日記

 

創作と批評 188号(2020年 夏)目次

 

黄貞殷(ファン・ジョンウン)

1976年ソウル生まれ。2005年に京郷新聞の新春文芸で文壇デビュー。小説集『七時三十二分 像列車』『パ氏の入門』『誰でもない』、長編小説『百の影』『野蛮なアリスさん』『続けてみます』、連続小説『ディディの傘』などがある。aamudo@empas.com

 

 

どうかお元気で。

長い間、この言葉を結びの挨拶として書いてきた。不完全で曖昧で無邪気で、それでいて不公平で、時には侮辱的にも感じられる挨拶の言葉と知りながらも、いつも心を込めて書き込んだ。いつまでも元気でありますように。いつも健康を祈っています。どうかお元気で。お互い元気な姿でお会いしましょう。いつかまたどこかで。

昨年の11月に坡州(パジュ)に引っ越してきた。家から京義・中央線を隔てて湖水公園が見える。公園までの直線距離は150メートルほどだが、線路で遮られているので、1キロほど歩くと湖水公園の一部のソリ川にたどり着くことができる。そこから湖の周りを3キロほど歩くか、走るかしてから、もう一度1キロほどを歩いて家に戻ると、一日に約5キロの散歩をすることになる。早いければ46分、普通は52分ほど、考え事が多い時は1時間1分ほどの散歩になる。その程度体を動かしてから、筋肉トレーニングをするとちょうどいい。デッドリフト90回、スクワット60回、プランク3分(を目標にしているが、普通は2分30秒で断念)を1セットやってから、腕立て伏せも少し付け加える。激しい運動ではないが、だからといって簡単な運動でもない。仕方なくこのような運動をしている。私は小説を書く作家であり、一日の作業の質は原稿の前で踏ん張る時間の量に正比例するからだ。私の忍耐力に最も大きな影響を与えるのが背骨と椎間板ヘルニアである。2010年と2011年に座ることも横になることもできないほど椎間板ヘルニアが悪化し、運動を始めた。歩くのが最も効果があり、今は4つの種類の筋肉のお陰で生活をしている。腹直筋、腹横筋、起立筋、臀筋。声に出して発音すると気持ちがよくなるので、もう一度書いてみたいと思う。腹直筋、腹横筋、起立筋、臀筋。これらの筋肉に支えてもらっても一日の作業を終えると背中は硬直し、体は冷たくなり、手足の感覚も鈍くなる。机から離れるや否や散歩に出かける。意識的に深呼吸をし、遠くを眺め、そして体を温めて汗を流して血行をよくする運動は、私にとってやはり散歩が一番だ。

ソウルに住んでいる時は、いつ、どこを歩いても汚れた空気を吸い込んでしまうので、散歩の代わりに室内で運動をしたものだ。しかし、今は「公園」という住居環境が加わったので、西海側からと言えばいいのか、漢江側からと言えばいいのか分からないが、とにかく西側(出版団地側というのを私は意味深に捉えている)から吹く風がかなり冷たくて、出かける度にためらうこともあるが、それでも11月と12月はほぼ毎日散歩かジョギングに出かけた。1月もかなり頑張った。引っ越してすぐ足を痛め、運動するには多少不都合な状態であった。よく足を痛める方ではあったが、今回は足の形が変形するほどの怪我だった。歩いたり、走ったりすると痛みを感じたが、運動をしないと、他の痛みで読み書きができないので、まめに公園に行って運動をした。原稿を書く職業の人には分かると思う。腰の痛みよりは足の痛みの方がましだ。

 

