希望は下から満たされるもの

2015年 春号(通卷167号) 

 

 

黄静雅 

5大都市に住む20〜34歳若者層の42%が、望む未来として「崩壊—新たなスタート」を選んだというアンケート調査があった。「継続成長」「保存社会」「変形社会」のような範疇より多かったのである。ここで「崩壊」という言葉が正確にどういう意味なのかはさておき、それが未来のみならず、現在に対する実感とつながっていることだけは確かである。この調査を通して、若者層が経験する挫折感とそれによって生じる極端な傾向等に注目することは事新しいことである。彼らの多数が日々経験する生活の辛さや絶望感はいうまでもなく、彼らが他でもない「若者」であるゆえに、そのような生活の束縛に対していっそう敏感に辛さを感じざるを得ないのである。ところが、このような調査結果が伝えることは、何より韓国社会の全体像に対する辛辣な批判であり、そこには「その場しのぎ」式変化、より正確に言えば、すでに持っているものはそのまま保存したまま、その場しのぎで変化を図ろうとする人々に対する批判も含まれている。崩壊に近い根本的な変化、そのようなことでないと、我が社会に希望がないというメッセージなのである。

「崩壊」といえば、今年に入って最も著しくその兆しを見せたのが、一時コンクリートと呼ばれた朴槿恵大統領の支持率である。そしてこのコンクリートが亀裂を見せ始めた時とちょうど同じ時点に、予想通りにかつてから見てきた過程が繰り返されている。執権党にいわゆる「非朴」代表―院内代表体制が雄大に成立し、青瓦台に向けて「違う声」を上げたいといいながら、多少厳重に宣言する。これは、まさにすぐ崩れ落ちるあのコンクリートを積み上げた当事者の朴大統領が駆使した変化「コスプレ」ではないか。「何も変えないために、すべてを変えるふりをする」このやり方は、支持率の下落が与える衝撃を自己勢力内部の亀裂で吸収した後、選挙を控えて再び大同団結することによって、崩壊を避けていくやり方である。「増税のない福祉」に対する内部批判がこっそり福祉縮小論議へ変わっていくことをみると、これまであまりにも良い時期を過ごした既得権勢力にとってはコスプレも簡単ではないということがわかる。もちろんそれより厳重な事実はいまや若者層のみならず、より多くの人々が変化コスプレとその場しのぎ式変化とがそれほど違うものではないと思っているという点である。実際、支持率がコンクリートか否かは大統領本人にとっては気になる事案かもしれないが、私たちにとって至急なのは、大統領があまり気にしない私たちの生活に深く浸透している亀裂を解決することである。

上述のアンケート調査において、崩壊と一緒に設定された新たなスタートとは「さらなる」新たなスタートを意味するだろうが、現実では崩壊が必ずしも「さらに悪い」スタートにならないという保障はない。最初から一社会の崩壊自体が決してその社会のすべての人々にとって同じ程度の崩壊であるはずがない。すべてに公平に及ぼすだろうと信じがちな自然災害や気候変化の被害さえ、地域や階層、性別から始まる社会的差異によってその程度が異なることを考えれば、「一緒に滅びる」ということこそ、いつも不可能な選択なのである。

それ故、変化のためには「一緒に頑張る」しかない。ところが、この際、「一緒に」の方向が重要である。漸次多くの人々が、成長という名の下で競争や勝者独占を煽る荒廃な生活の方式がもはや非人間的であるだけではなく、非効率的時代錯誤であるという診断に共感している。そのような方式が掲げる「パイの拡大」や「落水効果」のような修辞も、それを言う側さえ真正性を盛り込みがたいお世辞であり、聞く側にとっては冷笑の対象にすぎない。それにもかかわらず、「このように生きたくない」という機運がなかなか凝集しない理由は、いまこの社会に実際に存在する崩壊寸前の危うい生活が個々人の不安を増幅させ、目下の「各自図生(各自が生きる方法を探る)」を煽るからである。福祉イッシュが大きな反響を呼んだのも、そのような不安をなくしてからこそ「一緒に頑張る」変化がもたらされると感じるからであろう。

パイを持つ人々がこぼすフレーク自体がなくなったという事実は、少数の上層部既得権のみに適用される話ではない。例えば、正規職過保護のために、非正規職の縮小や処遇改善が難しいという政権の論理に立ち向かうと言いながら、正規職の安定が非正規職にも役立つと主張することがいま果たして説得力を持てるだろうか。問題の解決は正確にその反対方向でなければならない。非正規職になっても暮らしやすい時こそ、正規職の生活が安定になることができ、失業者になったとしても耐えられる程度であれば、非正規職の生活も改善できるのである。誰でも正規職になれるという話と誰でも失業者になれるという話の中で、どちらがより現実的な話なのかを考えてみればわかることである。福祉にも「落水効果」はなく、私たちの生活が互いにつながっているということは、このような意味で解釈されなければならない。まさに今誰一人の生活も危うくないので、私もどんなことがあっても耐えられると確信できること、それこそが不安を解消する究極の方法であり、生活の連帯が始まる出発点なのである。

「あなたの意志の準則が、いつも、同時に普遍的立法の原則になれるように行動しなさい」というカントの主張はいまも古くない。根本的な変化とは、いつも誰にでも適用される普遍的変化でなければならず、いつも誰にでも適用される変化とは、最下部で行われる変化をいう。そのように、希望とは、上を見上げながら待つものではなく、下から満たされるものなのである。

 

