近代の二重課題、そして文学の「道」と「徳」

2015年 冬号(通卷170号)

 

 

〔特集〕韓国の文学、どこへ

 

 

白楽晴(ペク・ナクチョン)文芸評論家。ソウル大名誉教授。近著に『白楽晴が大転換の道を訊く』『2013年体制作り』『文学とはなにか、再び問うこと』『どこが中道であり、どうして変革なのか』『白楽晴会話録』(全5巻)など。

 

 

1、写実主義とモダニティ

 

理念、または文芸思潮としての写実主義は、訴える力を失って久しい。しかし、写実主義が強調した写実性、ないし迫真性(verisimilitude)は、最近の文学でも依然として侮れない比重を占める。立派な作品であるために、写実主義的な規律にかならず従うべきわけではないが、それなりの妥当な理由なく無視することも困難である。これは決して偶然ではない。韓国文学において、非写実主義的ジャンルの発達が遅滞した理由だけではない。後にさらに詳しく論じるが、写実主義はいい意味でも悪い意味でも、「モダニティ」の無視できない一部なのである。

これに関して、私は拙稿「文学とはなにか、再び問うこと」の「再び考える写実主義」の部分で簡略に調べたことがあるが[1]、それに対して説明を加えることで本稿を始めたいと思う。これは「文学が何か、再び問う」作業の連続でもある。

「写実主義的」と呼ばれる作品が、ただちに反写実主義な理論家の批判する、通念的な写実主義、すなわち「透明な言語を通じた客観的現実の再現」にとどまるわけでは決してない[2]。韓国の小説の優秀な最近の成果においても、頑迷な写実主義とは無関係ながらも、選択された素材の範囲で、忠実な現実の再現が確認される場合が多い。たとえば、キム・エラン(金愛爛)は、小説集『飛行雲』(2012)を含む彼女の短篇の大部分が、写実主義的な面を忠実に維持しており、長篇『ドキドキ、僕の人生』(2011)もまた、発想が特異で物語技法が多彩なだけで、写実主義的な規律を顕著に逸脱している部分は見出しにくい。ハン・ガン(韓江)の長篇『少年がやってくる』(2015)も、第2章の亡者の1人称の陳述は、写実主義小説に充分に含まれるほどの物語技法であるといえる。

パク・ミンギュ(朴珉奎)とファン・ジョンウン(黄貞恩)は、前者の小説集『カステラ』(2005)と『ダブル』(2010)、後者の『七時三十二分、象の列車』(2008)や『パシの入門』(2012)が示すように、写実主義と反写実主義技法をその時々で自由に駆使する作家である。しかし、彼らの最近の業績として注目できる長篇小説『死んだ王女のためのパバンヌ』(2009)や『つづけてみます』(2014)までくると、写実主義的な要素が支配的になる。

写実主義の伝統を最も忠実に継承しながら、いい小説をずっと書き続けた作家ならば、チョン・ソンテ(全成太)をあげるべきだろう。自身も写実主義的規律に忠実な作品を多数書いた同僚作家のクォン・ヨソン(権汝宣)は、チョン・ソンテの最新小説集『二度の自画像』(2015)をめぐって、「読んでみて、私たちにチョン・ソンテがいなかったら、どうなるところだったか」と絶賛を惜しまない。つづけて、「正統リアリズム作家としての側面を示す作品もよかったし、そこから丁寧にうまく抜け出し、他の世界をのぞき込む作品もよかった」というが[3]、このときの「正統リアリズム」は、かなり狭く解釈した写実主義を意味する表現であろう。たとえば短篇「物語をお返しします」は、「これまで私は、人生や世界などを分析する立場で小説を書いてきて」、「目で見て、心で体験した、明白な世界だけを描こうと努力してきた」という話者が[4]、痴呆にかかった母親と疎通する唯一の手段として、幼い時、母親が聞かせた、不思議でときに雲をつかむような話をしながら、幼い彼が体験したおかしな体験を再確認するという内容である。だが、そのいずれも「目で見て、心で体験した、明白な世界」を完全に抜け出ることなく、「丁寧にうまく、他の世界をのぞき込む」程度である。母親が話を終わらせて言った、「不思議でないかい? でも、1つも不思議な話はないよ。私の話は、みな本当なんだから」(322頁)という言葉が、話者の叙述に関する限り、文字通り事実である[5]

だが、写実主義的な作品が「物語をお返しします」のように、ファンタジーの世界に属しそうな話を包摂しながら、過去と現在を行き来する、多様な技法を活用する場合でない時は、やはり古く退屈だという感じを与える危険がともなう。『二度の自画像』を読んだ私の個人的所感では、退屈だと思いやすいが完全に退屈にならないのが、チョン・ソンテ小説の妙味である。その点で短篇「遠足」は恰好の事例である。

短篇「遠足」は、平凡なある家族が、主人公セホの義母を車で連れていくという、平凡といえば平凡な外出の経験を聞かせる。特に劇的な出来事も起きず、ありふれた日常に特別な意味を付与しようとする話者の介入もない。だが、公園の駐車場に空きがなくて戻ってきてから、何かがうまくいかなくなっている。子供たちが探すという四つ葉のクローバーはついに発見されず、宝探しがおもしろくて、もう一度やってみて、金を隠したところを思い出せない義母の痴呆の兆候を確認する結果となってしまう。小説はセホが「大丈夫ですよ、お母さん。何の問題もありません」(36頁)と慰める言葉で終わるが、当初、二日酔い状態で意欲もなくついてきて、家族が見えないとすぐに、ミニウイスキーの瓶を一気に飲みほすセホ自身も、夫婦仲がかなり悪いわけではないが、ぎりぎりの感じを与えつづける妻ジヒョンとの関係も「何の問題もない」とはみなし難しい。このように終始淡々として、ややもすると退屈にもなる風俗画のような小説に、何か不安でうらさびしい雰囲気が立ちこめているのが、この作品の独特の魅力である。

だが、風俗小説によく投げられる「だからどうしたと言うのか」という問いが出てくる可能性は残っている。チェーホフ(A. Chekhov)を連想させる水準で、よく書けた短篇だが、「遠足」が風俗小説の限界をはたしてどれほど克服しているか。この問いに一言で答えることは難しい。他の見方をすれば、チェーホフを持ち出すことは過剰な称賛でもあるが、平凡な日常を淡々と描き出しながらも、時代の真実と人生の繊細な兆候を捉えた、チェーホフの成就とはまったく無関係であると断言することも難しいだろう。ただ、チェーホフの時代と異なる今日では、写実主義的な再現が技法自体として斬新さを誇りにくくなっているから、「だからどうしたと言うのか」という問いに常にさらされるだろう(もちろん写実主義でない、いかなる作品でも、この問いがひとまず提起されれば堪え難くなる。最初から問いが出ないように、読者をひきつけ圧倒する作品の威力が、それだけ重要なのだ)。

