危機、移行、代案–I・ウォーラーステインとの対話

2015年 春号(通卷167号)

 

 

〔特集〕「資本主義以降」を想像する

 

 

イマニュエル・ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein) 米ニューヨーク州立大学ビンガムトン校フェルナン・ブローデルセンター名誉所長、米イェール大学首席研究学者。著書に『近代世界体制』(全3巻)、『歴史的資本主義/資本主義文明』、『ユートピスティックス』、『私達の知る世界の終焉』、『資本主義に未来はあるか』(共著)など。

李康国(イ・ガングク) 日本・立命館大学経済学部教授。著書に『ダボス、ポルトアレグレ、そしてソウル』、『貧困に陥った世界』など。訳書に『資本の反撃』、『資本という謎』など。

――この対談は、I・ウォーラーステイン他『資本主義に未来はあるか』(Does Capitalism Have a Future?、韓国語版・ソンベクヨン訳、創作と批評社、2014)の出版を機に、2014年11月から12月にかけて2人がおこなった書面インタビューを訳したもので、『ハンギョレ新聞』2015年1月12日付にその一部が掲載された。2人の同意を得て、全文とともに李康国のあとがきを掲載する。© Immanuel Wallerstein、李康国2015 /© 韓国語版・創作と批評社2015

 

 

 

グローバル金融危機とその後

 

李康国 まず先生と共著者が『資本主義に未来はあるか』を書いた理由と動機についてお聞きします。なぜ、今、私たちが資本主義について、根本的な問いを提起しなければならないのでしょうか。

ウォーラーステイン 私たちはみな、世界体制が現在、途方もない困難に陥っており、全般的な議論では、理論や歴史的な深みが充分でないと考えます。したがって世界の代案について、一層、有用な論争を呼び起こしたいと思いました。

李康国 グローバル金融危機以降、世界経済はながらく深刻な不況に陥っています。現在の世界経済の状態と、量的緩和のような先進国の対応について、どのように評価しますか。危機以降、ケインズ主義が復帰し支配的になりました。彼らは、危機が規制を受けない資本主義の失敗であり、国家が成功裏に資本主義経済を管理できると主張します。先生はこの点についてとても批判的だと思います。

ウォーラーステイン この問題は、私たち5人の共著者が、同じように同意してはいない部分です。2人はケインズ主義的な接近が成功しうると主張していますが、私を含めた他の3人は、現在の状況の方がはるかに深刻だと考えています。ケインズ主義的接近に共感する著者も、それだけでは不充分だと考えています。

李康国 だとすれば、グローバル金融危機の根本的な危機とその含意はどのようなものであり、先生の立場は他の左派とどのように異なるのでしょうか。先生の観点から見れば、この危機は「コンドラティエフ循環」(Kondratiev cycles、1920年代にソ連の経済学者ニコライ・コンドラティエフが提示した学説で、およそ50年前後を単位に景気の膨張と収縮が繰り返される、近代世界経済の周期的変動を示す――編集者)のB局面にみられる金融化の特殊な危機と考えられます。ですが、それが、先生の主張するように、本当に500年に1度みられる構造的な危機の一部なのかは明らかではありません。

ウォーラーステイン 危機に関する私の観点と、おそらく他のほとんどの左派の観点の相違は、彼らが悪化する状況に対する大衆的抵抗の力を強調しているということです。私はそれを否定することはありませんが、私が見るところ、大衆的抵抗は長期的に不変の定数です。現在の状況にとって追加的にみられる事実は、市場過程を通じた資本主義的蓄積が、資本家のためにこれ以上作動しないということです。したがって、脆弱な階級や資本家が、みな彼らの富を保全するために、資本主義の代案を探しています。

李康国 資本蓄積が資本家のためにもこれ以上作動しないという話は驚くべき点です。すでに主流経済学の内部でもラリー・サマーズ(Larry Summers)が「長期停滞」を主張したり、ロバート・ゴードン(Robert Gordon)が革新の停滞で長期的に成長率が下落するだろうと主張しているように、資本主義の暗い未来に関する予測がみられます。先生の観点では、これらの主張に対してどうお考えですか。

