[卷頭言] 六者会談にかける期待 (2005 秋)

韓基煜

 

2005年 秋号(通卷129 号)

 

 

7月26日、北京で開催された第四次六者会談は、13日間にわたって熱っぽい対話と交渉をしたにもかかわらず、北核問題の解決のための基本原則に合意することができず、三週間の休会に入ることとなった。北朝鮮における核廃棄の範囲や核の平和的利用権利、とくに輕水爐事業にかんする北朝鮮・米国間の意見の違いが大きかったことが、主な原因であった。これで韓半島の情勢は、北核問題の妥結または決裂という両方の可能性を含んだまま再び不安定な局面を迎えるようになった。したがって休会期間の間に会談の弾力を失うのではないか、米国のネオコンたちによる「会談無用論」が勢力を得るのではないかとおそれる声もしばしば聞こえてきた。しかし、今度の四次会談は、前の一、二、三次会談からみると、成功をおさめたといえるほど、重大な進展があったことも事実である。

まず参加国たちが、韓半島非核化という目標やこれに相応する措置として対北経済援助と北米・北日関係の正常化に合意した点、それから会談期間中、北米会談が頻りに行われた点などが、目立つ成果である。過去の会談においてそれぞれの強硬な立場のみを繰り返し主張してきた北・米両国が、今回の会談では基本的な合意の枠を作り上げるために質実的な交渉に臨んだのである。ところで、今回の六者会談においてもっとも注目すべき点は、韓国の代表団が主導的でかつ仲裁的な役割を十分果たしたことであろう。韓国代表団は北・米代表団と随時接触しながら韓米間、南北間の協議を繰り返し、両国をつなげる仲裁の役目をみごとにやり遂げた。会談の危機になると、「南・北・米三者会同」の場を設けることもあった。以上のような活躍ぶりは、この会談が開催にいたる過程においてすでに予想できるものがあった。「6・15共同宣言5周年民族統一大祝典」をきっかけに鄭東泳統一部長官が大統領特使として訪北、金正日国防委員長に200 万kw の送電を提案しながら六者会談の復帰を説得し、ついでアメリカの対北政策実権者であるチェイニー副大統領に南北の核問題解決意志を伝えることで六者会談の復活を導いたのである。2003年4月、北核問題の初期に北・中・米3 者会談が開かれた頃、問題解決の場に立つことさえできなかった当時の立場と比べると、韓国の主導的な力が大きくなったことが実感できる部分である。

以上のような主導的でかつ仲裁的な力量の成長は、盧武鉉政府の自主外交の努力によるものが大きい。政府初期、民族共助と韓米同盟との間で均衡がとれず戸惑っていた盧武鉉政府は、米国の対北武力行事にたいする反対という原則を表明した大統領のLA 発言(2004年12月)や韓・米・日三角同盟から離れ東北亜情勢に能動的に対応するという東北亜均衡者論(2005年3月)を通じて一貫した自主外交の努力を見せてくれた。ところが、これらの努力が実を結ぶことのできた背後には、民族分断という障壁を正面から乗り越え、南北首脳会談や6・15 共同宣言という快挙をやり遂げた歴史があったことを記憶すべきであろう。これをきっかけに政府と民間の様々な部門にわたって南北間の交流と協力の流れがはじまり、平和と統一への勢いがついてきたことも当然である。とくに北核問題によって硬直していた南北関係を和らげ、今年に入って南北民間交流がいつになく活発になった。「6・15 共同宣言5周年民族統一大祝典」をはじめ、「6・15 共同宣言実践のための民族作家大会」や「8・15 民族大祝典」のような画期的な民間主導の行事が、共同宣言によって開かれた空間で相次いで成功裏に開催され、このような民間交流がさらに韓半島の平和の機運を高めているのである。六者会談において南北が分かち合える共同財産があるとすれば、それは現在、韓半島に巻き起こっている平和の気流ではなかろうか。

今回、六者会談において最大の障碍として予想された北朝鮮の平和的核利用権という主張が、ただ突飛なことではないという指摘もできよう。むしろ北朝鮮を主権国家として認めると言いつつも、核拡散禁止条約(NPT)体制の基本的保障事項である平和的核利用権まで制限しようとする米国の覇権主義的な態度こそ、常軌をはずしたものといえよう。北朝鮮が核兵器を製造したという「前科」を理由に、それを許容しないそうだ。しかし、米国はNPTに加入せず核兵器を保有しているインド、パキスタン、イスラエルにたいしてどのような制裁も加えてないし、北朝鮮とともに「悪の軸」呼ばわりされたイランにたいするEU の平和的核利用権提供の交渉についても同意したことがある。イランはこの交渉さえ拒否したが、北朝鮮はNPT 再加入と国際原子力機構(IAEA)視察の受容を前提に平和的核利用権を要求しているので、無理な主張をしているわけではない。ただし、われわれは米国の覇権主義的な要求にたいして北朝鮮の側が極限対決に走るのではなく、より柔軟な姿勢で対応する必要があると考える。米国の覇権主義を克服できる道は、韓半島に漂う平和の気流に乗って南韓の同胞や信頼する隣人たちと共に覇権主義的な強迫から離れる通路を開いていく方向にあるからである。そのとき、六者会談は韓半島の平和気流を東北亜へ拡散していく通路になるだろう。

