歴史と安保の分離は可能か

―日本の右傾化と日韓関係

 

権赫泰:聖公会大学日本語科教授、著書として『日本の不安を読む』『戦後の誕生』(編著)などがある。 Kwonht88@gmail.com

 

 

1.安倍首相の「危険な賭け」:靖国神社への参拝

 

日本の安倍晋三首相は就任1周年にあたる2013年12月26日、靖国神社を参拝した。現職の首相としては、2006年8月15日小泉純一郎首相が参拝して以来、7年4カ月ぶりのことだった。これで安倍晋三は、戦後日本の首相28人のうち靖国神社に参拝した首相14人の一人に名を連ねた。回数で言えば、現職首相の参拝としては67番目にあたる。靖国神社にA級戦犯が合祀された事実が判明した1979年4月(合祀は1978年10月17日)から計算すれば、安倍首相は靖国神社に参拝した5人目の首相であり、回数は29番目にあたる。第一次安倍政権期(2006-07年)に靖国神社を参拝できなかったことを、一昨年末の衆議院選挙時に「痛恨の極み」と語り、また2013年10月19日にも「その気持に変わりはない」と語っていたので『毎日新聞』2013年10月19日。、安倍首相としては時過ぎての「憂さ晴らし」をしたわけである。

「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根康弘首相が電撃的に靖国神社を公式に参拝した1983年以来、靖国参拝はいつも国際社会から関心の的になってきた。フランスの哲学者ロラン・バルト(1915~1980)は、天皇が居住する東京中心部の皇居を指して、「空虚な中心」と述べたことがあるRoland Barthes, L`Empire des sighes (1970)。同書の日本語版は、『表徴の帝国』、ちくま学芸文庫、1996年。。実際、靖国神社には遺骨も位牌もない。いくつかの建物と、天皇の「命令」で霊壐簿(旧・祭神簿)に登載されたA級戦犯14人と戦没者250万人の「霊魂」だけがある「ガランとした空間」である。この「ガランとした空間」が、日本という国家の政治的・理念的な行方を測るバロメータになったという意味で、靖国神社は皇居とともにもう一つの「空虚な中心」であるかもしれない。だから、新たな首相が登場したり、日本で「終戦記念日」と呼ばれる8月15日になると、この「空虚な中心」はいつも論争の種になってきたのだ。

しかし、安倍首相の今回の参拝ほど、日本の国内外で「葛藤」を呼び起こしたことはなかった。日本国内でも少なくない反発があったが、特に国際社会の反発は日本社会の「予想」を超えていた。もちろん、中国と韓国の反発は安倍首相の想定内にあっただろう。それでも靖国参拝を強行したのは、中国と韓国の反発が外交関係の断絶や軍事的衝突にいたるとは思わなかったからである。また、彼は首相就任後の1年間に中国の「台頭」に脅威を感じている東南アジア10か国を歴訪して「中国包囲網」を構築したと信じていたため、反発を中国と韓国で収めうるだろうと判断していた。イギリスの週刊誌『エコノミスト』が、安倍首相の靖国参拝を「外交的災い」を呼び起こす「危険な賭け」と報道(2014年1月4日)したとはいえ、もし反発が中国と韓国に限定されたならば、安倍首相の「危険な賭け」は成功だったかも知れない。だが、安倍首相の予想は外れた。予想外のところで反発が弾けたからだ。シンガポール外務省のスポークスマンは、12月29日記者の質問に答え、安倍首相の参拝に「遺憾」(regret)の意を表明しシンガポール外務省のホームページ(2013年12月29日)を参照(http://www.mfa.gov.sg/content/mfa/media_centre/press_room/pr/2013/201312/press_20131229.html)。、潘基文国連事務総長も12月27日「過去に由来する緊張関係が、未だにこの地域を悩ませているのは極めて遺憾である」と言明した。韓国の連合ニュースによれば、キャサリン・アシュトンEU外務・安保上級代表(いわゆるEU外相)もスポークスマンの声明を通じ、「(東北アジア)地域の緊張を緩和して、隣国との関係を改善しようとする努力に冷や水を浴びせる行為」だ『京郷新聞』2013年12月29日。として、安倍首相の靖国参拝に憂慮の念を表した(2013年12月27日)。ロシアもこの反発に加勢した。

