〔対話〕私たちはじっとしていない

_セウォル号を越える若者たち

 

2014年 秋号(通卷165号)

 

 

金性桓(キム・ソンファン)1983年生まれ。社会運動家。社会革新グループ「ザ・ネクスト」(The Next)ディレクター。

パク・カブン 1987年生まれ。高麗大経済学科修士課程。著書に『ブルジョアのための人文学はない』『イルベの思想』『柄谷行人という固有名』がある。

朴珠龍(パク・チュヨン)1985年生まれ。創作と批評社季刊誌出版部編集者。

趙世英(チョ・セヨン)1979年生まれ。ドキュメンタリー映画監督。「バラエティー生存トークショー」「さあ、ダンスタイムだ」演出。

 

 

朴珠龍(司会) セウォル号の惨事が起こって100日目の日を3日後に控えています。この事件が韓国社会に与えた衝撃は非常に大きく、さまざまな話題や懸案を残しました。特に高校生が多数犠牲となり、社会的に追悼の世論が高まりました。私たちの既成の体制がどれほど粗末なものか、統制を受ける若い世代にとってどれほど致命的であるかが赤裸々になったといえます。
ですが、セウォル号の船内で聞こえてきた「じっとしていろ」という命令の空虚さと残酷さに対する反発として、「じっとしていない」というスローガンが新たに聞こえてきています。セウォル号のためでなくても、実際に最近の若者のなかには、既成の枠組みから抜け出した、新たな生き方を想像し追求する人々が少なくありません。それだけ韓国社会で通用する生き方が一定の限界に達したという傍証ではなかろうかと思います。今日はそのような若者のなかから3人の方をお迎えして、お話しを聞こうかと思います。まず金性桓さんは、現在の若者運動団体「ザ・ネクスト」のディレクターとして活動中の市民運動家です。パク・カブンさんは個人ブログ「赤い書斎」を通じて文筆活動を始めたのち、『ブルジョアのための人文学はない』(人間愛(出版社)、2010)、『イルベの思想』(五月の春(出版社)、2013)、『柄谷行人という固有名』(子音と母音(出版社)2014)などの著書があり、現在、大学院に在学中です。趙世英さんは10年以上映画界に従事しながら、「バラエティー生存トークショー」(2009)「さあ、ダンスタイムだ」(2014)など、主に女性問題を扱ったドキュメンタリーを発表した映画監督です。私がさらに詳しく紹介する必要もないでしょう。各自、現在の活動内容とともに、困難な道を歩くことになった背景についてお話し下さればと思います。

 

スペック、彷徨、オタクで過ごした若き日々

 

金性桓 まず私が身を置く「ザ・ネクスト」は、若者団体でなく社会革新グループを標榜しています。若者世代という呼称には重要な意味もありますが、一方で弱点もあります。ザ・ネクストは20代後半から30代初めの若者を中心に活動していますが、私たちが考える内容は、若者の世代言説でなく、この社会がどこに進むべきかを根本的に問うて代案を作っていくことです。一言でいって、より良い社会を作るために、人、政策、そして新たな方法論を準備することを目標に活動する社会革新グループだといえます。
私は本来、大学時代、就職関連の活動に没頭しながら暮らしていました。なので「スペック」(履歴書に書ける経歴や資格)も非常に多様です(笑)。公募展で長官大賞ももらいましたし、さまざまな機関で記者として活動をしたり、資格証の取得にも熱心でした。そうするうちに偶然、韓国若者連合(KYC)で主催する「チェンジリーダー」というプログラムに参加することになりました。20代が立ち上がって社会を変えようという趣旨で討論し、政策の提案まで行うプログラムですが、優勝すればニューヨークにインターンとして派遣されるというので申し込みました。私は市民団体が何かも知りませんでしたし、ろうそく集会の当時も、そのようなところに行く時間があったら就職準備でもしたいと思っていたほどです。そのプログラムの初日に禹皙熏(ウ・ソクフン)博士の講義がありました。彼の著書『88万ウォン世代』(レディアン(出版社)、2007)がちょうど出た時期でしたが、その日の話が、スペックを積んで就職の準備をする学生たちに、石を持ってバリケードを作ってデモをしろというんです。その話を聞いて「少しおかしな集団だ」「アカみたいだ」という気がして、1泊2日の日程の途中で荷物をまとめて逃げようとしました。ですが、その時、話を聞いたある友人が、どうせ参加費17万ウォンは戻ってこないだろうから、少し話を聞いていこうじゃないかと、それでも年配の方だから、いいお話しをされるのではないかと言ったので残っていました。1か月間、講義を聞いて、2か月はプロジェクトをやるプログラムでしたが、講義を聞いて機会があればニューヨークに一度行ってみようという、それなりの欲を持って飛び込んだのが、これまで6年目の活動を続けています。すでに就職のために準備したスペックは、おかげでみな水の泡になりました(笑)。

朴珠龍 6年間の市民運動の契機が、スペックのために出かけた講演とは、おもしろい理由ですね。大多数の若者が就職に没頭する最近の雰囲気では、そのような個人的経験が活動にも役に立ちそうです。現在はザ・ネクストのディレクターですが、どのような役割をされるのですか?

金性桓 私たちがザ・ネクストを始める時の悩みの1つが、どのようにすれば参加者が代表性を持つかという問題でした。普通このような組織は、代表や事務局、運営委員で構成されるでしょう。運営委員は会議に参加して、事務局である程度整理した案に可否だけを決めるのが一般的です。ですから、厳密な意味での市民参加が円滑に成立しないのではないのかと思い、別に代表を置かず、運営委員が代表性を獲得すると同時に、実際に活動を継続する構造を作ろうと決めました。そのなかでディレクターは、機能的次元で実務を支援する役割です。運営委員が実際の自分が望むミッションを社会のなかで実現していく過程を助ける程度です。団体を代表するというよりは、これらの善良な欲望をつなげて協業を引き出す、媒介者の役割と考えて頂ければいいかと思います。