今季号の特集は東北亜平和体制の構築問題を議論する場として設けられた。特集を「アジア人による東北亜の平和は可能なのか」というタイトルにしたのは、西欧やアジアの国民国家ではなく東北亜の住民としての「アジア人」が、東北亜平和体制の建設の主体となるときに真の平和が実現できるという意味を盛り込もうとしたのである。そのために、この地域の中心勢力である米国・中国・日本という列強中心の勢力均衡に基づいた現在の東北亜秩序を革新し、新しい代案になるような秩序を見い出していくことが大事である。さらにこの地域に対するアメリカの覇権主義的な影響力を減らし、東北亜の住民が主体となり、国民国家の境界を越える多様な形の協力と連帯の枠を作っていく必要があるだろう。このような視点から李南周、裵肯燦、朴明林、林源赫が参加した座談は、中国の急浮上や米・日同盟強化による東北亜勢力均衡の変化という最近の状況のなか、東北亜脱中心化の可能性を模索し、平和体制の構築という課題において韓国が果たすべき役割を探っていく。そのなかで米・中・日三者の覇権論理から脱皮した地域協力・地域統合のために多様な形態と方式が検討される。参加者たちはそれぞれの専門分野で研かれた識見で斬新なアイデアを出し合い、議論はより豊かなものになり、とくに国民国家と地域統合の間に新しいガバーナンス(governance)構造のような望ましい形態のモデルにかんする前向きな議論などが座談に活力をつけた。

 

特集の各論には、台湾・中国、日本、韓国の事例をとおして東北亜秩序の革新と平和体制構築の展望を考える三篇のエッセイを載せた。南方朔は韓国の主体的な対外戦略を高く評価するなか、最近台湾の野党指導者たちの歴史的な中国訪問をきっかけに両岸関係が韓半島の南北関係のように分裂と対立から離れ、平和と協力に進む展望をみせてくれる。權赫泰は日本の平和憲法の成立から最近の改憲の不吉な動きにいたるまでの軌跡を周辺国との関係か
らたどり、韓国の反共軍事独裁が日本の平和主義を支えた反面、韓国の民主化は日本の右傾化を促すというアイロニーをとらえた。李日榮は、韓国の‘87 体制’というものが、グローバル化した東アジア生産ネットワークと組み合わず、深刻な膠着状態に陥り、革新が求められているという主旨のものを書いたが、これは平和的かつ水平的な新東北亜秩序を構築するために重要な参考になるだろう。特集のテーマと関連してテッサ・モリス・スズキ(Tessa Morris-Suzuki)のエッセーは、戦後日本における「在日朝鮮人」の北送事業を再照明し、人権政治の視点から現在の脱北者問題を取り扱った論壇として東北亜平和問題に示唆するところが多い。

 

前号の詩と詩批評の現況を扱った文学特集が大きな反響を呼び起こした。今後も文学欄の編集にもっと精を出していくことを決め、前号の特集にかんする二篇の評論を載せた。朴秀淵 は特集評論の良し悪しを論じ、特集構成の‘亀裂’を問題にしさらに創批の最近の批評について苦言を惜しまなかった。金壽伊は特集評論にたいする自信の批評的な視点から「自然のマトリックス論」をより精巧な形にし、これにもとづき「現在の砂漠」に生きる詩の大切さを浮彫りにした。特集にかんする評価という要請に誠実に応じてくれた二人の評論家に心から感謝申し上げる。金永贊は1990年代の文学が内面に没頭する傾向を見せたにもかかわらず徹底した自我探求にいたらないまま、ナルシシズムに陥ってしまったことが、今の文学危機の根本にあると指摘し、1990年代とちがい「脱内面の想像力」を見せる2000 年代の文学の可能性を考える。これに林哲佑、崔仁碩の最新作を細やかに分析した白智延の季刊小説評、崔夏林・金信龍・李起仁の近作に現れた幻想性やその詩的効果を追っていく朴瑩浚の季刊詩評、それに金衍洙小説集や徐榮彩評論集を扱った金美晶と李守炯の寸評のおかげで今季号の評壇はより豊富になった。小説欄は力量と個性に富む作家の作品で満たされた。ユニークで瞑想的な叙事を試みた尹大寧、それぞれの個性的な文体で民衆の生活の現場を生き生きと描き出した孔善玉、韓昌勳、金鍾光の短編や、前編につぎ「いじめっ子」の成長記を得意の無規則的な文体で描き、興味を惹く朴玟奎の長編小説(連載二回分)が読者の評価を待っている。宋基元、金秀烈、李昇夏、李昌起、鄭世基、曹容美、金榮山、李弘燮、文泰俊、金宣佑、趙末先、申基燮など、12人の詩人たちが繰り広げたさまざまな詩風にも注目してほしい。

 

さらに、最近の韓国社会の難問である不動産投機問題の真相や解法を丹念に捉えた李常英の時評、また話題の映画・ドラマ・写真展の成果を見事に論じた成銀愛、金眞哲、陳東善の文化評は、ものを読む楽しさとともに教養をも与えてくれるだろう。それから部門別の充実した寸評と「読者の声」がこの雑誌につけた活力は、他の欄に比べられないほどであり、分量に比べ手間のかかる原稿を快く書いてくれた筆者たちに感謝申し上げる。

 

最後に先日の7月15日‘創批’と「ともにする市民行動」が共同主催したシンポジウム「87体制の克服のために」に送った読者皆様の厚い声援に感謝する。創批は今後とも同時代の主要争点についてつねに皆様とともにすることを再び約束申し上げる。

 

訳: 洪善英

季刊 創作と批評 2005年 秋号(通卷129 号)
2005年9月1日 発行
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