창작과 비평

[インタビュー] 韓国文学の価値について ①

 
 
 
白樂晴(ペク・ナクチョン)paiknc@snu.ac.kr
文学評論家、ソウル大学名誉教授。最近の著書に『統一時代、韓国文学の価値』、『朝鮮半島の平和と統一』岩波書店)、『白樂晴会話録』(全5巻)などがある。

黄鍾淵(ファン・ジョンヨン)jongyon@empal.com
文学評論家。東国大学韓国文学科教授。季刊『文学ドンネ』編集委員。著書として 『卑陋なるもののカニバル』などがある。

 

 


 

『創作と批評』誌は2006年春号をもって創刊40周年を迎える。これまで40年もの間、広くは韓国社会の公論領域の発展に、狭くは文学ジャーナリズムの発展に、同誌が果たしてきた大きな貢献は誰もが認めるところである。文学だけに限って見ても、これまで40年の間、韓国の作家や評論家らの間に存在する民族的な良心は、まさに『創作と批評』誌を通じて、また同誌の努力によって真摯かつ強力な声を得てきた。「民族文学」と呼ばれるその文学的立場をめぐる議論はとにかく、『創作と批評』誌は文学を韓国社会の創造的な活動領域として維持・発展させるのに主導的な役割を果たしてきた。このような同誌の功績は、文芸誌の発行が創造・実践・運動などのアウラを喪失した、文学ジャーナリズムが全般的に混迷した情勢を示す最近の事情に照らしてみれば一層輝くものとなる。創刊40周年を迎え、『創作と批評』誌がスタートさせる企画「挑戦インタビュー」第1回に、同誌の編集人でもある文芸評論家・白樂晴氏に出会う場において、私は文芸誌として『創作と批評』誌の役割を継承していく方法や原則がいかなるものであるかをまずは聞いてみたかった。(黄鍾淵)

白樂晴 40年の歳月は、雑誌として長いといえば長いし、短いといえば短いですね。『創作と批評』は創刊40周年を迎えて、人生を基準に考えて不惑の年であるというよりは、雑誌の寿命は個人の寿命よりはるかに長くなることもありますから、これから本当に若返っていくのが使命だと考えています(笑)。

ですが、最近、文芸誌だけではなく、真摯な態度で活動している雑誌がみな困難な状況ではないですか? 『創作と批評』はある点では二重の意味で不利だと思います。季刊の文芸誌はみな困難な状況に直面していますが、それでも黄先生も関与なさっている『文学トンネ』誌のように、いわば文学に特化した雑誌が確実に読者層を捉えているのではないかと思います。現在、『創作と批評』は半分が文芸誌で半分が総合誌のようなものを指向していますが、韓国で一般読者を対象にした総合誌の立地はだんだん狭くなっているようです。商業化されたり、あるいは専門分野別に細分化されたり……。しかし、昨年1年間、私たちの内部で様々な討論をした末、『創作と批評』は死のうと生きようと現体制のままで行こう、文芸誌兼専門誌の体裁を維持しようということになりました。ただ話題や争点の開発をもう少し現場感覚を持って、時宜にかなった形でやって行って、文芸の誌面も私たちの文学の現場により密着した形で作ってみようと覚悟しました。いずれにせよ文芸誌としての役割を固守して発展させるべきだと考えるのは、『創作と批評』が40年間、文芸誌として認められてきたためでもありますが、個人的に私は実はとても頑固な文学主義者なんです(笑)。「文学主義者」という言葉が必ずしも適当な表現かは分かりません。文学と、それからいわゆる文学以外のものとの間に明らかな境界線があって、その境界線のこちら側の文学だけをやるという意味での文学主義者ではなく、文学をきちんとやっていると文学以外のものへとおのずからつながっていくのですが、そのためにも文学を文学自体としてきちんとやるべきという信念を持っているという点で、文学主義者だと言えるんです。

 

