今すぐ、経済的転換を始めよう / 全聖寅

創作と批評 176号(2017年 夏)目次

 

全聖寅(ジョン・ソンイン)
弘益大学、経済学部教授。著書に『貨幣と信用の経済学』、『経済学原論』(共著)などがある。
junsijun@gmail.com

 

韓国の放送局JTBCが崔順実 (チェ・スンシル)のタブレットPCを入手し、単独報道してからもう7ヶ月が過ぎた。バラが満開となる5月初旬に行われたため「バラの大統領選挙」とも呼ばれた今回の大統領選挙は、予想通り、「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)候補の当選によって幕を下ろした。今後、文在寅政権は先延ばしになっていた多くの政策課題を解決していかなければならないだろう。歴史的な面から見ても、1987年の6月抗争によって作り上げられた、いわゆる「87年体制」を新たに整え直し、「17年体制」を定着させるべき時である。従って、本稿では大統領選挙以降の課題を経済政策の観点から検討してみたいと思う。

 

1. 現実と見通し

 

韓国経済の現実は厳しい状況だ。今年に入って、外部の経済的諸条件の好転によって輸出などの海外需要と関連した生産においては部分的に活性化しているが、全体的には韓国経済の老化現象が進んでいる。人口自体が急激に高齢化しているのだから、当然であろう。15歳から64歳までの人口を生産年齢人口というのだが、韓国では今年、この数値の増加率が史上初のマイナスとなった。さらに、人口推計の数値も2065年まで減少し続けると算出されている。絶対的な人口数を見ると、現在のおよそ3700万人である生産年齢人口は、2065年にはおよそ2千万人にまで減少する。ほぼ半数となるわけだ。一方、65歳以上の老年人口は爆発的に増加し、現在の700万人から、2065年にはおよそ1800万人にまで増える。現在の二倍を超える数だ。つまり、2065年に老年人口は全体の生産年齢人口の90%に達する。

高齢化は、政治、及び経済的な側面からも韓国社会に多大な影響を及ぼす。まず、経済的な側面から見ると、高齢化は、人口、又は労働力という本源的な生産要素の供給を減少させることになる。周知の通り、生産は労働と資本が特定の生産技術と結合することによって行われる。従って、資本と生産技術の水準が固定化された状況で、労働力の投入が減少すれば、当然生産量の減少へとつながってしまう。

この単純な命題の含意はそう簡単ではない。まずは、潜在成長率が低下するということだ。潜在成長率の推計値は、資本増加率と技術進歩率の想定によって違ってはくるが、殆どの経済専門家たちは、潜在成長率自体が低下するだろうと予測している。韓国銀行とKDI(韓国開発研究院)による公式的な統計では、韓国の潜在成長率を3%台としているが、国会の予算政策処では、2020年までの潜在成長率を2%台と見込んでおり、近々、韓国銀行とKDIも潜在成長率の見通しを同様のレベルにまで引き下げると思われる。KDIは2030年までには1%台へと落ち込むと見通している。

二つ目は年金の破綻である。韓国の国民年金は会計的に正当とは言えない。韓国の全ての国民年金加入者は自分の支払った金額よりも多くの年金を受け取ることができる。平均的な利子を計算に入れても在り得ないことだ。一体、どうすればこのような構造が可能なのだろうか。次の二つの場合になら可能であろう。後続世代が遥かに裕福であるか、或いは人口が遥かに多いか、どちらかの場合だ。

これまで韓国は、幸いにもこの二つの条件を満たしていた。IMFの通貨危機以前の実質成長率5%は、むしろ低い方であって、金大中(キム・デジュン)政権と盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の下でも個人の実質所得は大方増加する傾向にあった。しかし、ここ10年間、経済全体の成長率はかなり落ち込んでおり、個人所得もほぼ横ばい状態が続いている。もはや、今日よりも幸せな明日が待っているとは誰も信じていない。また、前述した人口構造の変化からも分かるように、二つ目の条件を満たすことも不可能であろう。生産階級の人口はどんどん減少し、引退階級の人口はどんどん増加している。後続世代の人口は増加するどころか、むしろ減少しているのである。従って、たとえ後続世代が多少裕福な暮らしができるとしても、急増する老年人口の負担を無理なく解消することは不可能である。それは結局、年金の破綻を意味する。