ウォーラーステイン そのような主流経済学の悲観的予測には、つねに免責条項(escape clause)があります。彼らは、私たちがxyをやらなければ未来は悲観的だと語ります。ですが、私が考えるには、そのようなx y 自体が存在しません。

李康国 最近、経済学で、資本主義の不平等が熱い争点になっています。トマ・ピケティ(Thomas Piketty)の『21世紀の資本』はベストセラーになりました。彼は資本主義を改革するために累進所得税の引き上げとグローバル資本税を主張します。彼は、資本の収益率が成長率より高いから、そのような努力なければ21世紀には不平等がより一層悪化するだろうといいます。ピケティの研究や関連論争についてどうお考えですか。また、資本主義の歴史において、不平等の力学についてはどのようにお考えですか。

ウォーラーステイン ピケティは基本的に明晰で技術的に非常に優れた主流経済学者であり、現状況に対して社会民主主義的な解決策を支持しています。したがって、彼は他の主流経済学者らと同じ限界を有しています。ですが、彼の著書は、現世界体制で深刻化する不平等に関する大衆的論争を触発したという点で大きな意義があり、それは望ましいことだと思います。

 

資本主義と移行の展望

 

李康国 先生は、現在の体制が終末を告げる根本的理由は、労働、投入要素/インフラ、そして税金などを含む生産の費用が、数百年間、上昇しつづけたためだと主張します。私は、先生の説明が、資本の有機的構成の高度化による利潤率下落を提示したマルクスの主張とは異なると考えます。ですが、現実において費用の上昇傾向はさほど明確ではないようです。たとえば、少なくとも生産性と比較する時、賃金は1980年代以降に停滞していますし、したがって労働の役割は下落しています。これについてどう思いますか。

ウォーラーステイン 生産費用はつねに二歩前進・一歩後退のパターンで上昇してきました。賃金に関するそのような指摘は、一歩後退の側面は指摘しますが、二歩前進の側面は見逃すのです。500年間のこのようなパターンは、すでに費用をかなり高い水準に上昇させ、漸近線の水準まで近接し、製品生産に可能な最大限の水準にしました。したがって、現在のシステムは、動揺し、無秩序で、猛烈な変動に陥っています。

李康国 本書を含めた多くの著作で、先生は、新自由主義下のアメリカのヘゲモニーが衰退していると主張します。ですが、アメリカは依然として軍事的手段、同盟、経済的手段等を通じて、他の国家に大きな影響を及ぼしています。アメリカのヘゲモニーの未来についてどう思いますか。もしアメリカのヘゲモニーが経済的権力の側面で弱まり、他の国家が浮上するならば、このようなヘゲモニーの変化が資本主義の崩壊を加速化するのか疑問です。他の新興市場国家が持続的に高度成長するならば、これは資本主義の終末でなく再編であるとも思います。

ウォーラーステイン アメリカのヘゲモニーは衰退しているのではなく、破局的に崩壊しているところです。このような崩壊によって、体制内でアメリカの役割と体制全体の安定性を保障するアメリカの役割がともに終わりを告げることになるでしょう。もし世界体制が構造的危機に陥っていないならば、他の国家(東北アジアブロックのような)がアメリカの役割を代行するかもしれません。これは相当時間がかかることで、そのようになるはるか前に、私たちは資本主義体制を抜け出しているでしょう。

李康国 中国の浮上についてはどう思いますか。ジョヴァンニ・アリギ(Giovanni Arrighi)は中国の未来を非常に楽観的に考えています。本書でクレイグ・キャルフーン(Craig Calhoun)も、「中国式の国家資本主義」が、資本主義の未来形態としてより一層可能性が高いといいます。中国の現在の成長と中国式の国家資本主義が支配的になる可能性についてはどう思いますか。