短篇「墓参」や「望郷の家」のように、南北朝鮮の分断の現実を直接扱いながら、それがどれほど正面から取り組みには困難であるが、無視できない現実なのかを実感させる作品の場合はやや異なる[6]。このような主題を、何か「先端技法」で取り組んでほしいという要求が、むしろ読者や評者の傲慢になることもあるのである。かつてアメリカの黒人作家リチャード・ライト(Richard Wright)は、少年時代にドライザー(T. Dreiser)などの自然主義小説家を読み、何にも比べられない感動を受け、自身の人生経験のために自分も写実主義や自然主義に傾倒するに至ったと、自叙伝『ブラックボーイ』(Black Boy, 1945)に書いたことがあるが[7]、写実主義文学の場合、再現しても抑圧された現実、読者に切実な現実を再現するか否かが、成否のひとつのカギであることを示している。

それゆえに、写実主義というすでに多分に手慣れた技法で、馴染みのある現実を再現していては、読者の共感を得難い。もちろん著者の技巧があまりにも優れていて、読書層に広く消費される作品があるが、これは結局、トリックに過ぎず、ひいては写実主義自体が原則的なトリックになるという批判を、より一層実感させる。つまり、写実主義芸術は、あらゆる慣習化された芸術技法と異なり、現実をあたかも透明な窓を通じて見るように「ありのまま」提示すると主張することで、それ自体も1つの芸術的慣習であることを隠しているのである。これに比べるならば、公然と「非現実的」(ないし超自然的)な幻想世界を描くジャンルの方が、むしろ真実に近いこともあり、物語構造自体を破壊または攪乱する実験小説の方が、既存の物語が隠蔽する真実を暴露する作業でもありうる。

ここでそのような試みを概観して評価することは私の能力外のことである。ただ、非写実主義小説家としては写実性に珍しく忠実で、写実主義の問題点に深い警戒心を堅持するイ・ジャンウク(李章旭)の小説世界をしばし見てみたい。小説集『告白の帝王』(2010)と『キリンでない全てのもの』(2015)の読者ならば、彼が写実主義者でないことをたやすく識別する。他方で彼は、物語自体を破壊するどころか、むしろ持って生まれた語り部といえるほどの手並みで物語を作り出す。写実主義的な面を維持するという点でも、『告白の帝王』の表題作はまったく無理がない。ただ一見、写実主義小説と見なされそうなその話についていき、興味深い告白内容に心酔しながらも、ふとまったく異なる次元の問題、すなわち現実に起きた出来事の迫真的な叙述(ないし告白)がどのような意味を持つのか、ひいては、少なくともヨーロッパで18世紀以来、文学の本質のように理解されてきた「魂の率直な告白」が、かならずや望ましく貴重な行為なのかを問う「なぞ」に対面することになる[8]。しかも『キリンでない全てのもの』に来ると、「イヴァン・メンシコフの踊る部屋」を措いては、写実主義的規律から顕著に離脱する例がほとんど消える。それでも彼の作業は、写実主義でないのみならず、明確に反写実主義的な性格といえる素地が充分にある。文学作品が「透明な再現」とは距離のある人工的加工品であることを明確にすることが、小説ごとに大きな比重を占めており、「写実」と「写実性」に対する根本的な問題提起が重要な主題をなすからである。

たとえば、短篇「私たちみなの鄭貴宝」を見てみよう。その冒頭は、一見ありふれた写実主義小説の導入部のように感じられる。

無名だったが、その後有名になった画家・鄭貴宝(1972~2013)の人生は、驚くほど単調なものだった。私は美術を専門でする某出版社の急な依頼を受けて、画集を兼ねた評伝執筆に着手したが、特記するほどのことがない履歴のために苦悶に陥った。(147頁)

このような形で読者の食欲をそそって、話者と作中筆者を兼ねた人間が、この悩みを解決していく努力と、その過程で徐々にあらわれる鄭貴宝の人間像を伝達するのは、写実主義小説でありふれた技法である。タイトルに出てくる「私たちみなの」鄭貴宝という表現が、リアリズム論でしばしば提起される「典型性」に対する期待を呼び起こしたりする。

しかし、著者の意図はまったくそうではない。実際に作品は、鄭貴宝の人生や美術に対して「特記するだけのもの」をぎっしりと含めているが、話者は冒頭(上の引用文の直後につづく文章)で「鄭貴宝が生まれたのは潭陽(タミャン)だったが、それは鄭貴宝の説明に特に役立たなかった」(147頁)という主張を筆頭に、彼が紹介するあらゆるエピソードと情報が「説明」に達しないという点を終始強調する。だから評伝を書く作業をひとまずあきらめ、自殺と推定される鄭貴宝の死体が発見され、再び執筆を決心する。その一方で、「いったい軒から落ちる雨のしずくに反射して差し込んだ日光とか、おい、くそったれ、オレは女だけが好きだ――とか、双子を同時に愛するというのは」(これはすべて写実主義的な物語や通常の評伝で「特記するほどの」ディテールになりうる)「はたして何なのか? そのようなことに意味を付与して、あれこれと整理することに何の意味があるのだろうか? そのようなことを書こうという私という人間はいったい何者なのか?」(180頁)と悩み続ける。要するに、このような「なぞ」が作家的関心の焦点であり、なぞを簡単に解いてしまう、すべての「説明」と「整理」に対する拒否が、この作品の特異な物語を作り出しているのである。

小説は、そのような説明や整理と異なる次元のエクリチュールを予感し、「私たちみなの鄭貴宝」の発見の可能性を提示しながら締めくくる。

私は何かが私の中で少しずつ広まり始めているということを感じている。もしかしたら、それは鄭貴宝の人生に対する長文の最初の一文のようなものかもしれない。最後の文章のない……短く乾燥した……最初の文章のことである。最初の文章から2つ目の文章が出てきて、2つ目の文章から3つ目の文章が続き、3つ目の文章からもう1つの文章が生まれるだろう。そのようなある日、私はそこから平然と歩いて出てくる鄭貴宝を見ることになるかもしれない。浜辺で遊ぶ私たちに向かって近づいてくる、私たちみなの鄭貴宝をである。(180~81頁)

これが著者自身の芸術的信条を表現したものと断定するわけではない。ただ話者のこのような信条も、写実主義の理念に劣らぬ、もう1つのイデオロギーであるという疑惑がかかる素地が充分にある。話者が予感するような形で描かれる鄭貴宝が――私たちのうち誰の人生も、きちんと「説明」されないという点を除いては――「私たちみなの」鄭貴宝になるだろうということも、一方的な主張に過ぎない。むしろイ・ジャンウクの真の芸術的成就は、話者のそのようなイデオロギーにもかかわらず、話者が予感したこととはまったく異なる「私たちみなの鄭貴宝」を書いたという事実であろう。

短篇「キリンでない全てのものに対する話」も、やはり生き生きした写実的ディテールと興味深い話のあらすじを誇りながらも、「事実」と「真実」、「想像」と「実体」についての疑問を提起しようという意図が強い作品である。最初の節の次のようなくだりを見てもそうである。

 もちろん私は〔あなたの頭の中をすぎていく〕そのキリンに対して何の権利もありません。それは純粋にあなたの頭の中で生まれたあなたのキリンですから。変な話ですが、私はそれが私の運命と考えます。
運命と私は言いました。滑稽でしょうか? ですが信じて下さい。私は真実だけを話しているからです。そのように感じます。万に一つ嘘だといっても、これは真心をつくした嘘です。全力を尽くした嘘です。(112頁)