「自分が実は文学主義者である」というその言葉が、私にはさほど奇妙に聞こえない。文学主義が文学をそれ以外の活動と分離して考え崇める態度を指すのではなく、文学固有の役割と権能に対する信頼を指す言葉だとすれば、世の中にはいくつかの類型の文学主義がありうるのではないだろうか。1990年に刊行された『民族文学の新たな段階』以来、16年ぶりに刊行される白樂晴の評論集『統一時代、韓国文学の価値』の原稿を読みながら、私がもっとも深い印象を受けたのは、分断体制克服をはじめとする地球時代の韓半島の住民の課題と関連して、文学の主導的な役割、あるいは文学本然の任務を繰り返し強調している、いくつかの発言においてである。現在、韓国の文壇や学界は「文学の脱神秘化」ともいうべき事態以降を生きており、文学の主導性云々の主張が、一角ではエリート主義であるとか、あるいはその他の怪しげな反動主義に映る素地が大きいので、そのような発言はありふれたことのようには受け取れない。彼は文学を脱神秘化して辺境化する欧米の理論に誰に劣らず通じているにもかかわらず、むしろ文学を創造的な事業の中心に置いている。

 

 
 白樂晴「文学の脱神秘化」というそのような大きな流れがあるのは事実です。世界的にそのような大勢があって、またそれが韓国に入ってきて大学の文学研究の中でもそのような流れがだんだん大きくなっています。さきほど私は文学主義を2つに区別しましたが、前者の場合、それこそ文学を文学以外のものから完全に絶縁させて神秘化する、そのような文学主義ですから、このような文学主義を批判して文学を「脱神秘化」する努力は、それなりに意味があると思います。ですが、もうひとつの意味での文学主義、文学を通じて文学以外のものと出会うためにも文学を文学としてきちんとやらねばならないという意味での文学重視の思想すら否定する「脱神秘化」には同意しません。

 

 いくつかの論文で書きましたが、私の理論的立場を一言で要約して言えば、芸術の真理は科学の真理よりむしろひとつ高い真理だということです。だから理論についてもそれが純然たる理論作業である限りにおいては、創造的な作品を受容する批評作業よりもひとつ落ちるのです。このように私なりに文学を学び、文学理論や芸術理論、また文学を脱構築して批判する理論について、学び到達した立場がひとつあります。もうひとつは、文学に対する信念は同時代の母国語の文学に対する信念なくして強くなったりはしませんが、一種の身の上話になりますが、私と韓国文学の関係はもともとそう自然だったり密着した関係ではありませんでした。若い時期に外国に行って勉強し、また専攻分野が西洋文学であり、それに加えて文学に専念できない生活をかなりしてきました。いわば韓国文学の現場から離れる理由が年を取るにつれて多くなったわけです。ですが逆説的にまさにそのような立場だったからこそ、そのように韓国文学の創造的な活気を重ね重ね確認することで、韓国文学の現場を完全に離れずにいることが可能だったのでしょう。現場から少し遠ざかっていても、ある瞬間に作家たちの作品をまた読むと、自分が決して手放すことができない創造的な現場がここにあるのだという印象をよく持ちました。最近もすばらしい詩集にいくつか出会いましたし、パク・ミンギュやキム・ヨンス、キム・エランのような新鋭の小説家たちの作品集を読みながら多くの刺激を受けています。キム・ヨンスの『私は幽霊作家です』はまだ半分ぐらいしか読んでいませんので、中篇「もうひと月かけて雪山を越えれば」が興味津々の力作であるという言及程度にしておこうと思います。パク・ミンギュやキム・エランについては、後で機会があればもう少しお話ししてもいいでしょう。
 
 
 
 
 

民族文学論と分断体制論は文学にいかに貢献するか?