大邱(テグ)で爆発的に感染者が増加していた頃、家の前の駐車場で人が倒れた。夕方頃、本を読んでいたのだが、遠くから近づいてくるサイレンの音を聞いた。近づいてきたかと思えば、すぐに遠のいて行った。救急車が通り過ぎて行ったと思ったのだが、下の階のアパートの住民が全世帯に一枚の写真とメッセージを送ってきた。防護服を着た救急隊員の後ろ姿と搬送される人の足が写った写真であった。靴下を履いて、両足を広げていた。その写真を撮った住民は、救急車が到着した時、ちょうど駐車場に居合わせたか、サイレンの音を聞いてわざわざ外に出たか、どちらかであろう。その住民は自分の見た場面を急いで写真に撮って、アパートの連絡網でメッセージと一緒に送ってきたのだ。「この写真を送ったのは、隣の棟の前で新型コロナの感染者と思われる方が突然倒れて、脈もなく、意識も不明で救急車で搬送されました。皆さんも格別に注意してください。救急隊員は搬送された方について個人情報なので何も言えないと言いましたが、防護服を着ているのを見ると、間違いないかと思います。当分の間は窓を閉めて気をつけましょう」

このメッセージを受け取ってからというもの、あの足ことが頭から離れない。搬送者の靴はちゃんと救急車に乗せられたのか、それとも駐車場に残されたままなのか、誰かが拾っておいたのか、などと靴の行方を考えたり、アパートの連絡網からそっと抜ける方法はないのかと考えたりもしたが、不思議なことに、例の足のことが頭から離れないのだ。他人の足なのに。恐らく分からないからであろう。私が一番分からないのはあの足このとだから。

3月は公園に行っていない。代わりにと言っては何だが、公園の見える窓際に机を置いて、その前に座って本を読んだり、日記をつけたりした。光化門(クァンファムン)にも鍾路(チョンノ)にも行っていない。幼い甥や姪のいる妹の家にもできるだけ行かなかった。坡州、鍾路、江西区で感染者が確認されると、その移動経路を確かめたりした。月曜日○○キンパ(自家用車)、火曜日○○キンパ(徒歩)、水曜日○○キンパ(徒歩)、金曜日○○キンパ(自家用車)。プライバシーの露出を全く念頭に置かずに行動したある人の生活パターンや食生活を確かめながら、それを見ている自分の行動が恥ずかしくもあり、申し訳ない気もした。○○キンパという店は人気店なのだろうか、などとぼんやり考えたりもした。恐らく○○キンパの店主も自宅待機中で、もし感染者となったら、彼も自分の日常を公開しなければならないだろう。感染者の移動経路として公開されるリストを見ていると、その作成過程が想像された。クレジットカードの利用内容や自動車のナビゲーション記録などが役に立つであろうが、まずは、感染者の記憶から記録は始まるだろう。数日間の移動経路と生活を思い浮かべようと必死になっている人の気持ちを想像してみた。感染者は・・・感染者の移動/日常に浴びせられるかもしれない非難を心配しながらも、自分と同じ空間にいたためにウイルスに感染したかもしれない誰かの心配もしたであろう。集団的トラウマが人々に残したものの中にはそういうものもあると私は信じている。自分が感染者になったら、と考えたこともあった。私も他の人たちと同じように、実はそんなことをずっと考えていたのだ。

日が暮れると、京義・中央線の時間表を確かめてから、同居人を迎えに行く。往復2キロ、一日に25分の散歩、それ以外は殆ど外出しなかった。運動不足はトレーニングアプリのお勧めプランによって補った。腹直筋、腹横筋、起立筋、臀筋を鍛えるためのデッドリフト、スクワット、プランクも怠らなかった。プランク2分に耐えながら、最近の自分の移動経路が線ではなく、点であることに気づいた。私は居場所があり、外に出なくても仕事ができるので、住所地の上の点で済まされる。

 

 

私の同居人の日常は点ではない.

