[インタビュー] 市民運動のブルーオーシャン(大海原): 朴元淳〈希望製作所〉常任理事との対話

挑戦インタビュー
 

 

朴元淳(パク・ウォンスン) 市民活動家、〈希望製作所〉の常任理事、〈美しい財団〉の常任理事、〈参与連帯〉の事務処長役だ.

李南周(イ・ナムジュ) lee87@skhu.ac.kr

聖公会大中語中国学科教授、中国政治。『創作と批評』編輯委員

 

 

とき:2007年10月29日午後3時

ところ:〈希望製作所〉

 

 

なぜ朴元淳か? すでに昔の話になったが、大統領候補にも名前があがった朴元淳弁護士が知らない人はいないだろう。だからいまさら何か新しい話が聞けるだろうかという疑問が浮んだのは当然といえよう。しかし〈参与連帯〉の事務処長、〈美しい財団〉や〈希望製作所〉の常任理事として、絶えず変身を繰り返す彼の考えを、正確に読み取れる人もそう多くないだろうという気がした。だから大統領選挙後も絶えず韓国社会に少なからぬ影響を及ぼしているように見える彼に、韓国社会と市民運動の発展方向に対する考えを聞くことは、急変する政治的状況を無視するような暇な仕事では決してないだろうという確信を持って、彼の〈希望製作所〉事務室を訪ねた。

 

李南周 「挑戦インタビュー」だからといって、私がなにか挑戦しなければならないようで負担でしたが、この間『ハンギョレ新聞』で大統領選挙候補らを相手に先生がインタビューなさったのを見ると、かなり攻撃的になさっていたので、負担はずいぶん和らぎました(笑)。呼称は「先生」とお呼びしましょうか、それとも「常任理事」とお呼びしましょうか?

朴元淳 ご自由にどうぞ。私は弁護士をやめて長くなりましたが、以前のように「朴弁護士」と呼んでくれる方も多いです。私もちょっと判断がつきません(笑)。仕事が変われば職責も変わるじゃないですか。〈参与連帯〉にいる時は事務処長でした。だから〈参与連帯〉の幹事は今も私を「事務処長」と呼びますが、ずいぶんなことに現在の事務処長も私のことを「事務処長」と呼びます。自分が今、事務処長なのに(笑)。韓国のようにこうして呼称が紛らわしいところもないでしょう。たとえば前長官なら「長官様」と呼びます。これではいけないと悩んでいたのですが、そこで私たちは「さん」付けにして呼ぶことにしたんです。だから〈希望製作所〉では、実はすべての人に「元淳さん」と呼ばせています。若い人々はそう呼んでくれます。ですが、やや年を取った人々は難しいようです。イギリスやアメリカで「ミスター」と呼んだり、日本で「さん」と呼べば、ある程度の尊称になるじゃないですか。そのように「元淳さん」と呼べば適正な尊称になるし、特別な場合は「先生」と呼べばいいじゃないですか。では、どうせなら「元淳さん」と呼んで頂きましょうか。

 

 

ソーシャルデザイナー「元淳さん」

 

李南周 私は「先生」と呼ぼうと思っていたんですが(笑)。

朴元淳 「元淳さん」ですよ。これも一つの運動ですから。

李南周 では私もそのように呼んでみます。これまでの経歴を拝見すると、弁護士から始まって市民活動家として活動し、最近はソーシャルデザイナー(social designer)という表現をかなりお使いですが、この多様な職業遍歴からご説明下さい。

朴元淳 さきほど申し上げたように、弁護士をやめて10年になりますが、依然として弁護士でもあり、実際には市民活動家です。活動家、アクティビスト(activist)だと思います。ですが、その内容の中にも様々ありますから、最近、私がソーシャルデザイナーと言っているのは、韓国社会の公共イシューについてもう少し専門的かつ体系的に悩む人間、このような職業を一度作って見たのですよ。名前ひとつ、呼称ひとつにも創意的な変化が必要ではないかと思ってこう使っています。

李南周 そのように自称されている方は、まだ元淳さんお一人だけでしょう?

朴元淳 かなりいます。私たち〈希望製作所〉の人々も、大部分、名刺にソーシャルデザイナーと書いてあります。またある人は私の肩書きを見てから自分のことをエデュケーションデザイナー(education designer)と書いていらっしゃいます。だからますます韓国社会にデザイナーが多くなっているんです(笑)。

李南周 これまでの遍歴の中で最も大変だったり、やりがいがあったと思うのはどのようなことでしょうか? 今、なさっている仕事以外に。

朴元淳 そうですね。それなりにすべてやりがいもあるし限界もありますが、私が今やっている仕事を、まずは最も大切に考えるべきだと思っています。昔のことは昔のことですから。でも最も大変だったのは、やはり市民運動の草創期だったと思います。私が人権弁護士をやっている時は、先輩たちに付いてやっていたから、ある集団を引っ張っていかなければならないという責任感のようなものはありません。ですが〈参与連帯〉を始める時は、私も市民運動が初めてでしたから、少なくとも募金やキャンペーンの一つ一つが分からない状態でしたから大変なことも多く、また同時にやりがいもありました。ですが、そのことを通じて経験ができて、人々もその経験を認めてくれるようになりますから、〈美しい財団〉をやっている時は結構楽だったのではないかと思います。初めてやる時はなんでも大変ですが、大変なほど苦労は美しい思い出に変わるんです。

李南周 さきほど元淳さんがおっしゃったように、本人の役割として市民活動家というものを最も基本と考えて、過去にも〈参与連帯〉の仕事を、最も難しいけれどやりがいのあった仕事だとおっしゃいました。最近は市民運動に対する苦言もかなりおっしゃるようです。元淳さんは大部分のインタビューで、今、なさっている仕事が既存の市民運動との一種の役割分担で、つまり多様な活動空間を新たに作り出すべきだし、各自の仕事を懸命にやることが重要だというように、既存の市民運動とご自身の新しい事業との間の関係を説明しています。ですが、90年代中盤から始まって現在に至る既存の市民運動に、何か根本的に革新すべき地点があるのではないかと強調する場合もたびたび目撃しました。

朴元淳 私は個人でも集団でも、あるいは運動でも、自己革新がなければいつも停滞し、停滞すれば腐敗してしまうと考える方です。今、社会は大きく変わっているのですから、運動の内容や形式もともに変わるべきだと思います。私がよく「冷蔵庫理論」を幹事らに話します。性能自体が変わりつづけてよくなっていかなければならないし、デザインも変わっていかなければならないんです。運動も同じで、10年、20年前の運動は私たちが当時の課題を解決しようとしたものです。今は社会が変わっているのに、全く同じ内容と形式でやっていてはならないということです。私たちが民主化運動の時期に民主的な政権を作り出し、民主化以降の移行期には社会転換期的な運動をしたとすれば、今はポスト民主主義、あるいはポスト移行期の、もう少し本格的でポジティブな時代の言説や具体的な提案を作り上げる能力を持たなければなりません。昔は社会がやはり慌しかったので、大きな枠で主張をしてもかなり意味があり、社会に受け入れられましたが、今は政府もかなり変わりましたし、企業も相対的にかなり変わりました。ですから新しい言説、新しい形式が必要ではないかという話をしつづけているんです。

李南周 以前の形式で発展してきた市民運動や市民団体は、お勤めになっていた〈参与連帯〉や他の地方に作られた既存の市民団体の場合は、新しい要求に合わない側面もあるというお考えのようですが、それらがどのように変化すべきかを要求することもできるのではないでしょうか?

