[卷頭言] 米に媚び、北に傲慢なイ・ミョンバク外交 (2008 夏)

韓基煜(ハン・キウッ)

 

 

 

先進化と実用主義をスローガンに出発した李明博(イ・ミョンバク)政府は常識と民意に反する政策を立て続けに打ち出し、発足から100日も経たない時点で深刻な国民的抵抗に直面している。不動産投機で儲けた人々で埋め尽くされた内閣と青瓦台(チョンワデ)の人事、幼い学生たちを明け方から晩まで受験地獄へと追い込む学校自立化措置、狂牛病感染の恐れがある月齢30か月以上の牛肉とその危険部位までも輸入しながら事実上検疫主権を放棄した屈辱的な韓米牛肉協商などにより民心は急速に離れつつある。

特に牛肉協商問題はその核心となっている。この協商は韓国外交史上最も屈辱的な事件の一つとして記録されるだろう。協商責任者の否認にも関わらず、4月18日の協商妥結は4月19日の韓米首脳会談のブッシュ大統領への贈り物としての妥結であったという見方が強い。韓米FTA(自由貿易協定)のためであったという言い訳も可能ではあろう。韓米FTAの米議会の批准を促すという名目で米側が牛肉輸入再開を要求したのは事実であるからだ。しかし首脳会談に合わせるためでなかったならば韓米FTAが米議会でまだ案件として上程もされていない状態で世界貿易機構(WTO)の保障する検疫主権までも諦めながら屈辱的な協商を急ぐ必要があっただろうか。協商内容と進行過程を考えれば考えるほど現政府の卑屈な態度は伝統性の欠如した後進国の親米独裁政権の態度と重なる。

このような高価な贈り物のお返しとして李明博大統領は多大な実益を得たわけでもない。キャンプデービット別荘でのブッシュのゴルフカートを運転する「見た目のいい」写真を何枚か撮っただけである。今後の韓米関係を「戦略的同盟関係」として発展させていくという両首脳の合意も成果とは言いがたいだろう。じきに退任するブッシュ大統領を相手にこのような合意が実際の計画として発展していくかどうかも疑わしい。もしブッシュ大統領の7月の訪韓に合わせて李明博政府が「戦略的同盟関係」推進を名目に大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)やミサイル防衛体制(MD)参加など、米側の要求を受け入れるようなことがあれば、韓米牛肉協商に続く外交的敗着の繰り返しとなるに違いない。もしその受け入れの代わりに米国との名実相伴う「戦略的同盟」を達成したとしてもそれもまた問題であろう。北朝鮮は元より中国、ロシアとの必要不可欠な協力関係が台無しになり、韓国は東アジアの「仲間はずれ」になりかねないからだ。

李明博政府のこのような外交的な問題点には大きく二つの要因が作用していると思われる。一つは李明博大統領に韓半島の分断体制と韓半島周辺の地政学的形勢及び外交的役割がしっかりと読める判断力と政治的手腕が備わっていないということである。例えば韓国の指導者が所謂「北朝鮮カード」を失った瞬間、外交的利点をほぼ喪失するということさえ忘れているようである。それゆえに北朝鮮の「通美封南」戦術に韓米同盟強化をもって対応しようとしているのだろう。しかしこのような対応が対北関係にも効果なく、米からも大したもてなしを受けることができないということを我々は金泳三(キム・ヨンサム)政府の時に既に経験している。そしてもう一つの要因は李明博大統領とその補佐陣の硬直した保守イデオロギー偏見である。この偏見のため実情を直視できず、「実用主義的」な外交政策を適切に行えずにいる。例えば、前任の二人の大統領の任期(所謂「失った10年」)中に韓米関係はかなり悪化し、北朝鮮にはただ「与えた」だけであったという観念にとらわれ、金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府の政策を覆すことを外交政策の骨組みとしているようである。

「韓米関係の復元」を訴える一方で南側が「与えた」ものを受け取るだけの北朝鮮の態度を変えてみせようという李明博大統領はブッシュ大統領にとって最も扱いやすい相手となってしまった。言い換えればいい「カモ」である。李明博大統領は米を堅く信じ、言いなりになっているが、米側はそうではないようだ。米国は李明博大統領の忠実な贈り物を受け取りながらも北朝鮮を相手に北核論議を進め、現在ブッシュ大統領の訪北内容を含んだ画期的な妥結策をめぐって最終的な協商を行っているということだ。4月8日のシンガポール暫定合意に引き続き、北米間の北核問題が最終的に妥結したら、それは嬉しい知らせであるが、このような画期的な成果が韓国が徹底的に除外された状態で進められているという事実は非常に残念である。

このような理由で李明博政府の発足後、韓国の外交力は東アジアの地域政治の中で急速に影響力を失いつつある。李明博大統領がブッシュ大統領に今まで以上にすがり付いたとしても事態が好転するとは思えない。むしろブッシュ大統領の政治的変化を学んだらどうだろうか。執権中、終始対北政策において反クリントンの立場を取り続けていたブッシュ大統領が最近クリントンの政策とさほど変わりのない実用主義路線へと方向を変えているが、そこから李明博大統領も何か気づくべきではないだろうか。これまで北朝鮮を圧迫し続けた李明博政府が最近かなり柔軟な態度を見せているのは注目すべきである。けれども未だに北朝鮮に対して傲慢な態度が見受けられる。深刻な食糧難を抱えている北朝鮮に対して要請があれば食糧支援を検討するという立場を固守しているが、まるで「ほしいならお願いしろ」といった感じである。韓国が強力な米国に媚びるように北朝鮮も韓国にそうすべきであるという考え方がベースに敷かれているようだ。このような発想を捨て、韓国が米国には堂々と、北朝鮮には成熟した態度で接するならば問題解決の道は開かれると思われる。

