「最大限」に向けての足取り / 姜敬錫

 

創作と批評 181号(2018年 秋)目次

 

世界史的事件として記録される米朝首脳会談がわずか2ヶ月ほど前のことだが、遥か昔のことのような気がする。会談の翌日に行われた6・13地方選挙の驚くべき結果もそうであるが、その後も韓国社会を騒がせた出来事があまりにも多かったからであろう。ところが、このような感覚の可変性は北朝鮮を括弧入れ(Epoche)していた「私たち」の長い惰性が依然として生きているという証かもしれない。国軍機務司令部の戒厳文書による波動は露骨的なものだが、大法院(最高裁判所)の裁判取引疑惑や大手航空会社のパワハラ問題も、よく考えてみれば、いずれも分断体制を背景に形成された既得権構造が依然として健在に働いているからこそ起ったことである。最低賃金の引き上げをめぐる是々非々も同様である。地価問題や財閥中心の収奪構造には触れずに、最低賃金の引き上げの賛否のみを問うと、ある人が言ったように、乙と乙の対決を煽ることになるだけである。積弊清算が目標となると積弊清算も難しく、非核化のみを目標にすると非核化すら達成し難い。南北関係は一つの峠を越えたので、北朝鮮とアメリカに「アウトソーシング」し、私たち内部の改革課題を検討する番だというやり方では、韓国社会の改革さえその方向性を掴みにくいのが分断体制の本質でもある。

それゆえ、心機一転するという意味でも板門店会談とそれに続いたシンガポール米朝首脳会談の画期性をもう一度振り返ってみる必要は十分あるが、その脈絡から「私たちには私たちの足を引っ張る過去があり、また誤った偏見と慣行が私たちの目と耳を塞いでいたものの、私たちはすべてのことを乗り越え、この場に来ています」という金正恩委員長のシンガポール首脳会談での冒頭発言が改めて意味深長に聞こえる。

この発言に注目する理由は大きく3つある。一つ目は、朝鮮半島の非核化と平和体制の構築、またはその次―たとえその形態が漠然としたものであっても―に対する北朝鮮指導者の確固たる意志が生の声でほぼ初めて公式に闡明された点であり、二つ目は、「私たちの足を引っ張る過去」と決別するために数多く直面したはずの「誤った偏見と慣行」を強調することによって、これから新たに埋めていくべき歴史の空いたページが、これまでなかった創意を求めるようになるだろうという事実を明白に確認した点である。「すべてのことを乗り越え、この場に来てい」るのであれば、これからはまったく異なるパラダイムが必要とならざるを得ないからである。しかし、何よりも重要に喚起しなければならない地点は、金正恩委員長の例の発言さえも事実上「ろうそく」に乗って来たという事実である。米朝会談を導いた卓越な仲裁者としての新政府(文在寅政権)の功績を評価せざるを得ないが、新政府を成立させ、動かしてここにまで至らせた力がどこから来たものかを忘れては困る。北朝鮮指導者の今回の発言が意味深長に聞こえることさえ「ろうそく」市民が明かした歴史の灯りのおかげであることを明確に認識する必要がある。

米朝首脳が会ったそれ自体ですでに意義は十分であるという立場もあり、何か劇的な進展があると思ったが、板門店宣言のレベルを超えてないと失望する人々もいる。しかし、今回の米朝首脳会談が画期的だった理由は、最小限の約束を一つずつ交わし、信頼を回復して、それをもとに共同の目標を達成しようという過去の段階論をはるかに乗り越えたという点にある。まず大枠において相互の信頼を確認しあい、その方向性に合わせて詳細な手続きをつくっていこうという一種の逆発想が行われたわけである。互いに対する不信を適正水準で管理し、小さな約束を一つずつ交わす方式でこれまでも少なくない成就を成し遂げてきたが、それだけでは「誤った偏見と慣行」に露出される危険性が解消されない側面がある。それが朝鮮半島問題(とくに北朝鮮の核問題)を相当の期間遅々として進まないようにさせた要因であったことを互いに認めあうだけでなく、さらに進んで、すべてのことが短期間に行われにくい一つの長い過程にならざるを得ないことを冷静に首肯した点においても、今回の米朝首脳会談の現実的意義は明らかである。会談以後実務交渉段階における神経戦を理由にして韓国とアメリカの言論に多くの懐疑論が沸騰しているが、それにもかかわらず3次南北首脳会談及び2次米朝首脳会談の開催をはじめとした南北と米朝間の善循環の論議が、最近新たに弾力を受けていることも従来のような脆弱な構造が相当改善されたという証である。