とはいえ、安倍の予想を最も大きく覆したのは、やはり米国の反発だった。安倍首相が靖国神社を参拝した当日、駐日米国大使館はまるで待っていたかのように、「日本は重要な同盟国かつ友好国」だが、「日本の指導者が隣国との緊張を悪化させる行動をとったことに米国政府は失望した(disappointed)」という声明を発表し『朝日新聞』2013年12月26日。、ついで12月30日国務省の報道官も駐日米国大使館の声明を追認した。日本の共同通信の報道(2013年12月29日)によれば、米国は外交的にはるかに強い表現である「遺憾」も検討したが、日米関係を考慮して「失望」という表現に変えたという。前述した『エコノミスト』の報道によれば、米国は安倍政権に靖国神社への参拝をしないように数回にわたって勧めたが、この報道が事実ならば、安倍首相は米国の度重なる要請にもかかわらず、靖国参拝を強行したのである。

米国の反発に日本側が当惑を隠せなかったのには理由がある。実際、米国の反発は極めて異例である。なぜなら、日本の首相の靖国参拝に対して、米国政府が公式的な立場を明らかにしたことはなかったからだ。例えば、10回参拝した中曽根首相に対しても、また6回参拝した小泉首相に対しても、米国は沈黙を守った。

米国にとって、靖国神社は二つの次元の問題である。靖国神社に合祀されているA級戦犯14人(7人は絞首刑、7人は病死)は、敗戦後「戦犯」国家の日本に対し、米国が主導した極東国際軍事裁判(東京裁判)が下した歴史的決定である。そして、日本はサンフランシスコ講和条約第11条の規定により、この裁判結果を「受諾」(accept)したことを公認した。したがって、A級戦犯に下された判決を「悔しさ」で包装したり、これは勝者が敗者に下した誤った決定だとみる歴史観は、東京裁判およびサンフランシスコ条約と矛盾せざるをえない。だから、靖国神社に合祀されているA級戦犯に対する日本政府の公式参拝は、東京裁判とサンフランシスコ条約を否定する行為であり、その歴史的基盤の上に立っている戦後体制と日米関係に対する明白な挑戦行為である。しかし、今まで米国は靖国神社への参拝に対し、公式的に「失望」のような単語を使って声明を発表したことはなかった。では、なぜ米国は安倍首相の靖国参拝に対して、外交的なアドバイスをためらわなかったのか。

やはり、靖国参拝が東北アジアにおける軍事的緊張の高まりへと進展することに対する憂慮が大きく作用したと見なければならない。特に、就任初期から一連の「暴言」によって、中国や韓国と葛藤を引き起こしてきたので、靖国神社への参拝は「火に油を注ぐ」行為と判断したのだろう。したがって、米国の「失望」は靖国参拝という行為自体よりも、領土問題および歴史認識などで、安倍政権が韓国と中国に対して葛藤を深めてきたという点にある。

もちろん、日中間の緊張の高まりは米国の対アジア政策に必ずしもマイナスになるわけではない。むしろそれは、日米同盟体制下のアジアで、日本の軍事的役割を増大させようという米国の利益と適合する面もある。中国との葛藤・対立が高まるほど、日本国内の安保への危機感は高まり、日本の米国依存度が高まるたけでなく、米国が日本に対して要求し続けてきた、憲法改定や集団的自衛権をめぐる日本国内の拒否反応が弱まりうるからである。しかし、米国にとってこの緊張の高まりは、どこまでも米国の「管制」下で作動しなければならない。中国の反発を予想しながらも、靖国参拝を強行した安倍首相の「危険な賭け」は、下手したら、日本が米国の管制から脱するという引き金にもなりうる、と米国は見たのだろう。