高齢化は、政治的な側面でも大きな意味を持つ。今回の大統領選挙で目立った特徴の一つとして、多くの選挙専門家は「理念や地域性に縛られた投票というより、世代性を反映した投票傾向が一層強くなった」ことを挙げている。実際に、大統領選挙前の世論調査の結果を見ると、60代以上の投票傾向とそれ以下の世代の投票傾向には明確な違いが見られる。もし、このような傾向が今後も続くならば、60歳以上の世代は韓国の政治において最も影響力のある世代として、かなり長期間に渡り君臨する可能性が高い。人口学的に見ると、2020年には55歳以上の人口が18歳以上の人口の過半数を超える。現在の有権者は19歳以上であるが、例え、18歳に引き下げるとしても、単純に有権者を候補者別に投票させるような大統領選挙の下では、老年人口の持つ影響力はまさに絶対的なものと言えよう。

高齢化の含意は、政治的含意と経済的効果を合わせると、一層憂鬱になる。食料を生産する世代はどんどん減っていく中、その生産されたものを分配する政治的パワーを、食料は生産せずに消費するだけの世代が持つことになったらどうなるだろうか。人気ドラマ「鬼(トッケビ)」で流行語となった「破局だ」という台詞が思い浮かぶ。

状況をさらに悪化させている原因は、生産を行わないばかりでなく、未来を見通す視野も狭いという事実だ。生産年齢人口の中間年齢を40歳、老年人口の中間年齢を75歳と見て、平均寿命を90歳前後とすると、生産年齢人口は50年先を考えて経済活動をしなければならないが、老年人口は15年ほど先のことだけを考えればいい。

その結果はあまりにも明白だ。「黄金の卵を産むガチョウがいたら、直ちに食ってしまえ」という状況と同じだ。環境が破壊しようがしまいが、目先のことしか考えず、全ての租税負担を将来世代へと先送りすればそれまでなのだ。

このような間違ったインセンティブが強力な政治的パワーと結びついた日常、それが現在予測可能な韓国の未来である。まさに民主主義の危機と言われる所以でもあろう。国民一人一人の置かれた状況が平等でない状態で、全ての国民が平等であると見なすこと自体が問題なのだ。財産も、未来を見通す視野も、国家においての影響力の強さもそれぞれ異なる国民一人一人に対して「法の前では全て平等」と訴えるのは、国家を破局へと導くことになりかねない。だからこそ、今まさに新たな「17年体制」の必要性が求められるのである。

 

2. 「17年体制」が備えるべき特徴

 

(1) 経済成長と技術開発

17年体制が解決すべき二つの課題は「経済成長」と「世代間の統合」である。どちらも困難な問題であり、どちらか一方を解決するためには、もう一方も同時に解決しなければならない問題である。

まず、経済成長から見てみよう。なぜ、経済成長に念を入れて取り組むべきなのか。このままだと韓国経済は奈落の底へと落ちてしまうからだ。では、どうやって成長させればいいのか。まずは、墜落の原因を突き止め、その原因を発展させることができるように試みることだ。もし、それが不可能なら、別の方法を模索しなければならないだろう。