その画期性をあえて見なかったふりをしたり、まったく見られないのも分断体制の効果の一つであることは確かである。偏見と慣行は南と北、さらに進んでアメリカと資本主義世界体制のいたるところに作動しているが、韓国社会に限ってみると、その主要な基の一つになったのは1987年体制30余年間形成された一種の最小主義であるかもしれない。民主改革勢力と守旧保守勢力の妥協を通じて誕生した87年体制は分断体制という上位体制の規定力の下、いずれの側から見ても一進一退を繰り返さざるを得ない不安定性をその構造的本質とする。したがって、今すぐにでも合意可能で、実行可能な最小限の手続きを用意するレベルでおおむねの社会的葛藤を縫合する慣行が根強く定着している。これを通じて成し遂げた民主化の進展は決して無視できないものの、そのような期間が長くなり、私たちはいつの間にか「最大限」に対する想像力を徐々に喪失してしまったかもしれない。南北関係を正常の国家関係に転換し、韓国の改革にのみ没頭すればいいという態度は最小主義の典型である。しかし、そのシーソー遊びのような不安な均衡に弔鐘を鳴らした事件が他でもなく「ろうそく革命」だったことはますます鮮明になりつつある。明らかに変わったこととまだ変わってないことを分別しながら、「最大限」を回復しようとする私たちの足取りで揺れることなく前進する時なのである。

 

その意味で今号の特輯テーマは、「分断の彼方の朝鮮半島」である。最近朝鮮半島と国際情勢に訪れた驚くべき変化の意味を巨視的に俯瞰しながら、分断以後の朝鮮半島を構想する際、必ず点検しなければならない事案を綿密に検討しようとする企画である。平晶(ピョンチャン)冬季オリンピックへの北朝鮮選手団の参加を契機に南北関係が新たに進展されることを予感した今年春号の特輯「分断体制を再考するとき」を発展的に続けていこうとする試みでもある。

白楽晴は「どのような南北連合をつくるのか」を核心の問いとして提起し、「低い段階の南北連合」がすでに建設中であることを明らかにする。また朝鮮半島の非核化と南北連合の建設の相互性、つまり南北連合の建設に非核化が求められるように、南北連合の進展なしでは非核化も達成し難いということを指摘する。なお、板門店宣言を契機によく登場する「統一を排除した平和共存」主張や「平和共存下の普通国家」という言説は虚しいだけでなく、市民の変化に対する熱望を沈ませる機能をすると批判しながら、たとえこの言説のように「南北が恒久的分断に同意した二つの独立国家」になったと仮定しても、その未来は決して望ましくないことをリアルに見せてくれる。

徐載晶はトランプ大統領の前向きな態度変化がどこから来て、それが朝鮮半島の非核化、そして北東アジアの安保秩序にどのような影響を及ぼすかをアメリカの国家戦略という枠内で把握しようと試みた。トランプ政権の国家戦略が戦後アメリカの伝統的路線である「現実主義的国際主義」を継承しながらも「新重商主義」と妥協したことを緻密に論証することによって、トランプの対外政策に対する説得力のある分析を行う。さらに、それが朝鮮半島に提供する機会と危機の両側面を私たち全員がバランスよく把握し、大胆に対応する過程ではじめて朝鮮半島の平和体制への道が開くというメッセージが緊要である。

李錫基は、南北経済協力(以下「南北経協)という)の再開の可能性が高まることから、北朝鮮経済の最近の動向と改革内容を診断することによって南北経協の環境と条件を探査する。1998年以後回復期に入った北朝鮮経済の動向を一瞥した後、金正恩時代の経済改革の措置が金正日時代の延長線上にありながらも、制度化の観点で相当の進展を見せていると評価する。呉昶銀は、北朝鮮の最新資料を渉猟した結果を基にして、ソ・チョンソン、キム・ヘリョンのように現在北朝鮮の文壇では高く評価されるが、韓国の読者には見知らぬ作家の作品世界を紹介すると同時に、筆者自身が注目した作家リ・ジュンホの近作を通じて北朝鮮文学の変化像を垣間みる。今後南北の文学が互いの多様性を認めあう過程は、朝鮮半島の平和の構築のための貴重な捨て石になるであろう。