朴元淳 そうですね。他の団体に対して私から言うのは少し何ですが、〈参与連帯〉の場合は依然として大事な運動だと思います。権力と財閥、あるいは国民の権利という観点から、本当に大変で、続けられるべき運動だと思いますが、少なくとも具体的に入って行けば、アジェンダや方式は変わるべきだとも思います。全く同じことが持続すれば、いくら意味があって美しいことも面白くないでしょう。

 

 

市民運動の大海原を探せ

 

李南周 ならば、アジェンダとして現在、主として強調するものの中には、理念的で抽象的な論議が多いですが、少し実事求是的でミクロなアプローチも必要だと思います。

 

 

朴元淳 たとえば政治改革は常に必要でしたから、腐敗防止法も作り、落選運動もやりました。それが社会に大きな影響を与えました。ですが、今、落選運動を全く同じようにやっていてはいけないんですよ。最近、マニフェスト運動が流行しています。この運動の実効性は少し疑問ですが、とにかく新しいアプローチ方法ですから社会的に注目されているようです。腐敗も昔のように巨大な腐敗は相対的に消えました。最近、三星(サムソン)に対する内部告発事件を見ると、まだあのようなことが起こっているのかという気がしますが、それでも社会がますます透明になっていることは事実です。もっとミクロなこと、たとえばアメリカのファルス・クライムズ・アクト(False Claims Act)という、韓国の不正主張法、納税者訴訟法のような運動とかですね。アメリカの下院倫理委員会の中にフランク・パーミッション(Frank Permission)というのがあるんです。国会議員が送る手紙の切手を、政府の金で使えるものと個人的に負担しなければならないものとの間の基準を判断する委員会です。私は、文明というものは、このようにますます緻密になっていくマニュアルで進んでいくものだと思います。このように先進的な国であるほど、公共の尺度や基準というものがずっと緻密になるんです。そのような方向に運動が行かなければならないですし、そのためには私たちがもっと勉強しなければならないと思います。だから市民活動家が絶えず世の中の新しい変化に敏感に対応し、洞察力を動員して変化を眺め、これに対する代案的アジェンダを持っていてこそ、社会に対してある方向に進もうと要請できるのではないでしょうか?

 李南周 そのような問題意識と関連して、既存の市民運動に対してそれなりに変わるべき地点を強調していますが、一方で危機論に対してはかなり批判的に、「危機などではない。市民運動には大海原が広がっている」と言っています。そのようにおっしゃる根拠は何なんでしょうか?

朴元淳 それは目に見えます。社会が発展して合理的になっていくということは、それだけ人間の自発的な結社が多くなって、ボランティア的な組織がますます多くなっているということなんです。アメリカにはそのような組職が60万もあるといいます。ですが私たちはまだ創始期です。過去には政治的な変化や制度的な変化のために働いた団体が市民運動の中心であると考えられましたが、政府や議会や公共機関が合理化されてアドボカシー(advocacy、共益の主張・代弁)機能が低下することもあると思うんです。だからといって共同体の課題がなくなったわけではありません。むしろもっと多くなっています。日本もヨーロッパも同じです。私は私たちが考えたこともないあらゆる領域において、時代が要求する課題を解決しようとする、市民の自発的な努力や動きはさらに多くなると思います。

李南周 韓国社会でもすでにそのような現象が出現しているというお考えですね?

朴元淳 そうです。「社会的企業」(social enterprise)のようなものも、最近、数年の間の仕事ではありますが、全世界を席巻する一つの幽霊で、マルクス(Marx)が『共産党宣言』(The Communist Manifesto)で言ったように、いたるところで自然発生的に出現しています。私はそのような変化を少しだけでも見るならば、NGOやNPO、市民社会に未来がないとは言えないと思うのです。

 


市民運動に新しい変化が必要であるとか、市民運動を含む進歩改革陣営に実事求是的なアプローチが必要であるという彼の主張は反対しにくい。にもかかわらず彼が市民運動に占める役割を考慮する時、ミクロな代案、あるいは多様性を強調した彼に、もっと大きな絵を描く設計者、統合の求心点として活躍することを期待する声も少なくない。そこで、市民運動全体の発展において自分の役割をどう考えるかという方向に話を移した。

 

 
李南周 元淳さんが韓国社会の変化のためにこれまでなさってこられた役割を考える時、みなはまだ韓国社会が構造的に、あるいは制度的に変化することが重要であるとか、少なくてもかなり重要な課題が残っていると考えていて、そのような部分で役割を続けてくれたらという期待があります。ですが、現在なさっているミクロで実事求是的な仕事は、そこから遠くなるのではないかという憂慮を示す方々もいらっしゃいます。その点についてどう思われますか?

朴元淳 そうではありません。私がやっていることの方がむしろずっと辺境を開拓して外延を確張することだと思うんです。そうすることで実はアドボカシー運動の方も力を得るのだと思います。たとえば私が〈参与連帯〉にいる時も、おそらく〈参与連帯〉が財閥を改革する経済民主化運動や落選運動ばかりやっていたら、あのようにうまくはいかなかったでしょう。私はどうすれば柔軟に近付いて人々が参加できるようにするかについて絶えず悩んでいました。そこで小さな権利要求や社会権運動のようなことをしたんです。私はこのようなものがなければ、一つの組職の中でもこのような状態なのに、まして社会全体で見る時は、このように柔軟で生活の中に深く根付く運動がもう少し外延を拡げていかなければ、運動の枯れ死にすると思います。過去において市民運動は主に学生運動出身の社会活動家がやっていました。今は市民団体が幹事を選びますが、志願者がめっきり減っているという実情です。ですから私はそのような活動家を作り出すためにも、主婦や社会の一線から退いた人たち、会社員、青年らを社会公共のイシューに関心を持つように仕向けなければならないと思っています。つまり市民社会運動の主体を交替していかなければならないんです。

李南周 韓国のNGOがこれまで10年ほどの間にかなり成長しましたし、大きな役割も果たしましたが、少し前におっしゃった観点、小さな権利を通じて市民が積極的に参加できるような通路を作ったり、実際に市民がそれに多く参加しているかを考えると、まだまだ足りない部分が多く、そのような面では発展が遅いのではないか、特にアメリカや日本には会員に基盤をおくNGOがかなり多いですが、韓国の場合にはそのようなNGOの数がかなり少なく、最近はずいぶん勢力としても弱まっているようです。

朴元淳 だから頑張らなければならないんです。ですが、私たちのように強力なアドボカシー運動団体が結成されて、それが影響力を及ぼした例は、実はアメリカや日本にもあまり見られません。それは上から作られたものではありません。韓国ほど知識人が参加して作り出した運動組職が社会に影響を及ぼした事例は、なかなか見つからないでしょう。アメリカを見ても中央政府にこのように強力な影響を及ぼす組職はありません。日本は言うまでもありません。それは南周さんを含めて、大学教員らの献身的な社会参加と、それが基盤になって出てきた献身的な若い活動家、私はこのような力によって可能だった結果だと思います。ですが、それが持続するには依然として虚弱な要因が多いのです。だからこそ、このような運動が長続きする背景を拡げ続けるべきだと思うんです。〈美しい店〉は、ある意味ではそのような運動と関係なさそうですが、それでもそこで草の根運動をまず財政的に支援しています。それだけ支援しながら、そこで活動する多くの主婦や一般人に韓国社会の未来に対して目を向けさせる最低限の効果はあると思うんです。〈美しい財団〉も1%の人が寄付するお金で20~30億ウォンくらいがNGOの方に行っています。ある意味では世の中を変えることに社会的認識が特にない、けれども小さな良心を持った草の根の市民が、結局はそのような変化に参加すると思います。

李南周 今、具体的な代案やミクロなアプローチの必要性など新しい変化を強調されました。〈希望製作所〉の事業もその一環でしょう? この事業をやるべきだとお考えになったのはいつごろからでしょうか? 〈美しい店〉や〈美しい財団〉の場合には、以前、アメリカに調査に行かれた後に書かれたものを見ると、財団や基金に対する関心がかなり伺えました。このようにいろいろと考えて〈美しい財団〉まで行ったのだなという感じがしましたが、〈希望製作所〉の場合はどのような契機があったのですか?

