分断の彼方の生活とコモンズ / 白英瓊

 

創作と批評 180号(2018年 夏)目次

 

ろうそく革命は単純な政権交代に止まるのではないかと思っていた一部の危惧と予想を軽く乗り越え、これまで見たことのない新しい事件と流れを生み出している。その中でも最も注目すべきことは、今年4月の板門店での南北首脳会談であろう。昨年までも戦争の不安が蔓延していた朝鮮半島において、南北首脳は朝鮮半島の平和と繁栄、統一に励むことを合意し、何より手をつないで軽く軍事境界線を行き来する光景は、南北間の敵対の壁が一瞬に崩され得ると十分実感できるものであった。核実験場の廃棄のような具体的な措置を約束した北朝鮮の柔軟で前向きな態度とともに、米朝首脳会談の準備が順調に進んでいる様子も今回こそ分断70年の歴史に大きな転換点が訪れるだろうと期待する根拠になっている。朝鮮半島の時間は急に速く流れはじめており、新しい世界に対する希望が生まれているのである。

そのような希望が現実になるためには、世界が変わり得るという信念がもちろん必須であるが、希望だけで変わる世界はない。ろうそく革命を通して、南北関係の改善に無条件に反対する政治勢力の時代錯誤と不実さが露になったが、長らく持続されてきた分断の現実は、平和な朝鮮半島を念願する多くの市民さえも分断の思考から自由になれない状況をつくってきた。分断は体制となり、南北間の露骨な敵対は好まなくても、ある程度安定した分断現実を望む人も少なくない。実際同じ民族だから一つの統一国家を形成しようという主張は、すでに多民族・多文化社会になりつつある韓国ではもはや受け入れられ難く、それを掲げても困難なスローガンとなっている。とはいえ、南北が平和協定を結び、個別の国家として共存すればよいという発想も、南北分断に対する歴史的脈絡と複雑な現実を度外視する回避的考え方である。いくら南北関係が急激に進展されるとしても、分断体制の持つ体制性を考慮しなければ、これからも長い間根気や知恵、決断を必要とする分断体制の克服過程を乗り越えることはできないであろう。

分断の体制性に対する認識が緊要であるということは、南北に流れる平和の気流が誰にも、どこにも圴一に流れて来るわけではないからでもある。慶尚北道の星州郡では南北首脳会談の前日、国防部が事前の協議もせず、サード基地への進入を試み、住民たちと衝突した。サード配置の名分が北朝鮮の脅威であったことを覚えていれば、会談以後にも警察兵力と対峙し続けている住民たちが今感じる複雑な心境は十分想像できる。済州島の江汀村では、米軍の核潜水艦が今も出入りしているのにも関わらず、すでに平和が来たと思ってしまう市民が増えれば、海軍基地反対闘争が孤立しないか憂慮している。もちろん朝鮮半島が非核化され、平和体制が定着すれば、これらの基地問題を解決することにも役に立つであろう。しかし、平壌冷麺が流行り、ヨーロッパ横断旅行の夢を見る人々のなかには、依然として戦争の脅威と安保を名分に生活の土台を奪われ、苦しむ隣人がいることを考えることは、平和な朝鮮半島をつくるために必ず必要な感覚であろう。

実際、南北首脳会談以後、興奮の熱気の中で自身の声が消されるのではないかと恐れる人々は他のところにもいる。韓国社会の隅々に存在する位階関係とその中で黙認され、さらには悪いとも思わず持続されてきた性暴力を告発したMe Too運動の支持者たちは、言論の関心が全部南北の首脳に集められた現状に対して、もちろん南北関係の急進展が嬉しくないわけではないが、怖いとも吐露する。また人権条例の廃止を主導してきた勢力の一つである自由韓国党の支持率が急落したのにも関わらず、保守基督教の圧力に耐えられず、人権条例を廃止する地域が増えることによって、韓国社会の少数者は果たして現実が良くなったといえるのかと反問する。

このような質問に対して私たちが忘れてはいけないのは、Me Too運動から南北関係の進展まですべてがろうそく革命の大きな流れにあり、少数者の存在と権利が当然のように保障される社会をつくらなければ、その革命は完成されないであろうという事実である。ろうそく革命はすでに止められない水のように流れているので、韓国社会に存在してきた多くの積弊を追い出しており、それは決して簡単には止まることのできない現象である。そのような点からみれば、単に性暴力を告発するようにみえるが、実際は韓国の性差別と労働問題、年齢差別など隅々の問題を明らかにし、いまは中・高校生の参加にまでつながっているMe Too運動とともに、大韓航空社主の退陣運動も注目に値する。財閥のパワーハラ(韓国語では、「甲の横暴」という―訳者注)に対する暴露で始まったこの運動は、韓国財閥の相続問題や企業運営の実態、労働問題、私立大学の運営実態に対する批判へ拡張され、連帯の幅を広げている。このように些細なことのように見える問題であっても、自分たちの生活において聖域のない戦いを始めた彼らの力が集まってはじめて、日常の中に染み込んだ分断の習俗を一新できる動力になるであろう。韓国社会において男性優越の性差別と既得権のパワーハラがここまで猛威を振るうのは、実際長い分断体制の効果でもあるからである。

