可能との判断も含まれる]にもかかわらず、工事を強行している。

「親水区域法」とは、12月8日国会本会議で与党ハンナラ党が単独で通過させた法案で、四大河川の周辺にレジャー・観光施設を開発するというのが、その要旨[国会の予算審議を避けるため、工事の主要部分を韓国水資源公社に一任し、その莫大な財政負担を補完するため同公社に特恵的な開発権を付与]である。野党勢力と市民団体は、四大河川事業の莫大な費用を回収する狙いがあると反発している。

という関連悪法の推進だったようだ。これによって自然破壊はもちろん、法治と民主主義の破壊も加速化する展望である。そうかと思えば、政府が誇る迅速な経済回復は、それ自体を疑問視する一部の専門家の見解はさておき、庶民生活の不安解消と雇用拡大を実現できなかった。それどころか、それなりの仕事についている層でも、子どもの養育費や塾などにかかる経費の負担に耐えられず、若者の「出産スト」が続いているあり様だ。


南北関係では、11月29日の談話で李明博大統領自身が、北朝鮮の自発的な核放棄の可能性を排除したため、「非核・開放・3000 」    「非核・開放・3000」とは、李明博政権の対北政策の核心的基調であり、北朝鮮が核を放棄して開放する場合、10年以内に一人当たりの国民所得が3000ドルになる程度は支援するというものだが、北の核放棄を大前提に掲げ、南北関係を実質的に中断させた非現実的な構想という批判を浴びてきた。    政策の実質的な破綻を自ら認めたことになる。今や、残された道は戦争か、あるいは日常的に危険を感じつつ北朝鮮が倒れてくれるのを待つしかない。

 

「天安艦」という転換点、そして「延坪島」との関数関係

 

延坪島事件の背景には累積された南北間の敵対関係があるという点は、誰もが認めている。李明博政権の発足後、緊張状態は時おり起伏を繰り返しながら続いてきた。ところが、その「緊張」が「敵対」へと転換したのは、去る3月の天安(チョナン)艦事件 天安艦事件とは、3月26日に朝鮮半島の西海上の白翎(ペンニョン)島近海で韓国海軍の哨戒艦「天安艦」が沈没したことを指す。この事件によって韓国海軍の兵士40名が死亡し、6名が行方不明になった。李明博政権は民間・軍合同調査団を構成して調査を行い、5月20日天安艦が北朝鮮の魚雷攻撃によって沈没したと発表し、この事件を国連安全保障理事会に回付して対北糾弾決議案を引き出そうとした。だが、中国とロシアの反対により、7月9日北朝鮮の責任を明示しない議長声明の採択にとどまった。  だった。したがって、今日の状況を正しく判断するためにも、その転換点に戻って冷静に再検討してみる必要がある。正しい対応は、正確な状況認識によってのみ可能だからである。

延坪島事件後、天安艦への攻撃も北の仕業だろう、という大衆的な情緒が拡散している。同時に、政府発表に疑問を提起する人々が「親北左派」と追及される可能性もひときわ高まった。だが、天安艦の真実自体は大衆の情緒や政治論理によって決定されるものではないはずだ。それはどこまでも事実の領域にあり、理性と論理にしたがって識別されるべき問題なのである。

天安艦沈没の真相に関しては、不幸にも、未だに科学と理性の検証を経て合意に達した結論は出ていない。いわゆる民間・軍合同調査団の発表は科学界の検証をパスすることができず、他方で外部にいる科学者は資料に対する接近が制約された状態にあって独自の真相究明は不可能だった。したがって、「延坪島」と「天安艦」の関数関係もまだ正解を得ることは不可能である。ただ複数の仮説を立てて、それにそった結論が推定できるだけである。

分かりやすく、次の2つの仮説を想定してみよう。仮説A:たとえ民間・軍合同調査団の発表が矛盾に満ちたものだとしても、北朝鮮の攻撃によって天安艦が沈没したのは確かであるという説。仮説B:真相の全貌はともあれ、北朝鮮による天安艦への攻撃はなかったという説。