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今回の特集は二つである。「特集1」は最近韓国小説の中であらゆる形で現れているジャンル文学の要素に注目し、その文学的可能性と問題点を多角度から指摘する。柳熙錫(ユ・ヒソク)は国内外のジャンル実験の事例を「作品の作品らしさ」を把握する批判的観点にて鋭く分析し、ジャンル文学の資源を創意的に活用しながらも「ジャンル文学のゲットー化(ghetto)された境界」は克服する必要があると指摘している。朴辰(パク・ジン)は「本格文学」/ジャンル文学の区分法自体を懐疑的に見つめ、ジャンル叙事を大衆叙事と同一視する現象を批判的に省察しながら、ジャンル叙事に接続する主流文学の多種多様な要素を一つ一つ分析している。主に卜鉅一(ボク・コイル)とデュナ(DJUNA)の作品を取り上げている卜道勳(ボク・ドフン)は両SF作家の対照的な方法とイデオロギー的傾向を批判的に分析しながらSFとユートピアの関係など理論的な問題を追及する。ジャンル文学と「本格文学」の境界を深く思惟する鄭英勳(ジョン・ヨンフン)はジャンル文学という鏡を通して韓国文学の小説叙事が直面した「危機」を批判的に読み取る。さらに金杭(キム・ハン)は日本小説の境界変化を「私」という私小説的主語の位置変化に焦点を合わせ考察しながら「キャラクター小説」と「携帯小説」など、最近の日本文学の動向を興味深く紹介している。

「特集2」は詩人の金洙暎(キム・スヨン)の40周忌に合わせ、本誌が誠意を込めて企画した ものである。故人の夫人によって長年保存されていた多くの未発表の遺稿(詩と日記)を金明仁(キム・ミョンイン)が発掘・整理し、各作品ごとにその文学史上の意義を綿密に分析する解題をつけた。今回紹介された原稿が金洙暎文学に対する新たな研究を促す契機となることを期待してみる。事物に対する如何なる装飾的・超越的意味をも拒絶する金洙暎特有の言語に注目する黄鉉産(ファン・ヒョンサン)の評はそのような新たな研究の一環と言えるだろう。

今夏の問題作6本を簡潔に評する「文学フォーカス」もやはり今号の注目すべき文学欄の一つである。特にキム・サクァの長編小説『ミナ』をそれぞれ違った視座で考察している「視線と視線」は注目に値する。文学特集と文学フォーカスに引き続き、今号の文学欄を多彩に飾っているのは創作欄である。新鋭から元老にいたる12名の詩人たちがそれぞれ個性的な感覚で練り上げた詩を紹介しており、さらにキム・シュム、金在瑩(キム・ジェヨン)、李承雨(イ・スンウ)、李章旭(イ・ジャンウク)の小説はお互いに違った文体と傾向を見せながらもいずれも慣習的な小説文法から脱皮しようと奮闘している様子が窺われる。叙情的な言語と詳細な情事により回が進むにつれ一層読者を魅了する申京淑(シン・キョンスク)の長編連載第3回分も読み応えがある。

朴泰鉒(パク・テジュ)と呉建昊(オ・クォンホ)の「対話」では李明博時代に新自由主義的グローバル化及び両極化の流れと相まって一層深刻化する恐れのある非正規職問題を集中的に取り上げている。「非正規職」という用語の定義からその克服方案に至るまで一つ一つ指摘しながら正規職中心の労働運動の限界、労働柔軟化の虚実、非正規職保護法の改定及び補完問題、社会的連帯の方法など、幅広い論点が取り上げられている。両氏は中央労使政委参加の問題など幾つかの争点においては異見を見せているが、保健医療労組の非正規職に対する連帯活動をはじめとする多くの争点において見解を共にしている。

今号の「論壇と現場」には重みのある主題の三つの文が掲載されている。成漢鏞(ソン・ハンヨン)は4・9総選挙以降の政治地形を李明博大統領の早期危機局面の進入、朴槿惠(パク・クンへO)前代表の代案勢力化、統合民主党の方向模索という三つの流れを中心に分析しながら、進歩改革勢力に対する手厳しい評価がなされているが、その裏には多大な努力による刷新を求める意が込められいる。前号の金鍾哲(キム・ジョンチョル)の批判に対する文として白樂晴(ベク・ナッチョン)は共有する支点と分かれる支点を識別し、問題の争点を綿密に考察した後、「産業化vs農業化」又は「<資本主義的過剰消費vs共生共楽の貧しさ>という枠にとらわれない新たなものが発生する可能性」をもう少し模索してみようと提示する。李必烈(イ・ピルリョル)は「気候変化」がもたらす全世界的生態的な災いに対応する方法と多様な危機言説を紹介し、経済的・社会的能力と地理上の位置によって気候変化の影響が異なるという「気候不平等」の状況を鋭く指摘している。これらの文と共に最近出版された重要な人文社会書に対する趙孝濟(ジョ・ヒョジェ)をはじめとする8名の個性的な筆者たちの寸評を共に読むことをお勧めしたい。寸評の筆者と「読者の声」欄に投稿してくださった方々にも心より感謝の意を伝えたい。

訳 : 申銀兒
季刊 創作と批評 2008年 夏号(通卷140号)
2008年6月1日 発行
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