ウォーラーステイン これまで20数年間、中国の成長は劇的でした。ですが、このような成長はすでに鈍化しています。また中国は世界の他のほとんどの地域と同じジレンマに直面するかもしれません。また、途方もない数の中国の「中産層」消費者の増加は、世界経済にまた他の制約を加えています。これは現在の危機をより一層悪化させるでしょう。

李康国 先生は、構造的危機以降の可能性として、互いに相反する「ダボス精神」と「ポルトアレグレ精神」が存在し、この2つの精神はまた、2つの陣営にそれぞれ分かれていると指摘します(ダボス(Davos)は、資本主義秩序を擁護し、現在の世界経済の発展を追求する世界の政・官・財界の有力人らの国際民間会議機構「世界経済フォーラム」の別称「ダボスフォーラム」のことを、またポルトアレグレ(Porto Alegre)は、新自由主義およびグローバル化などに反対し、より民主的で平等な体制への変化を追求する非政府機構の年例会議「世界社会フォーラム」の最初の開催地を指す――編集者)。私も、グローバリゼーションを批判した自著のタイトルに、ダボスとポルトアレグレを付けたことがありますが(『ダボス、ポルトアレグレ、そしてソウル』、フマニタス、2005)、この2つの精神の間には途方もない力の不均衡が存在すると思います。ダボスの改革主義陣営とポルトアレグレの一分派が、資本主義を改革するために連帯する可能性はないでしょうか。

ウォーラーステイン ええ、それも可能な政治的連帯です。私はそれをダボスグループ改革派とポルトアレグレグループ改革派の共同選択(co-option)と表現したいと思います。その結果は、現在のような資本主義ではなく、位階、搾取、格差など、資本主義の悪い特徴を維持する新しい世界体制でしょう。これは望ましい結果ではありませんが、可能なことだと思います。

李康国 先生は、資本主義内のいかなる改革も、それがさらに現実的ではあっても、より一層悪い結果を生むだろうとお考えのようです。先生のいう共同選択は、少なくとも格差と搾取という面で、今のシステムよりは「悪くない」システムを作るかもしれませんが、それもやはり進歩とは言えないでしょうか。とにかく先生は、未来は開いていて、世界は50対50の可能性でよくも悪くも変わりうるから、進歩的政治の努力が重要だとつねに強調します。ですが、世界的な水準でこのような進歩的変化を推進できる重要なグループを想定することは困難でしょう。より一層民主的で平等主義的な体制を要求する、ポルトアレグレグループのどのような陣営がありうるでしょうか。政治的闘争と新しい政治運動の展望についてお聞かせ下さい。

ウォーラーステイン 先生の指摘の通りです。ですが、世界的な左派運動の力は、上からではなく下からやってくるものです。したがって「重要なグループ」はよく見えないのです。ですが、私たちは、全世界にわたって、数多くの政治的努力を目撃することができます。そのうち多くの努力は、きわめて地域的で、互いに学び合い、互いを支持し始めています。これは充分でないこともありますが、これよりもよい左派の代案は存在しません。

 

異なる問いと韓国

 

李康国 韓国は周辺部から半周辺部、そして中心部に移動しているという点で、世界体制で非常に珍しいケースです。韓国の経験については、市場を強調する主流的見解と発展国家の役割を強調する非主流的主張が対立しています。ですが、1997年の金融危機以降、韓国経済は、新自由主義経済の構造調整や開放とともに経済的躍動性を失い、多くの人々が低出産と家計負債の問題を指摘し、日本のような長期不況を憂慮しています。世界体制論の視点から見た時、韓国の経済的成功と未来の展望についてどう思いますか。

ウォーラーステイン 韓国の発展は、地政学的に大変重要な位置にあることを背景に、国家の発展主義的な政策が成功したためだと思います。先生が指摘したように、今日、韓国は経済的躍動性を喪失しました。韓国の未来は、より一層統合された東北アジアの地域構造の形成と深く関連しています。このような地域統合は政治的に困難なことですが、不可能なことではありません。