趙世英 私はスペックのようなものには別に関心がありませんでした。学校にあまり行かず成績もめちゃくちゃで、問題意識もなく生きていました。私はいわゆる「MTV世代」ですが、MTV(ミュージックチャンネル)のミュージックビデオを見るのが好きで、そうするうちに大学でも映画サークル活動をすることになりました。ほとんどサークルの部室で寝起きしました。そうするうちに4年生になって卒業を控えたころ、会社員は私には合いそうにないと思うようになりました。すごく悩んだわけではなく、就職した先輩たちがスーツを着て通勤するのを見て、そのような服を着て通勤する自信がなかったんです(笑)。そのようななかでドキュメンタリーを製作する大学の先輩が助演出を探しているが、おまえがやったらいいといってその仕事を始めました。1987年の大統領選挙で盧泰愚大統領が当選した時、九老(クロ)区庁で起こった不正投票事件を扱った作品でした。私は2001年から参加しましたが、実はその時、独立ドキュメンタリー界の人々に会いながら冷や汗を流していました。独立ドキュメンタリーは、80年代からアクティビズム(政治・社会的な目的を達成するための実践意識としての映画運動)とともに成長したものです。最近はかなり多角化していますが、当時はそのような色がとても強かったために、入ってとても驚いたんです。みな貧乏で汚らしくて、酒ばかり飲んでいるが、酒の席の話はなぜあんなにつまらないのか(笑)。それで、ここにいれば私もこのようになるのか、これは少し違うと思っていたところ、ちょうど財政問題のために作業がダメになって、むしろよかったと思ってそこを飛び出しました。それから「忠武路(チュンムロ)編集室」に入社しました。1年余り勤めましたが、その時、映画版の徒弟制システムを経験しました。当時はそれが非人間的だという感じが強く、またそこを辞めることになってうろうろしましたが、部屋を借りる敷金の100万ウォンがなくてうろうろしている時、ちょうど一緒に作業していたドキュメンタリー監督から、また始めるから来るかという連絡をもらって行ったのが、これまでずっと続けることになりました。その後、「ショッキングファミリー」という作品を2003年から2006年までキョンスン監督といっしょに作業しましたが、女性に関する話が多いので、女性団体やあちらの人々とかなり知り合いになって、女性問題に対して考えることも多くなりました。

朴珠龍 最近封切られた「さあ、ダンスタイムだ」は、中絶問題を実際の当事者とインタビューしながら扱った作品です。以前の作品「バラエティー生存トークショー」も性暴行の問題を扱っています。女性問題に関心を持つことになったのは、ならばドキュメンタリー作業を始めてからでしょうか? 普通のフェミニストならば、理論に先に接する場合が多いと思いますが。

趙世英 もしかしたら、私がこのことを長く続けることができるのは、いわゆる「運動圏」ではなかったからじゃないかと思います。大学の時は運動圏やフェミニストにかなりよくない視線を持っていましたし、彼らの話が、なにか別の世の中の話のように聞こえたりもしました。ですが、ドキュメンタリーの作業しながら、また自ら生きながら悟ったとでもいいましょうか。誰かが苦しんでいるのを見れば、「この人がなぜ苦労しなければならないだろう?」と悩みます。そのように考えながら世の中を見るフレームができたのですが、私にはそれが女性であるがゆえに体験せざるを得ない問題のように見えて、その仕事を始めることになったんです。

朴珠龍 「さあ、ダンスタイムだ」を見ながら、インタビューがひとりひとりの話を通じて、中絶問題の全般を見る感受性を生き生きと提示しているという印象を受けましたが、「誰かが苦しんでいる」という地点から出発したというお話しを聞くと、さらによく理解できます。それでは最後にパク・カブンさんにお聞きしましょう。

パク・カブン 私は実は、ものを書くことになった劇的な契機がないんです。高校生の時から社会思想や哲学に関心があって、一人でオタク生活をするような感じでブログを運営してきました。ろうそく集会が最高潮だった2008年に徴兵で軍隊に行きましたが、その時もどういうわけか、セキュリティー点検のようなものにかからずに、ずっとブログに文章をアップすることができました。ずっとそのように過ごして、ある日、ありがたくも依頼が入って単行本を出版することになりました。初めての本『ブルジョアのための人文学はない』は、単一の主題を設定することなく、フェミニズム、政治哲学、経済学など、あれこれ私が見て感じた疑問を中心に書いたエッセイ集です。タイトルはいわゆる「人文学の危機」言説にそれなりの不満を持ってつけました。人文精神の危機や省察の不在のようなことを言っていますが、そのような話がむなしく感じられました。私もいわゆる88万ウォン世代に属しています。人文学に関心を持って本を書くのも、その後こちらの方面でキャリアを積むべきと思ったからというよりは、本当に好きで趣味生活のような形でやっていたものですが、そのような自意識の一方で、人文学徒として経済的問題や稼ぎのような話をまったくしない「人文学言説」に対する反感が同時にありました。お話しを聞いてみると、お二人とも領域が明確ですが、私は「人の口に戸は立てられない」のようなものです。除隊してからは社会運動をしたいと漠然と考えていました。ほとんど初めは運動圏を警戒視しますが、私は実は高校の時、フランスの1968年の革命のような出来事を本で接して憧れていたので、大学に行けば当然、石を投げてバリケードを作って火炎瓶を投げるものと思っていました。ですが、実際に来てみるとそうではありませんでした。そして2006年に「高麗大退学事態」がありました。学生たちが学内問題で本館を占拠したものの、教授を監禁したという名目で再入学も不可能となる退学措置が取られました。訴訟の末、結局、学校が敗訴しました。私も現場にいた「問題学生」の1人でしたが、私には衝撃的な事件でした。現場にいなかった人も監禁を謀議したとして退学になりました。実は教授監禁や本館占拠が問題ではなく、最初から学生運動に熱心だった人々を選んで7、8人を退学させたんです。インターネットでその学生を途方もなく非難する反応を見ながら、とても傷つきました。そうではないという話をぜひしたかったのですが、ますます言い争いのようなものになってしまいました。軍隊のイントラネットコミュニティで会った友人たちと、除隊後、一緒に生活して勉強して運動もしようという試みもしましたが、それも遅々として進まず、学内で自治生活図書館を運営しながら、講演会や進歩的な要人のインタビューなどをしました。進歩新党の青年学生委員会の活動をしばらく熱心にやりましたが、また気に入らなくなってやめました。何かを始めて少し気に入らなくなるとやめるということを繰り返しましたが、今、振り返ると、あまりいい態度ではなかったようです。
政党活動をする時は、ずっと境界に立っているような感じでした。インターネットなどで飛び交う運動圏に対する反感、嫌悪のようなものが、2006年には私を傷つけたりもしましたが、逆にますますそれが理解できるようになったんです。「進歩」「左派」と呼ばれる人々の両面性、二重性にかなり幻滅を感じましたし、そのように運動をやめて書いた本が『イルベの思想』です。主な論旨は「イルベ」(韓国のインターネットコミュニティ「日刊ベスト保存所」の略)がろうそくデモの双生児であって、ろうそくデモが限界に直面して、これ以上、何か仕組みを変えることができず、そこに理念なきカーニバルだけ残ることとなり、それがまさにイルベの本質とつながっているというものです。活動中に、ややもすれば、私もやはりあのようになるかもしれないという危機意識がありました。それで運動をやめて、家に閉じこもって、この本を書きました。余談ですが、本を出版してから、イルベからのテロを心配して下さった方々が多くいらっしゃいました。期待したほどの反応はなく、ただ出版社のブログに意見が殺到して、私に対して「ハーフ(half)」だとからかっていました。理由を調べてみると、本の表紙裏に、私の両親がそれぞれ全羅道と慶尚道出身だという点を紹介していたからだったようです(笑)。

