新たな50年を切り拓きながら

2016年 春号(通卷171号)

 

 

季刊『創作と批評』が創刊50周年を迎える。政論をまとめる総合文芸誌として半世紀間屈せずに精進してきたことは世界的にも稀であり、自祝すべきことだが、現在私たちの状況は創刊当時と同じく厳しいため、喜ぶばかりではいられない。ここまで歩んできた道を振り返りながら、新たな50年に臨む覚悟と今後の基本的な編集の方向性を明らかにしたい。

創批がこれまで経験してきた苦難は、戦後の劣悪な状況の中で、分断韓国の民主主義と統一のために、そして主体的な民族文学の発展のために、「創造と抵抗の姿勢を改めることのできる拠点」(「新しい創作と批評の姿勢」、創刊号)になりたいと思っていた時から予定されていたことかもしれない。その大きな決議を実践するのには残酷な試練が伴われたが、販売禁止や廃刊、出版社の登録取消、関係者の拘禁と投獄までを経験したのである。

しかし、その苦難は、創批が韓国の作家や知識人にとって誇りであり、やり甲斐となる道でもある。『創批』は頼れるところのなかった厳しい時代に、有志の文学芸術家、学者、社会運動家等の批判的知性人の発表紙面であり、当代の核心争点をめぐって活発な討論を行う公論の場であった。ここで形成された創意と公心(公正な考え)と知恵を基にして今日の創批になったが故に、創批は創批だけのものではなかったわけである。また、白楽晴創刊編集人をはじめとする歴代の編集主幹と編集委員たちの苦労はもちろんのこと、貧困や時代的迫害の中でも、我が社会がよりよい社会になるように努めてきた大衆の隠れた労力がなければ、今日に至ることはできなかったであろう。

『創批』は当代現実に適する批評・言説及び精選された作品を発表することによって、民族文学の産室であり、かつ主体的言説の生産者として成長した。この過程は順調ではなかった。西欧中心部の最新思想や文芸潮流を迅速に受け入れることを主な課業とする学問的風土に対抗し、『創批』は世界体制周辺部の民衆、それも分断国住民の立場から批評的に思惟する主体化の過程を遂行するために奮闘したからである。その苦闘の跡が数多くの論争の形として『創批』の紙面に刻まれているだけではなく、その結実はリアリズム、民族文学論、分断体制論、近代適応・近代克服の二重課題論、東アジア論、87年体制論、変革的中途主義論等の創批理論として具現されている。

そのような着実な努力と結実の過程において、昨年6月に起こった剽窃論難事態はもう一つの試練であった。創批は性急な初期対応を反省すると同時に、内部討論を通じて事態の真実に符合する立場と原則を共有し、それを最後まで守りきった。大きく見て、原則を守る対応だけが韓国文学のための道であり、今回の事態で失った読者の信頼を取り戻す最善の道と判断したのである。同時に、この事態を自己省察の鏡としようとし(「創批をめぐる剽窃と文学権力論の省察」、2015年冬号参照)、創批が「文学権力」という批判を招くほど、これまで作家と読者に権威的だったり、疎通や紐帯を疎かにしたりなどしなかったかを振り返りながら、今後韓国文学によりいっそう献身する覚悟を決めるようになった。

創刊以来『創批』を牽引してきた編集員が退任し、新たな50年を始める私たちは、文学中心性を強化することを主な編集方向としたい。「文学中心性」の強化とは、一次的には政論誌を兼ねる『創批』の文芸誌としての役割を強化する方向、つまり作家・読者との交流や疎通をより活性化し、紙面で文学部門の創作物や批評の比重を増やすことを意味する。またそれは文学精神を強化するという意味でもある。この際の文学とは、現実との関連性より純粋な美的価値を志向する文学主義、あるいは、ある大義を特定の方式で実現しようとする理念的な文学ではなく、両者の偏向を克服し、同時代の人々の生活や未来に開かれている文学である。したがって、「文学中心性」の強化に社会科学から自然科学までを包括する総合的学問としての人文学が参加するのは当然である。『創批』は今後文学批評と社会批評の共通の「批評的」根源に基づき、我が社会の重要な懸案と核心課題に対して文学・人文社会共同の作業を試みていきたい。

