東アジア人文雑誌の未来を拓こう

2016年 春号(通卷171号)

 

 

50周年特別企画:創批に望む
『現代思想』編集者押川淳インタビュー

 

 

金杭
延世大学校国学研究院HK教授、本誌編集委員。著書に『語る口と食べる口』『帝国日本の思想』、訳書に『近代超克論』『例外状態』『政治神学』などがある。

 

『現代思想』は1973年に創刊された日本の人文雑誌である。1960年代に登場したニューレフトが学生運動のみならず思想界にも多大な影響を与えたことは周知の事実であろうが、1970年代は学生運動が退行期を迎える時期であると同時に、それまで水面下にあったニューレフトの思想的影響が浮上してくる時期でもあった。『現代思想』はそうした情況において生まれた雑誌である。1993年から2010年まで編集長を務めていた池上善彦が語ったように、当初、この雑誌は同時代のヨーロッパの思想を紹介することを主たる任務のひとつとしていた。この雑誌をつうじて、フーコー、デリダ、ドゥルーズなど、1960-70年代を風靡した思想家の著述がリアルタイムで翻訳・紹介され、大学アカデミズムでは扱われないアクチュアルな思想・思考がこの雑誌を中心に展開された。もちろん単に紹介しただけではない。『現代思想』はニューレフトの実践的問題意識のなかからヨーロッパの同時代の理論に向き合おうとし、それゆえ単なる翻訳というよりは日本の書き手による論考が圧倒的に多くの誌面を占めた。そうして『現代思想』は連合赤軍事件によって廃墟と化したニューレフトの政治空間を、言説の場から再建しようとしたのである。

全盛期の1970-80年代に比べれば販売部数も影響力も小さくなったことは冷徹に認めるとしても、『現代思想』が今なお日本の人文雑誌においてひとつの主軸をなしていることは否定できない事実である。というのも、以前と同様、人文社会分野で批判的知識と奮闘する多くの研究者・批評家が寄稿者として参加しており、著名な執筆者はもちろんのこと、数多くの論客がこの雑誌をつうじて「登壇」するからである。

今回のインタビューに応じてくれた押川淳(以下、押川)は、この雑誌の三世代編集陣のうちの一人である。自らもまた著名な批評家である三浦雅史と、「第三世界」全域を駆け回って知の連帯を実践する運動家である池上善彦が主導していた『現代思想』は、現在、この雑誌と同世代である1970年代生まれの編集者が中心となって制作されている。彼ら・彼女らはヨーロッパの現代思想だけでなく日本国内の現在的なイシューや、東アジアの状況にいたるまで、扱う領域を広げて来た。『現代思想』の現在を担っている若手編集者の押川は『創作と批評』が中心となって2006年に始めた「東アジア批判的雑誌会議」シンポジウムに幾度か参加しており、インターネットで配信されている『創批』日本語版(http://jp.changbi.com)の愛読者である。そんな彼に、東アジア人文雑誌の未来という大きな枠組みの中で『創批』の印象とその展望を聞いてみた。彼は日本の現在の情勢を概観しつつ、質問に答えてくれた。

昨年夏、日本の国会議事堂周辺を10万人もの市民が取り囲んだシーンを今も鮮明に記憶している人は多いだろう。いわゆる「平和安保法制」の国会採択が差し迫った状況で、市民たちは国会議事堂周辺を「占拠」することで反対の意思を表明した。結局、法案は紆余曲折の末に、韓国風にいえば「ナルチギ」採決〔「ひったくり」の意。転じて、議論なしの強引な与党単独採決〕されたが、その過程で立ち現れた日本の市民の集合行動は、強い印象を残した。占拠運動をリードした集団のなかには、90年代以降に大江健三郎などが中心となって結成された「九条の会」のネットワークもあったが、最も注目されたのはやはり「SEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy-s)だった。彼ら・彼女らは2015年6月以降、毎週金曜日に国会議事堂前で開かれた抗議集会を主導し、中心メンバーらは新しいオピニオンリーダーとしてメディアに躍り出た。「九条の会」が60年代学生運動を担っていた壮年層インテリ集団だとすれば、SEALDsはまるで彼ら・彼女らの20代を再演するかのようであり、メディアの注目を浴びたのである。

しかしSEALDsは60年代ニューレフトの闘士とは、その思想においても行動においても全く異なっている。彼ら・彼女らはおしゃれな服装に身を包み、ヒップホップのライブを彷彿とさせるようなグルーヴ感のあるスローガンでデモを繰り広げた。また、SNSを使って路上の状況をリアルタイムで伝えることで、オン・オフラインの占拠を展開した。スローガンは簡明で、方法は洗練されていた。それゆえかつてのニューレフトのように、理論先行型の過激青年ではなく、ファッショニスタに近かった。過激青年が文章と言葉で合成された肉体を権力に投げつけたとすれば、彼ら・彼女らはラップとイメージで製作されたからかいによって権力をおちょくったというわけだ。

押川はこの新しい流れを見ながら、人文雑誌の現在と未来を予想してくれた。まず彼は日本の人文雑誌の歴史を次のように概観した。

60年安保闘争の時の知識人の発言を見ると、大多数が『世界』(1946年に創刊され戦後民主主義をけん引した雑誌)をはじめとする「論壇誌」で発表されたものであることがわかる。しかしこうした雑誌メディアをつうじた状況分析や発言は、1970年代に既に影響力を失った。市民という単一の読者層を対象にした論壇誌のアリーナは、さまざまな特性をもった雑誌の登場を経て枝分かれしていった。読者の関心も、どういう知識人が発言したのかから、どういう雑誌でどのような編集のもとで議論がなされたのかへと移っていった。知識人個人ではなく、個々の雑誌の固有の観点が重要になってきて、他とは違う雑誌、違う筆者を開拓することがカギになった。すなわち、誰が発言するのかではなく、「どのように伝えるのか」という編集の力が前面化されたのだ。