事実、この短篇は、話のつながりや迫力の面で「鄭貴宝」を凌駕する。終盤に物語全体が、警察官の前での陳述だとわかる1人称の叙述を、読者が正確にどれほど信じるべきか、特定が難しくなっている面でも、たとえば「鄭貴宝」で、主人公の死が自殺か否かをめぐって、話者が多少冗長に「煙幕をちりばめる」やり方より、はるかに無理のない処理を示している。

ただ、そうであるほど、写実主義的な規律に背くディテールの1つをあえて指摘したい。これは他の見方をすれば、ささいな違反を拡大解釈することにもなるが、イ・ジャンウクの小説が、エクリチュールの性格と真実の不確定性に対する瞑想を越えて、時代の現実を豊富に示す能力を持っており、そのような能力の持続的な向上が期待されるためである。「キリン」で少年時代の話者は、嘘をついたとお仕置きする父親を、警察に不審者として通報するが、その後、父親は「大規模知識人スパイ集団の一員として逮捕されたというニュースが出て」、「半月後、疲弊した体で帰宅し」、「スパイと疑われるが証拠不充分で釈放されたという新聞記事」(121頁)が言及される。しかし、これは作品の素材として選ばれた韓国の現実として実感することは困難である。大韓民国は、昔も今も、スパイ集団の一員としてマスコミにまで発表した人物を、半月で「証拠不充分」で釈放し、新聞記事にまで出す国では決してないのである。

著者の主な関心事に照らして、写実性からのこの程度の離脱はささいなことかもしれない。だが、南北に分断された韓国に生きる読者にも、本当にささいなことと見てもいいのか。D・H・ローレンスは長篇小説の美徳として、「誤って踏めば、滑って転ぶバナナの皮もある」という点を挙げながら、著者が「何か、庭をかなりすっきり掃き清めてしまう」傾向を警戒したことがあるが[9]、「キリン」は、短篇ではあるが、自身の主題意識に没頭したすえに、現実の重大な一面に対して「全力を尽くした嘘」でなく、本意でない歪曲を犯しながら、読者が著者の現実感覚を再考させてしまう事例ではないだろうかと考える。

 

2、二重課題論と文学の居場所

 

写実主義の問題が無視できない関心事として残るのは、それが近代人ならば誰もが直面する「近代適応と近代克服の二重課題」に直結する問題だからである[10]。換言すれば、写実主義は近代科学の精神と不可分の関係であるゆえに、中世神学または哲学の恣意的な宇宙論を清算し、現実に対して一層正確かつ共有可能な知を追求する姿勢であるという点では、当然成就すべきモダニティの一部である。反面、科学の精神が、現実の前で示すそのような謙遜ではなく、人間が科学を通じて現実をみな知ることができ、ひいては科学技術を通じて、自在に変更可能であるという近代主義イデオロギーに切り替わる時、少なくとも真の文学と芸術ならば、批判や克服を試みざるをえない。近代の偉大な文学は、科学の精神とともにに生成したので、写実性に対する尊重が格別にならざるを得ず、科学主義、技術主義、および近代主義を抜本的に克服すべき、二重の課題を抱えることになるのである。

一時、韓国の評壇を熱くした「写実主義と区別されるリアリズム」の議論も、このような角度で再論するならば、一層生産的ではないかと考える。すなわち、両者において、何が同じで何が異なるかを列挙するよりも、「リアリズム」と呼称されるものが、写実主義やモダニズム(およびポストモダニズム)などと比べて「近代適応と近代克服の二重課題」をどれほどさらに円満に遂行するかを検討してみるのである[11]。写実主義に限定されない「真のリアリズム」を擁護する立場でも、リアリズムを究極的な解体の対象に設定するに至ったのは[12]、単に「リアリズム」と「写実主義」を同一視する主流学界の慣行のために、その用語使用が煩雑で堪え難くなったのではなく、二重課題の遂行の現局面が、すべての形而上学的な概念との決定的な決別を要求する地点に達したからである。もちろんこの時の「形而上学」は、哲学の一分野を指称する狭い概念ではなく、西洋の伝統的な哲学的思考のみならず形而上学の派生物であり、その積極的批判者でもある科学および科学的認識を含む広い意味である。それゆえに、ブルジョア時代に対するマルクスの弁証法的接近が、二重課題論を含蓄してはいるが、「私たちの探求が19世紀のヨーロッパ人であるマルクスにとっては、ほとんど閉じられた領域にまで拡大しなければならない、世界史的な局面に到達した」という主張が出てきたのも[13]、マルクスの唯物論的弁証法でさえ、形而上学の完全な克服ではないという考えを込めたのである。

だが、形而上学克服の努力は、創作者の主観的信念や意図とは関係なく、すべての真の芸術作品に本来内在するものだといえる。ただ、この事実をめぐって、芸術のある「反形而上学的な本質」を設定するのは、それこそ典型的な形而上学的思考であり、解体主義ないし脱構造主義が好んで遂行する本質主義(essentialism)批判に直面するだろう。そのような批判を避けながらも、作品が単に、個人または集団の政治的・社会的選択にとどまらず、ある真理の権威を獲得できるかを糾明することが、当面の文学的な課題であり世界史的要請なのである。もちろん芸術の創作と享受は、当然1つの政治的・社会的実践として科学的分析の対象だが、同時に科学と形而上学がともに及ぶことができない、換言すれば、科学が認識する実証的現実の一部とはいえないながらも、ある形而上学的「本質」にもとづくこともない、芸術本来の居場所を探索することを要求する。「有でもなく無でもない」境地とは、仏家や老荘の伝統ではお馴染みのものだが、西洋の形而上学ではそのような思惟がながらく忘却されてきたということが、たとえばハイデッガー(M. Heidegger)のような思想家の指摘である[14]

その点で、詩人であり哲学者であるチン・ウニョン(陳恩英)が、文学の「アトポス」(atopos、非場所)と言ったのは非常に示唆的である[15]。ただ、先に「文学のアトポス――文学、政治、場所」というタイトルのついた『文学のアトポス』第6章の議論は、著者の主な目標が「アトポス」自体の探求なのか、あるいは既存の「文学的トポス」とされてきた場所とは異なる、新しいトポスを切り開くものなのかが明らかでない。実際に多くの議論は、文字通りの「非場所(性)」よりは「新しい空間の創出」(166頁)の努力に集中している。たとえば、撤去予定だった弘益大前の食堂で開かれた「明かりの灯った朗読会」や、コルトコルテック社の労働者のための文化祭など、「私たちの社会の芸術的空間と政治的空間のつながりで発生した最近の活動」(171頁)を詳細に紹介するが、すべてがすでに文学的と認められたトポスを離れて、「1つの場所性を開示」(177頁)する事例として提示される。