いま一つの編集方向は「現場性の強化」である。この方針は、40周年の時に提起された「運動性の回復」と「創批式作文」を継承・深化しつつ、既得権の外で周辺化された人々の生活の現場を覗き込み、彼らの語りや観点を傾聴するだけではなく、その立場から我が社会全体を省察してみたいという趣旨である。この作業を効果的に推進するために、従来の「論壇と現場」欄をそれぞれ別途のコーナーとして独立させ、その性格に合わせて論文を配置していきたい。また運動性と現場性の強化の編集方針に従い、今号から二つの連続企画を始める。一つは、少数者の生活が如何なるものなのかを検討して少数者の目で韓国社会を眺める企画であり、いま一つは、我が社会の既得権の守護勢力である保守・守旧勢力の実際を解剖する企画である。

私たちの生活は、現在3つのレベルの体制−87年体制、分断体制、資本主義世界体制−上の危機に直面している。市民の力で勝ち取って建設した87年体制が新たな体制へ跳躍するばかりか、むしろその水準にも至らない体制へと帰結する危機、南北関係の悪化によって分断の韓半島が南北共同の禍を被り、またはそれぞれもっと悪い状態へと転落する危機、そして人類と地球全体を危険に陥らせる資本主義世界体制の危機がそれである。私たちの目の前の危機が、このように少なくとも3つの層位が重なったものであるため、ここで活路を求めることは高度な能力や知恵を要する。このような三重の危機を乗り越えることこそ、創批の新たな50年の主な課業であろう。私たちは、過去50年間積み重ねてきた経験やノウハウを基にして、もう一度有志の知恵を集める実践的集団知性の求心であり、かつ大転換を成し遂げる「創造と抵抗の拠点」になりたい。この困難な道を勇敢に、そして真心を込めて乗り越えていくことが、険しい道を先に歩んできた先輩たちと、今日の創批をつくってくださった多くの方々に対して恩返しできることだと信じる。

「50周年特別企画:創批に願う」には、本誌の編集委員6人が国内外の文人や研究者、市民運動家、編集者等に会い、これまで『創批』を読んできた所感と評価を盛り込んだ。本誌とのご縁や注目する部分はそれぞれ違うが、共通するのは創刊以来本誌が自任してきた「創造と抵抗の拠点」としての役割が依然として有効であり、最近はより切実となったという点である。各自の現場で熾烈に活動する方々からいただいた愛情の込もった苦言と編集方向に対する提言をすべて大事にし、新たな50年の土台にしたい。インタビューに応じてくださった6人の方に感謝申し上げる。

特輯「大転換、どこから始めようか」では、現在私たちが直面している時代逆行的で、重層的な危機の基本的な性格を文学と政治・社会の具体的な文脈から細心に検討することによって、反動的流れの中でも大転換を成し遂げる手がかりを見つけ、実践的課題を提示したい。韓基煜は、何の前提もない文学の開かれた道を歩む時こそが創造的可能性を掴み、時代の真実が明らかになると力説しながら、私たちが生きるねじれた社会を正す変革的主体の問題を提起する。続いて、文学のアトポス(Atopos、非場所)論に至る最近の文学論議の流れを考察し、白無産の詩とキム・グミの小説をはじめとする現在の韓国文学が、資本主義体制の根本を省察しながら時代的生活の真実をあらわす文学のアトポスが具現される現場であることを見せてくれる。

李南周は、現在韓国社会の危機局面が、分断体制の維持に死活をかけた守旧勢力の挑戦に対して、民主改革勢力がきちんと対応できていないところに起因していると強調する。民主的ガバナンスを段階的に壊す守旧勢力の「漸進クーデター」に対抗するためには、野党陣営と市民社会が87年体制の克服をはじめとする「大転換」の企画を共同で立てていくと同時に、来る総選挙でそれぞれ自分の役割を充実に移行しなければならないと力説する。ペク・ヨンギョンは、1987年以来我が社会で成長してきた少数者運動と論議が最近の民主主義の後退の中で攻撃されていると診断し、少数者運動と論議を人権保護レベルに限定する傾向をその原因として指摘する。我が社会において「市民」は誰であり、「人権」の適用を制約するのは何かを問いただすことを通じて、少数者の人権・市民権が韓国社会全般の転換と結び付く核心課題であることを主張する。