李康国 東北アジアと関連して、先生は、中国、日本、韓国が未来に一種の地域ブロックを形成するために協力するだろうと語ったことがあります。ですが、現実の状況はこれとは異なり、これらの国の間で葛藤が深化しています。この地域の未来と韓国の戦略的位置についてどう思いますか。

ウォーラーステイン 韓国にとって最も優先的で難しい問題は、北朝鮮との関係をどのように管理し回復して、一種の統一した構造を作り出すかということです。もしこのような努力が実現されるならば、韓国は中国と日本の間で、政治的・経済的合意を引き出すところで核心的な役割を果たすことができるでしょう。端的にいって、私は、韓国が、この3か国のなかで、一番小さな国ではありますが、重要な役割を果たすだろうと思います。

李康国 2015年の世界経済と国際政治に対する展望はいかがでしょう。

ウォーラーステイン 不確実性が大きく急変が続きそうです。

 

『資本主義に未来はあるか』について

 

李康国 依然として多くの人々は、資本主義に対する代案を模索しています。共著者らが共同の結論で書いている「代案的市場組織」とは具体的に何でしょうか。本書でランドル・コリンズ(Randall Collins)は、資本主義の未来が「社会主義的な所有と、強力な中央的規制・計画を意味する非資本主義システム」と言っています。先生もこれに対して同意されますか。あるいは、どのように具体的な体制を念頭に置いているのかお聞かせ下さい。保守主義的資本家が強力である現在を考慮すれば、経済的管理の方法を含む反資本主義の具体的な行動計画が必要だと思います。

ウォーラーステイン 一般的にいえば、私は、私たちが、どのような種類の新たな構造が作られるのか、あらかじめ予測できるとは思いません。私はたびたび、もし15世紀末のヨーロッパで、崩壊する封建主義システムに代わって、どのような体制が登場するのか、学者が討論できただろうか、また、はたして誰が20世紀に、資本主義がどのような姿でどのように作動するのか予測できただろうか、と言っています。ですので、コリンズの予測は若干性急だと思います。

李康国 先生の論旨は理解します。ですが、資本主義に対抗するいかなる代案的原則も存在しないのであれば、資本主義に反対する運動を結集させることは難しいかもしれません。このように見る時、進歩的な社会科学と進歩的な政治運動の間に、肯定的なフィードバックと好循環が必要だと思います。これが、私たちが経済学者の立場で、可能な代案的システムの具体的な形や事例について憂慮する理由です。

ウォーラーステイン 私たちは物質的な補償でなく、評判や成果に対する自己満足という形の補償を実験しなければなりません。これまで50年の間、商品化はされましたが、教育や医療の部門でそのような形の補償がながらく存在しました。このような形の補償は、数千年ではなくても、数百年の間うまく作動しました。多くの人々はずっと、人々が資本主義に対抗して戦うべく結集するべきだといいます。ですが、重要なのはそのようなことでなく、私たちみなが、ラテンアメリカで「よき人生」(buen vivir、共同体的な友愛と社会的連帯にもとづく自然親和的な生活方式)といわれる、生を重要視する文明の変化のために、人々を集結させるのです。これは容易なことではないでしょう。ですが、私たちはみな、特に経済学者は、新たな形の補償を積極的に試みることを考えるべきです。

李康国 技術によって中産層が消えるというコリンズの予測は非常に驚くべきものだと思います。技術革新が大量失業を生むことがあると多くの人々は憂慮しますが、コリンズのように、労働人口の50%あるいは70%が失業に陥るという話は信じ難いものです。先生は、世界経済がそのような大量失業を防げないと考えますか。事実、マイケル・マン(Michael Mann)が書いているように、資本主義の歴史において、経済成長や技術発展とともに数多くの職業ができました。技術の影響と未来の経済体制に及ぼす含意についての先生の意見をお聞かせ下さい。