 
 
韓国文学に対する白樂晴の関心は、言うまでもなく民族文学論に要約される。彼の民族文学論はある種の確固たる表現であることは明らかだが、概念的に柔軟な用語でもある。数十年にわたって展開してきた彼の民族文学論は、そのときそのときの時代的な状況にいち早く対応しながら、その外延を変形させていくという特徴を持っているように思われる。今回の評論集にも時代的な課題に対応して、民族文学の概念を調整しようと努力した痕跡が明らかに表れている。彼は民族文学という用語が果たして依然として有効かという、従来、民族文学を支持していた人々の間にさえ拡がっている疑問に応じて、「分断体制克服に寄与する文学」という意味で、現在のグローバリゼーションの状況では民族語あるいは地域語にもとづいた文学の擁護が重要だという理由から、またそれ以外のいくつかの理由から、民族文学という用語が有効だと言っている。「分断体制克服のための文学」は、「南北分断や民族分裂、外勢介入などの問題と表面上なんら関連のない素材を扱っても、分断体制が支配する今日の現実に対して新たな覚醒をもたらし、創造的な対応を呼び覚ます作品であればいいのである」という白樂晴の主張によるものだが、文学に対する、いわばイデオロギー的な統制を追求するのでは決してない。だが、私が観察したところでは、これまで数十年の間、作家たち、特に若い世代の作家たちは、「今日の現実」を「分断体制」との関連よりは、それとは異なる多数の連関の中で認識し探求する方向で作品世界を展開してきた。民族統一のような公的な大義に奉仕するよりは、個人の体験的真実に忠実であろうとする傾向を示してきたし、民族の問題よりもジェンダーの問題、環境問題、世代の問題などにより深い関心を傾けてきた。民族現実との戦いや韓民族共同体のビジョンが文学的成就を促進するという信念は、作家たちの間でかなり弱まってきている。

 

 白樂晴 いくつか誤解があるようです。1つは分断体制の概念に関するもので、もう1つは評論の性格についてのものです。また3つ目に韓民族共同体の話があります。まず、単なる分断克服ではなく「分断体制の克服」という時は、私たちが単純に統一だけをしようという話ではありません。現在、南と北の分断が一定の体制の性格を持って定着しているが、この体制を崩してこれを越える、分断体制よりもよい体制を作ろうという話なんです。そのような意味で統一という民族の問題を解決さえすればよいというのではなく、その過程で民主主義の問題、ジェンダーの問題、環境問題、このようなものが、もちろん完全には解決できませんが、現在よりは一次元高い段階に進展して解決に近づく、そのように分断を撤廃していくことを分断体制の克服と言っているのです。だから民族の現実だけに重きを置くのは正しいかという質問は、「分断克服」の文学には当てはまるかもしれませんが、「分断体制克服」の文学には当てはまらないでしょう。

 

 次に、もしそうだとしても、作家にそのような注文をむやみにするのが何の役に立つのかという問題です。私たちが評論を行う時、一種の話法として作家がこうあるべきだったという表現を使うことがあります。ですが、私は基本的に、評論は一読者の立場で同僚の読者たちと対話するもので、そこに作家も読者の1人として参加してもいいし、しなくてもいいと思います。だから作家や作品についてあれこれ注文をつけることが、その場でその人にそのように創作をしろと圧力を加えるのではなく、作品を受容する読者たちの態度、読者たちの意識、文学をする風土、これらをもう少し健康に発展させるために、自らの読書傾向を開陳する1つの話法であると考えます。だから、分断体制克服であれ何であれ、どんなにすばらしい主題であるとしても、その主題意識を作家に強要しては、よい作品が出てくることはないという点には同意します。ですが、私たちの時代において何が重要な問題であり、私たちが文学を読みながらもそのような問題を意識しながら読むことがいいのかという問題について討論が活発になることは、文学風土の発展に貢献し得るのだという、そのような次元で話をしているのです。

 