朴元淳 私はなんでもそうなるようです。わざと意図したわけではないのに、私がやった仕事が、私がいなくてもそれなりにやっていける程度になれば、わざわざ私が影響力を行使して、何も仕事がないのに月給だけをもらってただ座っている必要はないでしょう?〈参与連帯〉で7年間、事務処長として働きましたが、7年もやっていれば後輩の中からも事務処長になる人が出てこなければなりません。だから、処長が毎年変わるのは無理があっても、だいたい3年に2度ほどなら適切ではないか思います。〈美しい財団〉も5年になりますが、よく見てみるとそれなりに定着したのではないでしょうか。もちろん私の思い通りにやろうとするときりがありませんが、私がいなくてもいい状態にはなりました。いい組職の運営は、私としては意欲が落ちるんです(笑)。それで新しい挑戦をするべきだと思って、2004年に3か月間ドイツを旅行したんです。ドイツでもずいぶんと多くのことを学びました。多くの機関、たとえばマックス・プランク(Max Planck)研究所や多くの市民団体に行って今の仕事のことを考えましたし、特に2005年に米・スタンフォード大(Stanford)で1学期の間、講義をしたのですが、残りの時間にあれこれと考えて展望が固まったんです。そう考えると1年は悩んでいましたね。なんでも始めれば初めは大変です。それで私が間違っていたのだろうかと少し後悔することもありました(笑)。ですが今となってはどうしようもありません。

李南周 後悔なさるとすれば、最も難しい問題にはどのようなことがありますか?

 

 朴元淳 たくさんあります。まずチームワークを作らなければなりません。見知らぬ人同士が集まって、共通のマインドや共通の合意を形成することはたやすいことではありません。そのような問題が最も難しかったと思います。その次に財政的な悩みがあります。組職が動くとなると必要になるものですからね。それがどうすれば持続可能なものになるかという問題です。それから私はいつも初めから、どうすれば私がそこを離れることができるかについて悩みます。次の計画は中国に行って2年ほどとどまることです。
 
 

参与連帯〉に望む

 
李南周 すべてのことにおいて自分が離れることを目標にするとおっしゃいましたが、最近、私が〈参与連帯〉に立ち寄ることがあって、見てみると事務処長の世代もかなり変わりました。現在、働いているところではどのようなことをお考えですか?

朴元淳 不満がないとはいえません(笑)。姑のように観察しているのではないかと思います。これはもう老人病なのですが、いつも老婆心が生じて、あれはもっとよくできないかなどと思うんですね。ですから私の方からわざと遠ざけようとしています。近くなれば絶えずそのような関係が形成されるんです。私が〈参与連帯〉をやめる時、常任執行委員長というポストが用意されていました。一週間に1回ずつ会議をするのですが、行くとすべて目に見えるじゃないですか。それで小言をずいぶんと言ったら雰囲気が悪くなりました。もうここを離れた人間なのに、そのようにずっと姑のように振る舞っていたらどうなるでしょう? たまにやって来て激励して食事をご馳走したりしなければならないのに、そのように両立できなかったんです。それで私はその時からできるだけ行かないようにしたんです。確実に関係を切る必要があるという気はします。だから〈美しい財団〉や〈美しい店〉も距離を置かなければならないのですが、そうするのも本当に簡単ではありません(笑)。

李南周 具体的に〈参与連帯〉を見ていて、これは変わるべきではないかと思うことはありませんか?

朴元淳 うまくやっていることもありますよ。たとえば司法監視センターのようなところで最高裁判決を分析しているのを見ると、本当によくやっています。私がいる時よりもよくやっています。ですが、私は平和軍縮のようなことまでは絶対にするなと言いました。〈参与連帯〉がすでに始めた仕事はずいぶんとなるのですが、また新しく仕事を始めれば首が回りません。むしろその代わりに国家権力監視の典型をアップグレードしろと言いました。もっと細かに扱うべき課題が多いのですが、むやみに仕事を拡げてばかりいて、質が深まっていかないことに対しては少し不満があります(笑)。平和軍縮が重要でないというのではなく、まずはやっている仕事を最後までやれということです。だから私は一段階の運動を仕上げて、また新しい組職に派生していく方がいいと思うんです。ですが、むやみにこのように拡げてばかりいたら困るのではないかと思います。私もここに来て、やはりむやみに拡げてばかりしています。今、このようなことを言う立場ではありません(笑)。

 


インタビュアーは〈参与連帯〉で主に平和軍縮委員会の仕事をしたが、この仕事がタコ足式の拡張の例として挙げられたので少し当惑した。〈参与連帯〉の中でも最近は事業の焦点が弱まっている。特に〈参与連帯〉固有の事業が力強く展開できていない点について悩んでいたので、このような問題提起は、それと異なる市民運動の間の距離を示すものというよりは、同一の悩みの線上にあるということを示すものと理解された。
 
 

李南周
 現在、力を注いでいらっしゃる〈希望製作所〉の話をもう少しして頂きましょう。私がインタビューを準備しながらホームページを見ていると、とても具体的でミクロなものをかなり強調しています。だからといって必ずしも領域が狭くなるわけではありません。問題はこのように具体的でミクロなものを社会全体の変化とつなげていける哲学的・理論的前提があるのかということだと思います。〈希望製作所〉の事業をやりながら、これをシンクタンクに発展させるのが重要な目標であるとおっしゃっていますが、私も去年、大学の研究休暇でアメリカに滞在し、シンクタンクに関心があって詳しく調べた経験があります。アメリカのシンクタンク、ブルッキングス研究所(Brookings Institution)やヘリテイジ財団(The Heritage Foundation)などは、独自の哲学的前提の下であらゆるミクロな問題を説明し、またミクロな説明が自らの哲学的立場や党派的立場を強化する役割をしています。ですが〈希望製作所〉で提示しているミクロで具体的な事業では、私たちが進むべき全般的な方向とのつながりがよくわからない場合もあります。

朴元淳 その通りです。林の中に入ってしまえば森全体を眺める機会がなく、彷徨してしまう可能性が充分にあると思います。ですが、今の時代は、常に林の中に入らずに、森の外であの森がなんだといろいろと議論ばかりしていたのではないか、あまりにも総論ばかりで各論のない時代に私たちは暮らしていたのではないかと思います。私たちは政府や在野・外部の社会団体、あるいははなはだしくは宗教団体までコンサルティングしていますが、そのような仕事をしていると、本当に遣り残された仕事がたくさんあるという感じがします。もちろん総論的なアプローチをする機関もあります。ですが私たちはミクロで各論的なアプローチをしようという原則を立てました。にもかかわらず私たちに基本哲学のようなものはないわけではありません。しいてそのことについて議論する必要があるのでしょうか。たとえば私は自分が生きてきた背景があり、ここに集団の性格があるわけで、それは私たちがどこを志向しようと変わりはないわけです。外には平和統一、内には何であるとしいて宣言までしなくても、そのような哲学的立場や一定の性向、観点は存在しうるのではないかと思うんです。