今号の「特輯」では、私たちの生活の危機に直接関わっており、今後の変化を考える際も欠かせない審級の資本主義の運命を検討してみる。「‘資本主義以後’を想像する」という特輯題目は、資本主義の地平に閉じこもらず、「以後」に向けて想像することによって、この作業がより厳密になれるという前提を含んでいる。李南周は世界の資本主義体制の行方において最も大きな変数として語られる中国の変化をいかに解釈するかというホットなテーマと正面勝負しながら、「近代適応と克服の二重課題」の遂行という枠組みで中国の歴史を読み解く。中国の政治社会勢力の再配置をいろいろな経路で予想しながら、世界体制の変動可能性を打診するこの論文は、私たちの中国論議に示唆するところが多い。白承旭は、最近台頭する「資本主義の危機」言説の主要争点を批判的に論評しながら、危機と移行を適切に思惟するためには、「資本主義の危機」を「資本主義が招いた危機」と区分し、また資本主義とその歴史・制度的条件を区分することが必要だと主張する。

「特輯」の最後の論文は、『資本主義は未来があるか(Does capitalism have a future?)』の共著者であるイマニュエル・ウォーラーステイン (Immanuel Wallerstein)との対談である。対談者の李康国の緻密な質問によって、現在の状況を体制内の変化や革新で解決できない構造的危機として一貫して定義するウォーラーステインの立場がいっそう明確となり、資本主義以後に関する想像において新しい形態の補償を言う部分も興味深い。

「対話」では、白英瓊、呉建昊、張碩峻、趙誠株が、わが社会の重要な争点の一つである福祉問題を社会的連帯の観点から検討し、不均等発展を解消する方式で福祉を拡大させる具体的方案に関して話し合う。二極化、劣悪な労働環境、男女差別のような社会的問題を積極的に受け入れてこそ、丈夫な土台が構築できることを多角度から検討するこの「対話」を通して、福祉とは物量的支援だけではなく、新しい社会的関係や生活の価値をつくっていく問題であることを切実に感じることができる。

今号の「文学評論」は、「文学と政治」をめぐる論議が依然として生きているイッシュであることを見せてくれる。韓基煜は、「セウォル号以後」の感覚で、黄貞殷の主要小説を詳しく読み進めながら、その独創性を、時代的生活の問題について「まじめに」考え、問い、語る「現在性」の芸術において探し求める。李京真は、「文学と政治」論議を事実上触発した陳恩英の評論集に提示されたアトポス論と詩的実験をアバンギャルド運動という枠で検討し、批評の役割を改めて問い直す。梁景彦の論文は、セウォル号が投げかけた難題を扱う文学的実践の一事例として、事件の苦痛を生活のリズムへと体化する「304朗読会」の経験を伝える。

今年の「文学フォーカス」は、鄭弘樹評論家と慎鏞穆詩人が担当する。その初回のゲストである若手評論家の姜知希とともに、今季の話題作6冊について興味深い座談を行った。「作家スポットライト」の主人公は、9年ぶりの新作詩集で話題を呼び起こしている金思寅詩人である。小説家の朴玟奎が個性的文体でフィクションとエッセイが結合した独特の印象記を贈ってくれた。

多様なテーマを扱った「論壇と現場」の論文は、今日の主要問題を振り返ってみる契機を提供する。李日栄は、1990年代以後形成された東アジア資本主義の進路と特徴を詳細に論じ、位階・集中形態の東アジアネットワークを革新して新しい機会を提供する「韓半島経済」のビジョンを提示する。金玟煥は、人文学の危機を突破しようとする実践を扱った4冊の本を読みながら、制度圏内外で行われた「社会人文学実践」の意味を検討する。官僚改革を扱った鄭大永の論文は、強力な利益集団になっている韓国官僚集団の問題点とその原因を解剖し、行政高等考試の廃止をはじめとする具体的改革方案を提示する。香港の「傘の革命」に深く関与した許寶強の論文は、政権奪取と域外政治を云々する国家主義的視点に対抗し、香港民衆の要求に盛り込まれている代案的価値を強調し、良志と常識の革命としての運動について語る。

姜聖恩、金経株、金恵順、都鍾煥等の11名の詩人と、小説家の金美月、金サグァ、李承雨、鄭智敦が今号の「創作」欄を豊富に飾った。韓国文学の活力が新年の乙未年にも続いていることを実感し、嬉しく思う。「寸評」欄には、各分野の新刊を選別し、鋭い鑑識眼をもって紹介するので、読書目録に是非入れていただき、また「文化評」と「教育時評」も一読をお勧めしたい。今年で13回を迎える大山大学文学賞の受賞作も多くの若い文士の出現を予告する。

翌年に控えた創刊50周年記念長編小説賞を予め公募する。予備作家と既成作家の両方に門戸を広げ、韓国文学の躍動に寄与したい本公募に大きな関心をお願いしたい。例年と同じく、社会人文学評論賞も募集する。

今号から編集委員会に小さな変化があることをお知らせしたい。長年編集委員として活動して来られたチン・ジョンソクが個人的な理由で退き、若手評論家のカン・ギョンソクが新たに合流する。これまでの労苦に感謝するとともに、今後のご活躍を期待したい。

創刊50周年という嬉しくてワクワクする一方、重い責任感も感じるようになる記念の年を1年後に控えて、今年本誌の編集グループは自己更新に集中したい。半世紀の間、創批を育ててきた数多くの読者や筆者及び各界各層の声援にお応えするためには、よりいっそう成熟した雑誌として生まれ変わり、国内外から求められる転換期の課題に対して熾烈に取り組まなければならない。私たちがその課題をきちんと遂行できるように、読者の皆様からのご声援をお願い申し上げたい。

 

翻訳:李正連(イ・ジョンヨン)