それゆえに「正体が曖昧な空間、文学的と一度も規定されなかった空間に流れ込み、そちらを文学的空間に変えてしまうこと、そうすることで文学的空間を変え、また文学によって占有された、ある種の空間の社会的・感覚的な空間性を、もう一つの社会的・感覚的な生の空間性に変化させることが、文学のアトポスである」(180頁)というチン・ウニョンの結論は、「新しいトポス」ないし「変化したトポス」を、まさに「アトポス=非場所」と規定する論理の飛躍である。ただ、次に続く、「このように彷徨する空間性、また決して確定できない形で、瞬間のトポスを生成し、破壊し、揮発させることに芸術家が魅惑される時、私たちは彼らを空間の恋人と呼ぶ。この恋人-作家によって作動する文学のアトポスは、私たちが美学の政治と呼んだものの、もう一つの名称である」(同頁)という第6章の最後の文章を読むと、「文学のアトポス」を、空間自体よりも、「空間の恋人」と空間との間のある種の特異な関係と考える糸口が見える。

マラルメ(S. Mallarme)を引用したアラン・バディウ(Alain Badiou)の議論を扱った第5章「美学的アバンギャルドのモラル」は、「文学のアトポス」を他の角度から省察する段階を用意する。バディウはマラルメの散文「バレー」から引用した2つの表現、すなわち「踊らない舞踊家」[16]と「すべての筆記具から自由な詩」を中心に、詩と芸術に対する自身の考えを語るが、これについてチン・ウニョンは次のように指摘する。

バディウの分析によれば、踊りは、踊りのテクニックや、踊る舞踊家の経験に還元されない純粋な出現である。マラルメが使っている踊りの類比について、私たちは、詩を、詩的テクニックや詩を書く詩人の経験に全面的に還元されない、純粋な出現と考えることができる。(……)因果関係の鎖から抜け出した、純粋な発現の瞬間としての詩という観念は、非常に魅惑的で納得できるものであり、さらに詩が書かれた通りに読まれるのではなく、詩を読む人との感応の中で、1つの出来事として発現するという点を想起するならば、詩は常に、すべての筆記具から自由であるという観念は、意味深長なものと考えられる。(153-54頁)

このように「因果関係の鎖から抜け出した、純粋な発現の瞬間としての詩」は、現実のある「トポス」で起きる出来事であっても、そこからふわりと抜け出した「アトポス」を含蓄するといえる。同時に、それが現実空間のあらゆる因果関係と筆記具の種々の特性を確保したまま、「アトポス」を創り出すのか、あるいは「純粋な出現」という、もう1つの観念で詩を単純化するのかは、より一層厳密な検討を要する[17]

もちろんチン・ウニョンもバディウの詩論に全面的に同意はしない。「「筆記具から自由な詩」は、バディウの分析のように未来に開かれるというだけでなく、過去に開かれることを表現したものである。詩は筆記具によって記録されるその瞬間に、筆記具を抜け出して、詩として最初の開示を持つわけではない。詩は書かれる以前からすでに始まっているという点でも、筆記具から自由である」(154頁)。これは、「詩人と非詩人の区別は正当化されない」(155頁)という命題とともに、「詩人のモラル」「侵入者のモラル」に対する議論とつながるが、モラルと美学の問題は後に別途に論じたい。

その前に「文学のアトポス」について、一言や二言を付け加える必要を感じる。近代の二重課題の遂行が、形而上学をきちんと越えるべき段階に達したという観点では、この問題の本格的な探求が重要な宿題だからである。作品が発現する時に生成するアトポスは、ただの「無」でもなく、「有」の領域――プラトンの「イデア」や、ある超越的存在を含めて――でもないという思惟のあり方が、文学の居場所を解明するだけでなく、他のさまざまな理論的・実践的課題のためにも切実になった現実なのである[18]

形而上学を克服する努力は、すべての真の芸術作品に内在すると言ったが、本格的な哲学の修行を経験したことがなく、「アマチュア的」に接近した文芸評論家のリーヴィス(F. R. Leavis)が、「有でも無でもない」特異な文学の居場所について提出した構想の方が、むしろ説得力があるのもそのためだろう。彼はスノウ(C. P. Snow)の「2つの文化」論を批判する過程で、詩は単に私的であったり個人的ではないが、だからといって実証可能という意味で公的でもない「第3の領域」(the third realm)に存在すると語る[19]。ここでいくつか注目する点がある。まずリーヴィスは(バディウとは異なり)「詩一般」(poetry)ではない個別的な詩作品(poem)を語っており、「何より自らの言語の文学」という文句をつけることによって、その時々に与えられた作品に対する読解の忠実度によって、詩の居場所にどれほどきちんと入り込むか、相違が生じうることを示唆する。第3の領域の「優先性」に対する言及も重要だが、常識的に言って、「これでもあれでもない第3のもの」という意味で、そのように言ったのであって、本来それこそ「第1の領域」に当たり、いわゆる主観・客観の世界がむしろそこで派生するという認識である[20]。もちろんリーヴィスは、形而上学的な有無の分別を越える、東アジア的な「道」の領域を明確に考えていないが、それを彷彿とさせる領域に、文学の居場所を想定していることだけは明らかである。

 

3、「道」と「徳」と「律」

 

ここであえて「道」を語る理由を再確認することは、読者の理解の一助となるかもしれない。「西洋の概念を根拠に、倫理と道徳を区分するならば、本来、東アジアの伝統において語られていた道徳、すなわち「道」と、「道の力」としての「徳」に対する思惟が失踪してしまうという点」を私は指摘したことがあるが[21]、一時、韓国の文壇で流行した「文学の倫理」の議論はもちろんのこと、チン・ウニョンのように「文学の非倫理」を強調して、ランシエールとともに「善と悪に対する慣習的解釈に対抗し、新しい感覚の分配を作り出す政治的活動」(『文学のアトポス』134頁)としての「モラル」を議論しても、その点は同様であると考える[22]

もちろん、道徳の元来の意味は、東アジアでも変質するのが常であり、文学における道徳主義・倫理主義が、韓国の近代文学の出帆期では、克服すべき障害物と設定されることもあった。いや、今でもそのような弊害が消えたとは言い難い。新しい感覚の分配を作り出すどころか、すべての新しい感覚を抑圧する「治安警察」としての道徳主義は、形を異にしながらも、依然として侮れない力を発揮しているのである。また、そのような程度ではなくても、「道」に触れること自体が、不当に厳粛主義的な文学観を助長する憂慮がなくもない。しかし、東アジア人が考えた道は、人間が思いのままに建設し閉鎖できる現実の「道路」ではないが、西洋哲学の超越者や超越的世界とは異なり、さまざまな分野の人間が誰でも自分なりに接近し実現する「道」であり、文学でも厳粛の有無を離れて、作品ひとつひとつを創造し、享受するたびに、新しく問い磨いていくという伸縮性と多様性を持つ。よって「作品」も西欧のような文芸主義にしばられず、その時々において「道の力」を発揮する、すべてのエクリチュールや芸術行為に拡大することができる。すなわち、「道」という「アトポス」に位置する文学の可能性は無尽蔵であり、そのような居場所で派生するあらゆる力、人を笑わせたり泣かせたりして、いかなる方法でも既存の感覚の配分秩序に「侵入」し変更する権能が「道の力としての徳」なのである。