李南周 今、韓国社会が多元化し、解決されるべきミクロな問題が解決できない状況において、そのようなことが解決されれば社会全般的な水準が高くなるだろうというお話しには私も同意します。ですが、一方で私たちが抱えていた大きな問題点の一つは、私たちが進むべき方向に対して少し混乱しているのではないか、だから何かそれを解決する言説というか理念というか、そのような方向が必要なのではないかと思います。〈希望製作所〉の代案センターの紹介文を見ると、そこに「暖かい市場経済」という表現がありました。そのようなものも関係があるのだろうかという疑問が浮かびます。

朴元淳 実は私たちがあそこに掲げた目標のようなものは、まだきちんと実行できずにいます。ですが、過去の時期や現在の状況を反省的に考察するならば、さきほども申し上げたように、これまでそのような総論や韓国社会を規定する大きな見取り図がなかったために、このような危機や困難に直面したのだとは思いません。今回の大統領選挙の時期にもいわゆる進歩勢力の危機を語っています。ですが、私はむしろ言説的な側面よりは、政権まで担当したのに、具体的な内容や、それを掌握して推進していく力が私たちに足りなかったために、そのようになったのではないかと思うんです。もちろん私はそれが両立不可能なことだとは思いません。とにかく私たちがもう少し集中すべきなのは具体性の世界です。そして具体的な政策を生産することは、全体的な枠や仕組みと絶え間なく相互にコミュニケーションすることなくして、うまくいかないと思うんです。ですから、ともに進もう、これまで相対的に私たちが等閑視してきたものを重視しようと言ったのです。

李南周 代案センターの中にはとても多様な研究テーマや分科が分かれていますが、財政から人、生活の質、経済のようなことまですべてうまくいけば、〈希望製作所〉はあるモデル、端的に言えば国家経営のようなものを志向していくのではないかと思います(笑)。

 

 

地方に根づいた希望のネットワーク

 

朴元淳 私たちに中心はあります。まず私たちは相対的に韓国社会が等閑視してきた地域共同体の問題に集中しています。私は韓国社会がそれなりにうまくやっている部分もあると思います。それを私たち〈希望製作所〉がやる必要はないでしょう。〈参与連帯〉がうまくやっていれば私たちがやる必要はなく、〈美しい財団〉がうまくやっていれば私たちがやる必要はありません。また〈環境運動連合〉や〈緑の連合〉もあるのですから、環境問題を私たちが集中的にやる必要はないと思います。同じような国家的課題にアプローチする時も、地域の観点でよく考えてみると、私たちの事業はほとんど地域に関係することです。ですが、地域が中央政府などとうまく連絡できないわけがないんですよ。韓国社会が転換期的な過程をある程度経て、過去の軍事政権の弊害や遺産をかなり乗り越えましたが、新しい時代を描くにはまだかなり足りない面もあると思います。ですが、既存の枠で見ると、そのイデオロギーについて問題視することはできますが、私はその中でも、さきほどお話しした透明性や責任性、生態的な観点、文化芸術、ローカルな観点、または草の根、あるいは市民社会的観点のようなものが、ずいぶんと挙げられます。このような代案的観点で韓国社会を分析し、未来を設計するべきだと思います。

李南周 私はその中でシンクタンクに対する研究プロジェクトに関心があります。金大中政権から現在の盧武鉉大統領の参与政府に至るまで、批判的知識人が政策論議に参加する機会が増えました。その過程で深度ある勉強よりは、いわゆるロードマップを描くような短期的な仕事が多かったので、勉強が足りなかった感じがするからでしょうか。最近はシンクタンクとは言わなくても、7∼8年の間、散発的にしか活動してこなかった小規模研究グループが活動を再開して、研究もかなり活性化しているようです。また状況も根本的によく考えるべき部分が多いと思います。ですから、このようなことがどうすればシンクタンクのように発展できるかについてよく考えてみました。アメリカのフォード財団(Ford Foundation)は外に向かって様々なプロジェクトを提案しながら、多様なシンクタンクやNGOに影響を及ぼすネットワークをうまく構築しているんです。自らがすべてを引き受けるわけではありません。私は〈希望製作所〉もこのように自発的に進められている研究グループを発掘して、そのようなものを必ずしもすべて〈希望製作所〉の中に統合するのではなく、もっと拡散していくことも可能ではないかと思います。

朴元淳 その通りですね。私たちは今、事務局組職まで合わせて60人です。これが私たちの思い通りに大きくなりつづければ、おそらく韓国で公共のイシューを扱う民間機関としては、たとえば三星経済研究所などの1、2か所を除いて、規模の上でも最高のものになると思います。ですが、いくらそうだとしても、今の世の中、自らの組職の中ですべてを解決することはできないでしょう。どうすればパートナーシップを持てるのかが重要なのですが、地域に〈希望製作所〉を作ろうとおっしゃる方もたくさんいらっしゃいます。ですが、まだそうしていないのは、〈参与連帯〉の時もそうだったのですが、私たちの原則は私たちが全国すべてを網羅するのではなく、むしろ地域にも似たような団体ができるように誘導したり、既存の団体とのネットワークを通じてともに解決していくようにしようというものです。そして私はいつも研究員らに「有能な研究員は自分が机の前に座って研究するよりは、どうすれば研究者を組織してこのようなネットワークを構築できるかについて悩むべきだ」と話していますが、その点では南周さんの話と一致するでしょう。

 

もう一つは、今、〈希望製作所〉が実はそのような伝統的意味でのシンクタンクなのか、私も判断がつかないんです。初めはそう思っていましたが、現在はいろいろ複雑な位相を持っています。私たちはコンサルティング・ファーム(consulting firm)でもあります。市民団体でもあります。私たちは何か提案だけをして何も責任を負わない組職ではありません。その次にシンクタンク機能もあります。このようなものがすべて総合された、また多様な機能を行使する組職だと思います。

 

また他の団体、このようにシンクタンクと呼ばれる組職がたくさんできるのが、私は望ましいと思います。ですが、たとえば大学教員らの集まりのようなものをシンクタンクと呼ぶのは難しいでしょう。それは学会とかそのような組職になります。私もよくわかりませんが(笑)。とにかく〈希望製作所〉の未来の運命は、もう少ししてみたら少しずつ性格が変わっていくと思います。

 

 
李南周 アメリカで見ていると、シンクタンクをマスコミで紹介する時、党派的(partisan)-非党派的(non-partisan)のような分け方や規定をする場合が多かったようです。そのような基準をもし〈希望製作所〉に適用するとどうなるでしょうか。

朴元淳 私たちは後者を志向します。特定政党に属していたり、特別な関係を持った組職では、韓国社会で持続的に機能しにくいと思います。あくまでも党派的に見れば中立でなければならないと思います。ですが、さきほども申し上げたように、構成員個々人の立場や、あるいはそれこそ表明はされていませんが、私たちの立場や性向というものもあると思うんです。それは私たちの研究結果物やレポートに具体的に現われていると思います。にもかかわらず、私たちは特定の政党と仕事をすることはできません。今回の大統領選挙でも、私たちが特定候補と結合して、地方政府をコンサルティングするように公約を作ると言えば、かなり新鮮なものがずいぶんとできそうです。ですが、本当にそうすることができりでしょうか? そうなれば特定候補を支持することになります。

李南周 さきほど〈希望製作所〉の拡大と関連して、自発的に動く団体とのネットワークを中心にするのであって、覇権的な形で発展しないようにいつも気を付けているとおっしゃいました。一方で元淳さんもご覧になったと思いますが、姜俊晩(カン・ジュンマン)さんのコラムに、朴元淳モデルは必要だが、現在の事業方式は地方に否定的な影響を及ぼすとありました。その他にも〈希望製作所〉などの事業と地方のNGOの事業との間に葛藤的な関係があるという指摘もあります。そのような指摘に対してはどう思いますか?