では、具体的に見てみよう。墜落の原因は他ならぬ人口構造の高齢化だ。しかし、果たしてこの問題を発展させることができるだろうか。勿論、長期的、且つ持続的に取り組まなければならない問題ではあるが、短期間では解決できない問題である。だからと言って、韓国がアメリカやオーストラリアのように移民者を大量に受け入れるとも思えない。最近は、そのアメリカでも国境に壁を建てて移民を制限すると主張した大統領が当選している。正直、韓国では不可能に近いと言えよう。勿論、「統一は大当たりだ」という朴槿恵(パク・クネ)前大統領の言った通り、統一が一つの代案となる可能性もある。しかし、それは人口構造を若くすることはできるかもしれないが、それ以外にどれほどの費用がかかるのか分からない。つまり、結論的に言うと、人口高齢化の進行を直ちに食い止めることは不可能だということだ。

従って、成長を促すためには別の方法を模索しなければならない。それには二つの方法がある。一つは、減少していく労働の下で資本を画期的に増やすことであり、もう一つは、技術進歩を促進することである。この二つの内、一つ目の政策は残念ながらもほぼ不可能に近い。限られた技術レベルと減少する労働の下で、資本だけを画期的に増加させるとどうなるだろうか。それは「破局だ」。なぜならば、いわゆる「収穫逓減の法則」が働いてしまうからだ。

生産が増加するための最もよい条件は、資本と労働がお互いに適切な結合比率を保ちながら、一緒に増加することである。ところが、労働は減少し続ける状況で、資本ばかり投入したらどうなるだろうか。適切な結合比率など、いくら探しても見つかることなく、資本過剰の状態だけが悪化の一途を辿ることになるだろう。この場合、生産の増加は見込めない。生産も増加しないのに、資本を投入するのは愚かなことだ。資本はもう既に溢れかえっている。なぜここまで言い切れるかと言うと、現在、持続的に金利が低下しているからだ。これは、生産に対する資本の寄与度がどんどん低下しているという意味である。

結局、成長するためには技術レベルの発展以外には解決の方法はない。技術レベルを発展させれば、与えられた資本と労働の下で、より多くの生産物を得ることができるため、成長が可能となる。それだけでなく、生産を増やせるため、資本と労働にもより多くの報酬を与えることができ、それによって全体的に総需要が増加し、生産物が消費される好循環を生み出すかもしれない。さらに、付随的な効果として、雇用の増加も見込めるだろう。失業問題を解決するための重要なポイントは、逆説的ではあるが、技術開発である。従って、17年体制が成し遂げなければならない最初の課題は、技術開発しやすい体制を作り上げることである。

ここで、次のような疑問を抱く方がいるかもしれない。「アルファ碁が我々に与えた衝撃は大きかった。技術の開発が進めば、人間は行き場を失くし、失業率はむしろ上昇してしまうのではないか。生産は増加するかもしれないが、それは我々の持分ではなく、機械を操る少数の人々の持分となるに違いない。それを果たして理想的な体制と言えるだろうか」と。

非常に難しい質問である。しかし、経済社会の体制がしっかりと根付き、成長を遂げるためには、この質問にしっかりと答えることができなければならないだろう。その解答は次章で述べることにしたい。

 

(2) 人的資本の蓄積への奨励

技術開発と雇用促進を同時に解決する糸口は人的資本(human capital)の蓄積だ。労働力を保有している労働者に高度の技術を身につけさせるのである。技術は抽象的な状態では、独自的な生産要因として存在するが、現実では、生産要素の中に染み込んでなければならない。 例えば、ウィンドウズXPを使用している旧型パソコンよりもウィンドウズ10を搭載した新型のパソコンの方が高度の技術を具現することができることと同じだ。

しかし、結局のところ、これを運用するのは人間である。いくら人工知能が発展し、無人自動車が開発されても、その価値判断を下さなければならない領域は存在するからだ。アイザック・アシモフ(Isaac Asimov)のSFが面白いのは、まさにこのような領域を巧妙に描写しているからだろう。結局、ある一定の部分では人間が資本と機械を統制しなければならない。従って、技術の発展が人間の労働の場を完全に奪ってしまうという見方は性急な判断であるばかりでなく、適切でもないと言えよう。むしろ、科学技術が発展すればするほど、これらを適切に活用できるように労働の質を高めることの方が至急な問題である。これは、労働力の絶対量の減少が進む中で自然な解決方法でもある。