現在、南北関係が急速に進展することによって、懸念されることの一つが平和な朝鮮半島の繁栄を望むというものの、その繁栄の内容が分断時代の開発主義的発想から抜け出せない場合である。朝鮮半島を圧迫していた戦争の影と予測できない不安な未来が消えれば、南北両方において大衆の生活が豊かになると期待するのは当たり前だが、その変化の方向が生態環境を破壊し、投機をすることになっては困る。このような態度は平和を持続的に進めていくことに障害にならざるを得ない。分断の彼方を想像し、企画していくためには、未来を判断し、良い生活を描ける他の方法が必要なのである。

このような状況において、「コモンズ論」が強調する自治的公共性の役割が注目される。自治的公共性論議は、既存の公共性論議と異なって市場はもちろんのこと、国家にのみ任せては、いま私たちが直面している社会再生産の危機を解決することができないと強調する。生活において当面する問題を解決するためには、個人や抽象化された社会ではなく、共同体が必要であり、その際の共同体は新たな時代に合うように、構成員の間に自由で平等な関係が保障される共同体でなければならないのがコモンズ論の主張である。今の南北関係の進展自体が、自主的なろうそく市民が変えた政治構図において可能になったことを考えれば、分断状況が終息されることで生まれる分断の彼方の生活、その巨大な可能性の領域自体をコモンズとしてみる必要がある。

コモンズ論の想定する共同資源は、度々多くの人々が使いすぎたり、参加すれば枯渇される何かとして理解したりもするが、必ずしもそうではないという事実をよく見せてくれるのが、今号の特集「文学というコモンズ」である。価値を高めようとする人々の創造的参加や努力を通じて維持・発展されるのが文学というコモンズの特徴である。黄静雅は、文学の公共性がいっそう目立つ一方で、文学場の全体に対する非難が横行する現在の状況は、文学の持つ分かち合いの性格、創造性と価値に対する質問を切実に求めていると見ている。黄は、「誰でも、何でも、如何なる言い方でも」話せるという文学的平等が文学というコモンズの重要な一面ではあるものの、分け前の主張や享受自体は文学本来の存在方式でないと強調する。根源的な意味において文学というコモンズは私のものとしても、また皆のものとしても存在せず、唯一共に新たな価値をつくりあげるコモニング(commoning)としてのみそこにあることを力説する黄の主張は、文学の政治性論議はもちろん、現在行われている社会運動としてのコモンズ論議にも重要な洞察を提供するとみている。

白智延は、フェミニズムこそ韓国社会において重要な公共性の指標になったと指摘するが、この際の公共性が抽象的なレベルに止まらないためには、性差別、性暴力の要素を女性の現実的な生活の中で思惟する必要があると強調する。そのような面において「生きている」女性の問題を思惟する文学は、重要な共同の資源、つまりコモンズになるという前提の下で朴婉緖と黄貞殷、韓江と崔ウンミの小説に対する綿密な読解を通じて、現在フェミニズムの熱風の中でむしろ忘れられやすいフェミニズムの批評的介入が持つべき本質について質問を投げかける。崔真碩は、文学が少数に独占されるものではなく、大衆全体に開かれている「公的資源」であることを既存の当為的な宣言のレベルを超え、文学と大衆の間の関係変化を指摘しながら論証する。崔は、近代の「公共性」を現在の「共通性」に再定式化することによって、大衆が創作と批評の主体となり、急変する現実における批評の位置づけを問い直す。公共性と共通性の違いを明らかにする主な要素は「情動」であるが、情動が移り、共有され、生成される「共—同性」を事件化することが今日批評の核心課題と主張する。

 