朴元淳 世の中は多様性がなければならないと思います。ある一つのモデルや立場がすべて正しいとは思いません。私はそれを見ながら、大韓民国が本当にいいと思っています。自分がやっている仕事を誰も批判をせずに、すべて正しいと言ってくれるような社会ならば、それは死んだ社会ではないでしょうか? そのように私はもう少し活発な批判があるべきだと思います。私は内部でもそうですし外部でもそうですが、私たちがやっていることが無条件に正しいとは思いません。私はとにかく不本意ながら地域にも影響力を及ぼしているので、そのことが地域固有の発展や自生的な種のようなものに否定的な影響を及ぼす可能性もあると思います。だからいつも自ら警戒して、コンサルティングをする時にも、できればその地域の団体と協力して、私たちがどのような事業をしてもそれが持続可能なように努力しています。ですが、到らぬ点も多いので、そのような批判もあり得ます。

李南周 もともと影響力があるので、一度地方の事業に影響を及ぼせば、地方の資源が元淳さんのやっている事業のために一掃されてしまうのではないかという不安もあるようです(笑)。

朴元淳 ええ。ですが、私はいつも資源不足のため喘いでいるのに、他の市民団体の立場から見れば、またそのようなことも言えます。たとえば以前も〈緑の店〉とか〈アナパダ〉(節約・リサイクル運動)のような運動がありましたが、〈美しい店〉が全国にできたので被害意識のようなものもあるでしょう。私は部分的にもっともな理由があると思います。でもそのようにしてその運動の領域が縮小すれば問題ですが、それによってむしろ他の組職がさらに刺激を受けて、その領域がさらに拡がるならば、むしろそのような挑戦はあるべきではないかと思います。〈美しい店〉が成功してから〈緑の店〉もさらに頑張りましたし、その後〈幸せな店〉になって全国に10か所もできたんです。アメリカの〈グッドウイル(Goodwill)の店〉も韓国に上陸しましたし、救世軍も店舗を3つほど開きました。また一般企業もこれに進出して、狎鴎亭洞(アックジョンドン)へ行くと中古名品店がずいぶんとできました。このようにリサイクルという領域が活性化したと思います。ただ〈美しい店〉はそれをさらに体系的で合理的なビジネス・モデルとして作ったものです。だから私はどのような領域にも新しい革新やモデルを土台にして、絶えず浸透するべきだと思います。それを受け入れる立場で肩身が狭いとかいうよりは、それを通じてまた代案を作り出していくことが重用だと思います。

李南周 〈美しい財団〉や〈希望製作所〉の事業と関連して、企業との関係がかなり議論されました。すでにこれに対してはNGOが、政府を含めた企業との関係において緊張も必要だが、生産的関係は形成するべきだという原則に立って発言したことがあります。企業あるいは財閥との関係がいまだに韓国社会では敏感な問題で、他方でそれが非常に重要だということを意味していると思います。また最近、三星(サムソン)ロビー事件で全社会的に波紋が拡がったではありませんか。〈美しい財団〉でかなり長い間、企業と事業をおこなった経験がおありでしょうが、そのような事業を評価するといかがでしょうか?

 

 

市民運動の企業に対する牽制と補完関係

 

朴元淳 なんでも段階があると思います。これまで実は企業に様々な問題がありました。まず一つはガバナンス(governance)の問題がありましたし、もう一つは粉飾会計のような不正行動が問題だったと思います。ガバナンスの問題はかなり警戒心が高まって、もちろんまだ解決していない企業もかなりありますが、持株会社に変わったり、また今後は親族に世襲しないという大企業の事例も少しずつ出てきています。このようなことが全般的に影響を及ぼしていると思います。二つ目に粉飾も何度かひどい目に遭いました。財閥の会長らが刑務所にも行っていますし現在もそうです。〈参与連帯〉のために初めから企業が崩壊した場合もあります。新東亜(シンドンア)の場合は初めから解体していたんです。このように高い経験を経て今は相対的に回復していると思います。今回の三星の事件は、韓国の代表的な財閥企業がまだどれほど前近代的な方式で経営をしているかを象徴的に示す事例ですが、同時にあのように不法で非正常的な方法は、いかなる場合であれ破綻に直面せざるを得ないということを示していると思います。特に不法な政治資金は現在も完全に根絶されていませんが、それでも過去のようにそれをトラックで運ぶなどということは考えられなくなったのではないかと思います。そうしてみると社会貢献の方にかなり目を配っていることも事実です。全経連(全国経済人連合)調査を見ると、今、1兆ウォン以上が社会貢献の方に行っています。これまでは概して助け合い運動とか、ずいぶんと断片的なことにかなり支援してきたようです。

 

ですから、最近、私が大学などで講義しながら重点的に話しているのが、戦略的寄付(strategic giving)です。使ったお金が社会変化にどのようにつながるかを考えてこそ、後で企業イメージもよくなります。誰かに100億ウォンを与えて少しマスコミに報道されたからといって、それが重要なのではありません。どうすればそのお金を効果的に運用して社会を変化させられるだろうかという戦略的な思考が企業にも必要だということです。過去の軍事政権の時代の政経癒着時代から転換期的な過程を経て、企業が社会貢献の必要性を感じ、そこにかなり多額のお金を注ぎ込んでいたとすれば、現在は一歩進んで、それが社会変化につながる戦略的寄付の形態になってきているのではないかと思います。それを誘導することが私たちの責任だと思います。これが世界的な流れです。そうなれば韓国企業と市民社会の結合水準も高くなると思うんです。もちろん〈参与連帯〉のような場合は牽制機能が優先で、そのような機能は持続するべきです。ですが、このような社会と企業の変化・発展によって、〈美しい財団〉を含む多くのNGOが、企業との関係で補完的機能、すなわちパートナーシップを形成できると思います。
 
 

李南周 私の印象ではこの間、三星(サムソン)や現代(ヒョンデ)自動車から出た社会貢献基金もそうですが、相当の部分は制度や社会的圧力のために防御的なレベルで進んでいるのではないかと思います。それに今回の三星の事件などからも分かるように、財閥の脱法行為も旧態依然です。企業の社会寄付がきちんと発展するならば、財閥や企業家がこのような社会貢献をどれほど真剣に受け入れているか、またどれほど彼らが変わっているのかが重要だと思います。ですが、保守的な態度、世の中を見る目や人生観が保守的に固まっている人が少なくないようです。かなりお会いになられたかと思いますが、いかがでしょうか?