もちろん、韓国との関係では別の側面がある。日米同盟と韓米同盟を通じて、米国を頂点とした一種の有事三角同盟を結んでいる米・日・韓関係において、日韓の軍事安保的な連携は米国の対アジア政策にとって重要である。李明博政権の時に、日本と韓国が推進した日韓軍事交流の動きも、こうした米国の要求に応えるための初期的な整地作業であった可能性が高い。特に、朴槿恵政権と第二次安倍政権の同じ時期の成立は、両政権の理念的な性格を見る場合、日韓安保協力に対する米国の期待を高めただろう。しかし、現実は米国の期待とは異なり、歴史認識の問題をめぐって日韓両国の葛藤が先鋭化する結果をもたらした。

このようにみると、靖国参拝問題は第二次世界大戦に対する歴史的な評価であると同時に、その歴史観を通じて東北アジアの安全保障問題へと連動しているのがわかるだろう。つまり、東北アジアの問題が歴史認識と安全保障という二つの次元で機能・作動していることが、靖国参拝問題を通じて表れたわけである。言い換えれば、東北アジアでの歴史と安保の問題は相関関係にある。

 

2.安倍政権と朴槿恵政権の同時登場が意味するもの

 

予想を超える速度と方向ではあるが、安倍政権の歩みがただことではないという展望は、安倍政権が登場した2012年12月から既に予想されていたので、実際、安倍首相の靖国参拝は意外なことではない。第一次安倍政権の時に教育基本法を改定し、憲法改定のための国民投票法を制定するなど、右傾化の実績もすでにある。2009年に日本では史上初めての政権交代に成功した民主党が、こうした右傾化に歯止めをかけるどころか、以前の自民党との違いを示せないまま3年ぶりに政権を自民党に明け渡したので、安倍政権の右傾化はすでに予見されていた。

「日本を取り戻す」というスローガンの下に登場した第二次安倍政権は、予想通り、領土問題、慰安婦問題、教科書問題などで粗雑な言語を浴びせかけ、結局は、靖国神社への公式参拝によって2013年の幕を閉じた。その上、憲法改定への強力な意志を鮮明にし、集団的自衛権の行使のために解釈改憲を拡大するという意志を鮮明にした。また、米国との軍事同盟を強化するための布石として、日本の安全保障に関する情報を漏洩した者に対する処罰条項を含んだ「特定秘密保護法」を制定した。さらに、3・11大震災後に沸き立っていた脱原発世論を抑えこむように、原発を放棄する意思が全くないことを繰り返し表明した。安倍首相自身は、2014年1月30日の国会代表質問で、自らの歩みは「決して右傾化ではなく」、「現実を直視した責任ある政治」『朝日新聞』2014年1月30日。だと強弁した。だが、右傾化という用語が政治理念の座標軸の流れを表すものならば、安倍政権はむしろ既存の右傾化の流れをより加速化させていると思われる。

それゆえ、この1年間に日韓関係と日中関係が最悪の状態になったのは当然である。だが、実は、第二次安倍政権と朴槿恵政権が同時に登場した政権当初(2013年初め)をみると、両政権間の蜜月関係の可能性を予測する意見も少なくなかった。両政権の間に、いくつかの共通点が発見されるからである。第一に安倍首相と朴槿恵大統領はともに「二世(世襲)政治家」であり、第二に政治的象徴の意味では「維新」の復活を体現しており、第三に政治理念的にも親米・反共保守の色彩が濃いという共通点がある。二世政治家という面から見れば、日本の場合、1980年代以後に首相を歴任した19人のうち12人が二世政治家であり、自民党議員の約30%以上が二世政治家なので珍しいことではない。一方、韓国の場合、二世政治家は極めて珍しい。だから、朴槿恵大統領の登場は今後の韓国社会で二世政治家の勢いを予想させる節目ともいえる。圧縮型近代化の過程で表出した、急激な世代間の職業および階層移動の時代が終わりを告げ、一部の特定支配階級内で職業および階層の世襲化と固定化が予想されるのだ。もちろん、単に人物の承継だけでなく、理念と価値の世襲性という点は言うまでもない。政治理念の側面では、冷戦解体後に日韓両国で表れた様々な政治的摸索が、結局は親米・反共体制の「復活」に帰結されたという点で、東北アジアにおける冷戦的な政治地形の強固さとその有効性が今も続いていることを示している。こうした共通点のために、理論的には朴槿恵-安倍政権の同時登場により、開発独裁時代に表れた朴正熙独裁政権と自民党の蜜月関係が復活する可能性が提起されたのである。