 

セウォル号が韓国社会に投げかけたメッセージ

 

朴珠龍 要約すれば、スペック、彷徨、そしてオタクが、みなさん各自が活動を始めた重要な契機ですね(笑)。初めからこのような人生を生きる計画があったわけではないという共通点もあるようですし、脈絡はそれぞれ異なりますが、運動圏や進歩陣営に対する反感、または失望も共通して言及されていました。まだみな若いですから当然ですが、依然としてどう生きるべきかに悩みながら変革する過程にあるという印象も受けました。
それでは、本格的な主題に入ろうかと思います。最初にセウォル号の話をしなければならないでしょう。全国的な追悼の雰囲気のなかで6・4地方選挙が行われ、最近では「セウォル号特別法」の立法が難航しています。与党の一部では安全事故になぜ国家が責任を負わなければならないかという反応まで出てきている状況です。海運会社の「清海鎮(チョンヘジン)海運」の実際の所有主である兪炳彦(ユ・ビョンオン)とその一家を捕まえるために、すべての捜査人材を動員し、マスコミの焦点もすべてそこに合わされているようです。その渦中にも、亡くなる直前に学生たちが残した動画が光化門(クァンファムン)の真ん中で再生されています。セウォル号事件がみなさんに与えたメッセージはどのようなものか、韓国社会がセウォル号に対処するやり方を見て、どのようにお考えになったか気になります。趙世英監督にまずお話しをお聞きしましょう。

趙世英 私はテレビを見ません。インターネットポータルのメインニュースのようなものも実はまったく見ません。とりわけ大きなイシューになるものなどには、わざと耳を閉じようとするようなところがあります。ニュースを見ると頭が複雑になって混乱し、人間に対する失望がとても大きくなります。あることがあったと報道し、それに対して騒いで、それから次のニュースへと移り、またあることがあったといって怒り悲しみ、そしてまた次に行きます。怒りでなければ悲しみ。そうするうちに、ある瞬間から最初から、そのようなものを見ようとしていない自分を発見しました。セウォル号に対してもある程度は知っていますが、真相糾明特集のような込み入った話には意図的に耳をふさぎました。最近思うのですが、何か正当なことでないと感じた時、それに対する怒りは肯定的なものだと思います。人々にそのような面があるのはいいことでしょう。何か一緒にできそうだという感じもします。ですが、怒りにも段階があるとすれば、第一段階で不正に対して怒り、第二段階はその怒りがどこかに向かうことになるはずですが、その過程が、ある瞬間、特定の誰かを非難しながら結論づけるパターンを示します。問題を共感するにあたって、いざ自分のこととして考えると複雑になるからでしょう。今回も同じように兪炳彦一家への怒りに向かっているという感じです。だから今、私がこれに関心を持てば、またそのまま巻き込まれそうだという気がしたのです。もしかしたら何年か後に振り返ることはできるでしょうが。
この前、偶然、安山(アンサン)に行くことがありましたが、その地域に急激に警察の巡回が増えたといいます。これが韓国社会の対処方式を端的に示すものではないでしょうか〔安山はソウル郊外の街で、セウォル号事故で修学旅行中の学生や教職員が多数犠牲となった檀園高等学校がある――訳者〕。だから私は、自分の場でよく記憶しておくことがもっとも重要だと思います。記憶すれば、それで終わるとは考えませんからね。記憶は記憶を土台に次を作り出すんです。「忘れません」といいますが、私は、自分の場で本当に忘れないことが重要だと思います。

パク・カブン 私も反応が似ていました。事件発生の速報を最初見て、わざと1週間まったくニュースを見ませんでした。私は主にポータルサイトのニュースを見ますが、今回はそれさえもしませんでした。怖かったんです。私もやはり、明らかに怒るべきことだと思いましたが、そこに巻き込まれたくありませんでした。自分が自分でなくなってしまう感触が怖かったんですが、2008年のろうそくデモでも似たような経験をしたことがあります。運動というものは、結局、人々の怒りを昇華させる作業だと思います。ですが、怒りが昇華されずにそのまま放出されたり、期待を高揚させたりしたあと、急激に失望してしまったら、社会がどのような方向に進むのか怖かったんです。その過程で「イルベ」という怪物が生まれたと思います。とにかく、そうするうちに「じっとしていろ」という沈黙デモが始まった後、関心が生じていろいろと調べ始めました。その場面を見て変わったのは、セウォル号事件に対する動きが、前回の「お元気ですか」の大学掲示板の現象の延長線上にあるものかもしれないということでした。私は「お元気ですか」を見ながら、2008年のろうそくデモと違ったものを感じました。大衆が無意識的に特定の人間に非難を転嫁するやり方では、社会が変わらないということを自ら悟ったと思いました。もちろん朴槿恵大統領に対する非難もありましたが、問題の本質は鉄道民営化であり、同時に人々が自分の名前と顔をかけて張り紙を書くこと自体が、ろうそくデモに参加することとは異なっていると思います。
私はろうそくデモの象徴が「V For Vendetta」(ディストピア社会を背景に身分を隠して全体主義政権に対抗する反体制活動家を扱ったイギリスのグラフィック小説。同名の脚色映画が2006年に封切られて話題を集めた――編集者)の主人公がかぶった仮面だと思います。「私はみなだが、その誰でもない」ということでしょう。徹底して匿名性のなかに溶け込んで解放感を感じましたが、反面、張り紙を書いて、周辺の同じ年頃の集団から支持を集めるのはこれとは違うことで、それだけ重要な経験です。その雰囲気が「じっとしていろ」デモでも続いたんです。マスコミで兪炳彦一家を煽情的にかなり報道しましたが、人々はそれが問題ではないと直感したんでしょう。これは韓国のシステム全体が構造的に腐敗しているということが暴かれた事件なのであって、単に国会議員や大統領を変えるだけでは問題解決にならないと、人々はある程度わかっていると思います。そして一連の過程を経て、今、特別法の問題になっているんですが、最初提案された特別法の主な内容は、真相調査委員会で自主的に捜査権と起訴権を持って調査するというものでした。それもやはり以前より大衆の動きが少し成熟したことを示しているように感じました。誰かに向かって責任を負えと叫んだものの、政治家の辞退や弾劾以上に要求が拡大しなかったろうそくデモとは異なり、特別法の立法の過程で見ることができるのは、真相調査と問題解決に関する具体的な代案の提示です。今の議会政治や司法システムのなかでは、問題解決が不可能であるということを、遺族や市民が感じたという事実にも注目しなければなりません。そのような面でも、私は、特別法を貫徹させることがとても重要だと思います。単に国会議員や大統領を変えて、法に訴えること以上の、それとはまったく異なる方法があることを人々に示すのが、この流れを続けるカギではないかと思います。