ファン・ギュグァンは、1980年代に繁盛し、いまは退潮したようにみえる民衆詩の面々を再検討する。イム・ソンヨン、ソン・ギョンドン、パク・ソラン、白無産等、最近発表された注目すべき民衆詩と「詩と政治」論議を一緒に扱いながら、民衆詩の本質が政治的プロパガンダと事実再現の枠から脱し、民衆の潜在力を原始言語の自由な力で表現するところにあると強調する。黄静雅は、文学が倫理的・知的課題を担う模範としてJ.M.クッツェーの長編『エリザベス・コステロ』を論じる。この小説で露わになる動物性と人間性の境界に注目しながら、動物に対する認識と態度の変化が結局私たち自身を見る観点の変化と絡みあっていると、それゆえ、人間と生活の根本的転換に向けた話題を抱いていると指摘する。本誌は今後も世界文学を本格的な批評レベルで取り扱う予定である。

なお、「創作」欄も50周年を記念して豊富に用意した。今年の「詩」欄は韓国詩壇を代表する詩人100人の新作詩で飾る。春号では、その第1次分として24本を掲載する。多彩で壮大な韓国詩の足跡を鮮明に表すために、登壇順に配置したことを明かしておく。「小説」欄ではこれまで長編執筆に専念してきた黄皙暎の新作短編を載せる。現代史が生んだ傷痕と治癒の可能性を描く、日常的で淡々とした筆致がむしろ毅然としている。イ・ギホ、チョウ・ヘジン、チェ・ジョンファの短編もそれぞれ固有の語法や個性で紙面を豊かなものにしてくれる。なお、本誌を通じて中編『種火』で登壇した孔善玉が実験的な作風の中編をもって再び読者を訪ねる。「小説」欄は今年1年間、中短編特集にする予定である。

今年の「文学フォーカス」は、詩人のキム・ソヨンと評論家の白智延が担当する。その初回のゲストとして、詩人であり、かつ小説家、評論家等の全方位的活動をしてきたキム・ジョンファンが参加し、近作詩集と小説集6冊について興味深い討論を繰り広げる。「作家スポットライト」では小説家の全成太が小説集『世にない私の家』で注目された中国同胞(朝鮮族)作家のクミをインタビューし、作家の履歴や素材に隠されやすい作品世界を細心に検討する。
「対話」は、韓国の「保守勢力」を診断する連続企画の初回として韓国宗教文化研究の権威者であるカン・インチョルと、宗教分野でも活発な著作活動をしてきた朴露子がプロテスタント問題を中心に韓国宗教の「保守性」をめぐって行った討論を地上中継する。二人の討論から韓国宗教一角の守旧的な理念性の問題を十分に実感することができよう。「論壇と現場」から分離独立した「現場」は、少数者の目から韓国社会を見る連続企画の初回としてキム・ドヒョンの論文を載せる。理性主義と労働能力中心の近代社会から疎外されてきた障害者が完全なる政治的権利を獲得することが、平等と自由に基づく新しい連帯の実験であることに違いないことを主張する。「寸評」欄も丁寧に構成した。一々紹介はできないが、ご尽力いただいた筆者の皆様に御礼を申し上げたい。本誌の自慢の一つである「寸評」欄は今後も継続し、より発展させていく予定である。

大学生文士たちの登竜門である大山大学文学賞が第14回を迎え、当選作を発表する。お祝い申し上げるとともに、今後韓国文学における期待の星として成長していただきたい。
創刊50周年を機に、発行人と編集員、編集主幹をはじめ、編集委員会が改編された。白楽晴編集員と金潤洙発行人、そして白永瑞編集主幹が退任し、カン・イル創批代表理事が発行人兼編集員を、韓基煜が編集主幹を、李南周が副主幹を担う。新任発行人兼編集員は本誌の発行に関する法的な責任と財政的支援を担当し、編集権は編集主幹を中心とする編集委員会に一任する新しい体制である。編集委員としては崔元植とコ・セヒョン、李章旭が退き、若手歴史学者のキム・テウと文学評論家のハン・ヨンインが合流する。白楽晴は名誉編集員、金潤洙と白永瑞、廉武雄、李時英、林熒澤、崔元植は編集顧問を担うこととなる。これまで労苦を惜しまなかったすべての方々に御礼を申し上げるとともに、新しい編集団を組織して新たな50年を迎える創批に対する読者の皆様からの叱正と変わらぬ声援をお願い申し上げたい。

 

韓基煜

訳:李正連(イ・ジョンヨン)