朴元淳 私は「段階的」と申し上げました。資本主義とは果たして何か、私たちが達成してきた資本主義は、果たして本質的な意味における資本主義なのか。私はそのようには思いません。まだ成長段階にある賎民的資本主義だと思います。たとえば今回、韓国に来てかなり注目を集めたウォーレン・バフェット(Warren Buffett)がビル・ゲイツ(Bill Gates)と討論するのを見たことがありますが、見たところ彼は私よりもはるかにアクティビストです。政府は税金政策をどうしてこのように中途半端に行なうのか? 自分のような人間だけが恩恵にあずかっているが、これがまともな政府なのかと批判もし、父親が金持ちだったという理由だけで自分が金持ちになるこのような社会は、アメリカ資本主義の志向するところではないとも言っているんです。それがこの間、KBSで1、2時間放送されました。

朴元淳

たとえばそのような人が来て講演して、そのようなことにずっと影響を受けると思うんです。この間の三星や現代は、さほど望んでいなかったお金を出したようです。ですが、国民的な効果はあまりありませんでした。判決や世論をなだめるために出したものですからね。そうではなく本当に善意から出していたとすれば賛辞や拍手を浴びたでしょう。ですが、いくら何千億ウォンを出しても、その背後で脱法行為を日常茶飯事のようにやって、不法行為をやらかしていたら、そのすべてが偽りになり詐欺になるんです。根本や体質を変えるべきであって化粧だけ直してもうまくいくことではありません。ですが、逆説的にこのようなことを見ながら、私は多くの企業が学んでいると思うんです。また最近、グローバル・コンパクト(Global Compact)韓国委員会が作られましたが、そこに加入した企業、また倫理経営を実践すると誓った経営人もいるんです。韓国にもいい経営者の集まりがずいぶんとできています。ですから〈参与連帯〉のように否定的な姿を絶えず指摘して、鞭打って変化させることも重要ですが、彼らが自由に変わるようにモデルを絶えず作って行くことも必要です。両者がともに進むことで、社会がバランスよく発展するのではないかと思います。

 

 

差し迫った朝鮮半島の激変をどう迎えるべきか

 

 李南周 話題を少し変えてみようかと思います。最近、南北首脳会談もあって朝米関係もかなり早く変化して、統一や平和問題が重要なイシューとして胎頭しています。ですが、現在、〈希望製作所〉から出ている様々なアイデアや事業計画を見ると、朝鮮半島の統一問題に関するものがあまり見えません。ドイツ訪問後に書かれたご著書には、東ドイツ地域を回りながら多くの人々に会って考えたことなども明らかにしていらっしゃいますが、〈希望製作所〉ではその部分について、なぜあまり関心を持っていないように見えるのでしょうか?

朴元淳 特別な理由があるわけではありません。私たちがそこまでできればいいのですが余力もないんです。今、やっていることだけもすべて満足にできないのに、そんなことまでできるのかということです。おっしゃる通り、私は東ドイツ地域をおよそ2週間くらい回りながら、とても面白いインタビューをしました。やはり多くのことが理解できるようになるんです。ですが、私がアイデアを持っているからと言って、すべてを扱うことはできないでしょう。単にそういう理由です。統一に関しては相対的に多くの統一運動団体で熱心にやっているようですしね。

李南周 私の考えでは、統一問題に対しても、さきほどおっしゃったように、ミクロで実事求是的な代案が必要で、他方では財政や法制度の問題が至急の懸案になっています。これと関連して具体的な対応が必要ですが、統一運動陣営も実はそのような問題に対して準備があまりできていないので、未来指向的な代案を見出そうとしている〈希望製作所〉が積極的に考えるべき事案ではないかと思います。

朴元淳 それは南周さんがなさればいいことでしょう(笑)。おっしゃったように西ドイツでは統一前にそれなりに準備がありました。憲法上、西ドイツ法制度の効力が、統一しても東ドイツ地域に及ばないことにしたので、それでも衝撃が少なかったんです。にもかかわらず統一の余波が西ドイツ経済や東ドイツ経済にかなり否定的な影響を及ぼしました。ですが、私たちの場合は全くそのような準備がなく、韓国の憲法と法令によれば、統一された瞬間に北朝鮮の住民は全て大韓民国の住民になるんです。いや現在も法的には大韓民国の住民です。このような法制が現実なんです。

李南周 現在の朝鮮半島の情勢変化についてはどうお考えですか?

朴元淳 10年以内に高校生がソウル駅で汽車に乗って沿海州やシベリア鉄道を通ってモスクワやフランクフルトに修学旅行に行く日が来ると言ったことがありますが、それはかなり修正しなければなりません。「5年以内」と修正するべきでしょう。来年アメリカの大統領選挙で民主党が政権を取る可能性が相対的に高いでしょう。もし共和党になっても、これまでのブッシュ(Bush)政権の政策とはかなり変わる可能性があります。その核心は結局のところ北朝鮮との関係正常化、ないしは相当程度の関係の進展だと思うんです。実はもう8年前のクリントン政権の時、オルブライト(M. Albright)が北朝鮮を訪問して、この時期におそらくゴア(A. Gore)が大統領になっていたら、そうなっていた可能性が高いと思います。なにしろアメリカの影響力が大きいので、そうなれば北朝鮮と日本の関係が正常化する可能性もあります。そのような推移を私たちが止められるでしょうか? 私は朝鮮半島で本当に実質的な雪解け、革命的変化が来ると思います。そのような場合に政府の政策がどう変わるべきか、また民間はどう変わるべきか、私はこのようなことに対して充分に準備するべきだと思います。私たちなりのプロジェクトがあるべきだと思うんです。私もそのようなことを一度やって見たいのですが、現在やっている仕事があまりにも多くて困ります(笑)。

 

 
統一問題に対してはもう少し議論したい気持ちもあった。南北関係や北東アジア情勢が構造的に変化しているという認識は拡がっているが、今後の南北関係の変化が及ぶ影響を考慮せず、韓国社会が直面している内部の課題が解決困難であるにもかかわらず、市民社会が交渉を通じた解決に声援を送る以外に、具体的な代案を持って介入することができていない状況だからである。朴元淳常任理事の返事もこのような現実を改めて確認させるようで残念だった。だが他の話題も残っており、今後、積極的に考えてみようという程度でこの話題を切り上げた。彼の言う通り、「分断体制」という問題意識が、これから現実に適用されうる具体的代案と出会う時期が近付いているという点について共感帯を広げるために、みながさらに多くの努力をするべきであろう。
 
 
 

市民運動の政治参加と残された宿題

 
李南周 では政治の話に話題を移します。一部ではありますが、市民活動家が政治に参加することに対してどうお考えですか? 原則的にはそれが悪いわけではないとおっしゃっていたようですが、これまでの政治参加に対してどのように評価なさいますか?

朴元淳 さきほども申し上げましたが、韓国の市民運動は他のどの国よりも政治的・社会的に影響力があります。それはもともとあちらが腐敗していたのに比べて、献身的な市民運動集団がその時代のアジェンダをまず先に採択して主張したからだと思うんです。そしてその主張が絶えず受け入れられてきたのだと思います。韓国社会は一方でこのようにアップグレードされているようですが、その過程で政策だけが吸収されたのではなく、同時に人も絶えず吸収されてきたんです。〈参与連帯〉の場合は少ない方ですが、それでも何人かが国会議員や長官になっています。市民団体を主導した多くの人が政府に入って行ったんです。それは個人的な変節というよりは、そちらに行ってまたそれだけの役割をそれなりに果たしたのだと思います。

 

ですが、その代わりに市民社会が絶えず新しい課題とアジェンダで武装し、韓国社会がさらに望ましく人間的な社会に変化することに継続的に寄与するべきなのですが、それがずいぶんと手に余り始めたのです。それは、既存の市民活動家が政府に受け入れられたからだけでなく、新しい活動家らの輩出が困難になってきたということも理由としてあると思うんです。ですからもう一つの代案として市民活動家による市民運動を越えて、主婦や社会の一線から退いた人たち、青年らの市民運動が切実に必要です。過去のように透徹した理念や使命感で団結した市民活動家ではありませんが、それでも不可避なことです。ある意味では今がとてもいい時期です。青年らの失業に対する発想を変えて、彼らをNPOに、大海原の新しい可能性へと結集させていくべき時期ではないでしょうか。それは背に腹は変えられぬ個人的な決断でもありますが、それ自体が必ずしも否定的なわけではありません。新しい人々で充電していくシステムというか、流れを作り出すことの方が重要だと思います。

 

李南周 これまで政治について提案をかなりお受けになったでしょうし、現在はとにかくその問題については整理された状態ですが、個人的な質問を一つ差し上げるならば、自分が政治をしたらどうかということは考えなかったのですか?