趙世英 「人は何で生きるのか」(キョンスン演出、2003)という、「疑問死真相究明委員会」(2000年10月17日~2004年6月30日/金大中政権時に設置。過去の軍事独裁統治の民主化運動と関連して、公権力によって犠牲にまった疑問死究明を目的とし、張俊河事件などの捜査が操作されたものであったことを明らかにした――訳者)を扱ったドキュメンタリーがあります。そこでおもしろかったのは、そのように人々に期待されて委員会ができたものの、委員会の調査官がいつも挫折と絶望に陥っています。当局に資料も何も要請してはいけないと言われたり、捜査権もない等々のためです。全斗煥を呼び出そうと家の前まで行ったのにだめでした。委員会がなぜできたのかわからないと絶望します。今回のセウォル号特別法の関連記事を見て、突然、その場面がオーバーラップされて不安になりました。もし遺族が希望する形でセウォル号特別法が通過して委員会ができるにしても、もうひとつの障壁ができるのではないかと思います。当時は金大中政権でしたが、現在ならばもっとひどいものになるのではないでしょうか。

パク・カブン 運動は単に大衆の怒りを動員して「誰が悪い」と叫ぶのを越えて、人々をして権力に要求させ、また、そうしてこそ問題が解決できるという確信を持たせなければならないと思います。これまで進歩や左派といわれた人々が、その役割を果たせなかったと思います。セウォル号特別法の問題意識は、完全な市民権力を要求するほどではありませんが、とにかく当事者が権限を持って問題を解決するという方向で最初の一歩を踏んだのではないかと思います。だから、それだけ特別法問題をイシュー化して世論を説得する方が重要だということでしょう。

朴珠龍 市民が主体になって権力を持つべきだというパク・カブンさんのお話しは、参加者が決定権限を持つザ・ネクストの指向ともつながります。金性桓さんはこの問題を含めてセウォル号についてどのようにお考えですか?

金性桓 セウォル号のイシューは、私たちがどこに進むべきかという大きな問いを投げかけました。ですが、セウォル号を基点に、みな異なるパラダイムを作り出すべきだと言いましたが、私はそれが正確にどういうことかよくわかりません。今、人々が言おうとするパラダイムが、過去のように誰かの理論的概念として作られるものではないと思うからです。換言すれば宣言的な概念ではないんです。人間の生のなかで具体的な変化を作り出す過程が先行するべきです。それがセウォル号のメッセージになるべきです。これ以上、言葉で訴えるパラダイムは、私たちに希望を与えるものではありません。政治学者の朴明林(パク・ミョンニム)教授は、今、時代は、最低限、これ程度は守るべきだという「公準」がない社会だと言いましたが。このような社会で、いったい、今、社会の羅針盤、進むべき方向はどのようなものか、絶えず葛藤する自分を発見します。就職の準備に熱心だった自分が、このような活動をしながらも、今日この時間まで葛藤する姿が、まさにセウォル号が投げかける問いの1つだと思います。この勝者一人占めの世界で、一方では友人を蹴落とさなければ就職できない「椅子取りゲーム」をしながら生きていますが、他方では共存や共同体、協同組合、村作りを語っています。そのような葛藤と乖離は韓国社会のどこにでもあります。じっとしていてはいけない状況ですが、「じっとしていろ」という命令のせいで葛藤する子供たちもいて、その子供たちが一日、中学校、予備校、読書室を転々として、帰宅して少しだけ睡眠をとり、また学校に行くのを見て、「あのように生きさせてはいけない」と思いながら、そうさせざるを得ない両親の葛藤があります。どのように生きるべきかに対する最低限の共通した基準と方向を持つことができないからです。このように続く葛藤のなかに、数多くの危険が隠れているのが、韓国社会の現住所だと思います。80年代と90年代には時代言説が鮮明だったとすれば、いまや時代の言説と社会的ビジョンも、もう少し明確になる必要があるということでしょう。そのような羅針盤なき状況では、対処する準備ができないまま、絶えず危険に直面することになるでしょう。そしてその危険がまたさらに大きな問題を発生させるのが、今、私たちが体験している悪循環です。どうすれば共通した市民的な生の基準を自然と作り出すことができるのかが、私の主たる悩みです。

朴珠龍 新たなパラダイムが不在の状態で、今、韓国社会に「どう生きるべきか」に対する、ゆるやかな合意さえないという点を指摘されました。その問題を解決するためには、活動家が言説的次元でいわゆる「ビジョン」を提示するとともに、運動する生を通じて証明することが重要でしょう。ですが、現状況を不在と空白であると診断することが適切でしょうか? 価値ある生と生活人としての必要の間で、よく感じる葛藤をお話しになりましたが、ならばもしかすると、問題は、かなり多くの矢印があるためではないでしょうか? それぞれ異なる方向の価値がそれぞれ重要だという形で主張され、その間で秩序や方向を見出せずにいること、そのようなことを不在と言ってもいいのでしょうか。

金性桓 私は代案が不在だとは思いません。ザ・ネクストの活動のキーワードを、政策、人、方法と申し上げましたが、今、韓国社会では、政策、すなわち「what」の問題は、ある程度話が出ていますが、それを実現する人と方法が不在なんです。セウォル号特別法という代案が提示されても実現主体がないんです。よりよい教育とは何か、よりよい大学がどのようなものなのか、みな熟知していますが、実現する方法が見えないんです。このような非対称的な状況、不均衡な状況のことを申し上げたかったんです。もちろん、私のいう主体は、特定の政治勢力を意味するものではありません。