毎朝、私の同居人は、京義・中央線に乗ってソウル駅まで行ってから、鍾路にある職場に出勤し、込み合う退社時間に電車に乗って坡州に戻って来る。光化門広場で太極旗デモが開かれる週末にも鍾路に出勤し、全国各地から来た人たちが出入りする職場で働き、最も込み合う時間帯に電車で家に帰って来る。同居人と私は移動範囲の広さも、出会う人の数も違うが、同じ家で多くの物を共有しているので、伝染病に感染する確立は同じであると思っている。常に自分達も感染しているかもしれないという思いで、幼い甥や姪に移さないように、できるだけお互いの甥や姪には会わないようにしてきた。ところが、今、5歳と9歳の子供たちを一人でケアすることに疲れ切った妹が、初心者にもかかわらず車を運転して子供たちと家にやってきて、私の家にいる。10日目だ。そして+あと一週間。

先に子供たちが家に入って来た。その後ろから大きな旅行用キャリアを両手で引いて入って来た妹の顔には疲れがにじみ出ていた。妹はピンクのシンガーミシンと、オックスフォード、リネン生地を持って来て、家に着いた日からずっとミシンでマスクを作っている。彼女は元々、週五日出勤で一日7時間働いていたが、子供たちの始業式が延期になり、仕事を辞めた。これから、4人家族の生活費は妹の夫が一人で担うことになる。妹の夫は建築資材を生産する工場に勤めているのだが、その工場にも最近はオーダーが入ってこないので、従業員の解雇を考えているという噂が流れているようだ。私の同居人の妹は体育施設の休業支援給付金の対象とならないほどの小規模(このような危機状況に非常に弱い構造)の体育館を一人で運営しているのだが、もう二ヶ月以上休業中である。先週、彼女は週に二回体育の授業を担当していた先生に電話をかけて、これ以上雇用を維持することはできそうにないと伝えた。その先生に今月も来月も収入はない。妹と同居人と私は、新型コロナという伝染病の影響が全ての人に同じように及ぶわけではないと思っている。「ウイルスには国境がない」(「G20‘コロナ19’共同宣言文採択…ウイルスに国境はない」、韓経ドットコム、2020.3.26)が、「郵便番号が健康状態を決定」(米国ノース·カロライナ州の保険長官の言葉、「[特派員リポート] ‘ジャズのゴッドファーザー’の命を奪ったコロナ19も‘人種差別?’」、KBS、2020.4.9)する。私達には、この言葉の意味が痛いほど分かる。

韓国は他の国々と比べると移動が自由な方であるが、多くの人は自宅に閉じこもっており、その空間は物理的であれ心情的であれ、決して気持ちがいいわけでも楽なわけでも安全なわけでもない空間に感じられるだろう。家族皆が家に長期間一緒にいることで、家庭内暴力が増加し、それは世界的な現象であるというニュースを聞いたことがある。妹はマスクのフィルター用のメルトブローン不織布をハサミで切りながら、私と同居人にぞっとするような話を聞かせてくれた。「下の階の男のことなんだけど……」外国出張が多かった下の階の男が最近は殆ど家にいたらしい。先週の週末、その男が一緒に暮らしている女性に大声で怒鳴りはじめ、物が割れる音がしたかと思えば、しばらくして「お前が…お前が…お前が…お前が…」という男の声だけが聞こえてきたそうだ。その男が何かを刺していると瞬間感じた妹が悲鳴をあげながら警察に通報し、わずか8分で警察がきたそうだが、その間、子供達は怖くて声も出せずにただオロオロと家の中を歩き回っていたという。ここに閉じ込められた人々は、ここで起きていない暴力をここで一緒に体験することもある……ウイルスの拡散により、我々がここ、地球に閉じ込められた存在であるということを一層明確に目撃することもある。同居人と私は、道端で、ショッピングモールで、そして電車の中で東洋人だという理由で攻撃を受けた人の話を聞いたり、ニュースで見たりする。シドニー、メルボルン、ベルリン、ニューヨーク、ベルギー…。同居人と私が行ったことのある地域もある。私達は、そこで出会った人々の顔を思い浮かべてみた。人々の心の奥に隠されていたもの、それが表面化したら一体どうなるだろうか。