 韓民族共同体の問題は、少なくとも私が使う用語としては、「統一韓半島共同体」とは異なる概念です。韓民族というのはエスニック(ethnic)な概念でしょう。種族概念としての韓民族は韓半島の住民のすべてでもなく、韓半島に限られたものでもありません。現在はかなり多くの人々が韓半島の外に住んでいます。多くの国にその国の国籍を持った人がおり、永住権を持った人もいますが、そのような多様な状況の中で、韓民族としてのアイデンティティを維持すべきか否か、維持するならばどのように発展させるべきか、他の地にいる同族たちとはどのような紐帯関係を持つべきか? ―― このような問題が発生します。最近、使っている用語でいえば、トランスナショナル(trans‐national)な問題ですが、それがナショナル(national)な問題と二律背反の関係にあるのではなく、韓半島における統一という民族問題、ありていに言ってナショナルな問題とつながっており、そのようなナショナルな問題を抱えている韓半島内の韓民族を包容するトランスナショナルなネットワークの問題です。統一の問題が韓民族だけの問題でないように、韓民族共同体は韓半島だけの問題ではないのです。その2つの次元を混同してはいけません。
 
 
 
 
 

ポストモダニズムに対する評価は公正か?

 
 
90年代以降の白樂晴の民族文学論には、グローバリゼーション、あるいはその状況に対する言及が多い。特に「グローバルな資本が主導する世界の「ポストモダン文化」」が民族文学と世界文学の双方に重大な脅威となっているという点が強調されている。グローバル化の過程で起こったトランスナショナルな文化流通が、文学から民族的・地域的な独自性を奪い取り、似非国際主義を蔓延させる危険があるというのは正確な診断である。しかし、ポストモダン文化に対する彼の批判は必ずしも公正なものではないかもしれない。ポストモダニズムは文学・哲学・美術・建築など、どの分野に焦点を合わせて見るかによって、私たちにとって持つ意味が変わりうるのであり、特にポストモダン哲学が含んでいる西欧近代の自己批判は、西欧のヘゲモニー的支配下に近代を構成した私たち自身の批判と克服に有効ではないかとも思われる。白樂晴自身が脱近代の課題を想定しているだけに、ポストモダン文化に共感する部分があるのではないだろうか?
 
 
 白樂晴 もちろんです。ポストモダニズムに対して私は時にきわめて断固とした言及をしたこともありますが、またある時はフレデリック・ジェイムソンと対談しながら、モダニズム以降のリアリズム、いわばモダニズムの洗礼を受けたリアリズムという意味で、ポストモダンなリアリズム(post‐Modern realism)という表現を使ったこともあります(『創作と批評』1990年春号、285‐286頁 ―― 編集者)。ポストモダンと称される思潮や流れの一切を私が批判したり排撃したりしているのではありません。ただポストモダンという用語について批判的に考える理由があるのです。

 

 1つは、ある思想が近代克服の指向性を持ったという意味でポストモダンであるというのはいいのですが、そうではなく、まるでモダンの時代=近代は終わり、ポストモダン=近代以降の時期がすでに到来しているかのように語るのは、現代資本主義社会や近代世界の実像を歪曲し糊塗することではないかと思います。私自身が「近代適応と近代克服の二重課題」と言っていますが、実は近代克服というのがまさにポストモダンを指向しているのではないでしょうか? ただ、今こそがモダンが開花したそのような時期であるという認識を曇らせるという点で、ポストモダンという表現について適当でないと考える時があります。

 

 もうひとつは、韓国ではモダニズムとポストモダニズムを区別することがかなり難しいと思います。見方によっては外国でも両者の区別がそう明らかなわけではありません。だから私はポストモダニズムというものが本質上モダニズムの延長に過ぎないと主張しました。モダニズムは無条件に悪いという前提であれば、それがポストモダニズムに対する「断固たる」批判になるでしょうが、モダニズムにもよいものがあり、私たちが学ぶべきものもあるという仮定のもとに受け入れるならば、ポストモダニズム論者たちが自ら主張する新しさに対する評価を切り下げる効果はあっても、モダニズムとポストモダニズムを一切否定する発言ではないでしょう。

 