つまり、科学技術の発展を通じて、労働者の数で示されるような労働の投入は減少するかもしれないが、人的資本を付け加えた効率的労働単位(efficient labor unit)の投入は増加する可能性がある。そうすれば、経済も成長し、労働者一人一人もより多くの報酬が得られるようになる。生産現場から追い出された労働力の中で新たな技術を身に付けることのできない労働力はサービス業などで消化すればいい。科学技術の発展が人類に脅威を与えるような状況は、科学技術の発展自体が問題なのではなく、それを人間がうまく活用できるような適切な教育や訓練システムが提供されない場合に作られる。結果的に、経済が成長し、その中で人間が生産に参加して豊かな暮らしを手に入れるためには、科学技術の発展を促し、それを活用できるように人的資本の蓄積も奨励しなければならない。まさにこれが17年体制が経済成長のために備え持つべき条件だと言えよう。

 

(3) 社会的共同体と世代間の統合

17年体制が解決すべきもう一つの課題は世代間の統合である。なぜ、世代間の統合が重要なのか。世代間の統合がなされない限り、政治的な資源配分の権限を、相対的に経済活動の少ない引退世代が握ることになるわけだが、この引退世代は特別な誘引体系のない限り、近視眼的な資源配分政策を支持することになる可能性が高いからだ。そうなれば、成長も、発展もない。だから、世代間の統合は必須なのだ。

では、どのように統合させるか。政治的にこれを解決するのは非常に困難であろう。韓国で普通選挙が民主主義の一つの原則として根付いてから既に70年余り経っており、引退世代の選挙権が制限されない限り、引退世代が政治的の場でより大きな影響力を持つことを防ぐことはできないからだ。一部では、選挙区を地域区制度から世代区制度に改編すべきだという声も上がっているが、既に引退世代が政治的な影響力の効能を自覚し始めた以上、政治工学的にも世代区を導入することは容易ではない。

従って、17年体制は別の通路による世代間の統合を模索しなければならないだろう。つまり、経済的な誘引策を設けなければならないという意味である。もう少し具体的に言うと、引退世代は引退世代なりに世代間の統合に応じた方が自らの利益へと繋がり、生産世代は生産世代なりに世代間の統合が自らの利益へと繋がるような社会制度を設けなければならないということである。どちらか一方の犠牲によってもう一方が利益を得るような構造になってしまうと、統合への努力は水の泡となり、韓国社会は分裂と衰退の道へと迷い込むことになろう。

では、どちらの世代にとっても利益となるような条件は何であろうか。それは資源の効率的な配分である(経済学では、これをパレート効率性という)。そのためには、とりあえず引退世代が資源配分に対する政治的ヘゲモニーの一部を譲歩しなければならない。生産を直接担当している世代が資源配分の権限を与えられた時、より効率的な生産を行うことができるからだ。

逆に、生産に参加している世代は、ようやく得られた資源配分の権限をうまく利用して、引退世代の譲歩にしっかりと応えなければならない。そうしないと、引退世代は直ちに権限を奪い返すだろう。そのような意味で、生産を担当している若者世代と政治的な影響力を持っている引退世代の間には、ある種の社会的契約が必要である。

口で言うのは簡単だ。問題はどう具体的にこのような契約を結び、実現していくかということだ。単純に租税や補助金などを思い浮かべるのは問題解決にあまり役立たない。例えば、政府が生産階層に税金を課して、その財源を老年層の福祉として支出してしまうと、むしろ生産階層の生産意欲を低下させることになり、引退世代はちゃんとした福祉の恩恵を受けられない可能性も出てくる。また、引退世代にとって必要なものは、必ずしもお金だけではない。彼らにとって本当に必要なものは「共に暮らしていく」ことかもしれない。社会的な関心はお金では買えないものだ。このようなお互いへの関心から、世代間の統合への可能性が生まれるかもしれない。