趙世英 パラダイムの話が出たので一言付け加えれば、弘益大前の食堂「トゥリパン」撤去反対闘争を扱った「51+」(チョン・ヨンテク演出、2013)というドキュメンタリーがあります。これを見ると、闘争に若いミュージシャンがかなり参加していますが、そのうち大部分は「運動」に関心がない人々です。貧しくて練習空間を持てなかったところに、撤去を阻むことも兼ねて、そこに「居住」を始めたんです。そして、食べ、遊びながら、音楽を思う存分演奏できる空間になりました。透徹した使命意識を持って参加したわけではないので、ながらく食堂の主人夫婦とも、大きな摩擦はなかったのではないかと思います。結局、正当な合意を達成しました。それが、私が最近見た闘争のスタイルのなかで最も新鮮なものでした。この若者たちは昼も夜も、ここで遊び、食べ、練習して、騒いで、公演して、会議しながら暮らしています。だから、サービス業者の職員や警察が来ても、いつも誰かが常駐する生活空間であると認識されるんです。ですが、闘争目標の合意がなされ、建物が撤去された瞬間、彼らの空間も一緒に消えてしまったんです。やはり再開発の葛藤を経ている鍾路(チョンノ)のコーヒー店「マリ」に行きましたが、弘益大地域の特殊性とは異なり、一緒にうまくやることができませんでした。このような事例を見ると、若者が主体になるにあたって、パラダイムの有無よりもより重要なのは、それぞれの状況が持つ特殊性にもとづく運動スタイルではないかと思います。

金性桓 最近、若者たちの間で、運動圏はあまり人気がありませんが、そのような若者たちについて、行動しない、何も考えない人間であるという視線がかなりあります。私たちは若者たちを動かすのに選挙という空間が有効だと考えました。2010年の地方選挙の時、平時は就職の準備していた人々も、選挙の期間を迎えて一気に投票率を上げて、そうすることで得た政治的結果で生活の質を変化させようというものでした。私たちが20代の若者としてはほとんど初めて有権者運動をしましたし、「コーヒーパーティー」(市民の小規模政策討論)、「タウンホールミーティング」(有権者と政治家の政策対話)のような提案をしました。ですが、結果的に2つの考えを得ました。1つは、そのように投票率が上がっても20代の若者の生は変わりませんでした。厳密にいえば、政治的権力の獲得ではなかったということです。政治マーケティングに近かったというのが現在の考えです。もちろんいくつかの成果がありましたが、思ったよりもかなり無残なものでした。2012年の総選挙の時、民主党と統合進歩党で若者比例代表を割り当てました。ですが、その過程が就職面接と非常に似ていました。就職試験をするように面接して権力を獲得するというわけです。そうしたら若者を代弁できずに既成政治家と別段違いがなくなりました。2つ目は、若者という名で行うイベントで注目されるのとは別に、社会の変化に責任を負うべき主体として、自分がどれほど正しいかということを考えるようになりました。若者の覇気と情熱は高く評価しますが、実際に私たちの準備がどれほどできているのかは別の問題です。若者たちがその時代のパラダイムを実現する主体として立つための基礎力を育てる過程が必要だと思いました。そのときにはじめて、その過程を生き延びた集団や世代が政治権力を獲得し、そうして得られたパラダイムが自然と時代を変化させる流れに進むのではないかと思います。

 

捨て去るべき弊害と受け継ぐべき遺産

 

朴珠龍 セウォル号惨事以降、朴槿恵大統領が談話を通じて「根深い弊害」を一掃しなければならない、そのために「国家改造」も辞さないと明らかにしました。しばらくの間、騒がれていましたが、もうそれさえも消えていった感じです。その過程でも、では何が弊害かという話はあまり出てこなかったようです。詳細はわざと避けるという感じでした。若者として、みなさんは韓国社会の弊害が何だと考えますか。私たちは今、若者と呼ばれており、これからは既成世代として成長することになるでしょうが、ならば、現時代において私たちが受け継ぐべきこと、または清算すべきことはどのようなことか、各自の活動と関連してお話し下さればと思います。

パク・カブン 私は、大統領が弊害の話をした時、どうもあやしいと思いました。大統領が狙ったのは、官民癒着や腐敗、天下り人事のようなものですが、実は私の父が官僚なんです。官僚社会の弊害が、私には間接的な体験ながらもよく聞いていたため、私が感じたのは、何を今更ということでした。以前からあった問題で、本人が簡単には解決できないことをよく知っていながら、なぜあのようなことを言うのかと思いました。弊害というのも少し曖昧だという気がするのは、たとえば、もしかしたら兪炳彦の一家が誰かに支援金を渡した場合もあるでしょう。そのような形で官民が癒着するわけですが、私はむしろそのようなことは理解し得るという立場です。退職すれば老後の資金も必要で、子供たちの結婚もさせなければならず、このように住居費も高い国で……腐敗を煽らざるを得ない社会構造だと思います。大統領の枠に巻き込まれる必要はないんです。何が弊害なのか、みなわかっているのではないでしょうか。重要なのは、問題を解決する能力と意志が、既存の社会システムには皆無であるということに対して、人々が絶望と冷笑、幻滅を感じているという現実です。セウォル号事件が示す韓国社会の弊害に関していえば、特別法の議論でも話が出ましたが、人々が希望したのは聖域なき調査でした。事実これは遺族対策委から出した案です。それこそ自然発生的な必要によって、当事者の問題だったので、そうなるのが自然だったんです。何かに深く悩んで、賢明だったために法案が出せたのではありません。そのような脈絡で、前にもお話ししましたが、単に大衆の怒りを動員して、誰が悪い奴で、何が誤っている、ということだけを指摘するレベルを越えるべきです。なぜ私たちが権力を持つべきで、その権力で何をするのかを明確にして、一方でそれを思想的に正当化する作業が必要だと思います。私はこの地点こそが「セウォル号の思想」であり、そこから私たちの遺産を得ることができるだろうと考えます。
権力の問題を考え続けざるを得ませんが、「お元気ですか」の時、その熱風が過ぎるとすぐに、人々は嘘のように日常に戻りました。同様にセウォル号事件も、特別法という新たな局面が作られましたが、最初ほどの爆発力はありません。もちろんそれ自体が絶望すべきことではありません。大衆が日常に戻るのはきわめて当然であり、そうするべきなんです。どのように社会を変えて、どの方向に進むべきかを考える人は、東西古今を問わず常に少数でした。結局は大衆が日常に引きずられながら果たせなかった悩みを、適当な表現かはわかりませんが、他の人々が放棄した苦悩を一手に引き受ける場が、私は運動する人々だと思います。最近は「前衛」という言葉にかなり拒否感を感じますが、私はどの時代にもそれは必要だという立場です。いくら民主的で水平的な疎通を追求するといっても、そこにはつねに権力の問題が発生します。少数の活動家が運動を引っ張っていく状況において、どうすれば市民が権力を掌握できるだろうか。前衛/後衛のような区分は依然として有効であり、むしろそのような自覚の下で民主主義や疎通を追求せざるを得ないと思います。