ウォーラーステイン 過去の歴史についてはマンの言う通りです。ですが、現在、私は、私たちがなぜ大量失業を避けることができないのか、その理由については、コリンズに全面的に同意します。事実、技術は、結果をもたらす原因ではなく従属変数です。

李康国 マンは、私たちが資本主義システムを維持するとしても、地球温暖化の危機を迎えるだろうと主張します。彼は環境(生態)の危機が全世界な脅威になるので、これを深刻に憂慮します。マンが主張するように、私たちは環境危機に政治的に取り組むべきだと考えます。環境危機に関する政治的な解決策についてはどう思いますか。また、私たちは移行過程において、このことをどのように克服するべきでしょうか。社会主義は環境危機をさらにうまく解決できますか。

ウォーラーステイン 私は、環境危機が非常に深刻で心配だというマンの主張に同意します。ですが、私は決定的な転換点がいつ来るのかについては、マンほど確信的ではありません。それは新しい世界体制への移行の次にやってくることもあります。したがって、ポルトアレグレの精神が支配的になるならば、環境問題について、ある種の効果的な対応策が出てくることもあるでしょう。現在の体制内では、環境問題について、いかなる効果的な対応も成り立つとは思いません。

李康国 移行期における社会科学の役割や態度についてはどう思いますか。多くの人々は、先生が過去の占星術と比較したように、新古典派の主流経済学が危機に陥っていると主張します。私は、経済学が偏狭な限界を克服して、他の社会科学と交流するべきだと考えます。先生はながらく様々な学問分野の融合を提示して、イリヤ・プリゴジン(I. Prigogine)の理論をご自身の分析に導入したように、それを実践しました。本書の著者が自らを「方法論的な多元主義者」と呼ぶのは、そのような脈絡だと思います。韓国で社会科学の学問は依然として深く分割されていますが、特に韓国の社会科学者たちにどのような提言をなさいますか。

ウォーラーステイン 韓国の社会科学者たちも、世界の他の学者たちと同じだと思います。私は、彼らが私たちのように、認識論的な争点に積極的に対抗して、知識の領域を再統一するために努力し、そのような洞察を私たちの道徳的選択と政治的決定の創出に活用するべきだと思います。

 

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〔あとがき〕

 

ウォーラーステインと資本主義の未来

 

李康国

大恐慌以降、最大規模だったグローバル金融危機が勃発してすでに7年、資本主義は果たしてどこに向かうのだろうか。金融危機以降、主流経済学では、国家が資本主義を管理できるというケインズ主義が大勢になった。しかし、いわゆる長期停滞に対する憂慮が高まり、技術革新の停滞と人口増加率減少などで、長期的に成長率が下落するという予測が一般的である。またピケティは、『21世紀の資本』で、21世紀には不平等がより一層深刻化するだろうと憂鬱に展望する。もちろん彼らが資本主義の終末を語ることはないが、マルクス主義者を含む進歩的な経済学者も、資本主義の危機と展望について論争を行っている。何人かの急進派マルクス主義者は、マルクスの予測通り、資本主義の長期の歴史にみられる利潤率の低下傾向により、グローバル金融危機が発生し、危機を抜け出せない資本主義体制を克服し、新たな体制を建設するべきだと主張する。しかし、他の多くの人々は、1980年代以降、利潤分と資本生産性の増加で利潤率が回復し、金融危機は主に新自由主義と金融化の問題によるものだと主張する。彼らは、金融に対する規制と所得分配の改善のような資本主義の改革を通じた回復が可能だろうと展望する。

このような状況において、世界体制論をはじめとするマクロ歴史社会学の大家たちが、資本主義の未来を洞察する『資本主義に未来はあるか』は、経済学にも大きな話題を投げかけている。本書の韓国語版の刊行に合わせて、経済学と社会学の間の対話という趣旨から、筆者はウォーラーステイン教授と対談を進めた。よく知られているように、世界体制論を確立したウォーラーステインは、資本主義も生成、成長、そして死滅を体験する歴史的体制であることを強調する。彼によれば、資本主義の本質は、資本の限りない蓄積を追求することだが、すでにこのような蓄積がきちんと成立しない構造的危機が深刻化している。これは500年間、成功裏に作動してきた資本主義体制が、生産費用の長期的上昇で結局、限界に至ったためである。ひいては彼は、現在の危機が結局、大きな分岐へとつながり、資本主義は21世紀の中盤頃に終焉を告げるだろうと予測する。