両政権の登場直後に、筆者は東北アジアで相反する二つの流れが表出するだろうと予想したことがある。その一つは、領土問題と歴史認識(慰安婦、教科書、靖国問題)で南・北と中国が「連携」して日本を包囲する可能性が高まり、日本の孤立が深まる流れである。もう一つは、外交・安保分野で中国・北と対峙する日・韓の連携傾向がさらに強まる流れである。そして、こうした相反する二つの流れの中で安倍政権が選びうるシナリオとして、次のような二種類を想定した。①安保領域で韓国の協力を引きだすために歴史問題では戦術的に「自粛」の態度をとる場合、②歴史問題と安保領域の双方で攻勢的な立場をとる場合、という二つである拙稿「朴槿恵に“右派共存”の手を振るか」『ル・モンド・ディプロマティーク』第52号、および2013年1月12日と2013年2月2日に韓国と日本の市民団体関係者が共同参加した日韓戦略会議で筆者が配布した発表文。。1年経った現時点でみると、安倍政権は②を選択したため、歴史葛藤の流れが安保領域における日韓連携の可能性を圧倒した。もちろん、①の可能性が消滅したわけではない。

米国の同意の下に集団的自衛権を確保し、これを通じてアジアで日本の軍事的位相を高めようとする安倍政権にとり、韓国の安保協力は極めて重要である。したがって、安保協力に障害となりうる韓国との歴史葛藤は短期的に避けたい選択であり、これはまた米国の意向でもある。考えてみれば、靖国神社で重要な意味をもつ毎年4月の春季例大祭、終戦記念日である8月15日、そして10月の秋季例大祭に安倍首相が参拝しなかったのも、韓国の安保協力を引きだすために歴史葛藤を極大化したくないという判断が作用した可能性がある。事実、共同通信の報道(2013年12月29日)によれば、安倍首相は「(自らが)靖国参拝をこのように自粛しているのに、韓国と中国は対話を拒否している」と不満を漏らしていた。さらに、北朝鮮との対決を鮮明に打ち出した朴槿恵政権にも、日・韓・米の協調体制を構築するためには日本との安保協力は重要であり、両政権間の協調の可能性はいつの時よりも高かったと思われる。では、なぜ両者の関係は予想を覆し、悪化一路のまま来ているのだろうか。

実は、朴槿恵政権は領土-歴史認識の問題では原論的な立場に立ち、前進も後退もしない「現状維持」の態度を取らざるをえなかった。「前進」は日本との外交的葛藤を高めるだろうし、「後退」は国内の反発を招いて世論の悪化を引き起こすからである。特に、領土-歴史認識の問題で世論が悪化すれば、安保における日韓協力の動きに障害となる可能性が大きく、これは日韓両国の協調を望む米国の意向に反する結果をもたらす。だから、歴史問題で先制的・攻勢的には踏み出さずに、安保領域と歴史問題の「分離対応」原則を固守せざるをえなかった。そうして、安倍政権の「自粛」を期待するとか、日本の「暴走」を止めてくれる米国の役割に頼らざるをえなかった。対日関係では原則論を繰り返す「静態的外交」が予想された理由である。こうした点からみれば、朴槿恵政権の対日政策は極めて限定されていた。

問題を大きくしたのは、やはり安倍政権の方である。では、なぜ安倍政権は領土-歴史問題について、韓国や中国の反発をかうような発言を繰り返してきたのか。もちろん2013年7月には参議院選挙があったので、世論の動きに敏感な内閣責任制の属性上、支持率の行方は安倍政権にとって極めて重要である。その上、安倍政権は「経済活性化」(アベノミクス)とともに領土守護、憲法改定、靖国参拝を公約に掲げて権力の座を握ったので、大衆的な人気を支える一要素だった領土-歴史問題を避けて通れなかったのである。