 ポストモダニズムの近代批判に有用な側面があるという点は私も同感です。ただ知識人たちの中に自分が近代を批判すればまるで近代が克服されたかのように錯覚する場合があります。ポストモダンというものが近代克服の指向を持った言説や模索であればいいのですが、実際には近代や近代主義の弊害を指摘し、それを「脱構築」したことでみな克服されたと錯覚し、「近代以降」が到来したと考えることについて、私は反論したいのです。
 
 
白樂晴の理論において、近代に対する批判や克服を正しく遂行する文学様式に付けられた名称は、モダニズムやポストモダニズムではなくリアリズムである。彼の理論においてリアリズムは民族文学が世界文学と共有している部分であり、芸術的真理が表出される卓越した方式である。彼のリアリズム論はこれまでの数十年間、韓国文学を一方では社会的に無責任な芸術技法の遊戯から、他の一方では教条的な政治イデオロギーの支配から救い出すのに大きく貢献した。彼が言うリアリズムは、典型性、客観性、党派性のような従来の美学的基準を参照しながらも、それを越えて「文学本然の弁証法」という一般論的な仮定、「至公無私」のような道徳的規律をも含む。私の了見が狭いせいだろうか、そのように包括的で円融自在なリアリズム論はそう簡単に理解できるものではない。そこで私がよく感じる不満のひとつは、リアリズムが時代を越えて不変の芸術的理想あるいは当為として存在しているようだという点である。リアリズムは、特殊な時代や文化に由来する特殊な文学慣習であるという観点から歴史化して理解する方がいいのではなかろうか。リアリズム特有の文学的慣習に起こった変化に対する観察を通じて、その限界や可能性を語る方がいいのではなかろうか。このように考えるのはおそらく私だけではないだろう。
 
 
白樂晴 事実、リアリズムの話が出ると、私も頭が痛いです(笑)。私が言うリアリズムが写実主義と異なるという説明だけでも、毎回、繰り返そうとすれば煩わしい限りですが、写実主義でないリアリズムを主張する多くの同僚たちの話ともまたちょっと違うと説明しようとすれば、どれほど長く、かつ複雑になるかわかりません。黄先生のおっしゃるように、むしろ「特殊な時代と文化に由来する特殊な文学慣習」と整理してしまう方が楽かもしれないとも思います。だから、19世紀のある時期に西欧において盛行した文芸思潮としての写実主義として理解して忘れてしまうのです。ですが、写実主義とモダニズムとポストモダニズムがそれぞれ異なる方式で疎かにしている、文学における円満な現実認識と現実対応の問題まで忘れてしまうわけにはいきません。負担が異なり副作用が違っても、このような問題提起を行う何らかの用語が必要だと思います。そのような点で「リアリズム」も「民族文学」と同様に厳密な分析的概念というよりは論争的な概念です。論争の主要な軸を「写実主義」対「モダニズム」、あるいは「モダニズム」対「ポストモダニズム」に設定する風潮に対抗して、そのように楽な方向に行くのが文学の道ではないと訴えかける1つの方法です。だから今回の評論集でも、リアリズムの議論があれこれの変奏を経ながら続けて出てきますが、ただ私はルカーチのようにリアリズムを主唱するよりは、リアリズムを争点に掲げて議論し、時にはそれを手放すこともある人間だと考えてくれればと思います。
 
 
 
 
 

高銀の詩の評価をめぐる緊張した論争

 
 
今回の評論集に掲載された作家論や作品論の中で断然注目を引くのは、詩人・高銀に関するものである。高銀に対する論評が他のどの作家や詩人に対する論評よりも、頻繁であるのみならず詳細である。最近、偶然の契機に高銀の『萬人譜』やその他の詩集を再読し、詩人の大家らしい豪放な修辞力に驚く一方で、同語反復をはじめとするマンネリズムの兆候に失望したことのある私としては、白樂晴の高銀評価が多少甘くはないかという印象を受けた。私が彼の高銀論に対して不満を示すと、彼は私の「『萬人譜』論」(黄鍾淵「民主化以降の政治と文学 ―― 高銀『萬人譜』の民衆・民族主義批判」:『文学トンネ』2004年冬号)に異議を提起し、続いて民主主義の問題をめぐってしばし緊張したやりとりがなされた。

