[新年コラム] 成功する第2期キャンドル政府をつくろうとすれば/白楽晴[2021.12.31]

 

現在キャンドル革命が進行中というのは事実なのか。事実ならば、どうして大統領選挙(以下、大選)の局面でこれを叫ぶ候補がほとんどいないのか。いや、一時キャンドル大抗争に深く関与した市民団体ですらキャンドル革命を認めて活動する事例が、どうしてこれほど珍しいのか。
 その理由の一つは、「キャンドル革命」を2016~17年の「キャンドル大抗争」と同一視して5年が過ぎた過去のことと見なす傾向のためだろう。より重要なのは、第1期キャンドル政府を自任した文在寅政権への失望と憤怒が澎湃としてあり、キャンドル革命をもちだすのが「もうかる商売」にならないからだろう。

 

第1期キャンドル政府は実話
 それでも、文在寅政権がキャンドル政府であるのは厳然たる事実である。キャンドルなしには執権が不可能だっただけでなく、通常の民主政権ならばいくら政治力が優れた大統領がなってもやれなかった非常に多くのことをキャンドルの気運に乗じてやり遂げたからである(新刊の拙著『近代の二重課題と韓半島式国づくり』の「序章:キャンドル革命と開闢世の主人役のために」、14~15頁)。
 とはいえ、キャンドル政府という事実は祝福であると同時に毒杯でもあった。平和的に執権したために革命事業も既存の憲法と制度を尊重して遂行せざるをえなかった上に、キャンドル市民の期待があまりにも大きく多様で、誰もが担いがたいものであった。その上、2020年の総選挙で国民が機会をうかがっていた野党への懲罰をついにやり遂げ、執権与党に圧倒的な議席を工面してやったのに、政府・与党が示した姿勢はキャンドル精神とはあまりにも程遠かった。その結果として、むしろ政権交代の世論が一時は圧倒的だったし、それは今でも侮りがたい。こうして野党「国民の力」が来年の大選で勝利すれば、第1期、第2期を論じるどころか、キャンドル革命は5年限りで終わった「未完の革命」として歴史に残る情況なのである。

 

なぜ利口な人々がしばしば異常になるか
 そうだとしても、今も依然革命の過程だと思えるのは、いわゆる20代・30代の「反乱」もキャンドルを掲げた世代の離反であり、反キャンドル勢力の必死の反撃もここでキャンドル革命を終わらせなければ自分らが終わってしまうという切迫感の表出でもあるからだ。実際、私たちの社会の弊習の素顔が露見したことこそ、革命的な変化だと言える。
 利口者で有名な人々がしばしば異常になるというのも、最近の世間で際立った特徴である。単に利口なだけでなく、進取的という名声さえ得ていた人々も数多い。特に頭がよく、学閥が有力な人々の変化が目を引くが、極右勢力ならば発しかねない話をいつしか言いだしたかと思えば、巧妙な両非論で争点をそらして民衆の気運を挫いたりする。
 こうした現象を、私は仏家でいう「中根」の節目ないしは「中根病」の一部と規定したことがあるが(「世の素顔を見た後で何をするか」、ハンギョレ・「チャンビ週刊論評」、2020年12月30日、上掲書471~72頁)、それは個人レベルの問題というよりも、「能力主義」を絶対視してそういう「能力」を超える知恵や悟りをめざす修行を教育課程や社会の運行原理から根源的に排除する近代世界の本質的問題だという点が重要である。利口な人々がしばしば異常になる現実一つだけ見ても、革命期の急激な変化についていけなければただ停滞するのではなく、後退しがちだという真実を実感するようになり、もし第2期キャンドル政府が誕生しても、その前途がどれほど困難かを推し測りうる。

 