仮説Aの場合、延坪島事件は何を物語るのか。まず、天安艦を撃沈した北朝鮮軍が、今回また延坪島を砲撃したのなら、これはまさしく我慢ならない挑発行為である。その上、砲撃によって海軍兵士2名を殺し、何軒かの民家を焼いて、あれほどまでに意気揚々としている連中だから、神出鬼没の手法で天安艦を撃沈し、海軍兵士46名を海の藻屑にする輝かしい戦果をあげた、と自慢してもいいはずである。それなのに、絶対やっていないと白を切るとは、そんな政権はほとんど精神異常レベルの犯罪者集団と言わざるをえない。

また、仮説Aが正しい場合、わが軍の対応も単に安直かつ無能という域を越えてほとんど犯罪的である。北の攻撃によって天安艦を失い、多くの人命が犠牲となって国中、そして国際社会が大騒ぎしたというのに、延坪島攻撃計画を8月に無線傍受しながら、いつものたわごとだろうと無防備なままでやられてしまったというのなら、一体こんな軍隊がどこにあると言うのか。国防相の更迭程度で済まされる問題ではなく、軍首脳部の大々的な改編が行われてしかるべき事態である。

逆に、仮説Bの場合、韓国軍の対応は多少とも理解できないわけではない。北が天安艦を攻撃しなかったという事実を、少なくとも政府の核心メンバーと軍首脳部は知っていたので、8月に無線傍受した内容を聞いても常習的な脅しに過ぎないと判断したと考えられる。もちろん、そうだとしても重大な判断ミスであることは明らかであり、事件発生当時の無気力な対応に対する責任を問わねばならないが、「こんなのは軍隊じゃない」という汚名を被るほどではない。

仮説Bの場合、北の政権についても、仮説Aの場合とはかなり異なる認識にいたる。南の領土に対する砲撃が、停戦協定と南北基本合意書の違反であり、容認できない挑発である点は変わらないが、彼らなりの緻密な計算を遂行した結果である確率が高まる。南北首脳会談の話まで持ちあがっていた状況が、天安艦の沈没を機に一挙に敵対関係に変わり、国際社会で犯罪者の烙印を押される危機に直面し、各種の大規模な米韓軍事訓練が続く中で、ついに彼らなりの計算された勝負手を打ってきたのである。その結果も一方的な損失ばかりではない。南の国民の人心を失ったことは何よりも大きな損失だが、そうした長期的な考慮は、元来北朝鮮当局の目算では大した比重を占めていない。それよりも内部の結束を強化すると同時に、西海地域を明確な紛争地域として国際社会に刻印するのに成功し、対米交渉において――韓国軍の武力デモンストレーションへの対応自制と平壌に来た当時のリチャードソン知事(ニューメキシコ州)との合意も合わせ――新たな契機をつくった点を自賛している可能性が高い。

 

2011年、常識と教養の回復を始める年に

 

上記の二つの推論のうち、どちらがより妥当とみるかは、各自の所信と良識にしたがって判断すべき問題である。しかし、忘れてならないことは、それがどこまでもAとBという、両立不可能な前提から出発した推理であり、二つのうちどちらの前提が正しいかは、徹頭徹尾事実の次元の問題だという点である。

もちろん、世の中万事を科学に任せることはできない。例えば、真実究明後の状況にどう対処するかは、科学のみでは決定できないし、科学的真実が無視される状況をどのように突破するかも自然科学以上の教養と実力が求められる。だが、科学の領域を超えてやるべきことはやるにせよ、科学の領域に属する事案において科学の権威を認めることこそ人文的教養であり、自らの生き方の主人たろうとする民主市民が備えてしかるべき要件なのである。