だが、「徳」を実現する過程には、一定の規則がやむを得ずともなう。これを「律」というならば、文学や芸術において創作者に――そして程度の差はあるが享受者にも――要求される技法上の訓練、ひいては「詩人と非詩人の区別」を基本的に排除する生活における、あらゆる鍛練が「律」の他の名前であろう。仏家の戒律や儒家の礼儀作法、イスラムの聖法(シャリーア)などもそのようなものであり、キリスト教の旧約の律法はもちろんのこと、新約時代の教会とその教理、制度、慣習が、みな道徳実現のための「律」にあたる。実際に施工される法律を含む、世俗社会のあらゆる規範も、当然、そのような「律」として提示される。

だが、「政治」を「治安」と区別しながら、既存の感覚体制を絶えず攪乱し変化させることだけが、真の意味での政治かつ美学であり、「詩人のモラル、すなわち侵入のモラル」(『文学のアトポス』152頁)であるというランシエールなどの主張は、「律」がむしろ道徳の障害物でありうることを物語っている。イエスが既存のすべての律法を、ひたすら隣人愛の戒名ひとつで代替(ないし統廃合)することで、感覚の分配体制に一大刷新をもたらしたのもそのためである。だとしても、「律」を「徳」の一方便として理解し、その効験をはかるという発想は、ひたすら「治安」とまったく別個の「政治」だけを認める態度や、人類文明の歴史がまさに野蛮の歴史や災難の連続であると断罪する歴史観とは性格を異にする。「律」が硬直して道徳の実現を阻害する可能性はいくらでもあるが、それが「律」のすべてであると見る態度には同意しないのである。これは、よい政治共同体に責任ある市民として参加する生が、最高の政治であり最善の人生であるという、アリストテレスの政治観・倫理観にむしろ近く、国家を、最高段階の「倫理性」(Sittlichkeit)を可能にする条件として設定したヘーゲル(G. W. F. Hegel)の法哲学とも相通じる立場であり、なによりも聖賢が用意した過去の文物制度を復元し保存することを君子の使命と考えた儒教の伝統になじむ思想である(もちろん、二重課題論の観点では、そのどれも全面的に踏襲することはできない)。仏教の場合は、現実社会の全体を「紅塵」の世の中として罵倒し、僧の戒律さえ窮極的に忘れ、捨て去るべき対象として規定することが基本教理だが、仏と衆生、浄土と穢土の区別さえ越えるという大乗仏教にいたると、儒教の立場と相通じる面が伺える[23]

「政治」と「治安」をあまりにも明確に分けることが、現実に対する認識と対応の単純化をもたらす危険を、私自身、指摘したことがあるが[24]、ここではまた文学と芸術の問題に戻って、「律」に対する考察を進めてみたい。いかなる芸術家でも堂々とした芸術の域に達するために、あらゆる技術を身につける、つらい修練が必要なことは明らかである。「踊らない舞踊家」、「踊り自体で出現する舞踊家」になるためにももちろんそうである。だが、この場合の芸術的規律は、「川を渡った後に筏を捨てろ」という仏家の教えのように、芸術の成就に達する道における一時的な方便として大きく問題になることはない。しかし、文学における「写実主義的な規律」のように、一面、無視できない方便であり、同時に芸術創造に桎梏として作用しうる「律」の場合はどうなのか。先に写実主義の問題を近代の二重課題という基準に照らして判断することを提案したが、そのように見るならば、写実性という「律」は、近代という特定時期に達して、文学の「道」の成就において、以前にはなかった重みを持つと同時に、近代が進むほど「道」を忘却し、「徳」をむしろ傷つける、古い戒名として硬化する傾向も大きくなったといえるだろう。

単に写実主義的な規律だけが問題になるわけでもない。特に、詩では、馴染んだ言語一切を徹底的に排撃し、常識的な読者の期待を裏切る実験が、21世紀に入ってほとんど韓国の詩壇の主流をなすようになったが、私はこのような実験的詩人たちを、山寺の禅房で勇猛精進する禅僧に比して、仏家でそのような禅僧が一種の特攻隊にあたるように、例の詩人たちから特攻隊の勇猛を発見することもあった[25]。だが、特攻隊の勇猛だけで戦争に勝てるかという問題をひとまず措き、「特攻隊は誰もができるか?」という問いを投げかけてみたい。非常な鍛練を経て、優れた勇猛と献身性を備えた少数精鋭だけが耐えられるのが特攻隊の任務である。しかし、あちこちで特攻隊員を踏襲する詩人たちが続出しているならば、真の特攻作戦でない「特攻隊遊び」が――「遊び」自体も特攻作戦の一部でありうるという点で、さらに安全な表現として「特攻隊のふり」が――流行したという疑惑も濃厚である。このような状況であるほど、(仏家の言語に戻って)真の禅僧のふりをする「俗僧」を識別する批評が必要であり、きちんと学ぶ僧侶を見分けて育てることが緊要である。

私自身は、その方面の訓練が足りず、正確な鑑別に自信が持てない。しかし、早くから『思春期』(2003)や『離別の能力』(2007)の詩人・キム・ヘンスク(金幸淑)を、特攻隊員の一例として注目したことがあり[26]、最近の詩集『エコーの肖像』(2014)で、その点を一層実感した。そのうえ、依然として難解だが、最近の作業では、日常会話の自然なリズムに乗ったよどみない語り口で、読者をひきつける能力も一層大きくなったようである。

とにかく、詩集の最初に配置された「人間の時間」からが、一切の常識的な解釈を拒否する。

私たちを踏めば、愛に陥るだろう
波のように

私たちは深く
つぶれやすい

時間はいつも、真ん中のように

――「人間の時間」全文

「私たちの」はいったい誰のことか。詩人や読者を含む人間ならば、私たちを踏むのは誰(何)なのか。2行目の「波のように」は「踏む」にかかり、「陥る」にもかかるが、どの場合でも自然な語法ではない。それよりは2連につながって、「波のように//私たちは深く」と読まれるのがさらに自然だが、だとしても、普通は水が深いというが、波が深いとはいわない。タイトルと3連に言及される「時間」とつながることで、はじめてより大きな響きを持つことになる言葉であろう。2連と3連の場合も、「私たちは」で始まる2連と、「時間は」で始まる3連の、2つの不完全な文章が併置されたのかもしれないし、「深く/つぶれやすい//時間は」とつづけて読むこともできる。これほどになると、「私たちの」が、タイトルの「人間の時間」と同一視される可能性も開かれるが、確実な答えはどこにもない。そのうえ3連の終わりにリフレインが入ったとして、1連に戻ってつづけて読むと、「時間はいつも中心のように//私たちを踏めば、愛に陥るだろう/波のように」という(結構もっともらしい)文章になる。とにかく、人間の時間と私たちの生活に内在する危険と神秘、そのなかで決して単純でない愛の可能性などを、話頭(禪佛敎の公案禅)のように転がすような効果を産んでいる[27]

詩集のすべての作品がこのようにあやふやなわけではない。「半個」のような詩は決して頑迷な言語ではないし、比較的やさしく読める。「人間の時間」の他の一面――愛より死に焦点をあてた一面――を示す「水滴時計」も、「人間の時間」に比べれば一層親切である。

凶器になるように尖っていた。だが、どのような時間も空気のようで、飲み込まなければならないもの。ゲエゲエ、おまえが時間を吐いた時、誰も分からなかった。それはまったく異なる時間だった。重くなった水滴が落ちるとき、ともに壊れて、合わさって、一筋のように流れよう、水滴の形でぶらさがれない、重さと水滴の形でぶらさがらない、重さがいつも同じなのではない。おまえは少し早く落ちてもかまわず、ある鳥が私の重さを耐えて、木の枝にしがみついているか?