安倍政権にとって最も重要な政策的目標は、アジアにおける日本の軍事的役割を拡大することだ。いわゆる「集団的自衛権」の確保である。これは米国がずっと要求してきたことでもある。集団的自衛権を確保しようとしたら、明文改憲の形であれ、解釈改憲の形であれ、憲法上の制約から脱しなければならず、そのためには消極的でも積極的でも、内外の「同意」が必要である。日本社会の内部で相変わらず多い憲法改定の反対世論を、賛成世論に切り換えるためには外部からの脅威を強調するのが最も効果的である。韓国や中国との葛藤を高めて「中国の脅威」論と「韓国の反日」論を強調すればするほど、日本国内の危機意識が高まり、改憲に反対する世論を抑えこんで中間層を賛成世論へと引き込む効果が期待できる。歴史問題での葛藤は、こうした危機感を助長するには極めて効果的な武器であった。だが逆に、韓国との歴史問題での葛藤が高まれば高まるほど、安保協力は難しくなる。つまり、歴史問題での葛藤は、安倍政権にとって「両刃の剣」であった。結局、安倍政権が選択したのは、韓国の同意を短期的に放棄して自らの右傾化の歩みに対する支持率を高め、短期的には解釈改憲、長期的には明文改憲の政治的基盤を確保する道だった。事実、消費税率の引上げ決定と「特定秘密保護法」の改定後、急落傾向にあった安倍政権の支持率は、靖国参拝後に反騰して上昇傾向に戻った。もちろん、こうした安倍政権の「暴走」が安倍個人の「非正常性」から生じるのではないことは言うまでもない。つまり、安倍首相が右傾化させたのではなく、日本社会の右傾化が安倍首相という「怪物」を作ったのである安倍政権に対する中間評価の性格をもつ2014年2月9日の東京都知事選挙では「予想通り」、安倍首相が支持する舛添要一候補が当選した。日本社会が安倍路線を支持しているという傍証である。。

 