朴元淳 おそらくそちらの方に行く人々も、このような理由のためだと思いますが、市民運動は本当に疲れますし大変です。前にも似たような表現を使いましたが、完全に荒地を行く感じです。農業をする時、田畑を耕すじゃないですか。幼い頃、鋤の上に私を座らせて父が牛を駆るのですが、子供を乗せると深く耕せるんです。石が一つひっかかるとガクンとしますが、それが体に伝わってきます。そのような感じですよ。実はこれは個人にとっては犠牲と献身と情熱の道です。そして考えによっては、そうやって得る結果よりも、むしろ政府に入っていったり国会議員になったりすれば、はるかに影響を及ぼすことができます。だから絶えずそのような誘惑が存在するのだと思います。

 

私もそこから完全に自由ではありません。心の中ではたまにそのようなことを考えてみます。ですが、このようなこともあるんじゃないですか。あるシンポジウムに行ったのですが、傍聴席に人が何人もいないというのです。私もまた他所に行かなければならなかったのですが、私が立ち上がればみなつらくなりそうで、どうしても立ち上がることができず、ずっと戦々恐々としているような状況なのです。私はそのような性格です(笑)。また個人的にやるべき仕事が多いので、あえてそちらに行くということも考えられなかったのです。
 

 

李南周 真剣に考慮されなかったのですね(笑)。現在、大統領選挙が近付いていますが、2か月もない状態です。まだ非常に流動的ですが、とにかく各党の候補も決まり、ある方向に収斂されていると思いますが、与党陣営でこれまで最も話題になっているのが、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権をどのように評価するかという問題です。表面的には親盧/反盧と表現されますが、内容的な側面から見れば、盧武鉉政権がそれなりに肯定的な役割を果たしたと考える人と、きちんと仕事をしなかったと考える二つの傾向が、ずっと亀裂をなして衝突しているような状況です。元淳さんも先日、統合新党の候補者らとインタビューして、盧武鉉政権がいくつかの本質的な問題と関連して失敗した、本質的な問題に対して盧武鉉政権がこれまで国民の希望を忘れた側面があると指摘なさいました。その本質的な問題とはどういうものでしょうか。そしてそのことも勘案して、全体的にはこの政府をどのように評価なさるのでしょうか?

 

 

盧武鉉政権、パラダイム転換が物足りない

 

朴元淳 盧武鉉政権は過去のいかなる政権よりも、民主主義をより強化して拡張・深化させたと思います。政権にある時はみな感じられないのです。私たちは透明性の話をしました。記録の文化であるとかそのような部分でかなり多くの進展がありました。その次に政治資金とか権威主義の廃止とか、検察だけを見ても、過去のどの時期においても大統領にこのように楯突くようなことはできなかったでしょう。そのような部分において、これから高い点数を受けると思います。ただ私たちには欲があるので、そのような観点から見れば既存の政府と差別性があるようですが、他方ではそれがなかったこと、言い換えれば、パラダイムの転換がなかったというのが最大の問題だったと思います。

 

盧大統領は相対的に自由でした。なので、もう少し生態的で、もう少し文化・芸術的で、もう少し市民社会的で、経済においてももう少し中小企業中心の創意的な時代を開くようなものであってほしかったです。このような部分は盧大統領個人とその政権が持っていた限界ではないかという気がします。たとえば地方分権のようなことでもかなり多くの思考と実践を実行しましたが、精巧なデザインのようなものがなかったと思います。革新都市といってソウルにある政府機関を地方に移転させました。これは強制的な外科手術です。それは不可避な側面がありましたが、それでも本当に地方分権になって、地域経済が生き返って、地域共同体が活性化するように根付かせることができたでしょうか? 私はそうはなっていないと思います。そのように大々的な措置や大金がなくても、かなり多様な手段があると思います。そのような面が不得手で準備もできていなかったのではないかと思います。

 

李南周 私が見るところ、来年もこのようなことがずっと問題になりそうです。表面的には親盧/反盧の枠に見えたりしますが、これまで5年間の盧武鉉政権、あるいはこれまでの10年に対する評価と、民主勢力がどのように団結していくべきかという問題が、今後もつねに提起されると思うのですが、進歩改革勢力が親盧/反盧の枠を越えて、未来指向的な勢力として自らを位置づけるためには、これまでの時期をどう評価して乗り越えるべきだとお考えですか?

 


 
 
朴元淳 政治家らにこのような要求は無理だという気がしますが、私がもし盧大統領の立場なら「私を踏んで越えていけ」と言いたいです。本人がいくらうまくやったと言っても、後輩世代は自分よりもっとうまくやらなければなりません。自分が家出してきた家がうまくいけば、自分も大きなことが言えるのではないでしょうか。ですが、自分と違うことを言って自分を批判する人たちに、あのように神経質に対応する必要があるのでしょうか。もう少し自信を持って泰然と対処すればいいのにと思います。最近、数冊の本を買って来ました。ビル・クリントン(Bill Clinton)の『Giving』という本です。彼は最近、グローバル・イニシアチブ(global initiative)を主張しています。またジミー・カーター(Jimmy Carter)の本も一つ出ました。このように私はむしろポスト・プレジデンシー(post-presidency)、つまり大統領が任期を終えた後、どのように平凡な市民として復帰し、また社会に貢献できるかということに関心があります。とてもいいプロジェクトだと思います。このようなことを一度やってみたらいいのではないかという気がします。次に、国政というものはかなり多様な側面があり、それを分析する方法にも多様なものがあるのではないでしょうか。全てが悪であるとか全てが善であるということがあり得るでしょうか? うまくやった部分があり、うまくできなかった部分があり、またうまくいったこともあり、うまくいかなかったこともあって、また強調した点もあり、疎かだった点もあり、いろいろあるでしょうが、私は次の政権を考える人ならば、継承するものがなければならないと思います。私が見る時、とにかく連続性というものも新鮮なものの一つだということです。この政府が100%間違っていたわけではないでしょう? うまくやったこともあるのです。受け継ぐということが賢明で成熟したリーダーの姿勢だと思うんです。そのようなことがある一方、さらにアップグレードと自らの新しいビジョンを提示するべきこともあります。そのようにもう少し成熟した姿勢で物を見て発言して、国民もそれをそのように見てやるべきだと思います。

李南周 去年のインタビューでは、大統領選挙での役割と関連して、感性的な論争よりは政策中心の競争に進めるようにすることに関心があるとおっしゃいましたが、最近のインタビューでは、現在の〈希望製作所〉の準備状況を考慮すれば、大統領選挙でどのような役割も果たしにくいとおっしゃっています。私が見るところ、市民社会全体にもこのような悩みがあるようです。

朴元淳 個人的にも〈希望製作所〉の立場から見れば、いまだそのような状態です。私たちはまだ国政全般にわたって代案を提示するほど力量が充分ではありません。もう一つは、私が誤解ならぬ誤解を受けて、何かを発言することが適切でない状況になっています。ですから次の5年を待って、その時ははるかに活発な活動をします。その次に、市民運動の方で大統領選挙連帯が準備されて様々な活動をしていますが、さきほども申し上げたように、〈参与連帯〉がこのような大きなイシューにおいても爆発的な力を持つことができたのは、かなり柔軟に国民の心を捕らえたところに理由があるんです。信頼ができてこそ、かなり強い話をしても、あれも正しいことだったと受け入れられるのであって、そうでなく、あそこはいつもうるさいことばかり言っていると思われれば影響力がなくなってしまいます。だから私は、市民社会がもう少し影響力を持つためには、はるかに多くの大衆を自らの友好勢力として確保するべきだと思います。今回の機会だけでなく普段でも同じです。市民団体の声を拒否すれば、かなり得票に影響があると思われるように情勢を作るべきなのですが、私が地域を回ってみると、まだそのような部分ではずいぶんと未熟です。私たちはまだコンピューターの前でばかり運動をしているんです。私ははるかに大衆的な組織化運動を、現場から、草の根からやるべきだと思います。

 

 

政権に振り回されない市民社会になるべき

 

 李南周 個人的に今回の大統領選挙で重視する争点やイシューのようなものがおありかと思います。どのようなものでしょうか?