(……)鳥は穴でできた獣、時間がそのように軽い獣のようでも、水滴は闇のなかに正確に食い込み、時間を切って水滴の音を出す。それは真に粘り強いノックの音のようだ。

ドアを開けるまで、死ぬまで、何を続けるというのか、時間のドアの向こう側、誰が座ってみな聞いているのか、中間に、誰が病んで寝ているのか、いまや、誰が人間の時間を離れようとするのか。身体が死ぬ前に、身体が病むだろうし、軽くなる前に重いだろうし、世の中が沈黙に陥る前に、水滴の音を聞くだろうから、澄んだ水、尖った水、正確に宇宙の急所を刺す水。そのあと、おまえは枯れた唇に、ただ一滴の水も濡らすことを願わないだろう。

――「水滴時計」2連の前半部を除いた全文

事実、「エコーの肖像」というタイトル自体が常識的な反応を排除する。ギリシャ神話のエコーは本来美貌の妖精だったが、結局、姿形を失って、声だけが残り、それも他人の話を繰り返す、こだまとしてのみ存在する。だから、姿の代わりに声だけの肖像を描く破格的な作業ですら、誰の何の話を描き出すのか、あらかじめ決めることはできない、何重もの難関にぶつかる。それこそ、既存感覚の分配体制への「侵入」を要求しているのである。

ただ、先に言ったように、特攻作戦としての真正性と威力を認めることはあっても、それだけで世の中をどれほど変更できるかという問題が残る。参禅の勉強が成仏済衆のために必須の修練だとしても、それだけで衆生済度が完遂されるわけではないようにである。円満な菩薩行のためには、自身の学びが「独善其身」にとどまってはいけないという決然とした姿勢が必要であり、これは衆生の生、大衆の生に対する深い共感と信頼を土台にする発願から始まる。そして、これにともなう学びは、時代の流れを読み、これに円満に対応する知恵にまで進まなければならない。

文学に視線を転じれば、韓国語で生産された近年のどのような作品がこれに該当するだろうか。この問いに自信をもって答えるにも、私は寡聞にして勉強も足りない。ただ最近読んだ詩集の中で、ペク・ムサンの『廃虚を引き揚げる』[28]を、そのような大乗的発願の一成就として選ぶことができそうである。

ペク・ムサンは、知られているように、最初の詩集『万国の労働者よ』(1988.実践文学社、2014)と、後に続く『ミポ湾の夜明けを踏みしめ』(1990)を通じて、1980年代の傑出した労働者詩人の1人として名声を得た。以降、労働運動が相当部分、合法化されて、一部変質する過程で、彼は個人の労働者に戻ると同時に、人生の一層根源的な問題を探求し、『人間の時間』(1996)、『道は広野のものだ』(1999)、『初心』(2003)、『道の外の道』(2004)、『巨大な日常』(2008)、『そのすべてものの端』(2012)など詩集を相次いで出した。これらの詩集で示した過日の運動に対する省察と、宗教的な自己探求が特に価値あるのは、ペク・ムサンがその過程で、世の中を最初から捨てて、労働の現実を冷遇したまま、「個人の実存」の問題に耽溺したことがないという点である。仏教との親縁性が『人間の時間』以来目立つが、それはあくまでも世の中の流れを正しく読み、きちんと対応しようとする努力と並存している[29]。並存する2つの傾向が、それぞれ別に作用する場合ももちろんなくはなかったが、その点で『廃虚を引き揚げる』は新たな域に至ったと思われる。

「転生」は、タイトルから仏教的色彩が濃厚である。しかし、詩の焦点は、仏教の輪廻説を説明するより、衆生の血のにじむ生と念願を代弁するところにある。

どういうわけで、あえてそんなことをいうのかと
いくら悟りを得てそんなことをいうのかと

道理にあった信念かと
身体を取り換えられるのかと

では、それをどうしろというのか
過剰と欠乏と喪失をどうしろというのか

千年をじっと待ち望んだ愛がある
死よりつらい恋がどれほど多いか

窒息するほど溢れる涙がある
罪なく犠牲になった無辜の血涙がどれほど多いか

生を超過する愛がどれほど多いか
死を超過する涙がどれほど多いか

――「転生」全文

「何に抵抗するべきかは分かるが」や「難解な民主主義」のような作品は、衆生の生に対する一般的洞察を越えて、時代の切実な課題に対面する。彼が読む近代は、一言で徹底した克服を待つ時代だが、ただ「自由」や「民主主義」のような、ありふれた理念で解決できない。「人間に、自由についての新しい感覚が生じた」現実を洞察したまま、この現実さえ耐えて越えなければならない。

自由を売れば、自由より尊いものを得られると信じるようになった
自由を返却すれば、さらに豊かな人生を得られると信じる
もはや、野原の自由は、敗北者の慰安にすぎないと信じる
新しく購入したのが、自由なのかどうか、そんなことなど重要ではない
鉄窓を取り払った後にも、野原に行くことはできない

――「何に抵抗するべきかは分かるが」より

ゆえに「星がパニックのように/白くあふれる」瞬間に悟るのは、「自分が廃虚であるという事実」であり、詩人はむしろ「パニックに熱狂」しながら、「自分はその廃虚を原形の通り掬い出さなければならない」と誓って締めくくる(「パニック」より)。

詩は本来、小説ほど写実性の比重が大きなジャンルではない。だが、ペク・ムサンの詩的探求では、「感覚的分配」を変更する作業が、激しく豊富な写実主義的再現をしばしばともなう。「盲導犬」もそうである。道で見かけた盲導犬一匹が詩人の目を引くが、2連では「野性は除去されたというよりも/低強度の核分裂で、野性を徐々に熱し/ほかほかした温気に変えられるようだ」という、尋常でない考えを吐露する。続く3連の揶揄的な表現(「そうしたところで犬は犬だが、威厳をととのえ/ご主人のお出ましに、威張る従奴のように、犬の格好をととのえて」)と、5連の「道に迷って病気にかかり、降りしきる吹雪のなか、飢えたオオカミ/人間のゴミに鼻をあて、オオカミをやめてしまった犬」(135頁)は「野性の除去」を皮肉る、ありふれた慨嘆に戻るという印象を与えうる。しかし、残りの進行は、いかなる安らかな要約も許さない、多様な感情と情念の連続である。