第2期キャンドル政府の展望と成功の可能性
 もちろん、第2期キャンドル政府を誕生させることが先決課題である。現実的に民主党政権ではないキャンドル政府を想定しがたいだけに、与党の政権再創出を放棄はできないが、多数の有権者は第4期民主党政権の樹立に冷淡というか、むしろ敵対的という難題が妨げになっている。
 幸いなのは、与党候補自身がそうした難題がわかっていると思われる点である。キャンドル革命なしには当初から民主党の公薦を得る可能性が希薄な人物だったが、民主党の候補らしく政権の再創出を叫びながらも、自らの当選が与野党の交代以上の変化になるはずだと説得しようと努めている。
 キャンドル革命の進路にとって、もう一つ幸いと言えば幸いなことがある。反キャンドル勢力の政権奪還の欲望が何しろ切実な余り、虚妄と思える境地に達したように見える点だ。老練で比較的欠点が少ないが、勝利には自信がもてない候補の代わりに、第一野党はわが国民がバカでもない限り、最後まで支持する可能性がない人士をあえて選んでしまった形勢である。
 李在明候補が当選しても、「成功した第2期キャンドル政府」になるかどうかは全く別問題である。彼の改革性と推進力はかなりの程度検証されたというが、私たちの歴史に深く根差しただけでなく、先進国における民主主義の後退という時勢さえ得た積弊勢力の実体を、彼がどれほど深く洞察して準備を整えているかは検討すべき問題である。例えば、彼は自らが城南市の公務員を掌握するのに2年かかったが京畿道では1年ですんだから、中央官庁の公務員は6カ月あればいいだろうと自信をのぞかせた。しかし、国会と言論機関、軍部と外国政府などの様々な圧力に加え、単期5年の制限もある大統領に比べれば、地方自治体の内部でトップが握る権力は、まさに“帝王的”といえるほどである。それでも、「火天大有」1事態を通じて露見したように、中央の政治権力と金融・法曹・言論など各界の積弊勢力が地方自治体の事業にひとたび狙いをつけて邁進したなら、掌握力がどんなに強い市長でもほぼ手の打ちようがないのが実情なのである。
 国内の言論を通じて紹介もされたが、米国の政治学者マイケル・ジョンストン(Michael Johnston)教授は、韓国に独特な腐敗構造を「エリート・カルテル型」と分類したことがある。官僚、政治家、大統領府、軍、そして同一地域または同一学校出身のエリートが集結して権力基盤を維持し、腐敗を通じた利益を追求する類型だというのだ。さて、地方公務員と違って中央官僚(少なくとも幹部職以上の官僚)は「エリート・カルテル型腐敗」の本体の一部である。大統領の官僚掌握の試みは、まさに政界と法曹・言論・軍部・学界を網羅する多業種カルテルとの全面戦にならざるをえないのだ。
 ジョンストン教授はエリート・カルテル型腐敗の別の例としてイタリアをあげたが、私たちは韓国とイタリアの決定的な違いにも留意する必要がある。つまり、韓国は分断国家であり、分断が体制化した社会という点である。その結果、韓国のエリート・カルテルは分断体制のおかげでより悪質に作動する一方、分断体制なしにエリート層の腐敗が根深いイタリアに比べてより不安定なカルテルであり、可変的な現実でもある。南北関係の発展や分断体制の緩和ないし解消により、大きく揺らぐ素地がなくはないのだ。その上、私たちはイタリアと異なり、キャンドル革命を呼び起こした国民ではないか。韓国の積弊勢力が南北の和解と協力に全力で抵抗し、キャンドルに対する全面的反撃に出たのも無理はない。
 第2期キャンドル政府が成功しようとするなら、こうした現実に対する熾烈な省察と綿密な準備が必須である。何しろ5年任期の大統領が完遂できる課題には限りがあるという冷静な認識をもち、自らの任期内に終わらせうることとキャンドル革命の持続のためにまずは準備作業にでも着手することを判別して進める知恵も必要である。
 何よりもそのことを政府にだけ任せずに、市民自らが個人または多様な集団を通じて世の主人役を果たすことが関鍵である。当面は来年の大統領選挙でも、まるでデパートにショッピングに来たお客のように、誰それはこれだからダメだ、誰それはあれだからダメだと「高い識見」を誇るよりも、歴史の大きな流れで今回の選挙がいかに乾坤一擲の大会戦であるかを直視すべきであり、選挙前からも「成功する第2期キャンドル政府」づくりに、自分なりに最善を尽くすべきであろう。
*本稿は、『ハンギョレ』2021年12月31日付にも同時掲載されました。

 

白楽晴(ソウル大学名誉教授、『創作と批評』名誉編集人)

翻訳:青柳純一

 

 

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