3.「65年体制」と「95年体制」


とはいえ、朴槿恵政権と安倍政権の「不和」を、安倍政権の短期的な右傾化プロジェクトの結果としてだけで見ることができない理由がある。なぜなら、歴史的に形成された日韓関係にもっと根本的な矛盾が存在しているからである。歴史と安保の相関関係という次元で日韓関係を支えてきた二つの体制を通じ、その矛盾に接近してみよう。その一つは「65年体制」であり、もう一つは「95年体制」である。「65年体制」とは、第一に米国を頂点にした垂直的な系列化に基盤をおく米・日・韓の有事三角同盟体制(日米同盟と韓米同盟)を通じ、ロシア-中国-北朝鮮を封鎖・包囲し、第二にこの体制を維持してその安定性を高めるために、歴史問題の噴出などを物理的な暴力によって抑圧したり、管制可能な領域に閉じ込めて領土問題を「縫合する」体制を意味する。制度的には、「日韓併合」(1910年)の無効と請求権の消滅、そして大韓民国を韓(朝鮮)半島の唯一の合法政府として認めるという内容を含んだ1965年の日韓条約に、その起源を置いている。一言でいえば、安保を「生かして」歴史を「殺す」ことで、両者間の相克を解消する体制を意味する。朴正熙軍事独裁政権と自民党の蜜月関係を支えた「65年体制」は、冷戦体制が解体した1980年代後半まで続いた。1980年代後半の冷戦体制の解体と韓国の民主化は、「65年体制」に決定的な転機をもたらした。その一つは、「65年体制」の前提条件だった南・北間の極端な対決構図に融和の雰囲気が造成され、韓ソ国交回復(1990年)、韓中国交回復(1992年)が実現し、ロシア-中国-北朝鮮を包囲する既存の米・日・韓有事同盟体制の変化が不可避になったという点である。特に日本の立場から見れば、「65年体制」下で韓国が主に引き受けていた軍事的リスクが日本へと一部転移し、米国と韓国に依存していた既存の安保政策に変化が必要となった。1990年代以後、自衛隊の外縁拡大、日米同盟の強化、そして憲法改定の動きは、こうした背景から表れでた。もう一つは、韓国での民主化の進展によって反共軍事独裁政権の下で抑圧・封印されてきた歴史問題が噴出し、これを物理的な暴力で抑制・管制してきた「65年体制」に危機が訪れたという点である。「慰安婦」問題などを始めとする歴史問題が、大体1990年代以後に洪水のように溢れ出したのは、逆に言えば、軍事独裁政権が米・日・韓協調体制を維持するために、いかに歴史問題を抑圧してきたかを傍証する。安保を生かして歴史を殺し、両者の相克を解消してきた「65年体制」は、これ以上作動しえなくなったのである。いわゆる「65年体制の危機」である。こうした状況下で登場したのが、まさに「95年体制」である。「95年体制」とは、慰安婦の強制性を認めて、これへの謝罪を含んだ「河野談話」(1993年)と植民地支配および侵略に対して謝罪した「村山談話」(1995年)などの一連の「謝罪外交」によって作られた日本の歴史認識を意味する。その後、紆余曲折はあるが、歴史認識をめぐる日韓関係の骨格は、「95年体制」に基礎をおくようになる。例えば、1998年10月に金大中大統領と小渕恵三首相が共同で発表した「日韓共同宣言――21世紀に向けた新たなパートナーシップ」は「95年体制」の代表的な成果である。また、2010年8月に発表された菅直人首相の「日韓強制併合百年談話」も、「河野談話」と「村山談話」の延長線上にある。したがって、「95年体制」は1990年代以後の日韓両国政府が公的に共有した歴史認識を指す体制だと見ることができる。和田春樹は「河野談話」と「村山談話」に対して、戦後50年にあたって日本が「確立した共通の歴史認識」であり、「隣国の理解と支持の下に諸国民の和解と協力を引きだした公共財」だと述べて高く評価する和田春樹「安倍首相にとっての歴史認識問題」『世界』2013年9月号。。彼の言葉通り、「村山談話」などが「隣国の理解と支持」を受けたかについて疑問の余地はあるが、「65年体制」が無視した植民地支配をめぐる行為と慰安婦問題について、国家のトップが公式的に謝罪の意志を盛り込んだという点で評価に値する要素がないわけではない。こうした点からみれば、「95年体制」は「65年体制」を歴史認識の面でより一歩発展させたものだと見ることができる。だが重要なのは、「95年体制」が「65年体制」の補完物であって代替物ではないという点である。「95年体制」は国家の賠償責任を否定し、これを「謝罪」という形でとり繕うことで「65年体制」がもつ矛盾を体制内に吸収し、「65年体制」を延命させようとする試みだったとも思われる。これ以後、植民地支配の責任問題は「65年体制」に対する根本的な問題提起の性格を失い、国家の責任者の「謝罪」発言の是非やそのレベルをめぐる争いへと矮小化され、漂流することになる1990年代半ばの「謝罪外交」については、拙著『日本戦後の崩壊:サブカルチャー消費社会そして世代』、J&C、2013年を参照。。もう一つの重要な問題は、「95年体制」をみる視角においても日韓の間で根本的な違いが存在する点である。韓国では、責任と補償なき「時遅れた謝罪」と要約される「95年体制」を、「65年体制」の矛盾を解決するための通過点と見ざるをえなかった。なぜなら、「65年体制」の根幹となる日韓条約が、その正当性において根本的な疑いをもたざるを得ない状況、つまり反共独裁政権下で結ばれた条約だからである。国際法上の拘束力いかんや実現の可能性とは関わりなく、日韓条約の廃棄論や否定論が登場するのはこのためである。これに対して日本は、国際法上「65年体制」が歴史問題に対する最終的な解決だったという立場を一歩も譲らないでいる。さらに、「95年体制」を通じて「65年体制」では含みえなかった「謝罪」の意志まで含めたので、歴史問題は法的にも倫理的にも完全に解決されたと考えるのだ。したがって、日韓の間での歴史葛藤は帝国主義の侵略と植民地支配をめぐる「解釈」問題でもあるが、同時に「65年体制」と「95年体制」をめぐる解釈の問題でもある。実は、こうした状況は双方の社会が経験した歴史的な違いに由来する点が大きい。日本側は根本的に明治維新以後の秩序を強固な連続性として是認し、これに対する改変の可能性を、少なくとも公的には認めていない。これに対し、韓国側は植民地時代や独裁政権によって作られた制度や条約が現在の「生」を規定しているとしても、民主化運動の経験を通じて、これはいつでも改変可能なものと解釈する傾向がある。言わば、歴史の連続性に対する根本的な懐疑が存在しているのだ。