もちろんこれはあまりにも大胆な予測である。事実、彼はこのような主張に対して、説得的で具体的な証拠を提示してはいない。ウォーラーステインの接近法とは異なるが、マルクス主義経済学のなかでも歴史的に利潤率が下落したかについての論議が存在し、利潤率下落による資本主義の必然的崩壊を主張する人たちはなかなかいない。結局、資本主義は深刻な矛盾を持っているとしても、彼の主張のように、終末が差し迫っているのか、そしてその時期まで私たちが予測できるのかは疑わしい。ウォーラーステインは、現在の資本主義が再び均衡に戻ることはないと強調するが、その理由も明らかではない。たとえば、情報技術革命や新再生エネルギー、あるいはバイオ技術などが、新しい上昇周期と準独占を生み、資本主義経済の危機を克服する可能性もあるからである。もちろん、最近、多くの人々が指摘しており、本書でコリンズも強調するように、ロボットなどの急速な技術革新が資本主義体制に及ぼす含意については、より多くの議論が発展するべきだろう。

にもかかわらず、不平等や環境問題など、資本主義が現在、直面している諸問題と、ひいては資本主義自体を越えるための努力について検討することは、私たちみなにとって大きな意味があるだろう。たとえば、資本主義に内在する不平等について、ウォーラーステインはピケティの議論を高く評価するが、税金を通じた体制内の改革は社会民主主義的なものであり、限界があると強調する。このような指摘は、資本主義の彼岸を想像することが困難な経済学の狭い視野を越えて、社会学の一層マクロ的で歴史的な観点を学ぶべきと強調しているように解釈できる。ひいては資本主義でない、代案的な体制の作動原理として、金銭でない他の形の補償システムが必要だという彼の主張は、一種の文明的転換を促す。このような彼のメッセージは、経済学や社会学を含めた、社会科学者らがすべて、ユートピアが単に幻滅で終わらないように、より一層激しく「ユートピスティックス」を追求するべきだという重要なメッセージを投げかける(ユートピスティックス(Utopistics)とは、ウォーラーステインの1998年の著書のタイトルであり〔同名の韓国語版は1999年に刊行〕、「理想郷を求める学問活動」という意の造語で、資本主義世界体制に代わる歴史的代案を模索しようという意味――編集者)。

彼はまた、資本主義の構造的危機は、一種の法則が作動した結果だが、混迷する分期と移行の時点には、主体の意志に基づく政治的努力と実践が核心的であると力説する。もちろん、これと関連して、資本主義に対抗する運動の具体的な形態と代案的体制の原理が事前に明確でないという難点も存在する。しかし、ウォーラーステインの話のように、私たち自らが世界各国の現実にみられる多様な実践の過程の中で、それを見出すために絶えず努力するべきだろう。ならば、資本主義は突然崩壊するのか、あるいは、長期的に変貌するのだろうか。本書の著者もそれぞれ異なる見解を示すように、現在、危機に陥った資本主義の未来は依然として不確実である。しかし、構造的矛盾の程度と危機をめぐって展開する政治的闘争の結果が、それを決定するだろうという点だけは確実である。

最後に、忙しい年末の日程にもかかわらず、何度もEメールを通じて快くインタビューに応じてくれたウォーラーステイン教授と、当初から対談を企画して、再収録を了解してくれたハンギョレ新聞、このあとがきとともに、あらためて発表の機会を提供してくれた『創作と批評』編集陣に感謝の言葉を伝えたい。

 

[訳: 渡辺直紀]