生産階層が引退世代に与えられる最も貴重なものは社会的な関心である。勿論、経済的な支援も重要である。しかし、老年世代は、お金をもらうだけで、ほったらかしにされるよりは、多少低い金額を受け取っても、誰かが訪ねて来てくれるような関心を望んでいるのではないだろうか。

そのような意味で、筆者は「社会的共同体」のようなものが問題を解決する糸口になり得るのではないかと期待してみる。勿論、経済の見通しを提示するように100%自信のある主張ではない。ただ直観的な意味で、一部の労働者は人的資本の蓄積を通じて効率的に生産を行うことにより余分の生産物を多く作り出し、その他の労働者はサービス業へと移動して引退世代や将来世代に対する社会的サービスを提供し、逆に引退世代は政治的ヘゲモニーの一部を譲歩する代わりに効率的な生産の果実を共有する一方で、社会的サービスも受けられる、そのような構造が社会的共同体であろう。これが17年体制が求めるべき姿ではないだろうか。

 

3. 17年体制と経済政策の課題

 

前述したように、17年体制は、単に経済政策的な面だけでなく、非常に柔軟で創造的な社会的共同体の構造も必要とする。従って、経済政策はこのような社会的共同体の構造と矛盾してはならない。むしろ、その構築に必要な土台を提供し、その果実を最大限に生産に活用させられるような構造を作り上げる必要がある。これと関連した経済政策の課題をいくつか挙げると以下のようである。

まず、一つ目は、技術開発と人的資本の蓄積を促すような経済政策に取り組まなければならないということだ。それなくして、高齢化社会の下での成長は不可能であり、成長できなければ、如何なる社会問題も解決できないからである。ここで強調したいのは「人的資本の蓄積」である。技術開発が重要じゃないからではない。 技術開発は非常に重要であるが、歴代の全ての政権で既に重視されたため、今更強調する必要がないだけだ。

しかし、人的資本の蓄積は相対的に軽視されてきた。むしろ政府は成長のために投資促進とそのための規制緩和に没頭し、物的資本の蓄積ばかりを強調してきた。例えば、人的資本の蓄積を邪魔する代表的な政策の一つが雇用の柔軟化政策である。企業の経営者が社員を容易に解雇できるようにし、投資を促すというものだ。しかし、この政策は人的資本の蓄積には悪影響を及ぼす。いつ首になるか分からないのに、特殊な会社でしか必要のない情報や仕事に必死になる労働者が果しているだろうか。その労働者の立場からすれば、いつ首になるか分からないため、労働市場で一般的に評価される指標(例えば、TOEICの成績など)を上げるような汎用性の高い人的資本への投資にばかり熱を上げてしまうのだ。つまり、企業特殊的(firm-specific)な人的資本の投資は萎縮してしまうのである。

従って、新たな経済政策は労働に対する考え方を根底から覆す必要がある。現在、相対的には資本過剰、労働不足の状態にあるため、労働に対する優待政策を取ってこそ、人的資本の蓄積が多少たりとも進むと思われる。筆者は、これを「労働に優しい成長政策(labor friendly growth policy)」と名付けたいと思う。例えば、雇用の予測可能性や安定性を高める、労働所得の分配率を上昇させて成長の果実を労働側にやや多く分配する、最低賃金を上げて極貧労働者の暮らしを改善させる、個人破産や個人再生などの個人債務者に対する再生制度を債務者に友好的に改善するなどである。このような政策は全て労働を配慮したものであり、従って新たな成長政策と言えよう。