「文学評論」欄の3本の論文は、今号の文学論議の地平を広げた。まず金洙暎詩人の50周忌を迎えて彼の詩の世界を振り返る黄圭官が、金洙暎の文学—人生を「自由と革命と愛に向かう旅」ととらえ、各々のキーワードを通じて細心な議論を繰り広げる。歴史の傷の中でもついに新しさのための苦闘を諦めなかった金洙暎のとても深くて徹底した詩篇は、私たちに依然として多くの問いを投げかける。オランダの韓国学者であるBoudewijn C.A. Walravenは、特輯に共鳴し、朝鮮時代において公論の場の役割を果たした歌辭(朝鮮時代の初期に発生した詩歌の形式の一つ―訳者注)文学について論じる。朝鮮時代の世論の形成過程から現実批判歌辭と抵抗歌辭、20世紀初の啓蒙歌辭まで幅広く考察し、公的領域に対する歌辭の寄与は現代の到来による革新というより伝統の意味深い継承だったことを明らかにする。続いて、アメリカの英文学者であるElaine Showalterは、英米圏フェミニズム文学の変遷を明快に考察する。とくに、昨年ベストセラーとなったNaomi Aldermanの小説『The Power』を中心に抑圧的現実に怒りを隠さず、暴力も辞さない女性たちの話を、過去の抵抗的叙事と如何に違う脈略化をすることができるかについて力強く論じる。

今号の「対話」のテーマは「フェミニズム教育」である。社会に蔓延している女性嫌悪を単純に批判することを超え、何が性差別的主体を育てているかを指摘し、このような現実を打開するためにはどのような教育の内容と方法論が必要なのかを模索する。しかし、金高連珠、金瑞花、金志恩、崔玄希が参加した今回の対話は、単にフェミニズム教育の必要性を強調することにとどまらず、フェミニストとして、親として、教師として現実において直面する具体的な問題を検討する。

「論壇」において李貞澈は、歴史的な「板門店宣言」の意義を多角度から分析する。非核化と平和協定を同時に進める、いわゆる双軌並行論が重大な要件であることを強調しながら、朝鮮半島における平和体制の確立のために韓国の統一外交がどのようなビジョンを持つべきか提示する。このような脈絡において、文在寅政権が「朝鮮半島運転者論」を通じてこれまでの事大主義的外交と断絶し、「南北関係の進展と4強外交の均衡的な発展」路線に復帰した点を高く評価する。「現場」欄のイ・ヒャンギュの論文は、異国の地で南北首脳会談を観た感想文である。突然近付いてきたような南北関係の進展の裏には、朝鮮半島で暮らす人々以外にも世界の各地で朝鮮半島の平和を念願する数多い人々の祈りがあったということ、今日を生きる人々だけではなく、すでに世を去った人々の念願もあったということを特有の繊細な感受性と自己省察の言い方で気付かせる。一方、金光男と黄民鎬は、食べ物を基に30年以上持続されてきた沃川郡の農民運動とマウル(村・集落)及び地域共同体を紹介する。彼らの共同体は、マウル民主主義と自治に基づいて育児、教育、市場、農業から協同組合、ローカルフードと住宅にいたるマウルの日常を運営していくという点において、コモンズを通じた福祉の重要な事例である。

「すべての戦争は悪い」。当然のように聞こえるこの言葉は、今号の「作家スポットライト」の主人公として、最近長編小説『誰も記憶しなかった』を出版した安載成の一喝である。彼は、作品の実際のモデルであり、かつ戦争・分断の悲劇の中で酸化していったチョン・チャヌの波瀾万丈な人生、そして彼との運命的なつながりを聞かせてくれる。作家に会った金海慈詩人の味のある文章を通じて、改めて文学とは、歴史とは何かを真摯に考えるようになる。

「創作」欄では、12人の詩人と4人の小説家の作品を紹介する。盧香林、鄭宇泳、李章旭、朴時夏等の新作詩と連載2回目を迎えた金呂玲の長編、そして金惠珍、張恩珍、鄭智敦の新しい短編がそれぞれ違う楽しさと感動を贈る。「文学フォーカス」では、評論家の金鍾勳、シン・セッピョルと小説家の崔眞英が集まって、今季に注目すべき3本の詩集と3本の小説を読んだ所感を真率に語りながら、今季の文学現場の雰囲気を伝える。漢文学と世界文学、人文社会と自然科学、フェミニズムと生態問題などの多様な分野やテーマを含めて、話題の新刊8種類を書評した「寸評」欄も注目していただきたい。ご尽力いただいた筆者の方々に感謝申し上げる。

今夏私たちは米朝首脳会談をはじめ、朝鮮半島の未来に重大な事件を迎えるようになるであろう。分断体制の克服における一大転機がつくられるだろうという期待が生まれるのは当然であるが、落ち着いて分断の彼方の生活を実際に準備する時である。分断の彼方の生活とは、各自の位置で日常を磨きながら意味ある変化を創り出し、新たな可能性を切り拓いていく数多くの人々の努力なしでは不可能であろう。読者の皆様とともに分断の彼方の生活を着実に図る日が来ることを期待する。

 

訳:李正連(イ・ジョンヨン)