金性桓 私は活動家の性格が変わったと考えています。市民社会は全般的に懸案が数多くあります。若い活動家は新たに入って来ません。「市民なき市民社会」という言葉が90年代から出てきました。2008年のろうそく集会以降、市民社会が変わるべきだという自己反省もありました。過去の権力監視型の市民運動のスタイルを越えて、どうすれば市民とともに共同の未来を構想するのかが、今、必要な問いだと思います。そうした点で活動家は、市民を主体として立て、自らのビジョンを構想し、それをまた幅広く再組織化する、一種のコーディネーターや触媒剤、促進剤のような役割へと転換されるべきです。また一方で、さきほどもお話ししましたが、政治権力を獲得するといっても、実際に何が変わるのかが今でも私は疑問です。たとえば「486世代」(80年代に学生運動をして40代の2000年代に社会運動の核心となった世代)、市民社会出身の国会議員がかなり登場しましたが、依然として政治は市民と乖離しているのが現実です。私の経験と関連していえば、6・4地方選挙の時、「ネクストソウル」といって、朴元淳(パク・ウォンスン)候補を支持する活動をしました。100人余りの若者や大学生がソウルの未来のために奔走しました。結局、朴元淳市長が当選しましたが、するとその後どうするべきかという問題があります。当選後も市民の政治的提案が実現される過程が絶えず続けられるべきです。市民が投票するだけでなく、実際に政治を圧迫して運動で解いていくことを日常的にやらなければ、大統領も与党も野党も市民の話を聞かないという、同様の状況が繰り返されるんです。要するに市民参加型の活動が幅広く再組織化される過程が、より一層重要になったということです。政治権力の監視を越えて、市民が思いきり騒ぎ、夢見る過程で、ビジョンや代案を作り出すべきです。これ以上、少数の専門家、国会議員に私たちの未来を任せることはできません。現在の政治権力の非対称的な構造を、再びどのように市民中心に変えるかという課題は、結局、市民にかかっています。そのような意味でも、活動家の役割が変わるべきだと思います。専門家中心の活動家から、市民の情熱に燃料を入れ、火をつけられる活動家に変わるべきです。

趙世英 女性問題に関心のある人間として、「弊害」についてお話しするならば、事実、多くの社会的問題がそうですが、女性問題もやはり女性だけに該当する問題と見なされます。障害者、老人、セクシャルマイノリティなど、ある問題の当事者に指定される人だけでなく、他の人も、それを自分の問題として認識する時、解決の糸口が見出せる余地がさらにできます。セウォル号事件がすべての国民につながる地点を持つように、事実、すべての社会問題は一人一人につながると思います。反面、そのような面で見る時、女性問題は単に人口の半分が女であるということだけを考えても、妙に周辺化される面があります。さらに当事者であると代弁される人々でさえ、これらのことを伏せておきたいと考える人たちもいるようです。

朴珠龍 私たちの世代は、相対的に過去の世代から何かを受け継いだという意識が稀薄ではないかと思います。以前の人々といっても、たいてい20、30歳の年の差がある程度ですが、彼らと大きな乖離を感じる場合が多いようです。ですが、金性桓さんがおっしゃった新たなリーダーシップも、以前の世代の成就に基盤を置くものでしょうし、社会運動だけとってみても、強力な組織や先導的闘争が必要な時期が明らかにありました。いわば、弊害を論じるとともに、今、私たちが注目し発展させていくべき「遺産」という側面も、ともに指摘されるべきだと思います。それと関連して、これは出版社で仕事をする私の職業的な関心事ですが、最近、若者世代がどのようなメディアの影響を受けているのか、特にみなさんのように自分の領域で活動される方々が、どこで滋養分を得ているのか気になります。それがソーシャルネットワークサービス(SNS)であれ、何であれ、支配的なメディアがなく、個人の偏差が大きいという気もします。

金性桓 私は自由奔放に遊び、人々と関係を結ぶことを好みます。だから基本的にSNSをかなり活用します。その一方で哲学書をかなり読む方です。ジジェク(S. Žižek)やバウマン(Z. Bauman)などです。社会学の著書も同じです。そのようなものが活動とかなりつながります。今日、招待された『創作と批評』誌も読んでいますが、私がこのような話をどうしてするかといえば、ハワード・ジン(Howard Zinn)が『ハワード・ジン、教育を語る』(コンブ(出版社)、2008)で、自分は運動と現場と理論の絶え間ない対話のなかで成長してきたと言っています。その部分が私にはかなり共感できました。そのような点でも、依然として私は、テキストが重要な滋養分であるという気がしますし、その滋養分がSNSを通じてどのように広がり受容されるべきかという問題も重要だと感じます。

パク・カブン 私は大学で生活図書館の仕事をする時、おっしゃられた遺産の重要性を実感しました。それは本来、教職員食堂として設計された場所でしたが、1990年ぐらいに学生たちが無断占拠して作られた空間です。80年代に禁書措置で倉庫に積まれていた本を、学生たちが教職員食堂の建設地に人間の鎖を作り、生活図書館を作りました。今はそのようなスタイルがこれ以上通じず、運動圏も過去の過激なイメージから脱離するために、かなり努力をしていますが、私にとって遺産というのは、そのようなことがまず思い出されます。今は実行できないスタイルでも、とにかく私たちにそのような空間を残しました。私は今回、大学院の総学生会選挙に出馬して当選しましたが、学生会という機構も、事実、そのような運動を通じて作られた空間です。そのような遺産をどのように更新するかが、その時その時の世代に与えられた役割だろうと思います。
事実、最近の人々はあまり本を読みません。一方では理解できる面もあります。過去に本が果たした役割を、映画やアニメーションのような映像メディアが充分にできるからです。さらにネット漫画もそうです。ただ、文章に固有の役割があるとすれば、それは批評ではないかと思います。批評は最も自己反映的なジャンルだと思います。外部のある対象に言及することを越えて、自らの言及に対して再言及しながら認識を深化させますが、それを可能にするメディアのなかで活字メディアほどのものはありません。ただ、若い人々が、小説よりもネット漫画の方を見ている現実は厳格に存在します。ですから、2つが結びつくべきだと思います。私は『創作と批評』のような雑誌も、韓国社会の遺産だと思いますが、たとえば、文学において議論されるリアリズム論を文学にだけ適用せず、ネット漫画を対象にそのような言説を拡張させれば、人々がより多く読むのではないかと思います。最近、崔圭碩(チェ・ギュソク)の「錐(きり)」というネット漫画をおもしろく見ましたが、主題が重いにもかかわらず、人々がかなり見ている理由は、結局、おもしろいからだと思います。映画でも雑誌でも、さまざまなメディアが危機を迎えています。もちろん社会構造が問題ではありますが、実力を新たに育てるのも重要な問題だろうと思います。ひとまず時代相がのぞむ主題を発掘して、何より面白味を備えるべきです。かならずしも末梢的な面白味だけでなく、人々が明確に「深い面白味」をのぞむと思います。「錐」だけでも「意外に」ネット愛好家たちの評点がかなり高いです。