「対話」は、最近政府の「所得主導成長論」がもたらした論難を契機に文在寅政権1年余りの経済政策の方向を細かく検討する。印兌淵、田炳裕、鄭大永、朱尚栄が最低賃金の引き上げの適正水準はどこまでなのか、自営業者をはじめとした経済主体の難関をどのように解消するのかについて討論し、その過程で多様な名で提起されている成長論の虚実を問う。結論部分の南北経協に対する断想は特輯の議論ともつながる点がある。

「論壇」では、大学改革とイエメン難民問題という先鋭な二つのイッシュを扱った。尹志寛は、序列化体制がもっと深刻化する一方で、数多くの「積弊」を捨て切れないまま一方的な構造調整の局面に直面している韓国大学の問題を分断体制論、さらに進んで二重課題論と結び付けてその改革のあり方について論じる。グローバル化時代の国際的趨勢である「アメリカ化」に仲間入りして社会的不平等を加速化するのか、それとも公共性を強化することによって正義の新しい時代を創り出すのに寄与するのか。彼の大きな質問がより多くの討論を生み出すことを期待する。具紀延は、最近済州におけるイエメン難民問題を契機として、イスラムに対する韓国社会の認識を検討する。韓国社会における一部の言論と保守系基督教が作り上げたイスラムに対する否定的なイメージは、結局私たち自身の歪んだ自画像である。筆者は、彼らに対する嫌悪情緒から抜け出し、すでに現実になっている難民との対面をより理性的に行っていくことを求める。

「文学評論」欄では、今年5月に他界したアメリカ作家フィリップロス(Philip Roth)の小説世界を鄭弘樹評論家がバランスよく探査した。フィリップロス文学に対する深い愛情を基にしながらも、彼の小説が追求する単独性の限界を「外部のない世界の幻想」と批判した部分がとくに興味深い。

「現場」欄では、金永善が最近活況を呈しているフェミニズム出版の現状を漫画と青少年図書を中心に診断した。女性読者の熱い反応が逆に「本の公共性と出版の責任」を気付かせる契機になっていることをリアルな筆致で伝える。

一方、元老作家の崔仁勳先生が今年の7月長い闘病の末、逝去し、多くの人々を悲しませた。他界する少し前にお見舞いに行った鄭喆熏が取材を兼ねた散文を寄稿した。誠を尽くした追悼の意味でも感慨深いが、家族の証言を通じて明らかになった作家の履歴や風貌も記録しておく価値が十分ある。

「作家スポットライト」では、最近長編小説『キョンエの心』を出版した金錦姫作家に会った。朴蓮浚詩人がインタビューを進行し、作家と作品を理解する経路を細心に書いた論文を送ってくれた。小説と詩というジャンルを超え、何かを書く人々が共有する「心」が時には活発に、時には痛く共鳴する。「文学フォーカス」は、日文学者の南相旭と李永光詩人、黄静雅文学評論家の三人が担当してくれた。詩と小説分野の最新刊6冊をめぐって隔心なく活発な討論を展開し、読者の期待に符合すると信じる。

韓国文学を輝かせる新しい顔を今号に紹介することができて嬉しい。詩部門の郭文栄、小説部門の張琉珍、評論部門の田己和、以上の三人が創批新人文学賞の主人公になったことをお知らせする。それとともに、「創作」欄は韓国詩壇の活力をそのまま伝えてくれる11名の新作詩と、姜禾吉、金正雅、河成蘭の短編小説で盛り沢山である。3回目を迎えた金呂玲の長編連載も最後まで期待していただきたい。「寸評」欄は国内外の多様な著作10冊を取り扱った。短いが興味深い書評を書くことは簡単でないにもかかわらず、読書の道しるべの役割を充実にしてくださった筆者の皆様に感謝する。

今年で36回目を迎えた申東曄文学賞は、詩人の金炫、小説家の金恵珍に贈られた。お二方の受賞者に激励とお祝いの拍手をお贈りする。なお萬海文学賞の最終審査の対象作目録と審査評も載せる。受賞作は最終審査を経て本誌冬号を通じて発表される予定である。

異例的といえるほど蒸し暑い日が続く中、多くの出来事が起った。そのうち、終戦宣言と平和協定、米朝修交のような「ビックイベント」が人々の話題にますます多く上がっている。見守るべきである。ところが、大事も小事が集まって行われることなので、各自の場でベストを尽くすことが重要である。創批も「最大限」を想像する読者の皆様と共にすることを約束する。

 

訳:李正連(イ・ジョンヨン)