 

 白樂晴 「『萬人譜』論」を書いたのは2004年のことでしたか? 民衆 ― 民族主義という表現を使われましたが、民衆主義や民族主義に対していろいろと警戒すべき面があるという指摘には私も同意できます。ですが、まず、高銀の詩に接近する方法が、むしろ黄先生こそが観念や理念を先立たせているようです(笑)。今、おっしゃった問題でいえば、どの部分が同語反復で、どの詩篇が駄作でどれが秀作であるかを詳しく批評して下さったら、もっとよかったのですが……。初期の『萬人譜』に主として言及されましたが、詩人が幼年期に顔見知りだった田舎の人々を主要な対象にした詩なので、われわれ民族や農村民衆に伝来の共同体的な生を礼賛したとか、また背景が日帝時代なので民族意識を強調するような点も当然あるわけです。ですが、そこで「これは民衆・民族主義的な詩である」という結論を導き出して、その次に民衆・民族主義にはあれこれの危険があると指摘しながら、その枠を再び高銀の詩全体に適用して裁断しているのではないかという印象を受けました。作品批評の方法の次元ではそのような問題点を感じました。

 

 議論の内容としてみれば、民衆・民族主義といいますが、実は民衆と民族は異なる概念じゃないですか? ですが、これが結合する時はその中に妙な緊張が生じて、民衆概念によって民族概念が解体される面もあり、民族によって抽象的な民衆概念が解体される面もあります。ですが、ただ単に問題のある2つの概念が合わさることで問題が倍になったと単純化しているのではないでしょうか?(笑)そしてそれと反対の概念として「現代民主主義の理想」のことをおっしゃいましたが、私は現代民主主義とは何かということこそ、私たちが検討しなければならない問題だと思います。支配勢力はもちろん民衆という概念も利用し、民族という概念も利用し、国家と国民という概念も利用しましたが、同時に「民主主義」であるとか「個人の文化」などというものこそが、現代の支配勢力の用語であると思います。

 

黄鍾淵 そうでしょうか?
 
 
白樂晴 ブッシュ(George W. Bush)が民主主義と自由を掲げてイラクのようなところでやっていることを見て下さい。黄先生が民衆・民族概念に突きつけている刃が、立場を変えて考えれば、実は黄先生のおっしゃるような現代民主主義とか個人の自由という概念にも撥ね返ってくるのではないか、まだ充分に検討されていないイデオロギー的な概念を、黄先生ご自身も使っているのではないかということを、一度お考えになられてはいかがかと思います(笑)。

 

 黄鍾淵 ある意味で自由のような民主主義の付属概念を検討しようというのが、私の論文の趣旨でもあります。誰もが民主主義を語りますが、その重要なイデオロギー的基盤が韓国文化には備わっていないのではないか、日帝時代から軍部独裁に至る現代史の特性のために、民主主義を堅固にするのに不可欠な価値や信念のようなものが定着していないのではないかと考えています。

 

白樂晴 それが何であると思いますか?

 

 黄鍾淵 いろいろとあるでしょうが、そのなかでも自由主義が重要だと思います。民主主義の基盤となるイデオロギーの中で相対的に韓国の伝統文化に脆弱なものでもあり、現代史を通じて充分に発展できなかったものでもあります。自由主義的な価値の中で、自由、個人の自己決定の自由という意味における自由は、民主主義において基本的なものだと考えます。

 

 白樂晴 自己決定の自由を持つ主体は果たしてどのようなものですか? 西洋の伝統から見れば、特に西洋自由主義の伝統から見れば単子的な個人でしょう。そのような個人が人権、自己決定権などを所有する主体として設定されますが、ポストモダンを語る方がそのようなものを無批判的に受け入れたらだめじゃないですか。

 