先述した『現代思想』の創刊は、こうした状況の産物である。しかし2000年代以降、状況は変わった。1996年を頂点にして出版市場全体の規模が全盛期の6割ほどに縮小し、なかでも雑誌の落ち込みが激しくなったのである。人文雑誌はとりわけ状況が悪く、有力誌のうちいくつかが続々と廃刊に追い込まれている。これには様々な要因があるだろうが、押川はSEALDsという新しいかたちの社会運動の登場と関連付けて状況を分析する。

70年代以降、人文雑誌の機能のうちのひとつが運動のメディアになることだった。というのも、社会運動グループの大多数は、人や予算や技術の側面で自前の発信手段を持つことが難しかったからである。いくつかの人文雑誌は、そうしたグループと手を組んでメディアとしての役割を担った。しかしSEALDsのように、自らメディアとなる運動体の登場は、運動と雑誌の役割を変化させた。両者の間に新たな生産的関係が作られるのか、それとも互いを無視しながら併存する非生産的関係に転落するのかは未知数だ。ともあれ読者が何を求めているのかを見極めつつ、今後の関係を考えていかねばならないだろう。

この言葉には、人文雑誌という一線で孤軍奮闘している彼の悩みがよく表れている。押川は日本のこのような状況を念頭に置いて『創批』への思いを語ってくれた。押川は日本語版サイトで『創批』を読んでいる。1970年代に和田春樹教授を中心とした社会運動グループが『創批』の「海賊版」を読んで翻訳・出版していたことを思い起こしてみれば、どれほど世界が変わったのか実感できる。世代を飛び越えて全く異なる世界から全く異なる条件のもとで『創批』と接したが、押川と和田教授グループの『創批』に対する印象には共通点がある。和田教授のグループが『創批』を読むさいに、同時代の韓国の状況を世界情勢的視点から把握する知的眼差しに注目していたのと同様に、押川も『創批』誌面で最も印象深いのは、現情勢を緊張感をもって分析する巻頭言と、グローカル(glocal, global+local)レベルの懸案を扱った「論壇と現場」だと語ってくれた。彼は次のように、「論壇と現場」の印象を述べる。

それは新しい思想や社会実践の導入・紹介でも、変化する状況の単なる分析でもないようだ。個別の現場の特異性や個別性、歴史性に注目しながら、そこから生まれ出てくる思想をどうにかして共有し、新しいコンテクストへと翻訳しようとする意図が見えるからである。また、そうやって抽出された思想の可能性を個別の現場で再び検証する試みでもあるのだろう。このように大切で骨の折れる作業を、国内を越えて東アジア、さらにはアフリカまで含む視野で展開していることは、この雑誌が韓国国内にとどまらず、アジアの人々にとっても重要な思想的資源となるだろうことを物語っている。

このように、押川にとって『創批』は、韓国に関する情報を得るための雑誌というよりは、東アジアからアフリカにいたる個別の現場の生きた思考を、朝鮮半島という観点から解釈し問い直す雑誌として認識されている。1970年代に『創批』海賊版を読んでいたグループも同様だった。彼ら・彼女らは韓国に関する情報を得るために海賊版を耽読していたのではない。韓国と日本を含む東アジアの冷戦構造を打破するために「方法としての朝鮮半島」という意識をもって海賊版を読んでいたのである。押川も同じく、『創批』を韓国や日本にとどまらない、東アジアとグローバルな次元の批判的思考のための媒介としている。彼は自らもまた参加していた2015年「東アジア批判的雑誌会議」に関する論考を引用しながら、『創批』をはじめとする人文雑誌の未来を次のように展望した。

『創批』2015年秋号に掲載された「東アジア批判的雑誌会議」報告文(拙稿「立場から現場へ」)には、白永瑞氏の「核心現場」という概念を、「『立場』から『現場』へ」というパラダイム転換として捉える示唆的議論があった。場を占有するのではなく、場を開きなおすこと、これは破局的状況に置かれている日本の人文雑誌に重要な示唆を与えてくれる。人文雑誌は各自がつくりあげてきた固有の場に立ちながらも、その場を開きなおすことができるのだろうか? そのためには雑誌が表明する思想や立場を支えるいくつかの核心概念が、自らの場を越えて共感されうるのかを考えねばならない。その「現場」を構築する具体的な方法を提示することは自分の能力を越えている。しかし、そうした試みこそが今・ここで断片的にでも始められねばならない。「現場」をアジア/世界の次元で再構築していかなければ、人文雑誌に未来はないだろう。

押川は『創批』の未来を、どれだけ自らの「場」を世界のなかへと開いていくことによって「開くことができるのか」にかかっていると語る。多少抽象的なこの言葉を自分なりに解釈すると、『創批』の未来は朝鮮半島という場をどれくらい東アジアやグローバルな次元へと開いていくことができるのかにかかっているというメッセージであると思われる。もちろん、これは韓国のそとで読者を得ろという「経営コンサルティング」ではない。問題は、朝鮮半島の文学や社会状況が韓国という国民国家の枠によって断ち切られてはならないという点である。『創批』は韓国語の媒体である。しかし向き合っている世界は韓国にとどまらない。かといって東アジアや世界という固定された空間への拡張のことでもない。朝鮮半島や東アジアや世界は、すでにそこにあるものではなく、『創批』が開いていくべき「現場」だからである。その意味で『創批』に対する押川の注文は、50周年を迎える『創批』にとって、大切な提言となるだろう。

 

翻訳:金友子(立命館大学国際関係学部准教授)