数万年、人間の言語を受けたが
いくら吐き出しても喉を越せずに、ワンワンとひと吠えし
吐き出しても吐き出しても、炸裂しない、解けない、言葉、
ワンワン、逆流して、尻尾に、足の裏に、舌に、赤い陰茎に、
真っ赤な股間に、後足に、飛び出してくるよう、
鳥肌のように、毛孔ごとに広がる、話のとげを呑み込み
おとなしく優雅な犬の姿に偽装して

そいつを見ていると、いたずらでバンバンと蹴りまくった幼いころのことと
犬鍋を食べたことと、野性を売って犬粥を食べる
奴だと、罵ったことを後悔する。

幼いころ夏の極暑の間、父さんが納屋で首をくくり
棒で殴り倒して殺そうとして、そのまま綱が切れ
逃げたその犬が、血のあざとかさぶたで、毛がすべて逆立った身体で
深夜に戻ってきて、泥棒から見守ろうと、不審な気配に、ワンワンと吠えた
あの雑犬、私はふと目覚め、裸足で走りゆき、そいつ
頭を抱いてしくしく泣いた、そいつはワンワンと笑った

ごみ箱に頭をあてても
彼らだけが見られるものが見られ
彼らだけが感じられるものが感じられ
野性は朽ち果てたのではなく
革袋のなかに逆流して熱く煮え立ち
息を切らせ、走り、噛みちぎり、真っ赤なものを出して乗り
犬になり、犬畜生になり、犬のような奴になったが

あの繊細さは、野性を失っていないという証拠
彼らの目に、人間も都市も廃虚だろうか
目の見えない者を引っ張って、廃虚を通り過ぎているのだろうか

――「盲導犬」6連以下全文

斬新で潑刺としながらも、大衆にたやすく近付く、ペク・ムサンの詩の一例として、多少長めに引用した。ここには「大衆」ではないが、明確に「衆生」である犬の生に対する省察的な共感、「人間も都市も廃虚」かもしれない、今日の歴史に対する認識、しかし自ら廃虚であることを悟っても、「自分はその廃虚を原形通り掬い出さなければならない」(「パニック」)と誓ったように、人間の生も最初から諦めない意固地な慈悲心などが、写実主義的な再現と相俟って一編の詩をなしている。

写実性に対する尊重が一助となり、「徳」の方便としての「律」として機能する潜在力や、むしろ真の道徳に逆行する「律」になる可能性は、もちろん詩よりも小説、特に長篇小説において顕著である。先に写実主義がエクリチュールの人工性を隠すトリックになる危険を指摘したが、実は私たちの時代の長篇小説の優れた成果も、ほとんどこの問題に正直に対面する。シン・ギョンスク(申京淑)の『離れの部屋』(1995)は「私にとってエクリチュールとは何か」という、一見「ポストモダン」な問いから始めて、1970年代末期の女性労働者としての自分の生を再現しながらも、ついにその問いを放置できず、パク・ミンギュの『死んだ王女のためのパバンヌ』では、生々しく感動的な多くの部分が、作中人物ヨハンが作り出した小説であったことが後で明らかになる[30]。ハン・ガンの長篇『少年がやってくる』も、やはり自意識的なエクリチュールの産物であり、再現の困難とずっと取り組みながら、ついに再現と感覚的な分配体制の再編に驚くほど成功した作品として記憶されるに足りる[31]

〔訳=渡辺直紀〕

 

 

 

[1] 拙著『文学とはなにか、再び問うこと』(創批、2011)40~44頁。

[2] 実際に「古典的写実主義テキスト」に分類される作品でさえ、そのような反写実主義者の規定からどれほどかけ離れているかを説明した事例として、David Lodge, “Middlemarch and the Idea of the Classical Realist Text”(Arnold Kettle, ed., The Nineteenth Century Novel: Critical Essays and Documents, 第2版、Heinemann Educational Books 1981,218~38頁)は注目に値する。ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』は、写実主義的な規律に透徹しながらも写実主義の限定を越える、偉大なリアリズムの成就として多くの評者が認めてきたが、ある有名なジョイス研究書(Colin MacCabe, James Joyce and the Revolution of the Word, 1975)で『ミドルマーチ』の全知的話者の叙述をめぐって、「テキスト内の他の言説が、再解釈の余地がある資料と見なされるのに対して、物語言説は単に現実に向かう窓として作用する。言説間のこのような関係は、古典的写実主義テキストの決定的な特徴と見ることができる」(Lodge、前掲文229頁から再引用)と批判した。これに対して、自分自身小説家でもあるロッジは、作中話者の陳述を具体的に分析して、ジョージ・エリオットの言語が「透明な窓」とどれほど距離があるかを例証しながら、実際にこれはすべての真の文学テキストの特徴でもあると結論づける。

[3] クォン・ヨソン・シン・ヨンモク・チョン・ホンス「文学の焦点――この季節に注目する新刊」、『創作と批評』2015年夏号、336頁。

[4] チョン・ソンテ『二度の自画像』(創作と批評社、2015)306頁。

[5] チョン・ソンテの前回の小説集『オオカミ』(2009)のあるくだりで、オオカミの1人称陳述を採択する表題作も、「物語るオオカミ」が登場するファンタジー小説でなく、豊富な写実主義的な再現のための1つの小道具を追加した結果と見るべきだろう。

[6] 誌面の関係上、これらの秀逸な短篇に対する分析は省略する(代わりに脚注3の「文学焦点」の対話者たちの議論参照)。事実、これらの作品を含むチョン・ソンテの成就を、「写実主義」というフレームで評価するのは不当でもある。「南北朝鮮の分断体制の認識と芸術的成就」であるとか、「作家の言語の躍動感」のようなフレームの方がより適切でもある。

[7] 拙稿「第三世界と民衆文学」『人間解放の論理を求めて』(詩人社、1979)、合本評論集『民族文学と世界文学1――人間解放の論理を求めて』(創作と批評社、2011)600~601頁、脚注32参照。

[8] 「なぞ」は『キリンでない全てのもの』(文学と知性社、2015)の「作家のことば」で、著者が『ファウスト』のメフィストフェレスを引用した後に、「なぞは解くものではなく、体験し、愛し、戦っていくべきもの」(290頁)と言ったくだりを念頭に置いた表現である。『ファウスト』の著者ゲーテ(J. W. v. Goethe)は、彼の自叙伝『詩と真実』(Dichtung und Wahrheit)で、自身の一生の著作が「1つの巨大な告白の破片(Bruchstücke einer großen Konfession)にすぎない」(第7章)と述懐した人物でもある。イ・ジャンウクが、ゲーテのそのような文学観を念頭に置いたかはわからないが、「告白」に関する彼の問題提起にかなりの含意が込められていることは明らかである。

[9] ローレンスの発言の引用と、それに対する少し短い論評は、『文学とはなにか、再び問うこと』43~44頁参照。

[10] 「二重課題」については、私自身、1990年代末からさまざまな機会に言及しており、韓国内の関連の議論が、イ・ナムジュ編『二重課題論』(創作と批評社、2009)にまず整理された。私の新しい整理の試みとしては、ネイバー文化財団主催「開かれた演壇――文化の内と外」シリーズ、第43講(2014.11.22)「近代、適応と克服の二重課題」があり(http://openlectures.naver.com/contents?contentsId=48484&rid=251)、英文資料としてPaik Nak-chung,“The Double Project of Modernity,” New Left Review 95、2015年9-10月号も参照。