趙世英 投げかけられた問いには少し違った答になるかもしれませんが、私はドキュメンタリーを作る人間として、メディア自体に対して考えることが多くあります。自分と映画、映画のなかでもどのようなメディア、そしてそのなかでの関係……この前も誰かが独立映画について話をしたいといって、独立映画の定義をされていましたが、1997年に書かれたある文章に出てきた内容を熱心に語っていました。率直にいってかなり驚きました。私の周辺のみなも、私たちの時代にとって独立映画とは何かを絶えず問うべきだと思いますが、どれほど話に進展がないのか、15年も前に整理されたものを今になって語るのか、本当に……私はこの時代の流れのなかで、「私」と映画というもの、そして「関係」をともに読み解くのが重要だと思っています。
そのような私にとって、絶えず自ら問いを投げかける過程が映画の製作です。今回の作品「さあ、ダンスタイムだ」は、私が劇場封切まで参加しました。この映画には実際の中絶を経験した人たちの顔がみな出ます。そのような時、観客にどう接近できるかがとても重要です。ですから私は、このメディアの属性をよく理解していなければなりません。私がある話をしたいけど、このメディアがどのような属性を持っていて、人々はどのように反応するだろうか……映画配給というものは、徹底的に資本主義的な属性を有しているので、私の持つ悩みがそのシステムのなかで破壊されるのを今、目撃しています。容易なことではないと思いましたが、私の予想をさらに越えています。その渦中に、資本論理の狭い間隙に割り込んだ観客は、私が望んだ構図に一緒に反応するんですが、最近は観客1000万人時代です。封切館は多くないけど、私の映画には現在、観客が1200人です。もちろんその1200人が私には非常に大きな意味があります。女性イシューや映画というメディア自体に深い関心がある少数が、映画祭という特別な空間で接したわけではなく、一般の劇場で上映された時に入ってきた方々です。この観客層をどのように拡張させられるかも、ともに考えるべきだと思います。映画で性暴行や中絶を扱いながら、観客にはこれを第三者の話として示したくはありません。「自分自身」の話として見てほしいと思います。観客がその居心地の悪さを堅持したまま帰宅することを望みます。さきほど金性桓さんが言ったように、そのように製作の過程も大変ですが、そのような映画を観客が受け入れることも容易ではありません。居心地の悪い映画を誰が見たいと思いますか。最近のように、時間に追われてストレスが多い世の中では、当然、ブロックバスターやロマンスのような映画を見たいと考えるでしょう。私もそのような映画が好きで、必要だとも思いますが、そうするとますます、私たちが自らに問いを投げかける時間が持てないのではないかと思います。

 

容易な希望はない――共感と連帯の経験を積むべき

 

朴珠龍 遺産とメディアの話をしたのは、私たちが一種の野生で生きているのではないかという気がしたからでした。みなさんがそのようにカメラひとつ持って、または友人何人かと集まり、既存のマニュアルなしで初めから何かを始める世代が今の若者ではないでしょうか。全般的に新たなメディア環境がもたらす変化が思考や活動のスタイルにも影響を及ぼしているようです。
一方でこのようなスタイルは、若者たちが「連帯」に弱いという批判を受ける理由でもあります。若者たちが小規模「趣向」の共同体に安住したり、最初から個別者として破片化して、社会的主体としての役割を放棄しているという視角が、既成世代になんとなく幅広く存在しています。もちろん、このような韓国社会の分裂は、昨日、今日のことではありませんから、やや安直な診断でもあります。では、その連帯について話し合ってみたいと思うんですが、みなさんは若者として、活動家として、連帯というものをどのように解釈していますか? 狭くは同僚との協力や共同作業から、大きくは社会全体の視角から、追求すべき連帯とは何か、各自の経験のなかでお考えをお聞かせ下さい。

趙世英 少し抽象的に聞こえるかもしれませんが、私はさきほどお話しした自分と映画と観客という変数で悩む時、敵が味方で、味方が敵のような感じがします。観客が自分の渇望するところは、「自分の愛を受け入れて、自分の話を聞いて」という対象なのと同時に、私が追求する「居心地の悪い」映画は、徹底的に無視する敵でもあるのです。

朴珠龍 恋愛のようですね。

趙世英 「さあ、ダンスタイムだ」の最後の場面を見ると、中絶手術を受けてすぐに出てきた女性が、みずから望んでソルロンタンを食べるのですが、画面がズームアウトすると、他の女性たちも各自一人で座ってソルロンタンを食べています。実際にインタビューしてみると、手術後にとてもおなかがすいて肉が食べたかった、スープが飲みたかったという返事が多かったようです。そのようにそれぞれ戦う人々の連帯をイメージ化した場面ですが、観客がこの映画を通じて、まさにその地点でつながることができると期待しました。一種のゆるやかな関係でしょう。最近、人々の好む集まりを見ると、以前はオフラインの集まりで集まりの性格や指向を明確に持っていましたが、最近はSNSのようなものを通じて集団的目標に拘束されなくても、自分の望む人生を共有できる空間を求めます。このことはとても意味深長だと思います。

パク・カブン 連帯は大きく2つあるようです。同じ目的と価値を共有する人々の間の連帯も可能ですが、同じ目的だけでなく、その目的のためにどのような手段を使うかという問題もあります。その手段を共有する人々の間の関係を連帯と見ることはできないだろうかと思います。ここでいう手段とは、結局、市民・民衆の権力だと思います。「彼ら」からどのように権力を奪って、「私たち」がどのように権力を持って、「どのように」問題を解決するか、この部分を明瞭にしてこそ、はじめて具体的な連帯が成立しうると思います。抽象的な連帯よりは、具体的な次元での連帯の方法論に悩む必要があると思います。さきほどの金性桓さんのお話しにとても共感しますが、活動家でも組織でも、コーディネーターの役割をすること、そして何より参加者が決定権を持つ位置に立つことがとても重要です。ある問題を解決するには権力が必要でしょう。権力をどのように獲得するのか、方法を共有して準備するのが活動家の役割だと思います。このような役割の変化は、事実、社会が変わるからというよりは、本来そうすべきで、それしか方法がなかったのですが、これまでできなかっただけでしょう。もちろん、今、私たちがどれくらいうまくやっているかといえば、反省すべき部分は多々あります。