黄鍾淵:19世紀的な自由主義は民主主義の基本だという理由で強調したんです。1987年の民主化以降の韓国の民主主義を考えながら、私が最も強調したかったのは、個人のアイデンティティが複合的な性格を有しているということ、自己、個人の意志で決定されるのではなく、自己が属している階級、世代、性別……

 

 白樂晴 民族!(笑)

 

 黄鍾淵 ええ。民族……決して落としたりしません(笑)。そのようないくつかの集合的アイデンティティが交差する地点に個人の自我が成立し、そのような脈絡で民主主義の主体である民衆も、やはり複合的アイデンティティの観点から再考する必要があるというのが私が主張しようとしていたことでした。19世紀的意味での自由主義宣言ではありません。そしてあの論文は最初から『萬人譜』の作品論を目標にしたものではありませんでした。過去の民主化闘争の中で成長した民衆・民族主義的な民衆像を見出し、それを現代民主主義の観点から再考しようという目的からあの詩集を読んでみました。予断をして図式を立てて接近した面があるということは認めます。ですが、民衆像の強みと弱点が『萬人譜』に出ているということは私に明らかでした。民主化以降の民主主義の新たな課題に照らして、過去に作られた有力な民衆表象を反省しようとするならば、当然のごとく『萬人譜』を標本にしなければならないと今も思っています。

 

 白樂晴 私が見る時、80年代に流行した民衆言説に対する黄先生の正当な批判意識や反発が初期『萬人譜』に見られる共同体的情緒といいますか、このようなものを拡大解釈する方向へと行ったようです。そうなったのには大きく2つの要因があると思います。1つは私たちの歴史の中で民族の独立や自主のようなものが持っていた切実さに対する認識が少し不充分だったからであり、また一方で現代民主主義という新たな偶像に対する一種も妄信が加勢したためではないかということです。

 

 黄鍾淵 分断体制克服とおっしゃいますが、何のために克服しようとするかが重要な問題ではないでしょうか? 民族自主の意識も重要ですし共同体意識も重要ですが、それをもって分断体制以降の望ましい社会を考えることはできないのではないでしょうか? 先生のおっしゃる通り、民族主義は分断体制克服の運動に有用なエネルギーを供給していることは間違いありません。ですが、民族主義は分断体制以降の韓半島の社会、または韓民族共同体のモデルにはなりにくいと思います。現代民主主義を新たな偶像とおっしゃるならば、分断体制克服の運動を通じて作ろうとしている社会はどのような社会かお聞きしなければなりません。

 

 白樂晴 作ろうとしている社会の重要な特徴のうちの1つは民主主義です。その点はもちろん私も黄先生と同じ考えです。ですが、何をもって民主主義と言うか、これを一度きちんと考えてみようということです。いわゆる現代民主主義というもの、近代的な民主主義、それをそのまま適用しようというのは、それこそポストモダンの正当な要求に反するものです。また分断体制の克服が単に統一だけをしようというのではなく、統一の過程で私たちが本当に新しい、よりよい社会、民主主義もより高い次元の民主主義を成就させることだと言う時、民主主義の概念もその過程で再検討され刷新される必要があると主張するのです。

 

 黄鍾淵 政治哲学のことはよくわかりませんが、『萬人譜』の民衆像を検討しながら感じたのは、民族のような1つのアイデンティティが民衆概念を占有するのは政治的に正しくないというものです。1つのアイデンティティが民衆を代表すると自負するならば、当然、他のアイデンティティに対する抑圧や排除が伴うこととなり、そうすると特定のアイデンティティの政治的利害関係によって民衆を統制する結果となります。これは民衆が自ら統治するという意味においての民主主義とは距離があります。私たちの歴史や現実と乖離した観念論だと思われるかもしれませんが、現存するアイデンティティの多数性を充分に認める政治体制の模索が民主政治と文化の鍵になると思います。統一以降の韓半島社会や韓民族共同体を考えてもそう言えます。互いに異なる政治体制のもとで、互いに異なる文化の中で生きてきた人々が共生しようとするならば、多元主義に対する考慮が必要ではないでしょうか。