嫌悪はどこにでも存在する。私の中にもある。正直、私はしょっちゅう近所の人たちに、そして物を食べる口に嫌悪感を抱いている。しかし、それを他人にぶつける権利など私にはない。そんな権利など誰にもない。ところが、人々は所構わずその感情をむき出しにする。それはどこにでも存在する。同居人と私は、私たちが出会った人々の顔を覚えている。サン=シュルピス教会で、レ・ドゥ・マゴカフェで、アールズ・コート駅前の雑貨店で、ミュンヘンからザルツブルクへと向かう列車の中で、ウィーン市立公園で、そして、ある都市のブラッスリーやビストロで私たちが出会った人々、歌や表情や言葉や仕草で嫌悪感を示し、そうする権利があると思い込んでいる人々。

私の同居人は、毎日、職場で多くの人に会う。その中には「未来統合党(又はセヌリ党)」を未だに「共和党」と呼んでいる60、70代の男性も少なくない。同居人の雇用主であり、見事な経歴を持った技術者である彼らは、老人を嫌い、障害者を嫌い、女性を嫌い、アジア人を嫌っている。「朝から女なんかが…縁起の悪い…」「あいつらは臭いし、うるさいし…」「なんで、武漢肺炎をわざわざコロナって呼ぶんだ?おかしいだろ?」

クラウディオ・マグリス(Claudio Magris)は、『ドナウ』(Danubio、韓国語版、イ・スンス訳、文学トンネ、2015)の中で、嫌悪感を露にする残酷性というのは、ある特定の残酷な人に存在するわけではなく、「我々全ての人の中に」存在すると述べている。従って、「外的な、もしくは内的な法によって適切に遮断しないと、本人も知らぬ間に、その瞬間瞬間、弱者を探し出して暴力性を発揮」(310頁)するとマグリスは言う。マグリスは、それをより詳しく説明するため、サンドリンという学生とトラニという先生を自らの記憶から呼び起こした。同級生が不愉快だと嫌悪感を露にするサンドリンにトラニ先生は「お前を責めても仕方ない。それが人生なのだから」と言って頷きながら、全く同じ方法でサンドリンに嫌悪感をぶつけた一話を紹介しながら、『ドナウ』の話者はこう語っている。「その時から、私は力、知性、愚かさ、美しさ、卑劣さ、弱さというものが、早かれ遅かれ我々皆に起こり得ることであり、一部であるということを知った。人生の宿命や自分の性格のせいにしながら、これを悪用する人々は、一時間後、もしくは一年後に、えも言われぬ同じ理由で攻撃を受けるだろう」(311頁)

この頃、ほぼ毎日、日記をつけている。日記をつけながら溜まったストレスを解消しているのだ。小説を書きながら緊張した脳をリラックスさせるという気持ちで、適当にあれこれと書いている。ところが、たまに、突然勇気がなくなり、そんな日は小説も日記も手に付かない。そんな時は音楽を聞く。誰かが熱心に心を込めて作ったもので私自身の人生が救われる。音楽一曲を何回も繰り返し聞くだけで、本当に人生が救われるのかと問う人もいるだろうが、そんなこともあり得るのだ。『アンビリーバブル たった1つの真実』(Unbelievable、ネットフリックスオリジナル、2019)の二人の刑事グレースとカレンは、自分たちの仕事を充実にこなすことで、結果的には一度も会ったことのないマリの人生を救うことになる。誰かの努力の人生が、遠く離れた誰かの人生を救う。そんなことは度々起こり得ることで、フィクションドラマでだけ起こるわけではないのだ。