朴元淳 いろいろとあります。まず経済論争もありますが、実は私は経済というものを経済で解決しようとすれば絶対に答が出ないと思うんです。本当に韓国の経済を強化してアップグレードするためには、経済外的な、たとえば生態的な、そしてさきほど申し上げたような文化・芸術的なデザインのようなもので解決するべきだと思います。最近、トヨタ自動車が何で成功しているかご存知ですか? 結局はハイブリッドカーであるとかデザイン革新のようなものです。このように想像力が大きくなれば、企業も新しいレベルで一段階跳躍できると思います。

 

造船産業を例にあげれば、今回、STXがヨーロッパ最高のクルーズ船メーカーを合併して、三星重工業はクルーズ事業にも進出しました。高付加価値事業で行くということです。そしてさらに精巧なデザインが必要なんです。このようにこれからの時代に対する洞察力がはるかに重要だと思います。私は現在、韓国でうまくいっている産業が、30年後にはブラジルやインド、中国、ベトナムなどに移るだろうという主張に同調します。私たちはさらに付加価置が高く、技術・資本集約度の高い産業に移らざるを得ないのです。ですから、むしろ今は、昔は考えてもいなかったサービス業のような部門にさらに体系的に進出するべきだと思うんです。外国に行けばそのようなことが多くあります。たとえば、スウェーデンのDIY(do-it-yourself)家具メーカーのイケア(IKEA)のようなところ、韓国にはそのような会社がありません。三星電子や財閥グループだけがあります。また、強い小企業のようなものは、実は韓国にもあるにはありますが、ドイツのような国よりはかなり少ないです。このようなことが論争されればいいと思うのですが、単に豊かに暮らそうと言えば通じてしまうような雰囲気なのが残念です。

 

李南周 そのような観点から見て、現在の大統領選挙の候補らにどのような印象を受けますか? 支持や反対のようなことを離れて、一度評価して下さい。

朴元淳 前回に比べて政策的論争がかなり多くなりました。私は発展だと思います。よく現在だけを見て話をしますが、過去と比べてみればそうですね。前回の大統領選挙の時も私は討論会にかなり出ました(笑)。あの時も1時間に政治・経済・社会・文化についてすべて質問するスタイルでしたが、現在は政策を発表しつづけているじゃないですか。とにかく組職選挙よりは政策選挙で、過去よりかなり前進しているんです。ですが、それははるかに微細になってこそ差別性が生じて、だからこそ投票行動も近代化され合理化されると思うんです。ですが、まだそのような兆しは充分ではないと思います。

李南周 これまでインタビューされたすべての候補たちに、そのような兆しを見出すことはできないとおっしゃるのですか?

朴元淳 いえ、必ずしもそうではありませんが、以前よりは勉強をかなりしたようです(笑)。とにかく簡単ではありませんでした。それは明らかですが、問題は、生態なら生態、経済なら経済に入って行って、充分な論争が起きて、その違いが目立たなければならないのですが、そうはなっていないんです。たとえば何パーセント成長するという主張などが大勢です。

李南周 この間の9月に『オー・マイ・ニュース』とインタビューされた時は、呉連鎬(オ・ヨノ)記者が文国現(ムン・グッキョン)候補に関する問題をかなり質問していました。それに対して答えるのを見ると、それでも候補らをめぐって個人的な選好はあるとおっしゃいました。その点についておっしゃることはありませんか?

 

朴元淳 それは私が今、明らかにすべきではありません。個人的に選好をしない人がいるでしょうか?

 

 李南周 与党系列では候補が一本化されるでしょうか?

朴元淳 とにかく単一化されるべきですが、本当に簡単ではないようです。鄭東泳(チョン・ドンヨン)候補や文国現候補は、ともにそれぞれ限界があって、単一化しても果たしてどれほど大きな競争力があるだろうかという心配があります。私はとにかく今の状況では、いい大統領をきちんと選ぶことが最高の問題ではありますが、大統領ひとりに韓国の運命をすべて捧げてしまうような社会になってはいけないと思うんです。大統領選挙に対する悩みも重要ですし、放置できない問題ではありますが、同時に私は誰が大統領になっても韓国社会が健康なバランスを維持できるようにすることの方が重要だと思います。政権に振り回されない市民社会、そのような社会体制を作るべきではないかということも考えています。

李南周 そろそろ最後の質問になります。大統領選挙の結果を予測することは難しいですが、今回の大統領選挙後に韓国社会に与えられる課題とでもいいますか、市民社会的な課題にはどのようなものがあるでしょうか。読者にお答え頂ければ幸いです。

李南周

朴元淳 大統領選挙で誰が当選するかによって、今後の課題にもかなりの変化があると思います。もしハンナラ党が勝利したら、おそらく政府との緊張が高くなって、政府に対する牽制がひどくなります。それは当然ではないですか? それはわざわざそのような政治的性向を示しているからではなく、とにかく現政権とは違う、時には敵対的な関係にもなりうるのですから、役割もかなり変わります。もしいわゆる与党系の方が当選すれば、私は盧武鉉政権で経験した、かなり不安な思い出が頭をよぎります。きちんと仕事ができずに批判すべき部分も多いのですが、実際にそのような役割を遂行できない、中途半端な状況になると思うんです。むしろそちらの方が難しい構造かもしれません。だから私はどちらであっても、そう簡単ではない未来が予定されていると思います。とにかく、もう少し深い悩みと代案的な努力をするべき時期になると思います。

 

 
インタビューを終えて原稿を整理する間に、李会昌(イ・フェチャン)氏が大統領選挙への出馬を宣言するなど、韓国の大統領選挙政局はふたたび揺れている。これまでの経験を考慮すれば、おそらく大統領選挙が終わるまでは、これに次ぐような出来事をさらに1、2度経験する心の準備をすることが必要かもしれない。だが、私たちは、このようなエピソード的な出来事に一喜一憂するよりは、複雑な政治状況の中で一貫して耐え抜く知恵を持つ必要があるだろう。そして今回のインタビューが、このような知恵を育てるのに役立つことを願うばかりである。

 

実はインタビューする前は、いつも忙しい彼と落ち着いて話が交わせるのかが最も大きな悩みだった。しかし私の期待以上に、彼は現在、私たちが直面している状況や市民運動の問題点をどう乗り越えるかについて、その方案などを具体的かつ率直に話してくれた。このインタビューを読んだ読者は、最近の彼の華麗な変身の裏にある一貫した問題意識を充分に理解できるだろう。また簡単な言葉で表現されていたが、市民運動の重点移動、企業との関係、盧武鉉政権に対する評価など、進歩改革勢力には少なからず論争の種になるようなアイデアや立場も見出すことができる。どうか、このインタビューが、これまでの状況に対する整理というよりは、発展的な討論の契機として読まれることを祈りながら本稿のまとめとしたい。

 

 

 


訳=渡辺直紀
 
季刊 創作と批評 2007年 冬号(通卷138号)
2007年12月1日 発行
発行 株式会社 創批
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