とまれ、天安艦沈没の原因が魚雷攻撃だったのか、座礁だったのか、機雷爆発だったのか、あるいは座礁後の機雷爆発だったのか、という問い自体はひとえに物理学、化学などの自然科学によって究明されるべきことである。そこには左も右も、進歩も保守もないのである。それでも、この問題が政治論理と思想レベルの攻防戦に巻きこまれたのは、2010年に韓国が経た骨身にしみる挫折の一つであったし、政府や国会、メディアのみならず、私たちインテリ層全般にわたる薄っぺらな教養を露呈させた事件であった。

しかし同時に、2010年の韓国社会が無教養と没常識で一貫していたわけではなかった。一身上の不利益をも顧みず、真相究明に勇敢に立ち上がった諸個人の献身があったし、彼らに呼応した大勢のネティズン(インターネット市民、利用者)や匿名の科学者がいた。何よりも6・2統一地方選  2010年6月2日の統一地方選挙は、政権後半期を迎えた李明博政権に対する中間評価という政治的意味を帯びた。この選挙で野党勢力は広範な連合政治を形成し、与党ハンナラ党に対して全国的な勝利を収めた。  で、この地の平凡な市民たちは意図的に助長された「北風」(北朝鮮脅威論と、それに基づく対北強硬姿勢)を鎮め、李明博政権に厳重な警告を発したのである。

ところで、本当に難しいのは天安艦沈没の真実が明らかになった時ではないか。仮説AとBのうち、どちらが真実であっても、私たちが普通考えている以上に、事態はずっと深刻である。Aであっても戦争はダメだという命題は依然として有効だが、犯罪的であるばかりか、予測不能の北朝鮮政府が核兵器まで保有した、この危険千万な事態をどのように管理するのかは、難題中の難題である。反対にBの場合のように、北朝鮮からの攻撃はなかったのに、韓国政府自らがそうした途方もない歪曲と情報操作まで犯したならば、これまたあまりにも困り果てた、危険千万な事態である。事態をとり繕うためのまた別の強引な手段も排除できないし、私たちの手で選んだ政府があまりにも早く、あまりにも深刻なレイムダック現象に陥ることも決して望ましいことではない。一般市民の健全な常識と、保守・進歩の古い枠組を超えた合理的な力量を結合させることによって危機的な局面を収拾し、新たな跳躍を成し遂げるべき時である。

1987年に民主化を達成して以来の韓国社会は、選挙による政権交代の可能性が開かれた社会であるだけに、2012年の総選挙および大統領選挙との関連を抜きにした「新たな跳躍」は現実性に乏しい。とはいえ、2011年に各界各層において常識と教養の回復を始めながら国政全般の改編を準備することなしには、2012年にも大きな成果を期待することは難しいだろう。何よりも、連合政治[最近の韓国では、政治的協力を意味する政治連合と区別してcoalition politicsの意味で使う]の大切さを確認した統一地方選の教訓を、異なる条件に合わせて生かす知恵が必要であり、そこにはこの間選挙とは無縁に韓国社会のあちこちで成熟してきた新たな気運を必ずや反映させなければならない。四大河川事業に抵抗する宗教界と市民社会の頑張りはまだ政府の方針を変えるには至っていないが、韓国社会の体質を変えてきている。底辺民衆の生存権のための闘いとして、起隆電子の労働者やKTXの女性乗務員  起隆電子と韓国鉄道公社(KORAIL)のKTX(韓国の新幹線)の女性乗務員は非正規雇用をめぐる問題の代表的な事例であり、最近4~5年間にわたる法廷闘争を含む争議闘争を通じて正社員への格上げを要求してきた。その結果、会社との合意が成立したが、その適応は最後まで闘った少数の人に限られた。   の貴重な勝利が記録されたことも、その外形的な規模だけで判断すべきではない。

そうしてみると、2010年は挫折も多かったが、成果もまた無視できない一年だった。私自身は、昨年の挫折と成果を踏まえ、新年はいかなる年にも劣らぬ進展があるだろうと、夢を膨らませている。

 

〔翻訳〕=靑柳純一