医療従事者や疾病管理本部の公務員たち、防疫製品を製造している工場の従業員たち、慎重な行動を取った感染者たち、伝染病を防止するために自宅に閉じこもっている人たち、「n番部屋事件」を世の中に知らせた「追跡団花火」の記者たちと最初の証言者、「プロジェクトリセット(ReSET)」の活動家たち。他人の人生は自分自身の人生と如何に繋がっているのだろうか。何ヶ月もの間、私はそれについて考え続けた。米国の貧困とインドの貧困、シンガポールの外国労働者に対する排除とヨーロッパとオーストラリアでのアジア人への嫌悪感、米国の破廉恥な政治と日本の政治的無能は、国境を越えて自分の日常とも繋がっているのだ。

2月、坡州に雪が降った。積もるほど降ったので、同居人が帽子をかぶってベランダに出て雪だるまを作り始めた。先にバレーボールほどの大きさの雪玉を作ってから、それよりも小さな雪玉を作って、その上に載せた。スカーフの代わりにハンカチを首に巻いて、目を作れるような材料を探し回ったあげく、結局ブルーベリーで目を完成させた。寒さが和らぎ、雪が溶け始めると、雪だるまの目はベランダの床に転がり落ちた。しかし、なぜか拾えなくて、そのままにしておいたのだが、しばらくして跡形もなく消えてしまった。カササギが食べてしまったのだろうと私は思っている。午後2時15分から45分の間に、よく家のベランダにやってくるカササギがいるのだ。毎日、まるで自分の縄張りを見回るかのように、ベランダの手すりにしばらく止まってから飛び去って行くカササギを、他のカササギの中から見つけ出すことができると、私は勝手に思い込みながら、そのカササギがベランダで休みながら周りを見渡す様子をこっそり見守っている。カササギは手すりから飛び立つ時、下に向かって真っ直ぐ体を落とす。さっと軽やかに。何の未練も恐れもないなあと、毎回一人で勝手に思っている。人間はそうはいかない。羽がないからではない。体が何かで他の人の体と繋がっているからだ。

 

 

そして4月になりました。

4月15日は、21代国会議員選挙のある日であった。早くに投票を終えて、家に帰り、開票状況をテレビ中継で見ながら、夜中の4時頃寝ようと横になった。今日が今日であるがために心が痛み悲しむ人々のことを思った(4月16日はセウォル号沈没事故のあった日)。夜明けまで選挙の結果を見守ってから寝床についても、今日が今日であるという理由で胸が痛んで寝付けない人もいただろう。

そうですよね?

 

人々は、未来が現在とは違うだろうと言う。私は未来がよく分からない。一年前、六ヶ月前には想像もつかなかった今を生きているという事実を考えると、一層そう思う。ここ十年間、常にそうであったことを考えると、なお更私には未来がよく分からない。分からないから考えてしまう。小説を書いている時もつい考えてしまい、想像もするが、今、この日記を通して言えることは、過去はこうであって、今はこうである、ということぐらいだ。

冒頭に書いたように、家の机の前に座ると、そこから京義・中央線が見える。未来について、人について考えることに疲れを感じ、全てを放り出してしまいたくなる午前5時20分、砥平(ジピョン)行きの始発が通り過ぎる。5時28分にはソウル行きの二番目の電車が通り過ぎる。その電車に乗って明け方からどこかに出かける人々を運ぶために、電車の運転士や駅員、そして私の知らない誰かが、もっと早い時間から仕事を始めたであろう。まだ月が出ている明け方の京義・中央線に沿ってやってくる電車のことを考えると、なぜか宇宙のことを考えているような気持ちになる。しかし、それは宇宙というよりは、人間のことなのだ。人間の努力だ。窓の向こう側に頑張っている人々がいる。彼らが今通り過ぎて行く。5時20分の電車が時間に合わせて線路を走って駅にたどり着けるように、いつも自分の位置で自分の仕事をこなしてきた人々。

今日は4月25日、まだ日は昇っておらず、外はまだ暗い。机の前に座って、二番目の電車が通り過ぎるを待つ。

薄暗い明け方

次の駅に向かって走る電車の小さく明るい窓に願う。

 

 

どうかお元気で

くれぐれも

 

翻訳:申銀児(シン・ウナ)