[11] リアリズム論と二重課題論のつながりに関しては、拙稿「現代詩とモダニティ、そして大衆の生」、『文学とはなにか、再び問うこと』78~79頁参照。

[12] 私の場合、その明示的発端は、拙稿「民族文学論とリアリズム論」(1990)の最後の部分(『統一時代韓国文学のやりがい』、創作と批評社、2006、411~12頁)だったのであり、「文学とはなにか、再び問うこと」でも「真のリアリズム」というものさえ「もう一度、解体と克服を要する形而上学的な命題」(『文学とはなにか、再び問うこと』42頁)になりうることを想起した。

[13]上の「The Double Project of Modernity」、78頁。

[14] だが、ハイデッガーが夢中になって考えるdas Seinがよく「存在」で翻訳されることによって無ではないがあらゆる形而上的実体を含んだいかなる存在者(Seiendes)でもないどのような境地に対する探求がしばしば薄れる。

[15] チン・ウニョン『文学のアトポス』、グリーンビ、2014。

[16] バディウの引用文の韓国語訳は、「女性舞踊家は踊らない」(『文学のアトポス』153頁から再引用)としているが、これは不自然で誤解の素地のある翻訳である。マラルメが観覧したバレーの舞踊家が女であることは明らかだが、「男性ダンサー」でない「女舞踊家」という点が重要なわけではない。踊りの本質的性格が問題であり、「ダンサーは踊らない」という話をしながら、フランス語の慣行通り、「彼女(elle)」およびその先行詞である「女舞踊家(la danseuse)」と、性別を分けた程度に見ればいいだろう(原文を対照して助言をくれたキム・ドンス博士に感謝申し上げる)。

[17] 実際に、チン・ウニョンも援用するランシエールの『美学における居心地の悪さ』で、バディウに対する批判は非常に断固かつ辛辣である(英訳本Jacques Rancière, Aesthetics and Its Discontents, tr. S. Corcoran, Polity Press 2009, 63~87頁。韓国語訳はイ・ジュヒョン訳、人間愛社、2008、107~42頁参照)。

[18] これと関連して『二重課題論』所収の拙稿「韓半島における植民性の問題と近代韓国の二重課題」47~50頁、および脚注10に紹介した講演原稿「近代、適応と克服の二重課題」の第4節後半部を参照。

[19] “It is in the study of literature, the literature of one’s own language in the first place, that one comes to recognize the nature and priority of the third realm (as, unphilosophically, no doubt, I call it, talking with my pupils), the realm of that which is neither private and personal nor public in the sense that it can be brought into the laboratory and pointed to. You cannot point to the poem; it is there only in the re-creative response of individual minds to the black marks on the page. But-a necessary faith- it is something in which minds can meet.”(F. R. Leavis, Nor Shall My Sword, Chatto & Windus 1972, ‘II. Two Cultures? The Significance of Lord Snow’, 62頁)

[20] よって、これをあえて「バーチュアリティ」とか「非客観的実在」と表現する必要はないという私の主張は、『白楽晴会話録』(創批、2007)第4巻所収の白楽晴・ヨ・コンジュン・ユン・へジュン・ソン・ヘスク「地球時代の韓国の英文学」517頁参照。「第3の領域」の優先性に関しては、拙稿「近代世界、人文精神、そして韓国の大学」、『どこが中道か、どうして変革か』( 創批、2009)380~81頁でも取り上げて論じた。

[21] 「私たちの時代、韓国文学の活力と貧困」、『文学とはなにか、再び問うこと』126頁。西洋でも研究者は「徳」を「道の力」と解釈するのが当然だが、英国の有名な翻訳家アーサー・ウェイリーの『道徳経』の研究書(Arthur Waley, The Way and Its Power, 1934)のタイトルがその端的な例である。『道徳経』の新しい翻訳本にも「A Book About the Way and the Power of the Way」という副題がついている(Ursula K. Le Guin, tr., Lao Tzu: Tao Te Ching, 1997)。

[22] よく知られているように、近年の韓国文壇で「文学と政治」の議論を触発したのが、『創作と批評』2008年冬号に発表したチン・ウニョンの評論「感覚的なものの分配――2000年代の詩について」であった。『文学のアトポス』第1章の土台になった論文だが、単行本に収録時に大幅に補完されたので、完全な理解のためには単行本版を(第1部「文学の非倫理」を構成する2~3章とともに)読む必要があるだろう。

[23] この点を、さらに明確に示すのが、韓半島の自然発生的宗教である円仏教の「法律恩」の概念である。すなわち、天地・父母・同胞の恩恵とともに、法律の恩恵を四恩の1つとして規定するが、この時の「法律」は「実定法」の同義語ではなく、「大凡、法律とは、人道の正義の公正な法則の名」であると定義しており、そこで被った恩恵の一条目として、「時にしたがい聖者が出現し、宗教と道徳で私たちを正路に進めて下さること」(「正典」、『円仏教全書』22版(円仏教出版社、1995)37頁)を挙げている。

[24] 「現代詩とモダニティ、そして大衆の生」、『文学とはなにか、再び問うこと』85頁。および「D・H・ローレンスの民主主義論」、『創作と批評』2011年冬号、405~406頁。

[25] 「現代詩とモダニティ、そして大衆の生」69~70頁、85~86頁。

[26] 前掲文、69頁。

[27] 余談だが、このような詩が大衆歌謡の歌詞になるのは大変だろうが、ある優れた作曲家の貢献で、大衆にとって若干はより親しくなる可能性を考えてみる。

[28] ペク・ムサン詩集『廃虚を引き揚げる』、創作と批評社、2015。

[29] 詩人はある対談で、1987年の6月抗争(および7~8月労働者大闘争)の部分的な成功以降、運動の変質を見守りながら、仏教的省察に惹かれるようになった点を次のように述懐している。「あのときに思ったのは、国家と権力と個人的実存が、同じ様相を持つ虚像のように見えました。自身の全存在を下ろさなければ、何も見られないという考えが深くなりました。私たちは、ある問題の解答を得るために本質を把握しようと努めます。しかし仏教は、私たちが本質と考えるものを懐疑し省察する方法を提示します。地に倒れた者が地を踏みしめて起きるべきだというんです。これは言語を手段とする文学が抱える問題でもあったので、悩みは大きく巡りました」(ペク・ムサン・メン・ムンジェ巻頭座談「ペク・ムサン詩人、詩作活動30年特別対談」、『青い思想』2014年秋号、17頁)。

[30] だからといって、単純に作り話として片付けることもできない、この秀逸な小説に対する私の解釈は、「私たちの時代の韓国文学の活力と貧困」、『文学とはなにか、再び問うこと』140~48頁、『離れ部屋』に関しては、拙稿「『離れ部屋』が問うものと成就」、『統一時代の韓国文学の甲斐』参照。

[31] 『少年がやってくる』については、本格的な評論が書けなかった。ただ、第29回・萬海文学賞の審査評の形式の短評を『創作と批評』2014年秋号(478~79頁)に発表したことがある。