趙世英 連帯どころか共感自体も難しい時期のようです。最近、ソシオパス(sociopath,反社会的性格障害)という単語をよく使います。私も今回、映画を封切って観客にかなり会いましたが、その場で共感は感じても、連帯感を感じたとは言えないと思います。事実、連帯するにはその前に共感が必要でしょう。私たちは現在、共感する機会さえ喪失していますが、どこかで共感の対象を発見すれば、そこで感動を感じる状況のようです。

金性桓 私は団体のディレクターですが、「ディレクション(direction)せずにリブ(live)しよう」が原則です。運動する人が自ら楽しくて幸せでこそ、より多くの人とともに生きることができるでしょう。つまらなくて疲れているのに、何かビジョンを作らなければならないようで、新たな生き方は知っているけど、そのように生きてはおらず……今の状況で、ものすごいメシアが現れて、「これがビジョンだ!」といえばいいのでしょうか。まったくちがうと思います。ビジョンとは、自らの生において具現されるべき問題であり、それ自体として激しい戦いでしょう。理論と現場をつなげる実践が先行するべきだと思います。有名な大学者や活動家が、ある種の概念や理論を本に書いて「このように生きるべき」と言うのではなく、各自の現場で日常と自然につながる時、希望の条件が作られるのではないだろうかと思います。やはり「最低限、これだけは守るべき」という共通した基準が重要なわけです。

朴珠龍 趙世英監督の映画に出てくるソルロンタンを食べる場面を、ある評論家は「ソルロンタンコネクション」と言いましたが、そのような連帯感がさまざまな面で強調されているようです。長時間、ずいぶん多くのことをお話し下さいましたが、今後の活動計画を含めて、まとめのご発言を一言ずつお願いします。

パク・カブン 私たちの味方と敵が誰なのか、特定しにくい時代を生きているというのが一般的な感覚のようです。セウォル号のイシューだけにしても、構造的な腐敗から生じた問題なので、むやみに「朴槿恵退陣」というスローガンを叫ぶだけでは説得力を得にくい状況です。それでも意識的に敵と味方を分けるべきだという気はします。もちろん単に相手の不義と不正だけを理由に味方が結集すれば、いつかは自己矛盾で自滅することになるでしょうが、そのような意識的な過程のなかで、ポジティブな価値を示すことによって、味方が連帯できる局面が作られるだろうと思います。日常の共感と連帯も重要ですが、敵と味方を分けることができない状況自体が、政治の失踪であり、1つの問題状況だと思います。
それと同時に、自分がどのように参加して何ができるか、自分たちがどのようにすれば、以前より多くの権限が持てるのかに対する展望を提示するべきです。長期的なビジョンを描きながら実力を育てる一方、局面ごとに省察が必要だということですが、連帯というものは、かなり具体的な手段を中心に成立するものです。誰とどのように連帯するのか、どこに戦線をおくのか……このような問題について助言する先輩がいなかったのですが、これからまた、その役割を誰かが果たすべきではないかと思います。大人の権威を否定するのが最近の傾向ですが、そのような面でリーダーシップや方向性の提示は、ある程度、必要だという立場です。そうした点で、ながらく韓国社会の言説界の最年長者の役割を果たしてきた創作と批評社にも役割はあり続けると思います。私は、大人が大人の接待を受けるべきだと思います。そのためにはもちろん大人の努力が必要ですが。

趙世英 「希望」という言葉が思い浮かびます。最初の話にまた戻るならば、私は憤怒できることが希望だと思います。「ソルロンタンコネクション」の話をなさいましたが、互いに生のコネクションを可能にするのも怒りのようです。私も映画を作る時、怒りというキーワードで作業するべきだという考えがあります。怒りを怒りとしてのみ表現するのではありません。私にとっては、映画の作業自体が、誰かが生きていく過程を表現しているということなんです。自分が生きながら、どう考えるのかを示す記録でもあります。だから、いつも何かに悩もうとしていますが、人々とコネクションを作る問題を中心に考えます。今後の作業も、おそらく女性の話になると思いますが、私には映画の作業が、「私」と私の周辺に存在する、遠くにいてもそのように感じられる、すべてのものを一緒に溶かして出すことであり、それが自分の生なのだと思います。次の作品として考えている1つが売春ですが、ならば、プロフィールが性暴行、中絶、売春、このように3部作で完成するようで、1人で悩んでいます(笑)。

金性桓 私たちの団体で、最近、200人程度と集団で対話をしたことがあります。ソウルの未来がどのような道に進むべきかについてです。中学生は中学生同士、高校生は高校生同士、また、就職活動中の学生、新入社員、中年層の中間管理職、主婦まで集まって対話をしましたが、整理してみると、最も多く出たキーワードが「不安」なんです。すべての世代が不安な生活を送っているけど、この問題を何につなげるかがカギのようです。不安を解消するのは、結局、その不安を解明する過程であって、大統領が「心配しないで下さい」と言って解消するものではないでしょう。セウォル号もそうです。ずっと不安な韓国社会で、どうすれば不安をまた安定や希望に変えていけるのかが重要です。惨事以降、私たちがどのような問いを投げかけているかを考えると、あまり実体がありません。きわめて具体的で明らかな問いが絶えず出てくるべきだと思います。その問いを通じて討論する過程が集団的に成り立ってこそ、今の社会的不安やトラウマが解決されるでしょうが、これは政治家や専門家が何人か集まってできることではないでしょう。もしかしたら、それは事実、各自の空間で充分に可能になるかもしれません。政党が党員たちに投票しろとばかり言うのではなく、党員たちと集まってセウォル号の問題について討論して大きな問いを作るべきです。知識人社会、市民社会、学生社会がすべてそのようにすべきです。急いで答を出そうとしてはいけません。今、セウォル号特別法で核心的ないくつかのことを通過させるのは必要ですが、急いで縫合して整理できることではありません。9・11テロが起きた時、ニューヨーク市民が数多くの討論を通じて、この事件をどのように認識し、崩壊した貿易センタービルの跡地に何を作れるのかについて絶えず討論しました。その過程を私たちも1年でも2年でも経験してこそ、現在の誤った過程を再び進まない、韓国社会の遺産が結局はそこから出てくるだろうというのが私の考えです。そうやって活動を今後も継続して行こうと思います。

朴珠龍 簡単に希望を語らず、各自の生の場で絶えず悩む過程において、希望の条件が発見できるというお話しを、みなさんして下さったと思います。みなさんの健闘を祈ります。長時間お疲れさまでした。ありがとうございます。(2014年7月21日/於・細橋研究所)

 

翻訳=渡辺直紀