二つ目は、社会的な共同体の構造を作り出し、それを維持できるような経済政策を促進すべきである。前述したように「労働に優しい成長政策」は、世代間、又は資本と労働間の協力を前提条件としている。社会的な共同体の構築を促す経済政策として重要なのは、いわゆる「同伴成長(大企業と中小企業をバランスよく共に成長させるという意味)」の可能な政策でなければならないということだ。元請けの大手と下請けの中小企業が大手の超過利潤をお互いに分け合うような超過利潤の共有制度や、労組交渉の過程において労働者が企業の現状について資本家と同等の情報を持って交渉することを可能とするような労働者推薦による理事制の導入などがそうである。「乙」に対する「甲」の優位性を通称する、俗に言う「甲乙関係」の改革も、力のない乙の生存権を保護するという人権的・当為論的な正当性以外に、社会的な共同体の構築という新たな価値の具現という意味から、その重要性が強調されるべきであろう。

三つ目は、租税制度の改革の必要性だ。現在のように資産に対する保有税が微弱な状況で、所得税の負担を加重するのは、資産を蓄えた引退世代の租税負担よりも生産を担当している若者世代の負担を相対的に加重することになるため、世代間の問題を配慮していないと言えよう。従って、富裕な一部の引退世代の税負担を他の階層と対等にするという意味で、不動産の富裕税を強化し、逆に所得税や法人税の一部を減免するような租税改革の方が生産にも世代にも友好的な政策と言える。このような租税改革は、今後年金制度が破局へと進むことによって、準租税的な性格を帯びた若者世代の年金負担が爆発的に増加することを考えると、世代間の全体的な負担を公平に分け合うという意味においても非常に重要である。

 

4. 終わりに

 

87年体制は、政治的な民主主義を定着させることにかなりの貢献を果した。しかし、果たして87年体制が、社会経済的な面において一貫した論理体系や価値観に基づいて社会構造を設計してきたかどうかについては評価が分かれる。1987年の6月抗争以降、労働組合の設立などが活性化したが、一時的に過ぎず、持続的に弱化してきた。このような現象は、比較的に改革的な価値を受け入れた金大中政権と盧武鉉政権においても同様であった。そのような意味で、87年体制は政治的な民主主義を定着させたという限られた範囲での成果を果したものと見るのが妥当であろう。

しかし、今後もこのような価値体制を引きずっていくわけにはいかない。このままでは成長できず、成長できなければ国家は破局へと向かうしかないからだ。今日よりは明日の方が幸せで、貧困は過去の思い出として語ることができた2000年代までの社会的な常識はもう既に崩れてしまった。若者世代は明日も今日のように憂鬱であろうと諦めてしまい、我々はいつの間にか「貧困」という社会的な病に、まるで古くからの友人に接するように馴染んでしまっている。

人的資本の蓄積に基づく経済成長と世代間の統合を核心とした社会的共同体の構築が新たな17年体制の核心的な価値にならなければならない理由がまさにここにある。我々が単一な社会の姿を維持しながら、持続的な成長を遂げることのできる唯一の道がここにあるからだ。去る10年余りの間、経済政策の最も核心的な関心事であった「経済民主化」はこのような意味で見直されるべきである。これは、単に最小限の生存権という面からの人権的な価値を保護する政策ではなく、人的資本の損傷を防止し、社会的共同体を構築して経済成長と社会的な統合を可能にする積極的な成長政策である。

新たな17年体制の下では、もうこれ以上「成長か、バランスか」という二分法が通用してはいけない。バランスを取ることが、成長を可能にする重要な前提条件であるからだ。この二つの価値は「正」と「反」の関係ではなく、お互いが一つになって「合」を生み出さなければならないのである。今後、文在寅(ムン・ジェイン)大統領の打ち出す経済政策は、より大きな社会的構造を直視しなければならないだろう。今回、文在寅政権が得た千載一遇の機会を新たな跳躍の土台として政策を繰り広げていけることを心から願いたい。

 

 

翻訳:申銀児(シン・ウナ)