 

4.残された問題

 

今後、日韓関係はどうなるのか。もちろん、安保のために物理的に歴史を殺した「65年体制」の復活は不可能である。そうかといって、現在の日本が安保のために歴史問題を根本的に解決する意志があるようには思えない。やはり、双方の政権が選びうる最も「安易な」方法は、安保のために歴史問題を「95年体制」のレベルで縫合し、「65年体制」の延命を図る道である。特に、両政権の理念的性格と国際情勢の推移、そして米国の要求を勘案すれば、過去の政権で推進してきた軍事交流のような安保協力を加速化させるために、歴史問題での葛藤を「95年体制」のレベルでとり繕う公算が高いと思われる。つまり、「河野談話」と「村山談話」の継承を消極的にも安倍政権が宣言し、これを朴槿恵政権が受け入れることで、双方の「関係正常化」を図る可能性が高い。要するに、それは歴史を「縫合」して、これを安保から分離することで、安保協力の基盤の「正当性」を確保する道である。仮りに、日本政府が「過去は過ちだった、謝罪する、しかし、憲法改定はする、集団的自衛権も確保する、日韓軍事交流も推進しよう」と述べる。韓国政府は「日本は謝罪した、経済問題もあるし、安保問題もあるので、未来のために日本との関係をより一層緊密にしよう」という方式である。顧みれば、「95年体制」下で進行した日本の右傾化プロジェクトも、こうした「分離方式」によって進行してきたと見ることができる。

だが、歴史と安保は分離が可能な問題ではない。なぜなら、日韓関係の基本骨格は安保を生かすために歴史を殺すことで成立し、この構造がずっと反復されてきたからである。したがって、日本に歴史問題の根本的な解決を要求する態度は、二つのレベルで重要である。第一に、19世紀以来形成されてきた帝国主義中心の国際秩序に対する根本的な問題提起の性格をもつという点である。領土や「東海表記」をめぐる日韓の葛藤は、一方で両国ナショナリズムの衝突という性格もあるが、同時に帝国主義時代に日本の主導で作られた国際秩序に対する「異議申し立て」という性格ももっている。第二に、歴史問題に対する問題提起が、「65年体制」下で形成されて「95年体制」として延命した米・日・韓有事三角同盟体制を、実質的な三角同盟体制へと切り換えるための最近の動き(日韓軍事交流)にブレーキをかけうる、実践的な意味をもつという点である。もちろんこれは、日韓両国の安保協力を防ぐために歴史を人質にしようという意味ではない。むしろ、安保を人質にして歴史を殺してきた「65年体制」と、この延命を図った「95年体制」の限界を超えるためである。歴史を生かすことで安保を殺す道と、安保を殺すことで歴史を生かす道は、結局、同じ根幹から出てきた二本の枝である。もちろんこの道が、富国強兵を志向する「素早い近代」(日本)に対して「立ち遅れた近代」(韓国)が追いつくことになってはいけない点は言うまでもない。

 

翻訳: 青柳純一

 

李政勳 / 東アジア言説、行く路来る路――白永瑞『核心現場から東アジアを問い直す』の内外を考察する

2014年 3月1日 発行


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